大峰奥駈道(洞川温泉-五番関-山上ヶ岳-大普賢-行者還岳-弥山-八経ヶ岳-涅槃岳-行仙岳-笠捨山-玉置神社-本宮)
- GPS
- 51:36
- 距離
- 93.5km
- 登り
- 6,979m
- 下り
- 7,734m
コースタイム
- 山行
- 4:29
- 休憩
- 0:26
- 合計
- 4:55
- 山行
- 11:10
- 休憩
- 1:35
- 合計
- 12:45
- 山行
- 11:04
- 休憩
- 1:23
- 合計
- 12:27
- 山行
- 11:11
- 休憩
- 1:32
- 合計
- 12:43
- 山行
- 7:37
- 休憩
- 0:34
- 合計
- 8:11
10:28 洞川温泉 → 11:48 登山口 → 12:04 五番関 12:10 →13:41 洞辻茶屋 → 14:30 山上ガ岳 → 15:24 小笹ノ宿
【二日目】22.3km 1.7km/h
5:00 小笹ノ宿 → 5:28 阿弥陀ガ森分岐 → 6:28 大普賢岳 → 7:21 国見岳 → 8:01 七曜岳 → 8:56 行者還岳 → 9:26 行者還小屋 → 10:00 北角近辺 10:30 → 13:33 弥山小屋 → 14:26 八経ケ岳 → 17:14 揚子ガ宿
【三日目】17.6km 1.4km/h
5:00 揚子ガ宿 → 6:00 仏生ヶ岳 → 6:28 孔雀岳 → 7:55 釈迦ケ岳 → 8:37 深仙ノ宿 → 10:25 天狗山 → 11:21 嫁越峠 → 11:50 地蔵岳 → 10:23 般若岳 → 13:13 涅槃岳 → 13:44 誠証無漏岳 → 14:35 持経ノ宿 → 15:51 平治ノ宿
【四日目】22.2km 1.7km/h
5:09 平治ノ宿 → 7:23 行仙岳 → 7:56 行仙宿山小屋 → 9:48 笠捨山 → 11:06 地蔵岳 → 11:56 四阿宿跡 → 16:10 展望台 → 16:15 カツエ坂 → 16:57 玉置神社 → 17:29 玉置辻(本宮辻) テント泊
【五日目】18.0km 2.2km/h
4:50 玉置辻(本宮辻) → 6:10 大森山 → 7:31 五大尊岳 → 8:44 金剛多和ノ宿跡 → 9:10 大黒天神岳 → 10:15 吹越山 → 11:29 七越峰 → 12:15 備崎橋 → 12:50 熊野本宮神社
天候 | 5/1〜5/4 晴れ 5/5 雨 |
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過去天気図(気象庁) | 2014年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
エスケープルートも数少ないので下調べが重要です。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
登山ポストは随所に有ります。 危険な箇所も随所にあります。 私が迷った箇所もログを見ればわかるでしょう。 世界遺産になりコースが整備されたとはいえ、深層部は道無き道を行く修験道でした。 役行者はピークハントで修験道を定めたようです。のこぎりの歯のようなアップダウンの連続で、過分な荷物は足に来ます。 夜道・深い霧は道を見失うし、雨の日は滑落のリスクが高まります。 熟練者、または熟練者が率いるグループにしか無理なコースです。 夜道を彷徨い山小屋の灯を頼りに小屋に辿り着いた二人組、過分な荷物で足を痛め林道のある持経の宿から車で運んでもらう方、トレーニング不足でエスケープする方などがいました。 |
写真
装備
共同装備 |
シュラフ 1
ツェルト 1
食料 6日分
バナー 1
|
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感想
