北穂東稜(5連休の穂高行きは初日体力切れリタイア)


- GPS
- 32:00
- 距離
- 35.6km
- 登り
- 2,000m
- 下り
- 2,000m
コースタイム
05:20 上高地出発
05:50 明神館
06:30 徳澤
07:20 横尾
08:20 本谷橋
09:30 涸沢分岐(涸沢小屋方面へ)
09:50 涸沢小屋、ハーネス等着用
10;20 涸沢小屋出発
11:30 南稜ルートからはずれ、トラバース開始
12:30 P2658へのトラバースを断念、すぐに稜線へ
13:00 稜線 ザックをデポ
13:30 P2658
14:00 テポしたザックを見失う
14:20 ザック発見、東稜登はん開始
15:30 東稜のコル
16:50 北穂高北峰山頂
19:00 30段のはしご。道間違えと勘違いする
22:00 涸沢ヒュッテ、ビバーク
9月19日
02:00 涸沢ヒュッテ出発
06:10 横尾
07:30 徳澤
08:50 明神館
10:00 上高地バスターミナル(帰宅便の変更手続き)
以後、小梨平のお風呂で湯治、梓川沿いを徘徊
15:00 さわやか信州号にて帰宅
天候 | 18日、晴れのち雨、深夜時々快晴(天の川はっきり)。19日、曇りのち晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2015年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス
|
コース状況/ 危険箇所等 |
北穂東稜は一般登山道外のバリエーションルートです。バリエーションルートとしての難度は高くありませんが三点支持で岩場を登はん、下降する技術が必要です。また1箇所ザイルを使う(懸垂下降する)場所があります。ザイルなしでも無雪期の晴天時なら何とかなるかもしれません。 取り付くには、一般(南稜)ルートが南稜へ左折していく部分、ハイマツ帯の切れたあたりの谷から稜線によじ登ります。 |
その他周辺情報 | 涸沢を朝に出れば悪天候でない限り楽に日帰りできると思います。 |
写真
装備
備考 | ロープ50m ヘルメット ハーネス エイト環 安全環つきカラビナ数枚、スリング各種、カム一個 (結局今回登はん具の出番なし) ナイフ 雨具上下 ゴム引き手袋 地図 磁石 スマホ(緊急時連絡用) ビバーク関係 ダウン上下 ウールミトン オーバーグローブ(雨でぬらして役に立たず) シュラフカバー ビバークツエルト ヘッドランプ 食料関係 黒砂糖 マヨネーズ アミノサプリ 飴(レモン味) 水最大2L 健康関係 サングラス、日焼け止め 医薬品 絆創膏、サージカルテープ、痛み止め、虫除け |
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感想
今回は有給1日を含めた5日間で穂高の岩場を歩きまわるつもりで意気込んでいた。出発一週間前までサーキットトレーニングで追い込んだ効果は出ていたと思っていた。出発数日前のジョギングではこんなに体が軽いと感じたことはないほどであった。
登山の準備は午前3時の諏訪湖インターチェンジの休憩から始まった。足指やかかとを靴擦れや打撲からを守るためにテーピングし(結果的にそれでも傷めた)、長い入山に備えて最後のひげそり、朝食(夜食?)、トイレを済ませた。
上高地では下車と同時にまず記入済みの登山計画書を投函する。戻ってくることには自分のザックがおろされている。靴紐は上高地に入ると同時に締めてあるから、あとはザックを担いで歩きだすだけだ。太平洋沖にいる台風20号が気になっていたが、つり尾根を見る限り、ガスって入るが空は明るい。きっと晴れるだろう。明神岳5峰がガスの上にはっきり見え出した。前穂、屏風の頭も朝日に輝きだした。上天気を予感させ、まさか日焼け止めとサングラスの出番がないとは予想できなかった。
