北奥千丈岳(石塔尾根・烏ノ尾根)
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- GPS
- 17:13
- 距離
- 39.6km
- 登り
- 2,651m
- 下り
- 3,337m
コースタイム
- 山行
- 7:03
- 休憩
- 0:30
- 合計
- 7:33
- 山行
- 8:36
- 休憩
- 0:59
- 合計
- 9:35
天候 | 晴れ、2日目午後曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 タクシー
復路:塩山駅まで徒歩 |
コース状況/ 危険箇所等 |
石塔尾根は、倒木の連続 天狗尾根は、岩場が厳しい 石楠花尾根は、石楠花の林から始まる 烏ノ尾根は、倒木、笹藪 |
写真
感想
1日目(9/16)
夜行バスで八王子に着いた。西沢渓谷へ行くバスは山梨市駅から出ているが遅くなるので、塩山からタクシーで行くことにした。8:20に到着し笛吹川沿いの道を歩き始めた。ナレイ沢のなれいの滝を見て旧西沢山荘に到ると車道が終わり登山道となった。笛吹川が西沢と東沢に分かれる所に二俣吊橋があり橋の中程から東沢の奥に鶏冠山が聳え迫力を持って迫ってきた。
吊橋を渡り終えると鶏冠山への道が分岐し西沢渓谷方面に少し進むと石塔尾根の取付きがあった。「鷹見岩・石塔尾根」の標識があり心強い。微かに踏み跡があり急登が続く。標高1,000mmを超えると一旦落ち着くが、また急登となり岩が混じってきた。究極はカモシカのくぐり岩で大岩に挟まれ天板のようになった岩の下をくぐり抜けた。1,650m程の地点で展望が開け南方向に大菩薩嶺(2,057m)が望めた。鷹見岩の標識があり縦走路から分岐して鎖を頼りに這い上がると岩頭に達した。北側に東沢を挟み鶏冠山(とさかやま2,115m)が崔嵬たる山容を現していた。
鷹見岩から縦走路に戻ると今まで頻繁にあった赤テープが殆ど無くなった。稜線通しに微かな踏み跡を辿り西滑頭(にしなめりのかしら2,086m)に達した。2等三角点「薊沢」があったが樹林帯で展望はなかった。昼食休憩を取り西への縦走を続けた。凄まじい倒木の連続で小ピークを2つ越えて石塔頭(せきとうのあたま2,115m)に達したが樹林帯で此処も展望はなく、山頂標識も設置されていなかった。
西への稜線を下るとやはり倒木が続き漸く林道に飛び出した。荒れた林道の支線で少し行くと鶏冠山西林道の終点に達し、天狗尾根の取付きまで1.9匣,領啼擦鯤發。薊沢の源頭部で薊沢5号橋から1号橋まで渡った。3号橋を渡ると道は舗装道路になったが車は全く来ない。
天狗尾根の取付きかと思って登り始めた赤テープは一向に稜線に上がろうとしないので無理矢理這い上がって行くと正しい登山道に合流した。石楠花の林を登って行くと岩場となり、前方に天狗岩の山体が見えてきた。ゴツゴツした岩山で何処から登るのだろうと考えていたが、結果は正面突破だった。尾根取付きで雲が出だし天狗岩にもガスが取り巻き出した。山頂付近に達したときはガスの中だった。ピークは大岩が直立し迚も登れない。東側に道があるので巻いて行くと裏側からなら難なく取り付くことができた。
天狗岩(2,436m)山頂には山頂標識は無いが、静岡県吉原市の竹村源司さんが昭和39年に奉納された大剣があった。この先も岩場が続き途切れた頃奥秩父主稜線に達した。天狗尾根の入口には西沢渓谷崩落のため通行不能の看板とロープが張られていた。少しの登りで国師岳(2,592m)山頂に達した。日本三百名山、山梨百名山に指定された山で1等三角点「國師岳」が設置されている。北奥千丈岳が目の前だが雲に没しているのが残念だった。西に下ると北奥千丈岳への分岐で明日は此の道を行く。
木製階段を登ると前国師岳(2,575m')で雲が薄れ北奥千丈岳を望むことができた。大弛峠への下山路は木道・階段が連続していた。夢の庭園コースが分岐して辿って行くと木道からの展望が良かった。大弛峠に達すると、駐車場があり一般車が峠を越えて行った。大弛小屋の宿泊は一人だけだった。他にも予約はあったが台風接近で早々キャンセルとなったらしい。小屋番さんはジャズが好きで小屋の中にはジャズが流れていた。中でもアート・ブレイキーがお気に入りだとか。
2日目(9/17)
