(過去レコ)船窪新道〜読売新道〜竹村新道
- GPS
- 80:00
- 距離
- 64.9km
- 登り
- 6,133m
- 下り
- 5,879m
コースタイム
- 山行
- 10:15
- 休憩
- 0:50
- 合計
- 11:05
- 山行
- 11:15
- 休憩
- 1:40
- 合計
- 12:55
- 山行
- 10:20
- 休憩
- 2:20
- 合計
- 12:40
天候 | 4日〜6日晴れ、7日曇り |
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過去天気図(気象庁) | 2010年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
タクシー 自家用車
七倉山荘(1060m)→≪船窪新道≫→七倉岳(2509m)→≪針ノ木谷≫→奥黒部ヒュッテ(1500m) 行動時間=11時間05分 最大標高差(上り)=1450m 9月5日(日) 奥黒部ヒュッテ→≪読売新道≫→温泉沢ノ頭(2900m)→高天原温泉(2200m)→雲ノ平山荘(2500m) 行動時間=12時間55分 最大標高差(上り)=1400m 9月6日(月) 雲ノ平山荘→鷲羽岳(2924m)→水晶岳(2986m)→野口五郎小屋(2840m) 行動時間=12時間40分 最大標高差(上り)=500m 9月7日(火) 高瀬ダムから七倉駐車場までタクシー 野口五郎小屋→湯俣温泉(1420m)→高瀬ダム 行動時間=9時間15分 最大標高差(下り)=−1650m |
予約できる山小屋 |
七倉山荘
|
写真
感想
【山行記録投稿=2017年7月4日】
深田久弥氏はその著書の中で、次のように述べている。
『山の好きな人はその胸の中に、幾つかの未登の山を秘めているものだ。その期間が永ければ永いほど憧れはますます熱くなってくる。』《日本アルプス百名山紀行》
私はこの一文の“未登の山”の部分を、“未踏の尾根”に置き換えて、北アルプスでまだ歩いていない憧れの尾根、読売新道を歩くことにする。
車で行くので登山口へ戻ることを考えて、これも憧れていた湯俣温泉の河原の露天風呂に入りたく、まだ歩いたことがない竹村新道を下る。
週間天気予報は、土日は晴れ、月火も雲が多いながらも晴れ。
当初の予定は、初日は奥黒部ヒュッテ泊まり、二日目は高天原山荘、三日目は体調と天候から決めることにしていた。
が、高天原山荘は改築中で泊まれないことを、奥黒部ヒュッテで知り、新築された雲ノ平山荘泊まりに変更。
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【4日(土)】
3日は午後から夜まで寝て深夜に自宅を出る。七倉山荘前の広い駐車場に着いてすぐスタートする。
狭い谷底の地形の為、上空は広くは見上げられないがよく晴れており、天空に星がきらめく。
七倉登山口から船窪小屋までの七倉尾根は、船窪新道とも呼ばれる登山道がある。
七倉ダムの上流の高瀬ダムから烏帽子小屋へ上がるブナ立尾根は北アの三大急登として知られるが、標高差は船窪新道の方が大きい。
針葉樹林帯が大きく開けた所でタイミング良く日の出を迎える。
西の空は膨大な雲海に埋め尽くされ、太陽が昇ったのはどの辺りか解らなかったが、多分、志賀高原の上空だろう。
船窪小屋に人影はなく、ひっそりと静まり返っていた。
針ノ木岳〜烏帽子岳間を縦走する登山者は多くはないが、アップダウンが激しく、大きく曲がっていて時間が掛かるこの区間を縦走する人には欠かせぬ山小屋だ。
七倉岳では朝食を取ったりしながら40分休憩する。
雲の全くない快晴下、360度の展望がすこぶる良い。
すぐ南の餓鬼岳と、八ヶ岳の間に富士山が見えているが、そこに富士山があるということを知らなければ気が付かないほど霞んでいた。
南は逆光で少し霞んだ槍・穂高、北は立山・剱が鮮明に眺められる。
黒部川と千曲川の分水嶺である船窪乗越から針ノ木谷へ下る。
戦国時代の武将、佐々成政が北アを越えたルートと言われる由緒ある古道だ。
靴を濡らさないで渡渉できるかどうか、事前に針ノ木小屋へ問い合わせていた。
しばらく沢の中を下った後、右岸(上流から沢を見て右側)に拓かれた高巻道を辿る。
この高巻道は佐々成政が歩いた道だと言われるが、その後の長い年月の間に消え失せていたものを、船窪小屋を営む松沢宗洋さんが復活させたものである。
