白峰南嶺(北岳〜七面山)


- GPS
- 94:31
- 距離
- 104km
- 登り
- 7,995m
- 下り
- 9,165m
コースタイム
- 山行
- 2:32
- 休憩
- 0:08
- 合計
- 2:40
- 山行
- 8:23
- 休憩
- 1:56
- 合計
- 10:19
- 山行
- 12:22
- 休憩
- 1:43
- 合計
- 14:05
- 山行
- 6:04
- 休憩
- 0:55
- 合計
- 6:59
- 山行
- 8:41
- 休憩
- 2:00
- 合計
- 10:41
- 山行
- 6:57
- 休憩
- 1:15
- 合計
- 8:12
- 山行
- 8:26
- 休憩
- 1:17
- 合計
- 9:43
- 山行
- 10:36
- 休憩
- 1:55
- 合計
- 12:31
- 山行
- 10:42
- 休憩
- 0:55
- 合計
- 11:37
- 山行
- 4:41
- 休憩
- 0:47
- 合計
- 5:28
天候 | 雨はほぼ降らなかったが、晴れていても雲が多く景色はいまいちだった。しかしおかげで気温は上がらず、ばてずに済んだ。 1日目 晴れ 2日目 晴れ 3日目 晴れ 4日目 晴れ 5日目 晴れ 6日目 曇り 7日目 曇り 夜一時小雨 8日目 曇り 9日目 曇り 10日目 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2014年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス タクシー
帰り:下部温泉〜甲府〜東京 |
コース状況/ 危険箇所等 |
■奈良田越〜伝付峠 工事箇所は完了していたが、その手前は崩れたままだが、ステップが切ってあるので通行可能。 ■這松尾 分岐からすぐにテープで通行禁止?されている早川側に周り込み少下ってから登ると何となく道が付いていて楽に進めたが、途中から這松の上をバランスを取りながら進むが、頂上手前のピークで撤退。 ■上倉沢上部水場 目印は多数有り迷うことは無いが道は荒れ気味、初めのガレ場を越えてからさらに道は荒れ気味となり、最近崩れた?ガレ場に降りるの苦労してガレ場の先に水場。 ■布引山〜所ノ沢越 布引崩の縁は気をつけて進めば問題なし。 2160m付近で大井川側に迷い込むが、元に戻り事なきを得る。 ■所ノ沢越〜稲又山 倒壊小屋手前で迷うが、小ピークに登ると左手下に倒壊小屋を確認。 倒壊小屋から先は比較的判りやすかったが、稲又山山頂手前は早川側から回り込むように稲又山山頂にでる。 ■青薙崩 8月に北上していたので様子が判っていたので南下出来たが核心部の初めの一歩は緊張した。 最後はガレ場の木の根に掴まり降り、ガレの縁の登りは避けて、早川側の急登を木に掴まりながら登る。 ■小笹平水場 8月の時より細くなっていた。 ■水無峠山 東河内側の標識があるピークにはよらず、ヌタ場に降りて早川側を進む。 一番高そうな箇所に静岡やぶこぎ山岳会のテープが有った。 縦走する場合は、東河内側のピークにはよらないほうが判りやすい。 |
写真
感想
5年目にしてようやくほぼ計画通り白峰南嶺縦走を果たすことが出来た。
初めの2年は布引山まで、ここ2年は伝付峠から二軒小屋に降りてしまっていたので、今年こそわと最難関の青薙崩れに2回下見に行き十分準備を行い、初日から余裕のある計画で寄り道もほとんどはしょってなんとか最後まで歩き通すことができた。
9月12日(金)
前日の夜に自宅を出発して甲府のビジネスホテルに泊まって9時のバスに乗り、調子が良ければ肩の小屋までともくろんでいたが、当日の始発で行くことにして自宅でゆっくり寝ていたら寝過ごしてしまい、12時のバスになってしまった。バスは3連休前の平日遅い便だったので1台でまだ空席があった。初日の重たい荷物にもかかわらず広河原山荘からおおよそコースタイム通りの2時間半弱で白根御池小屋に着く事が出来気分良くビールをいただいた。
9月13日(土)
