北アルプス南北全踏破への序章、コラボでホンキの乗鞍岳‼️
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- GPS
- 19:48
- 距離
- 35.0km
- 登り
- 2,844m
- 下り
- 2,427m
コースタイム
- 山行
- 11:03
- 休憩
- 0:41
- 合計
- 11:44
天候 | 初日は曇りから徐々に天気が回復したものの、避難小屋に入った後の、夕方からポツポツきて、7時頃には豪雨。翌日は、約束された好天でサイコーの登山日和 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
刈払いされているとはいえ、やはり青屋登山道の笹藪はかなりストレスフルだった。避難小屋から暫くもかなり厄介で、森林限界を超えて、やっと気持ちのいい道に。青屋登山道の千町ヶ原と奥千町避難小屋の辺りは楽園 |
その他周辺情報 | 相変わらずのひらゆの森 |
写真
感想
1.これが本来の夏アルプス?
北アルプス南北全踏破の行程を固めた。
当初、7月30日に中ノ湯をスタートし9泊10日で親不知海岸にゴールする駆け足プランを立てた。しかし、それだと登山集中日(8月4〜6日)に後立山連峰に突入してしまう。テント場を含め完全予約制の後立山連峰の山小屋だが、スタート地点の中ノ湯からはかなり距離がある。僕は「到達できることが確実になってから、前日に予約すればいいや」と軽く考えていた。むちゃくちゃ甘かった。何とはなしに、8月5日(土)に予約予定だった唐松岳頂上山荘のキャンプ場予約サイトを7月10日に覗いてみた。すると8月5日だけ空欄になっていた。空欄は予約不可ということだ。
「なぬ⁉️もう予約いっぱいなんか😓」
ちょっと山行を早めに切り上げ、五竜山荘でもいいかと白馬山荘グループの予約サイトで五竜山荘のテント場を見てみた。すると、さらにひどいことに、4〜6日のすべての日程がもう予約でいっぱいだった。
「まじ…?」
どんどん現実を知り恐怖に支配されていく。同じく特定日(金土日)は予約が必要な冷池山荘に4日に宿泊予定だった。恐怖に駆られ、すぐに予約サイトにアクセスし、まだ空いていた4日のテント場を急いで抑えた。もともとなぜか6日は白馬岳頂上宿舎のテント場を予約していた。しかし、肝心の5日の宿がないとう事態に陥ってしまった。
「まいったな…」
キャンセルが出るのを期待し、唐松岳頂上山荘のウェブ予約のページをヒステリックに訪れ、画面更新を繰り返す。しかし、さすがにみんな予約したてなので、すぐにキャンセルが出るはずもなかった。「夜通し歩いて冷池山荘から白馬岳頂上宿舎まで歩くか?あるいはどこかでビバークするか…?」と、計画段階での撤退の危機に追い込まれた。白馬山荘グループのウェブ予約サイトは、横軸に日付、縦軸にグループの各山荘の宿泊形態が羅列されたマトリックスになっている。それを見ながら、少し視点を変え「五竜山荘相部屋」の行を見ると、奇跡的に8月5日が空いていた。「こうなったら、テント泊を諦めるしかない…」と背に腹は代えられないので、急いで5日の五竜山荘相部屋を抑えた。
これで宿無し状態は免れたが、そんな先の日付まで予約を入れても、そこに順調にたどり着ける保証は何もない。天気が崩れ停滞が入れば一発アウトだ。また、最長12時間半を含む日平均行動時間10時間のかなりギリギリの行程だった。さらに、てつさんから①長期縦走は中日辺りに楽な行程を組み込まないとバテる②午後の落雷リスクを避けるため、午後2時には行程を終了させないと危険、というアドバイスをいただいていたので、それも気になった。
最後はやはり、小屋泊を入れてしまうことにどうしても自分で納得できなかった。北アルプス南北全踏破に挑戦する登山者たちは、それぞれに「縛り」を作っている場合が多い。最もストリクトな縛りは、「一度入山したら下山するまでテント場・トイレ利用以外は一切お金を使わない」だ。この場合、全ての食料を担ぎ上げ、水が有料の場合は手前の水場で汲んでいく必要がある。さすがに僕はそこまでのドMではないので、お金に糸目はつけず、できるだけ小屋で食事をし、水もどんどん買うプランだが、「テント泊縛り」にはこだわりたかった。常識的には、中日に小屋泊を入れ、少しまともな食事を取れば、かなり体力が回復するだろう。しかし、やはり「縛り」というロマンがコモンセンスを上回った。基本的に、北アルプス南部の小屋はテント場予約が不要なところがほとんどだ。(唯一、双六小屋は7月29日から8月15日までの間は毎日予約が必要)。なので、前半に行程を細かく区切り、五竜山荘に平日に辿り着くようにした。本当は北穂高岳小屋の超面倒くさいテント場で張ってみたかったが諦めた。こうして、当初より3日増やした12泊13日の行程に落ち着いた。五竜山荘でのテント場の予約もでき、最長でも10時間強、日平均7時間45分の行程になった。これで体力的にはかなり余裕ができ、南北全踏破成功の可能性がぐっと高まったはずだ。
2.北アルプスはどこからか?
