平標〜谷川岳〜清水峠縦走
- GPS
- 56:00
- 距離
- 34.2km
- 登り
- 3,131m
- 下り
- 3,468m
コースタイム
10月7日(日)
大障子避難小屋8:30-8:51小障子ノ頭-9:31オジカ沢ノ頭避難小屋9:42-9:47オジカ沢ノ頭-10:28中ゴー尾根分岐-10:57肩ノ小屋11:22-11:32トマノ耳-11:51オキノ耳-11:56神社-12:07Bルンゼ‐12:22ノゾキ12:37-13:14一ノ倉岳避難小屋-13:38茂倉岳-茂倉岳避難小屋/小屋泊
10月8日(代)茂倉岳避難小屋6:05‐6:30茂倉岳‐7:10笹平付近小休止7:20-8:06武能岳-8:52蓬峠-8:55蓬ヒュッテ-10:03大源太山分岐-10:45清水峠11:20-13:04-12:57兎平屋敷跡-13:05ヒノキ倉沢登山口13:22-(林道歩き)-14:55林道ゲート14:57-便乗-15:20六日町駅15:25-15:42湯沢駅18;30-19:10津南20:00-23:00大町・自宅
天候 | 1日目;曇り,夕方から雨 2日目;終日雨 3日目;快晴(霜) |
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過去天気図(気象庁) | 2012年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス 自家用車
帰り;清水峠-(便乗)-六日町-(電車)-湯沢駅-(車)-津南町・知人宅-(車)-大町・自宅 |
写真
感想
1994年から約1年間,群馬県水上町の葉留日野山荘に勤めていた。その関係で上越国境付近をあちこちする機会はあったが、当時は登山どころではない明け暮れで、仕事として尾瀬と上州武尊に登っただけで、谷川岳や平標,万太郎,朝日岳等,上越国境の山仁登ることは遂になく、忘れ物をしたような心残りを抱えたまま18年が過ぎた。
94年から8年間の空白を経て2002年に登山を再開してからまだ10年程であるが、突然その機会がやって来て、大町労山の先達と平標〜谷川岳〜朝日岳を縦走することとなり、10月5日(金)の午後大町を発ち、津南町の相方宅にに投宿。翌6日(土),湯沢町の平標登山口に向かう。
10月6日(土)
津南発5:00,湯沢駅前に車を置いて6:05のバスで平標登山口へ。バス停から国道を5分あまり歩いて登山口P着。同55歩き始める。ジグザグの階段を20分登って早くも空腹を覚えひと息入れる。9月18,19日の黒部湖〜立山往復以来3週間ぶりの山行で、その時はいきなりハンガーノックに見廻れたが、今回もそう言う気配が感じられたので早めにサンドイッチを食べる。
8:15,鉄塔(1411m)を通過する辺りから小尾根の道となり、右手が開けて二居川支流のヤカイ沢から冷たい風が吹き上げてくる。下界の見晴らしはいいが前方の視界は悪く行く手に見える筈の松手山もガスの中で、笹原を黙々と歩いて8:54,松手山(1614m)に着く。
9:00発。ガスが切れてだらだらした尾根の先にこんもりした山が見えてくるが、おそらくそれは1850m付近の小ピークで、そこから稜線が右(東南東)に折れていてその先のガスに包まれているのが平標山であろうと思われた。休まず歩いて10:25平標山(1983m)着。相変わらず視界はよくなく、また肌寒い。
10:40発。50m程下って100mの登りとなる。50分で仙ノ倉山(2026m)仁至る。10分休んで11:40発。平標から仙ノ倉方面に向かう登山者が激減し、仙ノ倉からは後から来た単身の女性1人だけとなる。
松手山付近で出会った女性に『縦走ですか・』と声をかけられ、そうだと答えると『すごいなぁ〜』と言われて『何が・・・?』と思ったが、多くの登山者が平標か仙ノ倉辺りで引き返すのを見てその意味が分かった。
後から来た単身の女性は2〜3分休んだと思うとすぐに下り始め、自分達も後を追うような形で出発して途中で一旦追い越したが、エビス大黒の頭の岩場を越えた辺りで息が上がってしまった自分を追い越して颯爽と身軽に追い越して行き、以来毛渡乗越出休んでいるのを見かけただけで遂に追いつくことが出来ず、若さには勝てないなぁと痛感させられる。
仙ノ倉から細くて歩きにくい急な下りを120m程息に下るとエビス避難小屋と言う波型のトタン板を丸く曲げてつくった独特の小屋があった。縦走路には沢山の避難小屋があるが、収容力の大小はあってもいずれもこのタイプである。
仙ノ倉から下り始めてから遥か前方に、おそらくそれが万太郎山であろうと思われる黒い大きな塊が見えていた。圧倒的なスケールの中のそれは今日中に辿り着ける山の色ではなかった。それでもエビス大黒の頭(1888m・12:33通過)を越えて毛渡沢乗越方面を見下ろした時、ようやくそれが不気味な黒い山塊ではなく親しみのある緑色の,明日ではなく今日これから登ることが出来る山として捉えられるようになる。
下りで引き離したと思っていた件の女性がいつの間にか背後にいて、道を譲ると足取り軽く大きな下りに消えて行き、相方はさらに前方にいてそこからは1人最後尾を行くこととなる。
毛渡乗越への下り道から稜線の右手下方に赤谷川本谷と思われる大きな沢が見えていた。その下流に水を湛えた淵があってそこには多くの支沢が流れ込んでおり、その1つが稜線に向かって突き上げているその上部が毛渡乗越であろうと思われた。それは目の前の瘤の先の長い長い下りの向こうである。
