九重連山《日本百名山》
- GPS
- --:--
- 距離
- 55.3km
- 登り
- 4,441m
- 下り
- 4,178m
コースタイム
- 山行
- 5:04
- 休憩
- 0:52
- 合計
- 5:56
- 山行
- 7:27
- 休憩
- 2:08
- 合計
- 9:35
- 山行
- 6:09
- 休憩
- 1:10
- 合計
- 7:19
天候 | 1日目(9/30):曇り時々晴れ 2日目(10/1):晴れ 3日目(10/2):晴れのち曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2005年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
下山:長者原からタクシーで豊後中村駅 |
写真
感想
第1日目(9/30)
京都発南宮崎行特急“彗星”、9月で廃止となるとあって出発ホームは鉄道ファンが大勢群れていた。この列車に門司まで併結される特急“あかつき”のレガートシートに乗車した。博多に着き久大線直通の特急“ゆふDX”で豊後中村へ向かう時間待ちに、JR西日本の子会社が経営している喫に乗り換えた。豊後中村に着くと九重登山口行の日田バスがすぐに連絡した。7月の集中豪雨で通常ルートが不通となり迂回路を取るため遅れが出るとの予告が入る。しかも涌蓋山地蔵原登山口に最も近い“湯坪温泉”からの道は橋が落ち通れないとのことで手前の“下豊後渡”で下車したが、涌蓋山は遥か向こうに見えている。
車道歩きで石原の集落に差しかかると湯坪温泉からの道と合流した。運転士の話し通り橋が落ち無残な姿を曝していた。合流点から100mほど進み左手の農道に入る。山麓をなだらかに横切る牧場内の道で、小さな涸れ川にも土石流の爪跡がある。800m程歩くと道に草が盛り上がり、踏み跡すらなくなってしまった。牧場内を迂回するが牛糞地雷があちこちにあり、踏ん付けた日には堪らないので足元に十分注意して進んだ。
右から上がってきた農道が山に向いて延びているので、農道に入って行くとだんだん廃道のような状態になってきた。やがて土石流の爪跡凄まじい谷筋に出てしまい暫く行くが、とても登れそうになくなり谷から脱出する。獣道をトラバースし尾根に取り付くと植林帯で、下草は少なく適当に登路を見つけ急登斜面を登り続けた。左側に続いていた山崩れ箇所が終わり草付の斜面となったので、樹林を抜け出し歩きやすい草付斜面を歩いた。
涌蓋山(わいたさん1,500m)には木はなく広々としており2等三角点峰「涌蓋山」があり360°の展望が得られる。晴れ間も覗いているが曇り空で九重山の山頂には雲が掛り、阿蘇山も余りはっきりしない。地蔵原からの登山道を登り出していたつもりだったが、完全に道なき道の新たな東尾根の登山道を開拓してしまったようだ本来の登山道は北から入ってきており指導標も建っていた。
涌蓋山西側の岳温泉への下山路と分かれしっかりした南の登山道を下る。少し登り返すと雌岳(約1,425m)の山頂、山頂標識には“女岳”と表示されていた。高度が下がり樹林帯となり下り切ると林道に飛び出した。標識があり涌蓋越(1,225m’)に達した。やがて登山道は牧場内へと入って行き、闖入者として牛に見詰められる中をミソコブシへと急いだ。流石は放牧地、牛糞が至る所にある。古く乾いた糞には白いキノコが生え土に返る手助けをしているようだ。
