丹沢主稜を歩く、大倉登山口から檜洞丸ピストン
- GPS
- 11:10
- 距離
- 33.7km
- 登り
- 3,555m
- 下り
- 3,550m
コースタイム
- 山行
- 10:22
- 休憩
- 0:47
- 合計
- 11:09
天候 | 夕方までは晴れのポカポカ天気も、夕方以降は、霧が立ち込め、風も出て来た |
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過去天気図(気象庁) | 2023年02月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
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コース状況/ 危険箇所等 |
特に危険個所はないが、塔ノ岳以降、融雪によりドロドロ田んぼトレイル |
写真
装備
個人装備 |
防寒着
雨具
靴
昼ご飯
行動食
ハイドレーション
地図(地形図)
コンパス
ヘッドランプ
ファーストエイドキット
日焼け止め
携帯
時計
サングラス
タオル
ツェルト
ストック
チェーンスパイク
|
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備考 | スタートが遅すぎた |
感想
丹沢ハイカーには外せない稜線がある。丹沢「主稜」蛭ヶ岳から檜洞丸だ。
蛭ヶ岳までは大倉登山口から、檜洞丸までは西丹沢ビジターセンターからそれぞれピストン可能だが、どちらの登山口から行っても、日帰りでこの稜線を歩くのはかなり難しい。僕の軌跡も、この外せない稜線をずっと埋められないでいた。電車で西丹沢ビジターセンターまで行き、そのまま大倉まで縦走すればいいだけの話なのだが、公共交通機関の利用時間だけで5時間もかかってしまう。あるいは蛭ヶ岳山荘か青ヶ岳山荘(檜洞丸は青ヶ岳とも呼ばれる)に泊まって、この稜線をピストンすればいいだけなのだが、未だに山小屋泊が苦手で躊躇してしまう。
そんな中、りちさんが男前の「シンプル」な回答を示してくれた。
檜洞丸ピストン
なんと、大倉登山口から檜洞丸ピストンをやってしまった。「おー!これ、可能なんや??」。このピストンの山行記録は丹沢ケルベロス並みにレアだ。というか、見たことがなかった。しかし、総距離33km、累積標高3600m…。150%から170%のハイスピードで歩いて13時もかかっている。「う〜ん…、並じゃないな」。いつかは埋めるんだろうなと思いながらも、雪山シーズンが始まり、丹沢からは足が遠のいていた。
北岳を1泊2日の行程で無理やりやったダメージがあり、翌週の日曜日に谷川岳が絶好の登山日和だったにも関わらずスルーしてしまった。もし行っていれば、フォローしている達人たちに会うことができたと次々に上がるレコで気付き、歯ぎしりした。そして今週末、金曜日から日曜日の行程でなおにゃんに山行に誘われていたが、月曜日に眼科検診(山がスッキリ見えないと相談すると、目のレンズ調整能力が著しく低下しているらしく定期的に検診に行っている)で休暇を取るため、金曜日まで休むことはかなわなかった。金曜日から土曜日の午前中まではサイコーの天気だったので、彼らは白根三山を満喫したことだろう。この土日は土曜日の午後からどこの山域も天気が冴えず、決め手がないまま金曜日になってしまった。越前岳、黒岳、位牌岳の周回をしようとも思ったが、この山域は地盤が不安定で危険らしい。また、今週も相も変わらず狂ったマーケットに苦しめられたので、知らない低山に行く気にはなれなかった。家でダラダラしようかとも思ったが、2週連続で山に行かないのは体力低下のリスクが怖かった。そして、ふと「檜洞丸ピストン」が頭によみがえってきた。「蛭ヶ岳・檜洞丸間を埋めねば…」。大倉登山口までは下道でも自宅から40分ほどで、運転の負荷は低い。檜洞丸ピストンで燃え尽きたとしても、帰りの運転を心配する必要がないのもいい。かくして、真の丹沢ハイカーになるべく、外せない稜線を歩くことになった。
