拍子抜けした剱岳・立山
- GPS
- 18:15
- 距離
- 27.8km
- 登り
- 2,691m
- 下り
- 2,707m
コースタイム
- 山行
- 5:02
- 休憩
- 1:44
- 合計
- 6:46
- 山行
- 8:34
- 休憩
- 1:43
- 合計
- 10:17
天候 | 9/4雨・9/5晴れ・9/6雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2015年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
ケーブルカー(ロープウェイ/リフト)
|
コース状況/ 危険箇所等 |
危険箇所は剱岳の鎖場 登山届は室堂階段踊り場 |
その他周辺情報 | みくりが池温泉 |
予約できる山小屋 |
|
感想
37年前のゴールデンウィークに、ユースホステルの仲間と黒部アルペンルートを旅し、雪の雄山に登った。
下山しようとすると、目の前に雷が落ちてビビッたことを記憶している。
この時こんな天候に現れる『雷鳥』の事を知った。
その後37年間、日本アルプスに登る度に『雷鳥』を探したが、出遭うことはなかった。
百名山を目指すつもりはないが、将来その気になった時のために、3年前から最も難易度の高い剱岳を、今のうちにクリヤしておきたいと考えていた。
ツァー会社の剱岳の募集要項を見ると、60歳以上はお断りになっている。つまり今年9月がリミットだ。
元々ツァーを使うつもりはないので、同行願える経験者を探すうちに3年が過ぎた。
大峯奥駈道など修行は充分に積んだ。仕方ない単独行で行く!
一人なので夜行バスを探すと、大阪-富山間をニ階建て三列トイレ付きバス『北陸ドリーム大阪1号』が往復約一万円だった。
【前日】
夜行バスの規約を見ると、荷物は縦横高さの合計が1m、重量10kg以下になっている。そんなんじゃ山に登れるわけがない!
しかし1.5m・14.5kgのザックを、何も言わずに乗せてくれた。
4列の狭いスキーバスを思えば天国だが、一階は天井が低く圧迫感がある。席も完全三列ではなく、タイヤハウスの関係で2座席と1座席に分かれている。
お隣がこのバスを毎週使っている常連さんで、お聞きするとこの席がベストだという。後ろがトイレでなのでリクライニングシートを160度倒して寝る事が出来た。
停車SAは多賀SAのみ。運転手は一人なので、運転手の仮眠と時間調整のために、尼御前にも1時間ほど停車するが、外には出れない。
【一日目】
早朝金沢に着き、JR西日本バスの営業エリアの関係か、運転手が入れ替わる。ほぼ定刻の6:48に富山駅に着き、7:06の立山行きに間に合った。
電鉄富山は普通にローカル線で、通学の学生が乗り降りするが、立山に着く頃にはアルペンルートの客に的が絞られてくる。
電車より乗用車・観光バスが多いのだろう。ロープウェイ待ちに行列ができている。それでも夏休みを過ぎた今は、満員ながら次のロープウェイに乗ることが出来た。
美女平から室堂まではバスで一時間。天気予報に反して美女平は雨だった。
本来は美しい高原を楽しむ所だが、ガスっていた。
室堂に着くと、イベントで10社ほどのスポーツ店が出店の設営を行なっていた。
まずはレインウェアに着替え、立山玉殿の湧水を頂いて、雷鳥沢キャンプ場ヘ向けて出発。この辺りはアルペンルートの観光客のために、遊歩道が石畳になっている。
剱岳アタックには剱沢キャンプ場がベストなのだが、山の吹き下ろしがキツく、ツェルト(簡易テント)では苦しいので、雷鳥沢キャンプ場にした。
ここをベースキャンプにすれば14.5kgの装備を背負うのは僅か1時間で、後は身軽に行動できる。管理事務所で1000円(二泊以上)を払いテントを仮置きし、今日は軽装で雄山を目指す。
昼飯を済ませ、大走り経由で雄山に直登するつもりが、GPSに入れたルートがあやふやだったのか、増水した川を渡っても向こう岸に道がない。
(旧道だったのか、渡河を示すデカイペンキは塗ってある)
コース外を歩くのはヤバイと思っていたところに、川向からキャンプ場管理人に「橋はあっちです!」と、大走りとは逆方向を指示された。
コースが見つからず、泣く々々浄土橋から左の剱御前小舎の大回りコースを取るハメになった。
