奥穂高岳
- GPS
- 50:30
- 距離
- 27.2km
- 登り
- 2,171m
- 下り
- 2,169m
コースタイム
■29日=横尾山荘6:15→7:15本谷橋7:20→8:25S字ガレ8:30→9:00涸沢ヒュッテ9:25→10:40ザイテングラート下部10:50→12:00穂高岳山荘(14:30→14:50涸沢岳15:55→16:10穂高岳山荘)
■30日=穂高岳山荘6:35→7:15奥穂高岳8:05→9:25紀美子平9:35→10:00西穂高岳10:20→10:45紀美子平10:55→11:55雷鳥広場11:20→11:40岳沢パノラマ11:50→12:50昼食休憩13:25→13:45岳沢小屋14:10→15:50自然探勝路登山口→16:05上高地
天候 | 28日=晴れ 29日=晴れ後曇り 30日=晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2010年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
コース状況/ 危険箇所等 |
岩登り素人の目からすると、ザイテングラートから先は登攀まがいの連続。重いリュックを背負って穂高岳山荘から岩をよじるのは冷や汗ものでした。吊尾根も悪天候時は遠慮します。要所に鎖や梯子はありますが、人が多いのですれ違い時にバランスを崩さないよう注意しました。重太郎新道の斜度は相当なものです。 涸沢フェスティバルと中国人団体客のおかげで上高地バスターミナルは容量オーバー状態。バス到着は30分遅れました。 |
写真
感想
【28日】 松本駅に着くと、我々はいったん出口へと直行した。JRと松本電鉄の間には改札がない。そのまま無札で乗ると新島々駅の精算窓口で長い列につかまるため、あらかじめ上高地行きバス連絡切符を買っておくのだ。改札では外へ出るまでもなくJRの精算窓口でその連絡切符を売っていたので、すぐさまきびすを返してホームに下りた。
立ち席も出た電車からバスに乗り換え、山道を揺られること約1時間余り。いよいよ次は帝国ホテル前という所でバスがピタリと動かなくなった。無線交信が続き、15分ほどしてようやく動き出した。見れば路上に何十台もの大型バスが停車している。ターミナルのバス駐車スペースからあふれた観光バスで、定期バスは片側交互通行を余儀なくされていたのだった。当然ながら上高地は人、人、人の渦。観光がてら昼食をなどという先達alps165ことDr.エモンの思惑ははずれ、お握りに食らいついて早々に出発した。
梓川河畔に出ると、“満員”の河童橋の向こうに見事な穂高連峰と岳沢のカールが見えた。去年の9月、何も見えない雨の中を歩いた上高地とは全くの別世界。少々人の多いのが玉に瑕だが。右岸の自然探勝路の木道を行き、明神橋を渡る。振り向けば明神岳の尖峰がそそり立つ。車も通れる平坦な道では背の高い欧米人と次々すれ違った。テントの多い徳沢園を過ぎ、昨年は工事中だった河原の盛土区間を通って、午後5時前にやはりテントの目立つ横尾山荘に着いた。
部屋は立派な2段ベッドで、石鹸禁止ながら風呂まであるという設備に喜びながら夕食でビールを開けると、18時前にしてDr.がダウンした。こちらもスキットルのウイスキーをいくらも舐めないうちに睡魔に襲われ、20時前には就寝。昼間の異常な暑さは窓を開けても解消しなかったが、目覚まし時計が鳴るまで熟睡していた。
