マナスル
- GPS
- 119:31
- 距離
- 88.6km
- 登り
- 10,246m
- 下り
- 10,432m
コースタイム
- 山行
- 7:41
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 7:41
- 山行
- 7:22
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 7:22
- 山行
- 7:45
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 7:45
- 山行
- 2:14
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 2:14
- 山行
- 6:56
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 6:56
- 山行
- 4:15
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 4:15
- 山行
- 5:36
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 5:36
- 山行
- 6:47
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 6:47
- 山行
- 7:53
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 7:53
- 山行
- 5:29
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 5:29
- 山行
- 6:39
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 6:39
- 山行
- 15:27
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 15:27
- 山行
- 11:20
- 休憩
- 2:10
- 合計
- 13:30
過去天気図(気象庁) | 2024年09月の天気図 |
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アクセス |
写真
感想
2024.9.6~28
ネパールのマナスル8163m
9/25に無事登頂できました。
8000m峰の中でも登りやすい山と聞いていましたが10m以上の氷壁をアッセンダーでよじ登ったり懸垂下降のセクションも数えきれないぐらいあり、私にとってはクライミング要素が高かったです。
サミットプッシュの時は、花火や山小屋の幻覚を見たり、酸素切れで気絶しそうになったり、自分の実力不足を痛感しました。
そして、登頂出来たのは強靭なシェルパ達のおかげ。頂上まで固定ロープを張って予備の酸素ボンベを背負って連れて行ってくれました。ほんとにありがとう。
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以下、日記
2024.9.4~7
デリー~サマ村
9/4 ~5
成田からカトマンズへのネパール航空の直行便が機材整備のために欠航となり、インド航空でデリー経由での移動となった。デリーではトランジットホテルで一泊して翌朝からカトマンズへ。カトマンズ到着後はローカルガイドのワンボックスカーで市内のフジホテルへ。ダルマートのランチを食べてからマンションの一室でお坊さんに安全登山のプジャの祈祷をしてもらう。晩御飯はローカルガイドの社長さんのお家で奥様の手作りモモ(餃子)を頂く。餡は水牛のお肉でタレはパクチーだった。
9/6
ヘリでカトマンズから登山口のサマ村へ移動。朝から移動の予定だったが天候不良で結局午後2時半ごろに離陸して着陸したのは3時過ぎ。しかも着陸したのはサマ村からかなり下の村で歩いて4時間ぐらいかかる。結局ヘリパッドにダッフルバックをデポしてザックのみを背負って1時間歩いて到着した村にあるホステルで宿泊した。急な宿泊にもかかわらず夕食と寝床を用意してくれた若いご夫婦には感謝しか無い。しかもヘリパッドまでデポしたダッフルバックを取りに行ってくれた。夜は暇だったので将棋大会をした。
