西穂高岳 西尾根
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- GPS
- 16:15
- 距離
- 12.7km
- 登り
- 1,848m
- 下り
- 920m
コースタイム
- 山行
- 7:44
- 休憩
- 0:29
- 合計
- 8:13
天候 | 曇りがちから、晴れたり曇ったり、雪が降ったり。でも、テント場に着いてから山頂アタックを含めて上々の天気 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年01月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
ケーブルカー(ロープウェイ/リフト)
|
コース状況/ 危険箇所等 |
基本的にトレースはバッチリも、各核心ではあまりトレースは役に立たない |
その他周辺情報 | 平湯の森 |
写真
感想
1.クォークを使う時が来た
クォークめちゃくちゃいいですよ!
日光白根山東稜で出会ったクライマーのお兄さんにそう言われ、すぐにググり始めた。できるだけ安く買おうとした結果、またオランダからの輸入(trekkin)になってしまう。3週間ほどかかり、日本の配達代理店の郵便局の配達員が自宅にクォークを持ってやって来た。しかし、何故かさらに3700円を支払えという。配達員は全く訳が分かっていなかったが、正にYES or NOで今クォークをとるかどうかを迫ってくる。不服申立をするのも面倒だったので、おとなしく3700円を支払った。後でパッケージを見ると、関税3500円、通関料200円とあり、これくらいの価格帯の物品には関税が課せられるようだ。以前に同じくSnowINNでGrivelの Air Tech New Matic EVO CEを買った時は関税はかからなかったので、関税免除になる上限は2万円位なのかもしれない。
クライマーのお兄さんには、「クォーク買ったらアイスやらないともったいない」と言われていたが、アイスはソロだとますます敷居が高い。やはり最初は軽め(ロープがいらない程度)のバリエーションかなと思っていた。そういう中、以前にブックマークしていたほしちゃんさんの谷川岳の東尾根のレコを見返した。最初ブックマークした時より、幾分自分事としてそのレコを見ると恐怖度が全く違っていた。あまりの急登、ナイフリッジの切れ味に足元がスースーする。写真でこれだけの恐怖感なのだから、実際にそれを目の当たりにすると立っていられないかもしれない。しかし、一方で正にこういうルートのためにクォークを買ったとも言える。
そんな中、かなり印象的な山行を続けるひできちさんから、一緒に東尾根に行ってくれるというオファーをいただいた。それからも東尾根の山行記録を見ていると、やはりハーネス着用、ロープワークは必須のように見える。自分もMOCのロープワーク講習を2回受け、ハーネス等一応の装備は揃っているが、肝心のロープを持っていない。モンベルで8ミリのアクセサリーコードを5メートル購入し、ハーネスにダブルエイトフィギュアノットでロープを結ぶ練習などはしていたが、実際にダイナミックハーフロープを60メートル買うのは、いつ使うのかも分からない現状では踏ん切りがつかなかった。
しかも調べて知ったのだが、群馬県谷川岳遭難防止条例により、東尾根は危険地区に分類され「冬山の期間」(12月1日〜2月末までの間)は登山禁止のようだ。3月以降も、条例第八条により「危険地区に登山する方は、登山届を2通作成し、登山しようとする日の10日前までに、谷川岳登山指導センターへ提出してください」とある。そして、登山届出済の印を押した一通が送り返され、それを山行中に携行しなければいけないという。「天気悪かったらどうすんねん?」
ロープ等についてひできちさんに長文の質問をしていると、「東尾根今年登りますか?私は来年でもいいですよ」と今年に入ったばかりなのに言われてしまう。やはりびびりまくっているのを感じ取られてしまったのか。確かに今年にチャレンジするなら、一度もっとライトなバリエーションルートに一緒に行って、僕の登りをひできちさんに見てもらおう。そんな時に僕の頭に浮かんだのが「西穂高岳西尾根」だった。2021年の4月にロープウェイを使って西穂高岳にチャレンジする時、色んなレコを調べているなかで知ったルートだ。それ以降も、時折みんなの話題に上り、西尾根の存在は僕の中でくすぶり続けていた。ひできちさんに、「東尾根の前にもっと簡単な所に2人でロープ担いで行きませんか?例えば西穂高岳西尾根とか?」と提案してみた。「いいですねー!西尾根行ってみたいです」と返事をいただき、「では天気を見ながら、ギリギリにお互いに声をかけるということで!」と約束した。
週も半ばを過ぎ「今週末はどこに行くかな?」といつもの物色が始まっていた。先週末はどこもかしこも冴えない天気で家でペーパーワークだったので、今週はガッツリとした山行がしたい。しかし、Windyを見ると先週よりは少しましだが、またどこの山域も冴えない。しかし、木曜日の午後に発表された山の天気予報の「今週末のおすすめ山域」は意外に楽観的だった。「穂高岳」(ヤマテンでは西穂高岳のポイントはない)も晴れるという予報で、風もWindyよりも弱い表示になっている。
むむ、西尾根チャンスありちゃうか?