台風14号が九州に近づき、山梨県も午後から雨の予報になっている。これは早立ちに限ると、5時前にヘッドライトを点けて出発した。前国師岳迄は、大半が木道階段で暗くても問題はない。直ぐに白みだし、前国師岳の手前に開けた処があり朝日を受けた富士山が清々しく望めた。前国師岳山頂に着くと昨日は見えなかった金峰山が五丈岩を従えて焼けていた。
北奥千丈岳(2,601m)は、奥秩父連峰の最高峰だが日本三百名山は国師岳に譲り、地味な扱いの山であるが展望は良く、古礼山に昇った陽が南アルプスを照らしていた。昨日見られなかった展望を縦にし、南に繋がる石楠花尾根を下った。その名の如く石楠花の茂る登山道は比較的明瞭でP2511から南に下ると奥千丈岳(2,409m)に達した。3等三角点「櫻」が設置されているが斜面の途中の感じでピーク性はなく展望も得られなかった。
円弧を描くように下って行くと白檜平(しらべいだいら)で林道が交差した。此の林道は、昨日石塔尾根と天狗尾根を繋ぐ為に歩いた鶏冠山西林道で此処まで繋がっている。林道を横断し、「ゴトメキ→」の標識に従って南に進んだ。倒木が多く歩き難い稜線で御止木(2,230m)に達した。此処から黒金山方面に行くのが一般的で此処で分岐する烏ノ尾根にも標識はあったが踏み跡は格段に薄くなった。
南西方向に進み小ピークを2つ越え遠見山(2,234m)達すると樹林帯で展望はなく、3等三角点「三枚笹」が設置されていた。200m程南に下遠見山(2,200m')がありこの間は笹が生い茂っていた。長い尾根を下ると林道が交差し、その先直ぐの処にお経窪ノ頭(1,940m)があるが展望はなく山頂標識も設置されていなかった。
大烏山(1,855m)は、岩山で尾根の先端に聳えている。樹林の切れ目から琴川ダムが俯瞰できた。南に続く尾根に明瞭な道が続いているが、烏の尾根は90°折れて東に向かう。踏み跡は不明瞭でお経窪ノタワに下った。登り返して大烏沢ノ頭(1,782m)を目指すが此方も岩山で厳しい部分があった。山頂は山頂標識も展望もなかった。松霞乗越を越えて馬止根場(1,773m)は、3等三角点「鍋割」があったが展望はない。
1,705mの標高点には、「先屋の頭」の標識があり予期していなかった山名にほくそ笑んだ。西御殿(1,536m)、東御殿(1,487m)と名は優雅だが展望のない山が続いた。晴れていた空には薄雲が広がり天気の悪化が心配された。小石ゼン(1,380m)では、樹林の隙間から富士山を望むことができた。大久保山(1,323m)は、地形図にも山名が記されているが樹林帯の中、山頂標識すらなかった。
300m余りの下降で大久保峠に達すると壊れた標識が転がり杣口集落への道が西に下っているが、東側の徳和への道は失われてしまったようだった。標高は1,000m余りあり、五町山へと登り返すので、1,000mを切るのはまだ先だ。五町山(1,070m)は、烏ノ尾根最後の山で展望を期待したが叶わなかった。山頂標識もなく寂しい最後だった。地形図で林道の終点付近に下りると見込んでいたが此の林道が酷く、草木が繁茂し蜘蛛の巣だらけ、100m程ジャングル地帯を進み落石の散乱する道に抜け出した。各段に歩き易くなって此のまま集落に出るのかと思いきや、最後の処はまたジャングルになり扉の跡を抜けると10m程で集落の先端に達した。
牧丘道の駅の横で国道140号線を越えて車道歩き7劼捻山駅まで戻る。途中、鎌倉禅林十刹に準ずる寺格の恵林寺に立ち寄った。山号を乾徳山と云いこの寺の北にある日本二百名山の山の名が付けられている。天正10年(1582) 武田家滅亡の際、逃げ入った佐々木次郎の引き渡しを拒否し、織田勢により焼き討ちされた。この時の住職快川紹喜は「安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し」との遺偈を残し火定に入った話はあまりにも有名。拝観料がいるので中には入らなかったが、山門に掲げられた此の偈を見て天正の時代に思いを馳せた。甲州市の真ん中には、塩ノ山(553m)があり存在感を持っている。西南の麓には向嶽寺があり此の山に因み山号を塩山(えんざん)と云う、旧塩山市の市名の起こりは此の山号から来ているらしい。長い車道歩きを終え塩山駅に到着した。心配された雨に遭うことなく山行を終えられ何よりだった。
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