剣岳北方稜線縦走
- GPS
- 80:00
- 距離
- 25.9km
- 登り
- 3,447m
- 下り
- 3,256m
コースタイム
8月4日;5:30起床・CP場7:10-7:45休(ブナの根元)8:00-8:50(休・食)-9:06-9:54(休)10:10-10:25仙人の岩屋・ヒカリゴケ-10:30仙人小屋・3人は入浴11:52-12:23雪渓渡る12:40・休12:55-13:20第2雪渓-13:35雨具を着る13:45-14:00仙人ヒュッテ分岐14:06-14:26仙人ヒュッテ・雷鳴聞く14:52-15:12仙人峠・雨強くなる-15:35池ノ平小屋CP場・幕営(土砂降りの中)・深夜テントに水入る
8月5日;4:00起床CP場5:45-5:50小雪渓・軽アイゼン装着55-6:00雪渓通過・アイゼン外す6:09・休6:12-6:40小窓雪渓取りつき・軽アイゼン装着6:53-7:38小窓雪渓上端草つき7:50-8:40小窓稜線下小雪渓・休9:00-9:08雪渓通過・休9:12-9:30北側の雪渓(アプザイレン)同通過10:15-10:42小窓王基部-11:05三ノ窓・休11:25-11:30池ノ谷ガリー取りつき-12:05中間点・休12:15-12:25池ノ谷乗越し12:35-12:50池の谷の頭12:55-池ノ谷バンド-13:30頂上下ピーク分岐・休13:43-13:57主稜線に出る-14:28剣岳山頂14:48-14:55剣沢分岐-15:15最終鎖場下-15:30休15:40-16:12休16:17-16:30P2610m16:35-17:14休17:37-18:11早月小屋CP場・幕営
8月6日;5:00起床・CP場6:52-小屋に拾得カメラ届ける7:00-7:22休7:28-8:18休8:25-8:57休9:05-10:07登山口-10:11馬場島・早月キャンプ場-(TX)-上市駅・FHC富山へ12:26-13:21宇奈月13:26-(車)-16:30頃明科 FHCは19時頃帰広
過去天気図(気象庁) | 2002年08月の天気図 |
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アクセス |
利用交通機関:
電車 タクシー 自家用車
復路:馬場島-TX-上市駅・富山へ向かうFHCを見送る-電車-宇奈月-車 |
写真
感想
欅平から阿曽原へ・・・剣岳北方稜線の記録 2002年年8月3日(土)〜6日(火)
同行者:広島佐伯FHC;小形(CL),中本,藤井/記録者:木偶野呂馬
8月3日(土)
欅平へ
2:15,明科発。豊科IC近くのGSで満タン後,オリンピック道路をノンストップで大町,大町からはR147〜R148で糸魚川へ。深夜で殆ど信号なく、にぎり飯を頬張りながら走って3:55に糸魚川ICから北陸道。越中境PAで休憩,黒部ICで降りて5:00,宇奈月の黒部渓谷鉄道P着。
広い駐車場には神戸ナンバーのワゴン車の他、2台の車のグループが駅が開くのを待っているのみ。駅はまだ開いておらず、4〜5人のグループがベンチや路上でシュラフにくるまって寝ている。
荷づくり,パッキングして駅のシャッター前にザックを置き、ベンチで4つ目のおにぎりを食べる。6時過ぎに駅の扉が開き、切符の発売窓口へ移動。6:50,切符の発売開始。4人分の切符を買う。広島の3人は4:50に富山に着いてこちらに向かっているところで、先刻藤井から富山駅5:32の電車に乗ると入電があったきり、その後は応答無し。
駅の写真を撮ろうとしてバッテリー切れに気づき慌てて写真屋を探す。使えないカメラを持ち歩く羽目になるところ、あやうくセーフ。
7:11と:20に工事用列車が出た後、7:20に3人と合流。すぐにトロッコ列車に乗り込む。列車は全部で13両あり、自分達は7両目に乗る。客は少なくゆったりしている。20数年前に美女平〜室堂経由で剣沢に入り、剣岳登頂後、剣沢から下って仙人小屋泊,水平道を欅平まで歩いてトロッコで宇奈月まで出た時以来。
7:32発。列車はガタゴトと音を立てながら渓谷に沿ってゆっくり進み、次第に渓谷美と涼味が増していく。トンネルに入ると寒いくらいである。この渓谷美と涼味が人気の所以であり紅葉の季節には満杯になるに違いあるまいと思われた。
1時間15分かかって8:47欅平着。欅平は大勢の人で溢れているが、その多くは観光客で登山者と思われるグループは少なく、いくつかのハイキングスタイルのグループがあったが、みなそれぞれどこかへ散って行き、自分達だけが阿曽原をめざすこととなった。
水平道を阿曽原へ
9:20発。水平道までいきなり200mの急登は荷物が体になじんでいなくてつらい。顔を合わすなり『何が入っているのか』と藤井に笑われたザックには、初日に3人に食べてもらおうと用意した生果や野菜が詰まっていて重いが、水平道までの辛抱だ。
