今までの山行で一番耐えた…。笠ヶ岳の後の大試練😨
- GPS
- 30:50
- 距離
- 24.1km
- 登り
- 2,094m
- 下り
- 2,517m
コースタイム
- 山行
- 10:01
- 休憩
- 1:35
- 合計
- 11:36
- 山行
- 6:12
- 休憩
- 1:07
- 合計
- 7:19
天候 | 雲多めの晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
1. 笠ヶ岳の恐怖と脱単独
「(残雪期の)笠ヶ岳へのルートは単独では危なすぎますね。もし良かったら、一緒に行きませんか?」
なおにゃんに誘いを入れた。僕の勘違いかも知れないが、彼もデュオ山行を画策しているように感じていた。日帰りのつもりでいたが、
「折角だから、テン泊にして、双六岳や槍まで縦走しませんか?」
と、カウンターオファーをいただいた。
「ええなぁ〜。オレも双六岳行ったことないし」。「双六」って響きに、良く分からず玄人感を覚え、去年の夏も気になっていた。
「いいですね❗」と、自分の実力もわきまえずに、安易に答えた。あまりにナイスな提案に、なおにゃんの経験とスピードは僕の遥か上を行っていることを無視してしまった。
YAMAPで周回ルートを作ってみた。新穂高温泉スタート、笠新道で笠ヶ岳、そのまま双六小屋まで縦走し、テン泊。翌朝、双六岳に登り、西鎌倉尾根で槍。槍を登って右俣林道で帰ってくるルートだ。すると、両日とも休憩なしの夏道コースタイムで12時間超えのタフな行程になることが浮かび上がった。「これは…、エグいな…」。とりあえず、その行程をそのままなおにゃんに送ってみた。すると、「自分で提案しておきながら結構ハードですね😅。状況によっては笠ヶ岳でテント張って、翌日双六まで行って鏡平方面に下山コースも考えてます」。「鏡平?」。聞いたことがなかったので、山と高原地図で調べてみた。双六小屋手前の弓折乗越から小池新道に下りる途中にあり、鏡平山荘というのもあった。「やはり、ちゃんと現実的にエスケープルートも考えているんだなぁ」と、登山の基本だが、あまり自分ができていないことを再認識した。
日程は、6月4、5日と決まった。そもそも笠ヶ岳に惹かれ出したのは、塩見岳から帰って来て直ぐだった。いつも、槍穂高連峰のどこからでも始めに目につく笠ヶ岳。笠のように尖っているが、槍穂の序盤で見ると横広なのに、黒部五郎岳辺りから見ると、横広さが消えてとんがりが強調される。その、印象の変化に驚いたのを良く覚えている。「GWまだ残ってるし、笠ヶ岳日帰りできひんかなぁ…」。また、レコを漁り始めた。すると、鮎川さんのレコに目が釘付けになった。同世代の彼が4月30日に日帰りで行った行程時間は19時間。
「これは、アカンやつや…」。
さらっと書かれたレコが何故かさらに恐怖心を煽った。たまらず質問すると、
「ボクのレポを見て、ビビって貰えると安全登山につながると思います😅」と、ポイントアドバイスも含めて、返信をいただいた。「はい、十分びびりました😓」と思いながら、その他のレコも見てみた。やはり、とてもじゃないけど、塩見岳から帰ってきて直ぐに日帰りできる山ではないことが分かった。「いやぁ、世の中鉄人だらけやぁ」。おとなしく、GW最後の日帰り山行の行き先を、これも興味のあった空木岳に決めた。
2. 笠ヶ岳登頂
やはり、新穂高温泉は遠い。しかも、かなりの長時間行程を考慮し、4時スタートに決めていたので、夜中の12時前に自宅を出た。かなり急いで会社を出たものの、2時間ほどの仮眠しか取れなかった。なおにゃんから、10時半頃出たと連絡をもらい、「ちょっとオレ遅すぎかな…」と、新穂高登山者用駐車場までの所要時間を勘違いしているかもと不安になる。Googleでは4時間強と出るが、確か3時間半位で着くはずだった。道中、中央道が一部対面通行になっていた以外は順調で、深夜2時11分に松本インターを降りた。新穂高はここからが遠い。しかし、幸運なことに、前を走るトラックの運転手がかなりの運転技術の持ち主だった。平湯ICを降りた辺りまで、全くストレスなく後を着いていけた。その後先を譲ってもらい、3時20分頃、P5 登山者用無料駐車場に入った。一番上段まで行き、指導センターへのショートカット道の入口近辺に駐車した。
