北アルプス 後半戦【上高地→親不知】
- GPS
- --:--
- 距離
- ---km
- 登り
- ---m
- 下り
- ---m
コースタイム
上高地18:50~19:27明神19:31~20:12徳沢
8/22
出発6:38~7:19横尾7:35~8:06槍見平~8:37槍沢ヒュッテ8:52~9:36大曲~9:46どこか10:05~10:31天狗分岐~10:48水場11:07~11:52殺生ヒュッテ12:05~12:33肩の小屋13:36~14:03乗越14:12~15:13左又15:31~16:27樅沢岳16:31~16:48双六小屋16:57~17:43双六岳17:50~18:34三俣蓮華岳18:39~19:07キャンプ場
8/23
出発5:10~5:58鷲羽岳6:03~6:36ワリモ分岐~7:03水晶小屋7:19~8:11一時避難8:36~9:11湯俣岳手前9:36~10:11野口五郎小屋10:55~12:19烏帽子小屋
8/24
出発4:05~19:20種池山荘
8/25
出発6:50~7:35爺ヶ岳中峰7:42~8:27冷池山荘8:49~9:40布引山9:51~10:26鹿島槍ヶ岳南峰10:54~12:35キレット小屋12:59~13:30口ノ沢のコル14:10~15:13G5?15:20~16:12五竜岳16:30~17:14五竜山荘
8/26
出発6:20~7:25どこか7:35~8:44唐松岳9:03~10:28一二のコル10:41~11:52大下りの頭12:17~14:05白馬鑓ヶ岳14:14~15:04杓子岳15:15~18:04p2504手前コル18:16~19:05雪倉岳避難小屋
8/27
出発5:02~6:09赤男山手前コルの手前6:22~7:56朝日岳8:18~?長栂山9:34~10:39?水場手前?10:53~12:08サワガニ山12:18~13:05犬ヶ岳13:16~14:59黄蓮の水場~15:53白鳥山手前コル16:05~17:51坂田峠
8/28
出発7:19~8:15林道交差点8:29~9:17入道山先9:30~9:50親不知
天候 | 8/21 午後は晴れ 8/22 曇りのち晴れ 8/23 晴れのち雷雨 8/24 曇りのち晴れ 8/25 晴れのち曇り 8/26 晴れのち曇り 8/27 曇り時々雨 8/28 雨のち晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2013年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス 自家用車
|
写真
感想
色々と公にできないことをやってしまったので日程だけ公開しておきます。
3日目などは自分の限界を試すことができて満足していますが、予定上の最終日に残り2ピッチを残して力尽き、5泊6日で完遂できなかったのがとても心残りです。僕の『覚悟』は暗闇の栂海新道に進むべき道を切り開けませんでした・・・。
・・・まあ、全く公開しないのももったいないので、書ける範囲で書いてみようと思う。相変わらず誰の役にもさっぱり立たないこと請け合いの感想文である。上高地に着くまでは「前半戦」の記事をご参照いただきたい。
8月21日
上高地に着いた僕はまずネットにつながったパソコンを探した。色々あってネットを通して連絡しなければならない相手がいたからである。上高地ビジターセンターに問い合わせたところ、宿に泊まらない限り上高地でネットにつながったパソコンは使えないが、ビジターセンターに無料のWi-fiがあるとのこと。手持ちのiPod touchで無事用を済ませることができた。
