南アルプス深南部縦走《日本三百名山》
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- GPS
- 71772:30
- 距離
- 50.4km
- 登り
- 5,131m
- 下り
- 5,275m
コースタイム
- 山行
- 7:30
- 休憩
- 1:13
- 合計
- 8:43
- 山行
- 10:10
- 休憩
- 1:45
- 合計
- 11:55
- 山行
- 9:08
- 休憩
- 0:32
- 合計
- 9:40
- 山行
- 6:02
- 休憩
- 0:46
- 合計
- 6:48
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2013年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
復路:(京都市交)京都市役所前 |
コース状況/ 危険箇所等 |
略明瞭 |
写真
感想
1日目(5/3): 寸又峡温泉〜カモシカ平 晴れ
前泊地の浜松から始発列車で大井川鉄道千頭駅に到り、バスに乗り換え寸又峡温泉に着いた。平成17年のこの時期に寸又三山縦走に来て以来の温泉街だ。あの時世話になった紅竹食堂の親父さんは元気だろうか。温泉街の外れに林道ゲートがあり、自然保護協力金を徴収していたので快く500円協力した。今日のル−トは8年前の沢口、高塚山、黒法師岳、前黒法師岳を周回縦走して下山に使った2日目のルートを登る。大間川林道を進み眼下に大間ダムが見えると先の方には大間川に架かる“夢の吊橋”が見えた。対岸には朝日岳が鎮座している。飛竜橋のアーチが谷間の緑に溶け込み大間川に架かっていた。観光客もここまで散策に来る。夢の吊橋を渡り飛竜橋から温泉に戻るのが定番のようだ。
登山ポストのノートに届を書き込み湯山林道へと入った。道はダートとなり沿道の藤が紫の花を付けて美しい。10分程で前黒法師岳登山口(標高580m)に達し、見上げると凄い急斜面に辛うじて付けられた登山道がこの山行の険しさを暗示しているようだった。急登の斜面に僅かな平地を生み出し古い石垣の跡が散在していた。やがて現れた標識には「湯山集落跡」とあった。こんな山中に嘗ては人が住んでいたことに驚きを感じた。更に急登は続き稜線に乗り上がると登山口から大きく迂回してきた湯山林道に飛び出した。広場になり小屋跡にペンキで登山口方向が指示されていた。一段上がった所からの展望は素晴らしく、寸又三山の朝日岳、沢口岳とその稜線が望めた。
急登は続き尾根通しに忠実に進むと、栗ノ木段に到った。ピーク性のない広い樹林帯だが3等三角点「栗木平」(1,107m)の他は特に何もなかった。単調に進むとイワカガミの葉が目立ちだし登山地図に群落地と記されエリアに達したようだ。花期は未だ先で光沢のある葉だけが春を告げているようだった。登山口から標高差1,000m余り登ると、急登で白ガレノ頭(1,665m)に着いた。南の方の展望が良く天水から、板取山、八丁ノ段、蕎麦粒山などを望むことができた。
急登はまだまだ続き、300m近く登って漸く前黒法師岳(1,943m)に到着した。沢口、朝日と合わせて寸又三山と呼ばれ、その最高峰として雄偉であるが、寸又峡温泉から直接見ることはできない。3等三角点「前黒法師岳」があるが展望は蕎麦粒山が辛うじて見える程度しかない。山頂付近には雪田があり、標高が2,000m近くになったことを実感した。西の方に少し下ると北が開けた所があり合地山(がっちざん)や池口岳、光岳を望むことができた。折角稼いだ標高を300mも吐き出し1,665mで黒法師林道に飛び出した。P1706の南を巻くように林道を辿り、鞍部で南赤石林道に出合った。広場になり“ヘリポート”と通称されている地点だ。展望は素晴らしく南側の蕎麦粒山、高塚山等に加え北側に大根沢山、信濃俣の奥に南アルプスの聖岳以南の山々も望むことができた。
