白馬岳
- GPS
- 47:44
- 距離
- 14.1km
- 登り
- 1,855m
- 下り
- 1,254m
コースタイム
- 山行
- 6:15
- 休憩
- 0:05
- 合計
- 6:20
天候 | くもり、雨、晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2019年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
ケーブルカー(ロープウェイ/リフト)
|
コース状況/ 危険箇所等 |
白馬大雪渓は白馬尻小屋から1時間ほど歩いたところからアイゼンをつける。 歩行時間は30分ほど。 |
その他周辺情報 | 栂池高原駅すぐのところに「栂の湯」という温泉がある。 |
写真
装備
個人装備 |
Tシャツ
アームカバー
タイツ
ズボン
靴下
防寒着
雨具
ゲイター
日よけ帽子
着替え
靴
予備靴ひも
ザック
昼ご飯
行動食
非常食
飲料
ハイドレーション
ライター
地図(地形図)
コンパス
笛
計画書
ヘッドランプ
予備電池
筆記用具
ファーストエイドキット
常備薬
日焼け止め
ロールペーパー
保険証
携帯
時計
サングラス
タオル
ナイフ
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感想
白馬岳は筆者憧れの山である。登山を始めて割と早い時期に、大雪渓を登ることを想定して6本歯の軽アイゼンも買って備えていたのだが、なかなか行ける機会がない。昨年ついに計画を立てたが、台風接近で断念せざるを得なかった。今年こそはの思いで、リーダー、分岐マニア氏、筆者の3人は年休を取ったり、ベルダッシュで職場を出たりして前泊地の白馬駅に降り立ったのであった。当初は3日間の縦走の当日朝に家を出る計画を立てたのだが、それだと最終日のスケジュールがタイトになるので、白馬駅辺りに前泊して、1日目に白馬山荘まで行き、2日目は白馬大池小屋に泊り、3日目に栂池に降りるということにしていたのだった。
前泊の夜の天気予報では、1日目の未明から朝にかけて強く雨が降るということで、早く前線が過ぎてくれないかと思っていたが、朝からしっかり雨が降っていて、多少意気消沈しながら猿倉行のバスに乗り込んだ。しかし、出発してすぐに猿倉までの道が通行止めになり、バスは運休。八方のバス停で足止めを食うことになった。一旦バスに同乗した方々は早々に計画を変更して待合室から去っていったが、我々はいろいろ考えた結果、今日中に白馬尻小屋に行ければ、我々の走力でも3日目の昼に栂池に降りてこられると判断するに至った。つまり最初の計画に近いスケジュールになるということだが、問題は今日中に道路の通行止めが解除されるかどうかだ。
待つこと2時間半ほどして、通行止め解除の連絡が入り、1時間半後のバスが猿倉まで行くことに。スケジュールは決まった。ではお茶でもするか、ということで近所のおしゃれなカフェでダラダラし、それから猿倉行のバスに乗ったのであった。
猿倉からはすぐに登山道と言うより未舗装車道のような道を右手に川を見ながら登っていく。おっ、陽が出てきた。正面に見える山が白馬岳だろう。ところどころで沢を横切るところがある。今朝までの雨で水量が増えているようだ。高所恐怖症の筆者には緊張が走る小さな木橋なども渡りながら1時間ちょっとで白馬尻小屋へ到着した。
時間的に余裕があるので、リーダーと分岐マニア氏は雪渓の下見に出かけたが、筆者はゆっくりビールを飲むことにした。今は金曜日の昼である。背徳の旨味を感じる。むふっ。飲みながら食堂に張ってある様々なものを見ていたのだが、白馬尻小屋は毎年建て直す山小屋だそうで、そういえば壁や柱に組み立てるときのためと思しき文字(「母屋・壁・右」、みたいな)が書いてあり、苦労をして小屋の運営をしているのだろうなあと思った。大雪渓の最下部だから積雪と雪崩は相当なものなのだろう。また、本棚で未知のマンガも見つけた。高尾山ネタの4コマものでなかなか面白い。結局置いてあった3巻ほとんど読んでしまった。今は金曜日定時前。背徳の書物。