このことに限らず、今回の滞在でだいぶ上高地のインフラには詳しくなった。例えばバスターミナル前のトイレは有料で1回につき\100、木梨平キャンプ場内のトイレは無料だが紙の備えが無く、ビジターセンター向かいのトイレは無料で紙も潤沢に用意されている。みみっちい話で申し訳ない。だいたいこういう観光地では困ったらビジターセンターや観光案内所に頼るのが一番間違いが無い。
バスターミナル前で登山届けを再提出し、キャンプ場の売店で行動食を買い足す。下界のコンビニより若干割高だが品物によっては下界と同じ値段で売っている。1500円ほど買った。お次は風呂。バスターミナル前の案内所にもシャワー室があるが更衣室が\100、シャワーは確か3分で\100とかなり高い。一方木梨平キャンプ場の風呂は\500で時間制限なしである。今回はこちらを利用した。設備はかなり新しくて清潔感がある。洗い場が7箇所ほど、浴槽は4畳ほどの広さだった。合宿後の大学生らしき客が多い。そういう団体客が三度入れ替わるまでのんびりした。
風呂を上がるともう夕方だった。コーラを手に川縁をぶらぶらする。涼風が快い。いずれ木梨平でバーベキューをするためだけに上高地まで来てみたい。
ここまでは順調だったが、唯一の誤算は食堂がどこも店じまいしていたことだ。風呂の前に腹ごしらえをしておけばよかった。売店の類も閉まっている。唯一19:00まで空いていた河童橋前の売店で200円のカップヌードルを買って今日の夕食とする。
徳沢までは1時間半の夜の林道歩き。湿度が上がり始め、思っていたほど快適ではなかった。木梨平で買ったにんにく醤油豚カルビ味のカップヌードルを食べ(意味不明な名前に反して美味かった。やはりカップヌードルにははずれが無い)、さっさと寝る。
8月22日
昨日の夜が遅かったために寝坊して1時間半ほど出遅れる。今日は三俣まで歩かねばならないというのに暢気なものだ。昨日食べなかったノーマルなカップヌードルを食べて出発。
今日は昨日下げた1500mの高度分、もう一度高度を稼がねばならない。なんと無駄なことを。槍沢ロッジまでは平坦な道で特に苦労も無く着く。ここからが地獄の始まり・・・と思っていたが、道が歩きやすく付けられているためか、それほど苦しまずに高度を上げられる。中高年の団体客がたくさんいたのも一因かもしれない。人を抜くとなんだか元気が出る。
それにしても中高年と団体さんばかりだ。同年代の人はほとんど見かけない。槍沢ロッジで一人、同年代の単独行者を見かけて話をした。大学の夏休みを利用して札幌から屋久島まで撮影旅行をしているとのこと。思うに長期の縦走をしてもあまり「旅」をしている気がしないのは、行程に自由度が少ないからではないだろうか。下界できっちり下調べをして、計画書通りの行程を消化するのが正しく美しいとされる登山では、行動中のふとした気まぐれが活かされる場面などほとんどない。真に自由な彼が羨ましい。
ほとんどコースタイムの半分で肩の小屋に着く。さっきまで青空がのぞいていたのに、生憎展望は全く無い。ザックをおいてさっさと穂先に向かう。高校の部活で初めて登った時はだいぶ怖かった覚えがあるが、今同じ場所を通ってもどこが怖かったのかさっぱり思い出せない。そういえばこの3年、ルートを変えて毎年槍に登っている。こうなっては、来夏は北鎌を制覇する他ない。
書きかけの記事が・・・これだから実家のボロパソコンは・・・。
西鎌ではガスが切れて右手の展望が得られた。振り返ると北鎌を纏った槍ヶ岳が超かっこいい。いつまで眺めていても飽きない。生まれて初めて見た鷲羽は確かにわしが羽を拡げた形に見える。向かう先にはきのこの傘のような笠が。どうでもいいことだが今回西鎌から笠を見るまで全く別の山を笠ヶ岳と勘違いしていた。それは去年槍の穂先から見た、ピラミッドのキャップストーンを切り取って横倒しの長方形に挿げ替えたような山である。今回もその山を探したのであるが、ガスで見つけることができなかった。またこの山域に宿題を残してしまった。眺望に目を奪われすぎたせいかコースタイムよりも長くかかってしまった。