今日は農鳥を越えて広河内までの予定なので、久しぶりに暗いうちに出発する。草滑りは月明かりでライトを点けることなく登っていくことが出来た。樹林帯に入るとさすがにライト無しでは歩けなかったが、直に明るくなってきてライト不要となる。するともうこの時間で下山者が降りてきた。北岳山頂まではほぼコースタイム通り到着することが出来た。登りは調子いいようだ。しかし下りは最近すっかりビビリになってしまったので北岳山荘へとのろのろと下る。北岳山荘はまだこの時間は空いていたが、この後大変な混みようだったようだ。無料となっていた水を補給すると、一気にペースダウンしてしまい間ノ岳には予定より1時間遅れでの到着となってしまった。ここから農鳥小屋までもコースタイム通り到着することは出来ず遅れてしまった。まだ2時前で早かったが、西農鳥岳への登りを登る気力が失せてしまったので、予定を変更してここまでとした。テントの受付で明日の予定を聞かれて笹山までいうと、農鳥小屋の親父さんには昨年と同様に伝付までいけると勧められるが、今の自分では無理だろうと思っていると、次ぎにテント受付をしている方は伝付までいかれる予定だと聞こえてきてびっくりする。この時間はまだテン場には余裕が有ったが、直にすぐにいっぱいになってきた。今朝、広河原から登ってきた方々だろう。落ち着いてから水くみに行ってくるが思っていたより遠く、帰りには汗だくになってしまった。(昨年の8月は枯れていて小屋で水を分けてもらった)
9月14日(日)
朝起きると、外張りがカチコチに凍っていてびっくりする。予定では昨日、広河内岳周辺にテントを張って池の沢方面の水場を確認して笹山までの予定だったが、青薙崩れの通過が木曜日の予定で天気予報ではくずれる予報だったので、水曜日に通過出来るように水場の確認ははしょって寄り道をせずに笹山の先のいけるところまで行くこととする。西農鳥までは自分のペースで登りたかったので今日も暗いうちから出発する。西農鳥岳まできてもまだ追いついてくる方がいなかったのでさらに農鳥岳まで進む。農鳥岳手前ですぐ後ろから来る登山者に気が付きここまできたらとあわてて先に進む。へとへとになって農鳥岳につくとすぐに次から次ぎへと登山者が続いてきて山頂はいっぱいなった。伝付峠まで行く予定の方が大門沢に降りる予定の方に笹山ダイレクト尾根を勧めていた。そうそうに山頂を後にするが、すぐに数人に追い越される。大門沢下降点はスルーして白峰南嶺に突入する。這松帯を越えて尾根にでると、広河内岳山頂に人影が2人見える。伝付まで行く方と笹山ダイレクト尾根を下る方か?広河内までにさらにもう一人に抜かれる。広河内岳に到着するとダイレクト尾根を上がってきた方が2人休憩していた。広河内岳からの下りは相変わらず良くわからない箇所が有り、いつの間にか道を外れ這松帯を横切り道に戻る。大籠岳までの間に笹山方面からの数人の方々に会う。ダイレクト尾根はかなり一般化しているようだ。白河内岳山頂にはトレランの方がいた。おそらく今朝、奈良田からダイレクト尾根を上がってきて今日中に大門沢から奈良田に降りてしまうのだろうものすごいスピードだ。白河内岳から下りも判りづらいが、5回目なのですんなりと下っていく。いったん樹林帯には入り下り、切り開かれた這松帯を抜けると毎回テントを張っていた所にでる。今回は天気もよくまだまだ元気もあり先に進む。黒河内岳北峰には休憩をしているベテランの方がいてダイレクト尾根は登りやすいく、下りに使う場合は大門沢から降りるより早いのではとおっしゃっていた。黒河内岳南峰にはテントを張った方が一人おられて、いろいろ山の話をして、東北の和賀山塊もおすすめだと教えてもらった。黒河内岳から下る途中で伝付峠からの2人組の方とすれ違う、以前鋸岳で会われていて今回たまたま新倉で一緒になったとの事だった。またそのとき先行して伝付峠まで行かれた方とも会われていたとの事だった。このうち一人の方は後からヤマレコユーザのHikaruさんで有ることが判った。2580m付近のテント適地手前で道を失い、尾根上の藪の中を強引に進み苦労する。ここのテント適地は景色も良いので前から泊まってみたかったがまだ時間もあるので、奈良田越まではいけそうに無いが、何カ所かテントを張る当てが有るので先に進む。毎回休憩している白剥山手間コルの手前にある小ピーク?で時間切れとなり今日はここまでとする。