南赤石林道が回り込んでいる尾根に取り付き双子山に到った。双耳峰で東峰が主峰、1,810mの標高がある。何れも山頂標識はなく西峰で僅かに黒法師岳を望むことができた。樹林帯を進みP1821を越えると黒法師岳との鞍部に達した。西の谷に水場がある筈だ。丁度男性が黒法師岳から下って来た。丸盆岳東尾根を登って来たというが、東尾根にも登路があるのだろうか? 水場の事を尋ねると「此処にはない」と言う。そんなことはない筈だと男性が行った後、谷を覗き込むと下の方に光るものが見える。「あれは水に違いない!」と意を強くしたが、さて下れるのだろうかと危ぶむ位の急傾斜だ。勿論谷を直接下ることはできず少し戻って尾根の張り出しを木に掴まりながら下降するとありました! 上西平沢の最初の一滴が湧き出ていた。10分ほど掛けて3リットルの水を採り、来た道を這い上がった。下った標高差は60m位あったようだ。これで明日の夜までは安心、しかし、ずしっと重くなったザックは足取りまでも重くした。黒法師岳へ300mの登り返しはキツかった。
点在する雪田を抜けて黒法師岳(2,067m)山頂に達した。小広く静だが展望は得られなかった。山頂標識の傍らに3等三角点「黒法師岳」があった。此処の三角点は知る人ぞ知る「×」印標石で、普通三角点は頂部は「+」印だが何故か「×」になっている。前回来た時は雪の下で見つけられなかったが今回はしっかり見られて大満足。この山域の鶏冠山西尾根にある梶谷三角点1,556mも「×」という話だ。黒法師岳山頂を発ちバラ谷ノ頭への分岐を過ぎると笹原となり西斜面が薙いで視界が広がった。縦走路の先には丸盆岳、鎌崩ノ頭、不動岳が連なり、今山行の最大難所鎌崩の悪相を覗かせていた。西の方に目を転じると恵那山や御嶽山、東方には富士山の姿もあった。
北へ下る途中に少し登り返しとなったピークは等高尾根の頭(1,935m’)で西北西に急登の等高尾根が伸びている。下山路があり戸中林道歩きで水窪ダムへと達することができる。このルートを使えば黒法師岳に日帰りできるので最もポピュラーな道のようだ。時刻は16時30分を過ぎ丸盆岳までの間のカモシカ平にテン場を探しながら進んだ。振り返ると黒法師岳の北斜面はたっぷり雪を抱え南斜面とずいぶん違った。カモシカ平の笹は膝位まであり平らな場所も乏しい。最低鞍部を登り返した標高1,920mの地点に笹原の中に比較的平らで禿げたところを見つけテントを張った。18:41熊伏山の南の方に沈む夕日を見て眠りに就いた。
2日目(5/4): カモシカ平〜黒沢山南部 晴れ後薄曇り
丸盆岳でご来光を見ようと3時に起きて準備をするが、日の出は意外に早く4:46、出発した時には既に日の出の時刻を過ぎていた。赤く焼けた背景に映える富士を眺め丸盆岳(2,066m)に到るとモルゲンロートに映える黒法師岳やバラ谷ノ頭、そして縦走路の先を見ると鎌崩(かまなぎ)の悪場を従えた鎌崩ノ頭。いよいよ今山行の核心部だ。丸盆岳の北尾根を下り先ず西側の薙ぎが悪相を現し険しさを増してきた。ネットの記事によれば鎌崩はボロボロの岩場でロープでの登降も不可能で、通過するには東側の谷を大きく下り横断して登り返すしかないようだ。