金曜日まで待ち、Windyの予報のアップデートを確認したが、特に悪化はしていない。「ヤマテン予報にかけるかな...」。そして朝の9時前、正にギリギリにひできちさんに思い切って声をかけた。「今日お誘いして、明日明後日テン泊みたいな急な場合でも大丈夫だったりしますか?」。さすがにむちゃな誘いやなと思っていた。頭の中には西尾根しかなかったが、後から自分の誘いの文章を見返すと、場所すら限定していない。すると、「今日から休みなので準備します」との嬉しい返事をいただいた。「おー!このフットワークの良さサイコーやな🎵」。こうして急転直下で、西穂高岳西尾根チャレンジが遂に実現することになった。
2.いきなりのトラブル続き
登山開始にこぎつけるのが大変だった。こんなにトラブルになったのは初めてだった。いつも最寄りの高速インター近くのガソリンスタンドに寄ってジムニーを満タンにする。EneKeyの登録してから初めての給油だった。いつも真夜中に給油するので、EneKeyの登録がなかなかできず悔しい思いをしていた。最近どこのガソリンスタンドもこういう方法で顧客の囲い込みをしている。
楽チンかつリッター当たり2円安く給油をし、エンジンをかけた。いつもこのタイミングでETCカードを車載器に挿入する。安定のマイカーとジムニーで一枚のETCカードを共有しているからだ。ETCカードを財布から取り出し、車載器の差し込み口に押し込んだ。「スカッ」。ん??。なんかおかしいな。全く手応えがない。下を覗きこむと、差し込み口ではなく車載器の上の隙間にカードを入れてしまっていた。しかも、全部入ってしまって取れなくなっていた。「これアカンやつや...」。一旦車から降り、針金でほじくってみたが、さらに奥に突っ込んでしまった。「マジか...」。どうする?もう現金で行くしかないな、ちょっと時間も押してるし。新穂高登山指導センター前の駐車場に6時前に集合だった。時刻は午前2時半で、夏並みにぶっ飛ばして3時間ちょっとという見立てだった。「まあ(高速代)3割引使えないけど、もう現金で行こう」と車をスタートさせた。すると、ガソリンスタンドの出口の手前辺りで、慣性の法則かカードがひょこっと隙間から出てきた!慌てて車を止めると、また隙間の奥に戻ってしまった。「なぬっ??」。これ、ここバックしたらまた出てくるかもと、今走った所をバックし始めた。すると、カードがひょこひょこ出てくるではないか!それを見ながら「もう少しもう少し」とそこばかり見ていると、「ガツン??」。やってもうた...。Jimnyが何かにぶつかった。急いで車を降りJimnyのバックドア辺りを確認したが、なぜかどこにも傷がついていなかった。後から明るい中で見ると、バックドアに付けたスペアタイヤがぶつかったようだった。「まあ、Jimnyが無傷なんだから、ちょっとしたブロックにでもぶつかったんかな」と、この時点では事故を起こした意識はなかった。気を取り直して出発しようとすると、店舗から従業員が走り出してきた。「今、ものすごい音しましたよね??」「いや、でも車には傷ないんですよね」。まだ頭が回っていない。まだ事故を起こしたという意識がない僕は、「ちょっとものすごい急いでいるので、連絡先教えるので後で連絡いただげますか?」と先を急ぐことしか考えていなかった。すると、「免許証コピーさせてください」と言われ、免許証を手渡した。彼は事務所に入って行き、やたらの長い時間を僕を待たせた後、事務所から出てきて免許証を返してくれた。(登山を終え、翌日に警察に連絡をした。すぐに警察に連絡しなかったことを怒られながら、ガソリンスタンドの店長立ち会いのもと、現場検証をしてもらった)
いきなりのっけから躓いてしまった。かなり精神的なダメージを負ったが、気を取り直し運転する。松本インターに着いた頃には午前5時前になっていた。「少し遅れます」とひできちさんに連絡した。すると、「道中アイスバーンがあるので、ゆっくりで大丈夫ですよ」とやさしい返信をいただくも、「アイスバーン??」と驚く。この時点は完全にこの時期の北アルプスをなめきっていた。新穂高温泉までぶっ飛ばすつもりでいたからだ。