ヘッデンを出し、「なおにゃん、いますか?」と叫ぶ。ええ歳をしたオッサンが暗闇で発する言葉でもないが、意外に「なおにゃん」という響きが使いやすい。「オレも呼び掛けられやすい『あだ名』にすりゃよかったな」。と、すぐに上段駐車場の入口の方から、ヘッデンを着けたなおにゃんが現れた。「おー!今日はよろしくお願いします!」と挨拶を交わし、「すみません、ちょっと入るのがギリギリになっちゃって」と言い、「急いで準備しますね!」と一旦お互い準備に別れた。
午前4時前になり、彼がパッキングを終えて僕の車の方までやって来た。僕も準備を終えて、EXPEDITION PACK80を担ごうとした。すると、ショルダーハーネスが外れる。「あれ?なんやこれ…」。いきなりもたつき、パートナーを待たせる。モンベルのザックはショルダーハーネスの高さをL、M、Sと調節して背面長を変更できるのだが、それが担ぐとパカッと外れる。のっけからいつもの調子でパニクってくる。なおにゃんにヒントをもらい、ベルクロで留められた調節ベルトをきちきちに巻き直すと、何とかショルダーハーネスが外れることなくザックを担ぐことができた。「よしゃー、スタート」
4時10分頃、新穂高登山指導センターに到着。そこで少し準備を整え、橋を渡り、左手の沢沿いに歩いていく。ソロだとガチガチに地図を見て歩くのに、2人だと変な安心感が出て、話しながら適当に歩いてしまう。途中でいつの間にやら、ロープの外側を歩いてしまっていた。ロープをまたぎ、林道の方へ向かった。
まずは、たまにアスファルト混じりの林道を歩く。前方に朝焼けの山並みがキレイに見えた。20キロ超えのザックを背負うも、朝の気持ちのいい空気の中、話しながら軽快に歩く。今回のルートは水場があまりなく、笠新道入口の黒パイプにも、まだワサビ平から水が引かれていないという情報を得ていた。しかし、笠新道入口の少し手前にグレイのパイプから水が出ている水場があった。スタートから直ぐだか、ここで補給は可能だ。ほどなく笠新道入口に到着した。
ここからは、かなりまくっていく。少し荒れ気味な登山道も、雪もなく問題なくスピードが出せた。しばらく誰にも会わなかったので、「やっぱりこの時期に笠ヶ岳やる人はかなり珍しいのかな?」等と言いながら登っていく。しかし、しばらくすると、ポツポツ日帰り登山者が上がってきて、先を譲る。一番早いソロの男性は、僕らより30分遅れのスタートだった。
標高1900メートル位から視界が開ける。右手には焼岳、その後ろの乗鞍岳がスッキリ見渡せた。また、正面にはなにやらやたらと厳ついトゲトゲの山が見える。「なんや、あの山は…」と、山座同定アプリをあげると、「ジャンやん!」と一気にテンションが上がる。もう一段上がると、槍が小槍とともに、くっきり見えた。「こっちから見ると、先っぽそんなにピンピンじゃないんやな🎵」。山はみる角度によってかなり印象が違う。
2000メートル近辺から残雪が出てきた。序盤こそあまり気にならなかったが、その後ツボ足ではかなりイヤらしい登りになる。なおにゃんはあまり気にしてなさそうだったが、僕はかなりヒヤヒヤだった。下りなら、間違いなくアイゼンを着けただろう。
始めに残雪が出てきて比較的すぐに、みんなが立ち止まってアイゼンを装着しているポイントに来た。時刻は午前8時、恐らく、2300メートルの手前ぐらいだった。序盤はそんなに危険には見えない急登をアイゼンを効かせて登っていく。途中、みんなが左に行くのを追いかけようとするも、なおにゃんが「こっちじゃなくて、そこ右ですね!トレース見えますよ」と、僕が登る前に指示してくれた。確かにトレースが見え、軽いトラバースで夏道に出れた。そこからアイゼンのまま歩きにくい岩場夏道を行くと、植生がでた稜線のキワキワの雪上を行くしかなくなる。ちょうどその辺りで、途中で僕らを抜いた男女のペアに追い付く。特に女性の方が、「これは危険だよ。下りがダメかも知れない」としきりに言っていたのが気になった。彼らをそこでパスし、僕はここを下らなくてもいいという安心感から、どんどんキワキワを詰めて行った。
途中でまた雪から、藪突入となる。誰のレコを見てもこの時期は試行錯誤になっていたので、無茶苦茶なルートになるのは想定内だった。藪を無理やり稜線に上がり、そこを乗り越えて、また雪陵に出た。みんなのレコを見ると、2472のピークを左から巻いているのは分かっていたのだが、歩きやすそうだったので、右から巻こうとした。しかし、そのまま雪陵を詰め、ピークの林に突入すると、猛烈藪こぎの洗礼を受けた。ひーひー言いながら、何とか抜け出すと、別ルートで上がってきていたなおにゃんと再会した。時刻は9時半前になっていた。