小屋の方々は皆さん大変親切で、ご飯も美味しかった。この地域では味噌汁に鯖缶を入れるということで、珍しいと思ったが、鯖缶好きの筆者としては十分堪能し、お替わりまでした。ごちそうさまでした。
翌日は朝ご飯前に出立することにしていたが、小屋の方が場所を提供してくれたので、食堂で軽くパンなどお腹に入れて出発した。小屋にあった案内では、右に行って間違った道に入り込まないように注意されていたので、左、左と進んでいく。左高斜面で結構歩きにくい。ずんずん行くと、あれ、行き止まっちゃった。後ろでリーダーが、雪渓にベンガラあったよ、との声。だって、左・左って書いてあったんだもん。5〜10分ロスで引き返し、初の、そして念願の雪渓歩き。かつて乗鞍岳の雪上で4本歯が利かなかった経験のあるリーダーはずいぶん心配していたが、下が凍っていれば4本でもしっかりグリップすることを発見し、「たのしー」とか言いながらサクサク登っていく。でもここはすぐに終わって「上陸」し、アイゼンを外したのだがすぐに道がなくなり、前の人に続いて、横の「島」に移ったが、どうやらここは土石流のあとだったようだ。でも雪渓上にベンガラが見えないので、やむなくここを歩いていくと、雪上にベンガラ跡発見。ここから再度アイゼン装着。でもほんの100mぐらいで再上陸。こんどは植物が育っているので本当の「陸地」のようだった。我々の雪渓体験は実時間10分ぐらいだったかしらん。アイゼン脱着の時間の方が長かったかも。
しばらく進んで、後ろを振り返ると後から続々と雪渓を登ってくる。当初のスケジュールでいけば前の人たちに続いて迷いなく雪渓を登るはずだったのだが、まあ、こういうこともあるだろう。正規ルート(?)の少し上部には雪渓が崩れてぽっかり空いた口があり、その下を水がどんどん流れていた。雪渓は下から溶けていくんだなあ。だからベンガラの上を歩かないと危険なんだね。
さて、雪渓が終わるとキツイ登りである。盛りは過ぎたとはいえ、花も残っており、疲れをいやしてくれる。先頭を行くのは分岐マニア氏だが、筆者にはちょっとペースが速いと思ったので、「あんまり早く白馬山荘に着くとビール2杯飲むぞ。」と誰が誰を脅しているのかなんだがよく分からないセリフを吐きながら登っていく。岩室跡を通り、結局「葱平」がどこか分からないまま、頂上山荘までたどり着いた。ここから稜線に出て、白馬山荘まではもう一息である。
かくして白馬山荘に午前中に到着。やった。憧れの白馬山荘だ。筆者が山小屋に午前中に着いたのは初めてである。リーダーと分岐マニア氏は山小屋の探検に意欲満々である。まずは荷物を置いてスカイププラザというレストランに行く。ビールは1杯で勘弁してやろう(誰に言っているのか?)。標高2900mにあるとは思えない素敵なレストランである。杓子岳だろうか、窓からきれいな稜線がちょっとだけ見えていたがすぐに雲に隠れた。
ちょっと休憩して、白馬岳山頂に行ってみることにした。残念ながら眺望は雲に遮られていたが、著名な石板があり、なぜかお賽銭みたいに小銭がたくさん上に乗っていた。小屋に戻り改めて探検。著名人の色紙がたくさん張ってあり、ちょっと前に見たNHKの番組でこの小屋に寄ったであろう、萩原編集長さん、荻原次晴さん、鈴木とも子さんの色紙があった。また、箱根/金時山の「金時娘」の色紙があり、どういう関係だろうと思っていたが、頂上の石板は金時娘さんのお父さんが運んだんだそうですね。つまり新田次郎の強力伝のモデルは金時娘のお父さんと言うことで、なかなか勉強になります。白馬山荘は大きな山小屋なので、資料室や図書室などもあって、食事もとてもシステマティックにスムーズに人を入れ替えていた。食事はとても美味しかったです。
さて、冒頭に書いた通り、スケジュールを変更した関係で、3日目はハードなので、早く出立することにした。3時前に目が覚めていたので、外に出てみると風が強いが、ところどころ星空は出ていて北西?方面に街明かりも見えた(魚津かな?)。4時半出発に合わせて準備をして外に出てみると今度は霧である。日の出前の暗闇の中、歩き始めると雨が降り始めた。折からの強風である。雨具のズボンをはく必要がありそうだったが、リーダーは時間をロスしてでももう一度小屋に戻って雨装備にすることを主張。これが実に的確であった。さすがリーダーで、暗闇、強風、雨の中で装備を整えていたら、飛ばされるなどして何かなくしていたに違いない。夜明け前とはいえ、暗い中で行動することはリスクを伴うことを改めて感じた次第である。