アイスバーンと言われたからか、松本インターを降りてすぐに路面の状態が嫌らしく感じる。黒光りしてピカピカに見えた。「こりゃスピード出せんな...」。山道に入ってから用を足したくて、車を路肩に止めて外に出た。満天の星空なのはよかったが、やはり道路はつるっつるだった。「よくこの道路で車は滑らずに走れるもんやな...」
かなり速度を押さえ目に走っていた。すると、道路にいきなり警察官が立っていて車を一台ずつ止めている。僕の番に来て窓を開けると、「この先、スリップ事故が発生していて、何とか一台はレッカー移動したんですが、まだもう一台が道路を塞いでいます」という。「皆さんには、そちらに入って待機してもらっています」と、左手の道の駅「風穴の里」を指し示す。確かにトラックを含め、車が何台も止まっていた。「やっぱり滑るか...」。仕方なく僕も駐車場に入り、空きスペースにJimnyを止めた。ひできちさんに事故で足止めを食らっている旨を連絡する。警察官に近寄り、道路解除の見通しを聞いたが、「ちょっとまだ分かりません。手前の事故現場の上でも、もう1ヶ所事故が起きています」という。「厳冬期北アルプス恐るべしやな...」と入山前から厳しさを思い知らされる。
駐車場でトラックの運転手の方とお話しすると、彼も雪でトラックが滑り始めて1時頃からこの駐車場で仮眠していたという。そのサイズのトラックになると普通のスタッドレスでは歯が立たない位の道路状況らしい。ますます恐怖感が増し、「これ、この後道路走れるようになりますかね?」と聞くと、「車は?」と聞かれたので、「Jimnyです」というと、「Jimnyならゆっくり行けば大丈夫じゃない?」と安定の受け答えをいただく。問題は僕自身がこういう道の運転経験があまりないことだった。
外にいる間に、レッカー車が一台、警察官の所を越えて上に上がっていった。車に戻り時間を潰していると、思ったより早く入口付近の車が動き始めた。さっきの警察官がみんなを誘導する。窓を開けると、「ゆっくり、ゆっくりでお願いします!」とみんなを送り出していた。僕もびびりながら付いていき、再出発した。その後も、僕はかなり不安だったので30キロくらいに押さえて走っていたが、みんなはあっという間にスピードを上げ、みんな見えなくなってしまった。「えらいみんな慣れとるな...」
3.新穂高温泉から幕営適地
何とか無事に新穂高登山指導センター前の駐車場に着いた時には午前7時になっていた。この時期はこの駐車場が開放されているのがありがたい。やっとひできちさんに合流し、大遅刻を謝った。彼は4時半頃に到着していたそうだ。かなり時間にきっちりした方で、翌朝のテン場からのスタート時も、また僕がもたもたして待たせてしまうことになる。
何とかトラブルをかいくぐり、7時半前に駐車場をスタートした。穂高平避難小屋まではトレースもがっちりあり、お互いについて質問し合いながら気楽に登っていく。ショートカット道は通らずに道路をくにゅっと曲がり、1時間半ほどで避難小屋に到着した。避難小屋は思ったよりも清潔で広々していて、離れにあるトイレも使用可能だった。しかも、ここからは南岳、蒲田富士、そしてその奥の涸沢岳が雄大に見える。避難小屋の中を見たりしながら小休止した後、行動を再開した。ひできちさんが少し違和感を示すも、僕が道を間違え槍ヶ岳に向かうトレースを進んでしまう。すぐにヤマレコに怒られて、避難小屋まで戻ると男性2人のパーティーがザックを下ろして休憩していた。「どちらに行かれるですか?」と声をかけると「涸沢岳西尾根です」。「どちらですか?」と質問されたので、「僕らは西穂高岳西尾根です」と言うと、「あー、そっちなら男女のパーティーが先に行ってますよ」と教えてくれた。