9:42鉄塔通過。同49『水平道へあと 200m』の表示。折り返して休憩。汗がしたたり落ちる。日なたは猛暑だが木陰はひんやりしていて落差が大きい。ヤマアジサイの花が涼を添えている。
10:15分発。10分で水平道に入る。ここまでの登りの途中で振り返ると、左手上方に白馬旭岳と思われる山が見え、その左に頭を雲に隠した山が白馬岳ではないかと思われた。口に出しても誰からも反応がなく自分でも半信半疑だったが、水平道に入ってまもなく前方左手に鹿島槍が見え、目の前の奥鐘山に邪魔されて五竜,唐松は見えないものの、不帰ノ嶮,天狗の大下り,白馬鑓と連なる後立山連峰の稜線が見えるに至ってその推測が正しかったと確信する。遠くまで来たようでもここは白馬岳の直下なのだ。
10:35小休止。おにぎり1個と水。同50発。起伏の多かった道がこの当りから文字通りの水平な道となる。黙々と歩くこと1時間,下の方からは欅平の駅のアナウンスがいつまでも聞こえていてちっとも進んだ気がしない。
道がほぼ直角に右折する。せり出した大岩に張り出すように取りつけられた鉄板の道を通過すると、谷を隔てた向う側の岩壁にくっきりと一直線に穿たれた水平の道が見える。それはこれから歩く道である。つまり道はこれから志合谷の谷奥に向かってその最深部まで進み、折り返した後、目の前わずか100mほどのところに見えている水平な溝のようなその道へとつながるのである。横から見れば一直線のその道は、地図で見る等高線のようにギザギザな襞を忠実に辿っており、我々はどこまでもその等高線に沿って屈曲を繰り返しながら進むしかないのだ。
ただただ歩くだけのその道すがら頭の中では様々なことを考える。
昔の山道は規模の大小はあるもののこのように山襞に沿いながら少しづつ高度を上げていく道だった。現代の道は谷の部分に橋を架け、岬の部分は削るかトンネルを穿ってかなり強引につくる。今も昔も道の第一義的役割は人々の往来と物資の輸送と言う生活道路として側面であり、多くの人々はそれを望んでいる。だが道にはそぞろ歩くことを楽しむという側面もある。
自然のあり様に逆らわずにつくられた昔の道は、歩くことを楽しむのに適していると言えようか。しかし今歩いているこの道はそぞろ歩くという限度を超えている。ダム建設のためにつくられたこの道が自然のあり様にさからえなかったのは、単に技術的,経済的な問題であろうか・・。橋を架ければ3分で渡れる所を、かつてダム建設の資材を運んだ人達は小1時間もかかって歩いたのだ。できることなら対岸までひと跳びにワ-プしたいという思いは我々以上に強かったに違いあるまい。 そんな思いを巡らせながら歩く私達に最高のプレゼントが待っていた。志合谷最奥部は雪渓で、そのためそこにはトンネルが穿たれている。そのトンネルから手の切れるような冷たい水が溢れるように湧き出ているのだ。12時丁度にそのトンネルの入口に着いて荷を下ろし大休止。冷たい水を飲み、瓢箪型タンクに詰める。
小形は愛妻弁当をぱくつき、他のメンバーも行動食を出して食べる。生ものを少しでも減らしたいので郷里から送ってきたアナゴの蒲焼きを取り出して全員に配り好評を得る。
反対側から単独の人がトンネルに入ったのを見て道を空けて待ったがなかなか出てこないので『ランプをつけてないのか』と訝る。以前このトンネルを逆に歩いた時はヘッドランプがザックの底にあって、面倒なのでそのまま入ったら真っ暗で1歩も進めなかったことを思いだし、今回は早目にランプを用意する。20分ほどして出てきた大柄な男性は『頭を岩にぶつけた』と言い額に血をにじませていた。
12:25発。ヘッドランプがあってもすたすた歩ける道ではない。壁がランプの光で銀色に光ったがその正体は不明。10分でトンネル通過。ここまで3時間。残りも3時間くらいでここがほぼ中間点と思われた。
この辺りで岩壁をえぐってできた道を歩いている様子を撮るためしばしば立ち止まる。志合谷を越えると、道が今度は逆に黒部川に向かって岬のように突き出していて、そのため黒部川はこの岬の裾を回り込むように大きく左に折れる。その突端には大太鼓という呼称がつけられている。そこから欅平の駅舎が見えたのには驚いたが、そこを最後に駅からの音はぷっつりと途絶え欅平からは完全に縁が切れた。
道はさらに屈曲してもう一つの大きな谷,折尾谷へと向かう。この辺りから足が痛くなり始める。脚ではなく足である。13:25,休憩。木陰は涼しいが日なたは猛暑。生ものを早く減らしたいのでネクタリンを配りパンを3つ食べる。これで少し軽くなった。同50発。右足が痛くなり、右肩もザックの肩ひもが食い込んで痛い。
ただ黙々と歩くうちに道は折尾谷にさしかかる。右手の奥に沢が見え、目の前には折り返して続く水平道が見えている。志合谷の時と同じパターンだ。
14:15沢を渡ると男性が1人休んでいた。足が痛くなり徐々に遅れる始め、14:45たまらず休む。風が心地よい。同50発。どこまでも水平な道,前の3人とは離れてしまった。10年のブランクからまだ復調していない。毎月登っている者と年に1,2度思い出したように登る者の差である。加えて彼等は若くその差は如何ともし難い。