その藪から出て直ぐの開けた平たいスペースはサイコーだった。晴天無風の中、前方にこれから目指す笠ヶ岳がバッチリ見えた。振り替えると、槍ヶ岳から、大キレット、ジャンにつながる稜線が眩しい。「これ、サイコーやん!」と叫ぶと、「はい、ここ、休憩ポイントだと見てました」となおにゃんが応じる。藪こぎの疲れをゆっくり癒した。
しかし、ここから怒涛の急登が始まる。地力の差が出て、なおにゃんとの距離が徐々に開く。思えば、この辺りから僕のペースは如実に落ち始めた。やはりほぼ寝てないツケが回ってきていたのか。遮るもののない真っ白の世界を、汗だくになりながら一歩一歩進んでいく。途中から、さらに角度が急になり、アイゼンを着けての登りでも、それなりの恐怖を感じた。ダイアゴナルやスリーオクロック等を使い、歯を食いしばりながら登っていく。10時50分頃、やっとのことでなおにゃんの待つ抜戸岳の直下に辿り着いた。「これ、エグいわ…、槍ヶ岳の最後の登りみたい…」
ここでザックをデポし、笠ヶ岳を目指す。まずは急な雪坂を下るのでアイゼンを着けたまま行く。しかし、その後は夏道とのミックスになるので、すぐにアイゼンを外し、それ以降山頂までつけることはなった。バランスライト20(アタックザック)で行っているので、かなり楽になると予想していたが全くペースが上がらない。どんどんなおにゃんとの差が開いて行った。11時40分頃、抜戸岩をくぐり、かなり雲がかかって来た笠ヶ岳を見上げた。緩いアップダウンを繰り返し、最後は雪稜歩きになった。笠ヶ岳山荘までのちょっとした急坂をツボ足で登る。このちょっとした登りも、この時の僕にはかなり堪えた。ちょうどその坂を上り切るころ、山頂から降りて来ている先程とは別の男女のペアと挨拶を交わした。「ここから山頂まで後どのくらいですかね…?」。僕は、かなり限界に近かった。時刻は12時20分でコースタイム通りではもう山頂に着いている時間だった。「あと、せいぜい15か20分くらいですよ!」。「あー、そうですか…。いやー、ホントにきつかった」と半泣きで気持ちを吐き出すと、女性の方には少し笑われてしまった。
そこからもペースは上がらないものの、ゆっくりとビクトリーロードを登って行く。たっぷり20分弱かけて、12時38分、山頂の祠が見える場所に辿り着いた。なおにゃんは12時10分後登頂し、ずっと待ってくれていた。山頂標識はその祠の場所から少し奥に行った場所で、ゆっくりそちらに向かった。残念ながら、ますますガスが上がってきて山頂からの東方面の絶景は楽しむことができなかった。しかし、ここまでの辛い道のりをやり切った満足感は高い。いつものように独りではないので少しためらっていたが、どうにもムズムズしてきた。やはり我慢できなくなり、思い切り、「よっしゃー!」と吠えてしまった。ここが今山行の感情のピークで、ここから地獄がまさに始まろうとしているとは夢にも思わなかった。
3.双六小屋、届かず
抜戸岳に着いてすぐ、笠ヶ岳へアタックする前、お互いへとへとで「もう、笠ヶ岳で張りますか(笑)?」と、なおにゃんに言われた時に、「そうしよう!」と強く主張すべきだったかもしれない。かなり時間が押しているのは分かっていた。YAMAPを見ると、アタックザックでの笠ヶ岳までの稜線歩きですらコースタイムを下回ってしまっていた。「オレ、やっぱり今日はスピード全く出ないな…」。しかも、重ザックのせいで、また肩が痛くなっていた。笠ヶ岳の山頂で、「多分、早くて5時ですね、双六小屋…」と、なおにゃんも押している時間を心配しているようすだった。ただ、この時は、双六小屋までの道のりがそこまで困難なものだとは思っていなかった。しかし、一方で、道がスムーズであるという根拠は全くなかった。事前のレコ調べで、紫夕さんが、先週このルートを歩いているのを見つけ、軌跡をダウンロードしてきていた。レコには「鏡平への夏道は使わない方が良いです、危ないわ〜😂」と書いてあった。どの辺りが危ないのかがとても気になり、コメント欄に質問してみたが、残念ながら出発までにお答えいただくことはできなかった。また、杓子平前の絶景休憩ポイントに同じ時間にたどり着いた男性2人組がいて、その浅黒の長身の方の彼が、とても気になることを言った。先程、雪稜の登り始めの時に、やたらと下りのことを気にしていた男女のパーティーがいたと書いたが、やはり早々に撤退したというのを彼らからこの時聞いた。それを聞いて僕が、「僕らはここ下りないから気楽に登れたのかな」と言うと、その浅黒の長身の彼がこう言った。「え、でもこの先の弓折乗越からのトラバース、超ヤバイらしいすっよ」。何故か、ラッパー口調で彼が言ったこのセリフがこの後ずーっと頭にこびりつくことになる。