涸沢までは谷底を歩くのと、木々の下を歩くので日はあまり当たらず、かんかん照りでもそれほど暑くはない。平日の午前中ということもあり、超人気コースも割りとひっそりとしている。懸念された涸沢渋滞もなく快適に歩き続けた。
面白いもので、涸沢はこれまでに2回来たことがあるのだが、2回とも残雪期だった。涸沢といえば紅葉だが、自分にとっての涸沢は純白な圏谷の印象が強い。しかも初北アルプスが涸沢であり、ザイテンを登高していく登山者をうらやましく見守ったことを覚えている(ちなみにそのとき自分は横尾まで引き返してテント泊し、翌日蝶ヶ岳、長塀山を経て徳澤へ下山した。これが自分の初北アルプス登山だった)。
残雪期は涸沢の谷底を歩いてカールへ向かうので、屏風側の登山道を山腹を巻くようにして歩くのは新鮮だったし、横尾本谷側の美しい稜線が見える。この段階ではまだお天気上々であった。
さらに無雪期にやってきて、涸沢と言うものの渓流があることに今回はじめて気がついた。美しい水の流れだが、テント場の下流だから、衛生上はやや不安かな。草紅葉は多少進んでいた色だったのかもしれないし、ナナカマドなど色づいていた木も少しはあったようだが紅葉はまだまだこれからという感じであった。
今まではヒュッテのほうに行っていたが、今日は北穂だから涸沢小屋へ行く。小屋は素通りして、ヘリポート前あたりでヘルメットやハーネスなどの身支度をした。この場所からは正面に本日の核心部分、ゴジラの背が見えた。そしてずっと下に小さな滝がある。この滝を含む沢のことをゴルジュと呼んでいるのであろう。今回はこのゴルジュの上あたりで沢をトラバースするということになっていた。低木、ハイマツなどを縫う一般コースを歩きながらトラバース点を探ったが、これだというものには出くわさず、ハイマツ帯をぬけたガレ地でトラバースをすることに決めた。
一般道の途中で軽いにわか雨にあう。下山者の方と「降ってきちゃいましたね」「すぐやむと思いますけれど」などと声を掛け合いながら、このときは本の軽い通り雨くらいだろうとしか考えていなかった。
東稜へは通常ゴジラの背のさらにこぶ二つくらい下の谷を登っていくらしいが、東稜をずっとなぞっていくと、下りきった先に少し出張ったピーク(地形図上には高さ2658と記述、三角点なし)がある。せっかくならあの先端まで行こうと考え、トラバースを試みた。ところが、途中浮石が余りにひどい。小石の落石が大岩のバランスを崩して大規模落石にでも至ったらと考えるとリスクが大きい。かくて長いトラバースは断念し、通常のコースから稜線に出た。稜線に出ると、ピークへの道は広くて安定していて。結果的に一般コースから取り付いたことは正解であった。ザックをデポしてP2658へ向かって下った。岩も乾いていて、ぴょんぴょんと跳ねるようにしてあっさりと、ピークについてしまった。誰かがデポに使ったのか、さびた石油の一斗缶やボロなどが落ちており、それなりに人が来るところではあるらしい。ピークにちょっとした尾立ち台のような大岩があり、その上で記念撮影。そういえばここにゴジラの背びれそっくりな岩列があったが撮影を忘れてしまった。
さて、来た稜線を再び山頂側に戻り、いざ東稜の登はんに取り掛かろうとするがデポしたザックがない。もしや転がって谷底に落ちたか!?ビバークしようにも、ジャケットとキャンディー、ザイルしか持っていない。財布や免許も全部ザックの中だ。最悪、谷へ降りて「遭難者」の捜索、収容にあたらねばならない。さらに悪いことにガスが出て、雨が降り始めた。今度はにわか雨というよりは本降りだ。先ほどすたすた歩けた稜線がすっかり濡れてしまい。滑らないように気を使わなければならない。ガスのせいで、行きには見えていたピークまでの稜線がすっかり見えなくなってしまった。この条件で谷へ下るのか?
