燕岳〜東鎌尾根〜槍ヶ岳〜槍沢〜上高地(過去レコです)。
- GPS
- 56:00
- 距離
- 38.6km
- 登り
- 2,984m
- 下り
- 2,924m
天候 | 1日目 晴れ。 2日目 晴れ。 3日目 土砂降り。 4日目 雨。 |
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過去天気図(気象庁) | 2007年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス タクシー
|
コース状況/ 危険箇所等 |
ここは北アルプス、それなりの危険はあります。 |
写真
感想
2007年10月6日から4日間、体育の日の三連休と有給休暇を取り、燕岳〜表銀座〜東鎌尾根〜槍ヶ岳〜槍沢〜上高地の大縦走を行う予定を立てた。天気予報は始めの二日間は晴れ、あとの二日間は雨と曇り。駄目なら途中で計画を変えればいいと決行することにした。岐阜駅発六時三十二分の豊橋行きに乗車、名古屋で中央線しなの1号に乗り換えた。山登りのいでたちをした大勢の客を乗せたしなの1号は、五分遅れの九時十一分に松本駅に到着。九時十分発予定の大糸線南小谷行きの列車は、しなの1号が到着するのを待っていて出発。登山客を乗せた二両編成のワンマン列車はのんびりと安曇野を走り、車窓から常念岳の端麗な姿を眺めながら、三十分程で穂高駅に到着。列車の中から予約を入れておいたタクシーに乗り込み、途中コンビニで昼飯用のオムスビを購入する。予想に違わず晴天で、雨や雷を心配せずに登ることが出来そうだ。中房温泉の売店の横で登山届けに記入し、十時五十分、登山道に入って北アルプス三大急登の一つである合戦尾根に取り付く。針葉樹林の中、日は直接当たらないが登り始めの急登に、じきに汗が流れ心臓が踊る。幾人もの人達に追い抜かれつつもゆっくりと登り続け、小一時間で第1ベンチに到着。「中房温泉1.0km、燕山荘4.5km」と記されている小さな広場の丸太のベンチに腰を下ろして一休み。水場に降りた人が戻ってきて、「冷たくて顔を洗うことも出来なかった」と云っている。どんなに冷たいのだろうと少し興味はあったが、今日は燕山荘までの行程で、ペットボトルも沢山詰め込んであるので余計な動きは止めにした。長袖シャツを脱いでそれを腰に巻きつけ、再び急登を登る。樹間から有明山を眺めながらジグザグに登り、荷揚げ用のケーブルの下に組まれた落下防止のパイプ柵を通ると間もなく第2ベンチに到着。「中房温泉1.7km、燕山荘3.8km」と記されている。ここでも一休みしてから第3ベンチに向かう。第2ベンチからも登り一辺倒、第3ベンチはまだかまだかとダケカンバの樹林帯を登る。丸太のハシゴや階段も現れ、そろそろ休憩したいなと思う頃、第3ベンチに到着しここでも腰をおろして休憩。「中房温泉2.7km、燕山荘2.8km」ほぼ中間点だ。樹林帯の登りはまだまだ続くが、予定より早く出発したので時間の余裕はあり、ゆっくりゆっくり登っているので北アルプス三大急登を登っているという感じは全く無い。大きな丸い花崗岩の重なる登山道を這い登り、富士見ベンチに到着。「中房温泉3.1km、燕山荘2.4km」、まだまだ先は長い。富士見ベンチからも同じような樹林帯の登りが続き、荷揚げ用のケーブルが上空を通り過ぎるのを見て、「わたしのビールが運ばれて行く」と、燕山荘でのビールを楽しみに喉の乾きを押さえて登る。トイレの臭いがし出して合戦小屋に到着。小屋の周りは登山客で一杯だが、意外と若者の姿が多い。小屋の前のテーブルに腰をかけ喉を潤すが、日陰で半袖肌着だけでは少々寒い。合戦小屋からはナナカマドが赤く色づき、ダケンカンバの黄色、その向こうは真っ青な空。秋だ。急坂を登り合戦ノ頭に登りつくと、紅葉の林の向こうに燕岳がギザギザと白く連なり、槍の穂先も見える。