僕が間違ったトレースと反対側(トイレの左手)に、それとおぼしきトレースがあった。「やっぱりこれですね」とひできちさんに従い進むと、ちゃんと「西穂西尾根」の道標が出ていた。レコ調べをした時にはもっと避難小屋の南の方にあった道標だと思ったが、トイレからすぐの場所にその道標はあった。道標は、黄色に塗られた木の板に書かれた味のある手書きだった。これ以降も、この字体の道標が要所で出てくる。この道標に従い、牧場への柵を跨いでトレースを追いかける。途中薮が邪魔な場所を一部通ったが、基本は気持ちのいい雪原歩きだった。あまり潜りこんだわけではないが、ここでスノーシューを装着した。ザックに付けているより履いた方が幾分楽になるかなと思ったが、逆に体力を無駄に消費してしまった。
トレースはその後左に回り込み、ピンクテープのある西尾根取付きに繋がった。ここからバリエーションとは言うものの、適宜ピンクテープが出てくる。トレースもしっかりあり、ルーファイの必要は全くなかった。しかし、のっけからか1946まではずっと急登が続く。あまりの急登で危険なので、途中でスノーシューを脱いでまたザックのサイドベルトにくくりつけた。結果論だが、今回はスノーシューは整地の時に活躍した以外は、単に荷物になっただけだった。
ひできちさんには「2378の小ピークの先の幕営適地まで坪足」との見立てを伝えていたが、急登の上に雪質も少し嫌らしい感じの固さに変わってきた。「少し平らな所が出てきたらアイゼン付けますか?」と声をかけた。彼は「そうですね」と応じてくれる。彼は、見た目のワイルドさとは違って、終始丁寧な言葉遣いと物腰だった。僕らがアイゼンを付けたタイミングは絶妙で、それ以降はかなり滑りやすい危険な登りに変わっていった。テン場までスノーシューで行ったというレコを見たが、かなりふかふか新雪でない限り、比較的早期にアイゼンを付けた方がいいように感じた。
かなりへばりながら1946に到達した。また味のある手書きの道標が出ていた。次は有名な2030ゴロゴロ岩のようだ。すぐにゴロゴロ岩にやってきた。やはりこの辺りはデカイ岩に雪がかかっている感じだった。なので岩と岩の間を踏み抜かないように慎重に足場を選んでいく。しんしんとしっかり雪が降り始めていた。空も雲だらけの灰色一色に、「明日、この天気だったら山頂行きます?」とひできちさんに質問され答えに窮する。「やっぱり、景色の見えない山頂は悲しいですよね」とお互いに晴れを願う気持ちは一緒だった。「やっぱりもっと最高の天気の日を見定めるべきだったか...」
しかし、それから30分程で空が急に明るくなってきた。2人のテンションが一気に上がる。2378のピークが近づいて来た頃、木々の合間から雲海に浮かぶ笠ヶ岳が姿を見せた。空はしっかりとした青空に変わっていて、笠ヶ岳の白さが映える。少し前からかなりへばっていたが、一気に元気をもらう。もうゴールはすぐそこだった。2378の小ピークの味のある道標に到着し、にゃーおさんに教えてもらったように左に落ち込むように下を見ると、遂に幕営適地のコルが見えた。しかし、少し心配していたが、やはり先客がいた。若い男女のペアで、正にテントを張り終わった所だった。「まだ、2人分テント張るスペースありますか?」と少し大きめの声で声をかけた。女性の方が「あっち側の斜面を整地すればいけると思いますよ」と答えてくれた。そのコルは、本当の最低部が狭い平らな床になっていて、その両脇に斜面がある。その手前側をその男女が整地し2人用のテントを張っていた。「ここまでのトレースはお2人が付けたんですか?」と彼らに聞くと、「いや、朝イチソロの人が行っていたようで、僕らもトレースありました」という。「ここまで、トレースなかったらかなりキツイですよね😅」というと、その若者も「ええ」と応じた。
