黒部源流を滑りに行く
- GPS
- 103:11
- 距離
- 58.9km
- 登り
- 4,633m
- 下り
- 4,629m
天候 | 4月26日 晴れ 4月27日 曇り時々薄日 4月28日 快晴 4月29日 快晴 4月30日 晴れのち曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2018年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
飛越新道登山口にポスト有り |
写真
感想
備忘録=記憶を無くし始めたジジイの書いた長文です。これを読むには忍耐とオトナの心が必要です。
スキーを始めて3シーズン目の〆の山行をと考えたのが今回の黒部源流域への挑戦だった。
休日は4月24日〜30日迄の7日間、このうちの5日間を使って山に浸ろうという作戦だ。
当初24日入山としていたが、あいにくと24日と25日は悪天候、しかも24日の夜間にはかなりの降水量が見込まれるそうだ。
南からの高気圧の影響で暖かい空気が大勢を占める雨の降り方なので、目的の山の雪が溶けて仕舞わないかと心配な反面、和佐府からの大規模林道の雪が溶けてくれないかと言う期待交じりの複雑な物だった。
天気が回復する26日を入山日に決め、25日に岐阜県警にはメールで登山届を送っておいた。
24日の夜半にはすごい勢いの雨が降った、登山口の神岡ではもっと凄かったらしい。
夜明け前に自宅を出発し和佐府へ到着したのは午前7時を少し回った頃。
大規模林道の入口部には雪は全くない、しかし所々に落石が有り道を塞ぐ事は無いが、縫うように走って5.2km行くと雪崩の真っ白な雪が道路を塞いでいた。
この場所は昨年の同時期も一番大きな雪崩の有った場所で、昨年は土砂混じりの大規模な物だったが、今年は真っ白な雪で少し可愛らしい。
昨年に続き今年もゴールデンウィークの入山一番乗り!!!
1日目(26日) 「入山 重荷にあえぐ」
車を下山する方向へ転換し、道端に寄せて駐車。
林道を6km2時間歩く覚悟で居たのだから、僅か10数分で此処まで到着出来た時間短縮は有難い。帰りも林道歩きが少ないと言う事なのだから。
時間に余裕が有るのでゆっくりと出発準備をし、忘れ物が無いかとか車のドアはロックしたか?と確認して歩きはじめる。
飛越新道の登山口は飛越トンネルの脇に有り、トンネルに向かって左手の斜面に取り付く様に出来て居る。
覚悟を決めて最初の階段の一歩を踏みだした。
かなりの努力をして荷を減らしたつもりだが、行動中に飲む水を1リットル入れると、どうしても18kgを切る事が出来なかった55リットルのグレゴリーのザック、それに雪が現れるまではスキーの4kgが追加された重みが肩に食い込み痛い。
最初の急登は全く雪が無い、目印に成る鉄塔の所までは夏道に成っており、「おいおいスキーをやりに来たんだぜ」とボヤいてみせる。
鉄塔を過ぎて一つ目の1643mのピークを乗り越え、1690mあたりまで来たらやっと雪が繋がり始めたので、再び板を外す覚悟はしながらもシールハイクを開始した。
シール歩行を始めた直ぐは重荷から解放された幸福感に満ち溢れたが、暫らくするとそんな事は忘れてしまうくらいの重さを感じ始める。
先ほどまで寂しかった雪の量も、登山口から寺地山までの半分程の距離を稼ぐ頃には、コース全体にたっぷりと残って居た。
今日の泊地は北ノ俣避難小屋と決めているので、とにかくゆっくりゆっくりと歩いた。
実のところは早く歩きたくても、荷が重くて歩けないのが実情で、余裕が有れば避難小屋に早く着いて、北ノ俣岳の大斜面を滑走したいところだ。
連休前と有って人っ子一人いない登山道どころか、この山域には私一人だ。