13:26毛渡沢乗越の少しで待ってくれている相方と合流して20分の休憩。振り返るとエビス大黒の頭越しに仙ノ倉の頂上が見え隠れしていた。中間部分がガスに覆われ、先端だけがわずかに見えている景観は天空の城塞のように幻想的であり、かつ威厳に満ちていて魅せられる。
13:45発。地図で10分とある処を30分かかって越路非難小屋に至る。登山者が1人いて景観を楽しんでおり、1人かと聞くと2人だとの答え。いい場所だなぁと荷を下ろしたくなるのをこらえて後を追う。
万太郎山直下の東俣ノ頭への取りつき付近に単身女性がいて差は約30分。相方は稜線手前の笹原の中にいるのが見えて20分くらいの差か・・。
東俣ノ頭の北西斜面は紅葉が鮮やかだが、足元にはハクサンイチゲが咲いていると言う不思議に、初夏と秋の両方を楽しみながら登る。降りてくる数名は越路小屋泊りか・・。
15:08,万太郎山(1954m)着。万太郎山で急に登山者が増えた。この山域の地図が頭に入っていない自分はそのすべてが谷川岳方面から来た人だと思っていて、山頂に休んでいた7〜8人の集団は越路小屋方面に行くのだろうと思っていたら、自分達とほぼ同じ時刻に大障子方面に下り始めたのを見て初めて土樽から吾策新道と言うコースを歩いてこの山に登ってきた集団だと知る。
15:20発。相変わらず寒いので早々に宿泊予定の大障子避難小屋に向かう。150m程下って少し登り返したところが大障子の頭(1800m)で、そこを少し下って16:22大障子避難小屋に着く。
すでに小屋周辺のスペースには5つのテントが張られ、小屋の中も満杯状態で潜り込めなくはないが、谷川方面から登ってきた最後の登山者に譲り、小屋の裏側のわずかな空間の笹原の上にテントを張る。この頃から雨が降り始める。
夕食を済ませて横になるも、あまり早く寝ては朝方困ると思って粘るうちにいつしか眠りに陥り、夜半,雨風の音に目覚めると0時を過ぎたばかり。明日は晴れるだろうと根拠のない予想に反して風は強く雨音も変わらぬままうつらうつらと朝を迎える。
10月7日(日)
一度は小ぶりになったが夜が明けても小雨が降りやまず、重い気分の目覚めで日程に余裕があれば停滞したいところ。相方も動かず、小屋やテントの人達が出発する気配に耳を欹(そばた)て、静かになったところでテントを撤収して無人の小屋で朝食とする。
幸い風だけは収まったがラジオの予報では一日中晴れそうになく、かといって土砂降りでもなく、ジッとしているのもつまらないので谷川連峰の稜線の末端,茂倉岳辺りまで行こうと言うことにまとまって簡単な朝食を済ませ、8:30,小屋を後にする。
2時間半遅れの出発で蓬峠,あわよくば清水峠までと言う予定を大幅に縮めたので朝日岳・白毛門の縦走はちょっと厳しくなった。
目の前の小ピークを緩やかに登って20分ほどで小障子の頭(1740m)を通過。更に100mあまり登って9:31にオジカ沢ノ頭の避難小屋に着く。この小屋は大障子の避難小屋とまっすぐ向き合って建てられているため、前夜その灯りが下から見えていた小屋である。
10分休んで9:42出発。5分後にオジカ沢ノ頭(1840m)を通過。肩の小屋まで大きな登りを覚悟していたが、標高差は100mちょっとで大した労苦もなく黙々と歩いて中ゴー尾根の道を分け、1時間10分で肩の小屋に着く(10:57)。いきなり繁華街に飛び込んだような喧騒に戸惑う。
Tシャツの上に長袖シャツ,その上に雨具を着ているのに寒かった。雨とその寒さにも拘らず次から次へと登山者,いやハイカーが登って来るし、上からも降りて来て途切れることがない。
寒さでポロポロになったオニギリを2つ食べて早々に出発(11:22)し、トマノ耳(1963m・11:32),オキノ耳(1977m・11:51)をそそくさと通過して神社に着くとウソのように静まり返りホッとする。
稜線の道は山稜の西側に少し下がってつけられていて多少の岩場はあっても問題はなく、時折すれ違う縦走者を待ったり待たれたりしながらゆっくり進んで12:22に遭難レリーフのあるノゾキに到達。
休んでいるとサァーッとガスが晴れ、文字通りに一ノ倉沢を上から覗き込むことが出来、よく見ると左手の岩壁にクライマーの頭が4つ認められた。
ノゾキで15分休んで12:37発。13:14,一ノ倉岳(1974m)着。ここにも定員2名の可愛い避難小屋があってそこで泊まりたい誘惑に駆られるが、もうひと頑張りして水場のある茂倉岳の避難小屋をめざす。
13:36茂倉岳(1978m)通過。そこから茂倉新道を10分あまり下って13:50避難小屋に着く。
蓬峠まで行こうと思えば行けなくはなかったが士気が上がらず、早く落ち着きたかった。
小屋はトタンづくりのそれとは違うガッシリした大きな小屋でしかも床はきれいに磨かれ、ぬれ物を干すロープや備え付けのシュラフまである等、朝までの長時間を過ごすには申し分のなく、先客が6名,夕刻になって2名が着いて10名となったがゆったり休めるものだった。
以下,編集中
この後は編集中で未完のまま今日に至っているが、翌日は清水峠まで下って、朝日・白毛門経由で土合に下る予定だったのを、自分だけ清水峠で六日町の清水集落に下り、長年の夢だった清水峠越えの半分だけを果たした。いつの日か土合から清水まで完踏したいと思っている。
(16年11月30日追記)
※すべての写真は同行者・T氏からお借りしたもの。
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