赤木沢遡行〜黒部五郎岳〜雲ノ平周遊
- GPS
- 79:00
- 距離
- 40.4km
- 登り
- 2,970m
- 下り
- 2,953m
コースタイム
21:30奈良出発
03:00有峰林道入口 幕営
8月12日
08:00折立登山口
12:00太郎平(/12:40休)
15:15薬師沢小屋(泊)
8月13日
06:20薬師沢小屋
07:54赤木沢出合
10:0030m大滝
11:30中俣乗越(登山靴履替/12:05休)
14:00黒部五郎岳分岐(P2750)
14:20黒部五郎岳
16:30黒部五郎小舎(泊)
8月14日
06:50黒部五郎小舎
09:30三俣山荘(/10:10休)
10:55黒部源流碑
11:50第一雪田(/12:15休)
14:00雲ノ平山荘(泊)
8月15日
05:50雲ノ平山荘
08:15薬師沢山荘(/08:40休)
11:20太郎平(/12:00休)
14:50折立登山口
天候 | 8月12日 予報;曇り後雨 実際;晴れ時々曇り 8月13日 予報;曇り時々晴れ、夕刻より雨 実際;夕刻まで曇り、晩雨 8月14日 予報;曇り後雨 実際;雨のち曇り、昼前後より晴れ間覗く 8月15日 予報;曇り後雨 実際;雨のち曇り、夕刻より晴れ間覗く |
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過去天気図(気象庁) | 2012年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
http://www.pref.toyama.jp/cms_sec/1603/kj00009876-001-01.html |
コース状況/ 危険箇所等 |
☆登山届 折立登山口には無し。 宿泊地にて届けることが記載されています(例えば薬師沢小屋泊なら太郎平小屋での届出可) ☆下山後の温泉 亀谷温泉 http://www.shirakaba-toyama.com/ グランドサンピア立山(大浴場あり)700円 http://www.gs-tateyama.com/ |
写真
感想
@プロローグ
秘境という山岳風景がメディアで紹介されては数多くの人々を憧れの地として誘ってやまない昨今。山ブームがさらに拍車を駆けているように思えるけれども、憧憬の地とは結局の処かの地を訪れた人々が心の中に何を感じ取り、何年経っても色褪せることなく、ひと時の想い出として己の胸底に残るかどうかだと思う。
奈良山岳会が創会80周年を迎えるにあたって記念山行に選んだのは奥黒部に位置する雲ノ平だった。
雲ノ平が日本最後の秘境と呼ばれるのには、いくつか理由がある。1つ目に周辺の登山口から平均2日目にしか辿り着けないこと。2つ目に周辺を水晶岳、鷲羽岳、黒部五郎岳、薬師岳などの名峰によって囲まれる雲上の地であること。3つ目に何万年もの火山活動に依って薬師沢や黒部源流地から一際そそり立つ勾配の上に台地状に広がっており周辺からもハッキリと視座できること。などが挙げられるだろう。
当初では(A班)新穂高〜小屋泊縦走、(B班)折立〜小屋泊・沢混合縦走、(C班)新穂高〜テント泊縦走でそれぞれ雲ノ平を経由する計画が出された。
けれどもメンバーの期待を裏切るべく8月12〜15日の天候は、それまで安定していた天候とは裏腹に全国的に不安定な天気。気象庁の予報ですらC予報で2〜3日先の天候も読めない中、A班は苦渋の決断で入山を断念(西穂高、焼岳方面へ切替え)された。
赤木沢への入渓は果たされるのか、雨中の行程で計画変更を覚悟でのB班入山となった。
@8月12日
予報;曇り後雨
実際;晴れ時々曇り
前夜に仕事を終え、Y、M、Tさんをピックアップし、一路富山へ。車中ではロンドンオリンピックでのメダルラッシュ速報が止まない。有峰林道の有料ゲート手前で幕営をした私たちは、同郷出身の金メダリスト村田君の誕生に励まされながら折立へ向かった。
