大峯山脈(大峯奥駆道)
- GPS
- --:--
- 距離
- ---km
- 登り
- ---m
- 下り
- ---m
コースタイム
10/10 5:45小笹宿〜16:00楊子ノ宿小屋
10/11 6:20楊子ノ宿小屋〜15:10平治ノ宿
10/12 5:45平治ノ宿〜17:00玉置神社を越えた林道
10/13 5:45玉置神社を越えた林道〜14:00熊野本宮
天候 | 10/9 曇り(ガスの中)10/10 曇りのち晴れ 10/11,12,13 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2009年10月の天気図 |
アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
東名が集中工事のため調布ICから吉野まで乗用車で550km(遠い) 大峯奥駆道をするときは吉野神宮を越え少し行った所に有る大きい無料駐車場を 利用できます。 ただ帰りは公共交通機関だと熊野本宮から五條にバスで4時間(山道で酔った)、3200円 五條から吉野口まで電車で50分強、600円かかります。 登山ポストは金峯神社の手前に有る休憩所に有りました。 大峯奥駆で一番気なっていたのは水場です。 昭文社の大峯山脈の地図は、水場や避難小屋、歩行時間の目安も書いてあり、 有効活用しました。 ただ今年は降水量が非常に少なく、台風前は殆ど涸れていたそうです。 熊野本宮の温泉は、うらら館にあり入浴料200円。シャンプー石鹸は無く販売もしていないので、近くのコーナンで旅行セット448円で買い、風呂代より高くつきました。閉まるのは19:30入場20:00閉館です。泉質は疲れもとれて良かったです。 |
写真
感想
「苔むした青緑色の衣を着た僧侶、私の山の水を飲みなさい。私は岩のようなもの。」
-----ユング派志向心理療法家、シェリー蓮夢シェパードさんの見た夢-----
目覚まし時計のアラームの音で目を覚ますと、少しぼやけた目の前には
見慣れない光景が現れてきた。
しかし、すぐに高速道路にあるサービスエリアだと気づくことができた。
寝始めのうちは、車の中で無理な姿勢で横になっていることもあり、
なかなか寝付くことができなかったが、4時間くらいは寝ることができただろうか。
とりあえず車から降り、外の空気を吸い込んで目を完全に覚まさなければ。
ゆっくりしている時間は私の計画の中には入っていない。
御在所SAにある24H営業している軽食のコーナーへ出向いていく。
体調によって食べたいものが決まるのだが、今回はカレーうどんが妙に美味そうに見える。
血流が滞っているのだろうか。さくっとカレーうどんをすすり障害者優先トイレに行き
着替えることにする。
一度外で音がしたので、トイレの利用者かと思いドアから外をのぞくが、人影は無かった。
まあ、平日の深夜2時にはそうそう人が現れることは無いだろう。
今回の予定は中々ヘビーな内容なので、身体中の痛みそうなところへ
ファイテンのテーピングを貼っていく。
この作業に意外と時間がかかってしまい、出発が予想以上に遅れてしまった。
ただ、深夜0時を回ると高速料金が半額になる。今回は500km以上走っているので、
このシステムは捨てがたく、こんなことになってしまうのだが。
高速道路を降りてからも一般道路はまだかなり遠い。
バイパスから国道24号へ出る。手持ちの地図が古く、新しいバイパスの内容が解らないので、
そのまま旧道を使い、一度軽く道を間違えてしまうが、とりあえず吉野神宮を越えた所にある
無料の駐車場に、夜明け前の暗いうちに車をとめる事ができた。
奥がけをする時は、この駐車場を利用することができると、あらかじめ観光協会で聞いていたのだ。
準備を整え、いざ出発しようと思ったところへ、いきなり雨が降り出してきた。
しかも結構強い。天気予報では、曇り時々晴れのはずだが。
そのままザックやその他のもろもろを持ち、すぐ横にあるトイレの軒先に入り込む。
そこでザックカバーと合羽を取り出して着込み、完全に準備が整ったところで雨がやんだ。
・・・何なんだ、、、
このままでは合羽の中が蒸れてすぐに大汗をかいてしまうので、上だけTシャツの上に合羽を着て
ぼちぼち歩き始めることにする。
道の両脇には土産物屋や旅館が立ち並び、少し上り坂の道は曲がりくねって上へと続いていく。
まだ朝の6時なので、当然両脇にあるお店はみな閉まったままだ。
金峯山寺を越え、少しずつ山道らしくなってきた所へ、まず最初の神社と休憩所が現れた。
神社を造り上げている色の落ちた古い白木は、歴史の重みと神聖な空気を漂わしている。
この金峯神社にしても、金峯山寺にしても世界遺産に登録されているそうだ。
休憩所もすぐ横にあり、さすがに面白いことに所々密教の趣を感じることが出来る。
この神道、密教、修験道が共存しているのが、世界遺産に登録された大きな要因の一つらしい。
休憩所には長いすがいくつか置いてあり、その横に登山ポストを見つけることが出来た。
車のフロントガラスの内側にも、今回の予定を出しておいたが、登山ポストにも
添えつけの用紙に記入し投かんする。
結構長期の予定なので、何が有るか解らない可能性は、それなりにあるだろう。
昼食も済ませ、そろそろ参ってきたところへ、道の両脇にある長屋と長屋の間にも屋根の架かった休憩所が現れた。
それほど大きくは無くなんとなくやり過ごす。
あとで昭文社の地図で確認すると洞辻茶屋のようだ。
また少し歩くと今度は大きなつくりの同じような長屋型の道の上にも屋根の架かった休憩場が現れた。
陀羅尼助茶屋だ。ただお店はすべて閉まっている。
大きな長いすがいくつも置いてあり、とってもそそる。
ここでザックを降ろし、長椅子へひっくり返り、もうほとんどバタンキュー。
少しの間、朦朧としているとそのまま寝込んでしまった。
はっと我に返る「やっちまった。どの位寝込んだんだろう」しかし時計を見ると15分位しか経っていないようだ。
一昨日は十分寝ているが、昨日は若干の寝不足。やはりだんだんと効いてきたか。
寝込んだことで、少しすっきりしたので、すぐに立ち上がりザックを背負いなおして出発する。
山道へ入ってから、終始濃いガスに包まれている。修験者が縄を着けて、岩から下を望む西ののぞきもあったが、
ガスで5m先も見えないし「危険」の表示もあったので、そのままやり過ごす。
気温は5℃〜8℃位。意外と冷え込むが風が無いので、すぐに汗をかく私は、
登りだしてすぐに合羽を脱ぎTシャツ一枚でいるのだが、とりあえず大丈夫のようだ。
五番関に有る女人結界の入り口までやってきた。ここへ泊まったという情報をいくつか見ていたので、
避難小屋があると予想していたが何も無い。ただ焚き火の跡が大きく残っているので、