岬のように谷に向かって突き出した小さな山襞にはハシゴがあり、かなり登らされたかと思うと次は下りのハシゴで、それを降りるともう1つ小さな谷があって、それを折り返した辺りに先行する3人が見えた。5分ほどの差がなのでゆっくり後追いしようと歩いていると、待ってくれていたのか遅れたのか目の前に藤井がいた。しばらく一緒に歩いたがすでにバテがきており、立ち止まって3分程休んでまた1人になる。
15:15,小さく突き出した山襞を回り込むと左下方,遥か先に阿曽原の小屋が見えた。20分くらいの距離と思ったが両足の親指と小指の外側にマメができ、右肩の痛みに加えて右の大腿部膝裏の筋まで痛くなって極端にペースが落ちる。再び急な昇りと下りのハシゴがあってさらに消耗。同40休憩。最後の下りは荷物を肩からずらして担ぐほど。
15:50小沢を越えてようやくテン場に着く。汗びっしょりのシャツを着替えるのが精一杯でしばらく動けなかったが、小形が釣りに行くというので追いかける。
阿曽原にて
テン場を3分ほど下ったところに露天風呂があり、そこから沢へ降りる踏み跡を探す。温泉の下はしっかりと護岸が施されており、それが丈余の草に覆われているので降り口を探すのが難しい。沢へ降りる時は最後のツメが危ないので慎重に下って河原に降り立つ。河原にはそこかしこにお湯や蒸気が吹き出していた。
水が青すぎるのと川虫の羽化の跡がみられないことから、魚がいるという確信がもてないまま竿を出す。初めて使う瓶詰めのオニチョロも不安材料の一つである。
が、釣る以上は釣れるものと考えて臨まなくてはいけない。半信半疑で釣ると泣きを見ることがある。事実釣れたのだ。引きはよかったがリリースかキープか迷うサイズ。魚がいることを知らせると小形は毛針に切り替え、登山靴を脱いで裸足で上流に向かった。こちらも本気になり裸足で川の中に立ち込んで釣ったが以後は当り無く、すぐに約束の刻限となり6時前に納竿。戻ってきた小形は25cmのイワナを手にしていた。
テン場に戻ると夕食の準備が進んでいた。メニューはご飯にカレー,ハンバーグ,味噌汁。釣ってきたイワナは串に刺してコンロで軽く焼いてから味噌汁に混ぜる。明科から持参の特製キュウリのキムチとみかんが加わって豪勢な夕食となる。
食後、3人は風呂に行き、その間にこの日の記録を書く。なぜか羽アリが群がってきてうるさいので内張りを閉じてテントの中で書く。ほどなく3人が帰り、早々に横になる。昨夜3時間しか寝ていないのですぐに入眠。朝までしっかり眠る。
8月4日(日)
仙人湯〜池の平小屋へ
3:00,早発ちのパーティーか、テント周辺を声を立てずに動く人の気配を感じたが再びまどろみ、次に遠慮のない学生達の声ではっきり目覚める。昨夜はシュラフは出さず、途中でウールのシャツを着ただけで少し寒かったが7時間あまり熟睡した。トラツグミとヨダカの鳴き声が聞こえる。わがテントは5時過ぎまで動かないので外に出てランプの光で記録を書く。
しばらくして小形が起きてごそごそしてからいなくなった。釣りにでも行ったかと気にも止めなかったが、書き終わってひと風呂浴びようと石段を降り始めると、上がってくる小形とすれ違った。露天風呂は広々として湯加減もちょうどよい。満喫して戻ると朝食の準備が進んでいた。
6:10から朝食,テント撤収,パッキング〜と出発の用意。奥の2つのテントは早々と出立し、女性を含む学生パーティーも上に向かって残るは我々と隣のテントの3人だけとなる。小屋からは水平道に向かう中高年のパーティ-が次々と出て行って辺りが静かになった。
ご飯と味噌汁にソーセージの朝食,パッキングを済ませ、7時10分出発。小屋の脇を通りかかると呼び止められコースの危険個所の説明を受ける。『仙人小屋の遠北邦彦さんは今もやっていますか』と聞くと、去年辞めて今は別の人がやっているという答え。同20,改めて出発。いきなりの急登で汗っかきの中本が早くもシャツを絞る。欅平の登りを思い出させるが、生ものを全部食べて軽くなったのと身体が多少慣れたのとで幾分楽になった気がする。初日と2日目の差である。
7:45,大きな3本のブナの根元で小休止。一帯はブナの純林とも言える美林で林床が明るく、カニコウモリ,トリアシショウマ,チダケサシ,マイヅルソウ等の植物が多い。小形が『これがブナ虫』だと言って緑色の小型のイモムシを見せる。
8:00発。早くも上から1人降りてくる。同15下の廊下への道を分ける。『仙人湯まで2時間』の標識。上からまた1人。左手から仙人谷の沢音が聞こえてくる。 いつしか小形〜中本〜藤井〜木偶のオーダーが出来上がり、始めからしんがりを行く。すぐ前をゆっくり歩いていた藤井がツリガネニンジンの花を指差しながら黄色いキイチゴの実を手渡してくれた。ゆっくり行こうという意思表示だとホッとする。
