新穂高温泉から槍ヶ岳・大キレット・穂高岳 -健脚コンビでリベンジ-
- GPS
- 18:14
- 距離
- 34.3km
- 登り
- 3,969m
- 下り
- 3,975m
コースタイム
- 山行
- 7:24
- 休憩
- 1:24
- 合計
- 8:48
- 山行
- 7:53
- 休憩
- 1:21
- 合計
- 9:14
天候 | 30日: 曇り稜線は霧,夕方から夜は雨 4日: 曇り時々霧,ごく一時雨 |
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過去天気図(気象庁) | 2014年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス 自家用車
Uさんは東京から毎日アルペン号新穂高行朝5:30ロープウェイ前着 |
コース状況/ 危険箇所等 |
全般に整備は良好だが、白出沢の上部の岩ゴロ地帯はマーキング消失、岩の移動などで完全なルート上歩行が難しい。白出沢の雪渓は縮小し、アイゼン・ピッケルは不要となった。 |
予約できる山小屋 |
槍平小屋
|
写真
感想
8月3日に槍を経由して南岳まで行ったものの、4日の荒天でキレットを渡れなかった。そのリベンジ計画にUさんが乗って来て同行することになった。この8月は4日の時とお盆にも天気には裏切られて来たのでそれだけが気がかり、今回の予報(上高地)も直前になって2日とも雨マークが入り「またかよ?!」と怒りに近い心配気分でやって来たが、今回だけは予報よりはましな実際の天気のおかげで見事リベンジを果たすことが出来た。
Nishidenは金曜夜9時半頃に新穂高登山者無料駐車場に到着し車中泊、土曜朝に登山センターに上がってUさんの毎日アルペン号のバスを待った。バスは登山センター前に停まるのかと思ったら、それより上のロープウェイ乗場に行ってしまって、携帯でUさんに呼ばれてやっと合流した。
先ずは槍を目指して右俣林道を歩き、穂高方面分岐になる白出小屋後を過ぎて山道に入り、滝谷避難小屋を過ぎて槍平小屋へ。ここで初めて休憩、Uさんとだとこんなペースでたっぷり歩ける。途中「最後の水場」で水汲み停止はあるが、まともな休憩は次は千丈乗越分岐で、その次は荷物をデポする飛騨乗越だ。標高差約2000mが3ピッチ、4時間半だった。槍平の前後では日が射し、笠ヶ岳方面が綺麗だったがその後曇りとなり、槍の稜線はガスの中となり前回とよく似た状況になった。
槍ヶ岳山荘の庭からは、一瞬槍本峰の姿がおぼろげながら見えてまた霧に隠れた。槍に登りながらその姿を全く見ることが出来なかった前回よりは良いと、勇んで槍の穂先へ。渋滞もなく着いた山頂は、僕らも含めて常に4,5人程度の低密度。これも短時間だったが、ガスの合間に真下の山荘からこれから行く大喰岳、中岳方面を眺めることが出来た。
穂先から山荘前に下りて丁度正午、時間には余裕があるが雨が降り出さない内に先に行こう。飛騨乗越に戻って荷物を回収し、霧の中南岳を目指す。大喰岳までは高々標高差100mの登りだが、これが案外堪えた。まだまだ元気なつもりだったが、今日はこれまで標高差2100mを登って来た。一旦空身で行動してあらためて荷を背負って得た感覚だった。中岳、南岳と少しずつ登って一日の累積では約2400m登るのだ。遂に中岳の登りでNishidenは左足の腿が攣った。中岳で一休みして攣りを治め、後は急がず南岳へ、そして南岳の小屋へ到着、9時間の行動を終えた。
Nishidenは前回テント泊だったが今回は小屋泊まり、しかし白出沢の下りに備えてピッケル・アイゼンがあり、さらに今回増水時の用心にと30mの補助ロープを持って来た。素泊まりにしたので食料も割と多く、水なしでの荷物は12kgあって単独テント1泊の時とあまり変わらなかった。現在僕の最強のパートナーであるUさんと一緒に歩くと、喋りながらで気が紛れて楽な気がする。自分では単独の時と同じペースのつもりだったが、知らず知らずのうちに少しだけ余計に頑張り、それが攣る遠因にはなったかも知れない。
夕食の作業、他の登山者と歓談などしながら気がかりは明日の天気。小屋で流れる情報は松本市の予報で、今夜一時雨だが明日の午前中には晴れ間もあり、午後は雨もあり得るというものだった。さてここ山の上ではどうなるか、日暮れ後には遂に雨が降り出し、割とまともな降り方だ。なるべく今の予報通りに、せめて明日朝のうちだけでも雨でないようにと祈りながら床に就いた。
