五郎沢遡行・予定外に野口五郎岳〜ブナ立て尾根縦走
- GPS
- 32:27
- 距離
- 41.4km
- 登り
- 5,097m
- 下り
- 5,151m
コースタイム
- 山行
- 2:27
- 休憩
- 0:14
- 合計
- 2:41
- 山行
- 9:32
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 9:32
- 山行
- 0:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:00
- 山行
- 7:18
- 休憩
- 0:05
- 合計
- 7:23
天候 | 8/11曇り 8/12曇り 8/13雨 8/14雨 8/15雨〜曇り 8/16晴〜曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2021年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
タクシー 自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
五郎沢取り付きの本流渡渉は水量次第。 五郎沢は滝の巻きと登りのルート取りの力が必要 晴嵐荘前の吊橋は3年前より消失(知らなかった〜) 濁沢の橋は無事だが、水流は今回別のところに流れを変えた |
その他周辺情報 | 心笑温泉500圓 |
ファイル |
(更新時刻:2021/08/22 07:30)
ひっくり返り修正
(更新時刻:2021/08/18 06:48) |
写真
装備
個人装備 |
ハーネス+メット
フェルト地下足袋
シュリンゲ+ビナ+ 確保器
防寒具
カッパ
シュラフカバー
マット
水筒
その他沢個人基本装備(ナイフや灯り地図磁石)
|
---|---|
共同装備 |
タープ
ストーブ(非常用)
バイルハンマー
ハーケン
焚き付け+ライター
ロープ50m
|
感想
【計画】
まだ未踏の最高峰、野口五郎岳を、遡行記録の乏しい五郎沢から遡行して、五郎池経由で東沢に乗っ越し、ニノ沢から烏帽子岳へという素敵な計画を松が設計。「ぶらっとヒマラヤ」の藤原さんと三十年ぶりの山行を計画した。
8/11 入山
前夜岐阜入りして早朝信濃大町へ。東京からの藤原さんと合流して七倉に駐車し待っていたタクシーで高瀬ダムの上まで。日本列島には上海から伸びる長大な前線。明日夜から降り出して数日続く予報だが前線は気まぐれに南北に動くので、山行を止めるほどの要因ではない。高瀬川本流の渡渉は、かろうじて可能。腰までの清流をドスコイ歩きで渡る。
最初の二股のすぐ下に砂地の寝やすい天場あり。ローマ人に教わったというペンネアラビアータを藤原さんが作ってくれた。焚き火でグラグラと煮えたぎらせるのがアラビアータ(怒り)なんだそう。うまい。
8/12 五郎沢を堪能
記録は五十年近く前の日本登山体系のみ。美しいが登れない滝を7回高巻く。初めの右岸の巻きは高く上がり、懸垂2回で降りる。以降は藪を伝って降りる。松のアニマルさながらの巻きルートファインドにはいつもながら舌を巻く。
登れる滝も意地の悪いのが多く、どこか一箇所が辛くシュリンゲ垂らしたりロープ垂らしが5回ほど。ほぼ核心を終えた標高2000mちょっとで天場を探す。砂地で寝やすそうだが浸水には辛い。しかし、高台の天場は無い。
タープを張り終えたところで予報通り長雨が始まる。手強かった五郎沢の核心を抜け、タープの下で雨を見ながら火を焚き、体を乾かす。轟々の沢音の傍ら、藤原さんが天川で仙人にインタビューした時の不思議な体験などを語る。
8/13 五郎沢脱出するも行き止まり
雨は夜通し降ったり止んだり。タープに溜まる水溜まりを落としたりしながら朝になる。身支度を整えて出発待機しても雨の勢いが治らない。タープ下で火を焚いて進退を論じていると、益々水嵩が増えて、天場にも流れ込んで来た。流れは薄茶色になって水量も増している。もっと良い場所を探して停滞し東沢谷への可能性も話していたが、遡行を続けるレベルでは無いとようやく決断する。
濁流で渡渉もシビアな流れを渡る。右岸尾根にちょうど手頃な小沢があって逃げ上がり、尾根に乗って藪を漕ぐ。たいした苦労なく南真砂岳東の肩に上がって竹村新道をエスケープ下山する。湯股岳は、道が沢のようになっていた。
