不帰嶮・唐松岳・祖母谷温泉《日本三百名山》
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- GPS
- 18:41
- 距離
- 27.6km
- 登り
- 2,640m
- 下り
- 3,289m
コースタイム
- 山行
- 6:00
- 休憩
- 1:30
- 合計
- 7:30
- 山行
- 5:42
- 休憩
- 1:23
- 合計
- 7:05
天候 | 1日目(8/23):晴れ 2日目(8/24):晴れ一時ガス 3日目(8/25):晴れ 4日目(8/26):晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2012年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
下山:黒部峡谷鉄道欅平駅 |
写真
感想
1日目(8/23): 晴れ
さわやか信州号は大阪発と新宿発があり同時刻に白馬駅に着く、大阪便は20分も出発が遅れたのに15分早着した。新宿便は扇沢で行方不明者が出て探し回っていたそうでぎりぎりの到着だった。6時30分発の猿倉行のバスがまだ出発していなかったので急いで乗り込み、予定より早く猿倉に入ることができた。7時F澤さんを先頭に歩き出すと空一面晴れ渡り1,245mの登山口も既に気温が上がり、すぐに汗が噴出した。先ずは超メジャー登山道の白馬大雪渓を目指す登山道を歩いた。一旦林道となり左手に鑓温泉への分岐があり登山道が始まった。
樹林帯の登山道は長走沢(ながはしさわ)の南尾根を進み、ちらちらと白馬谷の谷間が見え隠れするが薄い雲が稜線の展望を妨げている。南に折れ中山沢を渡る。白馬岳は日本百名山そして花の百名山でもありこの山麓にも多くの高山植物を見ることができ写真撮影に忙しかった。小日向のコルの手前で傾斜が緩み展望地があり小日向山を望むことができた。下山してきた人達が休憩していたがコルはもう少し先だと言うのでそのまま進むが、標識があるだけで休憩する場所はなかった。
小日向山は1,908mでコルから80mほどの高度差なので立寄りたかったが、道はなく地形複雑しかも池塘があり短時間でのピストンは難しそうで断念した。残雪期に狙う山だろう。2.5万図ではほぼ水平道だが地形図にある沼に向って下って行く。関西人のグループが水場で休憩していて、「絶対美味しいから飲んで行け」と進めるので暫し休憩した。道が変わったのは水場を通すためだったのかもしれない。杓子岳双子尾根と烏帽子岩の尾根に深く抱かれるようなカールの急斜面を駆け下る杓子沢を大きく回り込み雪渓横断するのかと思ったら、残雪期のトレース跡はずり落ちて10mほど下になっている。夏道が出て木橋が架かり難なく横断することができた。唯一の雪渓横断は鑓沢で傾斜が緩く何の問題もなかった。登山道の傍らに元気に咲いているウルップソウを見つけた。10年前に白馬で見て以来だ。
見上げると白馬鑓温泉小屋が見えもう少しだと気が緩んでからが長かった。一旦見えた小屋が次に見えるまで随分時間が掛った。再び見える頃には登山道の脇を湯気の上がる沢が流れ、温泉の小屋に来た喜びに満ちた。10:49、たった4時間に満たない登山で今日一日の行程が終わった。まだ入れないだろうと思い「チェックインは何時から?」と聞くと「もう入れますよ」との天の声、恐らく一番乗り? 先ずは大汗を流しに温泉へ露天風呂は簀の隙間から丸見えで男女混浴、女性専用の風呂も別にあるが狭い。男どもは何の遠慮もなく露天風呂で寛ぎお湯は熱めで長時間入るには辛いものがあった。
寛いでいる間にヘリコプターがやって来て白馬の荷揚げかと思ったがどうも様子が違う。一旦遠ざかってまた寄ってきた今度は近い、ホバーリングの風は木々をなぎ倒すかのように揺らした。長野県警ヘリだ。やがてロープで下りた隊員が一人の女性を抱えて吊上げて飛び去った。後で聞いた話では昨日稜線からの下りの鎖場で転倒し胸? 肩と腰を強打しヘリを待っていたとか・・・
