越美国境・土倉岳、三国山、三周ヶ岳、美濃又丸、笹ヶ峰
- GPS
- 49:52
- 距離
- 42.6km
- 登り
- 3,011m
- 下り
- 3,186m
コースタイム
- 山行
- 2:28
- 休憩
- 3:00
- 合計
- 5:28
- 山行
- 6:32
- 休憩
- 0:22
- 合計
- 6:54
- 山行
- 5:25
- 休憩
- 0:12
- 合計
- 5:37
- 山行
- 5:46
- 休憩
- 0:33
- 合計
- 6:19
- 山行
- 7:23
- 休憩
- 0:31
- 合計
- 7:54
- 山行
- 6:55
- 休憩
- 0:18
- 合計
- 7:13
天候 | 1日目 雨→高曇り 2日目 晴れ風→ガス 3日目 ガス→晴れ 4日目 ガス風低温 5日目 微風快晴 6日目 微風快晴温暖 7日目 高曇り時々晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年02月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
例年よりも少雪のようだが年間で最も積雪の多い季節で、足りないということは無し。 視界不良時のルートファインドはかなり難しい。 全域ほぼブナのみ。ところどころ、急傾斜に挟まれた細い雪稜あり。雪面の硬さも様々で、スキーを担ぐ(シートラ)か履くかの判断は極めて頻繁。 人里からの隔絶度は満点の山域。それぞれのピークは地味ながら美しい。 |
写真
装備
個人装備 |
スコップ+のこぎり
スキー・ストック・シール
アイゼン・ピッケル
ビーコン
ラジオ+天気図
その他冬山泊個人装備(寝具一式・ナイフや灯り地図磁石)
|
---|---|
共同装備 |
ツエルト
ストーブ・鍋
タープ
|
備考 | タープをイグルーにかけると、雨でも壊れないし吹き込みもない。 |
感想
〈計画〉
奥美濃山脈の、人里からの隔絶度が魅力で、数日刻みでの入山より一度につなげて行ってしまいたいという思いがここ数年あり。名古屋暮らしを締めくくる大計画を企画した。今年は一人でも行くぞ、と計画を作った。イグルーと山スキーを使った重荷長距離山行は北大山岳部文化で、センパイのフジワラさんが参加することに。
雪質次第で進行速度は変わるので、元の計画111km油坂峠までは、好調な場合。状況に応じて6つのエスケープルートを用意して、日程後半に判断できるよう調べた。能郷白山までが本命かな。
〈食料、燃料〉
長期間なのでカロリー計算し、朝は毎朝マルタイラーメンと餅、晩は隔日でカレー雑炊と納豆味噌玄米雑炊のみに。フジさんが禁肉食中で、乾燥大豆肉入。行動食はグラノーラと柿の種という粒状をメインに毎日ワンカップ容器に掬って胸ポケットへ。かりんとうを補足。食料は10泊11日分で一人8.5キロ。燃料はホワイトガソリン朝晩飲用水作り込みで、二人で250cc×10日。この山域はブナのみで、焚き火できる薪が無かった。入山時全重量はザックに25kg、スキーと靴10kg、衣類3kgだった。
〈装備〉
イグルー泊でテントは無し。ただし、雨に備えてタープ(500g)を備えた。吹き込みも防止でき保温性もあり快適。スキーは150cmの短板(ヨネ)がヤブ、シートラ時、狭い雪稜滑りに最適。フジ氏の170cm幅広の板はエッジを効かせる登りが弱く、苦労していた。ビンディングはジルブレッタ300と500。300(ヨネ)は蝶番の部品が金属疲労で壊れたがなんとか持ちこたえた。40年モノ。もうご臨終かも。500(フジ)は安全装置の横ずれ機能がすぐズレて不調。何度も叩いて治す。重荷でもあり、シールは下山林道まで外さなかった。ノリが薄くなっていて、テーピングで縛って対処。ラッセルもあり、スノーシューやわかんよりスキーのほうが良いと思う。ただし快適な滑降箇所はオマケ程度。アイゼンは持っていって良かった。風の当たる急な雪面はカキカキに凍っていて必須。ピッケルは使わず済ます。
〈記録〉
1日目:〈雨のち曇り)入山
名古屋から車で2時間半で取り付きへ。お宮の裏から直登。もう少し右に廻ると踏み跡があったかも。ヤブはたいして無し。すぐに雪になる。フジ氏がビーコンを無くして、探しに降りる。3時間かけお宮まで降りて見てきたが無い。結局気がついたところから2,3分のところに見つかった。疲れたので標高差400mで泊。フジ氏が書いたばかりで私は昨日まで読みたてホヤホヤの「評伝・酔いどれクライマー永田東一郎」の話で盛り上がりながらカレー雑炊。
2日目:〈曇り→ガス〉霧の山稜