【29日】 見上げれば明神、前穂の朝焼けという中を出発する。下りの登山者とよくすれ違う。立派な本沢橋を渡ると、いよいよ本格的な登りが始まった。実は風邪の名残の気管支炎でまだ薬を飲んでおり、いつも以上に息が上がる。幸か不幸か次々と現れる下山の団体のせいで息継ぎ休憩がとれた。30〜50人のアルパインツアーの団体登山が何組も続々下りてくる。何事かと思ううち、やっとこの週末が例の涸沢フェスティバルだったことに気づいた。すれ違う小学校低学年の男の子が草色のヤマレコTシャツを着ていたが、あいにく声を掛ける間がなかった。
横尾本谷を右後方に分け、樹林帯をS字ガレに向かえば雄大な涸沢のカールが覗き始める。左パノラマコースと岩に書かれた分岐で、右へ行くと言うDr.と言い合ったが、半信半疑で右に曲がると30m先には涸沢ヒュッテ。少々バツが悪かったが、眼前に広がる絶景にそんな思いもたちまち吹き飛んだ。現役の氷河を髣髴させる涸沢の雪渓と、ザイテングラートで境を接するこちらも見事な奥穂東面のカール。振り向けば大天井に向かって圏谷がうねっていく。
大休止で絶景を堪能した後、いよいよ最後の胸突き八丁に取り掛かった。空気が徐々に薄くなり、不調の肺が悲鳴を上げる。雪渓の近くは別として、無風で直射日光の当たるカールの底はとにかく暑い。雪渓の横断で一息つき、岩塊流の上では踏み跡を見失いつつも、何とか急勾配を踏みしめてザイテングラートの取り付きにたどり着いた。すぐ下に白、黄、ピンクの花が咲き競うお花畑が広がっている。
昨日の新島々駅から前後して歩いてきたアルパインツアーの中高年団体に追いついた。「両手を使って“四輪駆動”で歩いて」という指示が聞こえる。その言葉通りよじ登るような急勾配が続く。昨年の槍ヶ岳のアプローチに比べて格段に険しい。団体さんを抜くどころではなく、息を整えつつ慎重に標高を稼いで、やっと正午に穂高岳山荘に到着した。
石のベンチでリュックからコッヘルと糧食を取り出し、待望のランチにありつく。メニューは「尾西」の五目御飯などのアルファ米とフリーズドライのスープ、魚肉ソーセージなど。このアルファ米は結構満腹になる。涸沢岳と奥穂を見上げながら缶ビールと共に食すればたちまちいい気持ちになって、割り振られた「燕岳」という部屋で昼寝を兼ねた食休みとなった。
14:30、未だ眠そうなDr.を起こして涸沢岳を目指す。やや雲が増えたものの、3100mを超す山頂の眺めは秀逸だ。奥穂からジャンダルムを指呼の間に望み、転じれば北穂の峻峰もくっきり見える。そこを越えてきた中高年登山者たちが、足下の山小屋を確認して一様に安堵の声を漏らした。三角点ピークの先の北穂縦走路を見に行くと、半ば垂直のガリーを鎖が下へ伸びている。これは容易でないと舌を巻く思いだった。
1時間ほど山頂に滞在して山荘に戻り、入れ替え制第1回目の午後5時に夕食を採った。団体がいるせいか、思ったより宿泊客が多い。さて、部屋へ戻ってみると向かいの男性が荷物をまとめて玄関に向かい、程なくヘリが来るので窓を閉めろというアナウンスがあった。外へ出てみると、危険なので宿の正面の広場から退避しろという。
裏の西側へ回って待っていると、雲海の彼方からヘリが近づいてきた。夕焼けと絡めてうまく写真が撮れたと喜んでいたら、誰かが「輸送ヘリじゃなくて岐阜県警のヘリだった」と話している。部屋に戻ってDr.に聴くと、先ほどの男性と連れの女性を運んでいったらしい。この日、北穂ではカメラマンなど2、3人が事故で死傷したそうだが、彼らの搬送理由については分からなかった。
軽くウイスキーを舐めたところで轟沈したDr.を置いて、とっぷり暮れた戸外に出てみた。夕方の雲は影を潜め、月のない空には満天の星が輝いている。服1枚でも少しも寒くはなく、蝶ヶ岳の向こうから赤い月が上り出すまで天の川の眺めを楽しんだ。
【30日】 2時、3時と目が開き、4時には身支度する人の物音で完全に目が覚めた。窓の外に朝焼けが見え始めたので、Dr.と外に出た。雲海に昇る朝日を堪能するうち、食事時間を忘れかけて少々慌てた。
