栂海新道《日本二百名山》
- GPS
- 17:13
- 距離
- 46.2km
- 登り
- 3,279m
- 下り
- 4,773m
コースタイム
- 山行
- 6:36
- 休憩
- 0:37
- 合計
- 7:13
- 山行
- 6:50
- 休憩
- 1:16
- 合計
- 8:06
- 山行
- 5:22
- 休憩
- 1:09
- 合計
- 6:31
天候 | 1日目:曇り後吹雪、2・3日目:晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2011年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
終点:親不知観光ホテルから送迎車でJR北陸本線親不知駅 |
写真
感想
1日目(9/23): 曇りのち吹雪
台風15号の影響が残り“急行きたぐに”は50分遅れて糸魚川に到着した。車内放送で大糸線始発及び2番列車の運休が告げられ8時15分の3番列車まで無いと言う。タクシーも覚悟したが駅に降りると代行バスがあると言うので、渡りに船と飛び乗った。殆どが北アルプスを目指す登山者で、南小谷から接続待ちしていた大糸線電車に乗り継いだ。私の方は5分の待ち合わせで栂池高原行の予定のバスに乗り継ぐことが出来て結果オーライ。栂池高原からはゴンドラリフトに乗り栂ノ森(標高約1,580m)まで一気に上がった。他の登山者はロープウェイに乗継ぎ栂池自然園(標高約1,820m)まで行ってしまったが、名前のある山は見過ごし難く、鵯峰を経由するためロープウェイを見送り歩き出した。
栂池自然園へ続く林道を暫く歩き2度目のヘアピンカーブから分岐するダート道を5m程入ると登山口があった。鵯峰から南に続く尾根の急登路を登り、標高1,800m位で水平道となり東に進み東尾根にトラバースした。回り過ぎて方向が外れてきたので心配になり左手斜面の踏み跡に入って行くとすぐに道は途切れた。仕方がないので藪漕ぎで右へ右へと進むと本来の道に出ることが出来た。2.5万図によると鵯峰ピークの手前に3等三角点「鵯峰」(1,907m)があるが最高所は1,923mの標高があり三角点を探して歩いて来たが見つけられず山頂に着いてしまい山頂標識すらなくがっかりだった。
鵯峰を下り小ピークを一つ越えると登山道は天狗原から流れる尾根の南側へとトラバースして進んでいる。この間は水が豊富で谷を幾つも越えると栂池自然園からの道に合流した。誰もいいなかった鵯峰の登山道と打って変わり行き交う人が多くメジャーな山域に入ったことを実感した。天狗原は栂池自然園の次にある高層湿原で池塘に木道が整備されている。雲の切れ間から乗鞍岳が覗きだし青空が心地よい。湿原を横切り乗鞍岳への稜線に取り付き振り返ると天狗原の向うにさっき登って来た鵯峰の姿が見え出した。此れで天候が回復すると元気百倍だ。
乗鞍岳(2,469m)は平坦な山容でピークに大きなケルン状のモニュメントがありここにも多くの登山者が憩っていた。乗鞍岳には2等三角点「乗鞍岳」(2,436m)があるが山頂ではなく北東に500m程離れた処にある。注意して歩いて来たが此れも分からなかった。稜線の先の方には小蓮華山(2,769m)も姿を現しいよいよ北アルプスの雰囲気が味わえるエリアに入った。登山道は真っ直ぐ小蓮華山に向わず稜線北側の白馬大池に迂回している。山頂域の端まで来ると池の全貌が望め標高2,300mを超える位置にあるにしては大きな池だ。池畔を反時計回りに回り込むようにして池に近づくと池畔に白馬大池山荘がある。お昼時だが既にテントが数張り、山荘内も人で賑わっていた。
