岡山県久米南町 誕生寺〜北庄の棚田〜筒ノ宮山 夏と秋の狭間で
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- GPS
- 05:33
- 距離
- 15.1km
- 登り
- 518m
- 下り
- 515m
コースタイム
- 山行
- 5:05
- 休憩
- 0:26
- 合計
- 5:31
歩行距離15km、歩行時間5時間、歩行数23,200歩、消費カロリー2,190Kcal
天候 | 雨のち曇り時々晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
電車はJR津山線で誕生寺駅で下車、誕生寺までは徒歩10分程です。1時間に1本出ています。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
北山神社<写真35〜37>への細道と筒ノ宮山<写真77>への道の久米南町&美咲町境界沿い部分以外は、アスファルトやコンクリート道です。後者は粘土の上に落ち葉が積もった道で雨天は水が流れそうです。筒ノ宮山<写真77>からの下山道は最初のコンクリート部分が苔むしており、濡れていると滑ります。 地形図にはない道がいくつもあり、たまに方角を確認する必要があります。今回、途中で引き返している箇所のほとんどは歩ける道がさらに続いていました。 なお、一番足元要注意なのが誕生寺境内です。サワガニが闊歩しているので、周辺に水がなくてもたまに地面を確認しましょう(^_^) 季節柄、誕生寺境内と筒ノ宮山<写真77>の往路(久米南町&美咲町境界沿い部分)には蚊やウシアブがいます。ウシアブはなんとか振り切りましたが、蚊にはかなり献血しました。寺社仏閣で殺生するわけにはいかないので、気になる方は虫よけ対策を。 北山神社<写真35〜37>へは、途中で地形図の太い白線の道(アスファルト道)から逸れて低い草が茂った細道を少し上りました。トタン塀をまたぐとすぐ西に大鳥居<写真35>が見えました。遠回りにはなりますが、そのままアスファルト道を南西に下ると、神社への登り道があり自動車でも大鳥居まで行けたようです。 筒ノ宮山<写真77>へは、最初は下山で利用した舗装道路を進むつもりでしたが、標高320m辺りできれいな土道の入り口が見えたので、入ってみました。木の間の道は歩きやすかったのですが、南西に進むようだったので引き返しました。 そこから少し北上し、地形図の久米南町&美咲町境界沿いの破線の道の入り口には、特に鳥居やテープなどはありませんでした。先程の道よりも細く、粘土の上に雨上がりの濡れ落ち葉が積もったり、たまに小石が転がっていたりしましたが、上りは歩きにくくはなく、たまにある倒木もすぐにまたいでよけられました。 標高360mで道は西寄りに巻き始めました。そのまま直進するとお墓で、どんどん逸れていきそうだったので、北上する道に入りました。そのとたん、ウシアブがついてくるようになりました。 道の状態は相変わらずで、標高395m辺りに分岐がありました。地形図の破線の道から逸れて北上するほうの道に入ると、急にきれいな砂利の広道になりました。しばらく進みましたが、筒ノ宮山<写真77>に向かいそうになかったので、引き返しました。このまま北上すると下山で利用したアスファルト道に合流したようです。 久米南町&美咲町境界沿いの破線の道に戻り、筒ノ宮山<写真77>を目指しました。道には途中から高さ10cm程の草が茂ってきましたが、特に問題はなく磐筒(いわづつ)神社鳥居<写真75>にたどり着きました。 磐筒(いわづつ)神社鳥居<写真75>前にはコンクリート道が左右(北東と南西)に延びていましたが、とりあえず直進して目の前の石段を上り神社に行きました。 磐筒(いわづつ)神社<写真76>から筒ノ宮山<写真77>へは、地形図上は破線の道がありますが、草が茂った広道でよく見るとなんとなく踏み跡がある程度でした。筒ノ宮山<写真77>頂上周辺は少し開けており、地形図の破線の道が北西に延びる方向には黄色いビニールテープが見えました。さらに歩けそうでしたが、鳥居<写真75>まで引き返し、苔むしたコンクリート道を下り、標高420mでアスファルト道に出合い左折、そこからは滑る心配もなく、誕生寺駐車場まで戻りました。 |
