2年越しの表銀座縦走(中房温泉〜燕岳〜槍ケ岳〜上高地)
- GPS
- 104:00
- 距離
- 37.1km
- 登り
- 2,817m
- 下り
- 2,752m
コースタイム
- 山行
- 8:20
- 休憩
- 0:40
- 合計
- 9:00
- 山行
- 9:50
- 休憩
- 1:10
- 合計
- 11:00
- 山行
- 7:20
- 休憩
- 1:30
- 合計
- 8:50
- 山行
- 6:40
- 休憩
- 1:00
- 合計
- 7:40
- 山行
- 1:40
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 1:40
天候 | 26日(水)雨 27日(木)霧後曇り時々晴れ 28日(金)晴れ時々曇り夕方から雨 29日(土)雨後曇り 30日(日)雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2015年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
タクシー 自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
登山ポストは中房登山口にある。表銀座というだけあって全体的に整備され、迷うところはない。ただし、大天井ヒュッテからビックリ平の途中、赤岩岳付近では複数匹の猿が登山道付近で餌をあさっていて少し注意が必要だった。 喜作新道(喜作レリーフ付近)〜ヒュッテ大槍間はアップダウンを繰り返すが、特にヒュッテ西岳から水俣乗越までは梯子や鎖場もある急勾配を下り、乗越からはしっかりと三点支持をしながら岩場を登ったり、急な梯子の上り下りをしたりしながら進む。 殺生ヒュッテから横尾までの下りは大雨が降っていたこともあり、沢の水が登山道を流れていたり、水たまりがあったりして乗り越えながら歩く必要がある。 ヒュッテ西岳でテン泊の場合トイレは毎回100円必要。殺生ヒュッテはテン泊者のトイレ使用料はテン泊代に含まれる。他はテン泊していないので不明。(宿泊者以外はチップ制、有料になっている) 水場はババ平下の赤沢岩小屋(水道とトイレを作り直したばかりのようだった)、槍沢ロッヂ、上高地に入ってからは無料。(第一ベンチの水場は未確認)それ以外は200円/ℓ。 ヒュッテ西岳のテント場はヒュッテと少し離れていて、トイレと逆方向になり遠い。 |
その他周辺情報 | 今回泊まった所 燕山荘 いつも「泊まりたい山小屋」の上位にランクインする小屋。外観も食事もス タッフも素晴らしい! 徳澤園 井上靖 の「氷壁」の舞台となった上高地の宿。外観も内装もしっとりとしてい て木のぬくもりが感じられ美しい。宿泊客は風呂に入れるのもありがた い。併設の食堂「MITIKUSA」のソフトクリームは絶品。コーヒー(トラジャ だった)も香りが豊かでおいしかた。数年前に訪れた時に食べた「山の手作り カレー」も食べてみる価値あり。落ち着いた雰囲気でよい。 |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
Tシャツ
ソフトシェル
タイツ
ズボン
靴下
グローブ
防寒着
雨具
ゲイター
日よけ帽子
着替え
靴
サンダル
ザック
ザックカバー
昼ご飯
行動食
非常食
調理用食材
飲料
コッヘル
ヘッドランプ
常備薬
保険証
携帯
時計
サングラス
タオル
ストック
カメラ
ポール
テントマット
シェラフ
ヘルメット
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共同装備 |
サブザック
ガスカートリッジ
コンロ
ライター
地図(地形図)
コンパス
計画書
予備電池
GPS
筆記用具
ファーストエイドキット
ロールペーパー
ツェルト
テント
|
備考 | 着替えを持って行ったが、できるだけかさばらないように、もう1セット持っていくと雨が続いたときに対応しやすい。また、全行程テン泊の予定だったが、大雨でテントが張れなかったり、使えなくなってしまったりしたので、急遽、2日間は小屋に宿泊した。宿泊代はそれを想定して持って行ったのであわてずにすんだ。 |
感想
昨年の夏に計画していた表銀座縦走だったが、6月に尾瀬で妻が骨折、7月中旬に私の大病で中止。1年間温め続けた計画だった。
《1日目》