山道を歩く時、そのような経緯を偲びながら歩くのも面白い。
いにしえの武将はこのルートを冬に辿ったと言う。
それは、想像を絶する過酷な状況だったに違いない。
高巻が終わり、丸木橋で左岸へ渡り、黒部湖へ出る。
途中の避難小屋は大変小さく、登山道は小屋の中を通り抜ける。
ダム湖が出来た当時の渡船場へはコンクリ製の階段があるが、下部が崩壊していて通行止めとなり、その近くに今の渡船場がある。
ここから奥黒部ヒュッテまでの標高差は僅か50m程度なので、上りも下りも標準コースタイムは同じだが、山地図では上り3時間、下り2時間となっている。
ダム湖沿いの道は崩壊個所が多く、桟道が架けられていたり、丸太の梯子で高巻くようになっているが、よく整備されている印象を受ける。
2時間弱で奥黒部ヒュッテへ着く。
黒部湖そのものが山深い所だが、その更に奥であり人煙とは無縁の異郷の感が漂う。
針葉樹の大木が3〜40mもあろうかと思われる高さまで真っ直ぐに伸びている。
それに北アでは珍しいサルオガセ(下がり苔)が垂れ下がり、幽玄な雰囲気を醸し出している。
外のベンチでビールを飲んでいる際、居合わせた登山者から、明日泊まる予定の高天原山荘は改築中であり、早期に予約した人以外は泊まれないことを聞く。
それを知らないで行き、早い時間に山荘へ着いた人は、他の山小屋に泊まるように言われ、返されていたとのこと。
人命に関わるので、遅く着いた人は仕方なく泊めさせるのだろうか・・・
テン泊以外で、登山者や釣り人など奥黒部ヒュッテ泊まりは7人。
マリナーズのイチロウ選手に似た好青年一人で賄いをしていた。
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【5日(日)】
奥黒部ヒュッテを目が覚めた時点で出る。
今日の標高差も昨日と同じ1400m。
距離が長く、ザックが重いと大変なので水は500ミリ2本のみで、スタート前に500ミリ丸々一本を飲み溜めする。
水場は温泉沢ノ頭から温泉沢へ下りるまでない。
読売新道は1961年、読売新聞北陸支社の開設記念事業として拓かれ、2001年にルートの修復・整備が実施されたとのこと。
ルート上の赤牛岳(日本200名山)は、国内では最も行きにくい山のひとつである。
山地図には、“苔、泥、木の根などで滑りやすい”とある。
昨日、奥黒部ヒュッテで話をしていた人もそのことを言っていた。果たしてどんな道なのだろうか?
標高2300m辺りまでは樹林帯で、滑りやすくはないが、木の根が浮いている所が多く、所々に巨岩が点在し、その間を縫うようにして曲がりくねった道を進む。
尾根は広く、よくもこんな所にルートを拓いたものだと感心することしきり。
樹林帯から灌木帯に変わり、展望が開ける。
その頃には夜も明け、背後に黒部湖を見下ろす。
黒部湖の後方には朝日岳から五龍岳まで、右岸には針ノ木・蓮華、南沢岳が逆光で黒いシルエットとなり、左岸には立山・龍王岳、五色ヶ原がよく見える。
標高が高くなるほど、三つの大きなカール(圏谷)を持つ薬師岳が大きく見えるようになる。
緑が少なく、赤茶けたその山肌は如何にも高峰の雰囲気が漂う。
途中、もうすっかり成鳥となった雷鳥のひな5羽を見かける。
一度に5羽も見かけるのは初めて。
肉冠(頭の赤い突起)を持つオスは子育てをしないので、5羽を自分だけで育てた母親は立派だと思う。
温泉沢ノ頭で高天原から上がって来たパーティーと会う。
奥黒部ヒュッテを何時に出たのかと聞かれ、2時半と答えたらびっくりしていたが、実際はもっと早かった。
読売新道の感想を話してから、温泉沢へ下る。
沢出合へ下りた所で、少しのどが渇いていた程度だが、標高が下がり、暑くなったので冷たい水をがぶ飲みする。
今年の7月下旬、沢沿いに上がった時は水量が多くて難儀したが、今回は少なく、渡渉点を見極める必要がない。
温泉に先行者はなく、20分ばかり入っていた間にも誰も来ない。
早朝はよく晴れていたが、10時頃から雲が出始め、風呂から上がった頃、水晶岳の上空には鉛色の雲が立ち込めていた。
間もなく雨になるだろうと思い、予定していた竜晶池へ行くのは中止して、雲ノ平山荘へ急ぐ。
幸いにも天気は持ち直し、良くなる。
高天原山荘は骨組みだけを残し、山荘内はがらんどうとなっている。数人が作業をしていた。
これでは、夜はどうするのだろう。壁代わりにシートでも張るのだろうか?