双六小屋のテント場は広く池まであっていかにも快適そうだった。ここにテントを張って、小屋のテラスで抹茶オレを飲みながら鷲羽を眺めて過ごせたらどんなに幸せだろう。しかし水を汲んで出発する。双六岳から降りてくる人たちの視線が痛い。
双六の山頂付近は広大なガレ場が広がり壮観だった。そこに西から真っ赤な夕日が差し込み、一種異様な雰囲気を醸している。世界の終わりを歩いているよう、というか。そういう退廃的な気分だったからそう思われたのだろう。
もう10時間以上行動しているのに妙に調子がいい。平らで乾いたテントでたっぷり寝たからだろうか。コースタイム0.5倍のペースで進む。それでも三俣山荘についたのは日没を少し過ぎた頃だった。
今晩もレトルトカレー。今日は「男の極旨黒カレー」にした。理由は特に無い。かなり辛い。味は癖があり好みが分かれるかもしれないが僕は美味しいとは思わなかった。量は普通。パサパサしているものの具の肉は平均以上。総合評価★★☆☆☆。さっさと寝る。
8月23日
今朝も梅茶漬け。やはり米0.5合に茶漬け一袋では味が薄い。(食器さえ汚れなければ)山の食事にはこだわらないほうだが、流石にこれでは士気が下がる。とっとと食べて撤収して出発。曇り。
鷲羽の登りはそれほど辛くなかった。ジャンダルムでばてていたのがうそのように体が軽い。どうしてだろう。山頂は視界10mで去年の思い出が鮮やかに蘇る。水晶小屋まで去年も通った道を0.5倍ペースで快調に進む。
小屋の手前で降り出したため、小屋のベンチで身支度をする。凡そ終わったところで小屋の人が中で休むよう勧めてくれた。ありがたい。北アルプスの小屋は大体どこでもきれいな女性スタッフがいて、そういう人を見るとなんだかうれしくなる。特に五竜山荘がレベル高かった。下世話な話で申し訳ない。
言われたとおり休んでいればよかったのだが、野口五郎への道に入って暫くすると雷鳴が聞こえ始めた。雷鳴と稲妻の間隔は徐々に短くなっていく。やがて間隔は1秒ほどになり、あまりに怖いので二重稜線の間のような所で一旦待機することにする。30分ほど待ち、雷鳴が遠くなったところで再び走り出す。
しかしまた直ぐに雷は近づいてきた。とうとう湯俣岳付近に閃光が落ちたのが見え、たまらずコルから雪渓まで降りて再びうずくまる。馬の背の通過の10倍くらい怖い。どれだけ待っていても雷は遠ざかりそうも無いので、30分ほどで再び小屋に向かって走り出す。生きた心地がしない。天気が悪くなるだろうとは思っていたがここまでとは。命からがら野口五郎小屋に辿り着いた。
狭い軒先を借りて様子を見る。同じく小屋で待機していた人の話では、テレビの予報によればこの後一旦晴れるが、すぐまた雨雲が近づいてくるとのこと。50分ほど待つとその通りに雷がぴたりと止んだ。走れば次の雨雲に捕まる前に烏帽子まで行けるかもしれない。というわけで急いで出発。僕以外の人は野口五郎に留まったようだ。なるべく距離を稼いでおきたかったのもあるが、どちらかというと経済的な理由で(野口五郎にはテント場がない)かなり無理をしてしまった。
稜線に出ると雨は降っていないかわりにもの凄い風が吹いている。幸い尾根は広く滑落する心配はなさそうだったが転ばないように注意して走る。三ツ岳手前で風がやんだと思ったら再び雷。何も考えずにただただ走る。
こうして何とか烏帽子小屋につくことができた。早速テントの受付を済ませる。雨が強すぎてテントを張る気がしない。本来小屋の中のベンチは食事をした人しか使えそうだが、その日はお客さんが少ないということで特別に使わせてもらった。全身ずぶぬれで寒い。ひたすら惨め。暫くすると、烏帽子の山頂をピストンしてきたという満足げな顔の中高年が大勢帰ってきて呆気にとられた。