尾根末端の晴嵐荘にたどり着くとご主人のモリモトさんに驚かれる。本流の吊り橋が三年前から無い事を初めて聞き、こちらも驚く。山行最終日まであと二日。二日や三日で渡渉できる水量には絶対ならないよとのこと。ここは携帯も通じないので連絡は全く取れない。長雨は続き、再び尾根を1500m登り返して五郎小屋へ行くしか無い。
不安は有るが冷え切っているのでまずは湯船に浸かる。フルチンで雨の中歩き、怒濤の濁流の脇の天然温泉に傘さして浸かる。尻の下の砂地から熱湯が噴き出る。マグマのパワーだ。ここは三十年ぶりだ。
8/14 温泉停滞
終日、雨予報と列島の災害ニュースBS TVを見て過ごす。長雨で、北部九州、広島、下呂、岡谷などで深刻な水害。こんなの見てたら家族は心配しているだろうなあ。でもここは連絡途絶なのだ。
増水で温泉の水位が上がっているらしい。小屋中がポカポカ暖かく、昼寝の心地が最高だ。連絡さえつけばここで水が減るまで過ごしたいくらいだ。書棚のラインナップも趣味がいい。「洞窟おじさん」や「なんでも見てやろう」も有る。オーウェルの「カタロニア賛歌」を50p程読んで、噂の「ゴールデンカムイ」を読み耽る。アイヌの習俗や食習慣が丁寧に描かれ感心する。コミカルなシーンもあり野蛮なシナリオを和らげている。「背中に埋蔵金地図の入れ墨」は、手塚治虫の「シュマリ」にもあった話だな。
溢れる高瀬川本流の濁水がタプタプ流れ込む、ややヌルい露天温泉にたびたび傘さして浸かり、休養停滞。数日前には腰までの流れを渡った、たった20m程なのに、絶望の怒濤が踊り狂っている。ここが渡れれば3時間で帰れるのにな。橋もなく電信電話も通じない異世界だ。ここは本当に日本なのか。
8/15 尾根登り返し
最終下山予定日。意を決して4時発14時間行動のつもりでイッキにブナ立て尾根までと準備したが、雨が降り止まず6時発に遅らせる。今日中の下山は諦めた。連絡がつく五郎小屋まで行って良しとしよう。
雨が弱まったので6時出発。黙々と1500mを登り返す。ありがたいことに9時過ぎにはほぼ雨が止み、樹林限界を超えても風が無く、濃霧の中、野口五郎の山頂へ。山頂に来られて満足だ。
恐る恐る五郎小屋の戸を開けると、優しく迎えてもらえた。昭和39年築という年代物の山小屋は懐かしいまでの古くささだ。初めて来るのに懐かしい。ご主人一家が凄く優しくしてくれた。乾燥室も使わせてもらいパリパリに乾く。
ここで初めて家族と職場に下山1日延長の電話がかけられて、ひと安心した。これが一番心の重荷となっていたのである。
8/16 晴天下山
停滞前線が一時的に南下し、我らは雲海の上になった。初めて展望を得た。雲上の道、烏帽子、ブナ立て尾根を目指す。五郎小屋で雨天連泊停滞していたカトーさんとコグレさんの二人と共に出発する。尾根末端の濁川の渡渉点が悪くなっている可能性があり、小屋に来ていた県警のパトロール・サカタニさんも一緒に下ることに。カトーさんは五郎小屋に年三度もくるほどのゴローファンだそうで、あの小屋とこのルートの魅力を道中語り合う。
途中の三ツ岳の山頂に寄る。岩の高まりが三つ。コマクサが多い。好天の朝に新しい山頂に立てて嬉しい。白馬から乗鞍まで見えていた。
烏帽子の小屋も五郎小屋一家の小屋とのこと。暖かいお茶をいただいた。この大雨でやはり下山路は通行止め。お盆だというのにお客ゼロで気の毒だ。ブナ立て尾根は、急だがあっと言う間に下れる整備された道だ。末端の濁川渡渉点がやはり変わり果てていた。丸木橋は流されていないけど、本流が別のところに変わっていて、そこにパトロールさんが念の為ロープを張ってくれていた。今日は水は減っている。でも昨日はイッキ下山しても渡れなかっただろう。結局全て、良い様にことが回った。一緒に下ったみんなにお礼を言って心笑温泉の風呂に。葛温泉は規制区域内だったので今回も縁が無かった。
大町駅前の蕎麦こばやしで、山菜そば。藤原さんの三十年前在住時以来のお気に入りだそう。麺もツユも山菜もいい。車を置いてもらったオイカワさんちでコーヒーとゴーヤジュースと美味しい肉まんをいただいた。
藤原さんと別れて松と帰る段になり、この水害で中央道の岡谷〜伊北が不通で、安房峠越えでかえることに。ネットで中央西線が表示されているようなので、特急しなので帰ろうと明科駅で降ろしてもらう。切符買おうとして、しなのもあずさもまだ運休中と知る。松を一人で返してバチが当たったのだ。長野・東京周り新幹線で19000圓も払って帰る羽目に。おまけに小田原手前で、トラブルで1時間半も停車。