下降点を探り一旦下ってみるが直ぐに谷に収束してしまい断念、稜線に戻り更に進むと鎌崩核心部手前の小ピークとの間に深い切れ込みがあり其処も通過は無理そう。と云うことは此処から迂回するしかない。恐ろしい急斜面を木に掴まりながら下りだした。足場が崩れ滑落! 咄嗟に近くの木の幹に腕を巻き付け滑落停止、助かった。しかし代償は右瞼を切って出血してしまった。部位的に出血が多くどうなることかと思ったがバンドエイドで何んとか止血でき続行することができそうだ。この後も何度も、もう無理かと思いながら何んとか尾根の先端に達した。右の谷にしようか左の谷かと逡巡するが谷の状況が少しマシな左の谷に強引に下降した。しかしこの谷は落石の巣窟、尾根を下っている際も小さな石が落ちる音を何度も聞いた。早く通過してしまおうと思うが登り返しはもう一本北の谷を越えてからだ。谷の中を更に10分程歩き漸く対岸に取り付く事ができた。稜線からは200m以上下ったようだ。
登り返しの斜面も急なことに変わりはなく木に掴まり這い登ること1時間18分漸く稜線に復し左手に鎌崩核心部の悪場を見た。距離にして僅か100m程の間だろう下降路の偵察も含めて3時間半も掛ってしまった。穏やかになった稜線を10分余り歩くと鎌崩ノ頭(2,075m)に達した。穏やかな山頂には山頂標識はなく北の方に深南部の縦走路と池口岳が望めた。
北に続く稜線は笹原で踏み跡も乏しく鹿だけが歩いているかのようだ。鞍部から登り返し不動岳分岐の高台が見えて来ると人の姿があるようだ。分岐点と思しき所にザックをデポしピストンを試みた。不動岳南尾根は見晴らしが良く7人程の登山者が登っているのが見えた。一体どこから来たのだろう。笹原には立ち枯れの木と足元に倒木が潜み歩き難い。伸びた隊列の7人組はお疲れの模様、空身の身軽さでどんどん追い抜き真っ先に不動岳(2,171m)山頂に着いた。静岡県によくあるお団子串刺し形の山頂標識がユニークに立っていた。山頂からの展望は良く、深南部の山々が素晴らしく見えた。7人組が相次いで登頂し来たので、「何処から来た」と聞くと林道の終点からというので等高尾根登山口の先に入り六呂場山経由で来たのだろうか? 鎌崩ノ頭西尾根を登って来たのだろうかもう一つそのルートに要領を得なかった。
分岐点に引き返して栄養補給をして回り込むように北西稜線に入った。此れが意外に厳しく時間が掛った。P1799までの下りに1.3劼45分も要し、時間短縮どころか予定時間を大幅に上回ってしまった。今回あわよくば3日間での縦走を目論んでいたが鎌崩の通過とその後の悪路を合わせると3日縦走は不可能であることが決定的となってしまった。そして六呂場山(ろくろばやま1,747m)との間も瘦せ尾根で悪場が連続し時間はどんどん過ぎてしまった。六呂場山山頂には3等三角点「六呂場」と真新しい山頂標識があった。そして傍らに黄色地に赤で「耳目は欺かない 判断が欺くのだ」と云う意味ありげな看板が掲げられていた。
六呂場山の北尾根は此れまた急斜面で慎重に六呂場峠へと下った。今日は此処で水を確保しなければならない。東の谷に水場があるようだが随分下まで見通しても一向に水らしきものは見えない。然し汲みに行く! 1,600mの峠から下ること200m、冷たく美味し水が湧き出していた。水汲み往復に1時間近く掛った。さあ出発だ。縦走路は笹原が続き倒木が混じり灌木の枝も低く、もう脛は打ち放題、頭は釣鐘の如く枝でゴ〜ン、極めつけは躓いた拍子に顔面から枝にぶつかり、散々だ。此れは疲れて注意力が散漫になっているせいだ。3日行程を諦めたのでもう無理することはないテン場を探そう。
笹原続きでテントの張れそうな処は中々見つからなかった。P1995を越えた処の一寸した窪み、平らそうだが笹の途切れはない。笹を踏みつけて強引にテントを張ったが居住性は今一。今日は疲れ過ぎたのか食欲はあまりない。軽く夕食を食べ未だ明るいうちからシュラフに潜り込んだ。
