(過去レコ)室堂→剱岳→剱御前→立山→薬師岳→室堂山→奥大日岳
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- GPS
- 80:00
- 距離
- 64.9km
- 登り
- 6,455m
- 下り
- 6,455m
コースタイム
- 山行
- 6:40
- 休憩
- 1:00
- 合計
- 7:40
- 山行
- 11:15
- 休憩
- 1:30
- 合計
- 12:45
- 山行
- 10:40
- 休憩
- 1:20
- 合計
- 12:00
天候 | 21日=極上の快晴 22日=快晴後霧 23日=霧後晴れ 24日=霧後晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2007年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス 自家用車
|
予約できる山小屋 |
剣山荘
|
写真
感想
【山行記録投稿=2017年8月30日】
前日(20日夜)は夕方7時頃から9時半頃まで、2時間半しか眠れず。
東京からずっと一般道をゆっくり走り、扇沢に着いたのは早朝4時頃だったろうか。満天の星空で風もなく、穏やかな山旅の始まりを予感させる静けさだった。
平日なので、7時30分の始発のトロリーバスの乗車券発売開始時刻になっても、乗車券売り場に並んでいたのは20人程の少なさ。室堂へは9時23分頃に着く。
上空には雲の全くない快晴。9時25分に万歩計をセットしてスタート。1時間ほど先に着いた美女平からのバスで来た客や、周辺の宿泊施設で泊まった人達などが散策していた。ミクリガ池に映える立山の、その余りにも美しい姿に感動させられる。いつまでもじっと見詰めていたい絶景だった。賽の河原には数張のテントあり。
雷鳥沢を渡った先の分岐は9時55分。
今日の予定はまず別山乗越へ上がってから別山・北峰へ行き、剣山荘へ下ってからザックを山小屋に預けてサブザックで剱岳に立ち、明日に備えて出来るだけ薬師岳方面に近い山小屋に泊まるという、初日から忙しいスケジュール。
緩やかな雷鳥坂をハイピッチで上がっていたら、汗が顔から滝のように流れ落ちる。快晴無風で、気温も高い。追い越したのは数人で、10時45分に別山乗越へ上がる。峠を吹き抜ける風が涼しい。
剱御前小舎のベンチにザックを下ろし、汗が流れ落ちた眼鏡レンズをティッシュで拭いたり、スポーツドリンクを飲んだりして10分休む。
別山北峰には11時15分に着く。ガスの掛かる山は皆無、快晴で360度の眺望あり。
眼前の剱を眺め、感動のあまり身の毛もよだつ。日本中のあらゆる山の中で、剱岳が断トツに好きだ。いや、”好き“と言うのは語弊があるほどの王者の風格に溢れた、近寄りがたい崇高さを感じさせる。『試練と憧れ』とは言い得て妙とつくづく思う。
9年前の10月に初めて来て以来、二度目に来る時の天候が大変気になっていた。
少しでもガスが湧いていたら、前回のような圧倒的な感動は得られないだろうとか、あまりにも良かった前回に比べて落胆するだろうなぁと思っていたが、今回もまたこれ以上望むべくもない、まさに完全無欠の展望だった。
石囲いがある別山南峰には単独行の若者がいたが、北峰には誰もいず、生涯に一度しかないような気がする壮大な展望を貸し切りで堪能していた。
11時35分、もう心残りのない北峰を後にして三田平へ下り、剣沢キャンプ場の中を通って剣山荘へ。12時20分に着く。
剱から降りて来てから宿泊手続きをしますのでザックを預かって欲しいと言ったら、それなら先に手続きをして欲しい、山頂へ行って戻るまで5〜6時間掛かるのでライトやツエルトも持って行くようにとか、警察からは11時を過ぎてからは登らないように言われている、などと言う。