昼食の後出発しようとするとまたガスが出て風に乗って霰が降り始めた。一時的なものであろうとそのまま進むが止みそうになく風も強まり見る見る体温を奪っていってもう霰どころではない。雨具上下を着るが顔に当たる飛雪は痛い。吹き溜まりはみるみる白くなり、這松も白、軍手では手の感覚も無くなりそうだ。2,612m標高点には「船越ノ頭」と山頂標識があり、一山儲けた。そんな一寸した喜びを味わい小蓮華山(2,769m)に達すると三角点のところはロープが張られ進入禁止、「なんでやねん」とロープを乗り越えて見ると崩壊の危険とかだが良く分らない。此の三角点は3等三角点「小蓮華」で現在成果異常になっている。地震の影響なのだろうか。
小蓮華山は新潟県の最高峰、此れまで各都道府県の最高峰を目指して沖縄にも“登山”に行ったが小蓮華山で登れる最高峰はみんな登った。長崎県の雲仙平成新山だけは現状ではどうしようもない。凍える手で山頂標識を写真に収め感慨に耽っていることも出来ず三国境へと歩を進めた。時間があれば白馬岳に立寄るつもりだったが、此の天気では行っても仕方なく北に分岐して雪倉避難小屋に直行することにした。
鉢の鞍部近くまで下りてくると雲の下に抜け、晴れ間も窺え鉢ヶ岳や山中の長池、遠く僧ヶ岳まで見通すことが出来た。盛夏から一挙に晩秋・初冬の装いとなってしまい、秋の花も風前の灯か。斜面にはウルップソウと思しき残骸がうら寂しい。目の前には鉢ヶ岳(2,563m)が迫って来るが登山道は東側を巻いて付いている。何処かに登路はないかと探すがよく分からない。草付きと這松帯を漕げば登れなくは無いが標高差は150mほどもあり大変そうだ。しかも今日の天候ではチャレンジ精神も起こらない。残雪期なら問題なく登れるだろう。必要以上に標高を下げてしまった道を登り返して雪倉岳南直下にある避難小屋に到着した。
誰か居るだろうかとそろりと扉を開けると若い男性が一人寝床を延べて寛いでいた。聞けば栂池自然園から白馬岳に立ち寄り此処に来たと言う。明日は栂海新道で私と全く同じ行程、何処から来たと聞くと京都長岡京、しかも彼のお父さんは私の元職場の先輩(ただし顔は知らない)であり世間の狭さを知らされ話に花が咲いた。ビュンビュンと唸る風に明日の縦走は6割方諦めエスケープを彼是考え眠りに付いた。
2日目(9/24): 晴れのち曇り
床の固さと寒さとで何度も目が覚めたが8時間半の睡眠で夜行列車の疲れも取れたようだ。昨夜唸っていた風も収まり、窓から覗くと星が輝いている。昨夜はエスケープを真剣に考えていたが此れは行ける! 喜び勇んで夜明け前の5時小屋を出発しようと引戸を開けようとするがビクともしない。蹴っ飛ばすとバリッと音がして開いた。外は5个曚匹寮兩磴膿燭断髻∨砲鮴擇襪茲Δ卜笋┨んでいる。今日は一夜を共にしたHさんと即席パーティーで同行することになり「付いて行けなければ構わず行って」とトップを譲り歩き出した。
雪倉岳への登りは標高差220m、只管寒さに耐えて手指を暖めながら進んだ。山頂に着いて暫くすると高妻山の肩に真っ赤な陽が昇った、ご来光だ。何度見てもその神々しい姿は感動的だ。やがて神々の光は剱岳を幻想的な紅に染め、一瞬の美を醸し出した。ここ雪倉岳は日本二百名山、山頂には3等三角点「六兵衛」がある。テント禁止の稜線で此の時間に雪倉岳山頂に居られるのは避難小屋に泊まった者の特権だ。
朝の光を堪能して北稜線へと踏み出した。後立山連峰北部の主稜線は三国境からは越中・越後の国境尾根で登山道もほぼこれに沿っている。しかし雪倉岳の北には断崖があり東側に大きく迂回してつばめ平に到る。赤男山(2,190m)との鞍部で此の山にも道はなく登山道は西側を巻いている。何処かに道はないかと探しながら進んだが全くないようだ。小さな沢を幾つも越える水の豊富な巻道を進んでいると朝日小屋に泊った人と出会い、その後も続々とやって来た。水平道分岐からは朝日岳への登路に取付き標高差400m近くある今日最大の登り道に掛かった。若いHさんは流石に体力がある。すいすい登って行くのに付いて行くのが精一杯だった。