北アルプスはどこからか?普通は乗鞍岳から、あるいは御嶽山が北アルプス最南端という説もある。しかし、いずれにしても、その2つの山はやはり独立峰と呼ぶにふさわしい。なぜなら、他の北アルプスの山々と登山道で繋がっていないからだ。必然的に南から北アルプス南北全踏破をする場合、スタートは新中ノ湯登山口になる。ちなみに(旧)中ノ湯ルートは最近整備されておらず、通行は推奨されていない。
ヤマレコで見つけた超人のレコでは、乗鞍岳に登頂後、乗鞍権現経由で平湯登山口に下り、国道を歩いて無理やり新中ノ湯登山口に到達していた。「これは男前やな」とは思ったものの、そのロマンに彼は2日を費やしていた。かなり悩んだ挙げ句、やはりみんなと同じように新中ノ湯登山口スタートに決めた。乗鞍岳は別立てでやろう。
今年の1月に「テント撤退」した乗鞍岳をやれば、北アルプス南北全踏破へのいい序章、かつ、国内3000メートル峰コンプリートになる。乗鞍岳をやるからには畳平からの観光登山ではなく、ホンキの登山にしたかった。そして、タマさんから教えてもらった青屋登山道に狙いを定めた。かなりワイルドな藪漕ぎ登山道らしいが、途中に奥千町避難小屋がある。これで剣ヶ峰に登頂後、縦走して乗鞍権現経由で平湯登山口に下りれば完璧だ。そして、このメモリアル山行に一行レコ職人「土と口と川」さんを誘ってみた。早月劔にチャレンジする前に、彼のレコを参考にさせてもらって以来、YAMAP上でお付き合いをさせてもらっていた。謙遜気味だが多分ちょっとワイルドな今回のコースも大丈夫だろう。
3.青屋登山道
待ち合わせは平湯インターを降りてすぐのトイレ駐車場にした。3連休の平湯だけに、「この駐車場に止められるかが核心ちゃうか?」とも思ったが、「多分ここは大丈夫ですよ。いつもガラガラです」と土と口と川さんに言われ、正直信じられなかった。ただ、そこがダメでも、すぐ近くに平湯大滝公園というのがあり、そこのかなり広い駐車場が利用可能だった。
もともと土日の予定だったが、月曜日が約束された好天だったので、直前に日月へと日程を変更した。4時半の待合せ時間に合わせ、日曜日の夜中の12時半に起き、午前1時に自宅を出た。ちょうどその時YAMAPを見ると、わかわかさんが夜叉神峠駐車場のカオスをモーメント投稿していた。道路脇に路駐が100台ほどあるという。「やっぱり3連休すごいな...。平湯は大丈夫かいな」
GWの時とは違って、高速道路は特に渋滞はしていなかった。順調に時速105劼魄飮し松本インターを降りた。そこから沢渡までは、さすがに3連休とあって、かなり車が詰まった状態での運転となる。しかし、沢渡に着くと先行車の殆どが沢渡駐車場に入って行き、前方のつっかえがなくなった。やっとストレスのないスピードを出して走っていると、土と口と川さんからLINEが届いた。最近老眼の進行がひどく、走りながらだと何と書かれているかほとんど読めない。一旦路肩に車を止め、室内灯を付けて読んでみると、彼はかなり早く平湯ICパーキングに着いたようだ。下山の位置をYAMAPで確認すると、平湯トイレ駐車場よりも平湯大滝公園駐車場の方がいいという。ただ、平湯大滝公園駐車場の場所をはっきり調べていなかったので、「とりあえず、平湯インターのトイレ駐車場に行っていいですか?」とタイプして引き続き運転を続けた。
その後も順調に道路は流れ、予定より少し早い4時15分頃、平湯インターに到着した。ETCゲートをくぐると、すぐ左手にトイレ駐車場が見えた。さすがに意外に埋まっていたが、入り口からすぐに空きスペースを見つけそこに滑り込んだ。すると、ちょうどその隣が土と口と川さんだった。一旦車から降りると、彼も車から出てきてくれた。「おー!」とがっちり握手を交わす。「今回はよろしくお願いいたします」。僕は最初、平湯大滝公園駐車場よりもこのトイレ駐車場の方が下山口に近いと思っていたが、距離は地図で見るとどっこいどっこいだった。ただトイレ駐車場は狭いので、平湯大滝公園駐車場へと移動することにした。平湯大滝公園駐車場へは少し坂を上るが、トイレ駐車場からすぐで、行ってみるとだたっ広い駐車場に一台も車が止まっていなかった。北側にある柵のすぐそばに適当に車を止めた。自宅から平湯までの距離が長く、到着したばかりの僕を気遣ってもらい、ジムニーをデポし、土と口と川さんのフォレスターで青屋登山口に向かうことにした。
青屋登山口は、グーグルマップで検索しても出てこない。なので、実際に歩いた先人の軌跡を見ながら、「九蔵神社 とちの大木」の先に恐らく登山口があると目星をつけた。土と口と川さんもどうやったのか、ちゃんと行先をグーグルマップに設定していた。平湯大滝公園駐車場から約1時間のドライブだ。ちなみに、この登山口をレコから見つけるという点でも、ヤマレコの方が数段便利だ。
途中までは意外に普通の道を行く。かなり終盤にカクレハ高原の方へ左に曲がると、少し道が寂れてくる。最後はその目印にしている「九蔵神社 とちの大木」を通り過ぎ、先がつながっているか不安になりそうな林道を進むと、登山ポストのある草だらけの駐車場に到着した。時刻は午前5時半を少し回った頃だった。駐車スペースはあまり広くなく、せいぜい4台ほどしか止められないが、やはり誰も車を止めていなかった。恐らくここを利用する人は1か月に1組くらいなのかもしれない。約束された好天の月曜日を含む3連休なのに、安定の寂れ方だ。