9/7
翌朝から再度ヘリが迎えに来てくれるということなので宿泊した村のヘリパッドに行ったがなかなかヘリが来なくて1時間ほど待ってからやっと搭乗。10分ほどでサマ村に到着した。お昼は海苔巻きごはんとヤクの焼きレバーとお味噌汁。食後はサマ村を散策して地元の小学校を見学して2時間程度歩いた。晩御飯はトンカツ、ゴーヤやサヤエンドウの炒め物
2024.9.8
サマ村トレッキング
6時にspo2計測85、7時に朝食パンケーキを食べて8時過ぎに出発。今日は久しぶりに朝からいいお天気でやや肌寒い。サマ村から東に進んで昨日の小学校を通り過ぎ、突き当たった沢の左岸を登り、標高4050mのお寺までを往復するトレッキング。今のところ高度順応は上手く行っていて不調はない。目的地のお寺では倉岡ガイドにお会いして今年年初にアコンカグアでもお会いしたことを言うと覚えてくれていた。お昼は宿から持ってきたおにぎりのお弁当を食べた。今日は雲が多くてマナスルのBCから上はよく見えなかったが、お寺では少しだけ頂上が見えた。午後3時ごろにトレッキングから帰ってきてラーメンの軽食。ガイドの伴さんから高所でのハイドレーションの使い方についていくつかアドバイスがあった。高所ダウンの中にハイドレーションを背負うことや、飲んだあとに吹き戻してパイプ内での凍結を防ぐなど。実践するのには工夫や練習が必要だ。晩御飯はポテトコロッケに親子丼、親子丼は醤油と砂糖を少し入れると日本の味になった。
2024.9.9
サマ村トレッキング
6時spo2計測91、7時朝食目玉焼き丼、いい天気で暑くなりそう。8時に出発して北に向かいベースキャンプへの道から外れてビレンダル湖の北にある山の尾根を登る。狭い急なトレイルを4200mまで登り上げて東側の沢沿いに下山。途中で岩小屋の古いお寺に立ち寄って登頂祈願。宿に戻ったのは午後3時過ぎで今日も良い高度順応トレッキングができた。高度障害の自覚は特に無く、心配していたお腹の調子も悪くない。明日はいよいよベースキャンプ入り。
晩御飯は豚肉のハンバーグ。
2024.9.10
サマ村~BC
朝6時spoは80、いい天気。今日はベースキャンプへの移動なので朝から全ての荷物をリパッキング。ザック以外のダッフルバッグ荷物2つはポーターさんが運んでくれる。ありがたい。8時出発でマナスルベースキャンプへ出発。登山道は石畳で綺麗に整備されていて歩きやすい。途中で荷物を運ぶポーターさんやロバに追い抜かれながらゆっくり歩く。4300m付近の岩小屋で暖かいチャイをスタッフが用意してくれた。少し息苦しさを感じていたがこれで楽になった。出発して7時間半、午後3時半ぐらいにベースキャンプに到着。リビングキッチンテントは素晴らしくホテルライクで過ごしやすい。テントも1人でベット付き。快適過ぎてバカンスにきたよう。夕食はヤクのお肉のカレーライスで美味しかった。食後はコロンビアが最近制作したというエベレストの動画を鑑賞した。
2024.9.11
BCステイ
朝6時起床、spo2は89、朝食はお好み焼き、昨夜は雨が降っていたが、朝方にはあがって、マナスルの頂上が良く見えた。今日は高度順応のトレッキングで9時スタート。ベースキャンプの上部付近の標高5000mまで登ってまた降りてきた。時間にして2時間半程度。5000mまで行くとさすがに少し息苦しさを感じる。途中で雪崩や土砂が崩れる音がしていた。ベースキャンプはかなり上部まであり、さまざまなトレッキング会社のテントがところ狭しと並んでいた。お昼ごはんのそうめんを食べて、午後からはアッセンダーとエイト環を使った登下降の練習をキャンプ近くの斜面を使って行った。アッセンダーを使った下降方法については全く知らなかったので勉強になった。その後は酸素マスクの説明と装着方法の説明。バフ、バラクラバ、ゴーグル、ヘルメットを装着してみて、凍傷予防のため顔の肌の露出が無いようにする工夫が必要であるとのことだった。晩御飯はパスタ入りヤクのお肉のすき焼き。
2024.9.12
BCステイ プジャ
朝6時起床、夜中に頭痛がしたが毛糸帽子被ったら治った。朝食はアップパンケーキ。9時から小雨やったけどプジャ開始、2時間半ぐらいお経を聞いてそのあとはお酒の振る舞いとみんなでダンス。ラム酒や謎の醸造酒を飲んでふらふらで踊ってご機嫌。昼食は海苔巻き。みんな酔って午後からはぐったり。夕方からハーネス周りのギアチェックをして、夕食はヤクのハンバーグ。鉄板焼きのアツアツで美味しかった。