朝日岳(2,418m)は日本三百名山、北アルプス最北の人気の山だ。蓮華温泉から五輪尾根を登るルートがメジャーだが、富山県朝日町の北又からのイブリ尾根も町がタクシー補助金を出すなど、力が入っているようだ。朝日小屋泊りの人達の姿は既になく山頂は静かで360°の展望をゆっくり楽しんだ。朝日岳はタカネマツムシソウが多く花期は過ぎたが未だ数輪頑張っているのが健気だった。登りで暖まった体も長く留まると寒く10分余りの滞在で出発した。
後立山連峰の白馬以北の稜線は小さな池や沼が点在する。湿原帯も随所にあり変化に富んだ自然を楽しませてくれた。朝日岳から北に下り千代の吹上に達すると蓮華温泉に続く五輪尾根が分岐し、富山県側に目をやると朝日池がひっそりとあり、其の向うには黒部の街と日本海、そして能登半島の陸影が見えている。朝日池の北にあるピークにはまるで火口湖の様な佇まいの池、名は無いが中々見物だ。五輪尾根が分岐するといよいよ栂海新道の領域、黒岩山から中俣へ下りる道が分岐するだけでエスケープルートはなく、2日行程の長い道の始まりだ。この道は糸魚川市の“さわがに山岳会”小野健氏と所属するメンバー等がボランティアで昭和46年に完成させたそうだ。そして今年が40周年と云うことで糸魚川市に於いて祝賀会が催されたそうだ。
2.5万図に長栂山と記されたP2267は東側を巻いているので、Hさんに先行して貰い一人でピークを取りに行った。何処が最高所かはっきりしないが此処ぞと思しき所に立ったのだが当然標識も何もない。眼下に見える照葉ノ池の風景が素晴らしい。暫く進むと右手に小さな池があり其の先のピークに看板が立っているのが見える。分岐道がありピークに立つとなんと“長栂山”とある。2.5万図にあったさっきの場所は一体何だったのだろう。割り切れない気持ちのまま2.5万図の誤りとして現状追認で現在地(約2,250m)を山頂と地図にプロットした。先を行くHさんが見えているが小腹が空き休止して腹拵えをして追いかけた。
長栂山の下りは固定ロープがあったりして少々難路、すぐにアヤメ平の湿原帯へと入った。池塘には木道が整備され、登山地図によるとヒオウギアヤメの群生地と記されていた。長栂山から黒岩平にかけては特に花の多い地域らしい。黒岩平で漸くHさんに追いついた。二人となって黒岩山へ登り返す。黒岩山(1,624m)は3等三角点「袴腰」が置かれ展望が良く、山頂の直前で中俣新道が分岐していた。中俣山を通って中俣小屋から長い林道歩きで大糸線の小滝駅に到る登山道だ。
2人の登山者が休憩中でてっきり栂海山荘を目指しているのかと思ったら朝日岳の方へ行ってしまった。10分余り栄養補給の休憩をして北西稜線に進むと、小ピークを二つ三つ越えた所に小さな池があり傍らに“文子ノ池”と表示があった。此処を鞍部として小さなアップダウンを繰り返してサワガニ山(1,612m)に達した。何故サワガニ山なのか? さわがに山岳会が名づけたのだろうか? 其れとも此の山の名を取って山岳会の名を付けたのだろうか? サワガニ山の山頂には17人のパーティーが押すな、押すなで休憩中。栂海山荘に泊まるそうだ。三角点に座っている不心得者が居たので退いてもらって恒例の三角点タッチ、山頂標識を撮影するのに立て掛けられたストックを除けてもらいいやはや一苦労。
17人とは避難小屋に泊まろうというパーティーにしては多すぎる。これまでに追い越した人を念入りに数えてきたが此れで一挙に35人になった。テント禁止の山域で皆、栂海山荘に泊まるのだろう。すれ違った人に聞いた所では昨夜は4人だったそうだ。4人は皆朝日岳に登って行った。因みに今日は朝日小屋営業最終日、小屋閉めのパーティーがあるらしい。