かなり疲れ切り、途中から僕が全くスピードが出なかったせいで、コルにテントを下ろした時には午後3時半頃になっていた。初日はかなり余裕があるプランと思っていたのに、とんでもない間違いだった。ある意味体力的な核心は初日だった。もしラッセルだったら日没に間に合わなかったかもしれない。それでも天気が回復し、気分的には余裕があった。「この整地は大変そうですね」とひできちさんに言われ、「まあ、2時間も使えば終わりますよ😃」と能天気に答えた。しかし、すぐに時間が予想外にタイトなことに気が付く。「あれ?そうすると、今3時半だから5時半か...。日没迫っとるやん😓」「そう!」と、ひできちさんは冷静に判断されていた。
ここから2人で整地を開始する。最初は2人で横に張れるように広いスペースを作ろうとしたが、なかなか大変だった。なので、ひできちさんは斜面を削って平らなスペースを作り、僕はもともと平らな最低部分を拡張していった。しかし、ここは掘ると比較的すぐにハイマツが出てきて、あまり広いスペースは作れなかった。それでも何とかお互いにギリギリ張り綱を張れる位のスペースを整地し終わり、テントを張っていった。全て落ち着いた時にはもうアーベンチックな静かな空になっていた。このコルからは西側に笠ヶ岳がバッチリ見える。スノーブロックを高く積んでいて、テントに入ってしまうと見えないので、しばしテントの外から笠ヶ岳を見つめる。ピンクがかった空を背景に雲海に浮かぶその姿は、なんとも言えず美しかった。これがあるから、大変な苦労だと分かっていてもまたテントを張りたくなるんだろう。
4. クォークアタック、西穂高岳
本当はひできちさんとゆっくり夕食を食べたかったが、テントが離れてしまったので、翌朝6時半スタートと決め、すぐにお互いのテントに入った。本当はモルゲンを楽しみたいところだが、やはり西尾根は危険なので、日の出が迫り明るくなってからのスタートが得策と判断した。ただ一方で、ルートが自分の能力対比どれだけ厳しいか分からない。ロープウェイの最終に間に合わないリスクも考え、6時半スタートとなった。山頂までテン場から標高差400メートル余りだが、山頂まで6時間かかる想定をしていた。
明日のために、結構頑張って夕食を多めに食べた。また、担ぎ上げた350mlのビール3缶を全部飲み干して荷物の重量をできるだけ減らしたかったが、テント場に着く時間が遅く、2缶飲むのがやっとだった。やはり、本来ならテント場に昼過ぎには着いていたいところだった。
テン場までの行程が思ったより大変だったので疲れがひどく、8時半頃にはシュラフに潜りこんだ。しかし、あまりの寒さに目が覚めた。時計を見ると11時半頃だった。「たった3時間しか寝れてないやん…」。2000mを超えた辺りから急速にへばってしまったのは、恐らく寝不足のせいだった。山行前の睡眠時間が4時間を切るといつもどっと後半疲れが出てしまう。いつの日か、前入りしてたっぷり睡眠をとった状態で山に登ってみたいものだ。風がほとんどなかったのは有り難かったが、その後も寒さに苦しみながら、寝たり起きたりの繰り返しだった。そして、スタートの3時間前の3時半に掛けた目覚ましで目を覚ました。星を見ようと、レインフライの入り口のファスナーを上から引くと、ぱさっと雪がテント内に入って来た。一瞬、「昨日の夜雪降ったんかな」と不安になったが、恐らくレインフライに付いた結露が氷化しただけのようだ。空は満天の星空ではなく、ぽつぽつと星が見えている程度だった。「あまり天気よくないのかな...」
昨日、雪から水を作り、それを沸騰させてテルモスの山専用ボトル900mlを満タンにしておいた。それを使ってカップヌードルを作った。やはり寒い朝には暖かいものを食べたい。この山専用ボトルのありがたみは、やはり厳しい寒さでないと感じることはできないだろう。今回は常温の水は一切用意しなかった。すべてこの熱々のお湯で済ませることで、水が凍るのを心配することなく水分を補給できた。さらにコンビーフと食パンを炒めタンパク質を体に取り込む。最後にお湯でコーヒー作り、たっぷり1時間ほど使って朝食を済ませた。今日は長丁場になりうるので、できるだけ朝もたっぷりと栄養を摂取したかった。かなり寒いものの、スタートの2時間ほど前には、シュラフから出てテントの中の片付けに取り掛かった。