安倍奥・七面山《日本二百名山》
- GPS
- 18:11
- 距離
- 43.0km
- 登り
- 3,292m
- 下り
- 3,361m
コースタイム
- 山行
- 7:02
- 休憩
- 1:43
- 合計
- 8:45
- 山行
- 8:32
- 休憩
- 0:54
- 合計
- 9:26
天候 | 1日目(7/28):晴れ一時曇り 2日目(7/29):晴れのち曇り一時雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2006年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス 自家用車
下山:硯の里キャンプ場から京都比良山岳会メンバーの車 |
写真
感想
1日目(7/28):晴れ一時曇り
大垣から“ムーンライトながら”に乗り、2時05分静岡に着いた。始発バスまで3時間40分もあり、ホームのベンチで仮眠した。バスは登山者ばかり18人の乗客を乗せ第2畑薙ダムまで行く。3時間もかかる長距離路線だが全区間静岡市内を走る。安倍川の谷から大井川の谷へと越える富士見峠では富士山を望むことができた。車掌嬢によると富士が見えるのは今シーズン初めてとか、長い梅雨だったがいよいよ梅雨明けか?
井川大橋で降りるのは私だけで何も疑っていなかったが、このバスは直行バスで通過すると言うではないか!「頼むから停まって! 」と哀願すると、乗り合わせたみんなも「停まってやれよ」と応援してくれて勢いづくが「去年トラブルがあり、運輸局からのキツイお達しがありダメ」と受け入れられなかった。しかたなく井川大橋の3キロほど手前の井川本村BSで下車しバスのみんなの同情に見送られ井川湖畔の道を歩くことになってしまった。
井川大橋を渡り岩崎の尾根先端(標高673m)から山に入った。2.5万図どおりに歩くが道らしいものはない。椎茸の榾場を過ぎると踏み跡も怪しくなってきた。八幡神社の祠があり何処からか道が登ってきていた。神社の裏手にも明瞭な道はなく、ただ尾根筋を忠実に登る。標高差230mの登りで3等三角点「岩崎」(903m)に到った。やはり暑い、汗は滝の如く流れ息が上がる。何処から来たのか明瞭な登山道が出現し後は問題なかった。コースタイムは短縮できて当たり前と思っているのに標高1,560mの林道に達した時は、なんとコースタイムを10分もオーバーしていた。暑さに弱い自分を改めて確認したような次第だった。
当初予定ではこのまま井川峠に上がり北上するが、今日の泊りを山伏小屋にしてアツラ沢の頭に寄り道することに出発直前に変更した。同じ道は歩きたくないので先ずは稜線の西側を走る勘行峰林道を行き県民の森センターまで南下した。2.8キロの林道は略下りで標高を140m下げた。井川湖や大無限山、寸又三山の展望が得られ、それなりにいい道だった。
県民の森センター(標高約1,425m)で稜線に上がり北へ反転すると最初の山、アツラ沢の頭(1,513m)に達した。2等三角点「奥仙俣」が設置されているが展望なし。樹林帯の稜線は高度を徐々に上げ井川峠を過ぎ、左に巻き込むようにして笹山(1,763m)に到った。3等三角点「笹山」の山頂は展望良く、富士山や南の七ッ峰(1,533m)、天狗石山を望むことができた。
進路は再び北に向かい標高1,546mの牛首峠まで200m余りを下ってしまい鞍部で西側の山麓を走っている林道に出合った。登り返しがきつく600mほどの距離で240mも高度を上げる。暑さと相まって疲労が蓄積してきた。P1785を過ぎたころ雲が覆いだし軈て雨がポタリ。午後雨の予報どおりで諦めて早めに雨具を付けるがものも10分もしないうちに止んでしまった。がっかりしたが、何も落ち込むことはない、喜ぶべきことなのだと思い直した。
ほんの少し盛り上がったところは猪の段(約1,720m)。2重稜線の笹原、凹地のような地形を行くと百畳峠からと思しき道と合流した。この道は以前歩いた道だ。峠からは僅か30分ほどで山伏山頂まで行ける。そんな登り方でこれまで自尊心が許さず、山伏に登ったと言えないでいたが、これで堂々と語ることができるだろう。