25日夜、職場での宴会後10時頃帰宅、酒はドクターストップなので飲まず、仮眠後26日2:00に出発。今回は豊科の安南タクシーの車の回送を予約してあったので高速を走って安曇野インターで下り、安南タクシー豊科本社へ5時過ぎに到着。車は下山日に沢渡の茶嵐ドライブインに回送してもらうことにして、簡単な手続き後、タクシーで中房登山口へ向かった。
登山口から雨の中、急登を登り始める。ほぼ1時間刻みで到着するベンチを目標に登るが、25坩幣紊硫拱を担いで登っていると次第に足が痙攣し始める。妻はそうでもないが、私は若い頃からかなり体のあちらこちらが痙攣しやすい体質のようだ。
道は花崗岩が出ていて、長石や石英などの砂場もあり白っぽい。
「スイカ、スイカ」とそれを食べることをひとまず目標にしながらようやく着いた合戦小屋で昼食。雨に濡れた体に山菜うどんの温かさがありがたい。でも、「ここへ来たらスイカでしょ」ということで、ちょっと寒いけれどスイカも食べた。名物というだけあってさすがに甘くておいしい・・・
昼食後、カッパを着て再び雨の中、燕山荘へ向かう。燕山荘ではテン泊予定だったが、雨なのでこれからの行程でテントが使えるようにと急遽山荘へ宿泊することにした。燕山荘は「泊まりたい山小屋」1位にランクされることが多いだけあって、外観も美しく、食事もホテル並みにおいしい。ウィークデーだったので割合すいていた。
とはいってもそれなりに宿泊者はいたが。本当ならもう少し早く到着してテントを張り、燕岳山頂を往復する予定だったが、雨が結構降っているし、霧で見通しも悪いし、時刻も予定より遅いので明日の朝に変更した。
《2日目》
夜は雨、明け方は霧。6時前に小屋を出て、燕岳山頂を目指す。山頂に近づくにつれて少しずつ霧が薄くなってくる。それ程アップダウンもきつくなく、何より重い荷物は山荘にデポしてあるので足取りも軽い。イルカ岩やめがね岩を通りすぎ山頂に到着。妻と「やったね!」とハイタッチ。写真を撮って下山をはじめて振り返ると、すれ違った二人のお嬢さんたちが山頂に立っている姿が見えた。大声で「写真を撮らせてもらっていいですかぁ〜」と声をかけると快くポーズをとってくれたので一枚撮影をさせていただいた。
燕山荘にもどり、ヒュッテ西岳にむかって出発。しばらくは気持ちのよい稜線が続く。でも早朝ほどではないが雲が多くすっきりとしない。時々見える山々に「槍ヶ岳はいつ姿を見せるか」と期待しながら歩く。
喜作レリーフのあたりから上り下りがきつくなる。常念岳方面の分岐を過ぎ、暫く行くと「大天井ヒュッテ 30分」の表示。「よし、もうひとがんばり」と歩を進めるが30分経っても小屋の姿が見えてこない。「え〜、だまされているのか・・・」なんて思いが。やがて眼下に赤い屋根。でもたどり着くにはまだまだ時間が必要だった。
ヒュッテのベンチでお昼のおにぎりとお茶をとり、さらに西岳方面へ進む。ヒュッテを出て少し歩くと、異様な物音と声。見回すと、道のすぐそばに、数匹の猿が出ていた。目を合わせないように通り抜けた。猿は赤岩岳にも群れていて、ハイマツの実をあさっている。こちらもなんとか通り過ぎる。
西岳ヒュッテまで予定外に時間がかかり、テン泊の手続きをしたときには、「こんなに遅くに稜線を歩いては危険。もっと早く着くように。」と注意されてしまった。
もちろん、百も承知だが、どうにもならない。「燕山荘からこんなに時間がかかるかねぇ」とあきれられたが、自分たちは人よりも歩行速度がかなり遅いのでそれなりの計画を立てたつもりだが、なぜこんなに時間がかかってしまったのだろう。とにかく、距離が長くてかなり疲れた。
ここのテン場はヒュッテから離れていて、トイレもヒュッテを挟んで反対側にあるので遠い。使用料がテン泊代金に含まれる所もあるのだが、ここのトイレは使う度に100円が必要だった。
《3日目》
2日目のは夜は、ぱらぱらと雨が落ちたが、辺りをぬらすほどではなく、朝は雲が切れ始め、日の出を迎えることができた。東の常念岳や堋務戮了魁垢美しい。西の槍ヶ岳方面は上に雲がかかっていてすっきりとしない。でも、出発する頃には雲が晴れ、青空の中に槍ケ岳が見えた。
「槍ヶ岳がきれいにみえるなぁ。あそこまで行くんだぞ。」とつぶやいた私を見てキョトンとした妻の「えっ?」と言う声。「だから、あそこに登るんだよ。」というと、なんと、「いつ?今回じゃないよね。」とのたまうではないか。私が「今日登る予定だよ。」というと「うそ〜 全然聞いていない!」とそれこそ私がビックリするような発言。綿密な登山計画も作って渡し、予定を話したはずなのだが、どうやら燕岳に登ることばかり頭にあって、槍ヶ岳登頂はとんでいたらしい。「え〜登れるかなあ」と心の準備をしていなかった妻はかなり不安になっている。かまっていられないので、何はともかく、槍ヶ岳を目指して出発!