修験者達が泊まっているのは間違いなさそうだ。
山上ヶ岳まであと少しのところで、道がふた手に分かれている。
左が昔からの修験道で、右が新しく出来たトラバース道と書いてある。
結構身体が参ってきているので、トラバース道にもちょっと惹かれるが、
とくに予定外に時間がかかっている訳でもないし、大した距離でもなさそうだし、
こんなところで泣きを入れたくないので左側へと進んでいく。
若干の鎖場と急騰もあったがあったが、木で作られた階段も有り、過ぎてみればあっという間だ。
濃いガスの中に、ぼんやりと山門が現われてきた。左側に少し下った所に在るのは宿坊だろうか。
本堂らしき所まで登りつくが、ここまで一人も人と会うことが無い。もう閉山したのだろうか。
ただ修験者達が多く訪れているその空間は、なにか人の気配を感じるような雰囲気がある。
吉野から大峯山寺までカシミールの計算で沿面距離22.2km累積標高2177m下降距離が761mと出たが、
殆ど下った記憶は無いのでこれは地図上だけだろう。
予定している初日の宿泊所の小笹宿まで、あとは殆ど下るだけで30〜40分で着きそうだ。
遅くても16:00には到着するだろう。まずは水を確保しなければ。
計画の段階での一番の問題は、今回は水の確保だった。水場はいくつか有るが、涸れている可能性が有るそうだ。
しかしその不安も、一昨日紀伊半島を直撃した台風により一掃することができた。水場はすべて生きているだろう。
大峯山寺をこえて予想どうり40分位経過したところで沢の流れる音が聞こえてきた。
もう小屋も近く安堵感が広がる。そのすぐ直後、小笹宿が現れた。
初日で結構ペースを上げたし、ストックを一度も出すことが無かったのでかなり疲れてしまった。
小屋の扉を開けると、一段上がった床に既に敷いてある銀マットへ倒れ込むようにねころがる。
時間はまだ16:00前で暗くなるには、まだ当分時間が有る。しばらく横になり朦朧としながら身体を休めることにする。
ベストの状態で行くと4日で熊野本宮へ入ることになり、今日が一番楽な行程になるのだが、
こんなに疲れてしまったのでは、とても予定をこなす事など出来そうもない。
行動時間は10時間位なのに一日が長く、一日の密度が非常に濃い。ただ前日からの車の移動と車中泊も効いているのだろう。
もし体調が良くもろもろの条件がそろえば、吉野から熊野本宮へ入り、
そこから小辺地を経て高野山へ入る予定だが、かなり厳しそうだ。とりあえず一日一日様子を見ながら行くしかない。
7〜8日の予定を考えているので食料も7日分は十分にあり、ザックは水を1.7リットル位入れて14kg弱位だろうか。
避難小屋が多く、世界遺産に登録されてから整備されたそうなので、今回はテントは持たずツェルトだけ持参することにした。
40〜50分程横になっていただろうか。思い身体を起こし、暗くなる前に小屋の裏に流れる沢へ水を汲みに出る。
ここの水場は水量が豊富なので、そう簡単に涸れることは無いようだ。
「私の山の水を飲みなさい。私は岩のようなもの」
いつもだと疲れすぎた後は食事が進まなく、無理やり口へ燃料のようにつっこんでいくが、以外に今日は食欲があるようだ。
ただ今までと違う工夫を一つ施してある。ニンニクを数かけら持参してきたことだ。
これをナイフで小さくそぎ落とし、コッフェルのお湯の中へ落としていき軽く茹でて、
このニンニクスープを使ってアルファー米をもどすと、これがなかなかいける。
とても食欲の湧くものが出来上がり、朝夕とこのニンニクスープを使ったのは
今回のハードな行程に一躍買ったのは間違いないだろう。
昭文社の地図に有る時間を合計するとここまで11時間20分。
実際にかかったのは、休憩も入れて9時間45分。
明日は4:30に出発し、うまくいけば15:30〜16:30には予定している深仙小屋まで到達できそうだ。
食事を終え時計を見るとまだ18:00過ぎ。今日はゆっくり寝ることが出来そうだ。
明日は明るくなる1時間前位には出発したい。
5:45なら十分明るいので、4:30に出発しようと思い、2:50に目覚まし時計をセットしシュラフの中に潜り込んだ。
これから先の予定をいろいろ想定しながら浅い眠りに入っていく。
まだ1日目なのか。この調子だと予定しているスケジュールなどありえそうも無いが、
明日になれば又明日の時間が始まるだろう。
夜中に何度か目を覚ましてしまう。シュラフは今回スリーシーズン使えるものを持参し、
シュラフカバーを被せ、シュラフシーツも入れ込んでいるため、下着のままだが暑い。
かといってシュラフのチャックを大きく開けて寝ていると、小屋の中は4℃位なのでしばらくすると
寒さで目を覚ましてしまう。起きたり寝たりと、浅い眠りに就いている内に2:50がやってきた。
しばらくぼーっとしているが、朝食の準備を始めることにする。
長期戦で一日の消費カロリーも相当なものだろうから、なるべく良い食事を取らなければ
後々ひびいて来るだろう。
出発準備を整え小屋の外へ出ると、星明りの中、濃いガスが白く漂いライトに照らされ浮かび上がる。視界は10m位か。
小屋の裏を流れる沢を越えて、奥駆道へと向かうが、この辺りはちょうど沢がいくつか合流し
広範囲にわたり岩が露出している。当然踏み跡を見つけるのは困難で、いく筋ものラインが登山道に見える。
この中を何度も間違えながら進んでも、1時間では大して進むことは出来ない。
体力を消耗するだけと判断し又小屋へ戻る。
GPSが有るから大ブレすることは無いが、これは夜行はかなり厳しいかもしれない。
小屋に戻っても4:40。5:30になれば徐々に明るくなってくるだろう。
明け方の気温は2〜3℃で、Tシャツに合羽を着ただけでは、じっとしていると寒く少し震えが出てきた。
小屋の中にたたんで置いてある毛布が2〜3枚あったので、あまりきれいとはいえない見てくれだが、
このさい仕方ないと、座ったまま頭から被ると、とても暖かく震えを止めることができた。
1時間くらい経つと、窓の外は深い紺色が白み始め、徐々に明るさをとりもどしてきたようだ。
やはり明るくなると、先ほど殆ど全く解らなかった山道も、くっきりと浮かび上がってくる。
雨が降ったら沢になりそうな、大小の石のしき詰まった涸れた沢のような山道を登っていくと、
山深く原生林のような森の中を抜けていく。相変わらずガスは漂っているが、幾分薄くなっただろうか。
自分の呼吸の音しか聞こえない静り返った森の中から、ガサガサ、タッタッタッと音が聞こえる。
すぐに音の方へ振り向くと、なんと大きな猪がお尻を向けて、ゴォフィー ブロロロロ〜と逃げていく、
立派な毛並みは灰色でお尻の辺りは白っぽい。
始めて見る野生の猪に感動していると、ふと脳裏に。猪、、ということは熊も?
