■8:19、JR山中溪。もう少し早く来たいのだが、時刻はまずまずか。この駅は桜の名所らしく、桜と電車を撮る人がホームの端にたむろしていた。駅近辺だけでなく、川向こうにも桜並木があるらしい。
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4/6 8:19
■8:19、JR山中溪。もう少し早く来たいのだが、時刻はまずまずか。この駅は桜の名所らしく、桜と電車を撮る人がホームの端にたむろしていた。駅近辺だけでなく、川向こうにも桜並木があるらしい。
ここは熊野古道であり、紀州街道でもある。ここに、山中宿、山中関もあった。それにまつわる見所もあるらしく、なかなか楽しい看板だ。
前回うどんを食べた大衆食堂。おっちゃんも店開きしだした。平日だが、それなりのお客さんは見込めるのだろう。喜ばしいことだ。
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4/6 8:19
ここは熊野古道であり、紀州街道でもある。ここに、山中宿、山中関もあった。それにまつわる見所もあるらしく、なかなか楽しい看板だ。
前回うどんを食べた大衆食堂。おっちゃんも店開きしだした。平日だが、それなりのお客さんは見込めるのだろう。喜ばしいことだ。
「葛城二十八宿経塚 第四番」を載せておく。宿場の外れ、山中関跡の碑の横にある。もっとも、第四番は国境付近の境谷入口にある、桜地蔵とも言われている。
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4/6 8:23
「葛城二十八宿経塚 第四番」を載せておく。宿場の外れ、山中関跡の碑の横にある。もっとも、第四番は国境付近の境谷入口にある、桜地蔵とも言われている。
■紀泉国境にある境川と境橋(8:53)ここは葛城修験の行所でもある。
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4/6 8:53
■紀泉国境にある境川と境橋(8:53)ここは葛城修験の行所でもある。
■8:55、葛城二十八宿経塚 第四番経塚 桜地蔵
ここは「入江宿」とも言われている。階段を登っていったところにあるヤマザクラは花が終わっていた。1週間前は花盛りだった。
ここから境谷に向かう。境谷村の薬師堂、日吉神社、地蔵寺は修験の行所らしい。境谷村も入江宿の範疇らしい。行者さんは境谷にはいり、槌ノ子峠を越え、楠畑、押川と通って、根来寺に向かったようだ。
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4/6 8:57
■8:55、葛城二十八宿経塚 第四番経塚 桜地蔵
ここは「入江宿」とも言われている。階段を登っていったところにあるヤマザクラは花が終わっていた。1週間前は花盛りだった。
ここから境谷に向かう。境谷村の薬師堂、日吉神社、地蔵寺は修験の行所らしい。境谷村も入江宿の範疇らしい。行者さんは境谷にはいり、槌ノ子峠を越え、楠畑、押川と通って、根来寺に向かったようだ。
■9:04、境谷に向かう途中、境谷川が尾根を回って湾曲して、道が尾根を切り通しで乗っ越す所の岩窪に地蔵さんが祀ってあった。
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4/6 9:02
■9:04、境谷に向かう途中、境谷川が尾根を回って湾曲して、道が尾根を切り通しで乗っ越す所の岩窪に地蔵さんが祀ってあった。
■9:09、境谷村の薬師堂
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4/6 9:12
■9:09、境谷村の薬師堂
■(9:12−9:30)すぐ近くの日吉神社にお参りした
本殿らしきお社を中心に左右に小さな社がある。
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4/6 9:22
■(9:12−9:30)すぐ近くの日吉神社にお参りした
本殿らしきお社を中心に左右に小さな社がある。
日吉神社という限りは、近江・坂本の日吉大社からの勧請だとは思うが、よくわからない。とりあえずセンターだけ写した。
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4/6 9:24
日吉神社という限りは、近江・坂本の日吉大社からの勧請だとは思うが、よくわからない。とりあえずセンターだけ写した。
■9:32、民家の横の路地みたいな道をいく。古びた道標があった。ここが葛城巡行道のようだ。
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4/6 9:32
■9:32、民家の横の路地みたいな道をいく。古びた道標があった。ここが葛城巡行道のようだ。
しかし、谷にできた畑をはさんで向こう側(右岸)にも道がある。どうやら、向こうのほうが道はよさそうだ。地理院地図の破線路も右岸を通っているし・・・
右岸の道に行ってみると、「不動命」と書いた板となにやら梵字らしきもの彫ってある石碑があった。これを見て、こちらが旧道だと判断したのだが・・・・
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4/6 9:34
しかし、谷にできた畑をはさんで向こう側(右岸)にも道がある。どうやら、向こうのほうが道はよさそうだ。地理院地図の破線路も右岸を通っているし・・・
