3泊4日修験道の旅 大峯奥駈道をゆく
- GPS
- 40:39
- 距離
- 99.8km
- 登り
- 8,138m
- 下り
- 8,342m
コースタイム
- 山行
- 11:20
- 休憩
- 1:10
- 合計
- 12:30
- 山行
- 9:53
- 休憩
- 0:39
- 合計
- 10:32
- 山行
- 10:12
- 休憩
- 0:58
- 合計
- 11:10
天候 | 全日程晴れ。2日目夕方に雷雨あり。 |
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過去天気図(気象庁) | 2017年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
コース状況/ 危険箇所等 |
孔雀〜釈迦ヶ岳は残雪ありの非常に危険区間。地蔵岳の鎖場も大きなザックを背負って通過するのは困難。それ以外は危険区間はなし。 |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
ソフトシェル
ズボン
靴下
グローブ
防寒着
雨具
日よけ帽子
着替え
靴
サンダル
ザック
ザックカバー
行動食
非常食
調理用食材
ガスカートリッジ
コッヘル
ライター
コンパス
計画書
ヘッドランプ
予備電池
筆記用具
ファーストエイドキット
ロールペーパー
保険証
携帯
時計
サングラス
タオル
ポール
テント
テントマット
シェラフ
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感想
今回、ゴールデンウイークを利用して大峯奥駈道を踏破することを思いついた。少し長めの山行に行きたいと思っていたところ、関西屈指のロングトレイルである大峯奥駈道に白羽の矢が立った。
4月28日〜5月1日の3泊4日で踏破するには、重い荷物を担いで長時間歩き続けられるだけの体力が必要だ。また、普段担ぎ慣れていないザック、そして履き慣れないマウンテンブーツに耐えうる身体が必要だ。それに加えて、最も重要と言えるのは、90キロとも100キロとも言われる距離を歩き通せるだけの体力だ。しかし、今回はその両方とも準備はできていなかった。その点が不安要素だが、事前の下調べも十分と言えるだけやった。あとは当日出たとこ勝負か。
初日は吉野駅から行者還岳避難小屋までの30キロ。前日に仕事を終えて吉野に入ったのだが、自宅を出るまでに長男の引き止めにあい(笑)出発する時間が遅れ、結局睡眠時間は3時間という短時間。これが原因だったのか分からないが、初日は大峯山に着く前頃から登りはフラフラでフラットと下りだけが歩けるという、トレイルのレース後半のような展開に(笑)って、全然笑えなかった。大天井岳へは脆い土を攀じるように登り、ようやく山上ヶ岳(大峯山)へ。昔、山に興味がなかった頃に父と兄と3人で来た思い出の地だ。ぼんやりとした記憶を元にお花畑などを歩いてみる。しかし、初日は30キロ近く歩かねばならないので、あまりゆっくりしていられない。いそいそと修験道の聖地を後にする。
その後、なんとか小笹宿で給水して大休憩。この時点でフラフラのゾンビ状態であるいていたので、本当にここは天国に見えた(笑)16時過ぎに行者還避難小屋に辿り着いたが、先に小屋にいた方々と話したのも少しだけで、19時前にはぐっすり就寝してしまった。
初日、足摺茶屋跡を過ぎた頃に金峯神社の僧侶の方と出会った。非常に健脚な方でついて行くのに精一杯だったが、話を聞いたところ、大峯山寺までの百日回峰をされるための準備とのことだった。山で僧侶に出会えるなんて、やはり奥駈道は特別なんだなと再認識した。
初日 行動時間12時間30分 移動距離30.8キロ 累積標高2844m
2日目の目標は行者還から持経宿。朝の目覚めも悪くなかったが、スタートは予定時間の25分後。むむ、これは幸先悪い。体調は前日ぐっすり睡眠をとっただけあって、多少の疲れは残っているものの快調。残雪の弥山へのきつい登りも頑張って登り、本日から営業開始のの弥山小屋でコーラを購入!!疲れた時のコーラの美味しいこと。休憩もそこそこに近畿最高峰の八経ヶ岳へ。こちらも楽々クリアして次へ。
どの辺からおかしくなってきたのか分からないが、孔雀岳の手前くらいで自分の作ったコースタイム表から微妙に遅れてる、、、。あれ?目の前にある釈迦ヶ岳はそびえるような山容でどう考えても時間がかかりそうなんだが、手元の表と見比べたところ、もう残すところ山頂まで20分しか猶予がない(笑)急いで取り付くが、本当に「取り付く」という表現が正しいような急峻な鎖場が多数あり、疲れた身体で重いザックを担いだ自分には、無事に登りきれるかどうか不安で仕方なかった。この時、自作のコースタイムとの差はどうでもよくなった瞬間でした。ほんま落ちたら死ぬようなとこを何回も登り、ようやく釈迦ヶ岳山頂へ。噂には聞いていたが、3mはあろうかという大きな釈迦如来像が。これを担ぎ上げた剛力オニ雅さんとはどんな人だったんだろう、、、。頂上にいた方に写真を撮ってもらい、水場の情報も教えてもらったので、迷わず急行。初日もそうだったが、最後の水場で補給してからザックが一気に重くなり、急に歩けなくなってしまう。疲れと重さで仕方ないんだろうけど、その点も考えて行動計画を練る必要を感じた。