暫く行くと左手に静岡市営山伏小屋へ行く道が分岐する。5分足らずで小屋に達したが疲労困憊してヘロヘロ。今日はここで泊ることにしたのは妥当な選択だった。近くに水場があり、冷たく美味しい沢水を得ることができた。小屋に戻り暫く休憩していると元気回復、天気も回復しきれいな青空になっている。明日の天気はどうなるやら、山伏の山頂展望は今日しか見られないかもと考えると今日行っておこうと山頂ピストンを決行した。空身は何と楽なことか。誰もいない山頂にはヤナギランが咲き、ちぎれ雲が纏わり付く富士山や南アルプスが展望できた。登山道に入ってからは誰も人に会わなかった。勿論小屋も一人、疲れから食事を終えてすぐ18時頃には寝についた。
2日目(7/29):晴れのち曇り一時雨
ご来光を見ようと4:30出発の心算だったが準備に手間取り20分も遅れてしまった。山頂に着いたときには既に日が出て富士の裾野に昇っていた。昨日の夕方以上に天気は良く、雲もなく富士は全姿を現し朝日に照らされている。何とカメラマンが二人、三脚を立てている。しかし挨拶をしても無言で非友好的、久し振りに会った人なのに残念! どうやら大笹峠から最短距離を登ってきたようだ。
北東尾根に踏み出し、なだらかな稜線を行く。ヨモギの頭(1,914m)の山頂ははっきりせず、山頂標識すらなかった。進路が真東に向きアップダウンを繰り返すと突然“大平の頭”の標識が現れる。標高は1,915mで展望はない。下りきった所は新窪乗越(標高1,852m)、南斜面に広がる大谷(おおや)崩は大規模な崩壊地でガレ場が下まで続いている。その中を下る道が分岐していくが、悪天候時はかなり危険を伴うだろう。
乗越から崩壊地の縁を登り大谷嶺を目指す。展望が良くお花畑が現れた。ホタルブクロやセンジュガンピ、ヤマハハコなどが咲き誇っていた。標高差150mを登り、標高2,000mジャストの大谷嶺(おおやれいorおおやみね)に達した。3等三角点「行田」がある筈で点標を探し回ったが見つからず何処に行ったものやら? 山頂からは布引山(2,584m)や笊ヶ岳(2,629m)など白峰南嶺の山々やその奥の南ア主稜線が見える。本当なら今頃、山岳会の本隊があの稜線に居るはずだったが今回は叶わなかった。藤田さんが最期に登ったあの山、ただ只美しい。小笊を従え双耳峰の目立つ山。彼を偲び、手を合わせると胸が熱くなった。君よ安らかに。
現実に戻り北西に向かって歩き出した。すぐに雨畑への分岐が左に分かれた。このルートは今日の目的地に通じるが殆ど林道で雨畑川を下る長いルートだ。余り人は歩いていないだろう。山伏から続く静岡・山梨県境尾根をどんどん下り、登り返すと五色ノ頭(1,859m)に達するが展望はない。この先八紘嶺までは地図上では大した高低差はないようだったが実は岩場のアップダウンが続き結構きつかった。
最後の登りは険しく漸く辿りついた八紘嶺(はっこうれい1,918m)は三角点峰で3等三角点「白崩」がある。展望は樹間のごく狭い隙間から覗く程度。安倍奥東尾根との結節点で、安倍川の最奥梅ヶ島から登るのが一般的だ。東尾根はバラの段、大笹ノ頭、大光山と続く。取りわけ存在感のある十枚山には平成15年4月季節はずれの雪が降った翌日に登っている。八紘嶺から北は静岡県境を離れ山梨県身延町と早川町の町界尾根となる。樹林帯の中を200m近く下降し最低地の“インクラ跡”に着く。昔伐採を行った際に作ったらしい櫓の残骸が残り、お題目の旗が立っていた。七面山に近づいたのだ。
余談だがインクラインとは通常物資輸送用の鋼索線(ケーブルカー)を言うが、こんな所に軌道を付けるはずはなく、本来は索道(ロープウェイ、リフト)と言うべきところだろう。インクラ跡から下った以上の登り返しとなり“第2三角点”言われる3等三角点「椹森」に達するが展望はなし。なだらかな起伏を越えて展望が開けると喜望峰(1,980m)に到着。西側の笊ヶ岳に増々近づいた。この頃から快晴だった空に雲が懸かり出した。天気予報のとおり梅雨前線が南下し出したようだ。