笠ヶ岳から思った以上に苦労して、ザックデポ地点のちょうど下のトラバース道に戻って来た。そこに「双六小屋↑ 新穂高→」の道標がある。行きにはここを通らなかったので、少し不安に感じながら、その道標を右に曲がり階段を上がった。すると、登り切ったところが正にデポ地点で、そこにとっくに到着していたなおにゃんが僕を待っていた。よほど僕が疲れて見えたのだろう、「これ効きますよ!」とエネルギー補給のゼリーをなおにゃんがくれた。冷たくてとてもおいしかった。「なんて、気が利くやつなんや…」と少し感激する。15分ほど休憩し、「行けるところまで行ってみよう」と双六小屋に向けてスタートした。稜線を少し歩けば抜戸岳のピークだったものの、「ちょっと上は登りになるんで、ここ下りていきましょう」と、上がって来た階段を降り、道標を右に曲がり双六小屋の矢印に従う。この時点でもまだ、「最近は日が長く6時でもまだまだ明るいから!」と双六小屋に辿り着けると信じていた。時刻は午後2時前になっていた。
抜戸岳を出発し、ガスってくるわ、雷鳥おらんわで「どないなっとねん!」とぶつくさ言いながら歩いていた。すると、僕が一歩を出した時に、「バサバサバサ」と音がして、雷鳥が飛び立った!僕の足元に潜んでいたらしい。ハイマツ帯を一気に飛び越えて、その向こう側の雪稜に降り立った。「おー!出たよ!」と、ゼリー効果と相まって、テンションが一気に上昇する。慌てて、スマホのズームで雷鳥を追いかける。しかし、ちょこちょこと走り僕のスマホの枠から逃げる。メスの雷鳥で、まるで追いかけられることに慣れている美人の様に見えた。
ゼリー&雷鳥効果でかなり元気になってきていた。「なんか双六小屋行けそう!」。しかし、秩父岩を巻き、コルへと下りて行った所で最初の試練が訪れた。コル自体には積雪はなかったのだが、そこから、先に続いている登山道にはびっしり雪が付いていた。そこをなおにゃんが先に歩いていき、「これ、アイゼンですわ!」と言いながら戻ってきた。少し休憩しながら、アイゼンを再度着ける。雪稜を進むと最初は前方が見えないくらい急に落ち込んでいる。まっすぐが夏道だがそこは急すぎていけないので、トラバースしながら左前方に見える尾根に乗らないといけない。それ見て、なおにゃんが、「これ、こわいっすわ…」。すり鉢状の急斜面になっていた。まずなおにゃんがトラバースに入り、僕が後を追う。しかし、この時なおにゃんはなぜかピッケルを出さずに、ストックで行ってしまっていた。もの凄く危険トラバースをストックで行っているのを後ろから見て、こちらが震えた。「頑張ってくれ〜!」と後ろから祈りながら、自分もトラバースして行く。彼は、ストックと言うよりは手をピッケルのごとく扱い、雪質のせいなのかたまにクライムダウンを織り交ぜ、無事にトラバースをやり切った。僕は、ピッケルを使いつつ、なおにゃんが付けたトレースを使わせてもらい後を追いかけた。彼がクライムダウンした所に来ると、「確かにアイゼン浅いわ😓。こりゃアカン」と僕も同じくクライムダウン。とっくに尾根で待っているなおにゃんを小さく見ながら、かなり時間をかけてトラバースをした。何とか渡りきり、尾根に合流した。「コワッ!赤岩尾根よりも怖いよー、これ…」。
尾根から、秩父平の方に急斜面をなおにゃんはカニ歩きで、僕はカニ歩きをするにはあまりにも急なので、上部はクライムダウンする。ここで、夏道に合流すべきなのだが、入り口がふさがっている。藪というより猛烈に「木々」に阻まれている。なおにゃんが果敢に突進するが、「これ、無理ですわ!」といったん戻ってくる。「どうするんや…」と、2人でしばし悩む。そういえば、紫夕さんの軌跡をダウンロードしていたことを思い出し、それを見てみると、いったん秩父平の方に傾斜なしのトラバースをしてから、夏道に合流していた。そこまで歩いていき、それっぽい合流地点を見つけようとするも、どこもかしこも藪は薄くはなっていなかった。「これ、もうすぐ夏道開通するはずやのに、どうするつもりなん⁉️」と全く解せない。しかし、愚痴っていても先には進めないので、仕方なく強行突破するしかないという結論になった。また、疲れている僕を気遣って、なおにゃんが先行して突破にかかる。かなり時間を使いつつ、希望の光が見え始めたような声が聞こえてきた。「多分、行けます!」。「ホンマか!じゃあ、俺も行くわ!」と、適当に少しでも木々が少なそうな所を狙い突進する。枝を踏みつけ、しゃがみ込み、木々のビンタを食らう。はーはー言いながら、先に突破して夏道に「やれやれ」と腰掛けていたなおにゃんのところに辿り着いた。ここで、猛烈に体力を消耗し、ゼリー&雷鳥効果は尽きてしまった。