暴風雨となれば布団も濡れると思われる。
雲ノ平山荘へ着き、宿泊手続き後、アルプス庭園といわれる祖母岳へ行く。
山荘から15分ほど、頂上まで木道が敷かれているのでサンダル履きで。
花は多くはないが、草紅葉が始まり掛けている傍らで、この時季に咲くコガネギクやオヤマリンドウなどが大変綺麗。
広大な台地上の奥に屹立する水晶岳が巨大な壁となっている。
山荘周辺のギリシャ庭園は、土壌が流された所が多く、木道も傾いたままの所があり、濡れていると滑りやすい。
山荘は新築されたばかりで、まだ全ては完成してなく、洗面所はこれから作るらしい。
当然だが、綺麗で快適ではあったが、食事はいまいち・・・
おかずは三平汁とお新香の類のみ。
4年前に泊まった時は豚汁だった。
水の必要な人はキャンプ場で汲んで下さいと言われる。
山荘内では有料とのこと。
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【6日(月)】
祖父岳経由で鷲羽岳へ向かう途中、キャンプ場で給水する。
祖父庭園は7〜8月なら花も多く、日本庭園風の綺麗な所であり、雲ノ平一帯を間近で見渡せる。
祖父岳は暗い時間に通過し、黒部川最源流の岩苔乗越から鷲羽岳へ向かう。
鷲羽岳頂上でご来光を拝みたかったが間に合わず、途中の展望の良い所で待機して日の出を見る。
表銀座縦走路の北端の燕岳の北側から陽が昇る。
今日は早朝からやや雲が多く、すっきりした快晴ではない。
鷲羽岳へ登頂した時、頂上には若い女性2人が先行していた。
昨日は三俣山荘に泊まり、今日はこれから分かれ、1人は笠ヶ岳へ、もう1人は水晶岳経由で高天原へ行くと言う。
温泉が楽しみだと言うので、白濁していて大変いいお風呂ですよと気分を高揚させてあげる。
それぞれに頼まれて写真を撮ってやり、見えている山の説明をする。
富士山を指し示すと驚いたように喜んでいる。
雲が多く、あまりはっきりとは見えていなかったので、気付いていなかったらしい。
しばらくしてそれぞれの無事を祈り合い、2人は分かれて行った。
私は鷲羽池へ下りて行き、湖面に映える鷲羽岳の雄姿を撮る。
5度目の鷲羽岳にして、初めて鷲羽池へ行った。
稜線に戻ると、大きなパーティーが上がって来る。
私が僅かに先行した後に登頂して来て、ツアーリーダーらしき人が、「これから〇〇分休憩しま〜す」と言った後、大きな声で見えている山の説明を始める。
その度に、ツアー客の間から溜息ともつかぬ驚きの声が漏れる。
お客様の喜ぶ表情は、リーダー冥利に尽きるものだろう。
どの程度の報酬を得ているかは知る由もないが、ツアーを無事に終えた時の安堵感は、仕事とは言え、金銭には代えられない充実感があるだろう。
水晶岳へ向かう途中で、高天原へ行くと言っていた単独の若い女性が手ぶらで戻って来る。
彼女はワリモ北分岐にザックをデポして行ったのだ。
温泉沢を下る予定ではなかったのかと聞くと、初心者なので…と照れ笑いしていた。
温泉沢ルートは、若くなくても女性が一人で歩くには不向きだ。
水晶小屋に断ったうえでベンチにザックをデポし、サブザックで水晶岳へ向かう。
時間の経過とともに雲は増え、水晶岳から富士山は見えず。
立山にも笠ヶ岳にも時折雲が掛かる。
鷲羽岳ではよく見えていた白山も雲に隠されている。
広々とした雲ノ平はよく見え、赤い屋根の雲ノ平山荘が豆粒のように小さい。
水晶小屋へ戻り、水を買う。
容器は別で、水のみ500ミリが300円!