ミソコブシ(1,300m)山頂は草原で見晴らしよく4等三角点「みそこぶし山」が置かれている。稜線伝いに進み小ピークをいくつか越し車道の終点を掠め最後のピークを登り切ると一目山(1,287m)山頂に達する。3等三角点「一目山」があり360°の展望がある。ただ山頂標識はない。向かい側には九重森林公園スキー場のある猟師山(1,423m)、合頭山(ごうたりやま1,390m’)が目の前、この辺りは地熱発電が盛んで、九州電力の八丁原地熱発電所の大きな施設からは勢い良く蒸気が上がっていた。
涌蓋越あたりから雲が厚くなってきたが、下り出す頃終に雨になり林道歩きなので傘を差すが20分ほどで止んでしまった。今日の泊りは大岳温泉、地熱発電所がある他は泉水荘一軒のみだ。昭文社地図に描かれている温泉マークを目当てにして歩いて来た。もう一歩のところで土砂崩れの工事中。仕方がないので不通区間を迂回し先に出るが温泉のある様子はなく、工事の現場監督らしい人に聞いてみるとこの道沿いに温泉はないとのこと、それならバス停辺りかと言うことで、送ってあげると言ってくれた。「旅館泉水」の看板に着いたと思って降ろしてもらうとここは何と湯坪温泉だった。しかたなく2キロ余りの車道を歩き大岳温泉BSに到着すると、そのすぐそばに泉水荘があった。お婆ちゃんと息子のやっている心温まる旅館で露天風呂もある。宿泊者は1人だけ一寸寂しい。だが料理は超豪華で刺身、牛肉の石焼、鮎の唐揚げ、てんぷら、山菜etc.お腹一杯になった。これで7,000円とは素晴らしい。
第2日目(10/1)
九州の夜明けは遅くまだ真っ暗な5:10泉水荘を出発した。満天の星空だ。大岳地熱発電所構内の車道から昨日の工事で阻まれた現場を通る。工事現場は誰もいなくてユンボの脇をすり抜けて通過。右手に分岐する林道に入り、おむすび山(1,083m)の直下に至る。林道終点からは牧草地となり難なく山頂に至る。5:53まだ日は昇らない。由布の山々はシルエットになって日の出を待っている。
次は目の前に聳える大崩ノ辻だが、昭文社地図では赤点線道、コースタイムも記入されていない。登山道を探すがまったく見出せず。地形を案ずるとおむすび山との間に流れ出す、土石流で荒らされた涸れ沢に入って行くようだ。そこに取り付くまでも草原内に道はなく仕方がないので藪を漕ぐ。朝露をたっぷり含んだ藪は忽ちズボンを濡らし、まるで沢登りでもしている状態になってしまった。沢筋に入ろうとするが水害の爪跡凄まじく深く切れ込み急傾斜で流木が道を阻みとても歩ける状態ではない。仕方がないので沢の東側の急斜面を木に掴まりながら登った。昨日に引き続き今日もまた藪漕ぎ、こんなはずではなかったのだが・・・・
途中で赤テープが出てきて踏み跡を発見するがすぐに途切れてしまい障害物の少なそうなところを選って進む。徐々にミヤマキリシマの林が濃くなり、行く手を阻む。右に左に体でかき分け、時には枝を踏んづけの悪戦苦闘が続く。漸く平坦になり山頂域の稜線に抜け出した。山頂域は熊笹、薄の生い茂る藪だが、微かな踏み跡がありホッとする。おむすび山から1時間15分ようやく大崩ノ辻(1,458m)山頂に到着した。標高差300m余りの藪漕ぎに疲労困憊だ。しかし快晴で雲一つなく九重の山々がくっきり見渡すことができ疲れもいくらか癒された。
東にある無名ピークで分岐しルートを東北に取り上泉水山(1,447m)に道草する。頂上部は岩場で長者原を挟んで三俣山が近い。折り返して無名ピークの東をトラバースし東から巻き込むように黒岩山(1,503m)に登る。3等三角点「黒岩山」があり、ここで今日最初の登山者に出合う。犬を連れた夫婦で牧ノ戸峠から登ってきたようだ。