急坂に差しかかり後ろからの陽射しが暑くなる。ここからはロープの連続。8:40,男性2人がロープ場で待ってくれていて、それを交わして上から来る3人連れを待つ。登山者の往来が激しくなってきた。待ったり待たれたりする場面で気持ちのいい交流をしたいものだが、最近は待っても黙っていく人が多くなった気がする。そういうものだと割り切って気にしないようにしなくては気分を害する。
mr hujii & deku
右手の小沢の水を一口飲む。続いてまた小沢があり水は豊富である。左手仙人谷の沢音が大きくなる頃,先行する3人が休んでいるのが見える。8:50休憩。コメツツジ,ミズナ,マイヅルソウ,ツリガネニンジン等の花。少し食べる。
9:06発。すぐにロープで単独と3人のパーティーに先を譲り、3人下りてくるのを待つ。同12,雪渓末端に着く。小屋の人が言っていた通りに雪渓を歩く。陽射しがあっても雪渓の上は涼しくて心地よく、快適に歩いて同27,雪渓から尾根に移る。尾根は砂がザラザラして滑りやすい上に浮き石が点在する急登でロープがある。
おりしも賑やかに喋りながら降りてきた中高年の一団がこともあろうにロープの真下に座り込んで談笑し始めた。あぶなくて仕方がない。小さな砂粒も落とさないようヒヤヒヤしながら登らなくてはならない。周りを見ない状況判断力のない登山者いることに驚く。
地図にある急坂はしんどかった。上からの2人を待って交わす。9:44,左手に蒸気が吹き上げるのを見る。同54,小休止。着くのを待って小形から中本経由でコップ一杯の水が送られてきた。前日のトンネルの水に匹敵するおいしい水だった。瓢箪タンクの水を詰め替える。植相はシモツケソウの大きな葉,ウド,シシウド,ネマガリタケ等。
10:10発。同12,小さな雪渓を渡る。同25,仙人の岩屋と呼ばれる岩室に着く。中はかなりの人数がビバークできる程の広さで、室町時代のものと言われる仏像が安置されているが盗難を避けて金網が張られ、また岩肌にはヒカリゴケが見られると言うが昼間では光ってくれず、ただ外観を見るだけである。
1分後の10:30に仙人小屋着。
仙人湯の思い出
仙人小屋の小屋の前の広場の一画には露天風呂があった。20数年前ここに泊まった時、この湯に入って星空を見上げたこと,その風呂に入っていた外国人の女性をふくむ一団から写真を撮ってくれと頼まれたことは覚えているが、その場所には覚えがなかった。
その風呂に入って鹿島槍を見上げることができたと思い込んでいたが、来てみるとここからは鹿島槍は見えないことが分かった。だとすると、仙人池から仙人湯に至る道々垣間見たのを仙人小屋から仰ぎ見たものと錯覚していたのかもしれない。
夕食に出されたサワアザミの葉のテンプラがびっくりするほどおいしくて、一枚だけではもの足りずもっと食べたいと思ったものだが、たった一枚だったからこそ強烈な印象を受けたのだろうと思ったりもした。今も忘れられない鮮烈な記憶である。
その時の主人が遠北さんである。遠北さんは梁場の民宿の他に大汝に避難小屋を持っており、行き暮れてその避難小屋に泊めてもらったのが彼との出会である。その後、梁場の民宿を訪れて仙人小屋のことを教わり、剣岳・剣沢の下りにここに泊まったのだ。
当時の遠北さんは骨太のがっしりした体格で、一文字に引き締まった口元に髭をたくわえ、眼光に力があって意志の強さとな活力を漲らせたいかにも黒部の主にふさわしい風貌だったが、そのエネルギッシュな押し出しとは裏腹の、おだやかな語り口と、細くて柔和な目が親しみと安心感を与え、仙人というより“熊さん”と呼ぶのがふさわしいような人だった。
一昨年の暮れに梁場の民宿に氏を訪ねたが私のことは思い出してもらえなかったので、こうして遠北さんを知る人から彼のことを聞くことができたのは幸いだった。現小屋主のTさんによると遠北さんは今年で65才。できることならもう一度思い出話しに花を咲かせたいと思う。
仙人小屋で昼食。パン3個,ブルーベリーのジャム,チーズ2個にコンデンスミルクをチュウチュウと吸う。他にフルーツゼリー,煎餠等。この日の行程は短いのでゆっくり休み、着替えたシャツとぬれたタオルを洗って干す。3人は風呂に浸かってビールを飲んだが、私はそこまで風呂好きではないしアルコールも飲まない。小屋主のTさんから北方稜線や下の廊下での死亡事故の話しを聞き、ちょっとナーバスになる。
11:52発。小屋の裏近くの左手の薮の中でガサゴソと何かが動く気配と『フゥ-,フゥ-』と言う獣の鼻息のような音を聞いたような気がした。熊が出没して小屋まで荒らされたというTさんの話しを聞いたばかりであるし、以前、池の平小屋では駆除したばかりの熊の解体現場に遭遇したこともあって自然に足が速くなったが、その音は我々にずっとついてくるようで、温泉を引くパイプの繋ぎ目から蒸気が吹き出している音かもしれないとも思ったりした。
道が谷に近づくと、オタカラコウ,ミゾホオズキ等の湿性植物群やコウゾリナ,タカネニガナ等の黄色い花が目立つようになる。
12:23,雪渓の手前で単独の人を待ち、スプ-ンカットの雪渓を渡る。同40,渡り終わって休憩。風が心地よい。12:55分発。急登となるとりつきで4人を待って交わす。13:15,右手に雪渓を見て5分後にその雪渓を右に渡るとそこから急登の連続となる。