昨年早春、お遍路も終わりに近づき「苦行がしたい!」と、10キロ背負ってテント泊&自炊をしたが、その時お会いした奈良の方が、大峯奥駈道の強者と聞き、30年ほど前に吉野〜和佐又を歩いているが、修験道を歩いてみたいと思った。
昨年秋、試しにツァーで下記の吉野〜五番関を歩いたが、改めて女人結界を越え、大峯奥駈道に踏み出したい欲求に駆られた。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-356253.html
今回雪解けを待って、このゴールデンウィークに出かけることにした。
【5/1】
近鉄下市口駅8:20発のバスに乗りたかったが、5/1は平日ダイヤで9:20が始発だった。
洞川温泉バス停から前回下山した五番関トンネルまで、タクシーに載りたかったが大峰タクシーは廃業、天川タクシーは営業エリア外という。結局5キロの車道を歩くはめになった。
今夜は行者還小屋を諦め、小笹ノ宿泊まりになるが「まエエかぁ」
洞川温泉は早春でまだ桜が咲いている。
ころころ水や母公堂などの観光スポットを通り過ぎ、通行止めの車道を進む。五番関トンネルの先が崩落しているが、奥駈には関係ない。
女人結界の五番関で弁当にして、奥駈道に入る。
道には残雪が残る。見上げる山肌にも雪渓が見える。山上ヶ岳はまだ雪解けの季節だ。
山頂に着くと宿坊は二日後の開戸式の準備で大わらわだった。お陰で本来まだ閉まっている本堂の戸が開いており、戸の外から拝ませていただいた。
お花畑はまだ雪の下だった。
15時半に小笹の宿に着くと、吉野を早朝に立った若者が先に到着して寝息を立てていた。
結局ここに4人が泊まり、外に8張りのテントが設営された。
軽量化のため食事は水で増量できるアルファ化米や棒状ラーメンだ。酒もブランデーを水で割り、ツマミもナッツやチーズかまぼこ、ビーフジャーキーで栄養補助をはかる。
尾根歩きの奥駈では水の確保がキーになるが、浸かれる程の水量があるのはここだけだ。
【5/2】
昨日は結構ハイペースだったので、この調子で行けば今夜は深仙ノ宿か…と思ったが甘かった。
まず役行者が諦めて帰ったという行者還岳がきつかった。ここで順峯の行者さんを話ができた。
雪解け道の弥山、近畿最高峰百名山の八経ヶ岳、明星ヶ岳から先は道無き道(崖崩れはよじ登って上から通り抜ける)、合わせて弥山で「極楽々々」と飲んだビールで大幅ペースダウン。
揚子ケ宿がやっとで17時半に付いた。下は10人組の中高年で一杯だったので、屋根裏部屋に一人で寝た。
しかしサロンパスをすると下で「誰もサロンパスしていないのに臭う!ガス漏れていない?」と大騒ぎ。「二階の私で〜す」と弁明しなければならなかった。
寝る頃にまた下で「この水なに?」と大騒ぎ。見ると私の枕元においたハイドレーションの水が吸口からポタポタと漏れ、隙間だらけの床から下に落ちていた。またまたお詫び。
みんなが寝静まった20時に二人の若者が入ってきた。
あの崖崩れを夜歩くのは危険だ、無茶をすると思ったが、道に迷い夜道をさまよっていたが、この小屋の明かりが見えたので、命からがらたどり着いたという。
GPSナシの奥駈はリスクが高い。
【5/3】
5時出発。朝から「ストックがない、私あれがないと歩けいない」「たたんでリュックに入れていないの?」と、朝から賑やかな中高年組を後に、小屋を出ると鹿の出迎えにあった。
今日は行仙宿山小屋迄行きたいが昨日のペースでは怪しい。
鳥の水を見過ごしたため、深仙ノ宿の水場で補充する。数名の若者グループに水場を聞くとチョロチョロで2リットル貯まるのに10分掛かるという。
行ってみるとナベに水が溜まっており、ジョウゴまで置いてある。見ず知らずの私へのおもてなしに感謝!