合戦小屋から燕山荘まで標高差二百m少々、緩くなった尾根道を小さなピークを越えながら燕山荘を目指して気持ち良く歩く。予定より早く燕山荘に到着。小屋の従業員が、「今年はやっと紅葉が始まったばかりですが、1週間もすればもう終わっているでしょう」と、あなたは幸運ですよとは云わないが、そんな口ぶりである。宿泊手続きを済ませて別館の3階、ハシゴを登って天井裏のようなところへ案内される。座る事は出来るが立つことは出来ない。一畳分のスペースがあり、今晩は余裕を持って眠る事が出来そうだ。到着が遅くなったら燕岳に登るのはよそうと思っていたが、日没まではたっぷり時間もあり空身で外に出る。燕岳はいつぞや登った甲斐駒ケ岳と同じく、もろい花崗岩の山で色んな形をした岩が林立し、道はズルズルと滑りやすい砂礫の山である。三十分程で山頂に達すると、周囲に北アルプスの山々が広がる。表銀座の向こう、槍が遥か遠くにあり、左手に北穂、奥穂、笠と続く。槍の右手には双六、黒部五郎、手前に鷲羽がなだらかな羽を広げ、裏銀座の向こう、立山からギザギザした岩の固まり剣が続く。山荘に戻って広場のベンチに腰をおろし、安曇野の明かりを見下ろしながら生ビールで喉をうるおす。これでは足りずに屋根裏で持参のブランディーを飲む。ウトウトしかけた頃、夕食が始まり食堂の奥の小部屋に案内される。食堂から流れる宿の主人のアルペンホルンを聞きながら、山小屋にしては贅沢な食事を美味しく頂く。何もする事が無いので屋根裏に戻り、布団を敷き、カーテンを引いて明かりを遮り横になる。隣りのおじさんのイビキを聞きながらウトウトし、夜を明かした。
四時に目が覚めると、外はまだ暗いが今日も良い天気が期待出来そうだ。朝食は五時から始まるというので早目に食堂におりると、食堂前の廊下にはもう大勢の人が並んで待っている。二十分ほど待って朝食。お味噌汁もご飯もお代わりをして、今日の長丁場に備える。屋根裏の窓を開け、西の空、雲の上に太陽が上がって来るのを見てから燕山荘を出発。今日も良い天気になりそうだ。北アルプスの山々が朝日に照らされて、昨日にも増してくっきりとわたしを迎えてくれる。ウ〜ン、キタアルプスだ、が、目指す槍は余りにも遠い。まずは大天井を目指して、白い砂礫の斜面につけられた細い道を歩く。ハイマツの中、砂礫の道の稜線を霜柱を踏みながら歩き、朝の冷たい済んだ空気を思いっきり吸って、本来は清らかな気分になるのだろうが、大きく息を吸うと先日来引いている上気道炎のため咳ばかり出る。長袖シャツを着ているが少々寒すぎ、すぐにレインウェアーの上着を着込む。花崗岩の成せる岩の造形品、岩の割れ目があるのでこれがゲエロ岩なのか、どう見ても蛙には見えないのだが・・・。左前方には八ヶ岳、その右手に南アルプスの山々が浮かび、その間、雲の上に富士が頭を出している。大天井に向かうひとすじの登山道がず〜っと続き、小さく人の姿も見える。振り返れば燕山荘は小さくなり、大天井が近づいてくる。大下りを細かくジグザグに下って鞍部でひとやすみ。山の斜面はハイマツの緑とダケカンバの黄色に色づき始めた葉っぱが秋を感じさせる。