仙人小屋のTさんが小窓方面のガスの湧き方が早いのを気にしていたが、その心配の通りガスが上がり始めるとすぐに雨が降ってきた。13:35,雨具とザックカバ-を出す。45発。雨具をつけると途端に晴れるのはマ-フィ-の法則か! 藤井はすぐに雨具を脱ぐ。
14:00丁度に仙人ヒュッテへの分岐点に着き小休止。ここで先ほど雨具を着た場所に瓢箪型タンクを忘れたことに気づく。5分で取りにいける距離だが諦めて上から来た老夫婦に使ってくれるように言うと『貰って行く』と言ってくれた。
14:06発。ガレ場の急登を登って20分で仙人ヒュッテに着き休憩。食事の時間を取る。
仙人ヒュッテは剣岳の岩峰群の展望が抜群で、またすぐ前の仙人池に映る剣岳が素晴らしく、シャッターチャンスを待って長期滞在する人も多い人気スポットである。登山というより写真を撮りにきたという感じの客がたむろしている。だが、肝心の剣岳はガスの中である。
そのガスが時折り晴れると目の前にチンネ,八ツ峰,ドームと林立する岩峰や小窓,三の窓,池の谷乗越等と思われるキレットが見える。今回の山行で初めてその姿を見せた剣岳の岩峰群であるが、速いガスの動きでなかなか特定することができない。
ゴロンと遠くで雷鳴がして続いてもう一つ鳴った。今度は少し近い。嫌な気分に捉らわれる。急がないくてはならない。14:52発。急ぎ足で仙人峠に向かう。15:12,峠を通過。雨が次第に強くなる。4人連れを待ち、次いで雨具無しでびしょぬれの単独を交わす。
15:35,池の平小屋着。小屋の裏側にビニールシートの屋根が張り出した一坪ほどのスペースがあり、そこに駆け込んだ途端に雨が激しくなりやがて土砂降りとなる。30分あまり雨がやむのを待ったが一向に上がる気配がなく、ぬれた衣服に体温を奪われ寒くなってきた。
幕営の手続きのこともあるので藤井と2人で小屋に行くと、小屋にはストーブが燃えていて中にいた男女がストーブの前を空けてくれた。外の2人に小屋に入るよう呼びに行っている間に別棟に申し込みに行っていた藤井が小屋の主人を伴って小屋に入ってきた。
翌日の行く先を告げると俄かに小屋の主人の態度が変わり、救助隊と連絡を取るので待ってくれと言ったらしい。最近『素人の人がここからスッと北方に入るケースが増えている・・』のだそうだ。Aという小屋主は『北方稜線に入るのであれば救助隊と連絡を取って判断を仰ぎたい』ので待ってくれと言い、衛星電話で救助隊を呼び出して直接話すようにとCLの小形に受話器を渡した。
救助隊と小形の間でコースの最新情報と、それに対するこちらの装備や力量,経験等に関する確認があり、雪渓の通過やルートファインディングにおいて慎重に行動するようにとの助言をもらって認知を受けることができたが、そのやりとりを聞く私達の間に緊張が高まり、重い空気が張り詰めてきた。最大の問題は明日の天候であるというのが一致した認識である。
やや小降りになったのを見計らってテン場に移動。ぬれて寒いので急いでテントを張り、細引きとシュリンゲでフライを引っ張ってとりあえず中に入る。ぬれた物を脱いで着替え、コンロに火をつけるとすぐに温かくなり、人心地を取り戻す。ぬれて寒いと心細く弱気になり、温かくなると気丈になるものらしい。お湯を湧かしてワンタンのスープにジフィ-ズの牛丼で早い夕食を済ませ、翌日の行動についての検討に入る。
天候が第一である。まずラジオを聞くと富山県北部に大雨洪水警報が出たということで、この雨が山岳部だけのものでないことが分かった。問題は気圧配置や前線の動きであるが、気象通報を聞いて天気図を書こうにも今回は天気図用紙も持たずにきた。いずれにしてもこの雨とガスが晴れないかぎり北方稜線に入るのは論外ということである。
次はエスケープルートをどう取るかという話しになる。北方稜線を歩けないのなら長居は無用で一刻も早く山を下りることを考えるが、室堂経由のアルペンル-トは高くつくのでできれば馬場島へ抜けたい。そのためには真砂沢から剣沢を経て剣岳に登り早月小屋まで下りなければならないが、それは1日の行動では無理なので剣沢泊まりとなり、そうなるとわざわざ早月尾根を下るより室堂経由の方が早いということになる。困難なルートではあるが、北方稜線は馬場島に下る最も有利なコースでもあるのだ。そうであれば1日停滞してでもこのルートを行く方がいい。
急にこの後の9日,10日に3才,6才,小3の子ども達とその母親を栂池から大池まで引っ張り上げる白馬岳登山のことが気になり始めた。充分な打合せができていないのですぐにでも連絡を取りたいが電波は飛んでくれない。明日中に電話連絡できないものかと色々考えてみたがどうにもならない。
室堂に出るのなら大町に戻る方が早いが、それでも明日は無理だし、車が宇奈月にある。自分が立山・剣の最も奥深いところに居るのだということを改めて実感する。こんなことを考えるのは、池の平に着いてからの救助隊とのやりとりや雨のせいで自分が弱気になって、できれば北方稜線から逃げたい気分になっているのだと気づく。これが10年間のブランクと言うものなのだろう。