右岸の道に行ってみると、「不動命」と書いた板となにやら梵字らしきもの彫ってある石碑があった。これを見て、こちらが旧道だと判断したのだが・・・・
■9:47、見事な道だったが、あれ!道がなくなったぞ。
無理やり登って行くと、ヌタ場が出てきたし・・・しょうことなしに、最上部の段上に上がって10分ほど休憩した。
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4/6 9:49
■9:47、見事な道だったが、あれ!道がなくなったぞ。
無理やり登って行くと、ヌタ場が出てきたし・・・しょうことなしに、最上部の段上に上がって10分ほど休憩した。
■10:06、もっと上に谷道が通っているものと考えて探していると、赤テープがあった。岸をよじ登るときれいな道が出た。
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4/6 10:19
■10:06、もっと上に谷道が通っているものと考えて探していると、赤テープがあった。岸をよじ登るときれいな道が出た。
念のために下ってみると、左岸をきれいな道が続いている。谷からの高さは10mほどあるので、この道は右岸から分離したものではないだろう。谷の出口で見た道が続いているのだろう。なんや、最初から間違ごうたんか。
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4/6 10:09
念のために下ってみると、左岸をきれいな道が続いている。谷からの高さは10mほどあるので、この道は右岸から分離したものではないだろう。谷の出口で見た道が続いているのだろう。なんや、最初から間違ごうたんか。
■10:23、槌ノ子峠着。ここでまた休憩。休んでばかりやけど、峠では休まんとね。
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4/6 10:23
■10:23、槌ノ子峠着。ここでまた休憩。休んでばかりやけど、峠では休まんとね。
ちゃんと葛城巡行の道標もある。なお、この峠は四つ石山や、川上新道経由で昭和山への取り付きでもある。
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4/6 10:23
ちゃんと葛城巡行の道標もある。なお、この峠は四つ石山や、川上新道経由で昭和山への取り付きでもある。
旧畑地(田地?)はササの密生する場所になっているが、ちゃんと刈り込みがしてある。
■10:36、国境(府境)を越えて次の溪に出会う所に道標があった()
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4/6 10:36
旧畑地(田地?)はササの密生する場所になっているが、ちゃんと刈り込みがしてある。
■10:36、国境(府境)を越えて次の溪に出会う所に道標があった()
10:57,信達楠畑の集落
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4/6 10:57
10:57,信達楠畑の集落
■11:01集落を過ぎた頃、東に入る関電道があった。ここを遡る。
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4/6 11:01
■11:01集落を過ぎた頃、東に入る関電道があった。ここを遡る。
関電道の火の用心があった。多分、送電線が横切るあたりに来ているんだろう。
■11:25、もう少し先に行くと「道の駅」看板があった。
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4/6 11:25
関電道の火の用心があった。多分、送電線が横切るあたりに来ているんだろう。
■11:25、もう少し先に行くと「道の駅」看板があった。
■11:30、峠着。
この峠は信達楠畑から、信達葛畑に抜ける近道で、それなりに使われたのだろうが、今は関電道か川上新道をいく物好きハイカーしか通らないのだろう。峠名は知らないので、楠畑越え、あるいは葛畑越えとしておこう。
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4/6 11:31
■11:30、峠着。
この峠は信達楠畑から、信達葛畑に抜ける近道で、それなりに使われたのだろうが、今は関電道か川上新道をいく物好きハイカーしか通らないのだろう。峠名は知らないので、楠畑越え、あるいは葛畑越えとしておこう。
谷川に架かる橋を渡って、結局は南の小さな尾根を乗り越す感じで下って行く。イノシシ避けの手動扉を通過すると・・・
■11:57、国道が見えてきた。国道を右手に行けばすぐに道の駅だ。道の駅で、ソフトクリームを食べた。よいエネルギー補給だ。ここで水補給して、甘夏を買った。ゆっくりと、20分程休憩。
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4/6 11:57
谷川に架かる橋を渡って、結局は南の小さな尾根を乗り越す感じで下って行く。イノシシ避けの手動扉を通過すると・・・
■11:57、国道が見えてきた。国道を右手に行けばすぐに道の駅だ。道の駅で、ソフトクリームを食べた。よいエネルギー補給だ。ここで水補給して、甘夏を買った。ゆっくりと、20分程休憩。
道の駅周辺はそうでもなかったが、少し南に行くと周囲の景色には唖然としてしまう。岩出市域だが、岩出とは岩が出るから岩出なのか!
