奥穂高岳・ジャンダルム《日本百名山》
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- GPS
- 22:55
- 距離
- 28.4km
- 登り
- 3,002m
- 下り
- 2,985m
コースタイム
- 山行
- 6:13
- 休憩
- 1:44
- 合計
- 7:57
- 山行
- 6:50
- 休憩
- 1:35
- 合計
- 8:25
天候 | 1日目(8/19):曇後時々晴れ 2日目(8/20):晴れ後一時曇又は霧 3日目(8/21):霧後晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2017年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
第1日目(8/19):曇後時々晴れ
太平洋高気圧の張り出しが弱く、湿った空気が日本列島に流れ込み続けている。東京では21日連続の雨、北アルプスでも例外ではないようだ。名神を走っているとき愛知県の南の空が雷光で光っていた。この日は中央道で土砂崩れがあり車4台が巻き込まれたとニュースは云っていた。東海北陸道は天候が崩れることもなく新穂高の手前まで来た。神坂から先は5時まで通行止めで、長い列ができていた。解除と同時に動き出し、無料駐車場を目指したが既に満車、穂高センター前の駐車場に止めた。2泊で2,000円。
同行者の乗った毎日アルペン号は上高地や鍋平に立ち寄りずいぶん時間が掛かり6:30頃到着した。早速歩き始め右俣林道を進んだ。穂高平への登山道分岐を見過ごし林道を遠回りしてしまったが、まあ大したロスではない。穂高平小屋の前で少し休憩し更に林道を進むと若い男性が追い越して行った。この男性何と白出沢から奥穂高岳に登り日帰りすると云う。健脚さに脱帽だ。西穂から始まる柳谷は深く切れ込んで対岸が崩れている。ネポリ谷を過ぎて300m程進むと奥穂高岳への分岐に達した。山小屋関係の車が止められた広場から登山道が始まるが、露を含んだ草が結構被っているのでスパッツを付けて登山道に入った。
暫くは白出沢(しらだしさわ)左岸尾根の樹林帯を登る。暑くて汗が噴き出した。この登山道は長く一貫して登りが続き標高差1,450mで主稜線に達する。樹林帯の登山道で標高差550mを登り漸く白出沢が見えると最早北アルプスの険しい様相で両岸が迫り梯子で川面に下り4本の角材を組み合わせた橋で右岸に渡った。渡ると直ぐに川床から逃げるように10mに近い梯子で岩の上に乗った。すぐ東側には天狗沢が南に分かれ大きな雪の塊が横たわっていた。
高巻きで進むと鉱石沢の出合で白出沢は落差50m余りの白出大滝が南東に見えた。岩壁の隙間を流れ落ちる滝で白出沢最大の見せ場だ。鉱石沢から白出沢との境の尾根の樹林帯を進むと荷継小屋跡の石垣を見て荷継沢に出た。此処で昼食休憩を取り再び白出沢に入り後は水の涸れた大岩の埋め尽くす沢を只管登った。やがて目指すコルが遥か上方に眺められ目的地点がはっきりしたが、歩けど歩けど近づかない。
下って来る人の話を聞くと昨日は酷い天気で全く青空はなかった。下り出してやっと青空が見えたと言っていた。左岸を歩いていた時雲の中に突入して今日はダメかと諦めていたが青空は嬉しい。ガスに覆われたりしながら徐々に天気は良くなり白出ノコルに達する頃にはしっかり安定してきた。折しも荷揚げヘリが小屋を目指して飛んで来た。沢の下から見えていた柱のようなものは穂高岳山荘の焼却炉の煙突だった。コルに達し小屋の入口に行こうとすると荷揚げヘリが来るからと小屋の角で止められた。今日は3回来るので暫く出ないように指示があった。
予定より1時間半程早く付き、お待ちかねのビールで乾杯! ロング缶は800円で一番搾りかラガーしかなかった。夜中の0時半から起きているので昼寝がしたかったが夜の快適な睡眠を得るため我慢した。夕食は3回転で到着順なので17時から食べて早々に眠りについた。
第2日目(8/20)
今日は焼岳小屋まで行くので4時前に起床した。ご来光を奥穂山頂でと云う人たちは既に動き始め山腹をヘッドライトの光が動いていた。朝食(自炊)を済ませると直ぐに歩き出した。ご来光は5:02だが小屋で見られるのは5:20頃とのことで山頂までは行けないが途中斜面のどこからでも見られるので安心だ。