P1548を越えて登り返すとP1582の中腹まで来ると「北又の水場」と倒れた標識が示している。栂海山荘には水場が無く、此処で給水して行かなければならない。主稜線と南西に伸びる尾根の間に清冽な水が湧き出ていた。明日の飲料用も含めて4ℓ確保し、ザックを担ぐと肩にずっしりと重さが加わった。犬ヶ岳(1,593m)は東西に長い山頂域を持ち存在感を示している。山頂には2等三角点「犬ヶ岳」があり360°の展望が得られた。此処まで来ると栂海山荘は指呼の間、ゆっくり休憩していると水場で追い越したご夫婦が追いついた。下りに掛ると登って来る人がいた。今頃から小屋を越えるとは! と尋ねてみるとさっきの17人グループの一人で場所取りに先行して迎えに行くとのことだった。
栂海山荘は“さわがに山岳会”の管理する小屋で50人は十分に泊れる。トイレはテン場の先に「キジ場」と書かれた草陰に屋根と踏台だけで囲いのないオープンスペース、妙高山塊を見ながらキジを撃つ爽快な所だったが宿泊者が多いと女性は大変だろう。団体の場所取りさんが迎えに行っているので到着したときは誰もいなかった。北又の水場で追い抜いた茨城県龍ヶ崎市のご夫妻と4人で1階の一角に寝場所を確保した。時刻はまだ13時過ぎ、次第にガスが小屋を取り巻き、コーヒーを入れたりして談笑し、炊事は土間のテーブルか外に限定されているので場所を譲ろうと続いて超早めの夕食を取った。
もう寝るしかないなと思っていると外が明るくなりガスが晴れたようだ。外に出てみると時恰も夕暮れ時で茜色に染まる空にワワガニ山の上を越えて流れ落ちる雲の向こうに朝日岳を望み、剱・立山や妙高山塊の山々が素晴らしい。もう少しで日本海に夕陽が落ちるが水平線がはっきりしないので十分満足して明るいうちに寝袋に潜り込んだ。貸出の毛布(1枚200円)を下に引くととても寝心地がよく昨日より900m程高度が低く冷え込みもないのでぐっすり眠ることができた。
3日目(9/25): 晴れ
4時前外に出てみると満天の星、天の川も見え流れ星を探していると人工衛星のゆっくり進むのを見つけた。昨日以上に天気がよく、小屋前からはご来光が見られそうだが、朝食を済ませ日の出前に歩き始めた。今日は標高が低く樹林帯に入るのでヘッドライトを点けて歩き出した。焼山と金山の間に陽が昇る筈だが高度が下がるにつけ柴倉山が前面に立ち塞がり見えなくなってしまった。気を揉んで進むと黄連山(約1,355m)に達し柴倉山の左に再び焼山が見えた。そして少し待つと稜線からご来光だ。出だすとみるみる陽は登り周りの山を染めだした。犬ヶ岳と栂海山荘も見え斜面を下って来る人の姿も分かった。コールしてみるが聞こえないようだ。
昨日追い越した人が黄蓮の水場まで行くと云っていた。水場への下り口にテントの張れそうな広場はあったが湿気が多そうだった。登山地図には涸れることがあると書かれていたがどうなのだろう。登り返すと菊石山(1,210m)で高度が下がり展望のない山になって来た。3等三角点「法り込」があり傍にこの山域共通のアルミ板に透かし彫りにした文字の標識が置かれていた。次のP1341は下駒ヶ岳の標識があり最近名前が付いたのか旧版の2.5万図には名はないが最新版には載っている。昭文社地図の10年前のものにも名はない。