2024.9.13
高所順応1回目BC~C1
朝6時起床、spo2は90。天気は小雨で今日と明日で高度順応、今日は5700mのC1まで登ってステイ。10時小雨の降る中スタート。高所ダウンやシュラフやマットはシェルパさんが運んでくれる。ありがたい。トレッキングチームは下山のためここでお別れ。ベースキャンプを抜けると徐々に雨が雪に変わってきてところどころフィックスロープも出てくるがしばらくはアイゼンなしで登っていく。積雪は10cmぐらい、クレバスが出てきたところでアイゼンをつけコンティニュアスで全員をロープで確保して登っていく。ガスで視界はあまり無いが固定ロープとトレースを辿っていく。2箇所ほど5~10mぐらいの雪壁をアッセンダーで乗っこしていく。C1の手間は急登続きでかなり消耗して午後5時前にC1に到着。2人テントに転がり込んで運んでもらった高所ダウンを着込んでマットやシュラフを準備。両足の内腿の筋肉が痙攣して悶絶。ツムラの68番を飲んでお湯もがぶ飲み。脱水だろうか。6時半ごろにシェルパおかゆの夕食。美味しくておかわりした。高山病の症状は出ていないがとても疲れた。
2024.9.14
高所順応1回目C1~BC
朝5:45起床 spo2は75。5700mでは息苦しくてあまり寝れなかった。6時半にラーメンの朝食を食べて、高所ダウンやシュラフなどのデポしておく荷物とBCへ下ろす荷物をパッキング。8時ごろからC1から100mほど上のテラスまでハイクアップ。ピーカンで風も無く暑いぐらい。C2に繋がるきつそうなトレースが見えた。C1に戻って一服してから9時ごろからBCへ下山開始。昨日に展望がない中で登ってきたルートが今日は良く見える。途中でスキーを担いで登ってくる人がいた。いったいどこを滑るのだろうか。C1の上の斜面は確かに良さそうだったがアプローチ長過ぎ。12時過ぎにはBCへ到着して日本そばと餃子のランチ。午後からは休憩でメンバで大富豪トランプで盛り上がった。7時からの夕食はダルムート。おかわりの勧めに乗った食べきれずに残してしまった。明日と明後日はBCでレスト。3日後の17日からC3までの高度順応予定。明日朝3時からシェルパがC2のテント設営に向かってくれるらしい。
2024.9.15~16
BCステイ
9/15
朝6時起床、今日から2日はレスト。揚げパンと卵焼きの朝食の後は久しぶりにシャワーを浴びて洗髪をした。シャワーと言っても桶のぬるま湯を手酌で体にかける方式だが、さっぱりとした。下着も少し洗濯してテントのガイロープに干したりしたが天気が曇りがちでたまに小雨も降るのでテント内で干すしか無くあまり乾かない。やることがないので荷物整理や読書をして過ごす。ランチはお稲荷さん、晩御飯は豚卵丼だった。
9/16
朝6時起床。spo2は80。朝食はパンケーキと卵焼きとハム。今日も曇りがちで小雨の天気。昨日からジェネレータの調子が悪くて充電ができない。お昼はトマトパスタ目玉焼き乗せ。午後からはビーコン説明やアイゼンの再設定、ハーネスのラック調整、サミットプッシュ時のウェアリングや酸素マスクのセッテングなどをして過ごした。あと、サミットプッシュの仮日程の説明があり、徐々に登頂に向けた準備が進む。明日からは2回目で最後の高度順応でC1、C2で宿泊、C3にワンタッチでBCへ帰還の2泊3日の行程となる。夕食はポテト焼きとピラフ。午後からは充電とWi-Fiも回復した。
2024.9.17
高度順応2回目BC~C1
朝6時起床、spo2は80。朝食はチーズとトマトのサンドイッチとポテトとベーコン。10時に2回目の高所順応スタート、小雨が降っていたが標高を上げていくとやがて雪になる。日差しがないので涼しくて登りやすい。トレースの先では多くの登山者が連なっていて、今日から登っている人が多いみたい。息は切れるが前回よりはましで、約1時間早い午後4時過ぎにC1に到着した。標高5800m。夕食はチャーハンとスープ。
2024.9.18
高度順応2回目C1~C2
朝食6:30チキンラーメン、朝7時半スタート