今日は何日ぶりかとう云う晴れた朝で上空には雲一つもない。しかし日が昇る常念岳と蝶ヶ岳の間の水平線には雲がありその上から出たときはご来光の赤い日ではなかった。5:18山頂までもう一歩のところだった。奥穂高岳(3,190m)山頂に到着するとご来光組は既に先に進んだようで混雑は終わっていた。穂高神社の嶺宮が最高所に鎮座し360°の展望が得られ日本百名山・北アルプス最高峰からの景色を楽しんだ。槍ヶ岳、立山、後立山、北信五岳、志賀高原、八ヶ岳、富士山、南アルプス、中央アルプス、御嶽山、乗鞍岳、そして今日のルート上のジャンダルム、西穂高岳、が見えるが焼岳だけは雲を纏っていた。西の方には笠ヶ岳、黒部五郎岳、薬師岳等も素晴らしかった。
10分ほど休憩している間に焼岳に掛かっていた雲が取れ、頂が見えるようになった。縦走路は天狗のコルへの長い下りで330m余り標高を下げた。岩稜が続き鞍部に到ると天狗沢を下る岳沢ヒュッテへの道が分岐した。ジャンダルムからの下りでこの道を通ってきた人たちと出会った。再び切れ立った壁に取り付き天狗岳(2,909m)に登頂、2.5万図には「天狗ノ頭」と記されているが現地の標識は「天狗岳」だった。縦走路の先には間ノ岳が聳え標高はほぼ同じ2,907mで途中の天間のコルは80m程切れ込んだ。
間ノ岳山頂に到ると西穂山荘からの縦走の4人パーティーが休憩中で「間ノ岳は未だ先ですか。」と聞かれたので「これですよ」と岩に白ペンキで書かれた「間ノ岳」を指し示すと、「あ!間ノ岳!」と驚いていた。天狗岳を振り返るとガスが上がってきて山肌を包みだしていた。次のピークは赤岩岳(2,870m’)だが山頂を示す表示は見当たらなかった。大休止を取り栄養補給をした。
次は西穂高岳(2,909m)だがその手前に一寸したピークがある。険しい岩の隙間を足掛かりに這い上がると白ペンキで岩に直接「P1」と書かれていた。標高は2,900m程度で西穂までは大した括れもなく至近距離だ。ガスが西穂の側面に上がってきたが山頂に沢山の人がいるのが分かる。西穂高岳迄来ると西穂山荘やロープウェイからのピストン登山者が多く山頂の人達は皆そうだった。何処から来たと聞かれ「奥穂から」と答えると山頂の人達の視線が一斉に此方を向いた。一寸優越感を感じ「今朝は快晴でよかった」と続けると益々羨ましがられた。山頂には3等三角点「前穂高」が設置されているが傾斜のため成果状況は停止されている。
西穂高岳から西穂山荘までの間で名のあるピークはピラミッドピークと西穂独標しか無い筈だが、小さなピークが沢山ありその一つ一つに1峰から11峰まで名前が付けられていた。1峰は西穂高岳で、4峰はチャンピオンピーク(2,900m’)、8峰はピラミッドピーク(2,772m’)、11峰は西穂独標(2,701m)と呼ばれている。7峰付近には“たぬき岩”と云う表示があり飛び出した岩の上に将に狸が座っているような岩があった。完全にガスの中に入ってしまい視界は奪われた。ピラミッドピークにはしっかりした山頂標識が設置されていた。
西穂独標山頂に到ると沢山の人がいた。膝を痛めスピードダウンしていた同行者は焼岳山荘までは行けそうにない一人で行けと云うがそう云う訳にはいかないので今日は西穂山荘泊まりとすることにした。もう急ぐことはないので山頂で20分ほど休憩していると20人余りのツアーが直下の平地にザックを下して休憩しだした。「下りるなら今のうちだ」と下り始めたがあと3mと云うところで彼らは登り始めた。この待ち時間の長かったこと・・・
独標からは穏やかな稜線になり長い下りでもどんどん人が登って来た。ロープウェイで来て独標まで往復する人も多い。丸山(2,452m)はほんの膨らみだけの山だが展望が良く登山者が憩っていた。丸山まで来ると西穂山荘は指呼の間で、やがて赤い屋根が見えてきた。傍らには東邦大学の診療所があり夏場は常駐しているのだろう。
13:14山荘に到着1泊夕食付(\8,500)でチェックインすると通された部屋では一番乗りだった。荷物は通路に置き一人1枚の布団が宛がわれた。標高の下がった分穂高岳山荘よりは宿泊料も缶ビール(\700)も一寸お安めだった。小屋前で湯を沸かそうとするとライターの調子が悪く四苦八苦していると隣に座った単独行の男性がすっとライターを差し出してくれた。その後話をすると明日ジャンダルムを目指し最後は槍ヶ岳まで行く予定だという。木津川市の男性だった。
3日目(8/21):霧後晴れ
