常念山脈縦走(過去レコです)。
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- GPS
- 56:00
- 距離
- 31.6km
- 登り
- 2,809m
- 下り
- 2,748m
過去天気図(気象庁) | 2011年10月の天気図 |
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アクセス |
利用交通機関:
電車 バス タクシー
|
予約できる山小屋 |
蝶ヶ岳ヒュッテ
|
写真
感想
2011年10月8日、朝6時14分岐阜駅発の快速浜松行きに乗車。名古屋駅のプラットフォームで、朝食用にサンドウイッチ、昼食用におむすび弁当を購入し、ついでに缶ビールも。松本駅で大糸線の南小谷行きに乗り換え、9時38分に穂高駅に到着。駅前でタクシーに乗ろうとしていたら単独行の女性が、「ご一緒させていただきますか?」、「どうぞ」。年代物のタクシーは、勢いをつけないと坂を上れないのでカーブでも頑張る。気持ちが悪くなるのをじっと我慢する。有明荘を過ぎると、中房温泉の駐車場からはみ出した車の路駐の列。登山姿の人が道路を歩いている。運ちゃん、「路駐のためバスが通れず、レッカー車を呼ぶ事もある。そうなると高い駐車料金になります」。無事タクシーは中房温泉に到着。7,300円の運賃の半分を支払う。体育の日の3連休、大陸から次から次へと高気圧がやって来て、好天が期待される。今日も朝から青空が広がり、絶好の登山日和だ。登山届を提出し、10時50分、「燕岳登山口 標高1,462m」、と書かれた大きな標識のある登山口に入る。山腹を斜めに登る登山道は結構勾配があり、ゆっくり登る。全ての登山者がわたし達を追い越して先に行く。50分程かかって第1ベンチに到着。おむすび弁当を取り出して平らげる。さらに休むことなく登り続け、次は第2ベンチに到着。登山口から1時間半が経ち、だんだん調子が出て来る。第3ベンチの、「中房温泉口 2.7km、 燕山荘2.8km」の標識を見て、もう半分来たんだと元気が出て来る。ずっと林に囲まれた登山道が続き、時折、木間から有明山が姿を見せる。見上げれば碧空、秋の空気を吸いながら頑張って急登を登り、富士見ベンチで休憩。およそ40分間隔でベンチが備えられていて、北アルプス3大急登の一つと云われる割には登りやすい。登山道は花崗岩となり、それが細かく砕かれた砂利状の道は注意して小股で通るが、大きな岩の肌はザラザラ、靴底をしっかり掴んで登りやすい。14時35分、合戦小屋に到着。合戦小屋からの登山道入口には、「燕山荘のテンバはすでに満員なのでご相談下さい」、と殴り書きがしてある。さて、燕山荘の混み具合は如何ばかりのものか、不安がよぎる。合戦小屋から少し登ると、始めて槍の頭が姿を現す。小槍を従えてぼんやりと霞んだ槍の頭、まるで夢の中のように天空に浮かんでいる。いよいよ非日常の世界の始まりが来たのを感じる。合戦沢の頭に登り着くと視界が広がり、赤い屋根の燕山荘とそれに続くトゲトゲの稜線が飛び込んでくる。ボコボコと盛り上がった白いのが燕岳、それに続く盛り上がりは北燕岳。木々の背丈も低くなり、北アルプスに入り込んだ事を実感。燕山荘が視野に入ったのでもう慌てる事は無い。ゆっくりと急坂を登り、徐々に目指す山小屋は近づき、16時、登山口から5時間10分かけて燕山荘に到着。
受付をして案内されたのは、本館の階段を上がった正面のかいこ棚の下段。普段なら6人が定員のところに、何せ秋の三連休、それも絶好の登山日和、8人が詰め込まれる。夕食は到着順で、わたし達は8時からとの事。階下の食堂は130人が入るが、8時からのは5順目。と云う事は600人を少し超す程度の宿泊客がいるのだろうが、燕山荘の定員は600人、果たして定員とは何なのかと疑問が湧く。燕山荘の食事は山小屋にしては定評のあるもの。終わり掛けに小屋主の赤沼さんがアルペンホルンを一曲披露し、山のお話しをして呉れる。館内放送が、「神戸ナンバー○○○の○○○○、大阪ナンバー×××の××××でお越しの方はフロントまでご連絡下さい」、と云っている。レッカー車で運ばれてしまうのかな、気の毒に。9時には消灯、いつもの如く眠ったのか眠って無いのか。