帰ってから地図を見ると、浄土橋から右が大走りだった。
剱御前小舎まで一時間。結構きつい坂だ。ここが剱岳と雄山への分岐点になる。
ここで会った方に「え、今から雄山に登るんですか?」と言われ、ヘッドライトはある、いつも通りレスキューシートも持参だ、みくりが池温泉の入浴を割愛すれば、夕暮れには雷鳥沢キャンプ場へ着く…と、頭の中で計算していた。
立山の大半はガレ場で、ガスった荒涼とした風景の中を一人進む。
時折下山者に出会うが、聞くと、この先に登る人はいないようだ。
天気予報で今日・明日は晴れだったのに…
「まぁエエかぁ、雨が降ったら合羽を着るだけだ!」
真砂岳・富士ノ折立・大汝山・雄山と登っていく。ガスって風景は望めない。軽い高山病か、頭痛がするので、大きく深呼吸をして肺に酸素を入れる。
せめて雷鳥でも現れて楽しませてくれ!と言っても、37年会えない雷鳥がおいそれと現れるわけがない。
雄山に着くと二人だけ登山者がいた。神社に神主さんがいて、お祓いをしてくれるが、もう営業時間外だった。300円で御札を頂き参拝だけできるの、明日の剱岳登山の無事をお祈りした。
雄山の下山も、ガレ場で結構しんどい。今頃登ってくる方がいるので聞くと、30分ほど下った一の越山荘からだった。
一の越山荘から先は石畳で楽だ。
最後はみくりが池温泉の入浴と、風呂あがりのビールを予定していたが、この時間では断念…
それでもビールは諦めきれず、雷鳥荘を覗くとビールの自販機があった。ここまではヘリ輸送が不要なのか、山にしては安い!ロング缶一本いっちゃいました。
【二日目】
深夜まで雨がツェルトを叩いていた。
しかし5時に起きると明るい。ツェルトを出てみると青空が朝焼けに染まっていた。絶好の剱岳日和!昨日のお祈りが通じた。
昨日と同じ剱御前小舎へのコースも、快晴なら全くの別世界。緑と雪渓のコントラストを愛でながら、足取りも軽い。
剱御前小舎から剱沢キャンプ場・剱澤小屋・剱山荘コースを取る。ガレた下り道だが、素晴らしい山容に包まれて心が踊る。あれが剱岳か!
一歩々々と剱岳が迫ってくる。
カニの縦バイ・横バイの渋滞を避けるために、わざわざ遅い時間を選んだが、剱山荘では既に下山した方々がくつろいでいた。
外のベンチで、フランスパンにつぶあんをブチュ〜と盛って、ちょっと腹がごしらえ。
山荘のスタッフが「危険なので中に入ってください」と言うので中に入ると、輸送ヘリがやってきた。ヘリ自体はホバーリングして、ワイヤーで荷物をおろし、またゴミを引っ掛けて室堂へ戻る。数回繰り返して輸送するようだ。
さぁ靴紐を締め直し、ヘルメットを付けて、いざ剱岳にアタック!
一服剱への取っ掛かりで、単独行の70歳近いおばちゃんが下山して来た。「ガレ場なので、どこを歩いても登れるが、赤いペンキを目印に歩くと楽ですよ」と教えてくれた。
「60歳以上はお断り」はツァー会社の都合で、剱岳に年齢制限はない。その後も結構なお年寄りに出会った。
下から見上げるコースは直登に見えるが、結構ジグザグで、今まで歩いた修験道に比べれば楽なものだ。
しかし一服剱は疲労度的にホントに一服したくなるポイントで、下山者の多くが一服していた。
ここで花束を持った二人の山ガールにお会いした。聞くと剱岳でお友達を亡くしたという。私も心の中で、その方のご冥福をお祈りした。
山に登ることを目的にしてはいけない。無事家族のもとに帰る事こそが、最も大切だ。
ここから一旦下って前剱を経て剱岳。
平蔵の頭辺りで若者三人組の後を歩くことになったが、鎖場初体験なのか、鎖の上を歩くのを見てビックリ!
「鎖を手で掴んで、1mほど下にある足場に足をかけて歩くんです。スペースが有るからと言って鎖の上を歩くと、鎖に足を引っ掛けて危険だよ」と諭した。
いよいよカニの縦バイが近い。剱岳に来るまで、その危険性ばかりを聞かされ、土壇場でビビったらどうしよう!?という不安があったが、私は本番に強いタイプなのか、ワクワクしてきた。
「カニの縦バイ」のプレートを見て「来た・来た・来たぁ〜」とボルテージの針が振り切れんばかりの高揚感だ。鎖を掴み数本の杭を足場に、するすると登った。下からは見えないが上から見ると、大股になるが立派な足場がある。
「アレ、もう終わったん!?」30mほどの長さを想像していたが、10mもあっただろうか?拍子ぬけ・肩透かし・期待ハズレ!!!