ここからも、夏道に乗れたはいうものの、あまり楽な道ではなかった。夏道と雪稜歩きを繰り返す。時間も午後5時が迫ってきており、双六小屋は無理だという思いが強くなっていった。2人で「ビバーク適地があれば、そこでビバークしよう…」と言いながら場所を探しながら歩く。しかし、なかなかテントが張れるようなスペースは出てこなかった。大ノマ岳を越えて、大ノマ乗越まで行けば、乗越だけに適地があるかもしれない。しかし、僕の体力は本当に底をついていた。相変わらず、なおにゃんにかなり遅れながら歩いていたが、あるところでなおにゃんがちょっとした岩峰の上に座って僕を待ってくれていた。「マサさん、ここは下から(岩の右手、下は崖だった)行くと、雪が薄くてかなり危ないです。この岩を直登して、上から下の雪めがけてジャンプするしかないです。こっち側の雪はしっかりしてるから飛び降りても大丈夫です」。マジか…。岩によじ登った。上から下を見る。飛び降りるにはなかなかに勇気のいる高さだった。もちろん、途中までは足場があるので、岩の半分くらいから飛び降りるのだが、それでもなかなか普通ではない。まあ、やるしかないな。なおにゃんが下から指示を出してくれるのに従い、足場に足を掛けつつ、半分くらい岩を降りた。さあ、ジャンプだ。駄目だ、怖い、できない。すると右に、岩ではないが、ハイマツ帯のような部分があって、そこを掴み、アイゼンをひっかけながら、うまくジャンプせずに降りることができた。それを見ながらなおにゃんが、「あ、そういう方法もありましたね😃」
ここをやり切り、「あそこが核心でしたね」と言いながら少し歩くと、かなり傾斜地ではあるが、ぎりぎり一張り行けるスペースがあった。大ノマ岳の少し手前の、ちょっとした小ピークの足元にある本当に狭いスペースだった(恐らく、山と高原地図で、『小ピーク上眺めがいい』と書かれている近辺)。もう、限界をとっくに越えていた僕は、本能的に言った。「ここでビバークしよう。申し訳ないが、多分そうしないと、オレやばいわ…」。ここまで限界まで来たのは初めてだった。小トップを挟んで向こう側にも、これまた、ぎりぎり一張り行けそうなスペースがあった。なので、2人で一張りずつしようとも言ってみたが、テント設営・撤収にも体力を要するのをちゃんと理解しているなおにゃんは、しっかりと、「俺のテントは二人用なんで、一張りで行きましょう」と提案してくれた。ありがたく、お言葉に甘えさせてもらった。
時間は夕方5時を過ぎていたが、さすがにこの時期だけあって日はまだ十分高かった。ザックを下ろし、やれやれと、アイゼン、スパッツを外す。周りは北側以外は、足元にハイマツがある他は、風の吹き曝しになる場所だったが、幸運なことに風は穏やかだった。西側には雲海が広がり、とにかくデカい黒部五郎岳が見えた。「傾斜って足元が下がってる分には寝れるよね。体が左右に斜めると無理だけど」と僕が言い、テントの向きを決めた。そうすると、入り口が自然と黒部五郎岳側になった。また、なおにゃんのファイントラックカミナドーム2は、長辺に開口部があり、2人で横に並んで座るのにちょうどいい。僕のステラリッジ2型は短辺に入口があるので、2人で並んで座って景色を眺めることは不可能だった。刺さりにくい地面に無理やりペグを刺し、レインフライを被せ、ガイロープを岩で留めた。カミナドームのレインフライとインナーテントを連結する方法がおもしろい。手際よく設営が終わり、ザックを枕代わりに使おうと、頭側に置くも、あまりの傾斜でずり落ちるので、足元に置いた。かなり疲労が激しく、あまり食欲がないが、まずは2缶担ぎ上げたビールを取り出す。今回はモンベルのロールアップクーラーバック3Lに凍らせた500mlのペットボトルを入れ保冷剤代わりにしてきた。そこにビール2缶とラップに包ん牛肉を入れていた。まだ、ペットボトルの中央部には氷が残っていた。なおにゃんはお酒を全く飲まないので、デカビタとビールで乾杯した。やはり、食欲がなくてもビールはうまい。しばし、頭を無にして、マットに腰掛けながら、光り輝く雲海を眺める。まだまだこの先も試練だろうが、とりあえず今日は無事に寝床にありつけたようだった。