登山口での天候は晴れ。予報とは大違いだ。太郎平への4時間は汗だくになることはなくとも、好天の中ハイクを続けることが出来た。水晶岳、薬師岳方面をしっかり確認しながら薬師沢へ下降を開始。4年前に折立から同じルートで薬師沢小屋に泊まっているので足取りは軽い。チングルマやヨツバシオガマ等に見守られながら15時過ぎに小屋に到着した。沢の出合に建つ小屋の為、明るい立地の筈なのだけれどもテント場もないため宿泊者が集中して混雑しがちな場所。
夕刻の天候も全行程中の天候の運を使い切ってしまうのではないかと心配するほどの安定した青空。小屋での沈殿が予想されるため、1日目のみ朝晩飯を担ぎ上げることに。メニューはMさんお手製の野菜カレー。秋田遠征で入手されたスペアリブがアクセントを加えていて美味しい。明日の予報は午前曇り、日中晴れ間広がり、夕刻雨の予報。なんとか入渓は出来そうだとの期待を滲ませながら早々に就寝へ。布団と毛布3枚分を4人でやりくり。
@8月13日
予報;曇り時々晴れ、夕刻より雨
実際;夕刻まで曇り、晩雨
5時起床。目覚めると小雨。昨日18時前に到着した沢装備の御一行は既に入渓の準備を整えている。昨日まで雨は降っていないのでこの程度の天候なら決行できそうだ。
少しの間雨が止むのを待って6時20分出発。赤木沢は小屋玄関のテラスから垂れ下がっているアルミ梯子から入渓する。正確には奥ノ廊下と呼ばれる下ノ廊下・上ノ廊下から連なる黒部川の源流を詰め、1時間半ほど遡行した地点が赤木沢の入口となる。
今回で3度目の赤木沢というMさんは、水量が少ないので取りつきも難しくないという。なるほど出合の手前の魚止めの滝を安全を期して左岸巻きで突破した以外は難点はなし。出合の目印とされるミニナイアガラの滝を左に観ながら赤木沢への入渓となるが、ここでのヘツリも難しい部分はなしだった。このあたりで先行者約10名に追いつき、お先に失礼させていただいた。
4名全員がこの赤木沢に青空があれば魅力が数倍に膨れ上がったはずだ感じたろう。大峰の赤井谷や前鬼川の遡行を経験してエメラルドグリーンの清らかさではこの赤木に負けることはないと自負できる。しかしそれは幽玄の樹林帯のなかをうねる大峰特有の沢だからこそだ。この赤木沢は、遮るもののない天空の下の遡行であり、最後には源頭の草原地帯を抜けて中俣乗越の伸びやかな稜線向かって上昇するがごとく詰めることができるのが大きな違いだ。
危険個所は四段ノ滝35mの高巻きだろうか。岩が濡れていたので右岸左岸どちらとも巻けるポイントだが、樹林帯の右岸を選択。濡れた笹で滑りやすい箇所がありここが核心だった。30m大滝もMさん曰く水量が少ないせいか後ろに滝が後退していると感じられるくらいとのこと。こちらの高巻きは左岸に踏み跡があり比較的容易に巻くことができた。
赤木沢では結局のところノーザイル、ノーハーネスで通すことが出来た。これも水量が少ない故だろうと思う。入門者にとっては最適の憧れの沢といわれるのも納得。11時30分ころに源頭を詰めるころ、中規模の雪渓に当たったところで登山靴に履き替えることにした。天候はガス。晴れる兆しもなし。
ここからは黒部五郎岳に向かって稜線を突き進むのみ。標高を稼ぐにつれてガスと共に強風が行く手を遮る。沢遡行後なので下半身が冷える。ゴアの雨合羽を上下共に着用するべきだった。徐々に体力を消耗していくのが感じられた、これは反省だ。
五郎岳の分岐にザックをデポし、ガスで展望の無い頂上へ。経験者のMさんは先に黒部五郎小屋へ先行していただいた。黒部五郎のカールもお天気ならば雪渓と植物が咲き乱れる美しい楽園をみることが出来たろう。今回は黙々と小屋に向かって足を進めるのみ。体力消耗が災いしたのかずいぶんゆっくりと下ってしまい16時30分にMさんを追いかけたYさんの後続でTさんと一緒に小屋に到着した。だだひろい平原ではあるが地形的には斜面と斜面の間のコルに草原が広がる。したがって、翌朝は急坂からスタートだ。