一方他の3人は意気軒高で、ただ天候の心配だけをしている。中でも小形は少々の雨なら決行しそうな様子である。つまるところは天候次第というのが結論である。雨はやむ気配がなく、みなは明日も降り続くと思っているようだが私の予感では上がる気がしていた。話が終わるとみな早々にシュラフに潜り込んでしまったので記録をまとめるのはやめて横になる。
深夜2時,突然藤井が『やばい! 水だっ!』と叫んで飛び起きた。マットの下を水が流れていると言う。運よくもう1枚マットが残っていたのでそれを水が入らないよう両端を荷物の上に跳ね上げて敷き、その上に寝る。幸いなことに水はそれ以上侵入しなかった,というより、その頃から雨が小降りになり、やがて雨音が遠のいてみな静かに眠りに就いたのだった。
小窓雪渓を登る
8月5日(月)
4:00起床。雨は上がっていた。上空に青空が覗いているところもあるが、周辺はまだガスの中で視界はあまりきかない。テン場中央の小高い場所に陣取った学生達は剣沢方面に向かい、残る2つのテントはまだ動かない。
上から落ちてこなければ決行に決まっているとばかり、誰もそのことに触れぬまま、餅入りラーメンの朝食,テント撤収,パッキング・・と、朝の手続きが淀みなく進む。そして出発。5:45。
テン場の左奥から右の尾根を巻くように進み、5分で小雪渓。軽アイゼンをつける。同55から5分で雪渓を渡り終えアイゼンを外す。6:09休憩。カメラとアイゼンを収納。陽射しはあるものの山頂方向が雲で視界を遮られ、目標がはっきりしない。ブヨが目の回りをブンブン飛びまわってうるさい。
6:12発。同22小窓雪渓へ向かう鎖場からぬれた岩棚に出ていきなり緊張を強いられる。棚幅は広いが、逆層でやや谷側に傾いて滑りそうなので自ずと慎重になる。落ちれば40mほど滑ってその先から50mの断崖,その下はどこまでも続く急傾斜の雪渓で。岩棚の次はガレ場の連続。
6:40,小窓の雪渓の取りつきで再びアイゼンをセット。同53,登高開始。救助隊が指摘したクレバスを慎重に通過する。目の前の滝の水音が高い。6:56,後ろから陽が射し始めたが雪渓の冷たい風が心地よい。そこかしこにカモシカの足跡が見られる。
傾斜はあるものの雪の表面が柔らかくてアイゼンがよく効くのでスリップの心配もなく、一気に 150m近く高度を稼ぐことができた。雪渓を気にしていた藤井がトップで上がって行く。最後はすり鉢状に立ち上がっていてきつかったが7:38に雪渓上端に着く。天気はよく鹿島槍,爺ヶ岳が大きい。シナノキンバイの金色のカップがまばゆい。
7:50発。雪渓の上の滑りやすい草つきを5分で抜けて稜線でアイゼンを外す。そこから右手の岩峰と左手の大岩の間のガリ-をよじ登り、右手の小ピークをトラバ-ス気味に急登する。辛い登りの連続だが、タテヤマリンドウ,コイワカガミ等の花に励まされる。
8:40,小窓の稜線上に出て最初の小さな雪渓の前で休憩。ここまでかなりハードな登りを強いられたので20分休んで呼吸を整える。9:00発。三度アイゼン装着。距離はないが滑ると一気に持って行かれそうな傾斜を1歩1歩蹴り込みながら慎重に渡る。
8分で渡って再度休憩し緊張を解す。目の前に後立山連峰が丸見えの展望である。白馬岳は今日も頭の雲がとれない。ただここまでくるのに『小窓を離れた所から確認してそこを目指して登る』というごく普通の登りができなかった。従って小窓がどんなふうに『窓』なのかを把握することも、また自分が今いる位置が遠くから稜線を見た時のどの辺りなのかを想像することもできないという恨みが残った。
9:12発,同15稜線上の2つ目の北側に流れる雪渓にかかる。先ほどの雪渓よりもきついだけでなくクレバスがあり、検討の結果ザイルを出すことになる。ザイルは8mm,30m。中本が確保して小形が空身で工作。キックステップでしっかりと足場をつくり、渡ってセルフビレイを取る。ハーケンがないので、岩盤に並行して上に向かって突き出た薄い岩板にシュリンゲを引っ掛けて確保。9:47から藤井,次いで木偶が渡った後、木偶の確保で小形が荷物を取りに戻り、最後に中本が渡る。
シュリンゲをかけた薄い岩は強い衝撃がかかると剥がれる恐れがあるので過大な力が加わらないように構えて足を踏ん張る。10:15,全員通過。緊張の1時間だったがアッという間でもあった。
こう書くと緊張の連続だったように見えるが、待っている間はのんびりと景観を楽しむことができた。峡谷を隔てた目の前のほぼ同じ高さに鹿島槍から北に延びる後立山連峰北部の山並みがきれいに見えており、その最後は白馬岳である。五竜岳の南側の馬のたてがみのような稜線や、非対称の白馬岳の秀麗な山頂をこちら側から見るのが何年ぶりのことなのかすぐには思い出せない。いつもは安曇野側から見ている山並みを、ちょうど反対の飛騨側から眺望していることになる。それはちょっと不思議な感覚だ。