登山口の所では私の車しか無かったし、前を行くトレースも皆無だから。
GPSで場所を確認しながら北ノ俣避難小屋を探した。
窪地の樹林の中に赤い屋根を見つけた時にはホッとした、積雪期に何回も通って居る道だが、避難小屋には立ち寄った事が無く場所が未確認だったから。
小屋の入口を塞いでいる雪をスコップで掻いて出入りが出来る様にしてから、ザックを小屋に放り込んだ。
入口に腰をおろし北ノ俣岳を望む。
ジャァジャァと言う水の音に気が付いて足元を見たら、黒いホースから水が勢いよく噴き出して居た。
ラッキーだ!水場の位置は全く分からなかったから、それをどうやって探そうかと考えていたら、向こうからお出ましに成った様な物だった。
良く冷えた水で喉を潤してから、水筒にたっぷりと補給した。だが考えてみたらこんなに近くで水が出てるんなら、欲張って汲み置きする必要なんて何処にもなさそうだった。
予定の食材を予定通りに食べて、日が暮れる頃にはシュラフに潜り込んで寝てしまった。
長い一日だったような、短い一日だった様な複雑な気持ちを抱えたまま見た夢は、黒部川へと落ちる斜面を勢いよく滑落する自分だった。縁起でもない。
2日目(27日) 「黒部川には下りられないから黒部五郎岳のカールを滑走」
たっぷり寝て疲れはとれたのか?歳をとると鈍く成っていけません。
快適に過ごした小屋を、ゆっくりと8時過ぎに出発。
北ノ俣の斜面を登り始めると、まだまだ雪が緩んで居なくて、斜面の途中でシール+クトーから12本爪のアイゼンに履き替える。
そうなると板はザックで担ぐ事に成るが、実は今回前々から考えていた「スキーを引っ張る」と言う事をやってみた。
スキーのトップに8mm程の穴を開け、その穴に紐を通して、紐を腰のあたりで引っ張ると言う物だ。
スキー自体を担ぐより全然軽くて、力の無い私にとっては楽チンだと思うが、今日がぶっつけ本番だから、はたしてどうなるのやら。
スキーを引っ張る作戦は効果抜群で、飛騨山脈の稜線まで楽が出来た。
北ノ俣岳の頂上に到着。
3月に来た時よりも風が暖かいので随分と身体的にも精神的にも有難い。
さあ、此処までは通いなれた道だった。
北ノ俣岳から黒部五郎岳への道を実は歩いた事が無い。快晴の今日の様にずっと遠くを見渡せるのも初めてで、北ノ俣岳から赤木平へ続くなだらかな斜面や、赤木岳へ続くアップダウンの有る稜線も初めて見えた。
さぁ 困った・・・・。
ヤマレコを読み漁った結果では、「スキーの機動力を発揮した・・」云々と書いて有る。
しかし、いったい何処を滑走すれば良いのかが全く分からない。
たった今までアイゼンでしか歩けなかった雪面を、いきなりスキーで滑走しろと言われても恐くて出来ない。
おまけに黒部五郎岳方面へ続く東向き斜面は、結構な勾配で黒部川へ落ち込んで行っている。
おまけに全くのトレース無しのまっさらな斜面なのだ。
休憩を口実に、どうしたら良いのか悩んでいた。
とりあえずシールをはがしてザックに片付けた。ヘルメットも被ったしゴーグルも装着した。
意を決して滑り込んだは良いが、標高を落とす事を嫌って稜線近くを滑ったら、雪庇の上側を進んでしまった、その先には登り坂が待っていた。
雪庇の下を進めば少しづつ標高を下げながら中の俣乗越方面まで進めそうな感じがようやく分かったが、すでに手遅れだった。
雪庇を飛び越して下に降りるなんて恐くて出来ない。
もし滑落してあの斜面を下まで滑り落ちたら、命に関わる事は火を見るより明らかだった。
それは、見渡す限り誰も居ない深山で単独登山者の哀れだった。
中の俣乗越にようやく到着し、此処からウマ沢を下降して黒部川の川べりまで下り、黒部川の川岸を遡上して五郎沢出合まで行く事が出来れば、今夜はそこが泊地に成る予定だった。