私が、前回は2時間で登ったというと、今回も前回と同じとは限らないと。重いザックを預かって貰う以上は小屋側の言うとおりにしない訳にはいかぬ。宿泊料金を払い、サブザックにカメラ、水、おにぎりだけを入れ、12時30分に登り始める。
剣山荘のスタッフに原則的な小言を言われたので、意地でも速く行ってこようと言う気になり、大急ぎで歩く。少し上った所で3〜4人のパーティーを抜き、上り詰めたピークでは10人近くが休んでいた。
そこでは休むことなく素通りし、後でそこが一服剱だったと分かる。前方の岩山が立ちはだかる絶壁のごとくであったが、一歩一歩着実に歩を進めていれば何の不安も苦労もない。落石の起きやすい槍穂高の大キレットよりも歩きやすい。
13時15分に立ったピークに高年の男性二人連れがいた。ここが一服剱ですか?と聞くと、ここは前剱で、あそこが一服剱だと言って下方のピークを指さす。’何だ、もう前剱まで来たのか!’との思いだった。
13時55分、標準タイム2時間30分のところ、1時間25分で誰もいない山頂に着く。
追い越したのは10人あまり。今回の計画を立てるにあたっては、前回(’98年10月)の記録(剣山荘から上り2時間、下り1時間半)を参考にする。
頂上からの展望は富士山、八ヶ岳全山、南アルプスは悪沢岳まで、日本海側は富山平野の彼方に能登半島が薄っすらと見える。
山頂の祠は取り払われたばかりで、さい銭の硬貨が散乱していた。
剣山荘に戻り、宿泊をキャンセルして返金してもらい、剱御前小舎へ向かう。
小舎で宿泊手続き後、剱御前の頂上へ。
ここからの剱は別山以上に素晴らしい。別山から早月尾根はよく見えないが、剣御前からは左右に鋸歯状の尾根を均等に従え、堂々たる王者の風格である。
剱の頂上部は槍や北岳のようには尖ってなく、丸みのあることがかえって風格を高めている。
立山開山以降多くの修験者がこの地に立ち、ひれ伏して遥拝しただろうと思われる。剱の展望台として、これ以上の場所は他にはない。
夜のとばりに包まれた就寝前、小舎の外に出てみると目を見張るばかりの光景が眼下に展開していた。上空は満天の星空、富山市街はそれを一ヶ所に凝縮したようなきらめき、室堂平にはあちこちに山小屋の明かりが点在。別山乗越限定の夜景である。
感動と激走で暮れようとする今日一日を振り返り、感慨無量であった。
翌日22日から世の中は3連休、山小屋も混むだろうと予想された。
剱御前小舎では午前4時頃目が覚める。玄関は明るく、靴を履くのに不便はない。
2750mもの高地に立つ小舎なので、外は寒いのではないかと思っていたが、寒さは全く感じない。
真砂岳で日の出となる。眼下の内蔵助山荘はご来光が見られる山小屋として有名で、山荘の外には数人が出ている。雲海上がオレンジ色に染まり出したが、太陽はなかなか頭を出さない。刻一刻と変わる色合いに神々しさを感じる。いにしえ人は陽光を神として崇め、それが映える山を大日岳と称して崇拝した。日の出の瞬間の神秘的な美しさは、大自然の偉大なる神業と言えよう。
大汝山には休憩所の関係者と思われる感じの良い人がいた。
雄山頂上へ上がろうとしていると、登拝手続きをして下さいというマイクの放送で呼び止められる。500円払って手続きをし、頂上へ向かっていると、赤い衣装の神主が上がって来て小さな神社の中に正座し、祈祷が始まる。膝痛で正座は出来ないので、腰を下ろして痛い方の左膝は立てる。祈祷は4〜5分で終わる。
今朝は雲海が高く、富士山や南アルプスは見えないが、乗鞍・御嶽は見えている。
一ノ越山荘の自販機でPBの水を買い、登れるかどうかが気になっていた龍王岳へ。
明瞭な踏み跡があるにも関わらず、地図にルートが記されていないのが不可解だ。
鬼岳は鬼の角が乱立する針山、獅子岳から南は北薬師岳まで獅子岳より高い山はなく、大変展望の良いピークだが、時刻は9時を過ぎ、周辺の山々にはガスが掛かり始める。
ザラ峠には標柱あり。峠の南西は噴火口の内壁の断層がむき出しの断崖である。
断崖が崩落した斜面は大粒のスコリアでザラザラした地質であり、これが地名の由来であろうか?