小さなピークを一つ越え、古びた木製のハシゴを登り、岩を伝って行くと大天井から常念岳へと続く分岐に至る。ここで大抵の人は左側へ向かい、槍方面へ向かう人はほとんどいない。しめしめ、今晩はゆっくりと寝れそうだ。大天井を右に巻きながら、この道の上まで登れば大天井ヒュッテが見えるだろうと期待しながら登る。見た目は遠く感じたが案外早く上まで登る。が、それらしき姿は見えず、そこからは幅の狭い岩道が続き、鎖や木製のハシゴが現われ、「滑落注意」の札が掛けられ、遭難の碑まである。大天井からの道と合流し、岩の重なった急斜面を下ると大天井ヒュッテの赤い屋根が見え、最後に木のハシゴを下りてヒュッテに到着。予定より三十分遅れ、途中一回しか休憩を取らなかったのにどうしてかな、余程ゆっくり歩いていたのだろうか、それにしても長かった。ヒュッテの熱いコーヒーを飲みながらひと休み。秋の暖かい日差しの下、従業員が布団や枕を屋根の上に並べている。レインウェアーの上着を脱ぎ、長袖シャツ姿に戻る。たっぷり休憩をとってから出発。牛首山の左の巻き道で風は無く、ダケカンバの林の中を気分良く歩く。左手に大きな穏やかな大天井、それに続く横道岳、常念乗越には常念小屋の赤い屋根も見え、その右手に常念岳が美しい姿を見せている。黄葉のダケカンバの林の上に槍が見えるようなると間もなく稜線に出る。ビックリ平、西岳二時間半と書いてある。槍が大分近くなった。緩やかなアップダウンを繰り返し、今が盛りの草紅葉の稜線を歩く。槍を正面に、それから右手に続く北鎌尾根、左手に続く穂高連峰、いずれも鋭い岩峰が連なり、明るい秋の快晴の天気の下、いくら眺めても飽きることは無い。振り返れば、大天井ヒュッテは遠くに小さく見え、もう今日の行程の半分以上は来たのではないかと思われる。快適な尾根道の勾配が増し、赤岩岳に登るのかと思ったが、途中から道はトラバースし、ひと安心。ヒュッテ西岳は小さい小屋で、やはり布団を乾している。小屋で昼食を摂る予定であったが、折角持ってきた粥があるので、これを昼食がわりとし、ザックを軽くする。ヒュッテ西岳の先には、彼の有名な大下りが待ち構えている。鉄ハシゴも木製のハシゴも鎖もしっかりしていて全く安心して下りる事が出来、三十分程で鞍部に着く。半分の時間で下りられたと喜びながら登りにかかるが、再び下りとなり、結局水俣乗越に降り立ったのは標準時間どおり下り始めてから一時間後であった。大下りとは云え登りもあり、長い行程を歩いて来て疲れも出て、さて、ここからの登りが堪える。三十分ごとに休憩し、重い足を引きずり上げ、唇がカラカラとなって残り少ないペットボトルのお茶を飲む。なが〜い鉄バシゴを慎重に下り、あとは急な登りの一辺倒、本日最後の行程、東鎌尾根はなかなか手強い。よれよれになって這い登り、「ヒュッテ大槍まで七分」との案内がぶら下がっているのを見てホッとし、再び腰を下ろして休憩、残ったお茶を飲み干す。槍から北鎌の影が裏銀座の山々に映り、日が落ちてきたことを物語る。ヒュッテ大槍はその前へ行くまで姿が見えず、突然赤い屋根が現われ、やっと着いたとひと安心。予定通りの四時に到着。案内された寝床は棚状の二階部分で、垂直のハシゴを登ると四人用の畳み部屋となっている。今晩は宿泊客も少なく、このスペースを一人で占拠することが出来るという、ラッキー。ザックを開け、ゆっくりと整理していると、厚手の長袖シャツと肌着が無いことに気付く。途中、出したり入れたりしながら、何処かに忘れてきたのだろう。今日着ていた肌着と長袖シャツを洗って乾燥室にぶら下げる。夕食前にビールを飲み、ブランデーを追加、夕食時にはワインのサービスがありもう一本ビールを飲んで、山小屋らしくない美味しい食事を頂く。記念の携帯ストラップが配られ、何ともサービスの良い山小屋だ。寝床に戻り、まだ七時前からウトウトする。