本人的にはかなり標高を落としたつもりで黒部川に近づいた気に成って居たのだが、下山後にGPSの軌跡を見るとまったくと言っていい程下りて居なかった。
黒々とした樹林が密に成り、その先が見渡せない様な斜面が落ち込んで行く事が恐怖に成り、早々に黒部川に下りる事を諦めた私は本当に臆病者だ。
ウマ沢をシールとクトーを付けたスキーで登高する、結構な斜度だか程良く緩んだ雪が助けてくれた。
しかし、重荷に耐えかねて黒部五郎の山頂を踏む事はとうに投げ出して居る。
行き先は五郎のカールのヘリに夏道が上がるあの辺りだ。
途中、右手に巨大な雪庇が見えた、何だあれ?って思ったら、黒部五郎の山頂から張り出した物だった、初めて見たが威圧的な絶壁で恐怖で一杯だ。
近づかないでおこう、アブネーから。
カールのヘリに到着して、そこからカールを見下ろすと絶景だ。間違いなく絶景だ。
多くの山スキーヤーが「一度は滑って見たい」と声を揃えるのがわかる気がするが、今の私には過分の斜面だ。崖にしか見えない悲しい現実が目の前に有る。
アイゼンに履き替えてクライムダウンするか?
スキーを履いて、もし万が一転倒したら、カールの底まで滑落するか?
二者択一の様に考えられたが、どうせ恐いんならスキーで行っちゃいましょうか。
偉そうに書きましたが、横滑りで降りただけなんですけどね。
カールの中をひたすらトラバースして黒部五郎小屋の上部を目指し、最後は山の上から気持ちよく小屋まで滑り込んだ。誰かに見てもらいたかったなそんな自分を。
トラバースの途中で、注意深く「祖父沢」の状態を観察すると水の流れが確認できて沢が割れている。一部は滝に成っている様にも見える。
これで明日の行動計画はほぼ消えた様な物だ。計画とは、黒部川をスノーブリッジで渡渉し、雪で埋まった祖父沢または祖母沢を遡上して雲の平に乗り上げると言うものだった。そこから雲の平山荘を右手に見ながら雲の平の北斜面を滑降し、高天原の天然温泉に浸かる、と言う壮大な計画を夢に見た。
さて此処へ来てもやはり全くの踏み跡なし。全くの孤独感を味わいながら黒部五郎の冬期小屋の扉を開いた。
太陽に熱せられた小屋の中は、ストーブを炊いたかの如く暖かかった。
急いで濡れた物を出して乾かした。
早速水を作り、日が暮れる前に晩飯を食べ、暗くなるのと同じように眠りに就いた。
2日続けて避難小舎暮らしだった事を考慮しても、今回の山行は寒さが優しい、つまり寒くない。
一昨晩なんかは途中で暑苦しくて目が覚めたほどだった。今季から使い始めたダウンソックス=像足のお陰だと思う。昔から頭寒足熱と言いますからね。
3日目(28日) 「黒部の源流 & 三俣蓮華岳滑降」
7時に小屋を出て、五郎沢を降ってみる。
急に大きく落ち込んだ所で沢に降りてみると、五郎沢の右俣の上部でさへ既に水が出て居て、流れの上を塞いでいる雪には無数の亀裂が走っていて、不用意に乗れば雪が割れて転落することは目に見える。
黒部川と五郎沢の出合部を、どうしても確認しておきたかったが諦めよう。
沢を這いあがり、これからどうしようと考えた。
カールの急斜面をよじ登りカールの滑降を空身で楽しむのも良いかも知れない。昨日は重荷のお陰で横滑りで終わったが、空身ならもう少しましなシュプールが描けるかも知れない。
三俣蓮華岳の方に行き、もっと近くで槍ヶ岳を見るのも良いかも知れない。先ほどから東側に見えている、五郎小舎の東の山の斜面も三俣蓮華岳からの帰りには、雪が緩んで丁度良い滑走具合に成るような気がするし、三俣蓮華岳の山頂東斜面を三俣山荘へかけて滑り込むのも素晴らしく楽しいらしい。
うん!決めた。三俣蓮華まで行こう!