お風呂から上がるとお待ちかねの缶ビール(500mL \600)で乾杯、ウダウダ云いながら語らいのひと時を過ごし、足湯に場所を移した。先客の東京から来た若い女性とお友達になり話しているともう50台だと云うのでびっくり! 5時からの夕食が終ると下界の疲れと夜行バスの疲れから直ぐに寝についた。F澤さんは19:30からの露天風呂女性専用タイムを待っていたが、この2分前から雷雨となり断念した、寝るに限る。
2日目(8/24): 晴れ一時ガス
今日の日の出は5:10、準備が早く出来たので4:50に出発した。ご来光は小屋の少し上で見よう。昨夜の雷雨のお陰か空は晴れ、東に位置する高妻山や草津白根山、浅間山、八ヶ岳、富士山が一面の雲海の上に顔を出し、高妻山の右側にご来光の陽が射した。するすると陽が昇り天狗山荘の稜線が焼け出して此れまた素晴らしい。稜線への登山道は傾斜が増し鎖場を通過し、傾斜が落ち着くとカール内のお花畑は大出原(おおいでがはら)で自然に抱かれ爽快感に満たされた。
前方の斜面に先行した男性の姿が見えた。やがて追い越しみるみる差が付いた。此の男性は白馬までなので遅くても問題ないだろう。左手を見上げると天狗山荘が見えた。やがて稜線に達し今まで見えなかった立山連峰が雲ひとつなく素晴らしく姿を見せてくれた。立山、剱は勿論のこと毛勝三山が大きい。目の前には白馬鑓ヶ岳、白馬岳はその後ろに隠れ見ることはできない。展望を楽しみ出発する頃、一人の男性が追いついた。振り返ると休憩せずに白馬鑓を目指して登って行った。
10年ぶりに来た天狗尾根のことは殆ど忘れている。朝日岳から縦走してきて天狗山荘の前で休憩し水を補充し不帰嶮を越えた。その時に比べると今日の行程は半分だ。天狗山荘の宿泊者はもう皆出発してしまい静か、今回も水事情の良くない唐松山荘で水を買わなくて済むように水を満タン補給した。雪渓の雪解け水は冷たく傍らで缶ビールが冷えていた。鑓温泉より100円安い350mL \500。
天狗ノ頭(2,812m)は今山行の最高所、縦走路を飛び出し山頂域の西端に3等三角点「祖母谷」があり前に見に行った記憶があるが今はロープで立ち入りが規制されている。しかも縦走路の地点の方が高いようにみえ山頂標識もこちらにある。後立山連峰五龍岳(2,814m)、鹿島鑓ヶ岳(2,889m)もドンと聳えていた。北アルプス山中に黒部湖が満々と中の廊下の水を湛え読売新道の先には赤牛岳や水晶岳を従えていた。その東の方に目をやると何処からでも分かる山、槍ヶ岳(3,180m)、其の西には穂高岳(3,190m)が連なっている。そう北アルプスを一望だ。
天狗ノ頭の南尾根を1.2辧△覆世蕕に稜線を歩くといよいよ天狗ノ大下りが始まった。不帰嶮キレットへ急斜面300mを下る。不安な人には鎖も設置されているので慎重に下りれば問題はない。唐松山荘に泊った人が這い上ってきた。その後も縦走者とどんどんすれ違った。キレット鞍部に到るが何の標識もなく一寸残念、登り返すと不帰嶮の領域で唐松山荘に泊った27人のツアーが下ってきた。鬱陶しいので先に行かせ20分程で不帰嶮喫(約2,520m)山頂に到着した。五龍山荘に泊ったと云う宝塚の女性が到着、笑顔の素敵な女性だった。
不帰嶮は岩々でかなり際どいところを登る。前回来た時はこの辺りからガスに巻かれたのと疲れで殆ど記憶が無く、こんなきつかったかな? 喫からの下りは急で80m程下り、登り返しは東側を巻きこむようにして曲(約2,580m)に到った。「曲北峰」と表示がある。曲南峰(2,614m)は不帰嶮の主峰とされ存在感がある。景はピークが3つあり北峰、中峰には登路はなく。南峰と思されるピークには縦走路を離れ踏み跡があり山頂に立つことが出来た。
峰を番号で呼んでいるので1から順番にすればいいのに、態々北峰や南峰を付け加えるのは何故だろうと疑問に思っていたが、八方尾根から見ると喫、曲、景が夫々グループを為している。そう云うことかと勝手に納得した。もうひと登り頑張ると唐松岳(2,696m)山頂に到着した。此処は日本三百名山、唐松山荘から空身ピストンの人で賑わっていた。残念ながらガスが上がり長野県側の展望が無くなった。唐松岳は3度目、前2回はガスで何も見えなかった。
小屋への下りは一転なだらかで13分で到着した。下るだけだと気楽にしていたが小屋よりも下がってしまい最後は若干の登り返しとなった。チェックインは12:30からで早着きの人が並んでいた。本館は800円高く離れの北館なら1泊夕食付で8,000円、雨なら行き来が大変だが、雨の心配もなさそうで北館にした。F澤さんお待ちかねの缶ビールは自動販売機で550円、庭先のテーブルで乾杯した。