夜中に屋根をたたく雨の音でうつらうつらと過ごしていたようだが、明け方、目覚ましが鳴ったのにも気付かず、みんながゴソゴソする音で起こされる。外は大雨。さてどうしようかと思案し、取りあえず槍ヶ岳山荘まで行ってみることにした。朝食を食べ終え雨具を着込み、サブザックにペットボトルだけを入れいざ出発。ほとんどの宿泊客は上高地に下っていく中、わたしだけが槍ヶ岳に向かうのも気持ちのいいものでは無い。鉄バシゴをしっかりと握り締めて上り、稜線では風に吹き飛ばされないように腰を屈めて足を踏ん張る。大きなザックをかついだ単独の男が後からやってきて、わたしを追い抜く。この雨と強風の中、他にも登る人がいることがわかり少し安心する。大石が積み重なった斜面をトラバース気味に登り、一時間程で槍ヶ岳山荘に着いた。山荘前の案内標識には、「→南岳、穂高岳」、「←南鎌尾根」と書かれているだけで、槍ヶ岳の方向が印されていない。それはそうだろう、槍ヶ岳は目の前にあるんだから。でもその槍ヶ岳は雲の中。入り口にいた人に、「槍ヶ岳はどちらですか?」と聞くと、「←南鎌尾根」の方向を指し、「あちらですが、登るんですか?」と聞く。そちらに向かう人は誰もいない。山荘に入ると、新穂高方面は増水のため通行不能で、上高地に降りるようにと書かれている。わたしは上高地に下る予定だから、帰りは心配なさそうだとは思うが、少々不安である。従業員に、「頂上まで登れるか?」と聞くと、「登れないことはないでしょうが、何せこの天気ですからね」と云う。この一言で槍の穂先は断念し、長居は無用と山荘から出て、降りしきる雨の中、今来た道を引き返す。道を間違えないように、登ってきた道を思い出しながら岩を伝い、鉄バシゴを握り締め、風に飛ばされないよう慎重に下りる。殺生小屋の赤い屋根を下に見て、間もなく無事ヒュッテ大槍に戻った。槍の穂先に登らなかった分、時間はたっぷりあり、温かいコーヒーを飲みながらしばらく小屋の中で休憩する。今日は昼頃に前線が通過し一日中雨との予報、いつまで待っても止まないので雨の中、ヒュッテ大槍に別れを告げ下山開始。「上高地→」に従ってジグザグに槍沢に向かって下る。槍ヶ岳山荘からの道をカラフルな雨具を着た団体が下っているのが見える。ガラガラ道を矢印をたよりに下り、その道と合流する坊主岩屋下の剣沢の底に至る。剣沢の両側の山から幾筋もの長い滝が流れ、流れ落ちた水が登山道を横切って流れる。出来たばかりの滝は左程の苦労もせず渡ることが出来るが、以前からあるだろう沢の滝は幅が広く、深く、転石を選んで渡ったり、股が裂けんばかりに短い足を伸ばしたり、勢いをつけてジャンプしたり、ままよと靴を漬かりながら渡る。時には、川と云ってもいい程の水量が行く手を阻み、しばし立ち止まって渡る事が出来そうな場所を探す。滝が流れ込むに従って本流の水かさは増し、音を立て、しぶきをあげて怒涛のごとく流れ落ちて行く。今が盛りの黄葉の山には、名前の無い滝が競い合って落ちている。それぞれの滝が養老の滝のような貧弱なものではなく、全ての滝に名前を付けてあげたいと思うが、雨が上がれば消えてしまう運命なのだろう。