5時に目覚ましを掛けていたが、全く起きれなかった。7時前にやっと起きだし、急いで準備して7時半頃に自宅を出た。本当は6時半頃スタートを想定していたので、初めて24時間営業の大倉駐車場に止めようと思っていた。しかし、大倉に到着した頃には、戸川公園駐車場の営業開始の8時を過ぎていた。24h駐車場はほぼ満車のように見え、かつ狭く止めにくそうなので、広々した戸川公園駐車場に車を止めた。ただ、戸川公園駐車場(利用時間:8:00〜21:00)は夜は閉まってしまうようで、あまりに帰りが遅くなると出れないリスクがあるかもしれない。以前、駐車場のおじさんに質問したことがある。「これ、帰りが遅くなると出れないんですか?」「そうだね、朝まで待ってもらうことになるね」。めちゃくちゃリスクやな…。すると、そのおじさんが再び僕の所に来て、「遅くなっても出られるようにはなっているみたいだね」と教えてくれた。駐車場のおじさん自体もこんな調子なので、やはり利用終了時間は意識しておいた方がいいだろう。
8時半前に戸川公園駐車場でヤマップをスタートさせた。とりあえず塔ノ岳まではトレランっぽく行くつもりだった。途中まではいい感じに早歩きでペースを上げられ、「速いね!」と声を掛けられながら登っていく。しかし、花立山荘の手前くらいで早くも足がつり始める。初めのつりは何とか押し殺せたが、2回目はリアルこむら返りに、景色を見るふりをしながら悶絶。「ちょっとこれ早すぎへんか?」。やはり水だけではなくポカリスエットをしっかり飲む必要があるという当たり前のことを再認識した。帰りに蛭ヶ岳山荘でポカリスエット(500円)を買いしっかり飲んだおかげか、こむら返りなく塔ノ岳から大倉登山口までランで下り切ることができた。
ペースを上げるとすぐこむら返りが発生しそうになるので、スピードをかなり落として登っていく。花立山荘の手前の木階段からは眺望が抜群なのでちょうどよかった。いつもは漫然とその絶景を見つめていたが、今日は足もつることだしゆっくりAR山ナビでその山々を調べてみる。すると、中央にある一際高い山に、駒ヶ岳と神山と名前が振られていた。駒ヶ岳と聞くとすぐに男前を連想してしまうが、これは箱根の駒ヶ岳のようだ。その右にある少し駒ヶ岳より背の高い山が箱根山最高峰の神山のようだ。さらに右に視線を移すと、位牌岳から越前岳の猫耳稜線もきれいに見えた。花立山荘を越え、いつもはそんなに意識しない塔ノ岳の山頂がはっきり見える。少しずつ雪が出て来たが全く滑るような感じではなく、ツボ足のまま山頂まで程よいペースで歩いて行った。午前10時10分頃、結局いつもと変わらない1時間40分程で塔ノ岳に登頂した。ここまでの登山道もそうだが、いつものように山頂はかなりにぎわっていた。塔ノ岳山頂は、ほとんど風もなく暖かかった。富士山の山頂には笠雲がかかり少し残念だったが、空気が澄んでいて丹沢の山塊がとてもよく見える。これから行く丹沢山、蛭ヶ岳方面もすっきり晴れ渡っていた。