もくもくと斜面を登り、やっと三俣蓮華岳の山頂が見えた、山頂の碑も見える。
結構遠いな、行けるんだろうか?
急ぐ山行ではないし、行ける所までで良いんだ。そう考えたら気が楽になり、心なしか足も軽い。
何より重荷の真犯人たちは小舎に残置してきたから、ザックは羽根が生えた様に軽い。
三俣蓮華岳の山頂から見える景色は、いつ見ても格別なものが有る。ここが三つの国の国境と言うことが大きな要因だろう。
すぐそこには双六岳が有るし、視線を落とせば三俣山荘が手に取るように見える。
時間も早い・・・、どうしよう・・・よし!黒部の源流に行こう!ここからは少し遠くに見えるが、スキーならば15分も有れば余裕で源流の碑近くまでは行けるだろう。
そして、もし時間が許すなら源流の源頭部「岩苔乗越」までハイクアップし、雪で埋まった源流の滑走を楽しみたい。山スキーを始めた頃からの夢の一つだ。
三俣蓮華岳の山頂の何処からエントリーしようかと、アイゼンを履いたままウロウロしたが、頂上から50m程下りた所が私にはちょうど良さそう。
そこまでアイゼンで降りてから、滑走モードに変身、さあエントリー!!
きもちエエ〜〜、最高ヤ〜!!
三俣山荘の前の緑色のテントが気に成り、滑走の途中で山荘前に行ってみた。
テレマークスキーヤーが一人テントの中でくつろいでいた。挨拶を交わして再び源流部へ滑走、途中で源流方面からやってくるカップルとすれ違う。
源流の源頭部までの所要時間を訪ねてみると、案外短時間で行けるかもしれない。
ボール状になった雪に埋まった沢をハイクアップし、午後1時には岩苔乗越に到着できた。
ついにやった!とかなりの達成感に浸りながら、スマホの電源を入れると電波の状態はなかなか良くて、源頭部からの画像を家族に送って、無事に生きてる事を伝えた。
それに、今日28日は自分の誕生日だ。さっそく孫から「おじいちゃんお誕生日おめでとう」ってLINEが来た、と言っても孫がそう言ってると妻が代筆して送信してきてるだけなんですが。
50分以上かけてゆっくりと登って来た源流部の滑走はたったの2分で終了。すこし勿体ないことをしてしまった様な後ろめたさを感じながら、黒部五郎小舎に帰るために三俣蓮華岳の山頂を目指す。
三俣蓮華岳から黒部五郎岳へは下り基調の稜線が続いている。
往路では固かった雪も帰りの時間にはすっかり緩んでいる事だろう、そうすればその稜線を私でも滑走できる。
滑走さへ出来れば三俣蓮華から黒部五郎小舎まで40分も掛からないだろう、こんな時スキーの強さを実感する。これが・・それがやりたかったんだ。
それともう一つ、壺足では緩んだ雪を踏み抜き、下手をすると両足が股まで沈み込み抜け出す事さへ困難に成る。
スノーシューよりも浮力が勝るスキーでは、先行者がたった今踏み抜いた足跡の上を苦も無く踏破して仕舞う事が出来る、それ程の機動力を誇る。らしい<笑
予想していた3時よりも30分ほど早く三俣蓮華岳に着くことが出来た。しめた!雪は十分緩んでいる。
稜線上は2か所ほど雪が切れスキーを外す必要が有るが、登り返しもほとんど無い為自分でも驚くほど早く五郎の小舎を見下ろす山の上まで戻る事が出来た。
小舎を確認すると、誰かが居る。
スキーを雪にさし立て、休憩している様に伺えた。
大きな一枚バーンの西向き斜面を何回か休憩を入れつつ小舎を目指して標高を落とした。わずか10分足らずのことだった。
小屋の前に滑り込むと、休憩中のその方を少し驚かせてしまったかも知れない。