朝のコーヒーを楽しんで6時半過ぎに出発。いきなりの岩登りに多少の緊張と呼吸困難を覚えながら、慎重に進んだ。途中、早々とリュック姿で降りてくる人がいる。昨日、山荘まで辿り付けずに吊尾根の南稜でビバークしたとのことだった。前途の多難さに身が引き締まる。
それにしても、今日は素晴らしい好天で360度のパノラマが広がっている。無事たどり着いた本邦3位の高峰から、他の登山者たちと共に山座同定を楽しんだ。韓国人の若い男女パーティーなども混じってにぎやかな歓声の絶えない山頂に50分ほど居座り、後ろ髪引かれる思いで吊尾根へと進発した。
地形図でそれほどアップダウンのない尾根だと判断したのは、事実でもあり間違いでもあった。確かに標高差は小さめだが、一つひとつが尖った岩峰の連なりであり、ギザギザの岩場という表現がふさわしい。その稜線、ないしすぐ脇の崖のような斜面に細道が続いている。難所と言うほどの岩場ではないのだろうが、足下の高度感は相当なもので、登攀に縁のない当方は時々お尻がムズムズして困った。
下り基調の1キロ余りに1時間以上をかけてようやく紀美子平着。リュックを置いて前穂高岳を表敬した。素人にはなかなか厳しい岩場を空身のおかげでどうやら登り切り、今山行3座目の3000m峰に足跡を記すことができた。山頂付近からは、お世話になった横尾山荘から槍ヶ岳方面にかけてのカールや峰々が一望の下。岳沢の圏谷から帝国ホテルへと至る上高地が遠く箱庭のようだ。
紀美子平に戻り、さてここから本格的な下山というべき重太郎新道を辿る。いきなり鎖が現れ、そこここにハシゴもかかる急坂だ。落ちてきた脚の力と明日の筋肉痛への恐怖を岳沢カールの絶景でごまかしつつ、雷鳥広場や岳沢パノラマなどでほぼ20分おきの休憩を取りながら歩いた。
ダケカンバの灌木が現れ、小さな日陰に喜んだのもつかの間、風がなくなって気温も猛烈に高くなってくる。何より朝食から6時間がたち、エネルギーが切れてきた。だが、どこかで昼食をという訴えに、Dr.隊長は「もう少し。できたら岳沢小屋で」と譲らない。ならば遅くとも午後1時には食べようと話を決め、12時50分、ダケカンバの日陰に適地を見つけて腰を下ろした。
今日は昨日と同じアルファ米とスープにランチョンミート、豆サラダなど。ここまで重たい水と糧食を担いできて腹ペコ状態だが、Dr.はさほどでもない様子。少々飽きたが当方は残らず平らげ、太陽の角度が変わって日の照りだした休憩地をそそくさと後にした。
20分ほどで真新しい岳沢小屋着。缶ビールと、蛇口からの「岳沢の雪解け水」で体を潤す。暑い太陽に容赦なくあぶられたDr.の首の後ろは真っ赤に焼けている。ここからはカールの底を下るので道の傾斜はぐんと楽になったが、とにかく暑い。灌木のわずかな木陰に涼を見出しつつ歩いていくと、ようやく針葉樹の樹林帯に至り、ホッとした。途中、なぜかガレ場のような石だらけの道があり、その下に最近起きたと思しき土砂崩れでなぎ倒された木々の折り重なる難所があったが、それを越えれば道はいよいよハイキング路のようになる。涼しい風穴の前でもう一休みし、板を3枚並べた短い橋を次々渡って行くと、ついに向こうから観光客らしき歓声が聞こえて、自然探勝路の登山口に到着した。
上高地へと辿る木道は土曜日に比べると格段に人影が少ない。人がひしめいていた河童橋も落ち着きを取り戻しており、これならバスの混雑もさほどではあるまいと安堵した。まだ早いので、沢渡の温泉に寄って帰るつもりだ。沢渡行きバスは3分の2ほど席が埋まる程度で上高地を出発した。8月末の標高1500m、午後4時。それでも暑いのは、やはり異常気象と言うしかない。
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