九州脊梁山地《日本三百名山》
- GPS
- --:--
- 距離
- 32.1km
- 登り
- 2,739m
- 下り
- 2,713m
コースタイム
- 山行
- 10:06
- 休憩
- 1:06
- 合計
- 11:12
天候 | 1日目:小雨のち晴れ、2日目:小雨のち曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2011年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
下山:内大臣小松神社入口 |
写真
感想
1日目(5/5)
今日の熊本は晴れの予報だったが鹿児島の曇り朝のうち雨の予報に影響され極々細い雨が降っている。しかしその内止むだろうと雨具を着ずに出発し昨日確認した馬子岳登山口に向かい林道を300m弱戻った。支流の沢を渡った処に「登山口この先50m」の表示があり探すが薄暗くてよく分らない。適当に斜面を這い上がりごく薄い踏跡を見つけ辿って行くと、ずっと斜面をトラバースするように北へ行ってしまったのか分らなくなってしまった。東に張り出したコブにコンパスを合せ這い上がるが斜面は結構険しい。コブに乗り上がり平坦になると右手から踏跡が合流した。八代山の会による指導標があり「←一般道 ↑直登路」の表示、一般道はそれなりに踏み跡が続いているが直登路にはない。いかにも厳しそうで等高線の詰まり方は半端じゃなく直線距離600mで300m標高が上がることになる。でも“直登”の醍醐味に惹かれ道なき道を進んだ。随所に赤テープがあり迷うことはなさそうだ。
傾斜が急なだけではなく剥き出しになった岩が随所にありその隙間を縫って登った。周りを見回してもこのテープに導かれたルート以外登り口は見出せないような地形だ。苦闘の末、稜線に達すると迎えてくれたのは淡い黄色の花、ヒカゲツツジだった。昨日の雁俣山では一株だけだったが此処では随所に咲き競っている。薄黄色の可憐な花は戦いを終えた心を和ませてくれた。でも戦いはまだ終わった訳ではなく、この先の稜線も岩場がで難路が続いた。馬子岳(1,150m)山頂は何の表示もなく、地籍図根点の標石だけが山頂を誇示しているようだった。ところで一般道はいったい何処を登ってきたのだろう。気にしていたが分岐らしい所はなかった。
次のピークのP1228まではヒカゲツツジが点在していた。西内谷に下る道が分岐して行くが登る人などいるのだろうか。此の辺りから倒木が目立ちだし歩き辛くなってきた。古い倒木は苔むし、新しい倒木は生木のようで手強く登山道を塞いでいる。一般道ではないので整備されることもなく打ち捨てられたままなのだろう。小ピークを二つ越えると青石からの登山道が合流した。漸く道らしい道となり目丸山(1,341m)に到着した。付近はカタクリの保護地域でロープが張り巡らされていた。そして肝心のカタクリはと云うと花を付けているのはほんの数輪しかなく、時間が早いからなのか天気のせいなのかカタクリらしく花びらがそっくり返っているのは一つもなかった。3等三角点「雨ノ宮」が地上に5冂顔を出していた。残念ながら樹林帯で展望は利かない。
京丈山方面への縦走路は山頂からすぐの尾根に入らず西端から谷を回り込むように進む。3つ小ピークを越えると北側の美里町側に林道が現れると北方向の展望が開け甲佐岳が見えた。P1173を越えた鞍部からの登り返しは2.5万図では谷間を進むが踏み跡は途切れた。2.5万図ルートを忠実に辿りやがて右側の尾根に取り付くとまた踏み跡が現れたので、ルートは右の尾根を最初から登っていたのかもしれない。やがて柏川からの登山道と合流すると笹藪の“名残”がだんだん煩くなりだした。以前は背の高い笹が繁茂し歩き辛かったのだろう。鹿に食べ尽くされて全て枯れている。生態系への悪しき影響なのだろうが、縦走者には逆に有難い。しかし喜びも束の間、P1375辺りから笹が生き返ってきた。京丈山に近づくに付け背丈を超える笹が煩わしさを増し藪漕ぎで体が濡れだした。此れはいけないと雨具の上だけ着て突撃した。京丈山の北の小ピークを下ると再び柏川への分岐があり此れを過ぎると最後の登りとなった。
京丈山(きょうのじょうやま1,473m)に近づくとカタクリの葉が目立ち出すが咲いているのは一輪だけだった。山頂で人の声がする。2パーティー4人が休憩していた。皆ハチケン谷を登ってきたようだ。其の登山道でカタクリを5輪見つけたとか。全体的にまだ花期に到っていないのだろうか。大休止を取り、此の辺りの地名に思いを馳せると山名は平家落人に因むものが多く、此の京丈山も都を偲んでのことで今日の登山口の内大臣や小松神社は“燈籠の大臣”と言われた平重盛(小松内大臣)に因むことらしい。但し重盛は落人とならず都の畳の上で清盛よりも先に死んでいる。3等三角点「京ノ丈」があり山頂標識に屋根が付いているのはご愛嬌。北側に甲佐岳、木の間越しに雁俣山が見える。