雪原の急斜面を登っていくとやがてクレバス縫ってクライミングのように氷の斜面を登っていく。固定ロープをアッセンダーで登って行くが空気が薄いのですぐに息が切れる。10mぐらいの急な氷の斜面が3回程度ありその都度ふらふらになった。アッセンダーがロープに引っかかり思うように引き上げられないのが原因か。標高6200mのC2には午後2時半前に到着。ちょっとゆっくりしてから晩御飯はポテトと麺が入った塩味が強めのスープ。午後からガスが抜けて展望が広がった。マナスルのピナクルが大きく見える。下界の山々も小さく見えて標高6000mを思わせる眺めだった。明日はc3まで登る予定だったが今日のアイスフォールの混雑を考慮して1時間だけ登ってBCへ降りることになった。ガイドのチェリンの話では今日今年初登頂の登山者が出たらしい。雨季も終わりこれから天気もよくなるとのことだった。
2024.9.19
高度順応2回目C2~BC
朝5:40起床。朝食はラ王、麺が生めんらしくて美味しい。7:40に出発。予定通り今日は1時間だけ登るのでガチャ装備のみでザックはC2にデポしてまた降る前にピックアップする。出発の時点でC1にデポしておくシュラフ、マット、ピッケルはポーターさんに預けておく。天気は快晴で暑いので上は長Tシャツで登る。結構な急斜面で息が切れる。見上げるとC3まで登る登山者が列を作っているのが見える。6400mぐらいの平坦なテラスまで登って全員で写真を撮ったらC2へ下山した。C2で暖かいお茶を飲んで休憩して9時半ぐらいからBCへの下山開始。昨日苦労して登ってきたアイスフォールが次々と現れて、その都度、エイト環で懸垂下降をしていく。合計で4回ぐらいはやっただろうか。1人ずつなので渋滞するし登って来る登山者もいるので結構時間がかかった。15時半ごろにBCに到着。夕食はハンバーグ。その後日本人ガイドの優斗くんの1日遅れの誕生日パーティーでダンスパーティ。先2日はレストなのでククリというラム酒を沢山飲んで途中から記憶無し。
2024.9.20
レストBC
朝6時に二日酔いで起床。昨夜は夜中まで飲んでいたらしく、テントまで抱えられてたどり着いた記憶だけある。朝食はパンケーキで美味しく食べられた。天気が良かったのでシャワーを浴びて湿っていた服を干して乾かした。アイゼンの再調整やハイドレーションを高所ダウンパンツに収納方法について検討したりした。お昼は卵焼きのせおにぎりとヤク焼肉。午後からは読書や将棋をして過ごした。夕食はチキンカツを食べて、サミットローテーションの発表。22日出発して25日朝に登頂の予定となった。26日からは大雪の天気が予想されるので当初よりもスケジュールが前倒しの格好となった。下山後の空き日程は四日間のトレッキングが予定されているようだ。体調は悪くないのでこのまま順調に登頂したい。
2024.9.21
レストBC
朝6時半起床。今日はレスト日。ジャガイモとベーコンの朝食後、高所ブーツの再調整しながらBCを散歩、10時から酸素マスクの使用方法の講習とマンツーマンのシェルパの発表と顔合わせ。オンチュさんというシェルパが担当になった。日本語は話せないが英語は話せるらしい。荷物をC3まで上げて我々を迎えてくれるらしい。お昼前に野村良太さんが我々のテントを訪れてくれてサミットローテーションの情報交換をした。登山界隈では有名人なので写真を撮ってもらった。今日も朝から曇りがちでスッキリしない天気だが、明日かの出発に向けて準備を行った。お昼はヤク肉のモモとチーズパスタ、午後からは雨で明日からのイメトレと読書をして過ごした。夕食は特大ポテトコロッケ。
2024.9.22
サミットローテーション BC~C1
朝6時起床、spo2は90。天気は小雨、今日からいよいよサミットローテーション。朝ごはんは目玉焼きとスパムのどんぶり。忘れ物がないように装備のチェック。10時にみんなで写真を撮ってスタート。小雨が降ったり止んだりで登って行くとやがて雪になってきた。積もっていた雪はこのところの雨で溶けたのかかなり少なくなっている。雲が薄いのか太陽の熱だけが伝わってきて、ハードシェルを着ていると暑い。小雪が舞っていたが風もないので途中でTシャツのみで登ると丁度いい。キツイ急斜面を超えてガスガスの中C2に3:30到着。晩御飯はシェルパおかゆ
2024.9.23
サミットローテーションC1~C2
朝6時起床して準備しつつシェルパ麺の朝食。高所ダウンとシュラフとマットはポーターさんがC2へ荷上げしてくれる。朝8時ごろ出発天気は曇りで肌寒かったがアイスフォールをアッセンダーでで登っていると暑くなってきた。今日は登る人も多く、急斜面では渋滞。前回とは崩落で形が変わってる。そのうち晴れ間も出てきて暑くなってきた。アッセンダーの操作にも少し慣れて登るのも楽になってきたが、空気が薄いのと息を止めないようにしないとバテてしまう。倉岡ガイドが下山してきて、今回は風邪で敗退したらしい。お客さんは登頂したみたいだけど。C3には2時半ごろに到着。夕食は尾西の五目ごはんと即席味噌汁
