上高地〜涸沢〜奥穂高〜北穂高(5泊6日)
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- GPS
- 104:00
- 距離
- 37.2km
- 登り
- 2,092m
- 下り
- 2,091m
コースタイム
【2日目】徳沢-涸沢(涸沢ヒュッテ、テント泊)
【3日目】涸沢(涸沢ヒュッテ 山小屋泊)
【4日目】涸沢-奥穂高-北穂高-涸沢 (涸沢ヒュッテ テント泊)
【5日目】涸沢-上高地 (小梨平キャンプ場 テント泊)
【6日目】上高地から帰宅
天候 | 【1日目】晴れ、夜 はげしい雷雨 【2日目】晴れ後曇り 【3日目】雨、台風接近 【4日目】晴れ 【5日目】晴れのち曇り 【6日目】曇り |
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過去天気図(気象庁) | 2009年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス 自家用車
沢渡-上高地 バス利用(片道900円) |
コース状況/ 危険箇所等 |
(危険個所) 涸沢-穂高小屋: ザイテングラート滑落注意 穂高小屋-奥穂高: 垂直の長い梯子の登り降り、要注意 奥穂高-北穂高: 途中で右も左も深い谷になっている箇所有り、今回の道の中で最も危険! 北穂高-涸沢: 急な坂、滑落注意 |
写真
感想
≪2009年夏の計画≫
この年も夏休みがきた。会社のお休みが一週間はある。
だんなさんと息子は1カ月ほど実家帰りで不在なので、またもや旅心がでて独りでどこかにふらっと行ってみようかと思った。
そんな折り、雑誌PEAKSの特集“登らないのは人生の大損失かも!?槍・穂高へ”を読んで、感化されやすい私は早速その気になった。去年、上高地から徳沢までへとへとになって歩いた思い出がある。今年はがんばればその先までいけるかな?さすがに槍(槍ヶ岳)は、初心者の私には難易度が高すぎてちょいと無理。検討の結果、次なる目標ができた。
1. テント泊をしてみる
2. 長期間、山でバカンス
3. 涸沢までは行ってみる、もし様子見て行けそうだったら穂高に登る
予備日は十分にあり。休日の高速道路通行料が\1000となった年、出発日と帰宅する日を通行料\1000の日にあわせたら、計画は無謀にも5泊6日となった。
■再び上高地に 8月8日/1日目■
お昼頃、沢渡市営第2駐車場に到着。高速道路の独り長距離運転も前ほど緊張しない、少しは慣れたかな。車を駐車場に置いた後、バスで上高地へ向かう。一年前の夏休みに初めて上高地を訪れたとき、山岳風景の素晴らしさに息をのんだ。河童橋の上に2年連続で来れるなんて幸せだな。通りがかりの観光客の方に河童橋で写真をとってもらった。デジカメの再生ボタンを押し自分の姿をみてにんまり。私も今日から登山者だ。
これから徳沢を目指す。美味しい山の空気で元気いっぱい。徳沢までは2時間ぐらい、軽い軽い〜。・・・・・のはずだったが、1時間ほどするとだんだん背中のザックの重さで肩が傷くなってきた。そもそも背中の荷物は、水もあわせると合計13kg(出発する前に量ってみた)、重いはず。この時は軽量化なんて考えが及ばなかった。手持ち品をフル活用した。ザックは48リットル、2.5kg(それだけで重い〜)、寝袋が2kg(普通のアウトドア用、ごわごわで大きくてザックのほぼ3分の1を占めてしまう。レインウェアも普通の自転車用。袋に無理にいれてパンパンだった。寒くなったらフリース着ようと思ってもってきたけど、これもモコモコして量をとる。唯一、テントだけは新調。家に10年もののテントがあったけれど山岳用ではない、量ったら重さが4kgだった。ザックの中におさまる大きさではなかった。これはまずいと思って、出発の2日前に駆け込みで買いに行ったアライの山岳用テント、サンライズ1&エアーマット(登山用品は高額でびっくり。だんなさんにはもちろん内緒で購入。夏休み後に購入金額を打ち明けて最終的には理解を得たのでご安心を。)
それにしても上高地を出発したころの快調ぶりとは裏腹に、ヨロヨロになりながら徳沢園に到着、テント場チェックイン。
すでに到着している登山者で結構な人。にぎやかでさみしくはない。どのあたりにテント張ろうかな。初めてのテント泊、緊張。ドキドキする〜。独りだと不安だな。あっ、同じく女性独り、お若いキャンパーさんだ。「こんにちは」と声をかけてみる。すると、かなりそっけなく「こんにちは」と返事がかえってきた。あれっ?お隣にテント、御迷惑でなかったかな?