朝暗いうちからゴソゴソと始まるが、わたし達はゆっくり出かければ良いので布団にくるまったまま。5時からの朝食のため、2階のわたしのかいこ棚の前の廊下まで行列が出来、話し声がザワザワ。わたしも起き出し、2回目の朝食帯で食事を摂る。誰もいなくなったかいこ棚で荷物を整理し、外に出ると今日も快晴。燕岳の左手には、鹿島槍、その向こうに白馬、さらに左に目を移して行くと、野口五郎、その向こうに赤牛・水晶・ワリモ・、鷲羽が連なり、槍が小槍を従えて天を指している。山々は、爽やかな朝の光を浴びてくっきりと輝いている。目を南に転ずれば、安曇野をすっぽりと覆った雲海の上に、富士と南アルプスが浮かび、ここは天空の世界。7時に燕山荘を発ち、まずは大天井岳に向かう。5年前、遥か先の槍ヶ岳目指して通った道で、大天井分岐まではすぐだったという記憶がある。ハイマツの広がる中に続く、アップダウンの少ない登山道、爽やかな朝の空気を吸って快適に進む。ゲーロ岩と呼ばれる門のような大石、この間を通り抜けると正面に岩峰がそそり立っている。これを左側に廻り込み、暫らく進んで大下りの頭でひと休み。目指す大天井、山肌に登山道が緩やかに上がっているのが見えるが、山はなかなか近づかない。大下りを下って鞍部から振り返ると、下って来た道とその稜線上遥か遠くに燕山荘が小さく見える。砂礫の道、花崗岩の道、燕山荘を発ってもう3時間が過ぎ、切通し岩の鎖場も無事通過し、ようやく槍ヶ岳と大天井岳の分岐に到着。ここまではいつか来た道、こんなに遠かったかなと思うのは年のせいか。ひと休みしようと思うが、見上げれば岩の積み重なった山、落石でも起きちゃ堪らない、と休まず大天井に向かう坂道を登る。遠くから見た時は緩やかそうに見えた道だが、これが結構シンドイ。岩ゴロゴロの山肌はハイマツに変わり、ここなら安心と、やや広まった道を見つけて腰を下ろす。北側には辿って来た稜線が続き、その最も奥に燕山荘がぽつんと見える。もうひと頑張り山腹を斜めに登り、ようやく大天荘に到着。ザックをデポして大天井に登る。頂上は2,922m、常念山脈の最高峰である。後立山連峰、立山、裏銀座の山々、槍穂高連峰、南アルプス、富士、八ヶ岳、浅間山・・・、360度、快晴の空の下、見渡す限りの山また山。しばらく絶景を楽しんだ後、大天荘に戻り、ベンチに坐って少し早目の昼食とする。燕山荘の弁当は山小屋には珍しくオムスビではなく、旨い。
11時50分、大天荘を出発。広い尾根の上の平らな道、喜作新道から続く東鎌尾根とその向こうに聳え立つ槍を眺めながらのピクニック。行く手の尾根道は右に廻り、稜線の右側に登山道が伸びている。ハイマツ広がる中、砂礫の道を進み、大天荘からおよそ1時間、「廃道 通行止め」、と書かれた白く古びた標識がある。ハイマツの中に僅かに踏み跡らしきものがある。これを横目に過ぎると、「←常念岳 大天井岳→」という道標がある。ここから道は大きく左に曲がり、緑のハイマツ一色に被われた中をトラバース気味に下る。鞍部から横通(よことおし)岳に向かって登る。横通岳の頂上に登る人の姿が見えるが、そちらへ向かう道は見当たらない。彼らは一体どこから登ったのか、どこかで頂上へのルートを見過ごしたのかな。横通岳、その名の通り、山腹を大石を伝って通って横切る。安曇野側が切れ落ちた非対照な形をした大きな常念岳が現れ、間もなく眼下に常念小屋の赤い屋根が見えるようになる。コメツガに囲まれた道を下り、3時前に常念小屋に到着。