2024.9.24
サミットローテーションC2~C3~
朝6時起床、昨夜から小雪が降り続いており気温も低め。昨晩からお腹が少し緩くなってきたので下痢止めを飲む。spo2は77。今日はC3にお昼ごろに着いて仮眠後サミットプッシュとなる。ここからは高所ダウン上下での行動となる。朝食後、8時過ぎにスタート。雪は止んで曇り空のもと登って行く。しばらくして同行のKさんの歩みが極端に遅くなり、右脚の痺れと痛みがあると言う。そういえば先日より右脚裏の感覚が無いと言っていた。日本人ガイドのYくんが今ならC2にすぐに戻れるので登頂を断念することを勧めるがKさんは痛み止めを飲んでとりあえずC3まで行きたいという。ここまで時間とお金をかけてきたので致し方ないところだと思う。ローカルガイドのチェリンがKさんに同行することとし、ガイドYくん先頭に私を含め3名の参加者で登って行くことになった。お昼過ぎにはC3に到着しクレバスの近くに張られたテントでカレーピラフのランチ。Kさんもその頃C3に到着した。その後酸素マスクを付けて仮眠となった。酸素は0.5の供給量で吸っていると実に楽に寝れる。私と同行参加者のOさんはすぐに寝たが、Mさんは慣れずに寝なかったらしい。浅い眠りだが3時間ぐらい寝ただろうか。午後4時半ごろに仮眠から起きてラーメンの夕食。それから準備をしていよいよ18時半ごろにサミットプッシュ。今回ペアになってくれるシェルパのオンチュとここから行動となる。KさんはC3で待機することになった。日もくれて暗くなりヘッデンで小雪の降る中スタートしたが、最初の雪壁の登りでいきなり渋滞。どうやら下山者とのすれ違いが原因らしい。後ろを振り返ると野村良太さんがいたのであいさつした。下山者の中には自分グレイシャーヒマラヤの社長のデンディさんもいてエールを頂いた。雪壁を登ると雪原となり、フィックスロープに沿って全員が緩やかな坂を登って行く。酸素のはオンチュが調整してくれ、登っている時は2ぐらいで吸い続けると実に楽に登れる。普通の雪山登山と同じような感覚になる。暗闇の中を歩いていると何やら音楽が聞こえてくる。どうやら酸素マスクの吸入弁を通過する音が自分の呼吸で変化して音楽のように聞こえるようだ。また先行している登山者の列のヘッドライトが数珠つなぎで天にどこまでも登って行くように見える。よく見ていると緑色や青色の光がまるで花火のように散らばっていたので、シェルパのオンチュに花火なのか?と聞いたら、違うよ。ただのライトだと言われた。寝不足と疲れで幻覚でもみているのだろうかと思った。
2024.9.25
サミットプッシュ
雪原を登っている途中で先行していたMさんのペースが落ちて、追い抜いた。そこからはオンチュとの2人旅。オンチュは10歩ぐらい歩くと15秒ぐらい立ち止まってまた歩き出すの繰り返し。酸素ボンベの調子が良くないと言っていたが、実は供給量を1にして長く使うことで自身の予備ボンベを持っていないようだ。私のボンベは使用中のものを背負っているが、私の予備ボンベはオンチュが背負ってくれている。
雪原の途中から氷の急斜面となり雪が積もっていて登りにくい。途中からロープにアッセンダーをかけて登って行った。ノースコル手前の急斜面のトラバースに入り、フィックスロープだけを頼りに歩いてくのだが、踏み跡がクランポンサイズで怖い。暗くてよく見えないが滑落したらどこまでも落ちていきそうな斜面だった。日付が変わって夜中の1時ごろにC4に到着。トイレがしたかったのでここで少し休憩して青空トイレをした。この時、オンチュが私の酸素ボンベを交換してくれた。一服後に頂上に向かう道で一服している同行のMさんとOさんたちと出会った。Mさんは酸素マスクトラブルで苦しそうだった。この時点で午前2時ごろでオンチュに頂上まであとどのぐらいか聞いたら4時間ぐらいだという。6時なら頂上でちょうどご来光だとその時思った。暗闇の中、真っ直ぐに伸びるヘッドライトが空にかかる梯子のようだ。1番てっぺんで光っているのは星なのかヘドライトなのかよくわからない。雪が降っているのだから星ではないのだが。