「埃たつ風吹きくぐり岩出かな」
■12:21、旧風吹トンネルは通行止め
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4/6 12:31
道の駅周辺はそうでもなかったが、少し南に行くと周囲の景色には唖然としてしまう。岩出市域だが、岩出とは岩が出るから岩出なのか!
「埃たつ風吹きくぐり岩出かな」
■12:21、旧風吹トンネルは通行止め
■12:44、小さな集落の中心、南側斜面に「日吉神社」があった。主神は日吉大神、左は八王子、右が九頭明神とされている。
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4/6 12:44
■12:44、小さな集落の中心、南側斜面に「日吉神社」があった。主神は日吉大神、左は八王子、右が九頭明神とされている。
センターの日吉大神には一応、碑伝が奉納されている。
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4/6 12:45
センターの日吉大神には一応、碑伝が奉納されている。
社の横にあった石像物。何やろか?
あまり修験も感じられないので、写真だけ撮って退散。
押川とは、そもそも「鴛川」であって、冬、大晦日になると村外れの上流の淵に鴛のつがいがくることから、その淵を「鴛淵」、この川を「鴛川」というようになった、という伝説がある。鴛淵の場所が分からないが、紀伊国名所図会によると、日吉神社の下の橋を渡ってすぐ上流だった。しかし、そういう淵はあったのか?見落としたかも知れない。
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4/6 12:45
社の横にあった石像物。何やろか?
あまり修験も感じられないので、写真だけ撮って退散。
押川とは、そもそも「鴛川」であって、冬、大晦日になると村外れの上流の淵に鴛のつがいがくることから、その淵を「鴛淵」、この川を「鴛川」というようになった、という伝説がある。鴛淵の場所が分からないが、紀伊国名所図会によると、日吉神社の下の橋を渡ってすぐ上流だった。しかし、そういう淵はあったのか?見落としたかも知れない。
■12:49、さらに上流に歩いて行くと、鉄山氏の看板があった。川に下って行くと、大きな石碑があって「行者持仏奉安石」であると。どんな謂れがあるか知らないが、修験の行所になっているという。
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4/6 12:50
■12:49、さらに上流に歩いて行くと、鉄山氏の看板があった。川に下って行くと、大きな石碑があって「行者持仏奉安石」であると。どんな謂れがあるか知らないが、修験の行所になっているという。
その岩に架けられていた看板によると、少し上流には「亀石」があると。
■12:57, 少し上流に橋があり、その袂から「亀石」なるものが・・・・・見えない。が、▼で指示した看板がある。川の中には亀みたいな石はないし、ひょっとすれば、▼の下の「へ」型になった岩が亀のこうらで、その下の層になって組み込まれた中心の石が亀頭?その両側が亀足か?無理やりのような気がするが、ともかくも修験にまつわる遺跡のようだ。
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4/6 12:57
その岩に架けられていた看板によると、少し上流には「亀石」があると。
■12:57, 少し上流に橋があり、その袂から「亀石」なるものが・・・・・見えない。が、▼で指示した看板がある。川の中には亀みたいな石はないし、ひょっとすれば、▼の下の「へ」型になった岩が亀のこうらで、その下の層になって組み込まれた中心の石が亀頭?その両側が亀足か?無理やりのような気がするが、ともかくも修験にまつわる遺跡のようだ。
■13:02、さらに上流に。周辺は畑がパラパラッとあるだけで、舗装された農道まで必要に思えないが・・・・・あっ、押川周囲の山を削る代わりに、迷惑料あるいは地域振興策として立派な農道を整備したとか?農道にあわせてハイキング道も整備したようだが、東屋もこのありさま(13:02)。この横には簡易トイレらしきものも完備されていた。使っている様子はなかったけど・・・
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4/6 13:02
■13:02、さらに上流に。周辺は畑がパラパラッとあるだけで、舗装された農道まで必要に思えないが・・・・・あっ、押川周囲の山を削る代わりに、迷惑料あるいは地域振興策として立派な農道を整備したとか?農道にあわせてハイキング道も整備したようだが、東屋もこのありさま(13:02)。この横には簡易トイレらしきものも完備されていた。使っている様子はなかったけど・・・