9月15日(月)
今日は伝付から出来るだけ先に進み、出来れば生木割山までいければ、青薙崩れを水曜日に通過出来そうだ。森の中なので明るくなるまで待ってから出発する。奈良田越には7時過ぎに到着することが出来た。この調子ならば、当初予定していた寄り道(別当代山)はせずに伝付峠に向かへば、
午前中には余裕で伝付峠に着けそうだ。昨年の工事区間はきれいに完成されていたが、その手前は相変わらず崩れたままで、ガレに埋もれて人一人分の幅くらいし残っていないが何とか通過出来る。伝付峠には少し遅れて11時前に到着した。新倉方面に12分あまり下ったところにある水場で水を汲み戻って重くなった荷物を背負うとこのまま先に進むか躊躇する。二軒小屋への分岐まできたところで天気予報を確認すると木曜日の天気は雨から曇りに変わっていたのでまだお昼だがいつもの場所でテントを張ることとした。初めから当初の予定通り伝付峠でテントを張る予定で、別当代山によれば良かった少し後悔した。しかしおかげで、昨年(嶺朋尾根)、一昨年(八本歯のコル経由)に比べるとまだまだ元気で二軒小屋に降りようとは微塵も思わなかった。ラジオではスコットランドの独立投票の話題がしきりに流れていた。ワンセグも入ったのでいつも見ているNHKの家族に乾杯を見てから寝た。
9月16日(火)
昨日は時間が早かったが伝付峠までとしてしまったが、これで当初の予定通り今日は笊ヶ岳の手前まで良いので気が楽だ。少し遅めの出発で林道を歩き始めるとすぐに天上小屋山方面のへの荒れた林道への分岐につき、そのまま荒れた林道を進みなかなか着かない尾根への取り付きまで我慢して歩き林道終点から少し上がったところで今日初めての休憩をとる。ここから雰囲気の良い森の中を進み、上の切り方面とトラバース道の分岐まで来る。ここにはテント一張り位のスペースがある。昨日ここまで来ていたら迷わず上の切方面に行っていたのだが、正規のトラバース道を行くか尾根沿いにいって上の切を越えるかだいぶ迷ったが安全策をとってしまい、トラバース道を進む。天上小屋山手前の開けた場所からは、南アルプス南部の巨峰たちがよく見える。生木割山の山頂でラジオを聞いて休んでいると、緊急地震速報が流れてきて緊張する。震源地は茨城とのことで少し安心するがしばらくすると少し揺れた。山の中で地震を感じたのは初めてかもしれない。しばらくラジオで地震のニュースを聞く、自宅付近は震度5弱だったようだが大きな被害は出ていないようだ。上倉沢のガレからの笊ヶ岳は雲がかかりすっきり見ること出来なかった。ガレの縁を足を滑らさないように登り、途中から低木帯へと逃げ木に掴まりながら急登を登り切る藪の中を水平に進むと笊ヶ岳方面の下りにでる。ここで荷物を置き、空身で生木割方面に戻り、上に道が付いている箇所から這松尾へ2回目の挑戦に行く、しばらくいくと見覚えのある場所に出る。3年前引き返した這松の激藪地帯の入り口だ、前回は無かったビニールテープで行き先がふさがれていた。右手から少し下る方面に道があり進むとすぐに上に上がる道へと続いていた。上がりきったところに、這松の間に道が空いていしばらくは苦労せずに勧めたが、やがて完全に道の上は這松の根で覆われ根の上をバランスをとりながら進み、山頂と思われるピークまで進むと這松が無くなり地面が見えたが、少し下ってさらに先にピークが有るようだ。尾根沿いの道と、右手に下る道が見えたが、ここまでの這松帯でテンションが下がり、今回はここまでとして引き返してしまった。帰りは、生木割り方面に行かず笊ヶ岳方面に降り直接ザックを置いた場所に出た。ここから急な下りを進み水場分岐の印まで来る。ここで空身で上倉沢上部の水場へ水の補給に行く、道は荒れ気味だが印はしっかりと有る。初めのガレにでると向こう岸に印が有り、従ってガレを渡り進むとその先にも比較的新しめの印が続いた。最近崩れたと見える?ガレ場の先に水が流れているのが見えたが、ガレに降りるのに歩いた跡がなく苦労する。水場からは雲のかかっていないすっきりした笊ヶ岳を見ることが出来た。後から3年前のGPSログと比べると3年前は初めのガレの下方が見ず場だったのかもしれない?水場分岐に戻り、少し先に進んだ所にある3年前にテントを張った同じ場所にテントを張り、ラジオを聞いていると大相撲中継で新入幕の逸ノ城と40歳の旭天鵬が初日から勝ちっ放しで話題になっていた。