受付で記入する文字はフニャフニャ、指先に力が入らず、しっかりした字が書けないのはいつもの事。今日は、「混雑しているから一畳に二人」、と告げられる。案内された2階の一室にはまだ誰もいず、窓際の隅を占拠する。寝袋が一人に一つ。身体を拭こうとしていると、次々と同室の人が入って来て断念。総勢11人、若者が3組、中年と高齢者がそれぞれひと組、そしてわたし達。中年組の男はどうやらアルツハイマーのようで、今したばかりの事を思い出せない。女房と思われる連れの女性に叱られっぱなしである。高齢の男は70歳、昨日燕山荘までの3合目辺りで、転倒して腰が痛いと云っている。診てみると、どうやら左第10肋骨にヒビが入っているようだ。男は転倒した時、引き返そうと云ったが、奥さんに無理矢理連れて来られたとの話し。その奥さんは常念小屋に着くなり、旦那を置いて常念岳に登りに行っている。明日は一ノ沢を下ると云うが、痛いだろうとロキソニンを2個あげる。同室者を観察し、勝手な想像を膨らます。5時半からの夕食、燕山荘に比べるとお粗末だが、値段は同じ2,000円。ちなみに朝食代1,500円、弁当代1,000円も同じである。消灯時刻になっても同室者はそれ以上増えず、わたしの隣りと入り口の一畳が空いている。アルツハイマーの連れの女性が、わたしの隣りにやってきて一畳分を独り占め。深夜、目が覚めるとその女性の足がわたしの足に絡みついている。ゴソゴソと足を動かすと離れて行くが、今度は尻をつけてくる。なんやかんやで今晩も眠ったのか眠って無いのか。
窓が明るくなって起床。外を眺めると槍ヶ岳連峰に朝日は当たっているが、モルゲンロートは無い。今日は蝶ヶ岳ヒュッテまでなので慌てる必要は無い。ゆっくりと朝食を終え、歯磨き、洗面し、常念小屋を発つ。もう7時、山小屋では人のいない時間だが、ここ常念小屋はまだ大勢の人がたむろしている。燕や蝶を目指す人、このまま一の沢に下る人、いずれにしても早立ちする必要はない。常念乗越から見る常念岳は三角形の端正な姿をしている。大岩ゴロゴロの斜面をジグザグに登るが、これが結構急勾配。朝一番の登りは辛い。見上げれば大勢の人が頂上に向かい、もう下って来る人もいるが、ほとんどの人は空身で常念小屋からのピストン。時々立ち止まって振り返ると、常念小屋の赤い屋根が徐々に小さくなる。三股への分岐で腰を下ろしてひと休み。頂上まで1時間40分、地図に記載してあるコースタイムは1時間、ようやく常念岳山頂2,857mに到着。人で溢れ返る頂上で記念写真を撮り、岩に腰掛け大展望の中に身を置く。以前登った時は雨、何にも見えなかったのだが、今日はピカピカの碧空。目の前に穂高連峰がドドド〜ン。涸沢カールを囲む北穂高岳、涸沢岳、奥穂高岳、前穂高岳、それに続く前穂北尾根。大キレットに続く、南岳、中岳、大喰岳、そして槍ヶ岳。ここからは小槍はもう見えない。槍ヶ岳の手前には喜作新道が壁を作り、その稜線上にヒュッテ西岳がポツンと見える。喜作新道から東鎌尾根を眺め、5年前、良くもあんな所を歩いたもんだと感慨に耽る。ゆっくりと大展望を堪能した後、常念岳の下りにかかる。めっきり少なくなった人、これから下る長い稜線上には人の姿は見え無い。大石と砂礫の急斜面、落石に気をつけてズリズリ下る。およそ400m下れば最低鞍部、そこでひと休みしようと頑張って下る。降り立った鞍部は風の通り道、こんな所では休めない。休まず先に進み、2,512mピークまで登ってひと休み。槍ヶ岳は徐々に遠のき、穂高が迫力を持って迫って来る。ここから下ると樹林帯に入り、展望は無くなる。ひたすら登り、コメツガ林の根っ子に坐って少し早目の昼食とする。常念小屋の弁当は、パンとお菓子とソイジョイとカロリーメイト。「なんじゃこりゃ、こんなものなら高いお金を出して小屋で買う必要は無い」、ぶーぶー云いながらも食べる。しばらく樹林帯を登ると再び展望が開け、穂高の大展望。振り返ると、常念岳の形良い山容がまだまだ大きい。登ったり下ったり。ハイマツに被われた山肌を登り切ると、広い稜線がなだらかな起伏を描いて続いている。その先にケルンが林立しているのが見える。近づいて見ると三角点があり、ここは2,664mピーク。以前はこの三角点が「蝶ヶ岳であろう」、とされていたというが、蝶ヶ岳はここら一帯のピークの総称で、最高点は南端の「長塀(ながかべ)の頭」、2,677mである。これから向かう南側には、2重山稜の舟窪地形を見おろす事が出来る。なだらかに下り、横尾への道を分け、ゆるやかに登る。小高い丘の上に人の姿が見える。そこには展望方位板があり、すぐ向こうに蝶ヶ岳ヒュッテが建っている。展望方位板にもたれ、周りに見える山の名を確認する。はるか遠くに大天井岳が霞んでいる。出発地の燕岳は大天井に隠れて見えない。「よくもまあ、あんな遠い所から来たもんだ」、と満足げに呟く。13時54分、蝶ヶ岳ヒュッテに到着。常念小屋を出てからおよそ7時間の行程であった。