■13:12、農道の最終地点付近はミツバチの巣箱があった。この先でコンクリ道は消失。
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4/6 13:12
■13:12、農道の最終地点付近はミツバチの巣箱があった。この先でコンクリ道は消失。
■13:23,狭い地道をしばらく行くと堰堤があり、そこからまた林道(堰堤管理道?)が始まった。結構広い道だ。
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4/6 13:23
■13:23,狭い地道をしばらく行くと堰堤があり、そこからまた林道(堰堤管理道?)が始まった。結構広い道だ。
■13:30-13:48、地理院地図で破線路が別れる辺りで休憩。道の駅で買ったミカンを食べた、けっこううまいが、ばらつきあり。ちょっと足の調子が悪い。筋肉がピクピクしてきた。いつもの症状だが、ちょっと倉谷山は無理かも?
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4/6 13:48
■13:30-13:48、地理院地図で破線路が別れる辺りで休憩。道の駅で買ったミカンを食べた、けっこううまいが、ばらつきあり。ちょっと足の調子が悪い。筋肉がピクピクしてきた。いつもの症状だが、ちょっと倉谷山は無理かも?
■しばらくして尾根道に合流し、2分ほどで土仏林道に上がる(13:57)。良い道が梵天山の航空無線塔まで続。く
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4/6 13:57
■しばらくして尾根道に合流し、2分ほどで土仏林道に上がる(13:57)。良い道が梵天山の航空無線塔まで続。く
■14:02、地理院地図にある破線路旧道の尾根道取り付き。踏み跡はあるが、この登りブッシュに突っ込む気力は湧いてこない。ここを40mほど登れば平坦な尾根になって、あと10mも登れば、倉谷川に降りる峠道があるはず。ブッシュ好きの方はどうぞ。
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4/6 14:02
■14:02、地理院地図にある破線路旧道の尾根道取り付き。踏み跡はあるが、この登りブッシュに突っ込む気力は湧いてこない。ここを40mほど登れば平坦な尾根になって、あと10mも登れば、倉谷川に降りる峠道があるはず。ブッシュ好きの方はどうぞ。
■14:10、少し歩いたところで、持病発生、右足(のふくらはぎ)が攣った。いつものように筋肉カチカチ。やむなく、ここで休憩。ついでに昼飯を食べる。本日は、即効性の薬ということで薬局で紹介してもらったものを持ってきているので、昼食後飲んでおいた。 やはり、第5番倉谷山は次回まわしとしよう。
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4/6 14:25
■14:10、少し歩いたところで、持病発生、右足(のふくらはぎ)が攣った。いつものように筋肉カチカチ。やむなく、ここで休憩。ついでに昼飯を食べる。本日は、即効性の薬ということで薬局で紹介してもらったものを持ってきているので、昼食後飲んでおいた。 やはり、第5番倉谷山は次回まわしとしよう。
14:33,歩きはじめて、すぐに尾根を回って少し引っ込んだところに尾根に登る踏み跡があった。昔ははしごがあったらしいが、今は踏み跡だ。偵察のために登ってみる。
右手、南の笹ヤブの中から踏み跡が続いていた(14:33)。白テープがあったが、尾根の上には踏み跡は見られなかったが、多分少し探すと出てくるんだろう。ブッシュはそんなに密生はしていないので、ここから上朽仏山、旧土仏峠へ登るのが正解なんだろう。コンター380mあたりの尾根上だ。
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4/6 14:35
14:33,歩きはじめて、すぐに尾根を回って少し引っ込んだところに尾根に登る踏み跡があった。昔ははしごがあったらしいが、今は踏み跡だ。偵察のために登ってみる。
右手、南の笹ヤブの中から踏み跡が続いていた(14:33)。白テープがあったが、尾根の上には踏み跡は見られなかったが、多分少し探すと出てくるんだろう。ブッシュはそんなに密生はしていないので、ここから上朽仏山、旧土仏峠へ登るのが正解なんだろう。コンター380mあたりの尾根上だ。
ここから先東のほうには踏み跡が続いていた。おそらく倉谷川へ降りる道だろう。
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4/6 14:33
ここから先東のほうには踏み跡が続いていた。おそらく倉谷川へ降りる道だろう。