さて日曜日の午前3時、外を見ると霧であると共に雨が降っている。ザァザァではないがサラサラ程度か。風もあって小屋の風車が勢いよく回っている。前回の二の舞でまた南岳新道の下山か、とこの時は思った。午前4時、幾分弱まったようだがまだ降っている。朝食を済ませ、荷造りして5時前、相変わらずガスっているが雨は概ね止んだ。霧で濡れる程度でキレット越せるだろうと予定通りの行動を決意、明るくなったら出発しようと少し待って、5時15分に小屋を出た。
小屋から緩い坂をわずか登って獅子ヶ鼻の突端、そこからいよいよキレットへと「落ちて行く」。マークを頼りにルートを辿り、次第に鎖場、はしごが現れる。足下は断崖の筈だが霧で見えないので却って怖くない。岩が濡れているのでスリップしないように、手掛かりも確実に掴むように気をつける。不意に足下の霧が飛び、昨日登って来た蒲田川の谷が見えた。その後にはこれから進む先のいくつかのピークが見える時間があり、北穂まで見渡せる瞬間もあった。
坦々と岩場をこなし、さて今どこまで来たんだろう、長谷川ピークってこれからかな、と小ピークの上で地図を広げ、GPSも交えて調べると、何だ今越えて来たのが長谷川ピークだ、確かに足場ががっちりと作ってあったね、という具合に二人とも大した怖さを感じずに進んで来たのだった。小ピークを下りるとA沢のコルと表示してあり、これから飛騨泣きの登り、確かにここが一番骨があった。北穂から下りて来た人たちとすれ違うこと数回、時々ちらっと北穂の小屋が見えるようになり、やや難度の減少した岩場をガバガバ登り、北穂高小屋のテラスに飛び出した。これで最大難所はクリア、一服している間に南岳小屋で一緒だった人たちも順次到着した。
小屋から一息の登りで北穂高北峰、今朝居た南岳が見えて記念写真、槍が見えないのがやや残念。先を進んで南峰、最低コルと過ぎて涸沢岳へ、ハシゴ、鎖が随所にあるが、キレットと比べれば普通に歩ける割合が圧倒的に多い。涸沢岳に着けば荷を背負っての登りは終了、展望がないのでさっさと穂高山荘のある白出のコルへと下る。Nishidenには2011年に西穂へと縦走して依頼の懐かしい所だ。
穂高岳山荘のテラスも、その目の前の奥穂への登り道も多くの人で賑っている。一息ついたら荷物はデポし、水のボトルと少しの行動食をジャケットのポケットに押し込み、奥穂高の山頂を目指す。団体さんには追いつく度に抜かさせてもらい、20分と少しで奥穂高の山頂に到着。ここも霧で展望は利かない。ここも賑やかで、一人か二人しか取り付けない山頂の祠は記念写真の順番待ち。意外なことにUさんは奥穂高岳に初登頂、日本アルプスにある日本百名山の最後の一座だそうだ。百名山全体では96番目だそうで、祝福の握手となった。
穂高岳山荘に戻って一休み、後は新穂高へと下るのみ、標高差は約2000mだが。白出沢の最上部はガラガラの岩伝いの道、マークを辿って行くが時々ルートを外して不安定な岩伝いをしながらマークを見つけてルートに戻る。Nishidenはここの通過4回目くらいだが、何回来ても必ずどこかではルートを外しそうだ。マークの密度の少なさもあるが、毎シーズンあちこちで岩が動いたり崩れたりして不明瞭な所が出来るのだ。
白出沢最上部の傾斜が少しずつ緩み、また少し急になった所に遅くまで雪渓が残る。以前は9月初めでも短距離だがアイゼンで雪上歩きをした。今回は雪渓は縮小して沢の幅全体には渡っておらず、右岸よりで無雪ルートを辿ることが出来た。雪が融けて直ぐのルートは崩れやすいし雪上があった方が楽だし楽しいとNishidenは思っているのだが。
標高2300m以下に下りて来ると岩の間に草が生える地帯となり、右手に荷継沢が見えてルートもそちらに導かれ、樹林帯に突入する。樹林帯もかなりの割合で急傾斜でハシゴを伝うなどして下りて行き、傾斜は凄くはないが滑り易いので鎖のかかった岩場を下りて鉱石沢の水場に着く。水を補給して沢を渡るとその右岸を進む急傾斜の道、左から一旦離れた白出沢と出合い、次第に高巻きの道となる。随所に鎖がかかり、スリップが怖い緊張感の要る場所だ。高山地帯は花の時期を過ぎていたので、この辺りが今回一番花が多く、トリカブト、ツリガネニンジン、オトギリソウ、ホタルブクロ等、Uさんと花の名前を言い合いながら進む。最後に長いハシゴを下りて川床に達すると重太郎橋。大雨では通過不能となる要注意箇所だが今回は全く問題なし。これで難所と言える箇所は全て終了、白出沢に沿った道は次第に緩くなり、広葉樹林から針葉樹林に変わるとほどなく白出小屋(跡)で右俣林道に出る。すたすた歩いて1時間と少しで新穂高の登山センターに到着。今日も約9時間で、2日間合計でコースタイム25時間のルートをこなし、良く歩いたねと満足した二人だった。
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