いつまでも小屋にいても仕方がないので、適当なところでテントを張りに行く。テント場は平らで広いが今日は真ん中に川ができている。全速力で張ってもやはり中は濡れてしまった。あんまり寒いのでガスを焚いてみたらすぐに暖かくなったのでもっと早くテントに入ればよかったと後悔。ここでガスを焚き過ぎて最後の方は残量が心もとなくなってしまった。
何だか疲れたので昼寝してから炊事することにする。12時頃一度目が覚めるも、面倒臭くなってそのまま二度寝。
8月24日
いくら疲れていてもそうそう寝続けることはできない。夜中に自然に目が覚めてしまったが出発まではだいぶ時間がある。かといって米を炊く気にもならず、ガスを弱火で焚いてぼんやりする。その内にだらだら準備を始めて4時出発。相変わらずの雨とガス。
今日は行程が長いからと暗いなかを出発したが、暫くしてガスで道を失う。来た道を戻ってヘッドライトであちこち探しまわり、何とか道を見つけられた。こんなことなら明るくなってから出ればよかった。
全く展望がなく薄暗い上に調子も上がらない。とても辛い。淡々と足を前に出し続ける。それでも船窪山手前のロープが出てくるあたりからは日が差し始め、多少気分も持ち直した。
その後天候は徐々に回復し、七倉岳から先は左手に谷を隔てて蓮華岳〜針ノ木の山体が望めるほどになった。どうやら僕の体調は展望の良さと正の相関があるらしい。この頃からペースも上がってきた。
北葛岳は安曇野が見下ろせて気持ちがいいので長く休憩する。ここから一旦長い下りを経て本日の核心、蓮華の大下り。身構えていた割には体調がベストに近いためあっさりクリア。山頂に大学生らしい人がいたので話しかけてみる。その人は新穂高から入って僕と同じ親不知を目指していた。今や北ア南部から親不知までの縦走をする人はそれほど珍しくないようだ。驚いたのはその人の荷物の多さで、僕のザックの二倍以上の体積がある。テント場毎に泊まりながら、朝晩美味しいものを食べてゆっくり歩いているのだそうだ。レトルトと梅茶漬けだけが献立の身には羨ましいことこの上ない。色々話したいことはあったが、先が長いので早々に出発しなければならなかった。
針ノ木小屋までの道も0.5倍ペースで快調。14時に小屋に着く。日没まであと5時間だが、天気体調ともほぼパーフェクトなので種池まで行けると判断しすぐ出発。針ノ木岳からは黒部ダムが一望できた。
その先は新越小屋までアップダウンの激しい稜線だったが、最高の景色を堪能しながら軽快に進んでいった。この時は、もう10時間以上行動しているのに自分でも驚くくらい調子が良かった。どれだけガンガン体を動かしても全く疲れない。実に爽快だった。そのときは自分もこれだけ成長したかと感動したものだが、翌日以降を考えるとあれは成長ではなくてただ調子が良かっただけなのだろう。不思議なものだ。
しかし新越の先の岩小屋沢岳で日没を迎えると徐々にペースが落ちる。その先道は右手が切れ落ちていて落ちたら助からなさそうなのだが、疲れから大分無造作に歩いて気がする。それでも種池小屋手前の樹林帯のコルまでは集中を切らすまいと頑張った。コルからはヘッドライトをつける。
ここまで来れば後はほんの少し登るだけ、と安心すると急に疲れが出てきた。今まで走るようにここまで来たのが信じられないほど、体がだるい。それにザックが重い。肩に食い込んで痛みすら感じる。緊張の糸が途切れたことで脳内麻薬の分泌が止まったとかそういう事なんだろうか。それにしてもここまでドラスティックな変化が起きるとは思わなかった。ここで足を止めたら負けだと思い、引きずるようにしてどうにか小屋前まで体を持っていった。小屋の人からは当然ながらお小言を頂戴してしまった。ミニカロリーメイトを1箱買ってテントを張る。小屋からテント場まで移動するだけでもしんどい。狭いテント場は満員。昨日の雨でぐっしょり濡れたテントの中で、さっさとカレーを食べて就寝。
8月25日