今朝八方尾根を登り此処で合流する予定のI藤さんとK玉さんは何時着くだろう? でも余り気にせず寛いでいると15時頃だっただろうか、それなりに元気で到着した。I藤さんとは3年ぶり、K玉さんとは初対面だが食堂で再び缶ビールで乾杯しすぐに打ち解けることができた。夕方になり唐松岳のガスも取れ、五竜岳が姿を現した。夕食は5時から、その後何回転かするようだったが見届けずに寝に行った。
3日目(7/30): 晴れ
5時出発の予定だったが、今日は下りばかりなので、ご来光を見て行こうと云うことになり準備を済ましてその時を待った。小屋の南側八方尾根への下山路の方向に陽が昇った。今日は昨日より雲が少なく北信五岳、志賀高原、四阿山、浅間山、八ヶ岳、富士山、南アルプスがしっかり見えた。5:11ご来光、2日続けて見られる幸運に感謝、昨日合流したI藤さんは小屋の朝食が食べたいとK玉さんと共に後発することになった。朝焼けの立山・剱岳は下山しながら見た。唐松岳の南西尾根にトラバースして下る。唐松山荘のテン場は小屋から50mほど下った所にあり小屋・トイレへの往復が遠い。下山路はテン場の中を通りトラバース道へと向う。結構険しい道で鎖場もある。「歩き出して1時間経っても小屋が見えるようだったら祖母谷温泉には行き着けないので諦めて戻ること」と唐松山荘では云っているそうだ。歩き始めて49分で尾根乗越に到った。此処を曲るともう唐松山荘は見えない。先ずは先に進んでよいと云うことか! 小屋の標高2,620mから350mも下った。この下りの事を「馬鹿下り」と云う。唐松山荘よ、また来る日まで。
唐松南西尾根を乗越して北側に抜けるが急斜面は依然続き、西に流れる枝尾根に乗って再び尾根を外れ下降した。軈て木道が現れ餓鬼谷に最も接近する水場の分岐に到った。この辺りは沼が点在し一寸した池塘群となっている。再び登り返すと大黒銅山跡の広場に到った。精錬屑の邸覆らみ)と思しき山が池に落ち込み過去を物語っていた。
大黒銅山は明治39年地元の猟師松沢菊一郎によって発見され大正13年まで採鉱されていたと云う。坑口は水場の先、餓鬼谷の左岸に十数ヶ所残っているようで五龍岳の麓が掘られていた。操業時は登山道沿いに精錬所や事務所、宿舎などがあったようだ。こんな山奥からどのようにして鉱石を運び出したのだろう? 富山県側では明治38年の祖母谷温泉の開湯の前年に黒部川沿いに林道振興のため道が通じた。道と言っても釣鐘までは6尺幅、その奥は3尺幅の小道であったそうだ。白馬村からは平川の左岸から二本松尾根を登り雪渓に出てガラ場を詰め、大黒岳の肩から餓鬼谷に下りたと云う。(「大黒鉱山をめぐる人々 菊池今朝和」から引用)
大黒銅山跡からは餓鬼山(2,128m)への登り返しとなり背中を陽が照らした。水場分岐からの標高差は280m、今日唯一の山で昨日天狗尾根から見たように瘦せ尾根が長い。餓鬼山は縦走路から外れ5m程入った処が山頂だ。3等三角点「上餓鬼」があり西側は見えず東側の天狗ノ頭、不帰嶮、唐松岳、五龍岳等が望めた。山頂標識は根元から折れていたので持ち上げて記念撮影をした。昨夜唐松山荘に泊った男性がやってきた。6時前に出発したそうだがI藤さん達は抜いていないと云う。
西斜面は急でロープが下がる処もあった。標高2,000mを切ると若干なだらかになり、少し登り返してP1919、何もないので通過し餓鬼山避難小屋を目指した。小屋の前に池があるが飲用には適さず、他に水場はない。昨日の午後馬鹿下りを下りて行った人がいたので此処に泊ったのでは? とノートを見るが8/22から書き込みはなかった。I藤さん達が見るかもしれないので9:20到着、休憩と書き込んでおいた。次の目標は“餓鬼ノ田圃”、2.5万図では右手に顕著な湿原があることになっていたのでそればかり探していたが左手に沼が見えた。振り返ってみると指導標に“餓鬼ノ田圃”とあった。昭文社地図には何のことはない。左手に描かれていた。藪を抜けると沼尻まで下りられた。