雪渓を渡り終わって出発しようとした時、藤井が草むらにカメラの忘れ物があるのを発見,木偶がザックにしまって届けることにする。
この後,いよいよ最難所の池の谷ガリーにかかる。
チンネに挑むクライマー達〜ガスの動きが激しい
10:15発。左手に小窓王の圧倒的な岩壁を見上げながら登り、同42,その小窓王の基部に着く。黒部側から稜線を越えて池の谷側へ移ると急に冷たい風がガスを伴って吹き上げてきた。
右手の池の谷雪渓左俣が突き上げる先が三ノ窓で、そこから池の谷乗越しへの急登が悪場で名高い池の谷ガリ-である。一瞬のガスの晴れ間に見るガリ-は急斜面に大石がぎっしり詰まった石の河である。ガリ-と言っても幅は広い所で30m,長さは 200mにもおよぶという。険しさよりもその距離の長さにうんざりしそうである。
けれど目の前の課題は、三ノ窓に向かうバンドの下りである。こちらの方が急傾斜でズルズルと滑りやすく、しかも石が不安定な上に先行者が真下になるので落石を起こすのが恐い。
慎重に慎重を重ねたつもりだったが遂に大き目の石を落としてしまった。その石はすぐに止まってくれるだろうという期待に反して次々と近くの石を巻き込み、かなりの規模の落石となって凄まじい音を轟かせながら落ち続けた。池の谷側には人はいないだろうと楽観して落石を知らせる声を発せずに見守っていた私に代わって小形が大声で『ラク-ッ,ラク-ッ』と何度も叫んでくれた。
落石はやがて止まったが、落石を知らせる声を出さなかったことがいつまでも心に引っかかった。落石を起こしたことよりも声を出さなかったという怠慢が許せなかった。声が出なかったのではなく、必要がないと勝手に判断して声を出さなかった。つまり怠慢であり認識の欠如なのだ。小形が『自分もかつて同様の経験をして他のクライマーに怒鳴られた経験がある』ととりなしてくれたが、しばらくは気が重かった。
こういう悪場にもミヤマオダマキ,チシマキキョウ,タテヤマリンドウ等の花が咲いている。気持ちを切り替えてテントが見えている三ノ窓に向かう。
11:05,三ノ窓着。テントが2張りあった。左手は三ノ窓雪渓。主稜線,剣岳本峰方面はガスではっきりしないが、晴れるとすぐ目の前にチンネの岩峰が現れた。チンネはその登攀面が真横から見える位置にあった。小形が目ざとくそこに取りついているクライマーの姿を視認し、その位置をポイントするのを目で追って4つのヘルメットが動くのを確認する。一度確認すると先ほどから聞こえていた声の正体が彼等のものと分かり、再び霧に閉ざされてもその声がはっきりと彼等の位置を教えていた。
一瞬の晴れ間,青空に垂直のスカイラインを描くその壁をよじ登る彼等の姿はシルエットとなって見る者の目に焼きつき、羨望と憧憬をかきたてる。不遜にも自分
をそのシルエットに重ねて“いつの日か〜”と思ったりする。
11:25発。5分で池の谷ガリ-に取りつく。チンネとドームの2つの巨大な岩峰に挟まれた幅30m,長さ200mにおよぶ長大な岩の河である。岩屑の堆積はモレ-ンに似ているが、氷河に由来するものではない。という事はすべて上から落ちてきたもので、つまりここは落石の巣なのだ。のんびり登ってはいられない。ただ、先ほどのバンドとは違って一つ一つの石が比較的大きく,互いにしっかりと支えあって一応安定しており、ズルズル滑ることがないので登りにくさはない。しかし何と言っても傾斜がきつく、その上長すぎる。
前半は左側の岩壁との境目を登る。12:05,半分以上登ったと思われる所で休む。振り返ると先ほど下ったバンドがよく見える。同15発。上部ガリ-は幅5m程に狭まり、傾斜も幾分緩くなる。イワツメクサの群落を写真に収める。花は他にハクサンイチゲやミヤマオダマキ等。同25,ようやくガリ-を乗り切って池の谷乗越しに着く。出発以来まもなく7時間,激しい登高で消耗する。
池の谷乗越しからは八ツ峰の機銑妻,八ツ峰の頭に至る針峰群が丸見えで、小さく動いているクライマーのヘルメットが認められる。
12:35分。これより長次郎の頭を迂回して主稜線に出れば本峰は近い。岩場の急登15分で池の谷の頭。左眼下,長次郎雪渓の源頭部,熊の岩にテントが一つある。
5分休んで12:55発。この日最後の悪場とも言える源次郎のバンドにかかる。長次郎谷右俣最上部の凹状のバンドをトラバ-スする。落ちれば長次郎雪渓を一の沢までの直行便で、見通しの悪い時には歩きたくない所だが今は晴れており、何なく通過。問題はむしろその後である。
そもそも北方稜線にはペンキの目印などなく、ルートを見つけながら進まなくてはならない。踏み跡はあっても残雪の状態で歩く場所が変わっているのでこれと言って決まったルートはないに等しい。バンドを越えてからの道はほとんど不明で、ただ、長次郎の頭からずり落ちてきた残雪の切れ目の間を、ガラガラと岩屑を落としながらしゃにむに進んだが、長次郎谷左俣源頭部にさしかかる当りで道に詰まる。少し下り過ぎたのではないかと不安になり登り返したが稜線は右手遥か上である。