黒部五郎では久しぶりの小屋食を堪能した。ご飯を山盛りにして笠ヶ岳はこんな角度だったぜと自慢する兄貴がおり(雲ノ平山荘でも宿泊されていた)、なかなか愉快である。
布団は1人1枚。雨中のなか思った以上に登山客は多い。天候はガス。まだ雨は降っていない。
@8月14日
予報;曇り後雨
実際;雨のち曇り、昼前後より晴れ間覗く
晴れていれば五郎沢、祖父沢の遡行が待っていたが、明け方から本降りの雨。朝から太郎平へ稜線伝いに戻れば折立まで下山できるだろうという案が持ち上がっていた。たしかに赤木沢、五郎と達成したので無理に雲ノ平の台地へ上がる必要はない。けれども、この雨の中、太郎まではハイマツの風よけくらいのものだ。ほかに避難小屋は北ノ俣のはずれにある程度で緊急時のシェルターはどこにもない。昨日の五郎岳付近での突風が吹き荒れたり雨がずっと続けばどうなるのかだろうかという懸念があり、逡巡した結果、谷沿いで暴風雨対策として当初計画の悪天時の案である三俣山荘〜黒部源流〜雲ノ平という行程となった。
三俣山荘までは雨通しの中の山行となる。よく考えると3日目にして初めて雨中での行動だ。良い方向に考えればよく天候が持ちこたえてくれたといっても良い。P2661までの急坂は雨で登山道が小さな沢状態になっている個所がいくつも有った。
C班が前日雲ノ平で幕営されているとしたらこの天候では稜線を避けて三俣山荘くらいで落ち合えるかなあなどと話していたが、結果的には出会うことはなかった(12時前に鷲羽岳になんと登頂されていた)。
三俣は昨今話題になっているドラマ・サマーレスキューのモデルでもある。二階建て外階段付きの小屋のつくりがそっくりだし、なにより緊急医療の基地でもある。エマージェンシーのお役になることはなかったけれども、冷えた体を温めるため、2階のレストランでホットミルクを頂き小休止。
黒部源流碑に向かう頃には雨も止み、晴れ間ものぞく。祖父岳への急坂を乗り越し、雪田そばで昼休止。このあたりはチングルマの群生が多い。日本庭園、祖父庭園、スイス庭園と進んでいくうちに遥か左方に雲ノ平山荘が見えてきた。
4年前にG氏と訪問した雲ノ平を再び踏むことになるとは想像していなかった。あの時は前日に高天原山荘からワリモ北分岐へ抜け、水晶のピークを踏んだ後、祖父岳から雲ノ平へ入った。ちょうど1ヶ月前に亡くなった愛猫のブロマイドを祖父岳のケルンにそっと埋めておいたのだった。今回は下からそっと手を合わせておくことにした。
山荘へは見えてからが長い。そしてテント場も山荘から遠いのが特徴だ。雲ノ平山荘は4年前からリニューアルされ、立派な木造りの建物に変わっていた。Mさんがハウルの城みたいだ、と言われた。たしかにいまにも足が生え、動き出しそうではある。しかし、プロローグでも書いたようにあの形の山荘が太郎平にあってはやはり形は不自然であるし、木道と池塘と高山植物に火山岩というファンタジーに出てきそうな風景のなかにあってこそ城足りうるのであって、雲ノ平山荘はまさにその条件を満たしているといって差し支えないと思う。
受付を済ませると、今日は布団1枚で2名だという。それなればと、なんとか部屋の隅で人数分を確保してはもらえないかというMさんの申し出に顎鬚の小屋番君はかたくなに決められているのでという返事が帰ってきたとのこと。ルール化された小屋仕事とはいえ何か融通の利かない原理主義者のようで私にはコミカルに思えた。
酒の種類も豊富なのが嬉しい。マニアックなインドの青鬼の缶ビールを置いているのもこの小屋くらいであろう。綺麗になった食堂で昼過ぎから日本酒を頂く。大雪渓を注文したが、真澄しかないがこちらの方が有名ですよ、今度はニヒルな小屋の兄貴から返事が返ってきた。ならばはじめからメニューに書いてくれと突っ込みをいれたくなった。