大峯奥駈道の厳しい日々を返してくれ〜〜〜〜
っとは言うものの楽しめた。
人間は恐怖体験を脳に強く刻み付ける。ビビった人ほどブログに残すし、ツァー会社も絶対に事故があってはならないので、安易な気持ちで剱岳に来てもらっては困る。実際、今年も事故が起きている。
剱岳の危険度は体力・経験・度胸で人それぞれ。
ツァー会社は最も弱い人を基準に、募集せざるを得ないのだ。
山頂間近で下山コースのカニの横バイをみると、結構な渋滞になっていた。ツァー会社は鎖場の繋ぎ目で二本のハーネスをかけ直させ、声出し確認迄させていた。
渋滞の原因はこれで「こんな所でハーネスが必要な素人を剱岳に連れてくるな」と言う人もいるが、山は太古の昔からそこに座し、来る人を拒まない。
私もどんなに時間がかかろうと、登頂したいという登山者の気持ちを尊重したい。
剱岳山頂は素晴らしい天気だった。二年前は針の木岳・昨年は槍岳から見た剱岳に座し、今度は針の木岳や槍岳を眺める。
「ありがとう!」誰に言うともなく感謝した。
他のコースから登ってきたのだろう。ザイルやピッケルを装備した方もいた。
横バイの渋滞がこなれる時間を見計らっていると、下から雲が沸き立ってきた。
そろそろ潮時か…
カニの横バイは4人待ちまで減っていた。ヘルメットもしないベテランさんがひょいひょいと渡るのを見て、最初の一歩は右左どっち?と考え、ペンキで塗られた足場に右足を下ろした。ここも30mの鎖場を想像したが、10mもなかった。
前の方について行っていると、標識が知らない地名を示している。聞くと「室堂コースはあそこで左折だよ」と教えてくれた。剱岳は頂上で三コースに分岐している。危ないところだった。
ハーネスの団体さんに追いつくと、鎖場で10分ほど待たされるが、お先にどうぞといってくれる団体さんもいて、程なく剱山荘に着いた。
この時間にはベンチで酒盛りが始まっていた。
私も我慢できずに一人で祝杯を上げ、生中一杯。
ここに置いていったストックを回収し、朝きた道を戻る…つもりがちょっと見ぬ風景だ。GPSで確認すると剱山荘〜剱御前小舎の直行コースを進んでいた。
「まぁエエかぁ」と、そのまま進むと雪渓が残っており、40度の斜度をトラバースしなければならなかった。冬ならアイゼン・ピッケル必携のコースだ。
ザクザクの残雪で危険度は少ないが、ここで滑落してはシャレにならない。
幅50cmの絶壁を歩くように、ソロリソロリ歩く姿は、ただの酔っぱらいの奇矯に映っただろう。
雷鳥沢キャンプ場にたどり着くと、16時を回っていた。地図上では11kmだったはずが、GPSのログを見ると20kmあった。細かくジグザグに進むコースを累積するとそうなるのだろう。
剱岳の準備を3年前と考えるか、今年の大峯奥駈道と考えるかはともかく、とにかく終わった…
考え様によっては剱岳に呪縛された3年があっけなく終わり、これからどこに登るかは自由だ。
【三日目】
三日目は剱岳登山の予備日だが雨だった。目的を果たし今、もう一晩ツェルトで雨を過ごす気にもなれず、美女平の木道を歩きたい気持ちも萎えて、直行で帰宅することにした。
今年も雷鳥には会えなかった。
幸い撤収する頃に雨は止んだが、濡れたツェルトは重い。行きは楽だったコースも、帰りは以外なほどの登り坂に感じた。
みくりが池迄来ると、人だかりができていた。池の写真撮影かと思っていると「…鳥に会えてよかったね」と、声が聞こえた。
えっと思い近寄ってみると、雷鳥が怖がりもせずに、遊歩道脇に佇んでいた。
生まれて初めて雷鳥に遭えた!
言われるまで全く気づかないほど、保護色で風景に溶け込んでいる。
37年の間、私は幾度と無く雷鳥に遭いながらも、見つけられなかっただけなのだと悟った。
落雷とガスしか見せてくれなかった雄山の神様に感謝!
PS
帰りを早めたが、富山はJR西日本バスの管轄外で営業所がなく、往路便の変更もキャンセルも出来なかった。
バス券を捨てて、青春18切符の最後の一日を使い、鈍行で帰ることにした。
しかし若い頃は日本最長の急行『北国』を使い何度も往復したのに、富山に在来線が存在しないことに唖然とした。
北陸新幹線とともに、在来線は第三セクター鉄道に格下げされ、金沢まで青春18切符が使えない。
それでも追加料金を払い富山・金沢・福井・近江塩津(それぞれ20〜50分待ち)・尼崎と乗り継ぎ、夜7:30に帰宅した。
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