こんなに気持ちのいい山頂はそうそうなかったが、先は長いので10分も山頂にとどまらず丹沢山へと向う。尊仏山荘の左手から登山道が続いているが、いきなりそこからは雪が地面にびっしりと付いていた。ここからは下りで始まるので、ザックを下ろしチェーンスパイクを装着した。向こうから登って来る登山者もみんなチェーンスパイクを履いていたので、正しい判断だったのだろう。やはりそうは言っても厳冬期、丹沢といえども滑り止めは必携だ。丹沢山までは2.4kmしかなく、登山者が激減し、かつ眺望もいいので基本快適な稜線歩きだ。しかし、いつも登山道が泥でぐちゅぐちゅな印象がある。特に今日は雪解けのせいか、いつにも増してドロドロだった。この先檜洞丸までずっとこんな感じの部分が多いので、足裏がふやけてしまった。山と渓谷社の「トランスジャパンアルプスレース大全」で、「多くの選手が足裏のトラブルに苦しんできた」とあったのを思い出した。長期レースでは足裏が渇いた状態を維持するのが非常に重要らしい。
11時過ぎに丹沢山に到着した。塔ノ岳から45分くらいだったので、こむら返りが怖くてあまりペースを上げられなかった割には上出来だった。途中でチェーンスパイクを外していたのでここで再装着する。休憩は取らずにそのまま蛭ヶ岳の道標に従い進む。丹沢山から蛭ヶ岳までは3.3kmと道標に書いてあった(しかし、鬼ヶ岩の道標では3.4kmになっている)。山と定義されるからには、その手間には登り/下りがあるのは当たり前なのだが、丹沢はそれが多いらしい。まずは100mほど下り、不動ノ峰へ向けて150m登り返す。この不動ノ峰の少し手前に不動ノ峰休憩所があるが、ちょうどそこが建て替え工事をしていた。建設作業員の方が屋根に上り機械音を鳴らせていた。「こんな所までしっかり整備が行き届くとは…さすが丹沢」。時刻は11時30分だったが、僕でもここまでくるのに3時間かかるのに、彼は作業をするためにどれくらいかけてここまで来たのだろう?帰りは午後5時にこの辺りを通ったが当然彼の姿はなかった。不動ノ峰から棚沢の頭に向けて短いアップダウンをやり、大物「鬼ヶ岩1608」へと登って行く。この岩場の頂上にある岩は、下から見上げると本当に鬼の角のようで迫力がある。岩場の下り自体は特に危険ではないのだが、下から見上げると恐ろしい岩場に見えるから不思議だ。この鬼ヶ岩から約80m標高を下げ、そこから一気に蛭ヶ岳まで150mほど登り返す。天気がよく風もないせいか、丹沢山から蛭ヶ岳まではいつになく楽しんで歩くことができた。振り返れば塔ノ岳から丹沢山と自分が歩んできた道がはっきり見通せる。また前方には「こんなに蛭ヶ岳ってピーキーやったっけ?」と驚くほど巨大な蛭ヶ岳の山容を楽しめる。正に稜線歩きの醍醐味がぎゅっと凝縮されたルートだった。今までは天気が悪かったり、自分自身に余裕がなかったりしたせいで、恥ずかしながらやっとこの稜線の良さを認識できた気がする。
比較的余裕をもって蛭ヶ岳山荘の前に辿り着いた。時刻は午後12時10分頃で、丹沢山から1時間10分ほどかかっていた。1時間を目標に歩いていたが、少しオーバーしてしまったようだ。まずは小屋の右手に歩いて行き、コバルトブルーの宮ヶ瀬ダムを見下ろす。そこから奥に回り込むと、少し靄がかかっているものの、八ヶ岳連峰を視界に収めることができた。更に少し視線を左に移すと、かなり微妙だがぎりぎり北岳を捉えることができた。なおにゃんとしょーゆ君は無事にやっているだろうか。今度は小屋の左手から山頂標識に向けて歩く。相変わらず富士山の山頂部分は笠雲に覆われていたが、まだ天気は最高だった。富士山をバックに山頂標識を写真に収めた。「さぁ、さすがに休憩するかな…」と全部埋まっている正方形ベンチの一角を間借りさせもらい、ザックを下ろした。今日は体力勝負だと思っていたので、セブンイレブンのたまごサラダ、キャベツが入った鶏メンチカツのパン、つぶあんデニッシュを持ってきていた。なんとなく甘くないものを体が欲していたので、つぶあんデニッシュ以外を平らげた。同じテーブルに座っていたのは、丹沢山をスタートしてすぐ僕を抜いて、ずっとすぐ先を歩いていたソロハイカーだった。彼は、テルモスのお湯でカップヌードルを作って食べていた。僕は、今日は長丁場なことを考慮して軽量化を優先し、山専用ボトルを持ってこなかった。しかし、隣でカップヌードルをすすられると、持ってこなかったことを少し後悔した。