抉れて歩き辛い道を牧ノ戸峠(1,330m)へと下る。ここは一大登山基地で広い駐車場があり土曜日の9時前とあって百名山を目指す老若男女がうんざりするほどいる。洗面所でズクズクになった靴下を絞り、足回りを整え、コンクリートで固められた登山道に踏み出す。100mほど標高が上がると東屋があり稜線に取り付き暫く行くと沓掛山(1,503m)に達する。5mほど分岐すれば山頂なのに誰も立ち寄らない。勿体ないことだ。登山道に戻り幅の広い登山道を脇からどんどん追い抜く、本道から分岐し扇ヶ鼻(1,698m)に立寄る。山頂には先客が3人だけで静かなので、早めの昼食大休止を取った。メインの登山ルートを外れると極端に人がいなくなるものだ。
上泉水への往復と大崩ノ辻のヤブ漕ぎのロスで、コースタイムを40分近くオーバーしている。ピッチを上げて歩行再開。メイン登山道との分岐点から登山道が2方向に分かれ星生山(ほしょうざん1,762m)の稜線道に取り付く。右に行くと西千里浜を行く平坦道で、岩場を避けて登山者の大半は西千里浜を歩いている。岩場を登り山頂に達すると、北東尾根の硫黄山が噴気を上げている。平成7年10月に噴火し辺り一帯が登山禁止となったが、徐々に解除され今では硫黄山だけ登山禁止が続いている。
岩場を下り、西千里浜を通ってきた道と合流すると“久住分れ”分岐点で左に折れると硫黄山の麓、北千里浜を通り坊ガツルへの道だ。ここは直進し久住山へと向かう。幾筋もの踏み跡が走りロープが張られているが、そのどちらが正しい登山道かよく分からない。火口跡の縁で天狗ヶ城への分岐を右に取り登り詰めるといよいよ久住山(1,787m)に達する。一般的に九重山の主峰と思われているようだが、実は中岳が最高峰で4m高い。したがって百名山登頂は中岳に登ってこそ、と思うのだが、殆どの人はここで登頂したつもりになっているようだ。もったいない!
山頂に憩うが、余りの人の多さに落ち着けず、1等三角点「久住山」にご挨拶し、写真を撮るとすぐ出発した。火口縁を天狗ヶ城(1,780m)に進む。結構岩場もあり厳しい道だ。直下には火口湖の御池が緑色の水を湛え、隣の涸れ釜と合わせて正しく火山の核心部を実感する。西の鞍部を登り返すと最高峰の中岳(1,791m)に到着、九重山の最高峰というだけではなく、九州本島内の最高峰でもある。
岩場の急斜面を下り鞍部で坊ガツルへの分岐を越えて稲星山(1,774m)に登る。山頂には男性が一人だけ。ここから先は寂しい山域になり、東の斜面、草深く抉れた道を下る。南側の沢水(そうみず)登山口から坊ガツルに抜ける本山登山道との交差を越えると再び急登路となる。登り詰めて白口山(1,720m)に至る。山頂では小母さんたちが昼食中。鉾立峠(1,365m’)までは350mもの標高差があり切立った斜面を下る。岩場と固まった黒土のつるつる傾斜、ロープ場も数箇所にある。岩場を過ぎるとミヤマキリシマの林となり、枝に覆われた登山道は抉れ、薄が覆い隠しなんとも歩き難い。2/3ほど下りたところでドイツ人の男性が短パン半袖姿で登ってくるのと遭遇、ミヤマキリシマの林の通過に難渋することだろう。
13:36鉾立峠、かなり頑張って歩いてきたがコースタイムからの遅れは10分。このあと法華院温泉山荘に入り余裕時間を生み出せていれば三俣山のオプショナルツアー4時間コースに行こうと目論んでいたが、もう不可能が確定し峠のベンチでゆっくり休んだ。そして最後の山、立中山(1,464m)にピストンで登って温泉で寛ごう。出発しようと腰を上げると、犬を連れた女性が下りてきた。道の様子を尋ねると「大変だった。」とのことだった。踏み跡薄く登山地図では赤点線道の難路、でも今朝のことを思うとなんてことはない。眼下には坊ガツルの草原が広がり、白口山と大船山、三俣山に囲まれ、標高は低いが穴場的な山で登り甲斐があった。4等三角点「鉢の久保」がある。