またその女性とお話できるといいなぁと思っていたけれど結局最初の挨拶だけとなった。落ち着きたいので、誰かに話かけたかったけれど、、登山をする人間はひょっとして無口? あまりおじゃましてはいけなかったかな、、と思えたときだった。
徳沢園のテント場はその昔は牧草地。緑の草と土のにおいをかぎながら
テントを設営。設営地としては、湿気が多そうなところはダメ、低いところはダメ、場所探しも含め、かれこれ一時間以上かけて汗かきながら設営終了、なんだか他の方のピンと張られたテントと比べると、かなりテロテロ。初心者だし、まっ、よしとしよう。
近くの徳沢ロッジでひと風呂入った後、おにぎりとカップラーメンで夕食をとる。お湯をわかすのにコンロを使うのも自分独りでは初めて。ガスのにおいが苦手。今日はなんとか無事に火がついてよかった。あれ?? ところで、このテント場、ゴミ箱が無いけど、、、“自分のごみは自分で持ち帰る”という山での鉄則を知ったのはその時だった。
夕方から夜になる頃、雲行きがあやしくなってきた。ゴロゴロ・・・、と遠くで雷の音が聞こえて、嵐が近い予感。ウソでしょー(>_<) しまった。カ、カミナリがなったときはどうすればよかったんだっけ〜。とっさに近くにいた登山者のおじ様達に、対処法を聞いてみた。うち一人のおじ様曰く「大きな木の下なら、45度の角度内で2mぐらい離れていれば、、あれ? 君のテントは大きな木のすぐ下だから、この木に落ちた場合は・・・・(無言のおじ様) あ、まぁ、このテント場林間だしね、まずだいじょうぶでしょう。雷落ちたら、み〜んな道連れ。気にしない気にしない」
安心して良いのか悪いのかよくわからないアドバイスだが、とにかく雷が相当ひどくなったら、徳澤園の山小屋に避難すると決めた。
その夜、案の定、雨がぽつぽつと降ってきて、ザーッとなって、ピカピカ〜、ゴロゴロ〜。ここは林間だから、だいじょうぶ、だいじょうぶ、と自分に言い聞かせながら横になるが、雷の音もだんだん大きくなるし、眠れない。そういえば耳栓持ってきたっけ、ザックからごそごそ出して耳にはめる。意外と音がシャットアウトされて恐怖が薄れた。幸い数時間で嵐は去って行ったようだ。
やれやれ、山でのテント泊デビューは、とんだ一日となった。
■涸沢まではお散歩道!? 8月9日/2日目■
鳥の声で目覚める。雨上がりの湿った土と草の香りがする。おぉ〜、これぞテント泊。テントから外に出ると、ほとんどの登山者が7時の時点で出発準備、朝の行動早いなぁ。今日は涸沢まで4時間の道程。昨日、雷対処法を教えてくれた(!?)おじ様から、「涸沢まではお散歩みたいなもんだ、楽勝だよ」と教えてくれた。そっか、涸沢までは“お散歩道♪”か。
朝ごはんは、シリアルバーと紅茶。テント撤収(またもや一時間かかった)して8時すぎに出発。
山道を歩く、お散歩の道だ〜と喜んだのもつかの間、2時間ほど歩いて本谷橋に差し掛かる頃、またもやエネルギー消耗。背中のザックが相変わらず重い。
しかも、そこから登り坂がずっと続く。もうこれは散歩道ではない! 途中で「あともう少しですよ。がんばって。」と、反対側から山を降りてくる登山者から励まされた。「あと雪渓を3箇所越えたらテント場に到着ですよ。」とのこと。「あの、、雪渓って、雪?この登山靴でも大丈夫ですかね」と私が聞くと、「だいじょうぶですよ。お気をつけて」という返事が返ってきてホッとする。一つ目、二つ目の雪渓を越えて、もう疲れた〜ダメ。と思って見上げるとそこには三つ目の長〜い雪渓があった。ガーン最後が一番手ごわい。モチベーション下がるな、しか〜し、この雪渓を越えたらテント場、がんばれがんばれ、と自分を励ましながら、長い時間をかけて登っていく。