おもむろに鈴と笛を取り出し、ジャラジャラ。ピー。ジャラジャラ。ピー。
栗やどんぐりの大量に落ちているところがあると、ジャラジャラ。ピー。ジャラジャラ。ピー。
軽快に歩みを進めていると、女人結界門が現れた。ここまで柏木方面の道標を目安に歩いていたので、
そのままここでも柏木方面の道標を追って進むが、実はこれが道間違いだった。
しばらく行くと右側が徐々に切れ落ちた崖になり、岩場の先端に出てしまった。
左側に折り返すように柏木方面の道標がある。おかしい?地図からイメージしていたラインと違いすぎる。
GPSのスイッチを入れるが、なかなか現在位置がわからない。地図で行くと小屋から30〜40分で
分岐点になると予想していたが、もう45分くらい経っている。
どうやら先ほどの女人結界門が分岐点で、余りにも早く着き過ぎた為に通り過ぎてしまったようだ。
水平距離で700m位、高度は100m位下ってしまった。こんにゃろ〜と上り返し、、
山道の分岐点まで戻ると、しっかりとこれから向かう奥駆への道標があった。
ただ、最初の下り口の方角が地図で予想していたものと違うのも間違えた要因の一つだろう。
ロスタイムは40分くらいか。
昼も近くなってきたが、まだ国見岳の手前でいっこうにはかどらない。身体が疲れている。
前日はストックを一度も使わずに頑張り過ぎたようだ。
今日は歩き始めてすぐにダブルストックの出動だが、その分歩きが遅くなってしまうようだ。
軽く軽食を取り歩き始めるが、相変わらず身体が重い。
弥山までの所要時間が道標に3時間と出ていた。昭文社時間だと若干短い位。
しかし実際には3時間5分位かかってしまった。
行者還ノ小屋を越えて小さなピークの前で、山道が右側に切れ落ちた斜面に葛折に下っている。
方角も?な感じで、今朝一発道間違いをやっていることもあり、5分位前に通過した分岐の標識まで戻るが、
やはり間違いなさそう、GPSや地図だと尾根を忠実に越えていくが、実際は右側の斜面を下り
トラバース気味に回り込んで行くようだ。
この急斜面に行者還の水場があり、黒いホースからなみなみと出ています。
この水場は他が涸れてもそう簡単に涸れることは無いようです。ここでたらふくの水を飲み先へと。
この道中に土曜日ということもあり、今回初の登山者と出会う。60歳くらいの夫婦のよう。
どちらからと尋ねられたので、吉野からですと答えると、熊野まで?と聞き返された。
日数なども聞かれ、どうも奥駆をやることに地元ではそれなりの意味合いを持っているらしく、
テントで?重装備やもんな〜等といわれ、特にそれほど早くも無いが、今日で二日目で
小笹ノ小屋からと言うと、そりゃ早いと珍しがられた。
奥駆というと、だいたい6〜7日だそうだ。ただ天候や装備等の条件の違いでもかなり変わるだろう。
当然本物の修験者もいるだろうし。
私が事前に調べた中には、最短で2日。もうこれは完全なトレランで前鬼で一度山を下り、民宿に泊まり
翌日に又出発して、相当早いペースで明るいうちに熊野へ入っている。
ヤマレコにも熊野本宮まで3日というのがあった。私は4日を目指したが、今回は無理のようだ。
始から4日分の荷物にして、日がもう少し長かったら十分可能だと思うのだが、しかたない、、、
弥山への最後の登り。昭文社タイムで50分は効いた。相変わらず重い身体に葛折と階段の連続で
5分位不覚にも休んでしまい所要時間55分、、
弥山から降りてくる意外と登山者が多く、20人位はいただろうか。
山道を少しだけ離れた芝生のような草の生えた斜面に、一人で座っている若い女性という珍しい光景もあった。
やっとこさ着いた弥山の山小屋は営業しているらしく、発電機の音が低い音で鳴り響いているが人影を感じない。
「なんだ、ここは何にも売ってないんだ」などという声も聞こえる。
しかし、ここは大嶺山脈の中でも人気の場所なのだろう。土曜日なので多くの登山者が訪れている。
年齢もさまざま。
ベンチに座りカロリーメイトと をとった後そのまま横になり、うつらうつらとするが完全に寝込むことは無かった。
昭文社タイムだと楊子ノ小屋の手前の七面山方面と楊子ノ小屋方面の分岐まで所要3時間。
ということは今のもたもたしたペースだと下手をしたら暗い中で水場を探さなければいけなくなってしまう。
気合を入れて身体を起こし写真を数枚撮ってから八経ヶ岳方面へと二方へ分かれている山道を間違えないように
標識を確認しながら弥山を下りていく。以外に奥駆方面に向かう人は殆どいないようだ。
ペースをどんどん上げていく。基本下りで葛折の急斜面も有るがそれほど多くないので快調に進んで行く。
1時間50分位経った所で、軽く休みを取りつつGPSで現在位置を確認してみる。
さすがに3分の2以上は進んでいて欲しい。結構飛ばしたからこのペースが昭文社の一般ペースのはずがない。
と、ちょっとドキドキしながら現在位置を見ると、なんともう3時間かかると書かれていた分岐点にほとんど到着している。
弥山までの3時間はオーバーしている。この違いは何なんだ、、
後に気がついたのは、昼食時に取ったカロリーメイトと何といってもパワージェルだ。
前回の槍ヶ岳山行での激マズジェルは避けたかったので、別なものを2種類持参した。
粉末とジェルで、後々はっきりと自覚することになるが、このジェルが非常に効く。
身体が動くようになるのもそうだが、気持ちまでも少し高揚しているようで、明らかに通常の状態とは違う。
これはもう殆どドーピング?と言える位のものだった。
ただ、これは緩やかな下りや、又登りでのことで、急斜面の下りや、鎖場、又笹で足元が見えないような場所では
相変わらず、それなりの時間がかかった。
しかし大嶺奥駆の行の価値として、身体の鍛錬のみでなく精神も磨いていこうと思うと、むしろこれは
使わない方が良いのかもしれない。
修験者が行者にんにくを食べると、元気が出すぎて修行にならないと言うし。
身体が疲れて重くなり、思うように動かず苦痛が増したときに、少しでも無理をすると
とんでもなく辛くなる。しかし前へ進み、上へ登らなければならない。