ここで地図を広げ、ここから先に行くかどうか思案する。近くに座っていたグループが「さあ、こっからも長いぞ」と言いながら、ザックを背負い大倉に戻ろうとしているように見えた。それを聞きながら、「俺はここからさらに先に行くんだよね…」と心の中で呟く。山と高原地図のコースタイムでは蛭ヶ岳から檜洞丸ピストンは6時間ほどだった。意外にかかるな…。恐らく200%のペースでは歩けるだろうからピストンは3時間くらいだろう。今が12時30分なので戻ってきたらまあ4時だな。帰りは蛭ヶ岳から丹沢山までが45分、丹沢山から塔ノ岳が45分、塔ノ岳から大倉までが30分として2時間か(見通しがアグレッシブ過ぎ)…。とすると、6時に大倉登山口に帰還だな。ヘッデンは確実なようだ。少し迷ったが、「塔ノ岳からがヘッデンなぶんには特に問題はないだろう。やるか!」と意を決し、檜洞丸4.6kmの道標に従い山行を再開した。
この丹沢主稜を歩いてみてまず思ったことは「意外に登山者いるな…」だった。誰もいないと思って歩いていたので、すれ違う度にびっくりした。僕の時間が少し非常識なので、かなり蛭ヶ岳寄りではあったが、都合10人ほどの登山者とすれ違った。この稜線からは檜洞丸がはっきりと前方に見える。とても近く見えるが、激しい下りと登り返しのせいで、見た目ほど近くはなかった。まずは、いきなり300mほど高度を下げる。ここがある意味一番いやらしい部分だったかもしれない。少し危険な下りだった。そこからミカゲ沢の頭にかけて50mほど登り返す。ここから臼ヶ岳にかけては比較的フラットな稜線歩きで、時間を稼がなければいけない部分だろう。臼ヶ岳分岐には檜洞丸2.6kmの道標がある。ここでトレイルを右に行くのだが、なぜが行くなと言わんばかりにトレイル上によく分からない荷物が置かれていた。
ここから神ノ川乗越にかけて200m高度を下げる。ルートを前もって見た時に、次のピークが1344(金山谷ノ頭)だと知って、いったいどれだけ下らせるん?と思ったが、なかなかの下りだった。ここからどこが最低コルなのか?をやたらと気にしながら進んで行く。ここか?というコルに来ては写真を撮る。1344の次のピークを下りたコルには木ベンチが2つ用意されていた。「これやな?最低コル」と思い写真を撮ったが、そこは最後のコルではなかった。更に先に行くと、小トップに向けて階段があるのに、その階段へのトレイルをロープで塞いでいる所に来た。そのロープにはわざわざその先に行かないように、「登山道?」という張り紙も付けられていた。そこにある少し頼りない鉄の橋を渡ると、「金山谷乗越」に辿り着いた。ここから素直に稜線を行くルートが厳しいのか、鉄の梯子が出てきた。それをいったん下り、トラバースで標高を上げ稜線に合流した。