9月17日(水)
今日の予定は青薙山までの予定だが出発が少し遅れる。ひと登りしてから椹島分岐までは急登もなく順調に進む。ここを少し下った所にテントスペースが有るそうだが少しだけ様子をうかがいに降りたが確認は出来なかった。ここから山頂への最後の急登が始まる。山頂手前で少しだけ這松をかけ分けながら進み、露で少しだけ靴が濡れるが、中までは濡れることなく済んだ。笊ヶ岳山頂は絶好の展望所だが、今回は雲が多く時たまに雲が切れて南アルプス南部の山々が時たま見える程度で、最後まで富士山は見えなかった。今回も小笊に立ち寄ることなく布引山に向かう。いつかランカン尾根からも登ってみたいものだ。早川側のロープのある降り口はすっかり藪で覆われていて、前回と同じように尾根沿いに下っていく。布引山はいったん登り切ってから山頂までが意外と長く疲れる。布引山から下り始めるとすぐに急登で有名な広河原方面との分岐となり、いよいよここから先が未踏の登山道となる。布引崩れの縁を歩くかと緊張していたが、しばらく登山道は大井川側を巻くように続いていて安心した。途中からザレた場所に出ることも有ったが緊張するような箇所は無かったが、コルまで長く感じられた。コルからいったんピークに上がった後、道が判りづらくなり、2160m付近で大井川側に迷い込むが、印のある場所まで戻り早川側に進むと印を見つける事が出来た。この付近の地形は複雑だったが印を頼りに進みなんとか抜けしばらくして所ノ越沢に到着する。当初予定では青薙山までの予定になっていたが、水をなるべく持たないように所ノ沢越から中の尾根方面に下がった所にある絶好のテン場を今日の宿とした。テントを張り終え、中の宿方面の登山道の偵察に次の沢の場所まで行って来た。ここまでは特に問題ないようだが、この先で登山道は崩落して危険な状態になっているらしい。旭天鵬は今日は負けてしまったが、逸ノ城は今日も三役経験者に勝ち勝ちっぱなしだった。
9月18日(木)
当初予定では、昨日中に青薙山までいって今日は青笹山までの予定だったが、おそらく青薙崩れで精神的に疲れて平和な小笹平でほっとしてそこまでだろう。しかし明日がんばれば山伏まで届きそうなのでまあいいだろうと軽い気持ちで歩き始める。倒壊小屋手前で迷うが、小ピークに登ると左手下に倒壊小屋を確認して下り、そのまま倒壊小屋の崩れたトタン屋根の上を越えて進むと印を確認出来た。ここから先は登っている分には比較的判りやすかったが、稲又山山頂手前は早川側から回り込むように稲又山山頂にでる。稲又山からは迷うことなく進むが、所々で藪がうるさかった。見覚えのある景色となってきて青薙山分岐まで来たかと思ったが、もう一登りしてようやく青薙山分岐に到着する。これで北岳から水無峠山までは繋がった事になる。青薙山への分岐から青薙山山頂までは迷いやすい地形だが、ピストンも含めて今年4回目となるのでさすがにすんなりと到着して今年3回目の青薙山登頂を果たす。いったん分岐まで戻りいよいよ本番の青薙崩れへと急降下していく。今年6月に初めて来たときには正直この急降下だけでめいいっぱいとなってしまい、青薙崩れはろくに見もしないで引き返してしまったが、今回は十分様子も判っているので余裕を持って急降下をこなして青薙崩れの手前まで来る。ここで今までガスが出て視界が悪かった景色もガスが切れて青薙崩れが見渡せるようになった。細くなった尾根を進み、6月に引き返し下が見渡せない急激に下る手前のポイントまで来る。今回は8月に北上していて、道が意外と安定していることが判っているので緊張しながらも一歩を踏み出し、慎重に両手を使いながら初めの崖のような所を下ってから細尾根を進み次の下りはかろうじて崖に残った木の根を掴まりながら越えて最低コルに到着する。ここまで来ればもう大丈夫だろうと一息するが写真をとる余裕まではまだ無い。