この状況下で自ずといろいろな方法論を考え身体で試していくことになる。
まずはやはり呼吸法、その時の体調やペースにも大きく左右されるが、何よりも吐く方が大事なのは共通している。
身体に乳酸を溜めない為に、出来るだけ多くの二酸化炭素を吐けば、それだけ空いたスペースに酸素も入ってくる。
1,2,3,4とゆっくり数えて吐き5,6とゆっくり大きく吸う。このパターンが一番多かった。
急斜面の登りなど、身体をリラックスさせ、息を吐いているときに大きく登るほうが遥かに楽だった。
又身体が一杯一杯になってくると、歩いているときに色々な考えや雑念に囚われると、
バランスが崩れエネルギーを大きく失ってしまい、身体が悲鳴を上げてしまう。
とにかくリラックスし般若心経感を思い出したり、自分の力はほどほどで周りにある
木や植物、石や岩、河、空気そして山自体から力を借りて歩いているといった精神状態をつくると
苦痛感がやわらいでいき、身体が軽くなり、溜まった乳酸が抜けていくような気がする。
七面山方面と楊子ノ小屋方面の分岐点で暗くなるまでの時間に余裕が出来たので、
15分くらい休んでから2日目の宿となる楊子ノ小屋を目指した。
小屋は地図上で予想していた、平地の先にあるもう一つのピークを越えた先の、山道から左に少し下がった所にあった。
山道に小屋の標識が有るのですぐ解ったが、以前は標識が無く通り過ぎてしまうこともあったようだ。
確かにガスが濃くなると解らないかもしれない。
世界遺産に登録され、避難小屋も多くが新しく整備されたようで、まだ真新しく小振りだがきれいな小屋だ。
軽く声をかけ中へ入っていくと二階が有り、すでに先客が一人いるようで、登山靴が一組置いてある。
小屋の外でも50代後半くらいの男性が何か作業をしている。
挨拶を交わし、私はとりあえずザックを下ろし、まず水の確保に出かけることにする。
外の男性に水場の場所を伺うと、小屋の左側を裏から奥に向かって行くと、10m間隔で
赤いリボンが付けてあるので、一つ目の沢を越え下って行き、小屋から4分位の所に有ると
とても丁寧に教えてくれた。
大きな沢ではないが、水場としては十分で4リットルを1〜2分で入れることが出来た。
ただ乾季になるとこれでは確かに心許ない気がする。
小屋へ戻ると日は少しずつ落ち、薄暗くなっていく。窓から差し込む夕日も力を失ってしまった。
ヘッデンを点け食事の準備をしながら先程の男性に色々と話を伺う。
その方は大坂在住で、熊野古道はかなり以前から歩いているそうで、今はボランティアで道の整備を
休みの日に登ってきてしているそうだ。水場や道自体も当然かなり詳しく、
昭文社の地図も、かなりこの方の意見で修正が入っていると言っていた。
話によると、やはり台風前はこの10数年でも特に少ない降水量で、殆どの水場は涸れ、
この辺りで一番涸れにくい行者還の水場で4リットル汲むのに何十分もかかったそう。
ただ地層が変わり水場が変わってしまうことも有るので、油断はできないとのこと。
やはり奥駆の所要日数にも話は進み、私は一応早いそうで、この方も20年くらい前に
4日間で行ったことが有り、その時は毎日12時間歩いたと仰っていた。
この方の作るカレーの匂いに、とても食欲がそそられる。
ここは私も洋食だな、とアルファー米のトマトリゾットをコッフェルでコトコトと温める。
食事の準備をしながらも話は進んでいく。
やはりメインは水場で色々な場所にある水場の作り等を伺う。
上に水瓶やタンクになっている所が、最後まで残りやすいそうだ。
私は今回調子が良ければ小辺路を経て、高野山まで歩くつもりでいたが、
下調べの段階で奥駆の宿場、そして何より水場が気になり、
それに比べ小辺路は遥かに楽だと目にしていたので、殆ど何も具体的に調べていない。
また熊野本宮も街中なので、何とかなるだろう位にしか考えていなかったので、
今度はそのプレッシャーも徐々にかかってきていた。河原や公園でツェッルトは避けたい。
シュラフの中に入ってもプレッシャーは募るばかり。
今一緒に居るこの方は小辺路も中辺路も歩いているそうだし、明るくなってから聞くか。
それとも、もう小辺路は諦めるか。まだ今なら何とか4日で奥駆をこなすことが出来るのか。
頭の中は一杯一杯になり、安らかに寝ることができない。
このまま小辺路まで強行し歩いたとしても、160km以上歩いた充実感は得られるだろうけれど、
関節痛も出始めているし、身体は苦痛に耐えるだけで、せっかくの熊野古道も
何も考えることが出来なくなりそうだ。
それに何より熊野古道の後に寄りたいと考えていた高野山も、日数的にも通り過ぎるだけに
なってしまい、下手したら帰郷の予定に足が出てしまうかもしれない。
小辺路は諦めよう。高野山の宿坊に泊まり、そこから出発しておいしいとこどりでもいいや、、
と自分に結論を下し、「5日間で本宮まで行くことに決めたので、明日はゆっくり起きます」
と大阪からの男性に告げ、安らかに眠りについた。
翌朝は快適に目を覚まし、食事と出発準備を終え小屋の外へ出ると、
大峯の朝日は淡い紺色の雲をオレンジ色の入った赤く、やさしく強く、このうえなく美しい光で照らし、
私たちを大峯に迎え入れてくれているようだ。
小屋を出発すると、まず釈迦ヶ岳へ向かい快調に進んでいく。
さすがに夕べはよく寝ることが出来、今朝もゆっくりで6時を大分過ぎてから出発した。
初めは大阪からの男性と一緒に歩いていたが
「色の落ちた赤リボンを直しながらいくので、先に行って」と言われ、ここで別れを告げ
また一人旅が始まった。
釈迦ヶ岳へ近づいた所で、1匹の小鹿と出会った。
むこうが先に気づき、ガサっと音のほうを振り向くと、タッタッタッと10m位走りこちらを振り返って見ている。
又逃げようとするので、私は小声で「だいじょうぶ、何もしないから」と声をかけると、
なんとなく解ったのか、その場から動かなくなった。
声のトーンとかで、何となく襲われることは無いと感じとったのだろうか。
たまにキーン、キーンと鳴いている。