鉾立峠からは涸れた沢筋を下るがここも結構悪路だ。木道となり、薄暗いバンガローが林立するキャンプ場を抜け坊ガツルの北端、法華院温泉山荘に到着した。室町時代以来、法華院白水寺として栄えたが明治に入り4つの坊が山を下り、弘蔵坊だけが残りそれも明治15年に焼失してしまった。その後、九州最高所の温泉(1,303m)として再建、登山者の宿となったそうだ。予約をすると個室から優先的に割り振り夕食付で7,800円、大部屋だと1,000円安い。この日は宿泊者が少なく大部屋は使わないそうだ。外来入浴も受け付けており500円で入れ、テント組も入りに来ていた。
3日目(10/2)
早朝5:27まだ真っ暗な中、法華院山荘を出発し坊ガツルを横切り大船山登山道へと入って行った。憧れだった坊ガツル、「ツル」とは水が流れるところと言う意味らしく、そう言えば中学の同級生にツルという女の子がいた。漢字で水流と書いた。そうすると“坊ガツル”は“坊ヶ水流”と表記すれば良く分かる。山の稜線は輪郭がくっきりし出したが樹林帯に入ると真っ暗、登山道は岩がゴロゴロ、抉れた黒土の道と相まってやはり歩きにくい。しかしある程度登山者が入っているようで、朝露はスパッツでなんとか防げそうだ。
昨日最後に登った立中山との間を流れる玖珠川源流の谷の北側尾根を行く。右側から立中山縦走路が合流するが草深い難路のようだ。明るくなりだし、“五合目”と標識のあるところに来ると、初めて展望が広がり、九重連山が赤く焼けて清々しい。だんだん傾斜が増し、山頂稜線の鞍部“段原(だんばる)”を目指し登っていく。段原では3方向に道が分かれ右折し大船山に向かう。背の低い樹木が登山道を覆い歩きにくい。急登となって最後の尖がった部分を登りきり大船山(1,786m)の山頂に達っした。誰もいるはずはないと思っていたのに、坊ガツルを4:30に出発したという夫婦と山頂から5mの所ですれ違ってビックリ!
今日は阿蘇山もくっきりと見え、祖母・傾山も美しい。眼下にはきれいな水だという御池、北側には大きな火口跡の“米窪”で、底は250mも下にある。3等三角点があるはずで探すと自然石の上に金属製の円いプレートが打ち込まれたものだった。山頂の眺めを満喫した後は段原に引き返し、まっすぐ進み北大船山(1,706m)に登る。道が一気に悪くなり露を含んだ下草にズボンまでぐっしょり濡れてしまった。段原からほんの5分ほどで山頂に達っした。増々近くなった由布岳、目前の平治岳が素晴らしい。火口縁を右回りに回りこみ北端部から下りになる。急傾斜で相変わらずの悪路を250mも下る。
平治岳との中間点は、大戸越(うとんごし、1,460m’)の峠。右に行けば黒岳、左に行けば坊ガツル、直進して平治岳(ひいじだけ)に直り登り返す。稜線に達した所が平治岳南峰(1,610m)で三俣山と中岳の間に星生山・硫黄山の荒々しい山容が見える。火口縁を回り込むように北上すると平治岳(1,643m)本峰の山頂に達する。3等三角点「平治岳」と山頂標識があり展望良好、しかし誰もいない。大戸越にザックが一つ置かれていたので誰かいるかなと?と期待していたが・・・・元来た道を下りるがデポされたザックはまだ残り大船山にも人はいなかったし、一体何処に行ったのだろう? ひょっとして? と悪い想像が働く。
西大原から登って来たと言う男性が一人入れ違いに平治岳に登って行った。坊ガツルへは1.6キロ、相変わらずの悪路を行く。樹林帯を進み草原に飛び出すと坊ガツルだ。9:06キャンプ場の炊事場に到着し、スパッツを外し、ズクズクになった靴下を沢で絞ると足が少し軽くなった。朝寝坊をしてこれから大船山に登ると言う人が朝食準備の真っ最中、これじゃ家庭生活の日曜日と変わらないじゃないの!
