石ノカラホト、玉取池探し 三回目(滝子山の北西付近)
- GPS
- --:--
- 距離
- 18.7km
- 登り
- 1,084m
- 下り
- 1,257m
コースタイム
天候 | 晴れから曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2014年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
危険箇所: 歩いたコースでは特に危険箇所はありませんが、足場の悪いところは多数あります。 Vルートのコタカンス沢や西長窪沢筋は数えきれない程の渡渉をしなければなりませんが、注意して渡れば靴を濡らすところはありません。沢装備も不要です。 沢沿いには湿地帯が多数ありますが、今回は気温が低く凍結状態なので歩くのは楽でした。またアイゼンは不要でした。なお凍結しない時期は湿地帯がスブスブ潜る様な感じとなると思います。。 深い笹藪の中では、折れた笹の枝で目を刺す危険があるのでメガネやサングラスで目の保護をした方が良いです。 不明瞭箇所: コタカンス沢沿いの旧道: 曲り沢右岸沿いの林道が終わる地点から曲り沢を離れコタカンス沢に進みますがコタカンス沢沿いは薄い踏み跡と色あせた赤テープが忘れたころにあります。コタカンス沢に入り約50分ほど進んだ地点付近で沢が三つに分かれますがこの辺が不明瞭箇所です。ここは一番右の沢へ進ます。その先は上に見える稜線の低い当たりを目指して登れば曲り沢峠です。 なおコタカンス沢は、曲り沢峠から下る場合は迷うことはないと思います。 西長窪沢筋: Vルート内は道がありませんので全て不明瞭です。この付近は地形が複雑で枝沢が多数あるので事前に1/25000の地図などで確認しておく必要があります。 道の様子: 山と高原地図に書かれている一般登山道の説明は省略します コタカンス沢、西長窪沢のVルート内は上記危険個所や不明瞭箇所のところで書いたような状況です。 特に西長窪沢内は複雑な地形なので足場は極めて悪いですが沢登りの装備は一切不要です。 北方川西尾根:(20170207追記) この尾根の降り口には当時私製の立派な道標があったが現在は取り外されている。地元有力者に聞いたところあの道は、上部が非常に悪く道標に釣られて一般登山者が下りるような道でないと地元の寄り合いで話されたとのことで、道標設置者が自主的に取り外したようだとのこと。 |
その他周辺情報 | 駐車場: 景徳院前の市営駐車場に10台程。 下山地点付近は立河原集落近くの国道20号沿いに3台ほど。 |
写真
装備
備考 | 水は1.75L持っていき1.0Lほど飲みました。 |
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感想
またまた滝子山の北西にあるとされる”石ノカラホト”と”玉取池”探しの三回目をしてきました。これは昭和34年に発行された『岩科小一郎著・大菩薩連嶺』に載っている昭和5年の古地図に書かれております。
http://www.yamareco.com/modules/yamainfo/ptinfo.php?ptid=13567
石ノカラホトや玉取池のある場所:
石ノカラホトや玉取池のある場所の情報は、昭和5年の古い地図のみである。
その場所の推定方法は以前の2回の記録に書いた(それらを取り囲む三つの山との位置関係から計算)が、今回は別の視点からの計算を試みました。
その方法とは、石ノカラホトや玉取池の古地図の場所の南北及び東西に位置する他の複数の目標となるようなポイントをいくつかサンプリングし、それらとの関係を国土地理院の1/2500地図上にプロットしてみました。その結果は以前の結果と同じ位置に石ノカラホトや玉取池の位置があることになったのです。
このことは古地図の山の位置関係は現在の国土地理院の1/2500地図とほとんど誤差が無く古地図と言えどもかなりの精度で描かれたものと評価できるわけです。
ここで一番の疑問は、石ノカラホトや玉取池の位置がどれだけの正確さで古地図に掛かれたかということです。仮にその位置が正確でなく、例えば沢が一つずれた位置にそれらの場所が書かれた可能性もあるわけです。
写真1の古地図からわかるように石ノカラホトや玉取池の書かれた場所は玉取沢の南側です。
今回の調査の方法:
写真の古地図を見るとアモウ沢乗越の西に石ノカラホトや玉取池があるようにも見えます。
即ち昭和5年の古地図の位置が正しくなく、それらが玉取沢(現在の東長窪)ではなく現在の西長窪の南側にあるのではないかということを考えたわけです。
そこで今回は西長窪沿いを歩いてみました。
今回もYamaotoko7さんと一緒に西長窪を歩きました。
発見した石ノカラホトや玉取池の確率はYamaotoko7さんと異なる見解ですが、岩科小一郎の本から55年も経過しているのでその答えは出ないでしょう。
2013年4月29日 第1回目の石ノカラホト、玉取池探しの記録
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-290675.html
2013年12月07日 第2回目の石ノカラホト、玉取池探しの記録
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-380865.html
今回の石ノカラホトと玉取池探しの記録(Yamaotoko7さん版)
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-558928.html
大菩薩連嶺南部(滝子山と大谷ヶ丸の間の谷)に在る『石ノカラホト』は、私が数年前に入手した『岩科小一郎著 大菩薩連嶺 朋文堂 昭和34年発行』に載っておりまして長いこと興味をそそりながら頭の中で妄想登山をしておりまして、どのように行けば良いかを模索しておりましたが、私一人ではどうする事も出来ませんでした。そこで私の知人で関東の中級山岳のバリエーションルートを熟達しているhachi氏が古地図を見ながら現在の地図と照らし合わせて緯度経度や方角その他諸々を数学的に分析してくれました。そのかいがあって2013年4月に第1回目の石ノカラホト調査探検に行く事が出来き、そして2013年12月に二度目の調査探検で、今回が三回目の調査探検でした。岩科小一郎がこの本を書いてから既に55年の歳月が流れておりますので、当時の生活道や炭焼道や山村集落などは消失しておりまして、今回は3回目の調査探検と云う事で前回と違い少し別の視点で石ノカラホトを調査しました。そして石ノカラホトだと断定出来る場所は1箇所ありましたが、今回は8割以上の確率でその場所が石ノカラホトだと断定できると思いました。その根拠は岩屋が崩壊したような形態で、その脇に文様が入った岩がありました。その文様が線刻文字もしくは仏像か何かが乗っかっていた台座の残骸のようにも見えました。ちなみに今回は前回と違い古地図(写真)の玉取沢を現在の地図に明確に置き換えて、現在の地図のアモウ沢乗越の西側の沢である西長窪沢を玉取沢と仮定して登りました。ちなみに石ノカラホトは過去に先人が残した写真も無く、もちろん絵や毛筆画すらありませんので、実態が無いものを2人で探すのは前回や前々回同様に大変困難なことでした。そのうち山梨県立図書館や国会図書館などで集落史の古文書などを探して、石ノカラホトがどの辺にあったかと云う事を必ずつきとめたいと思っております。必ずどこかにあるような気がします。
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