暫く標高を変えずに進み、遂に最低コルと思しき1300m地点に到達(特に標識のようなものはない)、ここから檜洞丸山頂に向けて300m標高を上げる。最後の登りだが特に苦しさは感じず、淡々と登って行く。雪山を始めたシーズンの一昨年の1月、檜洞丸から青ヶ岳山荘を越え1521近辺まで下ったことがあった。なので終盤は見覚えのある雰囲気に懐かしさを感じた。程なく壁も屋根も青色の「青ヶ岳山荘」に到着した。山荘はひっそりとしていて、営業している雰囲気はしなかった。山荘から山頂はすぐだ。まだ全行程の半分しか終わっていないとは言え、「檜洞丸に来れた!」という達成感を感じながら山頂に立った。時刻は午後2時10分頃だった。蛭ヶ岳を出たのが12時半だったので、ピストン3時間の目標からは少し遅れていた。山頂には男女のカップルと、ソロの男性がいるくらいで静かなものだった。檜洞丸の山頂標識はあまりにスマートで重みがない。また山頂の眺望もあまりないのは知っていた。山頂から犬越路のほうへ少し下ると眺望がいいので、そちらに行ってみる。本来ならここから富士山が激しく見えるのだが、午後になり大分雲が広がっていて富士山は隠れてしまっていた。それでも西丹沢の山塊がキレイに見え、檜洞丸まで到達できたという実感をより強くしてくれた。
山頂に戻り、山頂の風景を写真に収める。ちょうど僕が戻ってきた頃、山頂にいた男女のカップルが僕の予想に反して、蛭ヶ岳方面に動き始めた。「お!西丹沢からのピストンじゃなかったのか??」と、少し嬉しくなる。思わず、「大倉に戻るんですか??」と声を掛けた。すると、「戻りません!青ヶ岳山荘に泊まります!」と返って来た。そりゃそうだよな…。時刻は午後2時20分頃で、ここから大倉に帰る気違いは僕くらいのものだ。「あれ?そうすると青ヶ岳山荘は営業してるんですね?」と聞くと、「そうですね、僕らが泊まりますので」。お!ポカリスエット買お!。帰りはかなりの苦難の道になるので、また足がつらないように、電解質系の水分を取らないとと思っていた。青ヶ岳山荘に着き、小屋に入るためにチェーンスパイクを外した。小屋の扉を開けると、「大きな声でこんにちはと呼んでください」とある。大きな声で「こんにちは!」と呼び掛けた。誰も返事をしない。もう何回か渾身の力を込めてこんにちはと連呼したが反応はなかった。最後に「こんにちは!」と叫んだ時、追いついてきた例のカップルから返事があった。「今日は誰もいません」。なぬ??。「今日は僕らが泊まるために、小屋を開放してもらってるんです。オーナーは下で用事があるらしくて」。おー…、そんな適当な感じなのね。「えっと…、小屋の方ではないんですよね?」と念のため質問した。「いえ、違います」。なるほど。「ってことは僕がポカリスエットを買うことはできないですね?」と言ってみると、「なんか誰かが、料金を箱に入れるようにして、売ってるって言ってたような…?」。しかし、それは水のことだった。受付の台の下にペットボトルに入った水が置かれていて、料金は良心ボックスに入れて下さいとあった。「どうも、それは水のようですね。水はたっぷりあるから大丈夫です。足がつりそうなので、電解質の水分を取りたかったんです。」「あー!」
少し時間を無駄にしてしまったが、気を取り直して蛭ヶ岳を目指す。時刻は2時半頃だった。ここから前方に見える巨大な蛭ヶ岳を見ながら進んで行く。目標はしっかり見えてはいるものの、あまりにも遠くに見える。目標1時間半を頭で唱えながら進んで行く。3時20分頃、檜洞丸から蛭ヶ岳まで半分を超えたあたりにある「臼ヶ岳」の道標に辿り着いた。地図をよく見ると、ここは臼ヶ岳ではないようだ。ここから少し右に行った所が臼ヶ岳らしく、時間が押しているにも関わらず、トレースに従って進んでみた。ピークと思しき場所まで来てみたが、残念ながら山頂標識などの目印は何もなかった。復習して知ったのだが、ここから先に破線ルートが続いており、ユーシンロッジに繋がっている。檜洞丸ピストンではなく、ここからユーシンロッジに下り、鍋割山に登り返して大倉へと周回する方法もあるようだ。「無駄足だったな…」と思いながら、道標まで戻る途中、右手が大きく開けた場所があり、そこから蛭ヶ岳がしっかり見えた。立ち止まり、あまりに大きくピーキーな山容に、改めて丹沢最高峰の大きさを肌で感じた。