石ころに乗せた右足がくるりと捻ってバランスが崩れ、右下の崖に転落するも、笹原に助けられて無事脱出。ちょっと調子に乗りすぎたと反省し、以降慎重に足元を選んで下る。登山道は沢と化し、最初は水の無い端の方を選んで歩いていたが、それも面倒になり登山靴を水浸しにしながらビチャビチャと水の中を行くようになる。時々ザックカバーに貯まった水をひっくり返して出す。ババ平も過ぎ、赤沢岩小屋も過ぎ、下り始めてもう三時間は経ったのではと思う頃、ようやく槍沢ロッジに到着。木の香りもしそうな新しい小屋に入り、ここで昼食とする。カレーライス、牛丼、ラーメン、うどん、全て800円で、一番おとくそうな牛丼を注文する。ゆっくり休んでから再び雨の中へ。勾配も緩やかになり、ここら辺りは紅葉にはまだ早いが、林の中をオゾンを一杯吸いながら下る。二の股、一の股と大きな支流から豊富な水を集め、槍沢は広い河原を持つ川となって悠々と流れる。槍見河原で振り返るも、槍は止むことを知らぬ雨の中、見える由は無い。河原に沿って下ったり登ったり、最後の大きな沢、槍見沢を渡り終え、まだまだ下って最後、林の中の静かな平坦な道を歩いて林から出ると、山小屋とは云えないような立派な横尾山荘が待っていた。食堂に入りザックをおろして休憩。ここまで久連場もう大丈夫、ビールを注文、ザックからつまみを取り出して一息つく。沢は横尾谷と合流し梓川となり、さらに川幅を増す。まだ降り止まぬ雨の中、梓川の左岸をゆっくりと歩き、やがてだんだんと足早やになり、何も慌てる必要は無いのだが、どんどん人を追い越すようになる。一時間程で徳沢ロッジに到着。受け付けで聞くと、今日は男は一杯だと云うので個室を頼む。案内された部屋は六畳一間の広い和室で、今晩はゆっくりと気兼ねせずに眠ることが出来そうだ。ザックの中身を取り出すと、ザックカバーをしていたにもかかわらず、ザックの中は水浸しである。玄関横の乾燥室は一杯で乾す余裕は無く、廊下の隅にあった石油ストーブを部屋に持ち込み、部屋の中に濡れた衣類やグラブや帽子、タオルやザックを掛け、部屋は満艦飾。早速お風呂に入り三日分の汗を流し、バサバサになった髪も洗い、う〜、サッパリした。夕食時、隣りのご夫婦は昨日は殺生小屋に泊まり、今朝はやはり槍の穂先を諦めて、今日はずっとわたし達と抜きつ抜かれつして下ってきたと云う。それにしてもあの雨と風の中、穂先に登らなかったご同僚がいたので少しホッとした。
翌日起きた時、外は明るくなっており、霧雨が降っていた。朝食を食べ、部屋でゆっくりと準備をし、ほとんどの人が出発するのを見送ってから小屋をあとにする。雨は止み、霧も晴れ、雨具はザックに仕舞い込んで、梓川に沿って散歩道を歩く。明神池に着くと雨が降り出し、明神館に入って雨宿りがてらコーヒーを一杯。ひと休みしていても雨は降りやまず、上着だけカッパを着て雨の中へ出る。この雨の中、紅葉にはまだ少し早いのに、上高地からやって来る大勢の観光客と行き違う。河童橋付近は観光客で大賑わい。十時四十分発、新島々経由、松本電鉄上高地線松本までの切符を買い、バスターミナルに並ぶ。定刻通りバスは出発し、山道をグルグルしながら一時間ちょっとで新島々に到着。電車で十二時三十七分松本駅に到着し、駅周辺のそば屋で昼食をとる。十四時四十三分発の「しなの16号」は大阪行きで、岐阜まで乗り換えなしで運んで呉れた。
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