青屋登山道へのチャレンジに向けて、土と口と川さんは僕より遥かに用意周到だった。平湯大滝公園駐車場に着いた時に、スポルティバの紙袋に3つのお土産を用意してくれていた。一つは富山のお水だが、残りの2つは青屋登山道対策グッズだった。スズメバチマグナムジェットプロと熊よけの火薬銃だ。ただ、マグナムジェットはかなり大きくかさばり、火薬銃も2人に一丁でいいので、僕は土と口と川さんの車のトランクに置いていくことにした。また、彼はちゃんと長袖のウェアを装着していた。しかし、僕は愚かにも暑さ対策を優先し、半袖のクールライトTシャツで臨んでしまった。これは大失敗で、登山を終え数日たった今現在、両腕がかぶれて大変なことになっている。「マダニに噛まれたかも」と恐怖に陥り、皮膚科に行ってみたが、幸い虫に噛まれてはいなかった。笹での擦れや太陽に当たり過ぎただけだと診断され、せっかくなのでアンテベートを5本ほど処方してもらった。日焼けのことも考えると、やはり南北全踏破でも長袖Tシャツが必要かもしれないと思い始めている。
山と高原地図の「乗鞍高原」を見ると、ちゃんと青屋登山道が載っている。しかし、「明治期に開かれた登山道(最新のコース状況は高山市役所朝日支所に必ず問い合わせる)」とある。また「倒木、ササヤブが多い、刈払い状況は高山市役所朝日支所に問い合わせる」ともあった。これを読むまでは問い合わせる気はなかったのだが、朝の通勤電車の中で高山市役所のウェブサイトを検索し、問い合わせフォームから「この3連休に青屋登山道から奥千町避難小屋で一泊、翌日乗鞍岳を目指すのですが、登山道の状況はどうですか?」と質問してみた。すると、30分も経たないうちに、携帯電話が鳴った。画面に「高山市」と出ている。「まじか…、電話で折り返してくれるのね」と焦りながら電話に出た。すると、何も分からず後ろから言われた通り話しているだけのように聞こえる女性の担当者が、「青屋登山道は区間を分けて2年に1回刈払いしています。避難小屋までの区間は、この7月の頭に刈払いしたので、大丈夫です」と教えてくれた。電波状況が悪く、かなり聞き取りににくかったが、大丈夫なことは確かなようだった。6月24日に青屋登山道の上部を通ったレコにも「千町尾根と青屋尾根は来月から刈払いが入る」と出ていたので、ちょうどそれが終わった所のようだ。
登山道序盤は、車も通れる林道をひたすら歩く。なんとなく熊が出てきそうな雰囲気に、土と口と川さんが火薬銃を何度か放つ。途中標高1000mくらいの所で橋が出てきて、沢が九蔵本谷と小俣谷に分かれる。その橋を渡り左に曲がるべきなのだが、橋の前にトラロープが掛けられていたのでまっすぐ進んでしまう。すぐにヤマレコに怒られ道間違いに気付き、橋まで戻り九蔵本谷の方へ渡る。すると、ほんの少しで立派な鳥居のある「乗鞍青屋登山道九蔵登り口」に到着した。青屋登山道は、開拓者の「上牧太郎之助(かみまきたろうのすけ)」にちなんで、「太郎之助みち」とも呼ばれている。ここから日影平乗鞍岳線歩道合流点まで8キロだ。
刈払いされているとは言うものの、序盤は中々の急登でかなり辛い。刈払いの度合いも完璧ではなく、やはり普通の登山道と比べるとストレス度は高かった。先頭の方が冒険度が高いので、途中で先頭を土と口と川さんに変わった。彼はハンディノコギリを取り出し、刈払いを自らする気満々だった。ただ、さらにノコギリで刈払いしないといけないレベルの藪はしばらくは出てこなかった。
また先頭を交代し、しばらくは急登を登ると、斜度が落ち着いてきた。そこに本日最初の石仏があった。青屋登山道には、88箇所に2体ずつ176鉢の石仏が安置されているらしい。この石仏がルートを示す目印の役目も果たしているようだ。ここからは、急登は落ち着き、ピンクテープもしっかりあるものの、藪はかなりストレスを感じる高さになっていく。本当にノーストレスで歩ける箇所は殆どなかったように感じた。丸黒尾根との合流点がなかなか来ない。
そして、1901のピーク辺りだったか、ただでさえ藪ストレスが溜まっていた時に、ピンクテープが見当たらなくなってきた。踏み後も複数あり、いまいちどっちに進んでいいか分からない。普段なら野生の勘(?)で大体どちらに行くのか分かるようになってきているのに、猛烈な藪が方向感覚を失わせる。あっという間に、背丈を超える藪の中に迷い込んでしまった。後を振り返り、「ちょっと道が分からないですね...」と土と口と川さんに声を掛ける。ヤマレコを取り出し方向を確認すると、確かにルートから左に少しずれていた。「戻りますか?」とも言われたが、もう既にかなり藪を突っ切って来ていたので、それ程確信を持って戻れる自信もない。「多分右目に軌道修正すれば復帰できると思うので、突き進みますか?」と言うと、土と口と川さんが先頭を代わってくれた。後ろから付いていくと、彼はかなり豪快な、まるで藪に殴りかかっていくような進み方だった。自分もそれに続いて分かったが、足元が滑るので、かなり勢いを付けて突進する必要があったからだった。「ほんの少しルートから外れただけでこの藪とは...」と青屋登山道の恐さをひしひしと感じ始めた。
このルートを調査中に質問させてもらった一石さんから、「(僕の過去の)山行を拝見させていただきましたが、早朝スタート+空身でスピード上げればその日のうちに避難小屋まで突破できるのではないでしょうか」と言われたことを思い出していた。「そんなに避難小屋まで1日で突破するのって難しいの⁉️」と違和感を覚えた。今回は避難小屋泊だが、もしも定員オーバーだった時のために、クロスオーバードーム2Gも担いでいた。土と口と川さんはテント泊装備を持っていなかったので、その場合は2人分の寝床を確保する必要があったからだ。実は彼は小屋泊しか経験したことがなく、今回僕に付き合ってくれるために、シュラフとマットを買ってくれていた。
気合いで突き進む彼を見ながら、右手に何となく抜けれそうな藪の隙間を見付けたので、そこを突っ切ってみた。すると、藪の中にピンクテープが見つかった。「なんちゅう所にピンクテープあるんや...」と思いながら、「ピンクテープありました‼️」と叫んだ。「こっちです‼️」と土と口と川さんを誘導する。全く姿が見えないので、声のボリュームで方向を定めるしかなかっただろう。でも、彼はすぐに僕がいるところに戻ってきた。前方を見ると、少し先から刈払いされている。しかし、後を振り返ると、完全なる藪が続いていた。「これ、山頂方面から刈払いして、ここで諦めたかのようですね😓」と、2人で不思議がった。ルートを間違ったというより、ここは藪にまみれる以外に突破できないようにも思えた。