その後、フラフラになりながらも太古の辻へ。ここは北奥駈と南奥駈との境界であり、自分的には此処から先は神の領域に入るような気がする、神聖な場所だ。
そこに居合わせた有名トレイルランニングチーム所属のトレイルランナー2名に記念撮影を頼み、いよいよ南奥駈へと歩を進める。
本日の予定地の持経宿はまだまだ先だ。どう考えても今の状況で進むことはできない。そこまでに幕営適地があるかも分からない。そう考えていると、ポツポツと雨が。考える暇もなく、天狗の稽古場でテントを張って2日目が終了した。
2日目 行動時間 10時間37分 移動距離21.7キロ 累積標高1826m
3日目。前日の遅れ2時間を取り戻すか、まったりに切り替えてもう一泊増やすか、色々と考えたが、当初から3日目は体力が落ちることを想定して行動時間を短くし、15時過ぎにはテン場に着く予定にしていたため、少し無理して進むことにした。
天狗の稽古場を出発して昨日の予定地であった持経宿に到着したのが、3日目本来の到着予定時間より1時間後。ということは、頑張れば挽回できる可能性がある。しかも、南奥駈エリアは北奥駈エリアとは違い、比較的低山の部類であるためスピードが出る。
笠捨山の登りは泣きそうになるほどの急登がひたすら続いた。そして、南部の特徴か、ガツンと登ってガツンと降る、こういうパターン山が多く、足が痛くなってきた自分にはこたえる我慢の山行が続いた。
一番心配していた水については、各小屋で置き水をしてくださっている新宮山彦ぐるーぷの方々のご厚意により、一度も沢へ水を汲みに行くことなく給水できた。これは本当にありがたいことだ。この置き水がなければ、3日目のハイペースはあり得なかっただろう。ここであらためて感謝を伝えたい。
3日目の核心は地蔵岳だった。ここは鎖場が延々と続くセクションで、疲れがピークに達している自分には、大きなザックを背負って登り下りすることが非常に危険に感じた。空身であれば問題ないような岩場でも15キロの荷物を背負うと話が違う。
その後は正直なところ、低山歩きのような感じでひたすら距離を稼ぐ。歩きに歩きまくった。
玉置神社に到着したのが16時前。下調べでは、ここの駐車場に土日祝日は売店が出ているとのこと。それを目指してハイペースで歩いてきたと言っても過言ではない(笑)
そして、玉置神社にて給水し急いで駐車場へ。
あった、売店が!!
ビールとめはり寿司とおでんこんにゃく?を購入し、昏れなずむ夕日を見ながらテントの前でまったりと晩酌。
しあわせを噛み締める(大袈裟)
3日目 行動時間11時間11分 移動距離29.1キロ 累積標高2466m
最終日は熊野本宮大社まで15キロほどの行程を歩くだけなのでかなり気楽だ。そう思いながらスタート。昨日、同じ駐車場に泊まっていた3名の方はもう誰もいない。どうも自分は朝の行動開始が遅いようだ。
まずは玉置神社からの下りで順峯で吉野を目指しているという方と出会う。やはり大峯奥駈道は順峯が本来の姿だろう。自分もいつかはやってみたいなと思った。お互いの無事を祈って別れた。
その後もハイキングコース的な歩きが続き、右側に視界がひらけたところにきた。
そう、熊野川だ。
ようやくゴールである熊野本宮大社がある熊野川が見えたのだ。この瞬間、なんとも言えぬ感情が込み上がってきた。興奮した。
さらに歩くと先行者たちが休んでいる。ここも視界が開けており、熊野川を見ると、ゴールである本宮旧社地の大鳥居が見える。この瞬間、「やったな」と思った。あとはゆっくりゆっくり着実に怪我なく歩みを進めるだけだ。
最後の熊野川を、サンダルに履き替え歩いて渡った。
今までの汚れが落ちていくような気がした。
11時30分 大斎原着。
3泊4日の旅が終わった。
大峯奥駈道としてはここで終了だ。この後、熊野本宮大社まで歩き今回の旅の終点とした。
最終日 行動時間6時間23分 移動距離18.7キロ 累積標高1040m
最後に。
今回の山行で様々な人と出会った。
単独で踏破を目指す女性。初心者を含む3名で東京からやってきたという男性。新宮から吉野を目指すという初老の山伏2名。前鬼からやってきた単独行者。逆峯は2度目だという男性。
これらの方々が無事にそれぞれの山行を完遂させられることを願っている。
また、自分の勝手を許してくれた家族にも感謝したい。
やっぱり山は良いなぁ。
次はどこに行こうか。
あっ、その前に外出許可の為の嫁ポイントを貯めねば、、、。
thank you
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