お疲れ様〜。涸沢に到着した!やった、やった〜。雲がかかっているけど穂高の景色、最高。大きな雪渓があってひんやりとした風が肌に心地いい。雪渓に近づくと真夏なのにまるで冷蔵庫にいるようだ。
さて、テント泊のチェックインは夕方頃始まるようなので、先にテント設営しようっと。っとっとっと。平らな場所がないというか、テント場は岩だらけ。そこそこの場所を見つけて、テント設営作業をする。地面は岩だからペグは打てない。大きな石を見つけてテントを固定する紐の部分をくくりつける。
テント設営が一段落してから、北穂高を見上げると小さなゴマ粒にしか見えないが登山者が上のほうからおりてくるのが見えた。涸沢まで来るのがギリギリ精一杯だったにもかかわらず、よ〜し行くぞ、明日は奥穂高だ、ここをベースにすれば明後日はがんばって北穂高にも行けそう、な〜んて期待が膨らんでいた。
その日は涸沢小屋のテラスで、独りワインで穂高に乾杯、あたたかいおでんの夕食。雲が出てきて穂高の頂上は隠れていたが、それでも涸沢小屋テラスはロケーション最高だ。
ところが景色の美しさに酔いしれて幸せな時を過ごした後、ひどい頭痛に襲われた。高山病だったと思う。(涸沢の標高は約2300m)
とにかく頭が割れるように痛かった。こういうときに独りは心細い。幸い涸沢には夏季診療所があるので、精神的には安心感があった。それにしても頭痛がひどい。翌日の朝まで続いたとしたら、すぐに下山しなければまずい。今の状態なら、来た道を戻ることさえも無理だろう。
■停滞の一日 8月10日/3日目■
目が覚めた。
あれっ? 頭、痛くない〜。治ってる。高度順応できたんだ。ミラクルだ〜。
これで穂高に行ける、と思ったのもつかの間、テントにはポツポツと雨の音が。雨? そんな天気予報じゃなかったのに。
テントの外の話声が聞こえてくる。登山慣れした年配のご夫婦だ。「急遽発生した台風が長野に接近してるって、この天気じゃダメだね。ひどくならないうちに早く下山しよう。」テントの中で耳を澄ますと、別の方向から学生らしき若者のパーティの声も聞こえてきた。この若者達は、とどまるらしい、うちメンバーの一人が悲しい声をあげた。「ってか、登れないってことより、今日一日をどうやって過ごすか考えがつかん。どーしたらいいかわかんねえよ。」
そうそうそう、そのとおり、話し相手もいない独りの私こそどーしよう。独りテント泊の方のブログを参考にさせていただいたとき、DSを持って行って夜はひたすらゲームします、という方や、単行本を一冊持って行って別の世界に浸るって方がいらっしゃったけれど、準備不足の私はこんな一日を予想してきてなかった。今日一日どうやったってテントの中で過ごすのはつらいと考え、この日だけは山小屋泊に切り替えた。
早速、涸沢ヒュッテへ駆け込んだ。あ、あたたかい〜。今朝の雨でテントの中も結露して湿っていて寒かった。心まで冷たくなった自分に山小屋はひとときの安心を与えてくれた。小屋の乾燥室も使えたので、テント内の結露で濡れた装備も乾かせた。
ありがたいことに、この山小屋には図書室があるのだ。この日は一日中図書室で過ごした。登山者の間ではかなり話題になっている“岳”という漫画にはまってしまう。主人公が北アルプスを中心とする山岳遭難者の救助活動をするお話なのだが、一度読んでみてくださいって山好きの人にはすすめたくなる。涙さそわれる場面あり。穂高登頂のモチベーションがあがる。
山小屋で夕食をいただいた。ボリュームも栄養もたっぷり。おみそ汁もご飯もあたたかいお茶もお替わりし放題。うれし〜い。
たまたま夕食の時に登山歴数年になる御夫婦と相席した。明日の一日で奥穂高にいくか北穂高にいくかという相談をしたら、「どうせだったら奥穂高から北穂高まで縦走して涸沢に戻ってきてもよいのでは」なんてお言葉が出た。「私でもいけますかね、、、?」と問いかけると、困ったような顔。それでも「若いうちなら行けますよ。」とのお返事をいただいた。どうして回答に一瞬迷ったのか、明日すべてを理解することになる。