そのうち何やら山小屋にヘッドライトの光が当たっているような感じに見えたり、少し先に登っている登山者が3メートルぐらいの大男に見えたりして、これは幻覚なのだな、と考えながら登って行った。午前5時半ごろになると東の空が明るくなりはじめた。振り返るとキレイな雲海が広がっていた。雪が降っていたので展望はあきらめていたが8000m峰での展望が見れてうれしかった。明るくなって向かう先の稜線が見えはじめた。午前7時ぐらいに山頂付近に到着。オンチュがここは以前に頂上とされていたが、数年前にもう少し先が今の頂上だと教えてくれた。標高8000mなので酸素ボンベの供給量を4に上げてくれた。少し進むと頂上への人の列が出来ており、右手はスッパリ切れ落ちた崖っぷちのロープに人がしがみついて並んでいる。我々も並んでいると頂上から降りてきた人が並んでいる人のスキマのロープにセルフを掛け替えながら降りてくる。こちらのジッとしているからいいのだがちょっと油断して足を踏み外すと滑落するので緊張する。それでもちょっとした隙にあまりの眠さで居眠りしたりしていた。1時間ぐらい待っただろうか。やがて頂上に飾ってあるネパール国旗やカタというお祈りの白い布の塊が見えてきて、その時同じ隊のMさんやYガイドが降りてきてすれ違った。いったいどこで追い抜かれたのだろうか。頂上の場所は写真撮影の順番待ちになっていてそろぞれ持ってきた横断幕のようなものを掲げて撮影している。いよいよ自分の番になって酸素ボンベを外してオンチュに撮ってもらうが鼻水やらで上手く笑えない。他の人に頼んでオンチュと撮ってもらったのが1番いい写真となった。すぐに下山することになり、ロープを握り絞めながら降りていると並んでいる同じ隊のOさんとすれ違いあいさつ。1番強い彼がなぜ後ろにいるのかこの時はわからなかったが、同行のシェルパが遅かったらしい。崖っぷちの行列待ちの列を後ろに辿っているうちに呼吸が苦しくなってきて、行列の列を過ぎたところで視界が狭くなるぐらい呼吸困難となった。オンチュに待ってくれというと、酸素ボンベを自分の分と交換してくれた。これで呼吸ができるようになった。どうやら行列待ちの時に酸素を使い過ぎて酸素ボンベが無くなったらしい。8000mと言う理由で供給量を4にしていたのが原因だったのだろうか。オンチュは酸素無しだがこの先も休み休みだが先導してくれて、強いシェルパだと思った。C4に着く道中でMさんや日本人ガイドのYくんと合流した。やがて後ろから1人で降りてきたOとも合流、シェルパが遅いので先に降りてきたという。ここから先はみんなで一緒にC3を目指して懸垂下降やシリセードなどしながら降りて、C3には13:30ごろに到着。ここで待機していたKさんと再会。昨夜からテントで過ごしながら下山してくる人を見ていたという。痛み止めを飲んでC3まで登ってきたが腰が痛くて動けないらしくここからヘリで下山することにしたらしい。痛み止めが無くなったので手持ちのバファリンを2日分ぐらい渡しておいた。登頂組はここでインスタントのうどんを食べて直ぐにC2まで下山開始。2時間ぐらいでC2に着いたと思う。BCまで降りる予定だったが疲れていたのでこの日はC2で宿泊となった。テントはガイドのYくんと同じとなり色々楽しく話をして就寝した。
2024.9.26
下山C2~BC
朝6時に起床して朝食後8時にはBCに向けて下山開始。アイスフォールでの渋滞を覚悟していたが、ルートは空いていてサクサクと降りることができた。酸素ボンベが残っていたので吸いながら降りていたが懸垂の途中で酸素がなくなって呼吸困難になりながら降りたセクションがあった。ボンベの残量には注意しよう。天候が下降気味なので雨に降られることも覚悟していたが曇り空の下でBCに13時頃に無事到着。5時間ほどで降りて来れた。途中でアイスフォールを振り返ると渋滞が見えたので早めにスタートしたのが良かったのかもしれない。装備を全て解除してメンバで登頂の乾杯。午後6時からのハンバーグの夕食を食べて8時からは登頂記念のパーティー。マナスル登頂記念のケーキを食べてククリ酒を飲みながらみんなでダンスをして過ごした。
2024.9.27
BCステイ