ラッセルには登山靴+スキーが重宝。フジさんも同じ山岳部装備なのでこの山行には最適なビンディングなのだが、どちらも古く壊れかけている。フジさんのビンディングは久しぶりとのことで調整で度々止まること多し。視界は濃霧になり、小さなポコから下る際には地図読みが難しくなる。複雑な地形の窪地に入ったところで、泊まることにする。美しいブナ林だ。フジさんには同時に隣でトイレイグルーを作ってもらう。中でつながっているので朝イチでトイレに行くのに大変便利。今回仕込んだ自作乾燥納豆の粉末の味噌雑炊は今後定番としたい。冬山の天場で足がつるのは一泊目だけなのだと今回わかった。娘や息子とのやりとりの話などで盛り上がる。
3日目:〈晴れ風〉ブナの稜線を進む
行程がすごく遅れているけど、日程が長いからあまり気にしない。予報では寒気で悪天とのことだったのでイグルーにタープを掛けて寝たら吹き込みもなく快適で寝過ごす。好天だったのに気づかなかった。風は強い。三国岳まで行くかと思ったが届かず。
小さな登り下りの、下りのところは地図読みがすごく大事。GPS無しで、昔のように確認し合う。冬合宿みたいだ。楽しい。何か探検活動や戦国斥候作戦をしているような高揚感。きょうは能郷白山が遥か彼方に見えた。
疲れたときの飲み物にクエン酸砂糖湯が効く。フジさんは初日にストックリングを無くしていたが、米山のストックに40年前から巻いてあった修理用針金を使ってリングを自作した。長い山行ではこういう修理道具の意味が立ち上がる。
4日目:〈ガス時々曇り〉濃霧の尾根下り、シートラ、クラスト、滑落
毎日移動、安全確認、進路決定、イグルー設営、食事の支度をして又移動。旅暮らしだ。南米やアフリカ内戦の話をしながら、読んだ本の話をしながら。
濃霧の山頂から下るのはいつもながら難しい。地図と磁石でわかっていても、三国山の山頂からも一回間違え、夜叉姫岳の山頂からの下りも間違えた尾根を下る。それぞれ30mほど疑いながら下ると間違いがわかる。フジさんはこういうときに抑えるポイントを外さない。必ず確認して実践して修正する。人はいかに視界に助けられているかがわかる。
雪稜が狭く、硬く凍った傾斜のある段差が増えてきて、雪庇とは逆側のヤブの斜面の傾斜も強い。シールでは効かず、エッジを蹴り込んで登ることが増えた。フジさんの板は幅が広いせいか、この登り方がうまく行かないらしい。段差をいくつか越えて振り返ると、なかなか登ってこない。50mほどむこうの段差の向こうで、5mほど滑落していたとのこと。20分ほどしても来ないので様子を見に行こうかとザックを背負ったところで現れた。立ち木に乗ってすぐに止まったが、傾斜はずっと下まで続いていたので危なかったとのこと。荷物が重かったので足首に多少のダメージがあったよう。現場は夜叉丸ピークのやや南のあたり。
夜叉丸から夜叉ケ池への下りはクラストした急斜面でアイゼン、シートラにする。標高1200mで低くヤブの山域という印象だが、結構アイゼン領域も多い。そして雪面の硬さが七変化で、シートラ判断が常に問われ、重い荷物を上げ下げしての着脱回数は日に十数回になる。
天国のような夜叉ヶ池の白い湖畔にイグルー。フジさんは入山以来ずっと手指がしびれているという。重荷で肩を圧迫するのと寒さのせいだろうか。
5日目:〈微風快晴〉三周ヶ岳登頂、白山が見える
朝日に輝く白い夜叉ヶ池を発ち、岩稜の細い尾根の脇の雪のテラスをたどって高丸分岐へ。もうここは樹林の山の雰囲気ではなく、真っ白な山域だ。今回は高丸アタックは割愛。
三周ヶ岳の往復は荷物を少し下げておいて(下げすぎた)、空身で行う。荷物から開放されると、スピードが出る。標高差100m以上を登り20分ほどであっという間に登り、下りも自由にターンして下る。この山は国境線から離れて独立峰のようにあり、この日の午後はその外側をくるりと北へ回り込んでラッセルした。北側に回り込むほどに美しい姿になり、登頂の喜びが沸き出づる。
長い距離のラッセルで午後1時台は板の裏に雪団子で足かせトレーニングしているようだ。美濃俣丸を見上げる1122白い台地の上にイグルー。遠くまであかね空が見える最高の天場。健さんが妻の過去を根掘り葉掘り聞く「黄色いハンカチ」のシーンや、戦争を経験した小津安二郎が戦争を描かない話、369、258、147の話で盛り上がる。
ここで初めて携帯電波が通じて、GPSログを送る。
6日目:〈微風快晴〉美濃俣丸、笹ヶ峰越え
朝は雪面が固く、美濃俣丸の登りもシートラしたりスキーにしたりとせわしない。しかし山を超すたびに遠い白山が少しずつ大きくなるように感じる。能郷白山までの国境線が遠い。笹ヶ峰の向こう側でぐぐっと標高が下がっているようだ。左門や平家の方もようやく分かるようになってきた。