乗り換え長野駅の新幹線ホームで立ち食い蕎麦。かき揚げの厚さ8センチはあろうか。信州に来て蕎麦なんか食べて、ドブ臭い都市行きの列車に乗る。よその人になっちゃったなあ。
思い出深いストーリーに満ちた山行になった。川の渡渉で苦労するなんて、まるでネパールや江戸時代の大井川だよ。でも人って無力だ。待つだけなんだ。六日間も水を巡って七転八倒。藤原さんの面白い話もひさしぶりに沢山聞いた。
先月登った朗らかな黒部の五郎沢とは違ってこちらの高瀬川五郎沢は実際、厳しい沢だった。隣の険谷・西沢程ではないにせよ、雰囲気の似た黒部・口元ノタル沢の数倍難しかったというのが舐めて掛かったキライある私の体感である。どんよりとした天気も相まって下半部の威圧感は中々のものがあり、溯行する我々に緊張の持続を長く要求した。今回の遡行では沢中に過去遡行者の痕跡を見ることは一切なく、気持ちいいまでの清潔さを味わえた。高瀬川の渡渉さえクリアすればアプローチも良く、これまでに記録が(登山大系以外に)無いのが不思議なほどに内容ある沢で、もっと遡行されてよい対象に思う。ただ易しくはないので高捲きや滝登り等、自分の沢登りに不安ない向きに大らかに推奨したい。今回は百戦錬磨の大學センパイ方の力量を頼りに高捲きはギリギリに、ロープ出しは最小限に済ませ、手間の少ないシュリンゲ・アブミ垂らし戦法で間断なく現れる花崗岩質の滝群を効率優先で際どく越えていった。核心抜けた、いよいよ黒部へ乗っ越しだ、と勇んだ翌朝から哀しいかな降雨が始まり、野口五郎岳への源流溯行さえも許さない増水っぷりに、悔しいが夏道尾根への脱出を選択した。東沢谷に乗っ越してその支流である二ノ沢から烏帽子岳へと繋ぐプランは、永く練ったものだっただけに計画放棄、エスケープの判断が着きかねたが致し方ない。下山のつもりで辿り着いた湯俣は晴嵐荘で、橋が無いことを知らされて角幡ヤルツァンポー氏へ心を重ねた。川が渡れず帰れない、21世紀の今にこんな事態が起ころうとは。こんな経験しようとは。露天風呂からフリチンで見やる、たった20mの濁流が渡れない為の登り返し大高捲きに二日間、台湾大渓谷でないんだから全く。休養停滞に一日費やし、体力の回復を図る。小雨そぼ降る翌朝、ずぶ濡れになりながら竹村新道を辛抱強く登行し、幸いにして風のない稜線辿って2005年の西沢溯行の際に登り損ねた野口五郎岳にようよう立ったのが16年後の終戦の日だった。古式ゆかしき山荘である野口五郎小屋で歓待を受け再び休養した明くる朝、停滞前線の南下に乗じて稜線北上漫歩した。懸案だったブナ立尾根末端の濁沢渡渉を済ませた我々は、一気に里の人となった。
私が一目置く米山さんが一目置く藤原さんとの三人山行は、五郎沢のクセある溯行内容や予期せぬトラブル、停滞中の面白危な過ぎる会話や登場人物も手伝い印象実に鮮やかなものとして心に残った。これまで登ってきた米山氏との数々の完成山行からは得られなかった、不完全だからこその山行の満足を知る。厚みが違う。
「だから成功山行にはロクなものが無いんや(by 和田城志氏)」
また、願います。
コメント
この記録に関連する登山ルート
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登り返し、おつかれさまでした
今回も見応えのある山行で!
初っ端からあの渡渉で素人には驚きですが、
続々と現れる滝に濁流に圧倒💦
見ながら手に汗。
凄すぎますが、やはりヨネヤマさんとお仲間様ですね。
そしてカトーさん!!!
まさかヨネヤマさんとお会いしてご一緒されたとは何とも驚きました。
私は数年前にご縁ありまして。(^^)
雨の連休でしたね。
最終日の天気持ち直しはご褒美でしょうか。
昨日中央本線止まってましたね。
帰路もお疲れ様でした。
野口五郎岳に引っ張り戻されました。
キキさん
すいている山であう人は、何かと縁があることが多いですね。カトーさん、ただならぬゴロ〜愛の方でした。きのこにすごく詳しいの。
ごぶさたです。読んでもらってありがとうございます。焚き火も増水もホント楽しいです。仲間が面白い沢をどんどん探して来るのです。
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