我々が一番先に小屋を出たと思っていたがまだ先の人がいたようで追い抜いた。この先休憩する度に追いつかれ何度も顔を合わすことになった。1,092mの鞍部からは今日最大の登り返しで白鳥山(しらとりやま1,287m)に達した。2階建の白鳥小屋の傍らに3等三角点「しな谷」が設置されている。昨夜の宿泊者は5人だったそうで朝日岳を目指して登って行った人もいたと云う。中を覗くと小奇麗な床で心地良さそうな小屋だった。外壁の鉄梯子を登ると屋根の上に展望台があり遮るものなく北から時計回りに犬ヶ岳、朝日岳、剱岳、初雪山、栂海新道北部、青海黒姫山、海谷三山、焼山、雨飾山、高妻山などが素晴らしく見ることができた。結構高度感があり、降りるときは一寸怖かった。
富山県との県境は西の尾根に去って行き栂海新道は新潟県糸魚川市域となった。1,000m峰も此処が最北で、この後は只管下りが続くことになる。山頂から10分ほど下った処に山姥への道が左に分岐して行った。2.5万図には記載がないが鳥居杉から「山姥ノ洞」を通り上路(あげろ)集落へ下りる道のようだ。もう少し下ると一寸した平坦部があり“山姥平”との表示がある。それにしても栂海新道は全般的に泥濘んでいる。所々沼のような泥濘に填まった。急坂を下り稜線道からやや複雑な谷筋に入るとシキ割の水場に達した。谷水のチョロチョロ流れ落ちている所がそうかと思ったが水場はその少し先だった。コップが置いてあり一杯飲むと甘露な美味しさだった。冷たさでは北又の水に一歩譲る。
長い下りでひと息つく付ける処は坂田峠(約610m)で林道が越えていた。ここで此れから登って行く人にすれ違った。聞くと縦走ではなく、昨日の18人の団体のサポートに入り、ビールを歩荷しているとの事だった。あのグループにビールを飲ませてこの下りで事故が無ければいいが・・・。林道のすぐそばに看板があり此処は何と旧北陸道が越えていた処で林道とは別に旧道の跡が残っていた。砺波平野を進んできた街道も親不知の天嶮を超えることができず内陸に入って来て此の峠を越え青海の海岸に戻っていたようだ。
登り返して尻高山(677m)に到ると東方向が僅かに開かれ青海黒姫山(1,222m)が最接近している。再び林道を通過し下り切った処は二本松峠(約370m)で嘗て坂田峠の間道として使われていたようだが、風波川方向への道はもう道形はなかった。展望のない入道山(約435m)に到るとこれで栂海新道の“山”はお終い。小ピークを2つ超えると送電鉄塔が暫く並走して親不知へと下って行った。古い2.5万図には登山道は送電線に沿って風波川に下りているが、今の地図では尾根の左側に下りている。
国道8号線の天険トンネルと覆道との間の僅かな明り区間に階段で下りるとそこが栂海新道登山口、終に栂海新道完走を果たした。しかし未だやることは残っている。そう日本海に達することだ。市の駐車場の端にザックを置いて断崖に付けられた道を下ると煉瓦積みのトンネルが現れた。これは北陸本線の旧線跡で明治45年に断崖を縫って付けられた路盤で昭和40年の複線電化まで使われていたものだ。トンネルを覗くと遥か先に出口の明かりが見えている。鉄道遺跡を過ぎ海岸に達すると感慨は一入。山屋が唯一憧れる海、北アルプスの果てに達した。先客として白鳥小屋に泊ったご夫婦が海を見ていた。
国道に戻ると傍に親不知観光ホテルがあり、入浴は450円、駅までの送迎付きで1,500円で入れる。3階の浴場からは日本海が一望でき素晴らしく温泉ではないが3日間の汗を流すことができ極楽だった。北陸線の列車に合わせてホテルの旦那が親不知駅まで送ってくれた。助手席に乗ったので栂海新道の話を聞いているとお盆の頃までは蚋が多くて皆難渋しているそうだ。
2日間行動を共にしたHさんとも親不知駅でお別れ、一足先に出発する上り列車を見送ってくれた。彼は栂池高原に停めた車を回収し北陸道で帰るという。Hさんの若さに何とか付いて行くことができ、共に日本海の感激も味わった。いい相棒に感謝して北陸線の列車に揺られた。
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