理由は忘れたが出遅れる。撤収完了したときには昨日のテントはほとんど残っていなかった。小屋で水を買い、ミニカロリーメイトを2箱買い足して出発。
昨日より調子が出ない。途中のピークで初心者っぽい登山者が雷鳥がいるのを教えてくれた際、ここまでで雷鳥など見飽きるほど見てきたので生返事を返したら、折角の雷鳥様を見る余裕もないほどヘロヘロなんだな、という感じで見られてしまった。実際ヘロヘロだったかも。
特筆すべきこともなく人生二度目の鹿島槍。展望は申し分ない。北アルプスで初めて制覇した百名山でもあり、その時は何の展望もなかったので感慨もひとしお。
この先北峰まで、昨日飛ばし過ぎたつけが来たのか足の指が痛さが耐えがたくなり、途中で靴を脱いだりして時間がかかる。昨日の余勢を駆って唐松山荘まで行くつもりだったが無理っぽい。急がないようにしてキレットまでゆっくり下る。
5年前に散々怖がった八峰キレットも、今通ると何が怖かったのか思い出せない。渡りきったところに荷物を置いて何度か往復してみたがやはり思い出せなかった。流石に5年前よりは成長したらしい。
キレット小屋を通過して五竜へ。五竜までも5年前は命懸けで通った覚えがある。今回も五竜に近づくにつれてガスと風が出てきて、八峰への下りよりはずっと難易度が高いように感じた。それに疲れている。割と苦しみながら登頂。5年前より更に濃いガスの中。五竜山荘までも結構長く感じた。
五竜山荘のロビーは広くて暖かい。テント場に戻りたくないばかりに、テントを張った後売店を見たり小屋ノートを読んだりしてぶらぶらする。ノートにスエヒロへのメッセージを残す。下山してから知ったが彼は槍沢からとっくの昔に下山していた。五竜山荘は物価も安く、水は1L100円、カップラーメンは300円と良心的(それでも下界の倍の値段だが。考えてみればカップラーメンがお湯付き500円って・・・)。ありがたくカップラーメンを頂く。一通り小屋を物色した後テントに戻ってレトルトカレーを食べて就寝。
8月26日
ご来光と共に上がる登山者の歓声で目が覚めたが、二度寝を優先する。いつからこうなっちゃったんだろう。適当に朝飯を食べて水を汲み出発。
今朝は天気がいい。それなりのペースで唐松山荘に着く。山荘はかなり新しいが物価は高いので通過。唐松岳は眺望がよい。ここから後半戦最大の山場、不帰キレット。今までザックの横にただぶら下がって邪魔をしてくれていたヘルメットにご登場願う。
(以下12/27加筆)
キレットは予想していたよりは簡単だった。寧ろ続く天狗の大下りの方が精神的に妙に疲れた。大下りを登り切ると大展望のはずが、生憎のガス。黙々と歩いて天狗小屋。雪解け水が豊富に流れている。以後も延々とガスの中を歩く。時折ガスの切れ間に見え隠れする雄大な展望が却って憎い。
二つの白馬山荘にも寄り道していく。村営の方はテント泊にやたら冷たい。テント泊向けの受付は宿舎の外にあり、「テント泊の人は絶対に宿舎に入らないでください」という旨の看板を立てて、宿舎の入口周辺に緑のロープをピンと張り巡らせている。まるで神域を囲う玉垣の様だ。流石にウィンタースポーツの聖地白馬村は金のない人間のあしらい方を心得ている。貧乏人にも入れる食堂はかなり充実しているが、迷った末何も食べずに出てしまった。
山頂に近い方の小屋のレストランは更に立派だった。が、ここも如何せん高くて手が出ない。ここで最後の行動食補給をする。チップスターショートとミニカロリーメイトで固めた。今山行では山の上で合わせて1500円くらい行動食を買ったが、それでも最後の二日はかなりひもじい思いをした。水はレストランの地下の自炊場で汲ませてもらった。
今年のGWに訪れた白馬岳はまたもガス。GWに腰をおろしていた場所がギリギリ雪庇上だったことが分かった。さっさと通過。以後ガスがやや晴れ、大らかに起伏する地形が望める。宅地開発できそう。