山頂の登山者は皆ハチケン谷を戻るそうで縦走者する人は誰もいない。その縦走路に踏み出し方向を転じて東へと進むが2.5万図のルートとは大分ずれている。尾根の北側を巻くように進んで次の鞍部の手前で地図のルートに復したようだ。登り返したP1411でワナバノ谷への道が南へと下っている。朝から続いた小雨は漸く止んで晴れ間が見え出した。北の方の空はずっと青かったのに此の山域より南だけ天気が悪かったようだ。倒木と元笹藪の悪路が激しさを増し小さなアップダウンを繰り返す。次の目標にしていた腰越への下山路はまた確認できなかった。マニアックな山域で赤テープだけが進路を導いてくれるが指導標の類は全くない。標高差200m余り登ると平家山だが此の途中で一人の男性と遭遇、上福根から国見を縦走し雁俣山から二本杉に下るという長距離縦走者、お互いの健闘を湛え10分ばかり立ち話をして分れた。
漸く這い上がった平家山(1,497m)は、3等三角点「火ノ見谷」が置かれた静かな山頂だが、残念ながら展望はなかった。ここまで歩行距離の割に時間が掛っている。今日の目的地、国見岳はまだ遠い。結構疲れてきたので再び大休止を取り栄養補給をし、気息を整え縦走路を進んだ。右手に樅木へ続く枝尾根の分岐があるはずだったがこれも発見できなかった。其の先に2.5万図にも載らない小さな沼を発見した。此の辺りをイチイ平と言うそうで、イチイの大木がある。南東に90°向きを変えP1576とP1578の標高点を越えると国見岳が射程に入ってきた。P1555の東を巻いて通ると内大臣林道の広河原谷登山口からのルートが合流し登山道は明瞭になった。やはり疲れが出ている。喉を通りやすいゼリー飲料で栄養補給し最後の200mの登りに備えた。
此の辺りも元笹藪で枯れた笹がややもすると足や体に刺さり傷つける。だんだん岩が露出しだし西側から巻き込むようにして山頂に達した。山頂には何を祭ったのか祠が一番高い所にあった。堂々とした大きさの1等三角点「国見岳」が置かれ、山頂からの展望は素晴らしい。ここまで満足な展望が得られなかったので漸くといった所だ。なじみの薄い九州の山々ながら寝釈迦の姿の阿蘇五岳、南方の霧島連山はすぐに分った。後は山座同定で扇山、五勇山、上福根山を特定し、今日歩いてきた山、明日登る山も確認できた。ただ此の山の山頂標識はショボくて古びた国有林の注意看板の下に申し訳程度に「国見岳1,739m」と記されただけだったのが寂しい。
風があり此の標高では長くいると寒い。20分で切り上げ今日の宿泊地の水場“力水”を目指した。東への縦走路を300m程下った標高1,670m辺りにチョロチョロと湧き出る水場、こんなに山頂に近いのに枯れることは殆どないそうだ。周りは鹿が沢山いるようで甲高い警戒音を発している。水場の前に丁度良い平地がありテントを設営、風はあっても飛ばされる程ではなく丁度良い。早々にテントに潜り込んで夕食の支度、ドジなことで今日はシュラフを持ってくるのを忘れてしまった。持っているものを全て着込み使い捨てカイロを張ってザックに足を突っ込み寝るがやはり寒かった。
2日目(5/6)
2時半に寒さと共に目が覚めてしまい外を覗くと星空だ。今日は期待できると、ゆっくり朝食を食べてモーニングコーヒーを飲んで過し、5時少し前出発する頃、あの星空は何処へ行った! 辺りにはガスが立ち込めているではないか。熊本は晴れのはずだが、九州南部は曇り一時雨の予報で此の辺りは南のエリアに入るのだろうか。今日は熊本・宮崎県境尾根(脊梁山脈)を辿る。暗過ぎるのでヘッドライトを点けて歩き出した。最初のポイントは杉の木谷への分岐、まだ暗くて地図が見えない。明瞭な分岐はなく道は左へ反れ出した。此れはおかしい、杉の木谷への道に入ってしまったようだ。東に伸びる尾根にトラバースするが縦走路の踏跡は微かで分岐を見逃したようだ。
広い稜線に踏跡は微か過ぎて殆どない。しかも倒木が多くルート取りが難しい。要所要所に付けられた赤テープが頼りになる。1,493mの鞍部から2.5万図では、ピークを二つ巻いている。気を付けなければとんでもない方に行ってしまいそうだ。一つ目のピークの北にポツンと「山池湿原」の標識が現れ「門割林道20分→」とも書かれていた。湿原と言っても既に草地化が進み早晩森林になるのも時間の問題のようなところだ。門割林道への分岐は2.5万図の表示とは場所が違うようだ。P1575の北辺の張り出し部に展望岩があり天気が良かったら北側の展望が開けただろう。
