折立から雲ノ平、鷲羽岳、水晶岳、赤牛岳、読売新道、五色ヶ原、室堂へ
- GPS
- 28:25
- 距離
- 54.5km
- 登り
- 5,716m
- 下り
- 4,613m
コースタイム
- 山行
- 6:01
- 休憩
- 1:28
- 合計
- 7:29
- 山行
- 9:06
- 休憩
- 1:35
- 合計
- 10:41
天候 | 3日間とも概ね晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2014年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス 自家用車
ケーブルカー(ロープウェイ/リフト) 船 自転車
室堂からアルペンルートのバス・ケーブル、富山地方鉄道で帰宅 下山翌日自転車で折立の車を回収 |
コース状況/ 危険箇所等 |
全般に整備された登山道だが、温泉沢の頭から赤牛岳間と読売新道はやや熟練者向け、奥黒部ヒュッテから黒部湖の道は木の桟道、梯子による上下多し。雲ノ平キャンプ場から祖父岳方面への近道は植生保護の為通行禁止。五色ヶ原キャンプ場の水場は枯れている。 |
写真
感想
本コースはお盆休みにUさんと二人で行く計画を立てたが、天候不順で薬師岳の日帰りに終わっていた。Uさんには恐縮だがこの9月の連休で一人で実施することにした。日本海側に高気圧が居座って、アルプスは北ほど天気が良いという状況で、北ア最奥の山旅を楽しむことが出来た。
20日: 前日に折立入りして余裕を持って行きたいと思ったが、仕事が片づかず睡眠2時間での朝出となった。有峰林道亀谷ゲート開門6時の30分前に着いて長い車列に並ぶ。待つ間も居眠りしておく。
こんな感じだったから、今日は調子が上がらず苦労するかと思ったが、歩き出してみると案外そうでもなく足は軽く、大勢の登山者をどんどん抜いていく。一方トレランの韋駄天さんにはしばしば抜かれるが。テント泊3泊を想定した荷物で水抜きで13kgあったがその重さもあまり感じない。太郎小屋までの所要時間は先月の時の15分増しだった。先月は日帰り軽装備でUさんに追い立てられながらの時間だから、この時間差は大健闘である。高曇りだが周囲の山は良く見える。水晶岳の姿に、明日は行くよと意気が高まる。
太郎小屋を後に、薬師沢小屋への道に入る。それまでの登山道と小屋周りの賑わいから一転静かな道となる。最初は木道でゆるゆる進むが、尻擦りの急坂に突入する。沢沿いになると緩やかになり、カベッケヶ原の湿原などを過ぎて薬師沢小屋に達して一休み。
薬師沢小屋は、この辺ではここにしか建てようがない様な狭い平地に建っていて、吊り橋と一体になっている。吊り橋を渡って梯子で河原に降り、少し下流に進むと大東新道との分岐となり、いきなりの急登で始まり、延々と続く。急であるばかりか岩ゴロが大きくて大股登りを強いられる。標高2350mまでの450mを頑張ると雲ノ平の西端となり、緩やかになって木道も現れる。水晶岳がまた見えて来て、アラスカ庭園からずっと楽しい木道歩きで雲ノ平小屋が見えて来て、丘を一登りで小屋に到着。薬師沢から雲ノ平は6年ぶりだが、前回は雨天で何も見えなかったので、改めて雲ノ平の眺望の良さ、気持ちの良さを知った。
雲ノ平のキャンプ場もなかなか気持ちの良い場所だ。祖父岳に抱かれた斜面で、西側に開いていて黒部五郎岳が良く見える。雲ノ平小屋では水は有料だが、ここには良い水場があって小屋から片道20分を水汲みに来る人も多い。トイレはバイオ化されているのだが、足踏みポンプの水が出ない等、やや管理が行き届いていない感じはした。昨夜からの寝不足状態でここまで眠くならないのは不思議なくらいだったが、夕景色を眺めながらの上機嫌の夕食の後は暗くなる前にぐっすり寝入っていた。