もとの林道に戻って、新土仏峠を越える。峠直下からの眺めもすばらしい。
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4/6 14:47
もとの林道に戻って、新土仏峠を越える。峠直下からの眺めもすばらしい。
■14:49、新土仏峠(の手前)
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4/6 14:49
■14:49、新土仏峠(の手前)
■14:50、ここが新土仏峠だった。ここからも旧土仏峠への踏み跡がありそうだ。以前のレポートではブッシュという話だったが、登る人も多くなっているようで、踏み跡が期待できるかも知れない。いずれにせよ、冬場か遅くとも4月中には歩いておきたいところだ、
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4/6 14:52
■14:50、ここが新土仏峠だった。ここからも旧土仏峠への踏み跡がありそうだ。以前のレポートではブッシュという話だったが、登る人も多くなっているようで、踏み跡が期待できるかも知れない。いずれにせよ、冬場か遅くとも4月中には歩いておきたいところだ、
■15:02、馬別れ通過
第5番倉谷山は次回回しとしたので、今畑には行っておかなければ・・・先を急ぐ。
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4/6 15:02
■15:02、馬別れ通過
第5番倉谷山は次回回しとしたので、今畑には行っておかなければ・・・先を急ぐ。
■15:12、第5番倉谷山への道が分岐するところ。馬別れから10分だった。
赤ペンキでマークがあるし、ヒデが貼ってある。道と行っても谷筋を登るだけで道でなく、ルートがあるだけ(のハズ)。
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4/6 15:12
■15:12、第5番倉谷山への道が分岐するところ。馬別れから10分だった。
赤ペンキでマークがあるし、ヒデが貼ってある。道と行っても谷筋を登るだけで道でなく、ルートがあるだけ(のハズ)。
■15:14、すぐに今畑への登り口があった。
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4/6 15:14
■15:14、すぐに今畑への登り口があった。
立派な石垣だ。
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4/6 15:24
立派な石垣だ。
今畑には多聞寺と白髪明神がある。社殿前の広場はかなり広く、手入れもされているようで、すがすがしい感じがする。
左が白髪明神、右が多聞寺。
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4/6 15:41
今畑には多聞寺と白髪明神がある。社殿前の広場はかなり広く、手入れもされているようで、すがすがしい感じがする。
左が白髪明神、右が多聞寺。
白髪明神
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4/6 15:34
白髪明神
白髪明神にはヒデが奉納してあった。
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4/6 15:33
白髪明神にはヒデが奉納してあった。
こちらは多聞寺
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4/6 15:40
こちらは多聞寺
頭部のない仏像は、毘沙門天らしい。その前にも新しそうな仏像が安置されているし、ヒデも奉納されていた。
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4/6 15:35
頭部のない仏像は、毘沙門天らしい。その前にも新しそうな仏像が安置されているし、ヒデも奉納されていた。
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4/6 15:35
多聞寺の祠はブロック積みで、離村された方々、その末裔の方々が再建されたものという。
多聞寺祠の横には、お地蔵様が集められていた。よく見ていくと、なかなかすがすがしいお顔をされている。
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4/6 15:38
多聞寺の祠はブロック積みで、離村された方々、その末裔の方々が再建されたものという。
多聞寺祠の横には、お地蔵様が集められていた。よく見ていくと、なかなかすがすがしいお顔をされている。
初めての顔やな。どこから来たんや?