内大臣川の源流を巻き込むように縦走路も北に方向を転じた。P1509でも門割林道への分岐があるが踏み跡は殆どないようだ。縦走路は此の辺りから林道かと思われるほどの広さのしっかりした道形があるが整備はされず依然倒木が煩い。勾配緩和のためか僅かな傾斜もジグザグに道がつくので煩わしく直線的に進むこと頻々だ。時計回りに回り込むように今日始めての山、高岳(1,563m)に到った。小広い山頂には東の方に3等三角点「高嶽」があるはずで探し回るが見つからなかった。後で調べると山頂標識が2箇所あり三角点は少し離れた所にあるそうだ。
高岳からの下りは急で内大臣林道が越える椎矢峠に下るが直接ではなく宮崎県側の谷に下り林道に降り立った。林道には「高岳登山口」の標識がありダートの林道を200m峠へと進んだ。途中に仮設のトイレがあり内大臣林道さえ通れるならばいい登山口なのだろう。椎矢峠には標高1,460mを示す標識が立っているが地形図を見ると1,440m程度しかない。椎矢峠の熊本県側には通行止めのゲートがある。ネット記事などを見ていると、どうも二輪車はすり抜けて通っているようだ。峠から林道支線が分岐し三方山の西を通っているが登山道の印はない。稜線を通るのが分りやすそうなので這い上がると稜線北を巻くように獣道か何か分らないような跡があり辿って行くと尾根を北に下ってしまいそうなのでトラバースし回り込むと再び林道支線に出てきた。
結果的にルートは此の林道を歩かせているようだった。此の林道は嘗て那須往還道として緑川に下りていたそうだが既に機能していないので倒木、崩壊が縦に進んでいる。林道を少し行くと「←天主山・遠見山・稲積山 三方山・向坂山・小川山→」の指導標があり納得した。まずは三方山の山頂を目指すので林道を離れ県境尾根を進んだ。ここにも緩い道の痕跡がありジグザグに登っている。倒木を避け、できるところは短絡して山頂付近に達すると痩せ尾根で両側の細いところに三方山(1,578m)山頂があった。樹林帯で展望はなく3等三角点「三方」がひっそり埋まっていた。
先程の分岐に引き返し天主山方向に進むのがセオリーだろうが、三方山の北尾根を強引に下るとすぐ、うねうねしていた“登山道”と交差した。これがいずれ林道に繋がりそうだが、そのまま尾根を下ると左手から林道が現れた。暫く林道歩きが続き“久保の憩”で林道が二手に分かれ、その左側を行く。方向が西向きとなりいよいよ終盤戦に入ったことを実感した。やがて広い所に出て林道が果てた。先に続く赤テープに導かれ登山道に入り、更に西へと進む。歩き難さは相変わらずで一旦1,402mの鞍部に下り最後の山、天主山へと登り返した。此の辺りは山芍薬の群落があり、花期はもう少し後だが其の頃はさぞ素晴らしいことだろう。
天守山(1,494m)は3等三角点「菅山」が置かれているが展望は得られない。“天主”とは隠れキリシタンを思わせる山名だが由来はどうなのだろう。山頂付近はアズマイチゲなどの保護地域でロープが張り巡らされているが、スミレが咲いている程度で他の花はなかった。予定の山は全部登った。あとは小松神社へと下るだけ。下山後の温泉を楽しみにロープに囲われた北尾根を下った。保護地が終わり標高1,300m辺りで左側にわざわざ設けられた進入禁止の表示、此れだけ明瞭な踏み跡なのでとそのまま行くべきか迷うが踏跡は北尾根を行き鴨猪川に下ってしまう。内大臣林道に出るのとは尾根違いだ。進入禁止を越えて北西尾根を下りだすとこちらにも赤テープがあり間違いでなかったことを確信した。
対岸に見えているのは昨日登りだした馬子岳だろうか樹林越しで判然としないが近づいていることは確かだ。尾根の前方に大きなピークが見え出すとそろそろ谷を下らなければならない。注意していると思惑通り赤テープも谷間に進んでいるのでそれに従う。谷をそのまま下り、2.5万図の点線道に乗るものだと思っていたがどうも違うようだ。しかし方向的には問題ないので赤テープに従って下りた。北内谷林道に飛び出し、横断して更に尾根筋を下ると「小松神社→20分」の標識が現れるとホッとして更に赤テープを辿った。標高750mの所に一際太く立派な杉が縄張りの中にあり古びた鳥居の傍らには「小松神社」の看板、祠はなく、杉の大木そのものがご神体の神社であるようだ。案内によると平家の落人が住み着いた内大臣の地の山中に都を偲び平重盛を祀る神社を建立したとか、出自を隠すために祠を設けなかったのではと想像するが、真相はどうか分らない。
谷筋の道を下り内大臣川に達すると貯水槽のようなものが見える。これは昔此の地にあった矢部町立白糸第三小学校内大臣分校のプールの跡ではないかと推測する。立派な祠のある山神社の奥に分校があったそうだ。真新しい人道橋で内大臣川を渡り駐車地点に辿り着き2日間の周回縦走を終えた。熊本への帰り道に元湯温泉佐俣の湯に立ち寄り汗を流した。翌日はJR肥薩線の"SL人吉号”に乗車し汽車旅を楽しんだ。
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する