21日: 朝はかなり冷えて、テントにもびっしり霜がついた。5時にヘッドランプで出発、木道にも霜がついて傾いている所はかなり怖い。特に横に傾いた木道がかなりヤバい。滑って転倒か転落したら痛そうと思うが、なんとかそんな目には会わずに切り抜けた。薬師岳に、黒部五郎岳に朝日が当るのを眺めながら、今日の最初のピーク、祖父岳となる。ここから先が、黒部五郎を目指した6年前と違うルートとなる。祖父岳から岩苔乗越に下りて、少し登り返してワリモ北分岐となる。左へ水晶、右へ鷲羽への分かれ道だ。
今日のルートの標準タイムは、真っ直ぐ水晶に向って11時間、鷲羽へ寄り道するともう2時間10分かかるが、分岐に荷物をデポして鷲羽を往復することにした。水晶も鷲羽も登ったことはあるのだが34年前の学生時代に裏銀座縦走したときのこと。僕が富山に来てからの8年間では、この2山が北アの百名山では最後なのだ。ここで鷲羽岳のみを残すわけにはいかないではないか。標準タイム2時間でも空身なら半分くらいで出来るだろう、概ねその目論見通りだった。34年ぶりの山頂に眺めも大展望、名残は惜しいが15分ほどで引き上げてデポ地に馳せ戻った。
さていよいよ水晶岳を目指す。水晶小屋のある右の肩に上がり、稜線を頂上に達するルートはずっと見えている。赤池の湿地を横切って水晶小屋に上がった所で空腹感を覚えたので補給休憩とした。多くの登山者はここに荷物を置いて水晶岳を往復するのだが、僕は再び荷物を背負って山頂を目指す。頂上直下の岩場を越えて、最高所の南峰に到達。かなり狭い山頂で人口密度が高い。
鷲羽でも大展望だったが、水晶岳の展望が最高だった。何が違うかと言うと、山頂が狭いだけにどこを向いても足下が深く落ちて、その先に高峰が聳えている。しかも360度どこを向いても名だたる名山がひしめいているのだ。百名山で直ちに同定できたものだけでも、鹿島槍、五竜、白馬、立山、剱、薬師、黒部五郎、笠、御嶽、乗鞍、穂高、槍、鷲羽、白山、それに富士山だ。何とも贅沢な、正に北アルプスど真ん中の眺めであった。
ついでに言うと、ここ水晶岳の住所は自分が住んでいる富山市であり、富山市の最高所なのだ。県境でもない独占地だ。全国の県庁所在地の中では静岡市が間ノ岳を持っているのに次ぐ高さである。鷲羽岳、黒部五郎岳、薬師岳、これから向かう赤牛岳も富山市の山なのだ。平成の大合併で富山市がやたらでかくなった結果なのだが、以前気がついた時にはちょっと信じがたかった。
さてこれから向かう赤牛岳もどっしり構えてはいるが、その後ろに立山・剱岳がより高く聳えている。2900m以上の山にぐるりと囲まれているために、この2800m峰は百名山にはなれないと解る。黒部ダムからは黒部湖の奥に存在感を誇っているし、五色ヶ原からもよく目立つが、立山辺りからだとよほどよく知っていないと、あれが赤牛岳と指し示すことはなかなかできない。
水晶岳から最初は少しガレ場の急坂を下るが、後は緩い稜線の道となる。左手下に高天原の小屋と湿地を眺めると温泉沢の頭を通過する。2813mのピークを過ぎて一旦下り、水晶-赤牛間の最低鞍部が2710m、ここから150mの登りを一頑張りで行けるかと思うと、また一旦50mほど下って、漸く赤牛山頂への最後の登りとなる。山頂には二人の男の人が休んでいた。二人とも読売新道を登って来たとのことだった。周辺ガスが湧き始めて来て眺望は水晶岳に大分譲るが、今回目標のピークを全て踏んで満足であった。
さて後は読売新道の大下りだ。奥黒部ヒュッテまでの標高差は1300m、標準タイムでは5時間となっている。歩き易い下り道なら僕は普通1時間で500m位を下るが、難路と言うことなのでもう少し遅くなるだろう、一応目標3時間位か。山頂から最初の標識「7/8」までは巨石を辿る道、ガラガラの道などでなかなか標高が下がって行かない。樹林帯に入ると木の根をつたう急坂の道となる。足が疲れていると辛いであろう。標高2400m辺りではナナカマド、カエデの紅葉の見ごろが始まっている。2000m以下は眺望もなくなり、相変わらずの急坂をひたすら下り、川の音が聞こえてくると一頑張りで平坦な道に出て、ほどなく奥黒部ヒュッテに到着。テント場の受付と同時にビールを買い、長丁場を終えた感慨に浸った。