その場から離れ、しばらくして岩場を登っていると、また遠くから、こちらに向かって鳴いているような、
キーンという声が聞こえた。
釈迦ヶ岳の頂上まで来ると、すでに2人頂上に先着していた。頂上には高さ2mくらいの仏像がすっくりと立ち
先のほうを見つめ、青空の中に悠然と立っている。
その仏像を運び上げる段階では、幾つかに分かれた状態で、上にあげてから組み立てたそうだ。
先着の登山者の方に、釈迦ヶ岳へ来たと解りやすところで、仏像をバックに写真を撮ってもらう。
その方に「これから向かう尾根が、ここから見渡せるよ」と教えてもらったので望んで見ると、
なるほどそこには深い緑色に彩られ、細かく起伏しながら、恐竜の背中のような姿で、奥深く続いていく尾根が見渡せる。
これまで中々自分の歩いてきた道を、遠目に見渡すことがなかったので、ちょっと感慨深い。
ただ、まだまだ先は遠く、見える範囲はほんの少しだ。遠いような、近いような。
ただ私は基本的に、時間と地図上の距離で行動しているから、今ひとつぴんと来ない。
余りゆっくりもしていられないので、先へと出発することにして、葛折の斜面を下っていく。
前日から足首の辺りに少し痛みを感じ出している。昨日は左足の外側、くるぶしの上辺りで、
くつが当たって擦れているのかと思い、それなら大したことは無いだろうと、そのままほおっておいたら、
暫くして痛みを感じなくなっていた。
今日は右足の同じ箇所に、同じような焼けるような痛みを感じる。
基本的にほったらかしで、痛みが強くなってくると、少しかばいながら歩く。
足の角度などを少し変えたりしてみると、また痛みは落ち着いたりする。
この痛みを感じるのは、急な下りだけだ。しかし、昼が近づく頃になると、激しく痛み出してきた。
どうも皮膚が擦れるだけで、これほど強い痛みが出るはずは無いと思い、靴とソックスを脱いでみると、ちょうど痛みを感じている部分が、赤く腫れあがっていた。
これは靴に擦れている訳ではなく、くだりで足首が体重を支えているうちに、強くかかり続けた加重による炎症のようだ。
といってもテーピングかファイテンのクリームしか持っていないので、一応クリームを塗って、
すこしクールダウンしてから、ごまかしごまかし下りていった。
どうも足の角度を変えて、すこし内股気味に歩くと痛みが出にくいようだ。
本日は楊子ノ宿から平治ノ宿までの移動で、比較的短めだと思っていたが、昭文社タイムで9時間弱。
楊子ノ宿で御一緒した方も平治ノ宿まで、近くは無いと言っていた。
弱冠のプレッシャーを感じながら、すこしペースを上げていくと、2時過ぎ位に持経ノ宿に到着できた。
ちょっと余裕が出来たので、ここでゆっくりと休憩をとる事に。
この小屋の水場は、向かいを走っている林道を500m位下るらしい。
小屋の中には日付の入った置き水がタンクに入って置いてあが、夏にくみ上げたものらしく
汲み上げた方の名前も入っている。しかし、これはあくまでも緊急用だな。
平治ノ宿までは特に問題もなく3時10分過ぎ位に到着することができた。
吉野から楊子ノ宿までは小さいピークなど結構トラバースして山道が刻まれていたが、
楊子ノ宿を越えると、尾根上のピークを殆ど忠実に越えることになると、昨日の夜聞いていた。
当にその通りでアップダウンが激しくなって来た。
私の知人で、やはり以前に奥駆を歩いたとき、これでもかと言う位、下っては登り下っては登りが
続いたと言っていたが、どうやらその兆しが出てきたようだ。
扉を開けると今回の台風で吹き込んだらしい落ち葉が、入り口の当たりに沢山入り込んでいる。
相当風もあったのだろう。その時にこの小屋を利用していたということか。
軽く添えつけの箒ではいて中へ入っていく。この宿は修験者の泊まりも多いらしく、
小屋の中でにある囲炉裏で薪以外を燃やすと、匂いなどで修行の妨げになるから、
他のものを焼かないようにと書いた張り紙がある。
この小屋は、今回立ち寄った非難小屋の中で、唯一トイレが外に設置されていた。
雨水が外のドラム缶に流れ込むように作られてあり、溢れると樋をつたいトイレの下へ渡してある
樋を水が流れていく仕組みになっていて、雨が降っていない時は自分で汲んで流すようだ。
流す先は当然山の中へ消えている。天然バイオか。
長い修験の間で未だに成り立っているのなら、許容範囲はまだ越えていないと言う事か。
それにしても追々バイオトイレにでもした方が良いのは間違いないだろう。
私は数日とまりでも、ほとんどトイレ(大)に行くことは無く、今回もこの一度だけだ。
山行中に取るカロリーに比べ、消費しているだろうカロリーは遥かに大きいだろう。
今回も山行から帰り、体重を量ってみると、3kg近く落ちていた。
単純に考えて1日に500gづつ脂肪や筋肉が消えていることになるので、食べたものは
ほとんどエネルギーとして消えているのだろう。
一応携帯トイレも持参しているが、今回はこのトイレを利用させてもらおう。
水場は小屋の反対側の斜面を下っていくと5分位で沢が出てきた。
ここは両手を使えるようにしておいた方が良いと聞いていたので、ザックを背負っていったが
確かにそれが正解だった。沢の近くは急でザレ気味のところも有りだった。
小屋へ戻り食事を済ませ、暗くなった部屋をヘッデンで見回すと、熊に遭遇したときの
対処法の張り紙がしてある。私も一冊「クマは眠れない」米田 一彦 (著) を読んだが、
まあ大体同じようなことが書いてあった。
ここまで、それなりに大きなトラブルも無く来る事が出来たが、奥駆を最初に開いた行者や
修験道の開祖と言われる役小角(役行者)などは、道なき道を歩いているわけだが、
それを考えると、山一つ越えるのに丸1日かかりそうだ。同じ奥駆でも全くの別もん。
やはり、昔は生死をかけた行だったのだろう。
小屋の中はすでに真っ暗になり、ヘッデンの人工的な光が一ヶ所を浮かび上がらせている。
この小屋はガラス窓が多く、外からの隔たりが薄く感じる。当然ガラスの外は漆黒の闇だが、
何か観察されているような気がするのは気のせいだろうか。