稜線の小屋ではこの値段が普通かも知れない。
時刻は午前10時とまだ早く、予定を変更して今日中に帰る旨のメールを家族に送る。 しかし、それは無理だった。
湯俣温泉へ下る前に、展望の良い野口五郎岳へ行く。
上空は雲が多いが日差しが強く、カラッとした暑さで流れるほどの汗は出ない。
野口五郎岳から戻り、踏み跡のある真砂岳頂上へ立ち、いよいよ湯俣温泉への下りに取り付く。
このルートは竹村新道とも呼ばれ、初日に上った船窪新道とほぼ同じ1400m余りもの標高差がある。
下りの取り付きには、悪天候時や体調不良時にはコースタイムを大幅に越える時間が掛かる旨の注意書きがある。
若干のどが渇いていたが、体調は悪くない。
南真砂岳へ着いた時点で山地図を出し、下りのコースタイムを見ると湯俣温泉まで4時間25分、更にそこから高瀬ダムまでは3時間30分、計8時間近く掛かる。
これではとても今日中に帰れる訳がない。
時間とともにのどの渇きもひどくなり、湯俣温泉までも水は足りないので引き返して稜線へ上がり、野口五郎小屋で泊まることにする。
途中で、家の者には当初の予定通り、火曜に帰る旨のTEL。
野口五郎小屋へは15時20分に入る。
いつもビールの前には飲み食いしないのだが、今日はすぐ水1本を飲んでから、やおら、泡の出る水を飲み始める。
昨日、雲ノ平山荘で一緒だった同年代の単独行が先に着いていた。
その人から、台風が北陸に近付いていることを聞く。
小屋入口に温度計があり、18度を指している。
2900m近い標高でこの気温なので、下界の猛暑が容易に想像できる。
夕方近くになり、20人ほどの大きなツアーが到着する。
明日は烏帽子小屋からブナ立尾根を下るらしい。
幾つかある食堂の各テーブルにはアミューズ様〇名と書かれている。
ツアーの一人が野口五郎岳のいわれを小屋番さんに質問していた。
山頂から大町市の野口という集落が見えるからで、五郎はゴーロ(大小の岩石が散在する所)に由来する。
同名の歌手はこの山からの芸名らしい。
ツアーは、明日は4時半出発で、朝食は今日中に弁当を渡すと言っていたが‥‥
ツアー以外は数人ほど。
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【7日(火)】
夜、翌日の天気予報は聞かないまま、6時半頃に眠る。
枕元の窓側にに開け閉めできる硝子戸があり、ガタガタする音で目が覚め、時計を見るとまだ9時半。
時折、ゴーゴーと唸る風の音とともに小屋が揺れる。
硝子戸がうるさいので、靴棚の近くにあった名札を書く鉛筆を持って来て、硝子戸の隙間に差し込む。
ガタガタ音は止まったが、風は相当強いらしい。
朝食は5時から。
外は強風が吹き荒れ、砂ぼこりが舞い上がっている。
4時半に出ると言っていたツアーは、小屋で弁当の朝食を食べていたようだ。
幸いにも雨は降ってなく、小屋の外から雲の隙間に富士山が見える。
今日は下山するだけなので暗い内から歩き出すことはなく、小屋で朝食を取り、5時45分にスタートする。
3000m近い稜線は烈風が凄まじく、耐風姿勢のまま、烈風に煽られても転ばないように気を付ける。
野口五郎岳も真砂岳も昨日の内に行っておいて良かった。
今日は両方とも西側の巻き道を辿る。
真砂岳の西側で湯俣温泉への竹村新道へ入る。
南真砂岳へ標高差80m程を登り返し、この下からは灌木帯〜樹林帯と変わるので、このピークで最後の展望を楽しむ。
硫黄尾根の北側は火山特有の凄惨な山肌をさらけ出している。