朝食が4:20なので10時頃が昼食、天狗山でラーメンを作る。しかし30分ほどのロスタイムだ。今回の糖分は板チョコ2枚だけなので、行動食にアンパンを持ってくればよかった。
持経ノ宿でビールを飲んでいる人がいた。ゴクリと喉が鳴るが昨日の反省で我慢我慢。
ここは林道が通じており車で機材を運べる。
この先3軒の山小屋は「新宮山彦グループ」の管理で、ゴールデンウィーク中はグループメンバーが駐在し、予約がいると聞いた。今朝の中高年組もここを予約している。
宿泊費は1000円。
ここでお水をもらっていると、メンバーが過分な荷物で膝を痛め、リタイヤする人を下まで車で運ぶ相談をしていた。全員が簡単に完走できるコースではない。
行仙宿山小屋は諦め16時に平治ノ宿に到着した。テント泊のカップルに聞き、45度の階段を5分下ると水場があった。ひしゃく代わりの鍋がある。
1.5リットルのペットボトルを片手に階段を登るのに難儀して、帰りは10分掛かった。
ここに「新宮山彦グループ」は駐在していなかったが、救急箱や非常食が常備されていた。
【5/4】
5時に平治ノ宿を出て8時に行仙宿山小屋に着くと、登山者は出発し新宮山彦グループの方々だけが残っていた。
代表者に聞くと昨日の宿泊者にビールが振舞われたようだ。私はお茶を頂いた。
お遍路の時はお接待で、元気を頂いていたことを思い出した。
地蔵岳と言う名の山はいくつかあるが、この後の地蔵岳は「地獄岳」と呼びたいような山だった。
岩に道を阻まれ「道がない!」と思い見渡すと、岩肌にロープか鎖が垂れ下がっている。
道無き道を進み山頂に達したが、それから先の道が見つからない。たまたま来た登山者二人に聞いて進んだが、通行止めのロープが張ってある。戻って再び道を聞くと「鎖場を降りて、鎖を昇る」と、要領を得ない。
登山者の一人が無言で降りていくので案内をしてくれるのかと思い付いて行くと、先程は目に入らなかったが、通行止めの右脇の崖に鎖が下がっていた。
RPGゲームで「この先どう進むんだァ」の謎が解けた気分だ。
二人は仲間ではなかったようで、その人はどんどん先に進む。置いていかれないようについていくと、鎖場で「危ないので離れてください」と言われた。ごもっともです。
「ココって道らしい道じゃないですね」と話しかけると「岩場に道はありませんよ」との答え。ごもっともです。
立ち止まったので何かと思うと、鎖場で登ってくる人がいる。
「ストック片手では危ないですよ」というので、私もストックを収納した。その間にその人は登り終えた人と交代で去ってしまった。登ってきた人に聞くとココが奥駈最大の難所らしい。
地蔵岳を下山すると、ハイキング並みに道が歩きやすくなった。ただし45度のアップダウンは健在だ。
四阿宿跡で順峯の外人女性行者にあった。今日のお昼はタイムロスになるラーメンを止め、ハムを行動食にしたので、食ってる間、行者さんの般若心経を聞くことになった。
ペースアップしたが調子に乗って、カツエ坂を見落とし玉置山を迂回する巻き道で玉置神社に入ってしまった。
神社にビールの自販機はなかったが、(15分離れた駐車場に売店や自販機があるらしい)神社のふるまい酒を駆けつけ5杯。佳きかな佳きかな。
ココで水を補充し、ほろ酔い加減で玉置辻(本宮辻)に到着し、テント泊をした。
【5/5】
4日間晴れだったが、今日は昼から雨の予報。
降る前にゴールしたいと思い夜明け前に出発した。
大森山への道中で逆峯の行者さんがいたので、昨日の外人女性の行者さんの事を聞いてみると、日本人と結婚したドイツ女性だった。
雨は8時頃から本降りになって、4回ほど滑りコケた。
ストックのゴムキャップはとおの昔に紛失し、ポールは岩に挟まり、曲がって収納不能、挙句にストッパーとのカシメが外れて、ポール半分がすっ飛んだ。満身創痍のポールをテーピングで直し、なだめすかしながら、熊野川まで降りた。
58歳で奥駈は無理かなとも思ったが、無事熊野大社本宮にたどり着いた。
入念な計画でエスケープルートを確認し、ギリギリまで荷物を切り詰めたが、出発時はストックなどの装着品を除き11キロ+水1〜2リットルが、帰宅時は9キロに減っていた。
PS.
昔、串本古座の伯母の家で履物を借りようとしたら、勝手口に30年前になくなったご主人の下駄が、今も一緒に生活をしているかのように置いてあった。
一昨年前に伯母が危篤になり、一命を取り留めたが、お花畑にご主人が待っていて「まだ早い」と追い返された話をしてくれた。
その伯母も昨年98歳で眠るように亡くなり、私は形見に下駄を頂いた。
今回はそんな伯母の供養で、熊野大社本宮までを歩いた。
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