あらかた荷物を整理し、スタートの90分ほど前にまだ真っ暗なテントの外に出た。ひできちさんも同じようなタイミングでテントの外に出て来た。「おはようございます」と挨拶を交わし、お互い撤収していく。朝っぱらからのいきなりの重労働に、「毎回こんなことしてたんですね」とひできちさんに半ばあきれ気味に言われ、「はい、そうなんです。かなり辛いのに、またこの辛さを忘れテント泊しちゃうんですよね〜」と確かにテント泊はかなり辛いが、中毒性がある。まずは4隅に張ったガイロープの末端に取り付けた竹ペグを回収する。かなりスペースが狭かったので、苦労しながらシャベルで掘り起こしていく。乗鞍岳テント泊の時と違い風がないので、ゆったりと一つ一つぺグを回収することができた。レインフライを撤収し、ポールをインナーテントから外し、インナーテントの撤収も終えた。ひできちさんは、予定時刻の6時半ぴったりにはザックを担いでいつでも行ける体勢に入っていた。僕はまたもたもたしてしまう。ハーネスを履き、アイゼンを装着し、5分以上遅れてやっとザックを担ぎ上げた。「お待たせしました」
遂に本番のアタックを開始した。(同じ幕営地にいた若者2人は僕らよりも30分弱前にスタートしていた)。テン場からはいきなりの急登で始まる。最初はたっぷりの雪が付いた急斜面を登る。階段状のトレースがありがたかったが、それでも中々に体力を消耗した。前に岩峰が見え始めた。第一岩峰だ。ここが初めの核心で、今後の行程への試金石になるそうだ。ここがしっかり越えられないようだと、引き返した方がいいかもしれない。
第一岩峰の少し手前から左に回り込んでいく。すると、岩に挟まれた狭い登りになる。更に登っていくと雪が固くなり、斜面もかなりきつくなってきた。この辺りで雪に半ば埋まったフィックストロープが出て来た。結構な幹の太さの木が進路に出てきて歩きにくい。ひできちさんからアックスの効かせ方のアドバイスを受けながら登って行く。先頭を行くひできちさんから、「ここ難所です!」との声がかかる。初めて使うクォークを振っていたが、思ったよりも簡単には引っ掛からない。同じところに何度も振り下ろしたり、そこを諦めて違ういい場所を探りながら、一手一手確実に登っていく。あまりにアックスを振ることばかりに意識が行ってしまい、アイゼンのフロントポインティングが少しおろそかになってしまう。手と足の動作をスムーズに連動させるには、やはり慣れが必要なようだ。
何故だか分からないが、アックスを振る登り方をすると、手がどんどん冷たくなり、感覚がなくなっていった。今まで経験したことがないような手の状態にリアルに恐怖を感じる。「こういう状態がずっと続くと凍傷になるんか?」。ひできちさんに声を掛け、少しその場に立ち止まる。オーバーグローブから指を外し、オーバーグローブの中で手を思いっきりグーにした。また、意味があるか分からないが、両手を思いっきり拍手をするように叩き会わせ手の感覚を取り戻そうとする。しばらくそんなことをしていると少し感覚が戻ってきた。僕が止まっていたのは急な斜面だったので、ひできちさんがいる少し斜面が落ち着いた場所まで取り敢えず行動を再開した。
登りながら、最高の天気になっていることに気付く。右手にモルゲンの光を帯びたピカピカの乗鞍岳がまぶしい。「おー!なんじゃあれは!」。道は痩せ尾根になり、しばらく登ると左からまたフィックストロープが出てきた。そこからは尾根の左手を少しトラバース気味に登る。木と岩に挟まれた狭いスペースだ。斜面もほぼ垂直ではないかと思ったくらい急になる。左手にモルゲン笠ヶ岳が見えてテンションが上がるが、高度感のある登攀に緊張する。スラブ状の岩に雪が付いた斜面なのか、アックスがかかりにくい。雪が少なく木の根っこも出ていたので、それも利用しながらアックスを振り続けた。何とか無事、先に登り切っていたひできちさんの所に這い上がった。上から「カッコいいですよ😃」と声がかかる。「赤のウェアが映えるのかな。写真だけ見た人はスゴイ人がいると思っちゃいますよ😂」。「ははは!いや〜、ここ結構ですね!」と登り切った高揚感がたまらなかった。