その他周辺情報 | 誕生寺から国道53号線を北上すると中島ブロイラー<写真83,84>があります。鶏肉専門店で、ももやきやからあげなどのテイクアウトができます。 |
写真
法然上人が比叡山へと旅立つ際、杖にしていた岡山県奈義町の菩提寺のイチョウの枝を上下逆に地に挿したところ、根が天に向かって伸びたといわれています。この逆木(さかき)の公孫樹(いちょう)は、樹高は10mですが、推定樹齢850年の古木で「名木100選」にも選ばれており、岡山県の天然記念物に指定されています。
建久4(1193)年、熊谷直実(くまがいなおざね)が法然上人の命を奉じ、この地に来て上人誕生の旧邸を寺院に改めたもので、本堂は元禄8年(1695年)に再建された3代目ですが、国指定重要文化財です。
比叡山で修業するためこの地に別れを告げる法然上人の像が設置されていました。大仏は高さ6.42m、重さ450圈岡山県下で一番大きな仏像で岡山県指定重要文化財です。きれいにしてここに移されたようです。雨はほとんど気にならなくなったので、ここからは傘をたたんで歩きました。
寛永8(1631)年、津山城初代城主森忠政寄進により建てられました。八百屋お七の遺族の依頼で大願成就のお七観音が祀られています。江戸で誕生寺の御本尊の御開帳を行った際、江戸での供養を禁じられていたお七の遺族から位牌と形見の振袖を託された誕生寺の僧侶が、ここで供養を行ったそうです。ちなみに、放火するようお七をそそのかした吉三郎は、供養の旅に出たものの、岡山市御津町で没し、持っていたお七の遺骨とともに葬られました。御津町には二人の墓があります。
法然上人誕生の際、二つの白幡が飛んで来て椋の枝に掛かったという伝説があります。その椋が枯れた時、上人のお姿が昇天したといわれています。現在の木は三代目だそうです。石造五輪塔は応永32(1425)年の作です。
天正6(1578)年、当時の住職が大師(法然上人)の石像を発見、手にしたところ、光が消えるなどの異変があったため、凶兆ではと考え御本尊をこの井戸に沈め隠しました。その後、宇喜多一門の襲撃により本堂は破壊されましたが、御本尊は助かったとされています。
稲の害虫を食べるため田んぼの神様の化身、あるいは、お盆の頃に出現するためご先祖様の魂が姿を変えたものなどと考えられ、大切にされてきたトンボです。やさしくヒラヒラと優雅に舞っていました。オスは腹部が光沢のある青緑色ですが、メスの腹部は黒です。近くにはサワガニ<写真12>のオスがいました。
側の片目川から六角堂<写真13>へ続く参道に上がってきたようです。複数で周辺を闊歩しており、足元要注意でした(^_^)葉陰で完全に身を隠したつもりのようですが、“尻隠して頭隠さず”状態(*^^*)動画も撮りました。
平成15年に新築再建された瑞応殿(阿弥陀堂)は、建築材料にケヤキやヒノキなど日本中の名木を使用しています。入口は自動ドアでした(*_*;昭和の我々には入る勇気がなく、内部の大光背の阿弥陀如来坐像を自動ドア越しに覗きました(-_-;)時代は令和・・・
道標に従い、誕生寺第三駐車場を通り抜けました。はっきりと確認できませんが、萼の形やところどころ写っている葉の形からするとアサガオのようです。白花は珍しく、ここにだけ群生していたのが気になりました。
2000坪以上の面積を誇る公園に100基以上の歌碑があるそうです。誕生寺境内から直接行くことができます。川の周辺を散歩できるように少し整備しただけのようで、ハグロトンボ<写真11>などの生き物がたくさんいる自然豊かな公園です。奥に何やら白いものが・・・<写真24>へ
シオヤトンボやオオシオカラトンボに似ていますが、腹部の先端の黒い部分が長いです。メスはその体色からムギワラトンボとも呼ばれています。この少し東から歩きながら中洲の歌碑を動画に撮りました。
低い草が茂った細道を上り、トタン塀をまたぐと、すぐ西にこの大鳥居が見えました。神社の鎮座する山王寺山の頂上には、高さ約20m、柱の直径約1.5mの大鳥居がそびえ立ち、遠近の目印となっています。鳥居の南西には舗装道路が延びており、ここまで自動車で来られます。
創立年代は不明ですが、古来三所権現と称し、創建は口碑や中世の記録によれば文治年間(1185年から1189年まで)、紀伊の熊野本宮から勧請したものです。明治2年に北山三社宮と改称し、更に同10年に村社、北山神社と改め、本殿は元禄5年と昭和45年に、拝殿は大正11年にそれぞれ再建されました。