■これぞ登山 8月11日/4日目■
せっかく暖かな山小屋に泊まったというのに、一晩中、ほとんど眠れなかった。おふとんも清潔でフカフカだったし、部屋も悪くないれど、5人部屋で他の宿泊の方が気になってしまったのだろうか。眠れない長い夜というのもつらい。山で遭難しないかな、滑落しないかな、心配なことを一から十まで考えて寝付けなかった。神様今日だけはお願いです(>_<)
快晴の朝を迎えた。台風は過ぎて行ったようだ。朝食食べて山小屋をチェックアウトして、テント場へ移動。その夜の宿泊テントを設営(相変わらず設営に時間はかかるしテロテロのテント姿)の後、奥穂高を目指す。
大きな貨物はテントの中において、背中の荷物を約1.5kg程度にまとめる。
登り始めは雪渓の上を歩く。夏だから涼しくて気持ち良い。
黄色いお花がたくさん咲いているお花畑を横切り、ザイテングラートと呼ばれる険しい岩に取りかかる。上まで登れるのかどうかドキドキ。行けるところまで行こう。途中、山岳警備隊のお二人に途中で追い越されたが、稜線に出るまでこのお二人についていこうとかなり張り切って登った。(独りの私が万が一遭難したら、すぐに救助してもらえるハズ)急な登りが続きに続き、稜線にあがるころには完全に息があがっていた。稜線になんとか辿り着いたようだ。なんて景色でしょう。涸沢のテント場がはるか下のほうに見える。
小休憩の後、穂高小屋に荷物をデポし奥穂高岳に向かう。
私にとっての本日最初の難関は、垂直の長いはしご。
奥穂高岳への登り口は、梯子待ちの列ができていた。垂直のはしごを初めて登る。高所でクラクラしてしまい恐怖で心臓の鼓動が速くなる。三点支持で慎重に、慎重に。
周りの登山者に「もう少しで頂上ですよ、がんばりましょう」と励まし、励まされつつ、ひたすら登ってようやく奥穂高岳(3190m)登頂。3000級の山並みが雲の中に隠れては現れ、現れては雲に隠れ、、、いつまで見ても飽きない景色だった。
穂高山荘まで戻って、400円の冷えたグラス売りのポカリスエットを一気飲みした。あ〜、生き返る〜。
一息ついた後、涸沢岳経由で北穂高までの稜線を縦走開始。
険しい道が続いている。行けるところまで行くと決めた。無理はしない。涸沢岳までの道は想像以上にきつかったが、その先もさらにきつかった。一番怖いのは、慣れてないくさり場と梯子(手を離したら奈落の底)。そして右も左も数百メートルはあるだろう痩せ尾根。危険個所を2つほど越して、この先は楽だろうと楽観的に思ったのは間違いで、その後も手のひらに、汗をにぎるような箇所が何か所もある。冷や汗をかきながら歯を食いしばって進む岩場ルート。
初心者が来るべきではない場所だった(汗)。
進むべきか引き返すべきか、、、でも、同じ場所を、もう一度戻る勇気はなかった。北穂高まで近いようだがなかなか辿り着かない。さっきまで晴天だったのなんだかうっすらとガスってきた。まずいぞ(焦る〜)。
あとは無我夢中で進んだ。心臓止まるかと思うほどの登り坂、ただひたすらに進む。苦しいとか辛いとか、通り越してた。足を一歩一歩前に出す。無心、無言。
最後に倒れこむようにして北穂高岳山頂に到着した。
頂上はガスっていて全く展望がなかったが、とにかく無事縦走できたことが、ただ嬉しかった。そして、抜きつ抜かれつ励ましあった周りの登山者や、北アルプスの自然すべてに、感謝の気持でいっぱいになった。
北穂高岳からはすぐに下山したが、縦走で力をつかいはたしてしまった私は、足腰がふらふらで普通のコースタイムよりもずいぶん時間がかかったが、暗くなる前に無事テント場に到着。夕食を作って食べて、その後、今日の縦走を思い出しながらぐっすり眠った。
■上高地までの遠い道のり 8月12日/5日目■