3日目(5/5): 黒沢山南部〜笹ノ平東 晴れ
今日も快晴、朝一は黒沢山への200mの登から始まった。今日も3時に起きたが、やっぱりぐずぐずしていて出発したのはご来光の時刻だった。寸又川源流で逆河内源頭の鞍部(1901m)を過ぎ、南側の斜面の薙ぎの縁に出ると黒法師岳や不動岳の稜線を望むことができた。急登斜面は藪が酷く倒木、枝の張り出しに苦労を強いられた。黒沢山(2,123m)山頂は雪に覆われていたが3等三角点「黒沢山」はしっかり露出していた。ただし展望は得られなかった。黒沢山の下りは樹林の下に雪原が隠れているが比較的なだらかなのでアイゼンを履く必要はなかった。
次の目標は中ノ尾根山、その間に2.5万図によると標高の記された地点が6箇所あり、夫々ピーク性がある。メジャーな山域なら山名が付けられているだろうが道すら有りや無しやの深南部には何もない。所々展望地があり南アルプスや中央アルプスを望むことができた。P2095とP2214でカクッ、カクッと方向が変わり雪の斜面を登り中ノ尾根山(2,296m)に到った。山頂には3等三角点「中尾根山」があり、六呂場山と同じタイプの真新しい山頂標識が掲げられていた。この山頂には残念ながら展望はなく、北に続く稜線は全面雪でありアイゼンを履いて下降した。鞍部の西側は西俣沢の源頭で薙の縁を進んだ。見上げるとこの薙ぎはP2251の山頂付近まで続いている。一体何処を登るのだろう。薙ぎの縁は凄い急登だ。
僅か700m程の距離に40分余り要してしまった。昼食休憩の後、北斜面を下り三又山に達した。P2251の方が立派なピークで山名があっても良さそうだが此処三又山は西に伸びる長い県境尾根を従えたジャンクション、白倉山や平森山、朝日山を擁し、国道152号線秋葉街道の徒歩道、青崩峠に到る尾根だ。雪の状況に応じアイゼンを付けたり外したりと忙しい。面倒だが兎に角安全に進むことだ。2.5万図によると大した標高差は見えないが6つの小ピークが潜んでいた。そして歩き難いことに変わりはなく、段々円錐形の美しい山容を持った鶏冠山が近づいてくると、最後の登りはやはり急登で高度を稼いだ。鶏冠山の主峰である南峰(2,248m)に到ると木を斜めに輪切りにしたような山頂標識が掲げられていた。北に続く縦走路を見ると凄い急斜面で、雪を持った斜面を一歩一歩下りて行くと前方に此れまた荒々しい大岩のような小ピーク、迂回できないかと周囲を探すが、やはり稜線を通るしかない。灌木の枝が張り出し道はない。何とか鞍部に下り立った時はホっとした。沿面距離240mに47分も掛った。北峰(2,204m)へはそれほどでもなく到着すると、南峰と同じ形式の山頂標識があった。此処から西に明瞭な長い尾根があり遠山郷へ下ることができる。この尾根上の池口三角点(1,441m)も黒法師岳同様「×」印の標石であるそうだ。
北峰の下りは広い雪の斜面を下るが倒木も隠れてしまい、サクサクと歩けば問題なかった。下れば笹ノ平、時刻は早14時を過ぎている。この先は池口岳の登りとなる。池口を越えるとテン場はザラ薙平までなく、時間的にも体力的にも一寸無理そうだ。そうなると今日はこの辺りでテン場を探さなければならない。水場は東側の谷にある筈だ。平らそうに見えて中々テントの張れそうな処はない。P2106を越え池口の登りの始まった処に適地を見つけ幕営、水場は漠然とし過ぎてよくわからないので、面倒なので周辺の雪を利用することにした。
4日目(5/6): 笹ノ平東〜遠山郷 晴れ