13時:30,稜線まで登るか、急な崖を下るかという岐路で小休止。下を覗き込むと、先ほど詰まった場所と崖の下が回廊状につながっているように思え、小形が空身で偵察に行く。経験のある小形の記憶が頼りなのだ。思ったとおり回廊状になっている岩場を回って小形が崖を登ってきた。
13:43発。以後は問題なく、同57主稜線に出る。涼風が心地よい。いよいよ本峰への最後の登りとなる。左下の源次郎尾根に懸垂下降を待つ登山者が長蛇の列をなすのを見る。
14:10分,中本の『見えたぞ〜』の声。何が見えたのか,多分頂上のことだろう。5分遅れてその場所に立つと、ガスの向こうに頂上らしき岩峰を垣間見る。同28登頂。
頂上には我々の他に外国人女性と邦人男性のパーティーがいただけで、時間が遅いからか天候のせいか、8月上旬の剣岳山頂とは思えない淋しさである。この2人が私達を見て無造作に北方稜線の方に下って行こうとしたのを慌てて止める。こう言う手合いが結構いるらしい。
14:48発。展望もよくないし寒い。何よりも早月小屋までの3時間の行程が残っているのでのんびりしてはいられない。けれど北方稜線縦走の緊張感から解放されたという安堵感から気持ちに緩みが出てしまってどうにも締まらない。
14:55室堂への分岐点を通過,室堂方面は晴れ。ここからはうるさいほどの鎖場の連続となる。15:15,最後の鎖場を過ぎる辺りで早月小屋を遠望する。まだ先は長そうだ。
15:30,小休止。同40発。小形,中本が先行し、藤井と2人遅れて行く。『今日はどこででもークしてやる』等と冗談を言いながらやけっぱち気味に歩く。16:12,小ピークの手前で小休止。ハクサンイチゲやトリカブトに混じってマツムシソウやアキノキリンソウ等、すでに秋の気配を感じさせる花を見る。5分後発。
小ピークを登ると先行の2人が待ってくれていたのでまた休む。2610mのピークかどうかで意見が別れる。もっと下りているはずだと思いたいがまだその地点らしい。白花のトリカブト,エゾシオガマ,ベニバナイチゴ等,花も低山種に変わる。
16:35発。5人の中高年グループを追い越す。17:14〜37休憩し、18:11,早月小屋のテン場に着く。5:45の出発以来12時間半におよぶ長丁場でさすがに疲れた。
テン場にテントはなく、我々は小屋に近い一等地を選んで幕営。少し遅れてもう1パーティーがテントを張っただけで静かな野営となる。小屋の前の広場から日本海に沈む夕日を見送る。富山市街と富山湾がよく見える。食事はビーフンと乾燥野菜入りスープ。17:30に終わり、同45テントに入る。離れたテントから賑やかな星空をたたえる歓声が上がるのを聞きながらいつしか眠りに落ちていた。
馬場島へ
8月6日(火)
5:00起床。ご飯と味噌汁,シャケの朝食。パッキング。拾ったカメラを小屋に届け、6:52出発。出がけに小屋の主人が一応住所,氏名を書いてくれと言いに来たので7:00の出発となる。早月小屋では水がなく、2ℓ700円のペットボトル入りの水を買う。1ℓ当り 350円である。1人500ccづつペットボトルに詰めて持つ。
7:22,小休止。途中,先に出発した昨日の中高年のグループを追い越す。同28発。同45分馬場島の建物群を見る。8:00,同じグループの先行集団を追い越す。
8:18,小休止。同25発。長い下りの途中、親子と思われる2人づれが2本杖ですごい勢いで登っていくのを交わす。さらに単独の人とすれ違った他は登る人もなく、信じられないくらい静かなコースだ。
8:57休憩。早月川の河原が見えており、沢の音や重機の音が聞こえているが先はまだ長そう。9:05発。同29,最後の一口分だけ残して水を飲む。右手の向かいの山の砂防ダムが目の高さになり、沢音が大きくなる。同43,1047mの展望広場で3人が休んでいたが、水が欲しいので休まず通過。10:07,馬場島登山口着。同11,キャンプ場の炊事場でたらふく水を飲む。
10分後に3人が到着。中本,木偶は水着姿で頭から水をかけて身体を洗う。さっぱりした後、小形が手配してくれたTXで上市へ。上市で富山へ向かう3人を見送って昼食を摂り、12:26の特急電車で宇奈月へ。13:21着。同26発,黒部IC,14:01糸魚川IC,14:30。帰途,美麻の畑によって16:30頃帰着。19時頃,広島組帰着の知らせを受け、無事終了となる。
終わりに
40年前,初めて剣岳の山頂に立った時,一般登山者が北方稜線方面に迷い込まないように張られたロープを前にして、自分がそのロープからはみ出すことは一生あり得ないだろうと思ったのを覚えている。
労山の仲間達との出会いがなければ今もそこから1歩も出ていないだろうことは疑いない。労山の組織力と思想が自分の登山を支え、その領域を広げてくれていることを改めて感じている次第。
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