ここからは少し平和な道に戻った。どんどん出てくる石仏の写真を撮りながら進んでいく。この石仏の隣には決まって「発見者」の名前があった。「発見者?」と不思議に思っていると、土と口と川さんが、「この石仏は登山道が荒れた時に一度失われたらしいです。で、登山道を復興させるときに探し出したようです」と教えてくれた。全部で176鉢あると分かっているから探せたのだろうが、なかなかの執念を感じ取った。そして、標高2200m辺りで、地獄が突然「天国」に変わった。藪は消え失せ、池塘が点在する気持ちのいい平原だった。木道もあり、白い綿のような特徴のある花が咲き乱れている。「おー!」とあまりの気持ち良さに感動する。ここまで頑張って来た苦労が報われる。山と高原地図を開いてみると、この辺りは千町ヶ原というらしく「広大な湿原、ワタスゲ・ニッコウキスゲ」と書かれている。「あー!あれがワタスゲか!」。残念ながらニッコウキスゲの姿はそこにはなかった。もう、季節ではないのだろうか。
その天国はすぐに終わり、また鬱蒼とした林に入っていった。登山道は涸沢沿いに付けられていて、少し水のある歩きにくい沢登りの様相になった。倒木もあり、なかなか大変だった。この青屋登山道は水の確保がほぼできないとあったが、所々淀んだ水は見ることはできた。本当に死にそうになれば、浄水器を使って飲むしかないのかもしれない。
その沢登りを終え、2301の小ピークを巻くあたりで、また登山道が天国に戻った。そしてそこにはニッコウキスゲも咲き乱れていた。多分今までにも見たことがあったのだろうが、今回はその存在が特別にありがたく感じた。土と口と川さんはその色が気に入り、「これは珍しいですね!」と感動しているようだった。ずっとサングラスをしていたので、「肉眼で見ました?」と言われ、「あー!確かに」とサングラスを外す。ワタスゲとニッコウキスゲのコラボに、しばし藪ですさんだ心を癒してもらった。
ここまでくればもう奥千町避難小屋は目と鼻の先だ。少し急登を頑張って登ると、また天国が現れた。そして視界に避難小屋が入って来た。木道が整備され、見晴らしのいい平原だった。天気もかなり良くなってきていて青空が覗く。「これ、すごいね…」。ここまで来た苦労を補って余りある景色に、おっさん2人で素直に感動する。子ノ原への分岐に道標があり、そこから小屋に向けてきれいな木道が続いていた。ここまでの藪道からは想像できない楽園の木道を歩き、避難小屋の目の前にやって来た。かなりしっかりした立派な建物だ。小屋の扉を開ける。小屋の中は清潔そのもので、窓がちゃんとあるので明るかった。当たり前だが誰もいない。ものすごく親切な避難小屋で、小屋の入り口にあるベンチには、ブルーシートが被せられたシュラフが複数置かれていた。反対側の壁にはホワイトボードがあり、そこには色々なメッセージが書かれていた。YAMAPでよく名前を見る人のメッセージもあった。
取り敢えず板間の上にザックを下ろした。時刻は午後2時前で、初日にしては8時間弱と長い行程だった。とにかく早く担ぎ上げたビールで乾杯したかった。小屋から出て外の楽園で乾杯しようかとも思ったが、ご飯も食べたいので、明るい小屋の中で乾杯することにした。かさばるモンベルのロールアップクーラーバッグ3Lに入れていたビールはまだ十分冷たい。土と口と川さんはビールを凍らせて来たようだが、融けてちょうどいい具合にキンキンだった。「お疲れ様でした!」と、お互いに持ってきたおつまみを摘まみながらビールを堪能する。普段より重いザックを背負い、かつ、あの藪を抜けてきた初日は、土と口と川さんにはかなり試練だったろう。でも、一度藪のなかでロストした以外は、きわめて順調だった。やはり刈払い直後の一番イージーな青屋登山道だったのかもしれない。
天気は回復傾向だと思っていたので、小屋前の楽園でアーベントロートを楽しみにしていた。しかし、意外にも濡れた靴を小屋の軒下に干していると雨がポツポツと落ちてきた。お互いかなり疲れていたので、午後7時前には寝る体勢に入った。耳栓をしシュラフに潜り込みすぐにウトウトしていたが、ものすごい雨音で目を覚ました。耳栓をしていてこの音量なので、猛烈な雨だったのだろう。いちいち起き上がりはしなかったが、明日のアタックのことが心配になった。その後もなぜかず〜っと覚醒しているような状態であまり寝れなかった。いつの日か、自宅と同じ眠りの深さで山でも寝れるようになるのだろうか。
4.国内3000m峰コンプリート!乗鞍岳
午前1時にSunnto9Baroが振動した。寝る前に2人で話し合い、小屋前ではなく剣ヶ峰でモルゲンを見ると決めていた。Sunnto9Baroによれば日の出は午前4時45分だった。小屋から剣ヶ峰はコースタイムは3時間だったが、さすがに2日目は多少速く歩けるだろうと、2時間半を想定した。それで、午前2時15分にブラックスタートすることにし、1時くらいに起きようと目覚ましをその時間に合わせていた。
土と口と川さんは既に起き上がっていた。「おはようございます!」。小屋泊の場合、朝の始動時間がそれぞれに違うので物音を立てないように気を使ってしまう。バーナーを使うのもままならない。以前テカリ小屋で、意外にみんなの始動時間が遅く難儀したことがある。山中の山小屋泊の場合、僕はほぼ全員が山頂ご来光を狙うと思っていたが、それは一部のご来光ハンターだけのようだ。しかし、今回のように自分達だけだと小屋泊も悪くない。