今日も快晴、明るくなり始めた4時40分歩行を開始した。今日は今山行の最高峰池口岳に登る。朝からアイゼンを履き、標高差250mを登る。雪はビシッと締まりアイゼンが気持ち良い。樹林帯で今日もご来光は見られなかった。数人の古いトレースがあり段々傾斜が増してきた。やはり急登だ。40分の歩行で池口岳の稜線に達した。これで我が足跡は寸又峡から光、赤石、塩見、甲斐駒ヶ岳・鋸岳を越えて中央線富士見駅に繋がった。年来の目的達成だ。分岐点にザックをデポして池口岳南峰(2,376m)山頂にピストンだ。山頂標識が朝日に映えていた。3等三角点「十釈迦」は露出しておりご挨拶した。展望は辛うじて信濃俣が見えるだけなので直ぐに引き返した。
分岐点付近から池口岳北峰(2,392m)が望め、優雅な円錐形だが南西斜面が薙いだ険しい山容を現していた。南峰の下りは厳しい! 何しろ恐ろしく急で岩場と雪の斜面を木に掴まりながら下降を始めた。幸にも雪が締まっているのでアイゼンの前爪が有効に働き何んとかクリアすることができた。最大の難関は途中の小ピークで夏道は雪が堆く、巻くことができず稜線の灌木を漕いで引っ掻き傷を作りながら鞍部へと下った。登り返しも厳しい急登で50分近く掛り池口岳北峰に到着した。今山行の最高峰で感慨一入、平成18年8月に来た時の記憶が蘇った。
さて遠山郷へ向けて下山だ。北峰の下りもまだ油断はできず急斜面を下りジャンクションに達した。深南部縦走路は此処まで、加加森山へ向かう縦走路と分れて池口北尾根を下った。P2156を下るともう危険個所はなくなり雪も斑にってりアイゼンを外した。ザラ薙平に近づくと「水場→」の標識があった。この水場は7年前に汲みに行った。往復1時間ほど掛りかなり遠かった。しかも戻りはスズメバチに悩まされたものだ。ザラ薙平は最高のテン場で懐かしい。ザラ薙の縁からは池口岳、鶏冠山、中ノ尾根山など戦いの跡が望め満足感を味わった。ザラ薙の頭(1,971m)は、山頂標識はなく展望もなかった。
少し行って登り返した処は利検沢の頭(1,902m)でその少し手前に展望地があった。奥茶臼岳や聖岳、塩見岳等白い峰々を望むことができた。黒薙の頭(1,838m)山頂には、3等三角点「黒薙」がありすぐ傍まで薙ぎが押し寄せ南側に展望が広がっていた。何十年か先、崩壊を続ける薙ぎにこの三角点が呑みこまれる日が来るのではないだろうか。黒薙の頭からは大下りで一気に標高を下げた。P1561は40m程の登り返しで、未だ芽吹きを迎えない橅林で明るく気持ちが良い。再び下降し面切平に到ると足元に春を感じた。スミレやミツバオウレンが咲き始めミツバツツジが陽に映えて美しかった。
入野平(1,235m)は山とは言い難いが若干膨らみを持ち3等三角点「入山」があり、縦走路を外れ金銀のテープに導かれ達することができた。池口林道に飛び出すと登山口で駐車スペースには車が1台止まっていた。指導標によると林道の先に避難小屋があるようだが、どんな状況なのか気になるが態々行く気にはなれなかった。
池口林道を歩き、最奥の民家、遠山家に達すると林道脇に登山ポストがあり前回は此処までタクシーで来た事を思い出した。今日は更に歩き大島集落の林道入口から国道152号線に出て南信濃和田にある“かぐらの湯”を目指した。遠山川に架かる和田大橋を渡ると直ぐ下流に鯉幟が無数に川に架けられ泳いでいた。その先には熊伏山(くまふせやま1,653m)がドンと構え誠に良い絵になっている。
1時間20分の車道歩きで“かぐらの湯”に到着し、長い縦走を終えた。この4日間会った人は2組8人だけ、しかもこの2日間は誰にも会わなかった。良くぞ越えた鎌崩、厳しかったぞ鶏冠山、良くぞ極めた池口岳。久々味わったスリルと充実感、満足の山行だった。山間の温泉で至福のひと時を過ごし帰路に着いた。
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