ひとまず休憩したかったが、この場所は、狭かったのでとりあえず先に進む。前にある巨岩を左から回り込み、最後の短い急登を上がると落ち着いた斜面の痩せ尾根になった。そこから左前方に小トップが見えた。それを指差し、「上が平らそうだからあそこで休憩しますか?」と僕が言うと、「あ、今あの上で2人休憩してますね」とひできちさんが人影に気付く。恐らく僕たちより少し早く出発した男女のペアだろう。15分ほどかけてそこまでたどり着くと、前にえらい斜面の先にある別のピークが目に入って来た。それ見てひできちさんが、「あれがジャンクションピークですかね?」と鋭い観察眼を見せ始める。とりあえずザックを下ろし「まあ地図を見ましょうかね」とヤマレコの地図を見る。「あ、確かにそうかも…」。僕はまだまだだと思っていたので、少し驚いた。地図を見ながら「確かにそこから北西尾根が出てるから、あれがジャンクションピークですね!」。「そこから戻る感じですか?」とひできちさんが言うので、ヤマレコを見ながら、「え〜っと、そこ(ジャンクションピーク)から、右に行って…。確かあれが2738なんですよね」とやたらとかっこいいピーキーな山を指差すと、ひできちさんが「あ!あれ西穂の山頂じゃないですか!?」。「え!?どれ?」と完全にため口になっていた。僕が2738と言った山頂を見ながら、「山頂標識が立ってる気がする」。よーく見ると確かに白い柱のようなものが見える。「あ、ホントだ!既に山頂とらえてた🤣」「とらえましたね?。でも見えてからが遠いんですよね」と安定の山屋の返事が返ってきた。
ジャンクションピークは僕らが休憩した場所から見るとやたらとそそり立って見えた。しかし実際に登ってみると傾斜の度合いはそれほどでもなく、このルートの中では比較的心休まる登りだった。登り切ると、確かに左手に北西尾根が見える。目線を上げれば、ジャンダルムが目に飛び込んできた。「おー!ジャンダルム😂」。その左には意外にデカイ涸沢岳、さらに視線を移すと槍ヶ岳までハッキリとその姿を見せてくれている。右手を見るとさっきよりももっと分かりやすく西穂高岳を認識できた。
ここから話しながら楽しく歩いていた僕は、間違えて北西尾根の方に進んでしまう。うっすらとトレースがあったのでそれに引き込まれてしまったようだ。すぐに間違いに気付き後ろを振り返りながら、「あ、間違えた!ごめんなさい😅」と引き返す。「これじゃあ北西尾根行っちゃう😃」。ここからは東にかなり典型的な雪庇ができた痩せ尾根をコルにかけて緩やかに下る。
コルからは緩やかに登り、2738のピークを稜線伝いに踏んでいく。この辺りは話しながらのんびり行っても問題なかった。クォークも振るというよりはシャフトの上部を持ちピックを雪面に刺していくように使った。徐々に雲が湧き上がってきていて、乗鞍岳は全部覆い隠されてしまった。それでも行く手の西穂高岳やジャンダルム方面はまだ一点の曇りもなくすっきり見えていた。特に西穂高岳の背後には太陽があるのか、山の山頂部分の輪郭が黄金色に染まっていた。「西穂かっちょえー😂」。また西穂とジャンダルムの稜線があまりにもはっきり見えるので、冬期西穂・奥穂縦走にも想いを馳せた。
ここから2738の先の小ピークにかけてが少しいやらしい。ここはいったんトラバースで進んだ。しかし、そのトラバースの雪質が非常に危険だった。今にも崩れそうな感じで、「これアカンやつやな」。2人で相談し、トレースの少し手前から稜線に向けて直登した。やはり、可能であればできるだけ稜線伝いに行った方が雪崩のリスクも避けられ安全だろう。この小ピークも僕らが上がった辺りからは、しばらく稜線で歩くことができる。ちょっとナイフリッジだがそれほどちびりそうでもなかった。最後は稜線は雪庇の様になっていたので、少し稜線の右側を歩いた。