あんパンをつまみながら、ジェットボイルフラッシュでお湯を沸かし、コーンスープを作った。避難小屋の標高は2357m(どこにあるか分からなかったが、三角点もあるようだ)だが、夜の冷え込みは全くなかった。暑くてシュラフのジッパーは全部は閉めなかったほどだ。もう完全な夏山でもあるし、この避難小屋は気密性が高かったのかもしれない。テントの撤収がないので、あっという間に用意が整い、小屋内にあるトイレで体を軽くすることもできた。小屋自体はとても清潔だったが、トイレはやはり山小屋のそれそのもののワイルドさ見せていた。でも、昨日、土と口と川さんが、「やっとこれが役立ちました!」とスズメバチマグナムで、たかっているハエを処理してくれていたので、少しはマシだったはずだ。
ほぼ予定通りの午前2時20分頃、避難小屋をスタートした。昨日は藪漕ぎのせいで、雨が降っていなかったのにズボンがびしょ濡れになった。昨日大雨が降ったので、今日も少しでも藪があればびしょ濡れになるのは必至と思っていた。なので絶対にレインウェアを着ようと思っていたのに、スタート時にはすっかり忘れてしまっていた。スタートしてすぐは楽園の木道歩きなので良かったが、すぐに藪がひどい細いトレイルに変わってしまった。その時になって、「しまった!またレイン着てない!」と思ったが、トレイルが狭すぎて、ザックをわざわざ下ろしレインを取り出す気になれなかった。「今日は最高の天気になるから、濡れてもすぐ乾くからいいか…」
避難小屋からの登山道はかなりワイルドだった。左が切れ落ちているように見える狭いトラバースがしばらく続いた。猛烈な虫の中を突き進み、かなりの急登もあった。早く歩けるつもりだったが、結構危ないので慎重に歩かざるを得なかった。空を見上げると満天の星空でやはり天気は最高だったが、昨日の大雨の影響が激しいトレイルで、予想通り下半身がずぶ濡れになってしまった。やはり、スパッツを付け、その上にレインウェアを履かないといけないのは明白だった。
ワイルドで苦痛な道も、森林限界が近づくにつれ徐々に快適な稜線歩きに変わっていった。土と口と川さんに「これ、日があればきっと凄い稜線歩きなんでしょうね!」と言われ、「確かに…。ここをブラックで歩くのも確かに勿体ないですね」。山頂御来光を取るか、気持ちのいい稜線歩きを取るかはいつも悩みどころだ。まだまだ暗かったが、前方に明らかにそれと分かる剣ヶ峰のシルエットが見え始めた。また、右手を見ると何やら存在感のある山も見える。御嶽山だった。肩の小屋の方から剣ヶ峰を目指すと、御嶽山は剣ヶ峰山頂からしか見えないが、こっちからだと常に視界に入る。
中洞権現に到着した。時刻は4時頃で、東の空が赤らみ始めていた。御嶽山の背景も薄いピンク色に染まる。ここで、絵になる岩場があったので、2人でその岩に立ち写真を撮り合う。前方が崖になっていて、岩がまだ少し濡れていたので、なかなかの恐怖感だった。
ここを左に曲がり、一旦下り、湿原のような場所を抜けて、高度をぐんぐん上げていく。しかし、この辺りから、急に道が分かりにくくなる。適当に登れるのだが、どこでも登れると逆に不安になる。前方に登って下さいと言わんばかりのピークが見える。シンプルに直登しようと思ったが、トレイルから外れているようでヤマレコに怒られた。地図を取り出して見ると、真上に見えるのは屏風岳で、トレイルはその大分下をトラバース気味につけられていた。間違いに気付き、そこから右に右にとトラバースをするも、もうかなり上がってしまっているので、ひたすらトラバースしてもなかなか安全な登山道にならない。一旦マップ上では登山道に合流しているように見えるところまで来たが、そこから歩きやすい登山道があるわけではなかった。「これ、どないなっとんねん⁉️」。この頃には土と口と川さんともはぐれてしまっていた。その後も、岩が崩れるリスクを気にしながら、なるべくトラバースしていったが、どうにも一般的な登山道が見付けられなかった。
そうこうしているうちに、左上の方に気になる新たなピークが見え始めた。恐らくこれが大日岳(奥ノ院)だろう。ピークまで余裕で登れそうな道が付いているのに、確か山と高原地図では、「登れない」との説明があったような気がする。奥ノ院という言葉になぜだか誘われ、少し寄り道して行こうと思い始めた。少し前に何でもないところで日の出は迎えてしまっていた。また、剣ヶ峰にも既に登山者が見えていて、もう肩の小屋へと下りている人もいる。できれば本日の登頂一番乗りを狙いたかったが、その願いは叶わなかったので、急ぐ理由もない。ただ、僕が奥ノ院に寄り道している間に、土と口と川さんが剣ヶ峰に先に登頂して僕を探してしまうリスクがあったので、LINEで「今どのへんですか?」と打って暫く待ってみたが、返信はなかった。後から聞くと彼も屏風岳へと直登を試みていたので、LINEどころではなかったのだろう。
確信犯的にトレイルを無視し、奥ノ院への急坂を登り始めた。少しざれた感じではあったが、特段危険はなかった。山頂に到着すると、何か甲斐駒ヶ岳の剣のようなものが岩の間に祭られていた。それ以外は、特に山頂標識もなく質素な山頂だが、ここから眺める剣ヶ峰は格別だった。影剣ヶ峰が目の前に見え、御嶽山ビューもばっちりだ。まだ剣ヶ峰には登頂していないとはいうものの、ここまでくれば余程のことがない限り撤退はあり得ないだろう。登山を始めて3年になるが、乗鞍岳剣ヶ峰で国内3000m峰をコンプリートすることになる。趣味がなくて困っていた3年前が嘘のようだ。どっぷりと登山にはまってしまった。