22日: 朝一番の平の渡し船6:20に乗らないと今日中に室堂に着いて帰宅するのが難しくなる。4時までにはテント場出発と決めて、順調に撤収が済んで3時40分にヘッドランプで出発した。先ず東沢谷を渡るのに5連続の丸木橋の列に度肝を抜かれる。平坦な砂地を抜けると、いよいよ断崖をへつる、木の足場の連続となる。土の上を歩く箇所も含めて殆ど登っているか下っているかである。1時間歩いてGPSで位置確認をすると、渡し場までの行程の1/3位しか行っていない。その後漸く難場は少なくなって概ねすたすた歩けるようになり、薄明るくなって来て左手下が黒部湖の湖面と解ると少しほっとする。船着き場の表示は突然現れた。GPSに仕込まれた地図の情報が古く、それにあるよりも200mほど手前に移されていたのだ。山と高原地図では今の正しい場所に示されている。標準タイム2時間の所を1時間50分だった。船が来るまで余裕があると思い、避難小屋を偵察に往復することにした。途中上下もあって片道15分と案外時間がかかり、6時を過ぎて戻って来た。船着き場にいないと船が来てくれないこともあるというので、いそいそと長い木の階段(梯子にかなり近い)を船着き場へと下りた。
渡し船は平の小屋を6時丁度に出発で、5分位で着くはずなのだが、6時10分になってもやって来ず、本当に来るのかと心配で待ち続ける。6時15分、かすかに船のエンジン音らしいものが聞こえて、間もなく船が見えて一安心。乗船客は向こうから2人、こちらからは僕1人だった。船を下りて長い階段を登って平ノ小屋に到着。テント場ではごく軽くしか食べてこなかったので、ここで再度朝食タイム。この間小屋から出発する人数名、皆黒部ダム方面へ向かって行った。
今度は本日最大の、五色ヶ原まで標高差1000mを登る。最初はヌクイ谷沿いの緩い道だが、沢を離れて刈安峠への急坂となる。急坂ではあるが雲ノ平や読売新道ほどの激しいものではなく、殆ど手は使わずに歩いて行けるものである。この間と刈安峠では何人か下山の人と会った。
刈安峠を過ぎると道は次第に緩やかになり、眺望も効いてきて赤牛岳も見えてくる。紅葉も見られるようになった。2362mの標高点辺りで五色ヶ原の端っこの雰囲気になり、木道も現れる。五色ヶ原が見渡せるようになり、道も一層緩くなって五色ヶ原のキャンプ場に到達。キャンプ場の水場は枯れていて、山荘に取りに来るよう表示してあった。
この後は浄土山まで正味の標高差は400mほど、何度か通った道でもありもう苦労しないかと思ったらそうでもなかった。ザラ峠へ下りて獅子岳への400m近くの登りとなる。ここはまだ気力があって頑張ってそれなりのペースで登った。鬼岳は横腹の通過で細かい登り降りがあり、龍王岳との鞍部からは残り標高差150m程の、本日およびこの山行の最後の登りである。ここではラストスパートとは行かず、ちょっと苦しくなってペースを落としてなんとか凌ぐ状態となった。3日間の蓄積による全身疲労であろうか。龍王岳の肩を越して浄土山南峰までの緩い坂は何十回も歩いたよく知っている場所なのだが、いつもよりも長く遠く感じた。浄土山で最後の大休憩。折立からここまで50km、よく歩いたもんだ。途中で抜いてきたおじさんも到着してお互いを労った。おじさんは折立から薬師岳経由、テント3泊してここまで来ていた。
浄土山南峰からは北峰経由、室堂山展望台側を下った。まだ下りの脚力は残っていて辛い思いはしなかった。室堂山荘前に下りて来て銀座の様な人通りに交じり、遂に室堂ターミナルに到着。今日はいつもと違ってもう車の運転はしないので、室堂で先ずビール、バス・ケーブルで立山駅に下りて千寿荘で入浴、富山地方鉄道車内で日本酒と、良い気分で帰宅するのであった。
翌23日は自宅で朝のんびり過ごしてから、折立に残した車を自転車で取りに行った。有峰林道の小見線は自転車ではトンネルが恐いので小口川線から登り、折立まで通算の登り標高差が1700mになる。4日間で徒歩と自転車を合わせて6000mを越えて登ったのであった。
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