雨上がりのアスファルト道にできた水たまりに、腹部の先端をちょんちょんとつけるようにして産卵していたので動画を撮りました(*_*;水草も餌もなく、すぐ干上がってしまいそうな場所ですが、周辺をパトロールしていたオスと交尾し、また産卵を繰り返します。それがすむと、彼女を巡りオスの三つ巴(>_<)嗚呼、彼らに明るい未来はあるのでしょうか(-_-;)
花弁のように見えるのは萼で、花弁はありません。センニンソウ<写真72>に似ていますが、おしべと萼の長さが同じくらいで、花の直径は2cm程とセンニンソウの半分ほどの大きさです。何度か見かけました。
サイヨウシャジンに似ていますが、釣鐘型の花は先端がすぼまらず、めしべの花から突き出て見える部分が短いです。ここだけでした。少し南下すると、通行止めでクサギ<写真79>が群生していました。
防火水槽の水面一杯に広がっていました(*_*;在来種のクロモとは、花を見るとすぐ区別できます。日本の侵略的外来種ワースト100に指定されていますが、異常繁殖した後に衰退して安定、または消滅する傾向があるそうです。水面を黒っぽいイトトンボの仲間が飛び、カエルが跳ねて逃げていきました。いくつか見た防火水槽の中でこんなことになっていたのはここだけでした。
棚田百選とため池百選のツーショットです。北庄地区の棚田は面積88haと日本一の面積を誇り、谷、尾根筋に棚田が広がっています。動画も撮りました。石のベンチと案内板があり、ゆっくり休憩できます。
室町時代の作で高さ102cmあります。久米南町の重要文化財ですが、周辺は植物が茂って舗装道路からは案内標柱の先端から10cm程が見えているだけでした。草をかき分けて法面を1m程上がり、周辺の草を押し倒してやっとこの状態にしました。今は道路から塔の先端も少しだけ見えます。
エンジェルトランペット、キダチチョウセンアサガオ、ダチュラなどの名前で市場に出回る園芸植物です。大きな花は萼も含めると長さ30cm程になります。畑の脇などでよく見かけますが、毒があるそうです。
白い花の外側はピンク色を帯びることが多く、見た目はササユリに似ています。幅1cm程の細い葉を見れば間違えることはないでしょう。この時季には道路の法面などに群生しているのをよく見かけます。筒ノ宮山<写真77>から下山中にたくさん咲いていました。
スミスハキリバチ
スミスハキリバチは胸部に茶色い毛が生え、腹部の白い筋模様は真ん中が切れたように見えます。体長2cm足らずの花好きのハチです。夏から秋にかけて、マメ科植物の葉を切り取って巣の材料にします。動画も撮りました。
アサマイチモンジに似ていますが、前翅の付け根近くに一つだけある白斑が目立たず、代わりに先端近くの白斑がはっきり見えます。アサマイチモンジよりもメジャーな蝶ですが、山ではあまり見かけないように思います。
筒ノ宮山の頂上近くにあります。和銅6(713)年現在の地に遷座したと伝えられています。同時期、元明天皇の詔により、諸国の産物・地形・古伝説や地名の由来などを記した風土記(ふどき)が編纂されています。
口碑によると、昔、神萬山の山頂で笛を吹く音が17日間も続き、神が姿を変えた石が笛の音を発したので、人々は奇異に思い山の名を笛吹山と改称して社殿を増築し、この石を奉祀しました。これが本神社の創建といわれています。
クサギはピンク色の萼から白い花が飛び出したようなおもしろい形の花です。群生している所がいくつかありました。オナガアゲハは胴体が真っ黒で後翅の表側の赤い斑紋が目立ち、尾状突起が長く見えます。また、オスには後翅の表側に白い筋模様があります。動画を撮っていると、クロアゲハのオスが現れ、彼女を追い払おうとしていました。
行友鼻隧道
実際には、見えているのは両者の間を流れる片目川だけです。神之淵(かんのぶち)池<写真38>から取水し、棚田のある斜面に隧道を掘り、神谷川(かまだにがわ)の対岸の谷向こうの福家地区へ用水を供給しているのが神谷(かまだに)サイフォンです。内径30cmの管で45.75mの高さから落とし、標高差2.12mの落差で43.63mの高さで富家地区に登っているとのことです。
装備
個人装備 |
長袖シャツ
ズボン
靴下(厚手)
軍手
雨具
日よけ帽子とフード
雨用帽子
登山靴(防水加工)
靴ひも予備
サブザック
ザックカバー