最後のガレの縁の登りは避けて、早川側の急登を木に掴まりながら登りきりようやく安心する。小笹平までの下りも急だが、分岐から青薙崩れまでの下りに比べたらまで楽だ。とても平和な小笹平までくると時間はまだ少し早かったが、一番の危険箇所青薙崩れを無事通過できた事とこれでようやく計画通り最後までいける目処が立ったので早々に前回と同じ登山道上にテントを張ってからのんびりと笹の斜面を水汲みに向かった。水場は8月の時に比べると細くなっていたようだったが、少し下ればまだまだ豊富に水が流れているようだった。テントに戻り今日もラジオで大相撲聞きながらのんびりとする。逸ノ城は今日も勝ち大鵬がもつ新入幕での初日からの連勝記録(11)を破るかと早くも話題になっていた。
9月19日(金)
今日は行程は長いが、危険箇所と思われる箇所もなく明るいうちに着ければ問題ないのでゆとりをもって出発する。初めのイタドリ山への登りで道を見失うが、上を目指して進み山頂に到着する。イタドリ山からの下り口も判りずらかったが、印を見つけて先に進む。青笹山までの間、気分の良い笹原が所々あり気分が和む。青笹山を少し下った日影沢崩からは、今回歩いてきた稲又山、青薙山、前々回歩いた毛無山、無岳山がよく見えしばらく休憩する。青枯山は今回も気が付かず通りこしてしまった。三ノ沢山手前は少し判りづらかったが前回逆コースで歩いていたので迷わず三ノ沢山に着くことが出来た。水無峠山は前回、東河内側から登り、尾根に出るとちょうど山頂標識が有ったが、山頂付近にあったヌタ場は通らなかった。今回はヌタ場に降りて早川側を印に沿って進み、山頂標識があるピークにはよらなかった。下りにさしかかったところで、少し東河内側に戻るようにして周辺を探し、一番高そうな箇所に静岡やぶこぎ山岳会のテープを見つけることが出来た。小河内山への最後の登りは短かったが急でこたえた。初めのピークからはいつか登ってみたい小河内からの長い尾根を見渡せることが出来た。ここからは急な上り下りは無く直に三角点がある2つ目のピークに着く。ここからは小河内から雨畑への林道がよく見えた。自転車で峠を越えるのも楽しそうだ。最後のピークからは下りのみで大笹峠までつけると思っていたが、小ピークを何回か越え行かなければならずバテた。大笹峠への最後の下りは少し荒れ気味となっていて慎重に下り、広河原以来の舗装道に降り立つ。大笹峠付近の道は落石等で少し荒れ気味となっていた。近くで重機の音がしていたので修復中なのだろう。雨畑方面のゲートは閉じられていた。今日はここまでにしてしまおうかと一瞬思ったが、山伏までの急登を大相撲を聞きながら登り始める。途中で逸ノ城の取り組みとなり聞き入ってしまったが残念ながら初黒星となってしまった。この後なんと新入幕に勝った勢のインタビューが行われていた。ラジオの解説は九重親方(千代ノ富士)だったが、こういうのもいいのでないですかと言っていた。山伏には思っていたより楽に着くことが出来た。5年目にしてようやく山伏まで来ることが出来て感慨深げだった。 山伏の標高は2014mなので今年これることが出来てちょうど良かったいうことか?ここから山伏避難小屋まで行かないと明日の分も含めて水が足らないので明日の大谷嶺とは反対方向の百畳峠方面へ進む。ここまでの登山道に比べるととても平和な登山道を下り、避難小屋分岐までくる。分岐から避難小屋はすぐだった。避難小屋の中を少しだけ覗いてみたが、時間が遅くすでに薄暗くなっていてとても一人では夜を越せそうに無かったので撤退して、小屋からすぐの水場で水を汲んだ後、分岐まで戻りここにテントを張って避難する。
9月20日(土)