前日に涸沢から上高地まで一気に下山するという話をある登山者から聞いた。
走行距離は約15km、一気に上高地まで行けるかも。涸沢を後にして下山開始。何度も何度も穂高の山を振り返り見ながらの下山。ここに来たことがつい4日前だなんて信じられない。自分にとって懐かしい場所になった。
山を降りるのは登ることよりも難しく思う。滑ったらどうしよう。転んだらどうしよう。足を前に出しても着地は恐る恐る。ひたすら歩く。大学生ぐらいの男の子に軽快な足取りでさくっと抜かされる。どこを歩いたのか聞いてみると「上高地から槍ヶ岳、縦走して北穂から上高地へ」とのこと。彼の健脚ぶりに驚かされる。そんな健脚そうな登山者に次から次へと私を追い抜いていく。「今日はピッチがあがらないな」、それもそのはず、普段運動不足の私は、昨日の縦走で全体力を使いきって消耗。今日はボロボロ。お水や食べ物が少なくなったとはいえ、まだ背中に10キロの荷物を背負っていた。
途中の本谷橋で一休みしていると、単独と思われるお年上の女性がいらっしゃた。服装もスポーティで素敵な方。きっと山歩きのベテランだろう。お話しするチャンスがあればいいなと思ったが、ほどなく彼女のほうが先に出発して歩き始めた。私も少したってから歩く。登ってくる人のじゃまにならないようにおりるが、坂のぐあいが丁度よくしばしの間、軽快に歩けた。先ほどの素敵な女性が、道の橋で立ち止まっているのを眺めつつ、私は何も考えずにそのまま前進した。前から来る登りの登山者が私が通るのを待っていてくれたようだったので、「ありがとうございます」と、お礼を伝えた。、、、、、その時は私が自分で起こした過ちに全く気付かなかった。
のろのろ歩いていると、後ろからあの素敵な女性から話しかけられた「あなたね、登りの登山者優先でしょ。山のマナーは守らないと!」、なんと、お厳しいお小言をいただいてしまった。2列で通れる道だと思って下りを偉そうに進んでしまった自分がいけない。初心者で右左もわからず山を歩いてしまってすみません。登り優先、今後、しっかり守ります。
その後、ぽつぽつ歩いたが、なんでもない道で足がもつれて転倒。寂しくなった。
足どりがさらに遅くなる。クタクタになった足にさらに負担がかかっていく。ただ前に歩くだけなのにつらい。後ろから颯爽と歩いてこられる登山者にどんどん追い抜かされる。すれ違う登山者にさわやかに挨拶できる気力も残っていない。あぁ、なんて情けない姿の自分。
それでも、どうにかこうにかして、上高地には夕方4時すぎに到着。小梨平のテント場にチェックイン。もう力尽きたと思ったけれど温泉に入ってすっきりできたおかげで、元気を一気に取り戻す。
川沿いで夕食。美しい山を眺めながらカップラーメンを食べた。こんな時のカップラーメンってなんておいしいんだろう(>_<)。今日も長い一日だった。
■帰途 8月13日/6日目■
この日、天気が良ければ、あと1泊ぐらい上高地にいたかもしれない。空を見上げると灰色。小雨の降る早朝だった。「もうそろそろ家に帰る時が来たかな」
最終日のテント撤収。ようやく慣れてきたみたい。(嬉涙)
山行一日目に徳沢でのヨレヨレのテント設営を思い出し、笑ってしまう。
上高地よりもずっと奥にある“涸沢、穂高”。
辿り着くまでが大変だが、そこへ行った人だけが味わえる素晴らしい感動。
少しの孤独と苦労があったけれど、自然の素晴らしさを新たに発見した貴重な6日間。無謀な企画だったけれど、無事に過ごせたことに感謝しながら帰途につく。
アスファルトの道路を歩く。人工的な空間にまた戻っていく。久々の便利な生活に新鮮さを覚えながらも、山で過ごした静寂の時や澄んだ空気を懐かしく思うのだった。
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