ここから、登って来たざれ坂を少し下り、大日岳と剣ヶ峰のコルに向けて左斜めに下りていく。下りも特段危険な感じはなかった。コルへ下り切ると、やっとロープが張られた登山道に復帰できた。そこから山頂まではちょっとした岩場の登りで少し危険だ。ふらつくと滑落リスクもあるような感じだった。慎重にふらつかないように岩場をこなし、肩ノ小屋からの登山道と合流した。そちらからは、畳平があるおかげで、当然大勢の登山者が登ってきていた。その合流点から、祠まではほんの何歩かだった。祠の石段を登り、乗鞍岳登頂の感慨に浸る。ちょうど、乗鞍に詳しそうな男性ソロの方が話しかけてくれ、「青屋登山道から来ました」と言うと、「大変だけど、あっちからはいいですよね!」と苦労を分かってくれて嬉しかった。祠の裏側に回ってみると、そちら側に乗鞍岳の山頂標識があり、グループ登山者たちが写真を撮り合っていた。また祠の裏側は、例の厳冬期の山頂テント泊を可能にしてくれる風よけのあるスペースになっていて、「なるほど、この狭い空間にテント張ったんだな」と納得する。確かに風向き次第だが、かなりしっかりと壁に囲われたスペースだった。
土と口と川さんはまだ山頂には来ていないようだった。しばらく祠の裏側で待っていると、彼が青屋登山道から合流してくるのが見えた。「大丈夫でしたか?」大きな声で呼び掛けた。やはり彼も登山道を外し、屏風岳を直登していたので、思いのほか時間がかかったようだ。また山頂標識の写真待ちの列に並び、やっと順番が回って来たところで、石を使ってうまく固定された彼の自撮り棒で大量に写真を撮る。今回僕も初めてスマホ用自撮り棒を持ってきていたが、ちょっと強めに棒を伸ばしただけで、部品が取れて壊れてしまった。GoPro と違って、スマホの自撮りはどうにも面倒だった。
風もなく暖かったので、かなり長い時間を山頂で過ごした。今日はここからもワイルドかもしれないトレイルを行くので、「そろそろ行きますか」と行動を再開した。時刻はまだ午前6時だった。乗鞍岳頂上小屋の前を通り、今年の1月に来て形に見覚えのある剣ヶ峰と蚕玉岳(こだまだけ)のコルに下りていく。ここから登山道はトラバースで朝日岳は通らないのだが、折角なのでに寄り道していくことにした。ちなみに厳冬期はトラバースに雪崩のリスクがある場合、肩ノ小屋から朝日岳を直登して剣ヶ峰を目指す。今年の1月に来た時は、途中まで直登気味に登ったが、ぎりぎりでトラバースしコルに出た。
朝日岳の頂上には山頂標識こそなかったが、小さい祠が祭られていた。ここから肩ノ小屋に向けては、岩々の登山道ではない道を直接下りて行った。冬はもちろん全部雪に埋まって歩きやすいのだが、この時期は少し危なかった。かなり大きい岩がぐらっと来ることも多々あり、やはり一旦コルまで引き返し、登山道に合流した方がいいかもしれない。
何回かヒヤッとしながらも、何とか肩ノ小屋前に下りてきた。時刻は7時前だったが、1時過ぎに朝食を食べて以来何も食べていなかったので、僕は結構お腹が空いていた。土と口と川さんはそうでもなかったらしいが、小屋の入り口の引き戸から中を見ると、大勢の登山者が席について何かを食べている。「お!なんか軽食やってそうですよ?」と、「ここで食べていきませんか?」と半ば強引に誘ってしまう。開け閉めに苦労するかたい扉を開けると、入り口に小屋番の男性が立っていた。軽食について聞いてみると、「スタッフが少ないので僕らも回ってなくて、まだ宿泊者以外には食事は提供していないんです」とのことだった。彼は「すみませんね〜」と何度も謝ってくれた。僕は今山行では、ハイドレーション2L、ナルゲンボトルに1L、凍らせて保冷剤代わりとして保冷バッグに入れた500mlのペットボトルの合計3.5Lで臨んでいた。ナルゲンボトルの1Lは昨日小屋で全部消費してしまっていたので、残りは残量が不明のハイドレーションと500mlのペットボトルだけになっていた。「ちょっとぎりぎり過ぎるかな…」と思っていたので、ここでペットボトルの水を500mlだけ購入した。値段は意外に安く200円だった。しかし、なぜか同じ500mlなのに400円で売られているペットボトルもあったので、僕らが買ったのは本物の乗鞍岳の天然水(権現池?)かもしれない。
肩ノ小屋からはしばらく完全なる道路を歩く。今回は「乗鞍全部行き」を目指していたので、現地でも入口にトラロープが張られていて、かつYAMAPでも立入禁止マークが出ていたにも関わらず摩利支天岳に行ってみることにした。1月に肩ノ小屋にテントを張った時、剣ヶ峰の反対側にあった山だった。しかし、よく分からない球体を持った建物があり、変な山だな…と思っていた。地図を見ると、この建物は気象観測所のようだ。ちなみに肩ノ小屋の西側には肩ノ小屋よりも立派な東大の宇宙線研究所がある、「なぜに神聖な乗鞍岳の頂上にそんな世俗的なものを2つも作ったのだろう…」
トラロープをまたぎ、普通の直線の砂利道を登って行く。意外に辛い。その道を突き当りまで行くと、左に道がカーブしながら観測所に向かっていく。もうこの道は完全に観測所への車道になっているようだった。直線の突き当り(摩利支天岳と不動岳のコル)を右に行くと「不動岳」へと登れるように見えた。ただ、頂上から不消ヶ池向の奥を通り畳平に下りるのは難しそうだったので、もし行っても登頂後は来た道を引き返した方がいいだろう。結局、恐らく観測所の立っている場所が山頂そのもののようで、摩利支天岳の山頂には立てなかった。観測所の手前にちょっとした高台に、何やら山頂標識のようなものがあったが、それは第20回国民体育大会の炬火リレー(聖火リレーのようなもの)の採火地点の記念碑だった。
摩利支天岳からもと来た道を戻り、またトラロープをまたいで、今度は「富士見岳」への登山口に来た。ここはしっかりとした登山道が付けられている。この登山道を通り、山頂から畳平の方へ抜けられる。富士見岳とはいうものの、富士山をみつけるのはそんなに容易ではなかった。山頂を通り、反対側からも大勢の登山者が上がって来る登山道を下りる。眼下には、畳平と乗鞍高原観光センターを循環しているバスがひっきりなしに行ったり来たりしていたのが見えた。