もう一度登り直した白馬岳山頂はかなりの強風で、早々に先を急ぐことにした。三国境を経てなんとか小蓮華山に到着。小蓮華山山頂も強風であったが、有名な鉄剣の向こうにすこし晴れ間が見えてきた。
ここから稜線を下るのだが、約10年前に放送されたNHKのスペシャルドラマ、「坂の上の雲」のエンディングの映像になっていたのはこの稜線らしい。幸いなことに雲が晴れて来て、振り返ると小蓮華だけへの稜線がきれいに見えてきた。「坂の上の雲」は名作だと思うが、これを読むと明治と言う時代を支え活性化した要因の一つは多様性だったように思う。日本という狭いようで独自性をもった地域の人々がぶつかり合ったことを感じる。今の日本は地域性がほぼなくなっているだろう。もっとワールドワイドな多様性がこれからの日本を活性化するのかもしれない。
閑話休題。小蓮華山から船越の頭に至ると、前方に白馬大池が見えてきた。天気も回復してきたし。のんびり歩きを楽しみたいところであったが、筆者はちょっと前から「催して」きてしまったのである。しかし、リーダーは楽しそうに花など写真に収めている。そわそわしながら理由を話すと、にっこり笑って「先に行っていいよ」。優しいのか冷たいのか分からんが、とにかく筆者だけ先に行くことにした、日ごろ登山で人を追い越すことなどほとんどない筆者であるが、この時ばかりはすごい勢いで下り、このままでは筋肉疲労を起こして栂池までたどり着かないのではないかというスピードで降りた。せっかく晴れてきた風景を楽しむこともなく、なんとか大池山荘にたどり着き、事なきを得た。ふう。
白馬大池山荘でちょっと長めの休憩を取った。朝の出発時に装備し直してロスした時間はほぼ取り返した感じであったが、温泉にゆっくり入るためにはここからも気を抜いてはいけない。大池山荘を出ると、大きめの石を伝うような登りである。これがなかなかキツイ。それでも白馬乗鞍岳のケルンを超えると今度はまた石続きの急な下りである。次回のテン泊計画を大池小屋ですることを考え始めていた分岐マニア氏だったが、この石の急坂をテントを担いで上がってくることを想像して、その計画はもろくも崩れ去ったようである。地図には「雪田」と書かれている残雪をトラバースし、さらにどんどん下り、天狗原というところに出た。いやあ、ここは疲れた。ここで木道になったのでベンチで一休みし、当分木道が続くのかと思いきや、また歩きにくい、ちょっと荒れたような石がちの道になった。スピードも上げられず、どんどんリーダーの機嫌が悪くなってくる。ベルリオーズの幻想交響曲第三楽章のティンパニによる「遠雷」を聞くような恐ろしい気分である(このあと曲は「断頭台への行進」「魔女の夜宴の夢」と続く。ひえー)。栂池からはロープウェイに乗るので、そろそろ機械の音や人の声が聞こえてきてもよさそうなものだが、それもない。我々は温泉に入れるのか?不安がピークに達したころ、建物の屋根が見えた。やった、着いたー。と思ったが、ロープウェイ乗り場がない。どうやらさらに車道を5分ぐらい下らないと行けないようだ。ぶつぶつ文句を言いながらロープウェイ乗り場にたどり着いた。ちょうど1本行ってしまったところであったが、靴を洗う場所もあり、身支度を整え、ロープウェイ、ゴンドラと乗り継いで栂池の山麓まで降りた。
リーダーの主張はメシより温泉であったので、栂池のすぐのところに温泉に入った。黒い沈殿物を含んだ温泉で、空いていたので、ゆっくり浸かった。分岐マニア氏と筆者はここからバスで長野駅に向かい、長野駅でそばを食おうと立ち食いそばに入ったのだが、時間の読みを誤り、かき揚げそばを半分以上残して、新幹線に飛び乗ることになった。乗った「あさま」には車内販売がなく、家に着くまでビールはおあずけとなってしまった。時間には余裕をもって行動しなければならない。人間は時間の奴隷ではない。登山ではいろいろなことを学ぶことができる。
以上
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