朝起きると霧、ご来光を見に丸山を目指すツアー客が(必要無いと思うが)雨具に身を固めヘッドライトを点けて先発した。昨日話をしていた木津川市の男性とは会えず5時丁度に出発した。急斜面を10分程下ると上高地への道が分岐した。焼岳への縦走路を進むと左手にきぬがさの池が見えてきた。谷の源頭に当たる地点で近づく道は無い。昨夜は雨は降らなかったが霧が下草にたっぷり露を与え裾を濡らしだした。登山道は泥濘み田圃状態で投入された枝や切株を頼りに進むが靴は泥んこになってしまった。
P2181が一つ目の目標かと思っていたが登山道は西側を巻いていた。登り返しに入ると槍見台の登りで幾分霧が薄れ上空に青空が覗きだした。槍見台(2,250m)に達し振り返ると西穂高岳やジャンダルム、前穂高岳、明神岳が霧に浮かんでいた。槍見台の南の肩に小さな池があるが2.5万図にも名前は記されていない。
鞍部からの登り返しは100m近くあり、割谷山(2,224m)に近づくが登山道は北西を通り山頂は通っていない。3等三角点「割谷」が置かれているので登山道がある筈だと探したが道はなく急斜面を藪を漕いで登頂した。勿論同行者は登らない。山頂部は樹林帯から飛び出し遮るものはないが、再び覆い出したガスで周りを展望することはできなかった。山頂標識はなく、三角点だけが綺麗な状態で鎮座していた。最後のピークであるP2229も南の肩を掠っただけでピークは通らず下りになった。
新中尾峠に到る稜線の鞍部にも小さな池があり登山道は西側の側面を下り焼岳小屋に達した。宿泊者は全て出発した後で小屋番が清掃中、上高地からの登山者が登ってきている時間だった。暫く休憩して岐阜県側の中尾温泉を目指して下山に掛かった。地形が複雑で焼岳小屋は新中尾峠を北に少し下った所にあり、焼岳へは此処から稜線を南西に進み中尾峠を越える。小屋からの下山路は500m下った所で中尾峠から下って来た道と合流した。谷間の道を進んで行くと秀綱神社に到った。戦国時代飛騨の領主であった三木自綱(よりつな)は佐々成正の配下となり秀吉に抗したため滅亡した。その二男である三木秀綱は松倉城主であった。秀吉の命により金森軍の討伐に敗れ信濃へ落ち延びようと夫人と共に平湯峠〜安保峠を越えて信濃への逃亡を図った。しかし秀綱は角ヶ平で、夫人は島々で夫々土民に襲われ落命した。この付近には他にも秀綱神社や秀綱を祀る神社が何か所かあるようだ。
急な斜面をジグザグに下ると同行者の膝は悲鳴をあげ、更にスピードダウンした。“鍋助横手”と看板のある所で休憩した。暫く行くと樹林越しに白水ノ滝が望め何処か展望地はないかと探すと草生した古道の跡があり入って行くと白水谷の断崖の縁に出ることができた。落差45mの滝で対岸に美しい姿を晒していた。古道の縁はかなり崩壊が進んでいるようなので、今の登山道に付け替わったようだ。苦労して見に行ったがもう少し下ると登山道からの展望地があり標識も掲げられていた。
あと一曲り下ると林道に飛び出し富山ナンバーの車が置かれていた。割谷に進む林道の終点で焼岳登山口と標識が掲げられていた(標高1,425m)。かなり下にゲートがあるのでどのような関係の車なのだろうか。白水谷と割谷が合流し足洗谷となる。両谷の間の尾根を下ってきたが合流点の手前で登山道は割谷を木橋で渡る。渡ると直ぐに先ほどの林道に合流し此処に登山口(標高1,243m)の標識があった。温泉施設があるだけの林道を下るとゲートがあり、車の走れるエリアとなった。もう少し行くと登山者用の駐車場があり途中で出会ったパーティー分の車が置かれていた。同行者とザックを置いて新穂高迄車を取りに行きたいが道端で待たせるわけにもいかず中尾キャンプ場の入口で同行者を残して先に進んだ。4.5劼瞭残だが中尾温泉口からは上り坂で大汗を掻いて40分で到着した。
穂高センター前の第3駐車場は入口が閉鎖され無人、平日の今日は営業していないようだ。2泊分先に払ってあるので柵を除けて出庫し中尾キャンプ場に引き返した。西穂山荘で貰った割引券の中崎山荘の温泉に入るため同行者とザックをピックアップし再び新穂高へ、800円のところ700円で入浴することができた。東京に帰る同行者をロープウェイ駅に送り今日のもう一つの目的、中尾温泉口にある河原の露天風呂“新穂高の湯”を目指した。無人の施設で混浴、水着で入ることができるが温すぎて落ち着かず10分程で上がった。平湯温泉に立ち寄りお土産を買って帰路に着いた。
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