ヒュッテ西岳から水俣乗越へは急な坂を一気に下る。
水俣乗越からの東鎌尾根は大槍ロッジまで岩登りや梯子を使っての上り下りが続くのでヘルメットをかぶりストックは収納してしっかりと三点支持で登れるようにした。荷物が重いのでバランスを崩すと荷物の重さで滑落しかねない。慎重に慎重に上り下りを繰り返す。
大槍ロッジのすぐ下まで来て見上げると、なんと槍ヶ岳が大きく見えることか・・・。
大槍ロッジを過ぎたところで、槍ヶ岳、その下の槍ヶ岳山荘、さらに下の殺生ヒュッテが見えてきた。ここで突然考えた。予定では槍ヶ岳山荘でテン泊。でも、翌日、上高地への下山することを考えたら、500mほど下の殺生ヒュッテのテン場に宿泊した方が効率的なのではないだろうかと。時間はまだ昼前。殺生ヒュッテでテントを張って、山荘よりは幾分時間はかかるが重い荷物をテントに置いて、山頂を目指した方がよいのではないかと。
これを妻に提案するとすぐに了承。ヒュッテ大槍の先の分岐で東鎌尾根を外れ、殺生ヒュッテに向かう。分岐からはすぐそこに見えていたのに、ヒュッテにはなかなか到着しない。山ってそうなんだよね。すぐ近くに見えていても、本当はかなり先にあるなんていうことが結構あるんだ。そして、山の100mの遠いこと遠いこと。
平地の1劼覆鵑討垢阿吠發韻襪里法∋海里修譴呂修硫診椶發了間がかかってしまう。「○○まで◇辧廚覆鵑討いι玄韻砲弔い世泙気譴董癖未砲世泙靴討い襪錣韻任呂覆い里世、私の心の中ではだまされた感覚になっている)気合いを入れて歩くと、やがて気持ちが萎えてしまう。
ようやくヒュッテに到着し、手続きをしてテントを張る。天気は上々。少し雲が多めではあるけれど、青空もあり、槍の穂先もよく見える。設営が終わるとカメラと水をサブバックに入れて山頂へ出発。槍ヶ岳山荘のテント場に設営すれば、山頂へのとっつきまですぐだが、500mほど下のヒュッテなので、まずは山荘を目指す。とはいっても、荷物は軽くなっているのでスイスイと登れる。これまで後から来る登山者に追い越されることは数多くあったけれど、追い越すことなど全くなかった私たちが、重い荷物を背負って山荘へ向かっている人たちを追い越しながら登れる。私たちの歩が遅いのはやはり荷物が重いせいだったのだと、自分に納得している私がいた。そして、今度の山行きではとにかく荷物を少しでも減らして軽くしようと心に決めた。そのためにはテン泊でなく山小屋泊も考えてみよう。
山荘まで登るとそこは素通りして、すぐに山頂に向かうべく岩場にとりつく。岩登りとほとんど垂直な梯子の連続。遠くから岩場にとりついている登山者の列を見ながら、「これじゃ槍ヶ岳じゃなくて蟻ヶ岳だな」なんてくだらないことを考えて一人でにやけていたが、いざ自分がとりつくとそんなことはどこかにとんでしまい、落ちないように足場を確保しながら必死で登った。とりつきから山頂までは距離200mほどなので、しっかり登ればそれほど時間はかからない。山頂に到着してすぐに祠にあいさつをし、写真撮影。少し遅れて登ってきた妻は、「本当に登っちゃったね。」と彼女の今回の予定には描いていなかった登頂に感慨もひとしおのようだった。
山頂からの下りは登りよりも気を遣う。途中、ばらばらと雨が落ちてきて岩肌や梯子をぬらしたので滑って滑落しないように余計慎重になる。
無事山荘まで下りて「おでん」を食べながらひと休み。ところが、その間に雨。結構しっかりと降り始めてしまった。雨に濡れながらテントへ向かう。「やぱり、カッパを持ってこなかったのはおろかだった」と後悔先に立たず。その晩から朝まで激しい勢いで雨が降り、テントの中にも水がたまるほどだった。
《4日目》
昨日降り出した雨が朝から続いている。びっしょりにぬれたテントを撤収して、下山を開始。登山道周辺には8月下旬でもけっこう高山植物が残っている。雨のしたたるカッパから少しずつ中にしみてくる。
ババ平を経て槍沢ロッジに到着。ここで少し遅い朝飯。水を補給してさらに下山。槍沢ロッジ辺りから雨はやみ始めていた。横尾でひと休みして、徳澤園に向かう。横尾からは2年前、奥穂高岳に登ったときに通った道。その時に徳澤園のみちくさ食堂で食べたカレーとソフトクリームを思いだす。特にソフトクリームは今回の初日から食べたい欲求にかられていた。とりあえずどこのものでもよいので、山小屋で休む度に探したが扱っていなかった。だからなおさら、徳澤園が近づくにつれてソフトクリームが脳みそを占有する度合いが増してきた。