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4/6 15:37
初めての顔やな。どこから来たんや?
最近、だれも来なんだので心配したわ。
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4/6 15:37
最近、だれも来なんだので心配したわ。
まあ、世の中いろいろ起こってるし心配やのう。
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4/6 15:39
まあ、世の中いろいろ起こってるし心配やのう。
よう来てくれたわ、まあちょっとゆっくりしとき・・・・
お地蔵さんの柔らかなお顔を拝見すると、いつもゆったりした気持ちになれる。お地蔵さんとおしゃべりするような、こういう時の流れは大事にしたい。廃村今畑はいかにも廃村だったが、行所としての今畑はなおも生きていた。少し安心した気持ちになった。
15:45、元の林道にもどる。
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4/6 15:39
よう来てくれたわ、まあちょっとゆっくりしとき・・・・
お地蔵さんの柔らかなお顔を拝見すると、いつもゆったりした気持ちになれる。お地蔵さんとおしゃべりするような、こういう時の流れは大事にしたい。廃村今畑はいかにも廃村だったが、行所としての今畑はなおも生きていた。少し安心した気持ちになった。
15:45、元の林道にもどる。
16:24,中畑集落の手前、鉄山氏の道標がある。
ここには八王子社、九頭龍明神社があるのだが、足の調子が悪くやめてしまった。そういえは、右足ふくらはぎの攣りは気にならなくなった。薬が効いてきたのか。今の足痛は左足向こうずねの筋肉の張りだ。症状が違うので、薬の効きも違うのか。
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4/6 16:24
16:24,中畑集落の手前、鉄山氏の道標がある。
ここには八王子社、九頭龍明神社があるのだが、足の調子が悪くやめてしまった。そういえは、右足ふくらはぎの攣りは気にならなくなった。薬が効いてきたのか。今の足痛は左足向こうずねの筋肉の張りだ。症状が違うので、薬の効きも違うのか。
中畑
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4/6 16:28
中畑
16:34、中畑から池田トンネルに抜ける峠道。林道になっていて尾根に登って中畑峠経由尾根づたいの林道で倉谷山の経塚直前まで行けるはずだ。非常の場合はこの尾根道も考えよう。
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4/6 16:34
16:34、中畑から池田トンネルに抜ける峠道。林道になっていて尾根に登って中畑峠経由尾根づたいの林道で倉谷山の経塚直前まで行けるはずだ。非常の場合はこの尾根道も考えよう。
あとは淡々と神通温泉まで下った。バスは30分後だったので、入浴はなし。ゆっくり休憩した。第5番経塚はいけなかったが、今畑の行所、お地蔵さんは圧巻だった。
第5番倉谷山、中畑行所、神通行所・浦上明神はパスしてしまったので、近々の再訪を誓う。4月中には歩いてみたい。
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4/6 16:57
あとは淡々と神通温泉まで下った。バスは30分後だったので、入浴はなし。ゆっくり休憩した。第5番経塚はいけなかったが、今畑の行所、お地蔵さんは圧巻だった。
第5番倉谷山、中畑行所、神通行所・浦上明神はパスしてしまったので、近々の再訪を誓う。4月中には歩いてみたい。
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