3日目が終わろうとしている。とても3日目とは思えない長さを感じる。
かといって一歩一歩進んでいくのは変わりない。明日になればまた新しい一日が始まり、
明日中には念願の玉置神社まで到達することが出来るだろう。
平治ノ宿あたりの山道は、夜でもヘッデンではっきりと解る位しっかりとしている。
4日目は玉置神社を越え、行ける所まで行ってツェルトの予定でもあるので、
まだ薄暗い中からの出発することにした。といっても何だかんだ準備している間に5:30をまわってしまい、
ヘッデンがいるかいらないか位まで明るくなってからの出発になってしまった。
転法輪岳、倶利迦羅岳と越えていく。さすがに修験のメッカだけあり、山の名前も
仏教の匂いが色濃く反映されている。
行仙宿山小屋まで近づいたところで、話し声が聞こえてきた。
どうやら小屋の裏側へ出てきたようだ。ザックや荷物がいくつも置いてある。
普通の登山具だけでなく、修験がらみの荷物もあるようだ。
表へ廻ってみると、ちょうど出発前の記念写真を撮っているようだ。
ちょうど良い所に通りかかったとばかりに、シャッターを頼まれたので、記念の一コマに
私も参加させてもらうことに。
コーヒーでもと勧められるが、余り時間に余裕が無いので遠慮して先へと急ぐことに。
ここでも奥駆へと話がふれる。やはり奥駆は何かひめたるものがあるのか。
言葉のイントネーションからして、関西からの団体のようだ
それほど地図を熟読していたわけでは無かったので、地蔵ヶ岳まで来ると急に山が険しくなったので、
不意を衝かれたような気がした。
一気に高度を上げるというわけでは無いが、5m以上の高さのある、垂直に近い鎖場が幾つも出てきた。
しかしよく見るとホールドは有る。ストックをしまう程では無いと思い、片手に2本持って、
その状態で両手を使い上り下りしても何とかなる位な感じだ。
ただこんなやり方はお勧めしないが。
手前で50代半ば位の夫婦を抜いたが、女性の方はここを通るのだろうか。無理なのでは。
手前にトラバース道が有ったので、あちらに向かったのかもしれない。
それにしても、この場所も初期の修験者を想像すると、いかに過酷だったか想像するに頑なに無い。
この険しい山の中に水場の標示があったが。水場は未確認だが、こんな所にも有るんだとと言うような所だ。
地蔵岳を越えると、人工物の色合いが濃くなってくる。植林された杉も狭い中に密集し、皆細くやせている。
吉野からここまでの間、杉の巨木が長い間大峯の山の中で、日本の歴史を年輪に刻み込み、
生き生きと山の生命の中で育まれ続けているのを、何度も見ることが出来た。
初めて本物の杉を見たと思える新鮮な印象を持つことができ、今まで持っていた植林の乱立による
山の生態系を壊した木という、悪いイメージを払拭出来ていたのに、ここへきて又思い出してしまった。
しばらく行くと林業の作業員達が杉を切っているチェンソーの音が聞こえてきた。
眼窩に21世紀の森、森林植物公園が見える。ここはトイレと水があるからビバークできると、
一昨日御一緒した大阪からの方が言っていた。
ただ、まだ昼過ぎなので、自分には今回は通り過ぎるだけのようだ。
東側の眼下に車道が通っている。山の植生も今までとは大分様変わりしたようだ。
古道と新しいアスファルトの林道が交差をし始め、大きな石で出来た世界遺産の標示が現れた。
もうしばらく行くと、今度はついに玉置神社の駐車場が現れた。ここまで来る事が出来たわけだ。
さすがに感慨深いものがある。
玉置神社は水を分けて貰えると、予め調べていた。楊子ノ宿で一緒した方も、丁寧に神社の様子や
ビバークできそうな場所も教えてくれていた。
玉置神社は飛込みでは宿泊できないが、奥駆に限っては予め日程などを伝えておくと宿泊できるらしい。
駐車場は弱冠離れている。近づくにつれ、杉の巨木や神代杉が現れてきた。
聖地の杉たちは、乱獲を逃れた貴重な日本の歴史を知る、生き字引の一つだろう。
本殿を越えて右側奥にある社務所へと進んでいく。この神社は山の奥まった所にあるとはいえ、
やはり今は来るまで訪れることが出来る場所なので、普通の軽装の参拝者が何人も訪れていた。
何はともあれ水を目指し一直線に進んでいく。ただ一日に取る水分はいつも前日にちょうど良い量を
補給していたので、毎回到着直前に空になるか、弱冠余る位だった。
奥には神社の社務をしていると思われる男性と女性が2人見受けられた。
とりあえず軽い挨拶を交わす。お二方とも挨拶以外に言葉を交わすことは無かったが、何かちょっと重く感じた。
水は蛇口をひねるといくらでも出てくるが、途中に黒い水道管が山の中を這っていたので、
やはり山の水場から引いているのだろう。
「苔むした色の衣を着た僧侶、私の山の水を飲みなさい。
私は岩のようなもの。」
玉置神社の水で身体を目一杯満たしていく。ここは御神酒があり、自由に飲めると聞いていた。
先程、社務所を横切ったときに、軒下のそれらしきものがあったので戻ってみると、
やはりご自由にと書いたお神酒と白い杯が積み重ねてある。
一応賽銭箱にお賽銭を入れ、一杯いただくと、これがうまい。
最近ほとんどアルコールは飲まなくなったが、4日間の乾ききった身体に、
玉置神社の歴史とエネルギーが染み渡っていくようだ。このまま飲み続けたい、と一瞬思ってしまった。
準備を整え次はビバーク場所探しに向けての出発だ。
しばらく行くと楊子ノ宿で御一緒した方の言うとおり、林道が崩れて車が通れなくなっている所が有るから、
その辺りが良いと言っていたが、ちょうどその辺りで時間も5時前になり、
次の平らでビバークできそうな場所までは1時間以上かかるかもしれないので、
この場所でビバークすることにした。
山側の斜面から落ちた石が、ほとんど転がってきていない場所を探し、
今回初となるツェルト泊だ。
立ち木とストックを使い立てることはできたが、幕をきれいにピンと張ることができない。
ツェルトとはこういうものかと諦め中へ入ると、これが狭い。
座ると頭がつかえてしまうので、横になり肘を突いて身体を支えなければならない。