鶴ヶ池の前を通り、少し歩いて畳平にやって来た。時刻は8時頃だった。完全なる観光地のシンボルだ。トイレまで登山の雰囲気を全く感じさせない普通のトイレだった。標高2700mとはとても思えない。バスターミナルの建物に向かう。ここでは何か食べらるはずだ。建物に着くと、1階に軽食コーナー、2階にレストランがあった。しかし、レストランの営業時間は10時半からなので、軽食コーナーのテーブルにザックを下ろした。飛騨牛コロッケとかき揚げそばを頼んだ。ここからゴールまではまだまだなので、ビール(450円)も自動販売機で買い、何とか無事にここまで来れたことに乾杯した。
「乗鞍熊事件って知ってますか?」。少し興奮気味に土と口と川さんが言った。「なんですか、それ!?」。乗鞍クマ襲撃事件とは、2009年9月19日午後2時20分頃、畳平からすぐの魔王岳からオスのツキノワグマが興奮状態で畳平に駆け降りてきて、次々に観光客を襲った事件のようだ。バスターミナルの建物の中にも侵入し、そこにいる観光客に襲い掛かったというからかなりの地獄絵図だったろう。死者は奇跡的に出なかったようだが、後で調べると、右目を失ったり、120針縫う大怪我をした被害者もいたのことだった。みんなそのクマを止めようと棒などを使って反撃したのだが、逆にやられてしまったようだ。そのツキノワグマは体長130センチ、体重は67kgと書いてあり、それほど大きくはないものの、やはり人間には太刀打ちできないと思い知った。土と口と川さんは、その舞台となった「魔王岳」に行ってみたいという。全部行きは望むところなので、軽食を食べた後、畳平バスターミナルの奥にある登山口に向かった。入り口には7月の頭にもクマの目撃があったと記されていた。山頂までは、富士見岳と同様、観光階段が付けられている。山頂近くの岩に立ち、いろんなポーズをとり続ける彼女を、山頂直下の平らなところから撮影しまくっている男性の気が済むのを待ち、魔王岳へ登頂した。山頂から奥にもロープ区切られた登山道のようなものが続いていた。そこから左奥にある恵比寿岳にも登頂可能なのかもしれない。
5.観光登山を終え、平湯乗鞍登山道へ!
来た道を引き返し、また畳平に戻って来た。ここから観光登山を終え、リアル登山へと復帰する。また鶴ヶ池の脇を通り、「大黒岳」への登り口へと向かう。先程の魔王岳もそうだが、はやり剣ヶ峰に比べるとぐっと登山者の数が減る。登山道の脇には、随所にクマよけの鐘の役割を果たす鉄の支柱の様なものが建てられている。そこに付けられているハンマーなようなものでその支柱を叩くと、大きな音で響きクマよけになるようだ。取り敢えず2人とも思いっきり叩いておく。大黒岳にもすぐに到着した。すぐに、シェルター兼休憩所のようのものがあった。ちなみに長野県のヘルメット着用推奨山域を見ると、意外に、【活火山】のくくりで焼岳とともに乗鞍岳が入っている。登山道にも「この先 火口域から1km圏内」のような道標が立っていた。大黒岳の山頂は広く、北に続く北アルプスの眺望が最高だった。白馬岳山頂の様な山座同定盤も設置されていて、しばし最高の天気に映える北アルプスを堪能する。
大黒岳から少しざれた坂を下ると、程なく登山道がなくなり、乗鞍スカイラインのアスファルトの上をしばらく歩く。振り返ると、意外にず〜っと剣ヶ峰の山頂が見える。この乗鞍スカイラインを歩くのは、なんとも新感覚で爽快だった。剣ヶ峰側に続くワインディングロードを見ながら、「やっぱり、この人工物があるから自然が映えるんですよね!」と土と口と川さんもかなり楽しんでくれている。前方に延々続く乗鞍スカイラインも最高で、その奥に形を見ただけで山の名前が分かる「烏帽子岳」も見えていた。さすがにここまで来ると、青屋登山道と同じく、絶対に登山者には会わないだろうと思っていたが、意外にも前方から大きめのザックを背負った男女2人が歩いて来た。「おー!」と思い、話しかけずにはいられなかった。「どちらからですか?」。すると女性の方が嬉しそうに「白骨温泉からです」と言う。「あー!てっきり平湯からだと思ってしまいました」と答えたものの、名前は知っているが白骨温泉からどうやって登山道が繋がっているか把握していなかった。ただ、只者ではない雰囲気を醸し出していたカップルだったので、平湯からよりもキツイんだろう。後で地図で確認すると、白骨温泉の登山口は平湯と同じくらいの標高1350mで、距離は平湯からよりも少し長いようだった。
暫く歩くとスカイラインから右に折れ、登山道に復帰した。時刻は午前10時頃だった。ちょうどその時、下から年配の男性ソロ登山者が登山道を上がって来た。「平湯からはキツイですか?」と声を掛けると、気持ちよさそうな顔で「キツイですね」と、満足げだった。コースタイム6時間のところをかなりのハイペースで登って来たようだ。あまり意識していなかったが、下りもコースタイム5時間くらいらしい。3時間くらいで歩けるつもりでいたので、少し驚いた。「登山道は藪とかありましたか?」と青屋登山道で藪恐怖症になっていた僕らが質問すると、「いや、やっぱり信者(?)の人がよく登るのか、ちゃんと整備されますね。昨日の雨でぐちゃぐちゃの所はありますが」と教えてくれた。ひとまず安堵した。
ここから、ざれた急坂をかなり下る。まずは丸山直下までで約150m、さらに丸山と硫黄岳のコルまでも50m弱ほど下るだろうか。眺望はとてもよく、左手にある四ッ岳は中々の存在感だった。前方の稜線も気持ちいいのだが、硫黄岳へ登り返しがかなり手強く見えた。この辺りで硫黄の臭いがし、山と高原地図の冊子を読むとやはりその「臭い」が山名の由来らしい。しかし、予想に反して硫黄岳への登り返しはそれほどキツくはなかった。少し左手をトラバースして山頂は踏まないからかもしれない。