少し落ち着き、なおにゃんがSotoのバーナーを惜しげもなく提供してくれた。凍らせて持ってきた牛肉は、ほとんど融けて血まみれになっていた。「これ焼いて、一緒に食おうよ」と持ってきたモンベルのフライパンを出す。なおにゃんもうまそうなウィンナーを持ってきていたので、それから焼き始めた。4本を焼き、2本ずつ分けた。やはり、普通にかなり旨い。次に、肉を血でベタベタのラップからはがし、モンベルのシェラカップに入れた。このシェラカップも今回初投入だった。なおにゃんにフライパンを持ってもらいながら、そこに肉を投入する。持ってきた塩を、手でパラパラ振りながら焼いていく。狭くて大変だったが、焼けた肉もやはり塩が効いて旨かった。その後、明日のために頑張って炭水化物を取ろうかなとも思ったが、やはり食欲があまりなく、面倒になってやめておいた。なおにゃんも安定のカレーを持って来ていたらしいが、「まあ、明日の朝でいいか…」と、お互いウインナーと肉だけで満足してしまった。ビールはもう1缶残っていたが、これすら口をつける気にならなかった。
なぜだか7時台後半になってもいつまでも明るかった。明日は朝のうち雨予報だったので、お互い靴をテントの中に入れた。大の大人2人が、80L級のザックと靴をテントに入れ、何とか寝れそうな体勢になった。かなりの傾斜だったが、ザックを足元に置き、そこに足をあげると、腰が下がってしまうが身体が弓状になって意外に安定した。午後8時にはテントの内のランプを消し、シュラフに潜り込んだ。あっという間に意識を失った。
4. 撤退
朝方は予報通り雨が振っていた。テントに当たる雨音で目が覚めた。目覚ましは3時にかけていたが、SUUNTOを見ると2時半前だった。耳栓をしていたとはいうものの、ここまで一瞬も目を覚ますことなく熟睡できた。多分相当疲れていたのだろう。しばらくまどろんでいると、目覚ましがなった。なおにゃんがテント内のランプを点けた。さすがにまだ真っ暗なので眩しい。
「雨ですね」と声をかけると、「ええ、でも雨雲レーダー見たんですが、暫くすると抜けそうです」。仕事早いな…。「寝れました?」と聞くと、あまり寝れなかったようで、曖昧に言葉を濁した。「マサさんは、1分で寝て、いびきかいてました😃」と言われ、やはり迷惑かけてもうたなと、集団生活の難しさを知る。テントの中は暖かかったが、温度計を見ると意外に0度だった。「夜に落石がゴーっと何回かあったんですよ!」と言われ、全く気付かんかったな…と、やはり耳栓は逃げ遅れるなと、危険さを再認識した。そもそも急傾斜のビバーク地でよう爆睡すんな…と、自分の鈍感さに嬉しいような、呆れるような…。なおにゃんは、急傾斜に敷かれたマットの上で器用にバーナーを使い、チキンラーメンを作り始めた。若干一酸化炭素中毒が怖かったので、ベンチレーションを広げ、入口のジッパーをさりげなく開ける。外は、それなりに冷え込んでいて、冷たい風が入ってきた。テント内はバーナーで少し暑いくらいだったので丁度いい。僕もシャリ食べななと、まだ保温ボトルのお湯がそれなりに暖かかったので、それで五目リゾッタを作った。
ぐっすり寝れたので、かなり体調が回復していた。この感じだと双六岳ピークハントも可能な気もしていた。しかし、そもそも昨日の時点でプランは崩れていた。テントの中で行程時間を試算すると、休憩なしで10時間は必要そうだった。また、浅黒ラッパーの言っていた「弓折乗越のトラバースすげぇヤバイらしいですよ」が頭に引っ掛かっていた。やはり、今日はおとなしく弓折乗越からエスケープするのが得策だという思いが固まった。恐らくなおにゃん一人なら余裕で双六岳を落とせただろうに申し訳なく感じながら、「でも、テント背負って笠ヶ岳とれたのは、自信もっていいよ❗」と、自分に言い聞かせるように、なおにゃんに撤退の提案を飲んでもらった。「また、双六は双六単体で行って、双六小屋をベースに鷲羽岳とか、野口ゴローとか行くと凄い楽しめるよね」と、リベンジの楽しみを残した。
5. 本当の試練
テントを撤収し、5時頃弓折乗越を目指しスタートした。やはり、テントに入れてもらったのは正解で、かなり体力を温存することができた。スタート後、かなり調子がいい。歩き始めて直ぐに、今度はつがいの雷鳥に遭遇した。かなり間近でマジマジと雷鳥を眺める。引き続き、なおにゃんには少し遅れるものの、道もそれほど危険ではなかったおかげで、比較的楽に弓折岳に登頂した。山頂標識の前で写真を撮り合う。後ろに見えていたのは双六岳だったのだろうか?