いったん山伏まで登り返す。今日も天候は曇りだったが昨日は見えなかった富士山を見ることが出来た。山頂の温度計は6℃を指していたがさほど寒くは感じなかったので、ウィンドブレーカを羽織って先に進む。新窪乗越まで尾根沿いに歩くと思ったが途中思いの外下っていくのでこのまま林道に出てしまうのでは心配したがそんなことは無かった。新窪乗越につくと風が出始めて寒くなったきたので、レインウエアを防寒着として着る。ここから急登を登り切るとミレミアムな2000mの山(静岡大谷嶺/山梨行田山)に到着する。ここの山頂標識はあらら、、、な状態となっていた。また見えづらかったが、八紘嶺方面への縦走注意の看板が有り、気が重くなるが、八紘嶺手前のキレットは良く整備されていてロープが張られていた。危険は感じられなかったが、ロープに掴まりながら慎重に進む。八紘嶺には梅ヶ島方面への温泉マークの標識が有りそそられたが、予定通り七面山方面へ進む。この後は予定は希望峰あたりまでだが、適当な場所でテントを張っても十分明日下山できるのでのんびりと進む。四ノ池は広い平坦な場所だったが、割れたビンの破片が所々にあり、又雰囲気的にもテント場としては適さないだろう。まだ時間も有るので先に進む。希望峰手前のコルに少し平坦地が有ったが、ここまで来たら希望峰まで行こうと先に進む。希望峰手前で開けた場所があり、歩いてきた白峰南嶺の山々にかかる雲が真っ赤に焼ける見事な夕焼けを見ることが出来た。まだぎりぎり明るかったので、少しでも良いテン場がないか先に進むが、なかなか良さそうな場所がなく、窪地の有る場所まで降りてきた。窪地の下は平坦でテントを張るにはちょうど良いと思われたが、ロープが張って有ったので遠慮したが、そろそろ暗くなってきていたので、ここで登山道上に無理矢理テントを張った。ここに張るので有れば、少し狭かったが、希望峰手前でテントを張っていたら朝焼けもみられたかもしれないと後悔した。後で地図を見るとどうやらここが三ノ池らしかった。七面山の池は七ノ池まで有るそうだが、、、
9月21日(日)
ようやく最終日となる。予定では、敬慎院から北参道を進み途中雨畑参道から雨畑に降りて温泉にゆっくり入ってから大島のバス停まで出てから下部温泉に行くつもりだった。三ノ池から最後のピークとなる七面山の山頂までは複雑な地形となっていたが登山道はしっかり付いて迷うことは無かった。七面山山頂ではスマホの電波が届いていたので、今日の下部温泉の宿を予約した。七面山からは所々急な箇所も有ったが問題なく進む。ナナイタガレの縁はロープが張ってあり進入禁止となっていた。敬慎院の敷地内に入り、標識に従い進むと御来光遥拝所にでた。今日は久しぶりにすっきり晴れていて富士山も良く見ることが出来た。御来光遥拝所にザックを置いて、随身門をくぐり敬慎院、一ノ池等を観光してから戻って下山を開始する。ここで敬慎院に泊まっていたと思われる方々につられて右手に降りていってしまう。そのうち雨畑への分岐が有り静かな道になると思っていたがどうも様子がおかしい。そのうち休憩場についてから地図を確認して表参道を降りていることに気が付く、最後の最後で道を大きく間違えてしまった。いまさら大きな荷物を持って登り返すのも恥ずかしいので、このまま表参道を降りることとする。表参道はほとんど階段状になっていてきつかった。角瀬に向かって舗装道を歩いていると、途中で車の方に乗っていかないかと声をかけていただいたが、ここまで歩いたので最後まで歩きかったので、お礼をいって断ってしまった。ひのや旅館で温泉に入らせて頂き、10日分の汗を流してさっぱりした。バスの時間までだいぶありタクシーを進められたので思わず頼んでしまい下部温泉まででた。駅前の下部ホテルにまっすぐ向かい早めのチェックインを済ませたがまだ部屋には入れないとのことで、荷物を整理して宅配便をお願いしてから、再度温泉に入りのんびりしてからホテル内にある中華レストランで生ビールと炒飯をいただく。精算時に生ビールのお代が入っていなかったが、なぜかサービスとの事でラッキーだった。10日ぶりのまともな夕食をおいしくいただき、恒例の太鼓の演舞と餅突きを見学してから温泉に入りぐっすりと寝た。翌日も朝から温泉に入ってゆっくりしてから身延線で甲府に出てから帰宅した。
10日間もかかってしまったが、なんとかほぼ予定通りの行程で歩き通すことが出来た。このところ5日以上は歩き通せたことが無く、もう一週間以上のテント泊での山行はきついかなと思っていたのでまだまだいける?事が判ったので良かった。ただし、昔のようにコースタイムを短縮して連日10時間以上歩くような行程はとても無理なので、今後も余裕を持った計画で山歩きを楽しんでいこうと思った。
さて来年はどこに行こうか?