簡単な食事をして法華院温泉山荘に戻ると流石にここには朝寝坊はいないようだ。そのまま通過し諏蛾守越(すがもりごえ)を目指す。砂防ダムの連続する沢沿いの道だ。三俣山から土砂の押し出しが砂防ダムを越えている。昨日法華院温泉に泊まった若い女性4人組を追い越し、急登路を登る。平坦になると北千里浜の広大な砂原、星生山と天狗ヶ城の鞍部久住分れから発する氷河の跡のような地形、実は火口の跡なのだろう特異な光景だ。弓状に曲がった頂部から大岩のゴロゴロする登路に入り登り切ると諏蛾守越(約1,505m)の峠となる。
今日も噴煙の上がる硫黄山のすぐ北側で、噴火避難用であろう堅固な石造りの休憩所が設けられている。ここでもう一度靴下を絞り漸く靴のグズグズが収まり少し歩きやすくなったところで出発する。真っ直ぐ下ると長者原(ちょうじゃばる)登山口に至るが、そんな簡単に下山しては面白くない。右に分岐し三俣山に登る。九重連山の北側に位置し五つの峰が火口を取り巻き聳えている。まずは南側の斜面を登り、西峰(1,678m)山頂に至る。この頃から少し雲が出だし空を覆いだす。北の鞍部に下り、東へトラバース気味に登り詰めると登山道が左右に分岐、指導標も何もないが少し高く見える左側が三俣山本峰(1,745m)だ。山頂には数人の登山者がおり、結構登られているようだ。リンドウの群落があり可憐な紫の花が今を盛りと咲き誇っている。3等三角点「三俣山」の標石の回りに煩いほど山頂標識が建っている。
先ほどの分岐に戻り南側のピークに行くが残念ながらここには名前がないので通過し南峰(1,743m)に向かう。登り返しの道は結構きつく、この先北峰(1,710m’)との間は深く切れ込みあまり歩く人もいないようだ。枝を張った木と急斜面に悩ませられながら、下山路の雨ヶ池越への分岐を通り越すと10分余りで山頂に達する。本峰で出合った人達と再会した。本峰から右回りの道も楽ではなかったようだ。
5分の休憩で分岐点に引き返し、雨ヶ池越へと下山する。南峰から下るとき後ろに見えていた男性は分岐から直接下山したようで途中で追いついた。暫く同道したが、先行し雨ヶ池越に着いた。“雨ヶ池”には水はない、雨が降ると溜まるのだろうか?この山行中あちこちで見たヤマラッキョウが大群落を為しており、すごい。ここまでは観光客もハイキングに来ている。道幅は広くなるが、観光客の基準からするとかなりの悪路ではないだろうか、黒土が抉れ、岩ゴロゴロ、究極は7月の集中豪雨で三俣山から出た土石流が登山道を寸断しており深く削り取られた沢をロープで上り下りする難所も出来ていた。
雨ヶ池越から3.1辧長者原に12:46に到着。豊後中村行バスは13:10、バス亭近くの温泉でサッと汗を流し大急ぎで着替え、バス亭に3分前に戻りバスを待つ。しかしバスは10分待っても来ない。そう言えばバス待ちをしていた登山の小父さんは居なくなっている!どうも先に行ってしまったようだ。この後は15:00発で列車の接続がなくどうしようもない。タクシーに乗らざるを得なくなり、4,800円と5倍近いコストが掛ってしまった。帰ったら日田バスに抗議しようと思っていたが、帰ってしまうと面倒になり・・・・ 往路と同じ特急“ゆふDX号”に乗り博多から新幹線経由で20時過ぎ帰京した。
九重連山、牧ノ戸峠からのメイン登山道は整備が行き届いているが、メインを外れるとかなりの悪路を覚悟しなければならない山域だ。しかし全ての山の山頂は開けて展望は360°あり、火山地帯で温泉も楽しめ夢の楽園のようで印象深かった。そして“坊がつる”は憧れから思い出に変わった。
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する