いや落ち着け。登り返すときに違う道を歩いたのかもしれない。稜線は結構広いし、自分は北穂沢側から稜線を下ったが、登りは横尾谷側を歩いていなかったか?稜線を再度少し下りながら目を皿のようにして稜線を探すと、果たして、ザックは滑落することなく稜線上の少しくぼんだ箇所で自分を待っていた。大きく息をつき、荷物を担ぐ。さあ登ろう。
トラバース地点から稜線へ向かう途中は浮石が多くて神経を使ったが、稜線の登はんは岩も安定していた。濡れてさえいなければ快適に登はんすることができたかもしれない。とはいえ、岩が浮いていない保証はない。両手でつかんでいる畳ほどの大岩がごっぞり抜けて墜落するということもありえるから、つかんだときの手ごたえには神経質になる。
途中1箇所足がかりはあるものの完全に断崖の外に体を置いてトラバースする箇所が距離にして2mほどあったが、それ以外はガスと雨で視界の悪いせいもあり、浮石を中心に神経を払えばいいというやや単調な登はんになり、気がつくと何か残置物。人がいるのかと思ったが近づいてみるとロープスリングであった。懸垂下降点についてしまったのだ。下を見てみると、ザイルなしでも難しくないようなので、そのまま降りてしまった。直接懸垂下降のルートを降りずに、北穂沢側へ少し降りてからトラバースして、滑りそうな凹角をかわすのが手抜きのコツ。
かくしてゴジラの背をゴジラらしく楽しみもせず、東稜のコルまでたどり着いてしまった。ここで東稜をやった人は歩いてきたやせ尾根の写真をとることが多いのだが、ガスでそこに尾根があることすら見えないではないか。しかたがない、後は北穂小屋とその裏手(!)の山頂を目指すのみだ。稜線が再び広くなり、高度感は緩和されるのだが、距離は結構長い、二つのピークを越えてようやくガスの中に北穂小屋が見えてきた。この間雨とガスで眺望なし。前穂北尾根も見えず、もちろん槍なんてどこにあるのという感じであった。岩が濡れていてペースが落ちるのも手伝って、登頂は午後5時だった。
ここで北穂小屋に泊まればいいものを、今回の訓練のひとつはビバークツェルトを使っての宿泊だというわけで、スルーしてしまった。しかしこの寒さはともかく、冷たい雨の中で稜線のツェルト泊大丈夫なのか。確かにテントであれば絶対大丈夫であることは何回も経験しているし、気温的にも今年は去年に比べると、上高地も暖かだったから大丈夫ではないか。でもずいぶん風も吹いていて、泊まったときの冷えはまだ計算できない、、、。結局、迷ったら下山だ。というわけで、涸沢まで、あるいは少なくともその前の安全圏まで下山することに決断した。一般道であれば日没後でも用心すれば事故にあうことはない。それは2014年の重太郎新道で経験済みだ。
松涛岩がでかくそびえて登はん欲を誘う。たぶんこれに登ることはないだろうが。テント場を通過するとテントはぱっと見ふた張り?明朝は前穂北尾根が見えるし、ご来光狙いの登山者のヘッドランプの列が夜明け前には楽しめるかもしれない。でも自分はただ下るだけ。
日没後の下山の鉄則は二つ。足元を確かめること、必ずペンキマークをたどることだ。何時間かかっても大丈夫。ペンキマークを探すのは日中ほどではないが、北アルプスの一般コースは地下街の非常口マークよろしく、ルートに立っている限り必ずマークが目に入る。自分の勘は信じないことだ。雨とガスの中だとヘッドランプの光がさほど遠くまでは届かない。足元はともかくペンキマークを探すときには用心深さが要求されるのだが。
暫くしてルートがハイマツ帯に入った。どうやら登りで使った一般道に入ったらしい。ここまでくれば涸沢まではあと一息だ。午後7時、このバツ印とトラロープ、ザイテングラードへショートカットする「けもの道」へ迷うことをとめるためのバツだったな。登りでも見た(結果的にこの見たという記憶が間違えであった)。でもこのはしごはなんだろう?登りでははしごは登らなかったはず。怪訝に思いながらはしごを下ると、いつまでも下につかない。ようやくはしごの下に着くと、浮石だらけのざれ地だ。そしてあっちにもこっちにもバツ印。これは道を間違えたのではないか。はしごを登り返し、踏み跡のようなところをひとつ、ひとつたどってみるが、やぶこぎのようになり、どう考えてもそちらは一般道ではない。しかし、このはしごの下の道のざれ具合を考えると、このはしごも廃道ではないか?行きにはしごを使った記憶はないし。