早朝は標高が高く比較的涼しかったが、10時を回るとやはり暑さが厳しくなってきた。でも昨日の平地からの登りを思えば相当楽だ。凹地や二重山稜の複雑な地形を進み、最後の登りで七面山だ。樹林帯の中にぽっかり空いた広場に達すると山頂標識や2等三角点「七面山」(1,982m)がある。いかにも山頂という感じなのだが実は本当の山頂は南西200mのところにある最高点で標高は1,989mある。殆どここまで来る人はいない。実は、かく言う私も同様で平成13年5月に登ったとき“山頂”を目前にこの三角点で引き返してしまっていた。これが悔しくて悔しくて今回のリベンジとなった次第。八紘嶺側に少し戻り鞍部から微かな踏み跡を辿ると本当の七面山山頂に至る。山頂は八畳ほどの広さがあるが、山頂を示すものは何もなかった。しかし5年越しの“登頂”に達成感を得て満足した。
三角点に戻ると方向指示盤に置いたザックにスズメバチが群がっている。蜂は黒い物に寄って来ると言うのは本当らしい。昔は南アルプスの展望が利いたようだが、樹木の成長で遮られ全く展望はなくなり、方向指示盤も無用の長物になってしまっている。参道を登って来た男性が一人いて、この山行で始めて会った“登山者”となった。
三角点から北はよく歩かれている道。七面山の東に広がる崩壊地は「ナナイタガレ」とか「ナナイタレ」とか呼ばれている。5年前はガレの縁を歩けるところもあったが今は全く内側を歩かされ下の方の展望所以外、崩壊地を見ることはできなくなっていた。やがて車道ほどの道幅になり荷揚げケーブルの終点を過ぎると巨大な宿坊のある敬慎院に到着した。立正佼成会などの白装束の参拝団の目的地だ。殆どの参拝団は春木川の明浄院から登り、肝心坊、中適坊、晴雲坊の宿坊を経由して来る。先達の拡声器での声に合わせてお題目を唱えながら登る。その団体も100人単位で中には500人を超えることもあるそうだ。敬慎院の門前には富士山と正対する展望台があり、春秋の彼岸の日には富士の山頂に日が登るという。如何に信仰の山であることか。
敬慎院からはメインの参拝道は通らず北の奥之院へ向う。車も通れる広さで良く整備された道。奥之院は巨大な岩に注連縄が張られ、坊の中では10数名の信者が屯していた。さらに800mほど進むと雨畑への分岐点が出現。昭文社の登山地図には細点線道。インターネットで調べても情報が全くなく状態が分からなかったが指導標があり意を強くした。車道ほどの道幅があり整備されていたようだが、今では殆ど歩く人はないようで落石、倒木、落ち葉で結構荒れている。しかも地図では分岐点の標高は1,520m程と見ていたが実際の分岐は1,600m付近、奥之院からも近過ぎ地図とはどうも違う道のようだ。樹林帯で何処を歩いているのか皆目分からないが、雨畑の対岸に渡るのはダム湖に架かる吊橋しかなく、行きつく所は同じだろうと踏んでどんどん進んだ。
北陸地方に大雨を降らせた梅雨前線は南下しいよいよ空が持ち堪え切れず、雨が落ちてきた。木立で遮られ登山道が濡れ出すまでに若干の時間があったが、諦めて雨具を着ける。広い登山道なので上は傘で済ませた。下り続け徐々に標高を下げると反比例して気温が上がる。下りだと云うのに汗がひどくなってきた。体温も上がり結構辛い。一度休憩を取ってCool down、標高470mの吊橋に真っ直ぐ入って行くはずだったが、雨畑川の河原に飛び出してしまった。やはり地図にある道ではなかったようだ。後で聞いた話では1本南の尾根に道が付け代えられていたようだ。河原は浚渫工事のダンプが行き交う工事現場。吊橋に取り付く道を探しウロウロしていると、人の良いダンプの運転手が教えてくれた。もっとも不法侵入者として退去させたのだろうが・・・
雨も止み雨畑湖を渡る吊橋は長い。人ひとりが通れる狭さで揺れもすごい。足元から湖が見えスリル満点。渡り終えると舗装道路を歩く。奥谷沢の合流点に架かる橋の袂から崖に付いた短絡路で馬場の集落をショートカットし老平へ、地元のお婆ちゃんが優しく声を掛けてくれ癒された。老平からキャンプ場までは車道を登る。走る車もなく大汗を掻いてもう少しで到着という処で、広河原に追悼に行ったご一行の車列が追い付いた。皆との再会を喜び「乗って行け」と言ってくれたが、ここまで来ればもうやけくそ、最後まで歩き通した。
本当は翌朝一人で広河原に往復するつもりだったが、体調を慮って中止した。Fさんゴメン。
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