対照的に、下って来た野口五郎岳〜真砂岳の山肌は白砂青松が美しい。
山地図に『槍ヶ岳のながめ良い』とある湯俣岳は、樹林に囲まれ、槍ヶ岳はガスに隠されている。
標高1640mの『展望台』まで下って来た時、眼下の湯俣川の異様な光景が目に飛び込む。
川そのものが白濁した流れである。
湯俣温泉に下山する間、1人の登山者とも会わない。
急坂ではあるが、大変よく整備されていて、針葉樹林帯の中は落葉したカラマツの葉が敷き詰められ、柔らかなじゅうたんの上を歩く感じである。
晴嵐荘を下流側に見て、上流側へ歩く。
すぐ先で取水堰(せき)となり、行き止まりである。
露天風呂はどこでも入れるものと思い、ちょっと冷たかったが堰堤下の白濁した所へ入る。
所々からお湯が湧き出している。
対岸には、後で東京電力の取水設備と分かったが建物がある。人の気配は全くない。
火照った身体を少し冷たい水に沈めていた時、対岸をヘルメットを被った男性3人が通る。登山者でないことはすぐ分かる。
その内の一人が、「湯加減はどうですかぁ〜」と声を掛けてくる。
20分くらいで水風呂から上がり、まだ11時半だったので堰堤の上流へ行ってみる。
晴嵐荘の前を吊橋で高瀬川の右岸へ渡り、取水設備の脇を通って、透明な真水の流れている水俣川を吊橋で渡る。
吊橋を渡った所に道標があり、左は槍ヶ岳北鎌尾根右は伊藤新道と表示されている。
北鎌尾根方向には真新しい踏み跡が多いが、ここから忠実に北鎌尾根を辿り、槍ヶ岳へ向かう登山者は非常に少ないと思う。
踏み跡は釣り人のものだろうと思う。
伊藤新道の方向へ出た所に、山の神があり、白濁した流れの湯俣川の河原へ下りる。
ここから上流が本当の河原の露天風呂だと分かった。
所々に河原を掘った跡がある。
足跡を追い、上流へ2〜300m行った所で、今まで見たことがないものが目に入る。
対岸にパゴダ風の白っぽい噴湯丘があり、近くまで行ってよく見ると塔の先端からお湯が僅かに噴出している。
そのすぐ上流の川の中には、真っ白いクラゲ状のようなものがあり、矢張り真ん中からお湯が周囲へ流れ出している。
山地図に、球状石灰石とあり、鍾乳石の成り立ちと同じ原理だろうと思う。
川の真ん中にあり、いつかは洪水で流失するのではないかと思われるのだが・・・
河原で食事後、高瀬川〜高瀬ダム湖沿いの平坦で非常に歩き易い道を歩き、最後は長〜いトンネルを抜けてダム湖堰堤へ出る。
ダム湖では浚渫(しゅんせつ)工事中で、誘導員から、「歩きますか?タクシーに乗りますか?」と聞かれる。
「もう、30分でも歩くのはイヤです」と答えて、すぐタクシーに乗り込む。
タクシードライバーの話では、烏帽子から大勢が下って来ると聞き、3台が待機していたそうだ。
多分、野口五郎小屋で泊まり合わせたアミューズ社だろう。
最初は午前中と言っていたのが、段々遅くなっているとぼやいていた。
あの烈風の中、20人もの大パーティーが烏帽子小屋までの稜線を無事に歩き通すだけでも大変だろうと思う。
4日ぶりに七倉山荘前へ戻り、上下を着替える。
その間、ライトを点けた大型ダンプが数台の列をなして、次々とダムへ入る。
タクシーはその間隙を縫って客を運ぶ。
帰路の高速道は平日昼間割引と通勤割引を併用し、休日の大渋滞が信じられないような、スムーズな走りで帰宅する。
3泊4日の強行スケジュールではあったが、目的達成感200%の劇的な山行だった。
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