そのように考えながら、長いはしごを昇り降りすること2、3回(段数を数えてみると30段)、最終的にははしごの先のざれ地を少し降り、ペンキマークが有るか無いかを確かめることにした。とはいえ、トラロープは記憶にあるし、もしもはしごが廃道であったならば、はしごにバツ印がついて、入り口をふさぐなどして通れなくするはずだろうと考えたのだ。少なくともこんなしっかりしたはしごは道である可能性が一番高い。そういえば、地図にもはしごがあると書いてあったのではないか。かくしてはしごを降りていくことにした、ざれた下りをもう少したどると、ペンキマークを発見した。これはルートに違いがない。登りではぼんやりしていてはしごに気がつかなかったのだろう。30段もあるはしごを気づかずに上るのだろうかと思いながらも、ペンキマークを信じてさらに下山した。
道はガレている、ガレているかと思うと一枚岩の斜面に長い鎖がぶら下がっている。そして雨は降り続き足元は滑りやすい。一般ルートのほうが東稜よりもしょっぱいのではないか。それにしても、登りは鎖もはしごもなかった。自分は登りで歩いていない道で下山しているのか。結果的にはそのとおり、のぼりでは歩いていない道を歩いて下山していたであった。つまり、登りの道に合流していたという考えのほうが間違えで、まだ合流点ではなかったのだ。登りでトラバースしたガレ地はまだその気配を現さない(周りの景色は見えないので道の両側の植生だけから判断するしかない)。とりあえずこの道は登山道に違いないから下山するのみだ。
ずっと下に明かりが見えたのが8時ごろか。涸沢ヒュッテだ。ここまでくれば一安心。どうやら、今度こそ登りで通った道と合流したのであろう。乾いたところを探してビバークするか。だが、山小屋がこんな時刻まで電灯をつけているのはなぜだろうか。もしかして、自分のヘッドランプが見えたから、下山してくるまでビーコン代わりに点灯しているのか。もしそうだとすると、ここでビバークしてヘッドランプを消したりしたら、転倒でもしたのではないかと心配するのではないか。ならば涸沢まで降りなければなるまいというわけで、こつこつと下山を続けた。ここまでで行動時間はすでに15時間になんなんとしている。15時間までは経験があるけれども、この先は初挑戦だ。さすがにくたびれてきたが、サーキットトレーニングしてきた甲斐はあり、濡れたガレた下りでも、着地は安定している。もちろん、一歩一歩、スリップだけは避けなければならないから、ペースはぐっと遅くなる。ゴルジュの滝の音を過ぎても、なかなか涸沢小屋の気配が見えてこない。何とか涸沢小屋裏の滝の音が聞こえてきたのが10時近かった。
小屋横からヒュッテまでは、石畳らしきところをたどった。道のつもりがテント場のはずれにぶつかったらいやだなと思ったが、石畳はまっすぐヒュッテまで通っていた。ヒュッテは寝静まっていて、待ち構えていたスタッフに叱られるということはなかった。ずいぶんと贅沢な常夜灯のようなが。
とりあえず寝て、テント場の使用量は明朝支払おうということでツエルトをかぶったが、一番小さいサイズのツエルトなので横になると足から風が入るので眠れない。ひざを抱えてうなだれて眠る。こういうことには慣れているつもりであったが、目を覚まして時計を見るとまだ深夜0時。このあとは眠れない。疲れているのに疲労を抜けない。この体調で明日以降の縦走を続けられるのか。中断するにしてもまず寝よう。3時にもなればご来光組が起きて登はんを始めるはずだ。寝ようと思うのだが眠れない。横にもなれない。うなだれていると首ばかり痛くなる。時計を見返しても一度に10分くらいしか時間が経過していない。
9月19日午前2時。眠れそうもないので、下山を決意した。この疲労度で前穂北尾根をやるのは危険だろう。4時間も逗留していないことだし、今回はテント場の使用料は勘弁してもらおう。ツエルトを丸めるだけなので出発には5分もかからない。近くのテントでも超早出組が食事の支度を始めているようだ。横尾のペンキマークをたどって涸沢小屋を後にした。
ビバーク中眠った時間は2時間程度であり、17時間近い行動時間のあとで、果たして足が前に出るのだろうかと心配したものの、歩き始めは、予想以上に歩けた。もう這うような勢いで歩くのかと思ったのであるが、たった4時間足らずの仮眠であっても足のほうはかなり回復していたようだ。
しかし、ペースは横尾本谷近くになってがっくり落ちてきた。眠いのだが、睡魔というほどではない。睡魔であれば、いっそ登山道脇に横たわってでも寝なおしてしまうのだが。とりあえず、本谷橋を越えてしまいたい。橋を越えれば道はずっと楽になる。ところが激流の音が聞こえるが、いつまでも水の音は谷底深くから聞こえていて、本谷橋が見えてこない。途中で行動食休憩を2回くらい入れたほどであった。これを下れば橋だろうという期待を何度も裏切られてから、やっと吊り橋に到着した。吊り橋の揺れに対応できずに転ぶのではないかと心配したが、実際に歩いてみると、体はまだ吊り橋の揺れをうまくいなしてしまうだけの身体能力を残していたようだが、スタミナ的にはもう限界に近い。しかしまだ上高地ははるか遠い。