食堂からは4年前と同様、食堂ではアンプを備えたオーディオセットが心地よい音楽を奏でてくれる。変化したのはカセットテープやCDではなく、iTunesからのPC音源に変わっていたということだ。窓から見える池塘の奥に祖父岳が見え、木組みのベランダからは周辺の水晶、鷲羽が一望できる。48年ぶりの改築というからその役目たるや相当なものである。
この小屋食の名物である石狩鍋を頂き、夜は更けていった。夕刻、わずかに雲の切れ間から水晶岳が顔を覗かせる。最終日の明日は晴れるだろう、そう期待した客も多かったのではないか。不安定な天候のせいか、小屋が期待したほど登山客は入らず。結局、布団1人1枚であった。
@8月15日
予報;曇り後雨
実際;雨のち曇り、夕刻より晴れ間覗く
5時の朝食を済ませて一路、折立への身仕度を済ませる。雲上の朝を予想し、期待していたものの、迎えた現実は本降りの雨だった。2回目の雨である。雨の行動が2勝2敗ならばまだ許せるかな…と慰めながらも、雲ノ平を後にする。Yさんがまた秋に来たいですね、とコメント。たしかに夏の高山植物を愛でるなら8月中旬は遅い。7月末の梅雨明けくらいだろう。そして紅葉の時期の北アルプスも見事ではないだろうか。3度目の訪問は果たしてあるのだろうか、振り返るとハウルの城はもうガスの中に消え去っていた。
薬師沢小屋へのゴロ石の急峻な下りは雲ノ平を形成する火山岩そのものである。登山道と呼べるのかどうかも怪しいほどの悪路だが、雨で岩が濡れておりさらにやっかいだ。神経を使いながら薬師沢小屋へ2日ぶりに戻ってきた。大人しかった黒部川は濁流へと変わり、とてもこの天候では赤木沢への遡行など許されることなど有り得なかった。やはり2日目に完遂できたことは、不安定な天候の中でもラッキーだったのだ。
止まない雨。狭い玄関先で身を寄せ合って一本入れる。夏風邪でも引いたのだろうか、マスクをした受付の女の子に喉の潤いを満たすため飲料の代金を支払う。相変わらず薬師沢の受付の小屋番は愛想が足りない。小屋の性質がそうさせるのか。薬師沢小屋という木彫りの看板をじっと見つめると白蛾があちらこちらに天井まで貼りついているのが目に入った。前鬼川でのツェルト泊時に無数に貼りついていたショウジョウバエを思い出した。
太郎平への道中、昨日と同じようなタイミングではあるけれども雨が上がり始める。左俣出合を越えてベンチで休息をとっていたら、雲ノ平と薬師沢小屋の道中で出遭った若者たちが追い付いてきた。女子1名男子4名の構成。不思議なのは、長身の男性が山スカを履いており、またベトベトになったダウンを着込んでいたことだ。雲ノ平から薬師沢への道中で、薬師沢はあっちですかと見当違いな質問をしてくる。山のウェアはどれも高価なブランドを着込んでいるのに、どうも行動が可笑しい。なにかレゲエのバンドをされているとかMさんがどこから仕入れた情報なのか教えてくれた。パンクバンドのような単髪の青年がその真実性を実証してくれているようだった。
折立に11時半までに着いた。やっと昼飯かと休息をしていると雨が再び降ってくる。休息をするなということだなと天に向かって唾棄すらしたくなるが、ここは折立までぐっと我慢する。五光岩ベンチあたりで晴れ間がのぞき、富山湾もすっきりとみえてきたので再び雨具を脱ぎ、軽装になる。ところが、またP1934の付近で雨。雨具を脱がされたり着させられたり。まるでこれではイソップ物語の北風と太陽だ。もう俺は雨具を着ぬぞという宣言のもと、樹林帯に入り約1時間下降したころにようやく折立に戻ってきた。
往路では気づかなかった愛知大学の遭難碑に手を合わせ、無事の下山を報告する。遭難しても命が助かるなら未だ良い。東吉野村の明神平で中学生10名教諭2名が無事救出の一方を知り、安堵する。
今回は、天候が読めない中での山行であったが、Y川リーダーのもと、状況判断を的確に行い、結果として計画書通りの行動を実行できた。早朝に雲ノ平を出発し、T、M、Yさんを載せて自宅へ帰ってきたのは深夜1時でした。
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