しかも幕の内側にすぐに水滴が着いてしまい、とても不快だ。
何も無いところにこれがあったら天国かも知れないが、テントに慣れた身体にこれは結構しんどい。
しかも床面が紐で数箇所縛っただけなので、雨が降るとよほどうまく立てないと浸水しそうだ。
風にもめちゃくちゃ弱そう。
窮屈な姿勢で食事を済ませると、気分転換に満天の星でも仰いでこようと、ツェルトから顔を出すと、
強烈な獣臭がする。ギョッとして鹿か何かの動物が近づいているのかと気配を探る。
大峯山脈は靴をテントの外に出しておくと、朝無くなっている事があると目にしていたので、
早くも来たかと、匂いのほうへ振り向くと、なんと先程脱いだ自分のサトートソックスの匂いだった。
ショックだ。そりゃあ4日も同じやつを履いていればそうかも知れないが、汗のにおいを通り越して
既に獣臭になっている。
替えは一足あり、今は寝るときに履き替えているが、最終的に熊野で温泉に入った後に履き替えたいし、、、
このまま諦めて獣モードで行くしかないのか。
大峯山脈の最後の夜をゆっくりとかみ締めながら、シュラフの中にもぐりこむ。
まだ暗いうちに目を覚まし時計の音で目を覚ます。
眠気が残りボーっとしているので、コーヒーでも飲もうかとストーブに火を点け、コッヘルで勢いよく湯を沸かす。
この数日は、紅茶のほうが恋しく思えたので、黒砂糖を入れて飲んでいたが、今日はコーヒーだ。
ただツェルトの中は相変わらず窮屈dで動きにくい。
コーヒーを飲みながら荷物を少しずつ片付けていく。
当然コーヒーをひっくり返さないように、細心の注意を払いながら、気お付けて、気お付けて、
とおっても気お付けて行動していたが、ひっくり返してしまった。しかも、まだ半分近く入っていたやつだ。
すぐにトイレットペーパーとタオルで中を拭く。結構広がってしまった。
思いっきりテンションが下がり、もともと食欲があまり無かった上に、早ければ熊野に昼前11時くらいに
入れると思っていたので、朝食を軽く済まし、ニンニクスープも作らなかった。が、しかしお陰でこの日一日
身体の動きが5日間の内で一番悪かった。
準備を整え大峯山脈最後の朝を出発する。杉林の中はっきりと解る山道を軽快に進んでいく。
基本は下りだが、やはり最後まで所々にある小さなピークの登りを越えていく。
五大尊岳、大黒天神岳と越えてくると、右側の眼下に中州が広がり、小さな集落が見えてきた。
ひょっとして熊野?と期待するがちょっと早すぎ。地図で確認すると本宮町大居という所らしい。
ただ本宮ももう目前。この一山を越えたら見えてくるはずだ。
最後のひとふんばりで吹越峠を越えると、中洲に大きな鳥居が見えてきた。
ついにここまで来た。中州に広がる平らな町が天国のように見える。
けれども時間の方は予想以上にかかっている。到着は昼位になりそうだ。
途中七越峰にある展望台などにもよりつつ、軽快に下っていく。
ガンガン下っていくとアスファルトで舗装された林道が現れた。左にまた山に入っていく山道もある。
山道へ入っていくと、すぐに二股に分かれている。
今まで分かれ道には必ず道標があったが、ここにはそれが無い。
地図を見て、方角的にあってそうな方へと進んでいくと、400〜500m進んだところで道が崩壊して
行き詰ってしまった。
今度は二股の逆へと進み、山を登っていく。確かに最後の支尾根は山の上を下りているので、
この山かとも思うが、どうも方角的におかいし。
また分岐点まで戻り、今度はGPSを見ながらアスファルトの林道を下りていく。
ただGPSを見ると地図上に有る橋の位置がどうもおかしい。トポが古いか何かなのだろうか。
もうそのまま小さな村に出たので、川に向かって歩いていると、民家の駐車場から60歳位の男性が
挨拶がてらに声をかけてきた。
これまでと同じように「吉野から奥駆できました」と言うと「あーまた間違えたな」とおっしゃる。
やはり他にちゃんとした奥駆道があるらしい。間違ったところまで車で連れて行ってあげるよと言われ
ご好意に甘えることにした。
一応一度は断り歩こうとしたが強く押し切られたので、これも旅の一ページになると思い乗せてもらうことにした。
てっきり先程の道を戻ると思っていたら、車は別の道をどんどん進んでいく。
こんなに遠くではなく、すぐそこで解らなくなったと説明しても、全然話がかみ合わない。
しかし今月に入って間違えて下りてきた登山者は4人目だそう。
よくよく地図を見ながら地名などを聞いてみると、実は七越峰で分岐があり、
それに気付かないで真反対の本宮町高山へ下ってしまったようだ。
この高山のみねそのさんは高山の語り部をされているそうで、この辺りのことで解らない事はないと仰っていた。
猿回しの猿も高山が元祖発祥の地だそうな。
「今日はどこから来た」と聞かれたので「玉置神社を越えた林道の辺りからです」と答えると
「そりゃあ、ちょっとだけはやいな」と言われた、、、
七越峰の駐車場に着くと「ありがとうございます。最後の最後で残念なことになるとこでした」と
お礼を伝え、今度こそ最後の歩みへと進めていく。
が、またしてもここでリングワンデルングしてしまい、疲れた身体に20分余分に山を登ってしまった。
さすがに同じ場所が出てきたときは大ショックだった。一応、方向感覚は強いほうと思います、、、
支尾根の先へ下りると、熊野川の河原が広がる。
是非この川を歩いて渡りたいと思っていたのだが、どうも水量が多くにごっている上に濁流に近い。
台風の影響がまだ残っているのだろうか。後に聞いたところだと、おそらくダムを放流しているのではとのことだ。
あきらめて少し遠回りの橋を渡り、本宮の街中へと入っていった。
本宮の街中へ入っていくと、予想していたよりもこじんまりとした町だ。人の往来もほとんど無く静まっている。
辺りをきょろきょろ見回りながら本宮の方へと歩いていくが、平日の午後2時だからかもしれないが、
観光客もほとんど見当たらない。穏やかな空気が町中を覆っているような印象を受ける。
本宮前の駐車場には観光バスが数台とまっている。