この小ピークから次のコルまでがちょっと長めの急な下りだ。もちろんバックステップで慎重に下りていく。所々雪のすぐ下がスラブ状の岩になっているのか、アイゼンがかかりにくい。少し場所をずらし、蹴り込めるところ探りながら下りる必要があった。途中からは前向きに下りれるくらいの斜度に落ち着いた。
このコルからが最後の核心だ。またフィックストロープが出てきた。まずはそれに頼る必要がない斜面をアックスで登る。でかい岩が進路を塞いでいるので、右から回り込んだ。フィックストロープは、それを使わない場合でも、ルートを示してくれるのでありがたい。右からフィックストロープが繋がっていたので右から回り込んだが、それがなければ左からも行けそうだったので間違った選択をしたかもしれない。右に回り込んだ後は稜線に向けてそこそこの登りを直登だ。僕は自然とアックスをしっかり振っていた。しばらく稜線伝いに必死に登って行くと、また目の前にさっきよりでかい岩が行く手を阻んできた。左右に巻いていくこともできない完全なる障害に見える。岩峰にはあまり雪も付いていないせいかトレースも見当たらない。ひできちさんと相談し、「これ、登るしかないやつですね」ということで一致した。落ちると一発アウトなので、慎重に足場を選ぶ。アックスをしっかり掛けながら体を一段一段引き上げていく。最後の岩を乗り越える所が中々に難しかった。体をひねりながら、いい感じにアックスをかまさないとバランスを保てない。幸い、絶妙な引っ掛かりポイントを見つけることができ、半身のバランスだったがしっかりと乗り越えることができた。ひできちさんも少し苦労しながらも乗り越えてきて、「これ、痺れるね?ここ核心ですね!」と、とても楽しげ見えた。
しかし、ここからが本当の核心だった。ルート調査の段階で、かなりいやらしいルンゼの登りがあるとは知っていたが、それが最後の核心とまでは知らなかった。目の前にそのルンゼが現れた。一応長いフィックストロープが上から垂らされいる。ルンゼの傾斜はほぼ垂直に感じるほど急で、かつあまり雪が付いていないので、なかなかに痺れる登りだ。ここでひできちさんが僕を心配して、そのフィックストロープにアッセンダーをセットしてくれた。それをスリングとカラビナで僕のハーネスに連結してくれた。初めてアッセンダーを見たが、これは便利かもしれない。上がるが落ちない機械仕掛けのプルージックだ。ひできちさんはそれを僕にセットして自分は先にルンゼを登って行く。僕もそれを追いかけた。足が中々かからないので、どうしてもアックスに頼り切った登りになってしまう。アッセンダーで確保されているとはいうものの、アイゼンをしっかり壁に垂直に向け、フォールしないように気を付ける。少し登ってはアッセンダーを自分で引き上げる。この繰り返しで、やっと長いルンゼを登り切った。ここが間違いなくこのルートのメインイベントだろう。
ここからは岩交じりの痩せ尾根を歩いて行く。特に難しくはないが、それなりの高度感だ。風が強いので振らされないように慎重に登って行く。少し山頂まで距離があったが、もう我慢の限界だった。暴風を突き破る音量で吠える。ひできちさんが驚いてこっちを振り向いた。アックスを両手に掲げ合図を送る。前方に白い山頂標識を捉えた。一足先に山頂に着いたひできちさんも大きく両手を上げていた。歩くごとに少しずつ山頂標識が大きくなる。そして、一歩を山頂に掛け、身体全体を山頂に引き上げた。すぐにひできちさんとがっちり握手を交わす。爆風かつ少し雲が上がっていたが、最高の山頂だった。前方にはジャンダルムと前穂へと繋がる吊尾根の曲線が美しい。初めて本格的な冬期バリエーションをやりきった満足感と、ソロとは違った山行の充実感で、しばらくの間寒さを忘れてしまっていた。
西穂高岳西尾根。思ったよりも登り応えのあるルートだった。ここからも厳冬期の西穂高岳からの下りだ。決して油断できない。再びでかザックを背負い、急斜面をゆっくり下りて行った。
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