1288西面は固く凍っていて、トラバースも苦労する。笹ヶ峰までにはいくつかのポコがあり、どれも真っ白だ。視界があるとはありがたことだ。笹ヶ峰の下り、結構スキーのターン幅が狭いのに急な下りで、ところどころシートラに切り替える。でも案外、うまくターンできたりもする。最低コルから見る能郷白山の角度がとても美しく、そこにイグルーを作る。ほぼ完成というところでうっかり下段を踏み抜いて、半分崩落。でもジャリジャリ雪でくっつき易い雪だったので、残骸を大幅に利用して再建する。
ラジオで天気図取って、明日の夕から明後日にかけ雨になるとのこと。そろそろ長期作戦会議を、と検討すると、結構スロウなこのペースで能郷白山まで行くのも、残り5日かけるとギリギリかもしれないことがわかり、冠峠まで行くにも雨で一日停滞するのもなあ、などと話していて、明日高倉峠から下る選択となる。旅の終わりは突然やってきてしまった。でもそれは夢と同じで、よくあることかもしれない。
7日目:〈晴れ、高曇り〉高倉峠〜瀬戸
シールスキーじゃどうなんだよ、という結構細い雪稜もあるし、下は硬いけど柔らかい雪を載せていて制動になるスキーの楽しい斜面もあり。旅も終わりかと思うと名残惜しい。「天国のキッス」のピアノパートや「絶体絶命」の二股男のモノマネの話で盛り上がる。
高倉峠から下降尾根に入ると、始めはスキー向きのゆるい尾根なのに、植林杉後は木が密になってシートラ。尾根末端は450mくらいから下は西によりすぎて、絶壁近い急斜面に出てしまい、登り返したりする。ピンクの印も西に降りていて、地形図の夏道は今はどうも無いようだ。最期に苦行をしてようやく林道に出たと思ったら、林道の雪もズボズボだ。シール外してスキーで行こうとすれば時々雪が切れ、またシートラを繰り返す。転んで鹿の糞溜めに尻もちをついたりする。クタクタだ。
ようやく降りた瀬戸の集落は古い建築の民家がひしめく素敵な佇まい。辻の石仏。玄関先で大切そうに銀杏を干す老人や、寡黙で凛々しい甲斐犬を連れたおじさんに出会う。珍奇な来訪者にも動ぜず話す人達だ。
神社前で今庄タクシーを呼び今庄駅へ4110圓。ここは谷間の宿場町のよう。食堂などは無し。汽車はトンネルをくぐって敦賀へ。特急しらさぎの無い時間帯で、快速で1時間で米原へ。新幹線で30分で名古屋へ。大曽根のスーパー銭湯で祝杯。
1984年以来のセンパイと1週間も長旅をできた。学生の時そのままの、25kgシートラ雑炊無人山域イグルー山行。本州中央部にもまだこんな無垢な山域がある。
コメント
この記録に関連する登山ルート
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記録を食い入るように読ませて頂きました。イグルーでの大縦走‼
大ダワは比較的地元になり今シーズンも歩いていますので、あの先の繋がりがどうなっているのか興味津々。イグルスキーさんのお陰でイグルー作りの楽しさに目覚め、現在鋭意練習中です(来週初イグルー泊予定)。
ツイッターでもコメ入れさせてもらいましたが、分かりやすいHPのお陰で本当に助かっています。周りにも「作りたい」という仲間が増えつつあり、雪山の新たな楽しみ方(そして大事なビバーク技術)を知ることができました。仲間にもイグルスキーさんのメソッドを伝えていきたいと思います。ありがとうございます♪
ありがとうございます。HPも見ていただいて。雪山の楽しみはただ登るだけじゃないという面を、イグルーで知りますよね。どんどんハマってください。
私、ヤマップはやらずヤマレコ派なので、ぜひこっちに戻ってきて記録見せてくださいね。ぜひイグルー談義しましょう。今回、奥美濃の山域がとても良く、大発見でした。雪の十分なシーズンは短いかもしれないけど、名古屋、関西からの近さは貴重だと思いました。
縦走自体も羨ましいですがイグルーを連続で6回造れるのが楽しそうでイイなと感じました。
雪質や標高&地形によって同じ物は2度と出来ないのもイグルーの魅力だと思っています。
私は地元なのでいつか越美国境もしてみたいと思います、10泊11日は流石に無理ですねどね。
感想の「相方さんとその日話した内容」的なやつはとても面白かったです、私も少しだけ経験ありますがお酒の席とはまた違った内容を喋ったりする感じがします。たわいない話ですけど結構記憶に残っています。
「旅の終わりは突然…、でもそれは夢と同じ」が痺れました。イグルーだけじゃなく文書も上手すぎです。
そちらの方も是非レクチャーして欲しいくらいです(^.^)
きやさんの大笠山アタック記録のイグルー見ましたら、立派ですね。この南西尾根の計画ラインも私好みです。大笠〜笈鶴〜三方岩は以前やはりイグルーで行きました。よい山ですね。今回は福井の山奥の魅力がわかりましたよ。
イグルーは同じものは二度とできず、溶けて無くなってしまうごちそうみたいなものですね。今後もイグルー山行記録楽しみにしています。
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