硫黄岳からは少し道が藪っぽいところもあったが、やはり最近刈払いされた形跡があった。硫黄岳への登り返し以降、目立った登り返しはなかったが、前方にずっと巨大な山が見えているのが気になり始めた。土と口と川さんによれば、あれは通らずに済むとのことだったが、僕は半ば覚悟を決めていた。乗鞍権現への分岐に近づくと、案の定、登りになって来た。かなりの急傾斜なのだが、なんとなく、先程見えた巨大な山から少し左にずれるように登っている気がした。結局、それほど登り返すことなく、道標が現れた。平湯まで6.3km、十石山・白骨と書かれいた。その道標を左に上がると、そこが乗鞍権現だった。もっと山のような場所を想像していたが、なんとなく黒戸尾根の刀利天狗を思わせるような場所だった。しっかりした祠もあり、その前には2張りはいけそうな平らなスペースがあった。見晴らしもいいので、水場があれば最高のテント場なのだが、残念ながら水の気配は全くなかった。例のでかい山は恐らく「金山岩」だった。山行計画中に山と高原地図で「金山岩までは悪路だが通行可 金山岩からは360度の展望」とあるのを確認していたので、土と口と川さんに「帰りは、乗鞍権現からそこまで行きましょう」と自分で言っていたことを思い出した。少し遅れていた土と口と川さんを待ちながら標高を調べてみると、乗鞍権現から約150mほど標高を上げないといけないようだった。「これはちょっと無理かな…」。土と口と川さんが追い付いてきた所で、それを説明し、「ちょっと大変なので、今回は止めておきましょう」と提案し、快諾された。
乗鞍権現からの道が意外に悪路だった。かなり足場の悪い狭いトラバースを行く。「なんか北鎌尾根みたいやな…」。一旦トラバースが落ち着くも、もの凄い急坂、いやらしい藪道が続く。「やっぱり最後は青屋登山道とあんまり変わらん感じか…」。スズメバチになぜか狙われる土と口と川さんは、所々でマグナムジェットで戦うために停滞するようになってきた。しばらく急坂を行くと、土と口と川さんが「YAMAP上に水場のマークがある場所がもうすぐ来ますね」と声を掛ける。僕も山と高原地図を取り出し見てみると、確かに「水」マークがあり、「夏場は水が涸れる」と説明が書かれていた。また、詳細図の方を見ると、「水場55m、平湯まで5.2km」の道標があるようだ。疲れていたせいか、土と口と川さんが声を掛けてくれてからかなり経って、やっとその道標の所にやって来た。最初、55mを標高のことと勘違いしたので、「ちょっと55mは辛いな…」と思い、スルーですることにした。しかし、少し行ってから、「あ、でもこれ距離か55mってことですね、だったら見に行きたいな」と、やはりこの時期に水が涸れているかどうかを確認したくなってしまった。土と口と川は大分辛そうだったが、快く付いて来てくれた。この水場までの道も、最近刈払いしたようでとても歩き易かった。しかし、残念ながら水は完全に涸れていて、涸れ沢のようなものがあるだけだった。「なんで水が涸れているのに、ここまでしっかり刈払いしたんだろう?」と2人で不思議に思った。
登山道に復帰し、かなり土と口と川さんの表情が硬くなってきた。しばらく歩いたところで、「ここからゴールまでと、ここからさっきの水場までだったら、水場に戻る方が近いんじゃないですか?」と、「ちょっと何言ってるか分からない....」と言いたくなるような質問を真顔でしてくる。それだけ、登山道が延々と続くような印象を持ってしまったのだろう。僕も、「いや、もうさっきの水場がここから近いのか遠いのかの感覚がないです…」と、同様に少しおかしくなっているようだった。
「終わらない登山道はない!」を合言葉に、辛い下りを懸命に歩いて行くと、スキー場の最上部「桔梗ヶ原6.6km、平湯温泉3.0km」の道標が現れ、ここでリアル登山道が終了した。あとは、林道の様な草むらを歩くだけのようだ。しかし、ここからが辛かった。スキー場上部なだけあって、道は平らだが傾斜がかなりキツイ。足にかなり負担のかかる下りが続いた。もう、この頃には土と口と川は120%の疲労度に達しているそうで、「少し重い装備でも行けるかなと思いましたが、甘かったです」と、しきりに繰り返す。しかし、普段日帰りで軽い荷物で山行している人が、重荷でいきなりこのコースを歩けば、限界を超えるのは当たり前だった。最近赤牛岳ピストンで同じように辛い思いをした僕は、彼の辛さがよく分かった。あまり意味があるか分からないが、後どれくらいでゴールかの目安を適宜知らせながら、坂道を下りていく。そして、恐らく最後の直線の下りになった。「さあ、ビクトリーロードですよ!ここで先頭変わりましょう」といい、彼に先頭を歩いてもらう。彼は、ここから予想外にラストスパートをかけた!もの凄い勢いで下りていく。全く追い付けず、どんどん離されていった。しかし、このビクトリーロードも長かった。ラストスパートをかけるには少し早すぎたようだ。スピードが落ちてしまった彼にすぐに追い付いた。左下に牧場の様なものが見え、恐らく羊か山羊が何匹か見える。土と口と川さんは、「あれは羊ですか?」と、ものすごい寂し気な目で僕に確認した。かなり危ない状態に感じた。「よし、ちょっと先を歩いて、車を取ってきてあげよう」と、ここでまた先頭を交代した。
そこからすぐに林道終了地点に来た。特に何もないが、ここでゴールだった。「よく頑張った!」としっかり握手を交わす。土と口と川さんには、右手にあるお食事処あんき屋に直接向かってもらった。駐車場へと続く坂を登りながら、「なぜ登山をするのか?」という土と口と川さんからされた質問を思い出していた。僕は、物凄く辛かった登りの末に山頂に登頂すると、よく感極まって泣いてしまう。彼はまだそういうことがないという。牧場の前では、子供達が柵の前の草をちぎり、羊に食べさせているほのぼのとした光景が目に入った。「ちょっと、無茶だったかな…。でも、多分、それがあるからまた登山したくなるんだよね....」とも思った。「多分そこに解があるのかな?」と、本気の乗鞍岳を満喫した満足感を感じながら、ゆっくり坂道を歩いて行った。
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