大井川源流域か、久しぶりの北アルプス(島々〜餓鬼岳)か、中央アルプス(木曽福島〜大平宿)か、
コメント
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こんにちは〜!こちらは南アルプスでもメジャーな北側を歩いてきました!
入れ違いぐらいに歩かれてたんですね!それにしても10日間で100km超えは凄い!
わかるのは北岳からギリギリ広河内岳までくらいで。他は名前も知らないところばかりです!(^-^)
広河内岳から先は多分誰にも会わなくて静かな山歩きが出来そう!
写真で拝見するとテントは普通のっぽいですが、他の装備や10日間の食料とかはどうされてるのか気になります!?
先日は7日間の食料だけで重いはかさばるはでヘタレました!(笑)
こんにちはnekojigenさん
コメント有り難うございます。
奈良田から笹山へのダイレクト尾根は最近人気で笹山までは結構人に会いましたが、笹山の下りで伝付峠から登ってきた方と会ってから、敬慎院でお坊さんに会うまで6日間誰にも会いませんでした。南アルプスは北アルプスと違い、白峰南嶺や深南部など静かな山歩きが出来るので好きな山域です。
荷物は家を出るとき水無しで24kg位でした。
なるべく水場でテントを張るようにして荷物が重くならないようにしていました。
nekojigenさんように引退してからもテント泊での1週間以上の山行が出来れば最高ですね
はじめまして。
笹山南側で休憩されていたKumahikoさんとすれちがった二人組です。
七面山に行かれるとのことを伺いましたが、ロング行程のため心配で
ちょくちょくヤマレコチェックしていましたが、無事に帰還されて良かったです。
(ヤマレコに)大量の写真をUPする大変さが伝わってきました(^^♪
食料やお酒10日分は何を準備したのですか?
かなりの量と重量になるのでは?と思います。
白峰南嶺は自然豊かで良いとこですよね(^^)
Hikaru さん
コメント有り難うございます。
ご心配おかけしましたが、なんとか無事に帰還できました。
ここ数年は予定通り歩けていなかったので1週間以上歩けたのは久しぶりでした。
Hikaruさんたちすれ違った後、敬慎院のお坊さんに会うまで誰にも会いませんでした。
平日ということも有ったと思いますが、おかげで白峰南嶺を十分堪能できました。
朝食、昼食は毎回軽いものしか用意していません。夕食は、昔はアルファ米を多用して重量を減らしてましたが、最近はパスタを多用しています。
お酒は1日目と2日目の小屋で買ったビールのみで運ぶ余裕は有りませんでした。
下山後の生ビールは最高においしかったです。
今回は笊ヶ岳からの眺めは雲が多く残念でしたが、晴れていれば最高の景色です。
深南部も山深くおすすめですよ
もう、食い入るように見入ってしまいました。。
私にはとても真似できないのですが、青笹山周辺はやはりかなり難しいのでしょうか。。正に憧れの地です。
小笹平の水場、、結構降りるんですね、、さぞ美味しかったかと思われます。
次回の山行も楽しみにしています!
ittaさんコメント & いつも拍手有り難うございます。
私は単独山行が多いので、いざというときのため地図がでるGPSを持って歩いています。
青笹山周辺はGPSで確認することなく歩けました。周辺ではどちらかというと三ノ沢山周辺の方が判りづらいかもしれません。
小笹平の水場は多少降りますが、最後まで笹原を降りていくので気分良く遠く感じません。
残念ながら今回は水量が少なく、前回行った鹿の子池の方がおいしかったように感じます。
ちなみに今まで一番おいしいと感じたのはタキタロウが生息?している池の畔です。
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