全盛期は蟻の熊野詣と云われる位賑わっていたそうだが、もうそれは過去のことのようだ。
とりあえず腹が減った。蕎麦屋が1件目に付くが食堂自体余りなさそう。
特に下調べもしていないので、無難に一番大きな蕎麦屋を目指していくと、本日休業中だった。
次に目についた蕎麦屋へ向かうが、だんだんと大きなザックを背負っていることが苦痛になってきたので、
コインロッカーにザックをバラして入れることにする。
気持ちがもう既に縦走終了モードなので、正直もうこの重いザックは見たくも無い状態、、、
宿泊も本宮の宿坊が素泊まり三千円で泊まれると聞いていたが、食事をしている間に遅くなり
泊まれなくなると最悪なので、本宮前の長い石段を登り左側に有る社務所で宿泊の手続きを済ませる。
若い神主さんが対応してくれたが、明るくはっきりした口調で好印象だ。
先程上った石段を下まで降りた右側に有る瑞鳳殿が宿坊で、若い神主さんに中を一通り案内してもらう。
昔ながらの日本家屋のつくりで、それなりの時間の経過を感じる汚れ具合だ。
ここにも比較的大きくきれいな風呂が有ったが、温泉ではないそうだ。そりゃそうだ。
部屋へ荷物を置いて、先程目星をつけていた蕎麦屋へ向かう。店へ到着すると暖簾が下げられ、
店内の電気も消えている。
「あれっ」と時計を見ると15:30。先ほどは確かに営業中だったはず。
こんなに早く店じまいするのか。少し焦って他の店を探すが、食事できる所自体少なく見当たらない。
まさかここまできてアルファー米は冗談よしお君、、とりあえずまともな物が食いたい。
急いで土産物屋へ駆け込み、めはり寿司を買う。これで最低アルファー米は避けることが出来た。
もう少し探すと、灯台下暗し。瑞鳳殿の隣の蕎麦屋がまだ営業中だった。
ここでとろろ蕎麦の大盛りをすすり、落ち着いたところで温泉へ向かうことにした。
近場では唯一の町の温泉らしい保養施設の「うらら館」へ向かう。
ここは営業時間が〜20:00と遅めだが、添え付けの石鹸などが無く300〜400m離れた
ホームセンターでお泊りセットを買い、この期に及んで街中を行ったり着たりと歩かされてしまう。
泉質は透明だが温泉感を十分に感じることが出来、獣臭にまみれた身体を現代人に戻すことが出来た。
疲れも取れて身体をリセットできたようだ。
あらかじめ熊野本宮の前にある”Cafe ほんぐう”へ電話で営業時間を確認していた。
日によってまちまちだが、以外と遅くまで営業しているそうなので訪れてみることにする。
明日の吉野までのバスの時間やバス停の場所を確認しておきたいのもある。
正面が全面ガラス張りでお店の中も見渡せる。ガラス扉を開け、お店の中へ入るとボサノバが聞こえてきた。
なかなかセンスよく一瞬、熊野にいることを忘れそう。店内はオシャレな造りでママさんのセンスが
色濃く出ているよう。BGMの落ち着いたボサノバを聞きながら、ちょっと20年前の吉祥寺にでも
いるような感覚をおぼえる。
この町の中では、ここだけかなり異質かもしれない。
カウンターの上に書かれているメニューは、何種類かのカレーやピザなどがあり、ハーブティーの種類も
豊富で本格的だ。
本日自分は朝食も軽く済ませ、昼は16:00にとろろ蕎麦の大盛りを食べ、めはり寿司を先程食べたが、
当然まだ食える。ここでスープカレーを頂いてもバチは当たらないだろうと、スープ、サラダ付で
とてもおいしく頂いた。
インターネットの接続環境もあり宿泊も出来るそうで、ここの売りはなんと言っても朝出発何時でもOKで
それに合わせて朝食を作ってくれるそうだ。
私はこちら方面の地名も疎いので、吉野方面へ向かうバスを探すのに手間取っていると、快く手伝ってくれ
すぐに見つけて確認することが出来た。
そうこうしていると地元の方が二人入ってきて、これから酒盛りのよう。ママさんが私のことに話をふれると
やはり話は奥駆けへと進んでいく。一人の方は一度奥駆けを行としてやったことがあり、雨に降られたそうだ。
ここで私は明日の朝も早く起きたいと思っていたので、おいとますることにした。
宿坊の部屋へ戻ると久しぶりの布団だ。長かった5日間だが終わってみるとやはり何か夢のようでもあり、
あっというまのようにも感じる。時間というものは正に相対的なもので、その密度は自らが作り上げているのを
強く実感することができる。
6日目の朝起きると、まず最初に熊野本宮へ訪れる。長い石造りの階段を登っていくと、まだ8時前だが
数人の参拝者が見受けられる。
神社にある境内の中を見て目に付くのは、やはり鏡だ。お寺に並んでいる数多くの仏具に比べると神社は
いつもながら寂しいくらいにシンプルに見えるが、どこへ行っても鏡は必ず有る。
ただ鏡と言っても現代のものとは違い、はっきりとは映し出しそうも無いが。
今回熊野本宮へ来てこの鏡を見たとき直感的に感じたのは、鏡を前にした時そこに映し出されるのは
自分の姿だということだ。
これは当たり前のことだが、何か未知のものを求めるのではなく、求めるものは実は自分の中にあり、
その光が強く輝きだすのか、煙の中に覆われてかすんでしまい、ほとんど見ることができなくなっているかは
日々の自らの結果で、そのことに気付くチャンスでもあるのかもしれない。
奥駆けを終えて、熊野本宮の前に立つ自分は、すこしは輝きが増したのだろうか。
最近完成したという熊野の資料館をすこしのぞいてから、八木行きのバスへと乗り込んだ。
運転手さんはもう60才を越え、来年はもう定年だそう。
わたしの大きなザックを見て、やはりまた奥駆けへと話が弾んでいく。
「奥駆けをやるくらいやから、少々のことじゃ動じんのやろうな〜」
と、やはりそれなりの価値を持って迎えられたようだ。
吉野の駐車場へとめた車へ久しぶりにもどると、車のほうも無事に何事も無く私を迎えてくれた。
ザックを後ろの座席へ放り込むと、当初から予定していた高野山「蓮華上院」の宿坊へと向かうことにした。
ここまで長々とお付合いして頂いた方有難うございます。
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