昨夜から降りはじめた雪でBCはすっかり銀世界になった。今日はレストでゆっくりして明日からラルケパスのトレッキングの予定としていたが、一日中降る雪で積雪が10cm近くなってきたので、標高5000mのラルケパス越えは無理にせずに明日にサマ村へ下山することに変更した。C3のKさんは昨日結局ヘリが飛べずに停滞していたらしく、この日シェルパの助けを借りてC2まで降りたらしい。明日以降のヘリでの下山の確率を少しでも高めるためだが大変だったと思う。この日はダイニングテントの暖房がガス切れで寒いので自分のテントで日記をつけたりうたた寝して過ごした。晩御飯はダルムート。雪はしんしんと降っている。BCラストナイトなので少し晩酌をして就寝したが、夜2:00ごろに降り積もった雪でテントの支柱が折れてテントが大きく傾いた。なんとかテントから這い出して、スタッフテントで雪下ろしをしていたシェルパのチェパに助けを求める。数人のスタッフでみんなのテントの雪下ろしをして、私のテントの支柱の補修も試みてくれたが無理だった。ダイニングテントで寝ようかと思ったがあと数時間なら大丈夫かと思って再び傾いたテントで寝ることにした。
2024.9.28
BC~サマ村
朝6時頃に起床。雪はまだまだ降っている。全ての荷物をテントからダイニングテントに移動して目玉焼き丼の朝食を食べた。サマ村での滞在に必要な荷物だけザックに入れて、9時ごろからサマ村へ下山開始。積雪は腰ぐらいまであり、シェルパが先頭でラッセルしつつ進んでいく。雪崩のリスクがあるので尾根地形のリッジのコース取りをしつつ下っていく。下るにつれて小雪も止んで暑くなってきて着ていた防寒着をほとんど脱いでしまった。やがて氷河湖が見えはじめ、積雪の少なくなってきて登ってきた道も見え始める。ところどころで雪崩が道を塞いでいてデブリを乗り越えて行った。しばらく進むと樹林帯になり、小休止を挟みながら午後1時過ぎにはサマ村の宿に到着した。チャーハンのランチを食べて今日はレスト。カトマンズへはヘリで移動する予定だが、多くの登山者の順番待ちになっているのでいつ飛べるかはわからない。夕方になってC2からKさんがヘリで搬送されてきた。C2では燃料や食料もギリギリだったらしくテントが埋まるほどの降雪の中、壮絶な経験をしたようだ。無事再会できてよかった。夕食は久しぶりに参加者全員でビールを飲みながら再会を祝った。
2024.9.29
サマ村ステイ
昨夜は飲み過ぎたのかあまり記憶がない。朝7時ぐらいからKさんがヘリでカトマンズへ搬送されていった。アップルパンケーキの朝食を食べて登山靴やストックを洗い、あとはやることがないので皆でカードゲームのウノをして時間を潰した。ベジオムレツの昼食後、ヘリに乗れるかもしれないとのことで2時半ごろからヘリポートで順番待ち。倉岡ガイドもいて早く下山したのにサマ村で6泊したとのこと。25日からサマ村のヘリポートがストの協議で使えなかったらしい。ヘリポートで2時間ぐらい待ったが結局順番は来なかったため、今日はもう一泊サマ村にステイし明日朝からのフライトを待つこととなった。夕食は野菜モモを食べた。けっこうなボリュームだった。夕食後から飲み会になり、ククルをミルクティーで割りながら飲んでいたが、OさんとMさんが口論になって少し後味の悪い飲み会となった。帰国までに仲直りしてほしいものだ。
コメント
この記録に関連する登山ルート
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マナスル登頂おめでとう御座います🎊
いや〜すごいですね👏👏👏
数々の海外の山々を経験してきたからこそ9/25登頂できたではないでしょうか。酸素ボンベやりとりの記述にドキドキ拝読しました。
素晴らしい絶景の共有ありがとうございます😊そしてアコンカグアに続きマナスルにチャレンジする精神、素晴らしすぎます👏👏山をしていて生きているうちにこのような経験、一度はしてみたいです。
8,000mどんな世界なのか実際に経験しないとわからないことですが少しでも理解して、私も来年海外登山に出向きたいと思っております。ちょっとレコ見て興奮してのコメントになりました。
あらためまして
マナスル登頂おめでとう御座います👏👏
はじめまして。コメントありがとうございます。来年海外登山なんですね。プロフを拝見するとモンブランとマッターホルンでしょうか。。私も昨年登りましたが、小屋の予約が激戦なのと当日の天候に左右される運の要素も大きいと思います。無事に2峰ともに登頂されることを祈念しております。
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