尾根の南側をトラバースするように付けられた登山道は歩き難い。奥鐘山との鞍部南越峠から谷間を下る四十八曲りとなるが南越峠を確認できないままいつの間にか四十八曲りを下りだしていた。何度も折り返し(数えてないが)48曲った処で南越沢の河原に出た。餓鬼山で追い越して行った男性が休憩していた。餓鬼の田圃も南越峠も分からず「旧道に入るな」の表示もあり不安になっていたそうだ。此処まで来れば祖母谷温泉は近い。未だ早いので大休止を取って、湯を沸かして昼食&コーヒータイムにした。沢屋が一人登山道を登って来て此処から南越沢に入渓した。餓鬼の田圃に到る傾斜は半端じゃなく果たして遡行できることやら・・・
南越沢の左岸を高巻く登山道はやはり厳しい。枝尾根を渡るため大きく登り返したり木の根に阻められたりの大変な道で祖母谷温泉のある谷間が近づいてくると嬉しい。南越谷が先ず祖父谷に合流し、直ぐ先で祖母谷に合流した。トラス橋で両谷を渡り、昨日と唐松山荘に着いた同じ時刻に祖母谷温泉に到着し早速チェックインした。直ぐにビールを飲みたいと云うI澤さんを宥め先ずは温泉に入り身を清めた。男女交互の内風呂と男女別の露天風呂があるが男性用は極解放的、テン場への道から丸見え状態。祖母谷温泉の標高は780mで下界の暑さで風呂上がりにエアコンもなく汗が止まらない。こうなると内側からビールで冷やすしかない。350ml \400、高度と共に値段も下がってきた。
露天風呂横のテーブルでは同宿の登山者を巻き込んで山談義、餓鬼山であった西宮の男性、白馬から下りて来た東京の女性、同じく白馬から来た京都の夫婦、此の夫妻は歳の差24歳で親子かと思っていた。唐松から下りて来た男性は大黒銅山の河原でテントを張り、南越沢で落っことしてきた雨具とファーストエイドキットを拾って来てくれた。明日は白馬へ登り返すと! そして我々の仲間、I藤・K玉組は15時過ぎ比較的元気に下りて来た。その後地元の女性が一人欅平からやってきた。あす未明に歩き始め白馬を往復すると云う、何んと凄い人がいるものだろう。此れで終わりかと思えば名古屋大学の学生5人が唐松岳から下りて来た。皆疲労困憊で全く元気がない。I藤さん達にも抜かれたと云う。室堂から入り、何んとアルペンルートで扇沢に出て針ノ木から縦走してきたそうで、此処でデポしていたザックを受け取り白馬から蓮華温泉に一旦下り栂海新道を下るそうだ。綿密な計画だったのだろうがお粗末なのは体力が付いて行っていないこと!
祖母谷温泉の醍醐味は河原の露天風呂、源泉が祖母谷の河原から噴出し谷の冷たい水と混ぜ合わせて浸かる。囲いなどは全くないので開放的だ。女性は水着持参が良い。夕食は6時からまたビールを飲んで談笑、部屋に戻り持参のウィスキーなどを楽しみ9時寝についた。
4日目(8/26): 晴れ
今日は欅平駅まで歩きトロッコに乗って帰るだけだ。小屋の朝食を食べ8時前に出発し、祖母谷林道を歩いた。400m弱のトンネルを抜けるとトラス橋があり、橋桁には歩道分の板が渡されているだけだった。その先では斜面が崩壊し土砂に埋まり車での通行を阻めていた。欅平まで1劼曚匹僚茲貌本秘湯の会に属する名剣温泉があり林道の先には「登山者以外は通行止め」の表示看板が立てられていた。秘湯の会の更に奥の超秘湯に泊った満足感にニンマリとした。
乗車する始発のトロッコ列車の前に工事列車が走り、元関西電力の専用線だった事を物語っている。下り列車が観光客を乗せて到着し、目の前を通り過ぎ奥の方に停車、ポイントが切り替わり上り列車が据え付けられた。客車は、屋根はあるが壁のない無蓋貨車のような構造で真夏には最適、トンネンルに入ると涼しい風に包まれ爽快だ。窓のある客車はリラックスカーで520円の別料金が必要。下山する山屋は皆この列車で切符を買うと号車が指定され6号車は我がパーティー5名の貸切状態だった。
宇奈月でK玉さんと分れ、富山地方鉄道に乗換え富山を目指した。富山行きだが魚津でJR北陸線に乗換えた方が安くて速い。京都のご夫婦以外は皆乗換えた。尤も東京組は“はくたか”で反対方向に向かうのだが。ここで今回のパーティーも解散、西宮に帰る男性と二人北陸線の普通に乗り込んだ。富山駅で再び京都のご夫婦に会い同じ“サンダーバード”で帰京した。
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