彼はオートルートに挑戦中のM君だった。大学院に進んだばかりの22歳、おいおい私の息子よりもうんと若いぞ。
口唇ヘルペスがひどく出て腫れあがった唇、家族が拾ってきた「はやり目」のお陰で膨らんだ瞼の私のひどい顔を見た彼はさらに驚いただろう。
小屋の中で寝るか外でテントを張るか悩んでいたみたいでしたが、最終的には小屋の中で寝ることにした様でした。
彼とは色々な話をし、私の「持ちすぎた食材」の消費に協力してもらった、助かりました。
後日無事に下山したとメールが来たことは言うまでも無いだろう。彼の様にオートルートに挑戦してみたいとも思ったが、多分叶わない夢に終わるのだろう。
夜は9時頃に消灯就寝。
4日目(29日) 「ウマ沢源頭滑走と太郎平小屋」
M君は朝5時に出発すると言って3時半には起床して準備を始めた。予定の5時よりも10分早く、アイゼンを装着した足で、ザックにスキーを背負って出かけて行った。
後姿がたのもしいぞ!M君。
それからまたひと眠りに就いた私はすくい様の無いジジィだな。
ウマ沢源頭部の雪の緩む時間を考慮しながらゆっくりと出発したが、これが大誤算だった。
五郎小舎からカールの底を通り、夏道がカールの上辺に達する所を目指して急斜面を直登したのだが、急斜面に行く前からスタミナが切れて亀の歩み。
とんでもなく時間をかけてカールの急斜面を登ったおかげで、何人かのカールへのダイブを見る事が出来た。
黒部五郎岳の山頂は行きたくても行く元気と気力も無く今日もパス。
一昨日こんなに急斜面をシール付きのスキーで登った?と疑いたくなるような角度の黒部五郎から黒部川に続く斜面は広大で長い。
次回、来年は装備が軽い状態で上から下まで滑ってみたい、これは実現しそうだ。
中ノ俣乗越から延々と左上がりの方斜面をトラバースして北ノ俣岳を目指す。
前方を行くカップルのスキーヤーには全く追いつけない、それどころか離される一方だった。
今日は赤木平でテント泊しようと決めていたが、太郎平小屋が見えた途端「ビールが飲みたい」に心変わりし、あっけなく予定変更。まるで最初から太郎平小屋に行くことが決まっていたかの如くだった。なんて素敵な俺なんだ。
太郎山の妨害に会いながらも、太郎山の山頂を左に見ながらシールのまま太郎平小屋の前に滑りこんだ。
スキーを脱ぐのももどかしく、財布を握りしめて迷う事無く500の缶を一本購入。
食堂を借りて、ストーブで濡れた靴下を乾かしながらビールを味わう。生きてて良かった、バンザイ俺!!ファイト!
2本目のビールはテントを設営してからにしようと大人の自分とビールのアルコールに酔いながら外に出た。その間に靴下は半分くらい乾いていた。
国定公園の標識の真ん前にテントを設営し終わり、さっき自分に約束した2本目のビールを飲み始めた。
今自分の尻に敷いている「サーマレスト ネオエアー」は今期に購入したスペシャルアイテムだ。厚さ59mmを誇るエアーマットは断熱値が恐ろしく高く、雪からの冷たさを全く感じさせない優れ物で、雪山での快適睡眠を約束している。
実際に熱くて寝られなく感じる事に成るだろう。
今日も夕日が奇麗だった。
富山湾まで望める太郎平はなかなか素敵な所です。赤木平でのキャンプは次回のお楽しみにしましょうね。
5日目(30日) 「北ノ俣大斜面滑走転倒 シール紛失」
さあ、今日は下山するだけの日、だからやっぱりゆっくり起きてゆっくり準備。
2時間もかけて北ノ俣岳手前の飛越新道分岐に到着。
雷鳥のつがいをゆっくりと写真に残しながら、今回の山行の余韻に浸り始めた。これがいけなかったのだろうか?