地形図
コンパス
マップケース
筆記用具
携帯
時計(防水)
タオル
カメラ
飲料水(スポドリ&茶)
水筒(保温)
非常食(栄養補助食品)
スマホ(山使用可能)
eTrex30(GPSナビゲーター)
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感想
今回の出発点としたのは、岡山県久米南(くめなん)町にある誕生寺。浄土宗の開祖、法然上人(幼名:勢至丸)の生家があった場所です。
9歳で父親を失った勢至丸(せいしまる)は、その遺言により出家すべく、岡山県奈義町の那岐山麓にある菩提寺の住職であるおじの元へ向かいました。道中で杖に用いていた奈義町の阿弥陀堂の大イチョウ(岡山県天然記念物)の枝を菩提寺の境内に挿したところ、根付いたのが菩提寺の大イチョウ(国の天然記念物)であるとの言い伝えがあります。平成25年の鑑定の結果、この2本の木のDNAが一致、大きな話題となりました。
また、おじの勧めで比叡山での修行を決意、15歳で母に別れを告げるため生家に戻った際、杖にして持ってきた菩提寺の大イチョウの枝を上下逆さに地に挿したところ、根が上に伸びて育ったのが「逆木(さかき)の公孫樹(いちょう)」(岡山県天然記念物)だと言われています。
ただし、奈義町のイチョウ2本は雄木、逆木の公孫樹はギンナンがなっていたので雌木(*_*;深く考えないことにしましょう(-_-;)
さて、建久4(1193)年、法然上人の命を受け、生家の跡に誕生寺を建立したのが、『平家物語』の「敦盛最期」の段で有名な熊谷直実(くまがいなおざね)です。浄土宗の聖地であるこの誕生寺は、宇喜多直家による日蓮宗への改宗命令を拒否、天正7(1579)年に2代目の本堂が破壊されました。宇喜多、ここでもやらかしてます(-_-;現在の本堂は元禄8年(1695年)に再建されたものですが、国の重要文化財です。
境内にはその他にも国・県指定の貴重な文化財がいくつもあります。その一部は写真でも紹介しています。
また、境内に流れる片目川に生息するサワガニが周辺を闊歩しており、足元要注意のなかなか自然豊かな寺でした(^^♪
誕生寺を出て向かった先は北庄(きたしょう)。ここには日本棚田百選に選ばれ、日本一の面積を誇る棚田があります。また、ため池百選に選ばれた神之淵(かんのぶち)池とのコラボは、極めて日本的な美が感じられ、どこか懐かしく心が安らぎます。
ここに至るまでに秋の七草のクズをはじめとする多数の花々、ミンミンゼミとツクツクボウシによる「夏の終わりのハーモニー」、シオカラトンボの産卵など、夏と秋の狭間の風物詩を堪能できました。
北庄から最終目的地として向かったのは筒ノ宮山。山行記録が乏しく、事前の情報があまり得られないまま訪問しました。山頂は神社以外に特に何か史跡があるわけではなく、素朴な山ですが、往復路ではやはり、夏の名残と秋の訪れを感じさせる風物詩にたくさん出会えました。
特に帰りでは、それまでほとんど見られなかったタカサゴユリがたくさん生育していたので、何度も足を止めて観賞しました。
再び誕生寺の駐車場に戻ってきた際に、山行途中で行動食を食べていないことに気が付きました(*_*;
そこで、近くにある「中島ブロイラー」に寄ることにしました。国道53号線沿いにある鶏肉専門店です。
家族の土産も含め、1本 60円の串8本と、からあげ12個1パック300円を購入。どちらも新鮮な鶏肉に塩味のシンプルな味付けで、「これぞ鶏肉!」というおいしさです。
購入時にほんのり温かかった唐揚げのほうは、衣が薄くあっさりしているので軽い感じでいくらでも食べられそうでした。冷めていた串のほうが塩味も鶏肉の風味も強めで、ハーブのようないい香りがしました。何よりも冷めていてもおいしいのがすばらしいです。
帰宅後に温めたら、どちらも少しかたくはなりましたが、からあげのほうは鶏肉の風味が増しました。串は香りが飛んでしまいましたが、味は変わらず(*^^*)
天気があまりよくなさそうだったので、低山を軽めにのんびり歩くつもりでしたが、予想以上に動植物や史跡・文化財などの見どころが多く、そこそこいい運動にもなりました。おかげで、間食もおいしくいただけて充実した一日となりました\(^o^)/
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