ここから、弓折乗越まではたまにずぼる意外は特に問題なく、すぐに到着した。すると、どこまでも切れ落ちた斜面が目の前に広がっていた。ダウンロードした軌跡も変な軌道をしている。「いきなり直で下りるのではなく、少し奥に行ってから、トラバース気味に、右手の尾根に乗ろうとしたのかなぁ」と、なおにゃんは予想した。まずはなおにゃんがダブルアックスでサイドステップしながら、少しずつ斜めに高度を下げていく。「ちょっと待って、それでどこ目指そうか?」と一旦二人で相談する。右前方に、植物が一部露出した尾根状の場所が見えた。「よし、まず、あの尾根に乗ろう」。「了解」。なおにゃんは、ダブルアックスでかなり安定感が増すらしく、長く痺れるサイドステップをサクサクとこなして、あっという間に尾根に乗ってしまった。一方で僕は、後を追いかけるも、あまりのトラバースの長さと恐怖に、汗が滴り落ちる。ピッケルを右手に持ち、左手は、なおにゃんが作った穴にパンチする。次第に、アルパイングローブがずれて外れそうになる。一旦、足場を作ってグローブをはめなおした。少しずつ高度を下げながら、また、休憩を織り交ぜ、植生が露出している地点を必死に目指す。何度も振り返り、どこまで来たかを確認するも、ものすごく遠くてなかなか近づいてこない。下でなおにゃんにがずっとこちらを見つめてくれていた。1ミリの失敗も許されない中で、慎重に慎重に進み、やっと植生部分に足をかけた❗「あー、これ、しんどー!」。本当に汗だく、喉カラカラだった。そこから、尾根を下に慎重に下りていき、やっとなおにゃんに合流した。
合流すると、「ちょっと、休憩してええかな?」と声をかける。すると、「はい、ここ掘っときました」と、もう完全におんぶにだっこ状態だ。僕が水を飲み少し落ち着くと、なおにゃんが「残念なお知らせがあります😅」と言って、下を指差した。「これを行かないといけないみたいです😓」。立ち上がり、そこの斜面を見た。「これは、無理ちゃうか…?」。ちょっと痺れを通り越してないか、それは…。で、たまらず、YAMAPでダウンロードしてきた軌跡を見た。すると、自分達がいる少し上の方から、下りてきた斜面から見て左の方に流れていた。画面を見せながら、「あっち行ってるね!」と上を指差す。そっちの方を見ると、木の橋が微かに見えた。夏道のようだ。「あ、俺が間違えました。すみません」と、すぐに状況を把握する。「登り返すか」と下りてきた雪坂を登ろうとするが、「あ、こっちから行けますね🎵」と、草が露出した尾根を直登、トラバースしながら、夏道に合流できた。
ここからも、どれだけトラバースが続いたことだろう。トラバースの得意ななおにゃんが作ってくれたステップをなぞって行っているだけなのに、精神がとことん消耗した。「もう、ええ加減にしてくれへんかな…」。根気よくトラバースし続け、やっとのことで、鏡平山荘の前の尾根に乗ることができた。「おー!この安心感😂」。前方にとっくに着いて待っていてくれたなおにゃんと合流した。
尾根をそのまま緩やかに下り、沢筋の前に出た。ここからは軌跡によれば、夏道を右に見ながら平和に沢筋を下るだけに見えた。しかし、呪われているかと思うほど、簡単には行かなかった。暫くは、前にカッコいい(恐らく)西穂を見ながら爽快な雪渓歩きだった。しかし、雪がかなり薄くなる場所に来てしまう。なおにゃんがリスクをとって、足を薄い雪に乗っける。すると、簡単に「ずぼっと」いってしまった。「これは危ないです。迂回しましょう」。仕方がないので、その場所から少し登り返し、夏道の方に向かいながら、藪こぎで尾根に立った。そこから、びっくりするくらい急な坂をアイゼンでとストックで下りていく。雪がグサグサで、2回ほど軽く滑落した。いいところに枝があったので、それにしがみつき事なきを得た。その急坂を下りきり、また激しい藪こぎをして、隣の沢筋に出ることができた。