雪倉避難小屋の手前で日が完全に沈みヘッドライトを出す。ここはだだっ広いガレに付けられたペンキを目印に進むのだが、霧が濃くなって視界が5m位しかなく、目印を見失ってしまった。GWの様子を思い出しながらコンパスを出したりして必死に小屋を探す。諦めかけた時に漸く小屋が見つかった。GWの時の記憶がなければまずテントを張ることになっていただろう。日没後行動はよくない、と当たり前のことを再確認。
小屋には先客がいた。日もとっぷり暮れて現れた僕を「幽霊かと思った」そうだ。僕だってそう思うだろう。申し訳ない。先客は気のいいおじさんで、一人でのんびりしているところに闖入してきたけったいな若者に嫌な顔一つしなかった。栂池高原から入って二泊三日で親不知まで歩くとのこと。僕も親不知までだというと、東京まで乗せて行こうかと申し出て下さった。流石にそこまでお世話になるのは・・・と思いつつ就寝。
8月27日
おじさんは僕より少し先に出発した。急いだつもりだったが、漸く追いついたのは雪倉の手前だった。かなりの健脚だ。
雪倉ではガスに巻かれたものの、その先でガスが晴れた。この時の独特な景観は言葉ではちょっと表せない。本当にカメラを持っていかなかったのが悔やまれる。ここで人生初のブロッケン現象にも出くわした。
赤男山の水は豊富に出ていた。長く苦しい登り返しの末の朝日岳は申し分のない眺望。漸く見えた富山の町、栂海新道、そして日本海。今日中にあそこまで歩くのか・・・えー・・・。
栂海新道は長かった。しかし(前半は)木道あり、池あり、花あり、展望ありと変化に富んでいて、基本緩やかな下りなのでそこまで苦しい訳ではない。僕には黒岩平の辺りの庭園のような景色が一番印象に残った。
犬が岳の手前の水場はパス。犬が岳の登り返しはかなり辛く、登頂すれば栂海小屋はすぐそこ。小屋のトイレはなかなか独特かつ開放感がある。ここで下り口が見当たらず盛大に迷う。結局小屋の脇にあったのだが、見つけてみるとどうしてこんなところで迷ったのか分からない。
(以下3/18加筆)
黄蓮の水場は本当に涸れることがあるのかと思うくらい水量豊富だった。分岐で親不知から上高地まで縦走するというお兄さんに会う。海抜0mから登る逆ルートの方がはるかに過酷なのに日程は僕よりも短い。
ここまでそれなりに順調に来ていたが、この先は疲れが出始める。菊石山、下駒ヶ岳と地形図の標高差を疑いたくなるほどきつい。特に下駒ヶ岳への登り返しは急で度々足が止まり、絶望的な気分になった。種池山荘への登りに次ぐ辛さだった。下駒ヶ岳から先は暫く緩やかな下りだったせいか幾分持ち直した。小さな蛇が度々登山道を横切って驚かされる。
立派な小屋の立つ白鳥山を過ぎるとずっと長く急な下りが続く。下れど下れど終わらない。そのうちに薄暗くなってきた。緩やかになってくると道は尾根を外れて谷底のような訳の分からない地形を巡り始め、本当に前に進んでいるのか不安になる。シキ割の水場は細いが出ていた。
尚も進んでいくと不意に坂田峠の立派な車道に出た。もう間もなく日が暮れる。ここで先に進むか否かを決断しなければならない。当然、できることなら今日中に下山したい。去年の北アルプスと同じ5泊6日で上高地から親不知まで歩けたなら自分の成長を実感できるだろうし、同業者の一ツ橋ワンゲルが雪倉避難小屋から親不知まで1日で歩き通しているのに自分にできないのは悔しい。しかしこの先の地形の不明瞭さと体の疲労を考えると事故を起こす可能性は低くはなさそうだ。今日まで3000m近い稜線を歩いてきたというのに、最後の最後に高々700mにも満たない山で遭難とはあまりにお粗末な幕切れではないだろうか・・・。さんざん悩んだ末、今日はここで泊まることにした。