本谷橋を過ぎてからは、ある程度時間が計算されるのであるが、コースタイムと願望タイムは異なる。本谷橋から横尾まで2.9kmということは今のペースでは1時間近くかかるはずであるが、15分経って道が良くなり出すと、あれが横尾大橋かと思う影を何度も見るのだが、いずれも木の幹であった。距離は正直である。ペースがペースな以上、時間が極端に短縮されることがない。
2時に涸沢を出発したのだがようやく横尾についたときには6時過ぎ。外は明るくなっていた。横尾大橋前の丸木ベンチに横になろうとするが首が痛くて頭をつけられない。寝違えとザックの荷物のせいで首が曲がらなくなっているようだ。それでもこうして背中をどこかにちゃんと横たえたのは木曜晩の高速バス以来、25時間ぶりであった。
靴下を見ると、かかとに1円玉大の靴擦れができていてびっくり。これは痛いわけだ。いままで何度も履いていた靴なだけに、衝撃と関係する爪の痛みはともかく靴擦れのほうは驚いた。絆創膏で応急手当をして、上高地を目指した。
ここから上高地までのコースタイムは3時間以上。たぶんコースタイムよりも遅いから、休憩込みで4時間くらいかかるのではないか。でも早く上高地について帰りのバスを取りたい。こう思うときの帰り道は実に厳しい。首が痛いのと荷物の重さでずっとうなだれて歩いている。本来ならばさわやかな朝のハイキングコースなのだが、、、。
大部分の入山者は今日(土曜日)朝に上高地入りする。7時くらいになると徐々に道が混んでくる。彼らは穏やかな秋晴れの穂高連峰を満喫できるのであろう。それにしてもみんななんてすごいペースで歩いているんだと、自分の行きのペースのことは棚に上げて感心するほど、くたびれていた。
時々立ち止まって首やこめかみを押さえている自分を見て、前の晩に山小屋で酒を飲みすぎたハイカーかと思ったかもしれない。
とにかく歩いていればいつかは上高地に着くと言い聞かせながら、横尾で想定したとおり、上高地バスターミナルまで約4時間かけて10時ごろに到着した。まずは帰りの足の確保というわけで、新宿方面のバスを予約しなおした。連休初日の新宿方面だからか、予約はあっさり取れてしまった。あとは小梨平の風呂が開く12時まで濡れた山道具や財布とその中身(ビニールに入れ忘れた!!)を乾かした。とはいっても、ピクニックテーブルに紙幣を並べるわけにも行かず。万札一枚だけ乾かして、それで風呂代も食事代もまかなうことにした。
12時10分前には小梨平の風呂を使うことができた。広くて清潔で気に入っている。湯船につかると首が回るのだが、湯船から出て暫く経つとまた回らなくなる。首だけではなくて体重を支える筋肉との関係があったのか、興味深いところではあるが、辛いものは辛い。
入浴後、梓川沿いを歩いて、生きて帰れたことを穂高の神様に感謝した。バリエーション三昧はまだお前には早いということなのであろう。力をつけて出直すことを誓った。
15時のバスで早々に新宿へ引き返したが、バスの運転が結構激しくて、カーブの度に首が痛くて難儀した。
今回の登山もある程度ぎりぎりの条件になることは覚悟の上だったが、ビバーク地点の見極めを誤ったことは失敗であった。ツエルト泊はテントよりも条件が厳しくなるのだから、東稜のコルか、せめて北穂山頂でビバークしても良かったのではないか。その前にもう少し楽な条件で、たとえば涸沢でツエルト泊を1泊経験した上で二日目に北穂東稜を目指すのが堅実な選択肢であっただろう。サーキットトレーニングの効果で岩稜自体は安定して通過できたので残念だが、山登りは総合力勝負なので仕方がない。
ビバークツエルトは横になれないので、背もたれになるものがあるところがビバーク地の重要な条件のようである。体育座りに近い姿勢で一晩過ごすのはかなり厳しい。実はツエルトはあきらめてシュラフカバービバークということも考えてもよかった。なお、薄手のダウンと雨合羽の上にツエルトをかぶると、寒さはほぼ防ぐことができた。雨で濡れた服の乾燥を待つほうが辛かった。手は厚手のミトンをビバーク用に濡らさぬようパックしてあり、雨で冷えた手先を暖めるのに大いに役立った。
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