ここは泊まり客は少なく、6畳の広い部屋にザックの中身を放り広げ、誰気にする事なく身体を拭いて、下着を変える。談話室でビールを飲みながら暇を潰し、5時半からの夕食までの時間を過ごす。夕食は常念小屋よりはまし。部屋の窓から見える穂高の峰々は、茜色に染めた山際を背に、真黒に変わっている。明日は高山発15時30分のワイドビューひだで帰る予定、すでに切符は購入済み。これに乗るには平湯発14時30分のバスに乗らなければならない。平湯バス停の温泉で汗を流す余裕があるかどうか、いずれにしても明日は早起きだ。目覚ましを4時半に合わせる。今晩はゆっくり眠れそうだ。
セットしてあったアラームが鳴り、目を覚ます。暗闇の中、窓から外を見ると、明神岳の1峰、2峰、3峰、4峰、5峰から始まり、前穂、吊り尾根、奥穂、涸沢、北穂、大キレット、南、中、大喰、槍と続く、真っ黒な槍・穂高連峰、山の端(は)に奥穂高岳山荘と槍ヶ岳山荘の明かりがポツンと灯り、寒空に暖かさを漂わせている。5時半、蝶ヶ岳ヒュッテをあとにし、薄明かりの中、「長塀の頭」に登る。ここには「蝶ヶ岳山頂」の立派な柱が立ち、どうやらここが最高点であるようだ。徳沢まで長塀(ながかべ)尾根、標高差1,100m以上の長い下りの始まりだ。しばらく下ると、どうやらこの先は樹林帯、そこからは穂高の眺めも無くなりそう。穂高に、「(ずっと付き合ってくれて)ありがとう」、とお礼を云って樹林帯に入る。なだらかな下り、鞍部にピカッと光るものが見える。近づいて見ると小さな池、地図を見ると「妖精の池」とあるがそれ程のもでもない。樹林帯の中、登ったり下ったり。汗が出始め、カッパの上着を脱いでザックに納める。蝶ヶ岳ヒュッテから1時間弱、長塀山に到着。「←上高地4.4km、 蝶ヶ岳1.8km→」、上高地はまだまだ遠い。樹林の中、始めは緩やかだった登山道だが徐々に勾配を増し、時には真っ直ぐ、時にはジグザグの降下を繰り返す。途中、朝食がわりに昨日の常念小屋の弁当の残りであるパンや菓子パン、ソイジョイを口に入れ、ひたすら下る。沢音が聞こえ始め、木々の間からちらっと梓川らしきものが垣間見えるが、まだまだ急降下が続く。徳沢園の屋根が見え、徳沢のテンバに降り立ったのは8時、蝶ヶ岳ヒュッテを発ってから2時間半、な、なんと、コースタイムより10分早い下りであった。テンバには明るい日差しが注ぎ、大勢の人が思い思いに秋の気配を楽しんでいる。奥上高地自然探勝路を急ぎ足で歩き、45分で明神分岐に到着。明神館前のベンチに腰を下ろし、缶ビールを空けひと息つく。山の上に比べれば、上高地は温かく感じられたが、休んでいると汗が冷え、寒くなるので腰をあげる。梓川のいかにも冷たそうな流れを横目に、最初はゆっくりだった足取りも徐々にスピードを増し、観光客をどんどん追い越す。カッパ橋で観光客に混じり、岳沢を包み込む穂高連峰を見上げ、今回ずっと一緒だった穂高に、反対側から別れの挨拶。上高地バス停に着くと、うまい具合に平湯行きのバスが入って来る。これに飛び乗って、しめしめ、今日はゆっくり汗を流す事が出来るわいと、ひと眠り。平湯バス停で降り、入浴セットを取り出したザックをコインロッカーに入れようとするも、ザックが大き過ぎて入らず。ザックはそこら辺に置いておき、3階の温泉で汗を流す。露天風呂から笠ヶ岳を眺めながら、茶色の温泉にゆっくり浸る。予定より2時間早い、12時30分平湯発の高山行き特急バスに乗り、ウツラウツラと高山へ。バスは少し遅れて高山バスセンターに到着、急いで駅に向かうが、13時31分発の特急は今出た所。次のワイドビューひだ14号の出発時間は14時39分。それまでまだ1時間ある。駅前のそば屋に入り、タヌキうどんとテンプラをつつきながらビールを空ける。予定より1時間早い列車に乗り込み、眠っているうちに岐阜駅に着いた。常念山脈、予定通りに走破完了、満足な4日間であった。
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