「さすがに、もう、終わりだろう」と思ったが、それは間違いだった。どんどん道が荒れてきてしまう。何とか夏道に合流したいが、随所に藪が出てきて道を阻んだ。ダウンロードした軌跡を見ると、1874と2026の間を急速に旋回して夏道に乗っていた。なので、ちょうどそこに来たとき、なおにゃんと方向について相談したかった。しかし、僕が常に少し遅れ気味になっていたせいで、ルーファイは、なおにゃんに任せっきりで、着いていくだけになってしまっていた。ここでも、軌跡の所を旋回せずに、なおにゃんが藪に突っ込んで行ってしまう。大声で呼び掛けたが、距離が離れていて僕の声は届かなかった。僕は、暫くそこに立ち止まってしまった。もう藪こぎにはウンザリになっていた。ここを旋回しても、藪こぎなしに夏道にすんなり乗れる保証は全くないにも関わらず、なおにゃんを追いかけるのを躊躇してしまう。しかし、ここで僕一人で別行動をとるわけにもいかず、そうかと言って藪に突っ込んで行くのにも、身体が拒否反応を示した。悩んだ挙句、結局なおにゃんの背中を追いかけ藪に突っ込んで行く。「これが集団行動のワナだな…」
半ば予想したように、彼を見失う。声を張り上げるも、返事はなかった。自分で適当に方向を合わせながら、藪を突っ切り、尾根に出た。すると、目の前に雪渓が続いていて、そこになおにゃんのトレースが残っていた。それを追いかけ、辛うじて彼の姿をとらえることができた。「これ、まさにグループ登山の負の側面が、如実に出とるな…」。「八甲田山死の彷徨」を思い出していた。やはり、リーダーをはっきり決めて、こういう時のルールを確立しておくべきだった…。
さらにもう一度藪こぎをし、比較的大きめの沢を、彼を追いかけながら渡る。やっとのことで彼の側に追い付き、「ちょっと道を相談しよう❗」と声をかけた。そのまままっすぐ沢筋を下るより、右方向に旋回するべきだと思ったからだ。恐らく、この時はお互いに感じることがあったと思う。しかし、だからこそ、やはりパーティー登山は始めにルールを決めておくことが極めて大切だと思い知った。地図を見ると、少し沢筋を行き、チャンスがあれば右に軌道修正が正解だった。なので、僕がなおにゃんを呼び止めた場所で、すぐに右に登り返すのは結局間違いだった訳だが。
そのまさに暫く行ったところで、なおにゃんが、「あ!人いた!パーティーだ!」と登山者が休憩してしているのを右手に見つけた。2人とも一気に元気になる。急いでそっちの方に向かうと、そこには◯や➡️が溢れていた‼️やったよ、夏道に帰ってこれたよ❗彼らは4人のパーティーで、かなりの軽装だった。なおにゃんが、「ここからはアイゼン必要ないですか?」と質問すると、「ええ、散歩道ですよ」と、4人のうちの若い男性が答えてくれた。彼らは、今日は本格的な山行前の下見だったようだ。なおにゃんに、「やったな❗これでもう大丈夫だよね😃」と言いながらがっちり握手した。なおにゃんは、照れながら「いやいや、まだ終わってないですよ☺️」と答えながらも、やはり嬉しそうに見えた。こんなに、無事に下山できることが嬉しいなんて初めてだった。ここから、溢れる◯に感謝しながら、2人で登山道をものすごいスピードで進んで行った。
💮注意
僕たちが弓折乗越から鏡平へ下りたのは間違いでした。この時期の正解は「弓折岳から尾根通しに下りる」です。ちゃんとトレースが付いていることもあるそうです。どうか、僕たちの軌跡は使わないで下さい。
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