立派な車道を左に行き、突き当りを左に折れると広い駐車場があった。テントを張るとどっと疲れが出て、暮れなずむ空と遠い日本海を見ながら暫くぐったりしていた。そのうち辺りが蚊だらけなのに気づいてテントに入った。米を炊く元気もない。そもそも今日下山するつもりで水を汲んだためほとんど残りがない。序でに行動食もない。何もすることがないのに寝る気も起らず、唯ぼんやりしている。小雨が降ってきたので荷物を中に入れる。いつの間にか寝ていた。
8月28日
もう早起きする理由もないのでたっぷり寝過ごす。朝食もつくらない。
坂田峠から先は暑くて展望もなく、(これまでの5日間に比べると)実に平凡な山歩きが続く。平凡だからと言ってつまらないわけではないが。このあたりは地質学的に曰くがあるらしく、所々解説版が立っていて勉強になる。しかし専門的すぎて何を言っているのだかさっぱりわからない。またどうしようもなく腹が減るので、最後の休憩でとうとう非常食に手を出してしまった。登山口の時点で残った食料は板チョコ半分だけだった。
徐々に車の音が聞え出し、木々の向こうにちらちらと人界が覗く。心の中で何かのボルテージが上がっていく。国道沿いに飛び出し、暫く柵に沿って進むと、ついに登山口。感動の瞬間なのは間違いないが、まだ海が待っているのでそれほど興奮しない。最後の休憩で追い抜かれたどこかの大学のワンゲル部員がいた。彼らは室堂の方から10日以上かけてここまで来たようで、互いに健闘を称えあう。どこの大学か忘れていたが、今調べたら筑波大学のようだ。ネットは偉大だ。
筑波大生たちは親不知観光ホテルの風呂に入り、僕はその前に栂海新道の終点を目指すことにする。ホテルの横から急な階段を降りて海に出る。空は曇っているが割合沖の方まで見通せる。これで10日間に渡る山行が終わった。考えてみるとこれは僕の人生で最も長い山行だ。途中で風呂に入ったりしているが・・・。海水に足を浸したり叫んだりして、存分に感慨に耽った。
その後下山連絡を入れてホテルの風呂に入る。筑波大生達は既に上がっていて貸し切りだった。750円にしては狭いが、どんな風呂であれ10日間山を歩いてきた身には何よりの贅沢だ。入念に体を洗って湯船に浸かる。風呂は建物の3階にあって、海側が一面ガラス張りになっているためとても見晴らしがいい。いや、というかここからさっき僕のいた浜辺が見えるではないか。・・・本当に筑波大生と鉢合わせなくてよかった。
都合2時間くらい風呂に入った後は、自販機でコーラを買いホテルのロビーで涼む。厚かましいにも程があるが、雪倉避難小屋で会ったおじさんの車に乗せて頂くことにする。栂海新道を開拓した人の本が置いてあって、なかなか面白かった。いずれ僕も登山道の開拓をやってみたい。ところでこの辺りにはホテルの他には何も施設がないらしく、ひたすら空腹を持て余していた。
迷い込んできた虻に足を刺されたりしているとおじさんが現れた。流石に驚いた様子。そりゃそうだ。おじさんが風呂からあがった後ホテルの車で親不知駅まで行き、北陸本線、大糸線と乗り継いで南小谷下車。糸魚川では近くのスーパーでようやく食料にありつけた。南小谷からバスで栂池高原の駐車場に向かい、おじさんの車に乗せて頂いた。こんな得体の知れない若造を東京まで乗せて下さるなんて本当にありがたい。おじさんは登山のベテランで、アコンカグアやヒマラヤの中国側に登った時の話や山岳会の話を聞かせて下さった。小田急の駅でおじさんと別れた後、終電でその日のうちに帰宅することができた。
まとめ:天候にはさっぱり恵まれなかったが、連日自分の体力の限界を試すことができて充実感のある山行だった。しかし雷の落ちる中を行動したり、最終日に水や行動食が乏しくなったりと、判断の面では未熟さが目立った。
またゴールの日本海では僕の登山人生の中で5本の指には入る感動を味わえた。来年も海で終わる長期縦走がしたい。いや、実は既にどこに行くかは決めてあるのだが・・・。
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