ここからはまた100mほど高度を下げ(1350)、ミカゲ沢ノ頭(1421)まで軽く登り返す。蛭ヶ岳への最後の登り返しを少し恐れながら、進んで行った。また50m高度を下げ、遂に蛭ヶ岳への登りへ取り掛かった。下から見上げる蛭ヶ岳はあまりにもそそり立っていて、どれだけ体力を奪われるのかと気が重かった。しかし意外にも、下るときに神経を使った岩場も登りは気持ちよく登ることができ、急な傾斜が逆に自分で想定した標高を上げる必要時間を短縮してくれたように感じた。最後のだらだらとした登りには少し嫌気がさしたが、なんとか復路の最初の関門、蛭ヶ岳に到着した。時刻は午後4時20分になっていた。4時に蛭ヶ岳に戻って来る予定で檜洞丸ピストンを決意したが、20分の遅れてが出てしまった。まあ想定の範囲内でそれほどの焦りはなかった。「とりあえずポカリスエットを買おう」と、蛭ヶ岳山荘への階段を上がった。扉を開けると、宿泊客が何人か食卓のテーブルに付き食事を待っているようだった。「すみません、小屋の方いますか?」と宿泊客の方に声を掛けた。一番奥に座っていた男性の登山者が厨房の方を見ながら、「あ、います」と言いながら、小屋番の方を読んでくれた。恐らく東城さんの後任のロン毛の小屋番(それほど若くない)の方が出て来てくれた。「ポカリスエット売ってますか?」というと、「売ってます。500円です」と言ってポカリスエットを持ってきてくれた。500円を手渡すと、心配そうに「ここからどこまで行くんですか?」と聞いてくれた。僕は、「やってしまいました」という表情で「大倉まで…」と答えた。彼は、やっぱりという表情で、「まあ、でも(ペース)速いんでしょ?」と言ってくれた。「まあヘッデンにはなりますが、6時くらいには(大倉に)着くかなと…」(完全に自分の能力を過大評価)と答えると、「塔ノ岳まで行っちゃえば、なんとかなるね」と励ましてくれた。
ポカリスエットをしっかり飲み、午後4時半頃、蛭ヶ岳から再スタートした。檜洞丸を出る時は、高速で歩ければ塔ノ岳でアーベンを迎えられるかも?という超楽観的な予想をしていたが、どうやらそれは無理なようだった。日はまだ十分あったものの、予報通りだが、天気が悪化し始めた。風が出始め、霧が立ち込める。眺望はほとんどなくなってしまった。寒くなってきたので、途中でザックを下ろし、トレイルアクションパーカを羽織り、手袋をはめ、ストレッチクリマプラスをかぶった。無心で歩き続け、午後5時半前に3.3kmを歩き切り、丹沢山に戻って来た。蛭ヶ岳から50分ほどかかっていた。さすがに往路よりは時間を20分短縮できた。まだ体力的にはそれほど問題ないようだが、路面がドロドロ過ぎて、足裏がかなり濡れいるのが不快だった。足先にそれほど寒さを感じなかったのはラッキーだった。
SunntoBaro9に表示された日の入りの時間は5時半過ぎだった。そろそろヘッデンを点灯させる必要がありそうだ。トレイルアクションパーカを羽織った時に、頭にマイルストーンMS-H1を既に付けていたので、いつでもスイッチオンするだけだった。丹沢山を出て比較的すぐにヘッデンを点灯させた。しかし、これは当たり前の盲点だが、霧が立ち込めているとヘッデンの照射距離はかなり短くなる。霧が光を遮ってしまうせいで、トレイルのカーブがどう続いているのかが辛うじてわかる程度になってしまった。「これ歩きにくいな…」。こういう状況になると、どうしてもスピードを落とさざるを得なかった。本来なら丹沢山から塔ノ岳は2.4kmしかないので、30分ちょっと戻って来ることを想定していた。しかし、最後の登り返し階段を登り切り、尊仏山荘の右手から山頂広場に戻って来たのは午後6時10分頃で、丹沢山から50分も経過していた。