少し硬かった北ノ俣岳西斜面の上部で右ターンの際に転倒、倒れたまま滑落が止まらない。左手のウィペットのピックを雪に食い込ませるとやっと止まった。ああ怖かった。結構な斜度だし。
後で気が付いたが、この時にザックの隙間に押し込んだだけの様なシールを落としてしまったんだと思う。黄色いビニール袋に入れたシールは谷底まで一気に滑り落ちて行った事だろう。
脚は連日の重荷に悲鳴を上げて既にプルプルの小鹿さん状態なので、数ターンしては休憩を、何回も繰り返しながら北ノ俣避難小屋に到着。
小舎で新鮮な水を汲み、さあシールを貼って寺地山へ登り返すぞと言う時に、先ほどのシール紛失が発覚、目の前真っ暗です。
かと言って探しに行く元気も無し。諦めてここからはシール無しで帰る事に。
寺地山からの下山路は下り基調ながら、樹間が密で滑走するのはイジメに近い物が有る。たまたま一緒に休憩したスキーヤーは「担いだ方が速い」なんていう始末。
そうかここが苦手なのは私だけじゃ無いんだと妙な連帯感を勝手に抱くジジィだった。
目印の鉄塔まで数百メートルと言う所で雪が消えた。
雪の上の踏み跡は雪と共に消え去り、現れた筈の夏道は雪の重みで倒れた笹や雑木に隠されてルートをロストしてしまった。
もう一つ面倒な奴がいて、どう見ても迷っている様に見えたので「登りですか?下りですか?」と尋ねると「登り」だと言う返事。
じゃあこいつが来た方向が下山路だと踏み込むと道が全く塞がる。
入山時から記録中の自分のGPSの軌跡を信じる事にして、4名ほどの道迷い人間を無視して下り始めた。
中途半端に雪が残るうちは夏道が見つからず、夏道以外は藪が濃くて歩く事が出来ないと言う厄介な状態が40分程続いただろうか?疲れました。
完全に夏道に乗り、もう間違わないと言う所で後続者を先に行かせる。重荷の私は速度が遅いからだ。
2時半ころやっと登山口に降り立った、後はすこし大規模林道を歩けば終わりだ。
もう少し歩いて居たかった様な気もするし、はやく家に帰りたい気もする。
「おかあちゃん?味噌カツは手作りでお願いよ!」って妻の携帯にすぐに電話を入れた。
よし!決まったゼ・・・今年の北アスキーツアーも「味噌カツ」オーダーもパーフェクトだ!
コメント
この記録に関連する登山ルート
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コメントいただいたことがあります(^_^)その節はありがとうございました♪
この度、私は27日朝に飛越トンネルからスタートしたのですが、おそらく先に停まっていた1台がグラさんのお車だったようです。私はデブリから2台目でした(^_^)
北ノ俣避難小屋で休憩したのは27日10時半頃でしたので、グラさんがそこを後にしてまもなくだったと思われます。惜しかったなぁ。
ゴール間際の、もう少し歩いていたい気持ちと、早く帰りたい気持ち、よくわかります(^_^)
スキーは夢が広がりますね。これからの滑走にも期待しています♪
チェーさん・・・いゃチエさんお久しぶりです。
まさかそんなにお近くでお過ごしおいであそばしたとは<笑
今回の山行は天候に恵まれ、本当に爽快な物でしたね。
オサムちゃんも一緒に来てれば良かったのにね〜なんて、いらぬ事まで思ってしまいました。
次回の山行では是非ともお顔を拝見と行きましょうね!!
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