五色ヶ原山荘に寄り、500ミリ2本を給水する。管理人さんなのかどうか好感度の男性がいらして料金は受け取られない。
私は、もしかすると明日の夜泊まるかも知れないと言って、山荘を後にする。
当初の予定は、今日はスゴ乗越小屋に泊まり、明日薬師岳まで往復して、夜は五色ヶ原山荘泊りを考えていた。
ところが、スゴ乗越へ向かう途中で、この日は薬師岳山荘に泊まることになる、ある出会いがあった。
越中沢岳への緩やかな上りの途中、後ろを振り向くと山ランの女性に追い付かれる。
連休を利用して徳島から来たと言う。何と、出身が私と同県人ではないか!
同郷のよしみで色々話していたが、先方はまるで平地を歩くようなスピードなのでとても付いては行けず、だんだん間が空き、やがて見えなくなる。
越中沢岳に着くと彼女はおにぎりを食べていたので、私も5分ほど休んだ後、先に歩き出す。スゴノ頭手前で追い付かれたが、前を歩いていた私はルート間違えて頭へ向かう。頭から先にはルートがなく、間違えたことに気付いて引き返す。今度は彼女が前を歩く形となり、再び間が広がって見えなくなる。
スゴ乗越小屋に着くと、彼女は外のベンチで他の登山者と話をしていた。それが耳に入り、またびっくり!
何とテント泊であり、今日中に薬師平へ下ると言っている。サポートタイツに運動靴、ザックは小さなデイパックのようであり、テン泊装備一式を持っているとは思われない。ツエルトを立てて寝るのだろうか・・・・・
スゴ乗越小屋では宿泊者が部屋から顔を出し、暇そうに外の様子を眺めている。
小屋から薬師岳山荘までの標準タイムは4時間20分、急げば何とかなりそう。
予約はしてないが、追い返されることはないだろう、と思う。
小屋のベンチで私が食事中に彼女はスタートし、以後薬師頂上にも姿はなかった。
五色ヶ原以降のガスは濃くなる一方で、薬師岳の長い稜線では展望は全くない。
風景は何も見えず、頭の中はただひたすら足元を見て前へ進む、先を急ぐことのみ。
そんな状況下でも、薬師頂上には山荘泊りの人が3人程手ぶらで来ていた。
薬師岳山荘着17時丁度、3連休の初日で登山者は多く、既に食事は始まっている。
泊りを申し込むと、予約をしているかどうか聞かれる。
していない旨答えたが、拒否はされず。
寝室は2階の大広間で、隙間なく布団が敷き詰められていた。
もし同郷の女性と出会わなかったら、当初の予定どおりスゴ乗越小屋で早い時間からまったりとして外を眺めていただろう。
彼女は、長時間 速く歩くことの意味を教えてくれ、私の目の前から風のように過ぎ去った存在だった。
天候もまた、ある意味で味方をしてくれた。日中もずっと快晴だったなら好展望の稜線や山頂からは山岳展望に時間を取られ、わき目も振らずに歩く訳にはいかなかっただろう。
五色ヶ原以降、撮った写真はあるにはあるが、生涯に渡って保存しようとは思わず、ほとんどを㍶から削除した。
三日目は薬師岳山荘で朝食後にスタートする。
早朝からガスが濃く、展望皆無の薬師頂上はノンストップで通過。
今日は室堂への移動日だと自分に言い聞かせ、雨が降らなければ良しとする。
越中沢岳で電波が通じ、雷鳥沢ヒュッテへ宿泊申し込みをする。
昼過ぎから山に掛かる雲が消え、ザラ峠では強い日差しが照り付ける時間もあったが、日中は総じて雲の多い晴れと言う感じ。
室堂山の展望台は、山地図には360度の展望とあるが、東側は浄土山の大きな山体が見えるだけなので、360度の展望を楽しむには浄土山(北峰)がお勧め。
室堂では断崖直下の玉殿岩屋を見物する。平坦なイメージの室堂平からは想像もつかない大きな岩窟で、数多くの石像が祀られ、異界の雰囲気が漂う。