徳澤園に到着する少し前に再び雨が落ちてきたのでカッパを着用。結構ぬれた。予定では徳澤園でテン泊だったが、あのびしょびしょのテントでは一晩過ごせないので急遽宿に泊めてもらうことにした。すると「お風呂にはもう入れますよ」というスタッフの言葉。「えっ、風呂?」ここで風呂に入れるとは思ってもいなかったので妻も私も目がキラン!と輝く。ここで入れるとは、4日間の疲れを溜め雨に濡れた体には本当にありがたかった。この瞬間、脳みその中はあっけなくソフトクリームから風呂に主が変わってしまった。
とはいっても風呂から上がると、再びソフトクリームに頭の中が占有される。そして食堂でアイスクリームとドクターストップのビールを注文。ビールは量さえ飲まなければ・・・と自分勝手に決めつけ、右手にジョッキ、左手にソフトクリームという変な格好で席に着いたが、やっぱりおいしかった。ちなみにビールは妻と半分こ。
夕食も豪華で、ここを山小屋と呼んでいいのかどうかは定かではないが、とりあえず山小屋的に相部屋が基本なので山小屋として、食事はその中でもかなりのハイレベル。
夕食後はふたたびみちくさ食堂でコーヒーを飲みながらくつろいだが、このコーヒーもなんとまあ、香りがよくちょっとそこいらで飲むものとは違っておいしかった。
《5日目最終日》
いったん止んではいたが、夜から激しく降り始めた雨は朝になっても止む気配すらない。音を立てて降っている。5時半に出発のため準備をしていると、同じ頃槍ヶ岳へ向かうというパーティーも準備をいていた。会話をしながら、「今日はやめた方がいいよ」と思ったが、年配の男女のパーティーは雨の中に出て行ってしまった。自分だったら、きっと次の機会を待つなと思っていた。
これが、パーティーの難しさだと感じた。自分と妻のように近い関係なら「やめよう」といってもすぐにそうできるだろうが、知り合い同士のパーティーではあっても、「やめよう」と言い出しても仲間全員が同じ思いになれるかどうか分からない。折角時間と費用をかけてここまで来たのだから「少し無理をしても・・・」という人もいるだろう。その人たちをもあきらめさせる結果になるからなかなか言い出せない。リーダーがやめると判断すればそうなるだろうが、それでもかなり気を遣うはずだ。
私たちは雨の中、バスターミナルへ向かって宿を出た。道には大きな水たまりがあちらこちらにできていて、それをよけながら歩を進める。明神館前で、さっき私たちを追い抜いていった男性が休んでいたので「どこからですか?」と声をかけた。話を聞くと槍ヶ岳山頂を目指して昨日横尾山荘まで行ったが、この雨なのであきらめて横尾から戻ってきたとのこと。単独行だから、自分の判断で誰に気兼ねすることもなく決断できたのだろう。私は「それが正解だと思いますよ。」と、昨日の下山時にずいぶん沢の水が登山道を覆っていた様子を話した。
明神を過ぎると小梨平のキャンプ場。あの雨でもテントをびっしょりにしながらかなりの人がテン泊していた。ここまで来るとターミナルまであとわずか。雨の早朝の河童橋付近は人影もほとんど無く、深閑としていた。そして、ターミナルに到着。
今回、強行すれば3泊でも何とか縦走できたかもしれない。でも、他人より行動の遅い私たちは徳澤園での1泊がとても貴重なものになった。日程的に心の余裕も出て、臨機応変に行動予定を修正することができ、それでもほぼ予定していた通りの行程で対応できた。テン泊を断念して泊まった燕山荘や徳澤園の心地よさも十分に味わうことができたし、3日間雨でもあわてることがなかった。
今回の山行で学んだのは、当たり前のことだが、どれだけゆとりのある計画を立てられるか、行程を修正できるだけの準備ができるか(今回は4泊とも宿に泊まってもよいような金額を携帯した)、大人数のパーティーになればなるほど諸々の決断に気を遣うし、難しくなるということ、必要な場面ではリーダの有無を言わせないような決断力が必要であるということだ。
山に登り始めると、そのきつさに「なんでこんな所に来てしまったのだろう」といつも後悔する。しかし、一つ一つピークを極め、下山してくると、後悔したことなど無かったように、「今度はどこに登ろうか」とも考えている。なんだかとっても不思議な気がしている。
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