こんな時間にここにいたことは勿論ないので、光が少ないと意外にこの山頂のだだっ広い場所が歩きにくいことを知った。長ベンチに躓かないように気を付けながら歩き、探りつつ山頂標識の場所に辿り着いた。当然誰もいない完全なる孤独…のはずだった。すると、馬鹿尾根の方からヘッドランプの明かりがどんどんこちらに近づいてきた。「お!最近はやりのナイトハイクか?」と思って見ていると、どうやらトレイルランナーのようだった。この季節のこの時間に「短パン」を履いているのだから間違いない。「これは…ナイトランですか?」と聞くと、「ええ、まあ。2登目です」という。この時間かつ2登目とは…。世の中には底知れぬドMがいるようだ(人のことは言えない)。「僕は檜洞丸までピストンしてて、こんな時間になっちゃいました😓」と言うと、「檜洞丸ピストンってあんまり聞かないですね!僕も(塔ノ岳から)先に行こうとしたんですが、田んぼみたいになってるっていうんで止めました」「そうですね…確かにドロドロでした」。こんな暗闇で「人」と出会えたことで一気に元気が回復した。彼は、「それじゃ、戻ります」と言いながら、また馬鹿尾根に踵を返した。「僕も同じくです!」と、もともと最後はトレラン気味に帰るつもりでいたので彼の後に続いた。
序盤の彼のペースは偶然僕とほぼ同じだった。フラットと下りは走り、登りは歩くという無理のないペースで進んで行く。登りもは少し走る分だけ僕のペースが少し速く、途中で前後を交代した。その後、花立山荘の手前に来た時、あまりにきれいな夜景が見え始めた。「ほー!」。初めて見る丹沢からの夜景に足が止まる。僕が写真を撮っている間に彼は僕を追い越し、その後岩場の下りに来た時に、技術の差か僕との距離を広げた。足は限界に近かったが、前に人が走っているというのはとても励みになり、何とか止まらずに登山口まで駆け下りることができた。登山口の辺りで、少し手前から歩き始めていた彼に追い付いた。駐車場まで走って行こうと思って、「お疲れ様でした!」と言いながら彼を追い越した。その時「結局、檜洞丸まで行くと何キロくらいになるんですか?」と後ろから話し掛けれらた。立ち止まり、振り返って「何キロになるんでしょうね??」と、前もってりちさんのレコで距離と標高差を見ていたはずなのに、全て頭から消えていた。あまり、細かくは登山計画も立てていなかったせいでもある。スタート前は「まあ10時間くらいで戻ってこれるだろう」と思っていたが、実際には11時間ほどかかってしまった。会話に飢えていたので、駐車場まで走るのは止め、彼とゆっくり話しながら戻ることにした。体力の衰えの話から、「55歳を超えるとガクッときますけどね」と彼が言うので、「え!でも55はいってないですよね?」と言うと「僕はもう61ですよ😊」。短パンから見えている筋骨隆々の足を指差しながら、「その足は61歳の足じゃないですよ!」と本心から驚いた。
7時半過ぎに戸川公園駐車場に戻って来た。営業が終了していて出られないことを少し恐れていたが、杞憂に終わった。ほぼ誰もいなくなったガラガラの駐車場を歩き、安定のマイカーに向かう。車の奥には吊り橋につけられた青いイルミネーションがキレイに輝いていた。「いや〜参った。檜洞丸ピストン、やっぱり並じゃないわ!」。車にエンジンを掛け、無事に下りて来れた幸運に感謝しながら家路を急いだ。
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