雷鳥沢ヒュッテには携帯から連絡した18時より40分早く着く。
大規模なホテルのような山小屋で、料金も安い。大広間は単独行の男性ばかりで、上段の4畳半でゆったり休む。
風呂は露天ではなく、屋根のある展望風呂。豪雪の山岳地ゆえ、本来の露天風呂ではない。真っ暗い時刻なのに雷鳥坂を下る明かりが見え、キャンプ場へ戻る登山者だろうか…
四日目、雷鳥沢ヒュッテで目を覚ましたのは夜中の午前2時過ぎ。起きるには早すぎるが、再びは眠れそうにない。仕方がないので、起きて展望風呂へ。
熱過ぎるお湯を水で薄めてかき回す板が壊れている。隣の女性用の浴槽から壊れてないのを持って来て使う。
奥大日〜別山〜真砂〜富士ノ折立へと連なる稜線の上空には星がいっぱい出ている。
ぬる過ぎるくらいに薄めて40分ほど入っていたら熱くなったので、裸のままヒュッテの外へ出る。すると寒くなり、また入る。
出たり入ったりしている内に、空と尾根の境界がはっきり見えるようになり、女性用の浴槽から話し声が聞こえるようになる。
その後 男性用にも人が来たが、女性用には大勢が入っているらしくて賑やかだ。
朝食後、ヒュッテにザックを預かって貰い、サブザックで奥大日岳へ向かう。
奥大日は3年前のGWに残雪を踏んで登頂したが、その時は最高点には立っていない。すぐ近くに最高点がありながら登っていないのは一介の山好きとして釈然としない。
厳冬期は北側に大きな雪庇が出来るようだが、季節風の風向きが特別なのだろう。
夜明けからガスが濃いが、今日はこの山以外は予定してなく、時間が経過して晴れることを期待しながらゆっくり歩く。
風がなく、ガスはなかなか飛ばされない。仕方なく三角点へ行き、ここで展望が広がるのを待つことにしたが、晴れそうにないので下り始める。
カガミ谷乗越付近まで下った時、ガスは急速に消え始める。
立山三山がガスの掛からない完璧な姿で見える。室堂平から天狗平に掛けては平らな台地となっていて、称名川が深く切れ込む。ヘアピンカーブが連続する高原を、上りの大型バスが鈍いエンジン音を響かせながら走る。
ガスは完全に消え、もう今日は掛かることはあるまいと思っていたが、間もなくして再びかかり始める。山の天気の気まぐれさは予測しがたい。
室堂乗越では東大谷が雲海に埋め尽くされ、その上に牙城の如くそびえる剱が圧巻。
純白の雲海と黒々とした山肌のコントラストが強烈な山岳美を演出している。
ヒュッテに戻り、ザックを整えて室堂バスターミナルへ向かう。
かっては山小屋もあったという地獄谷は、夜間は入口に鎖を張り、通行止めらしい。
3連休なので室堂BTは行楽客で混雑していたが、多くは中高年で若人が少ない。
今の中高年はカネに余裕があって元気な人が多いような気がする。
若人には休日といえどもレジャーを楽しむ余裕のない人が多いのかもしれない。
黒部ダムまではスムーズな乗り継ぎだったが、扇沢行きのバス待ちは長蛇の列で、乗れても座れなかった。ダム上空はまずまずの晴れだったが、扇沢は濃いガスが立ち込め、標高の高い室堂よりも寒かった。
今回の山行の初日は日没まで一片の雲のかけらもないパーフェクトな快晴。
また、立山⇔薬師間が一泊でピストン出来るとも思っていなかった。
山ランの同県人の女性との邂逅がなければ成し遂げられなかった、私にとってはささやかな劇的山行だった。
薬師岳は二日とも展望無しだったが、折立や飛越トンネルから行った時は素晴らしい展望が得られ、もう思い残すことは何もない。
山への情熱と、山での感性は生きている限り持ち続けていたい。
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