特攻、槍ヶ岳‼️
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- GPS
- 15:16
- 距離
- 28.9km
- 登り
- 2,314m
- 下り
- 2,305m
コースタイム
- 山行
- 13:41
- 休憩
- 1:32
- 合計
- 15:13
天候 | 夜は星空、朝は雲もあったが晴れ、昼前から急速に天候悪化でホワイトアウト、帰りは槍平小屋を越えてから雨になる |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
土曜日のどか雪にも関わらず、溝トレースあり。しかし、飛騨乗越までの最後の500mは、沈み込む辛い雪質の急登を行く。飛騨乗越から槍ヶ岳山荘テント場までは、雪が浅くなりかなり楽になる。穂先へは鎖も出ていて、この時期にしてはイージーだったと思われる。 |
その他周辺情報 | 15時間超え山行のため、自宅に直帰 |
予約できる山小屋 |
槍平小屋
|
写真
感想
1. きっかけ
登山を始めて8ヶ月が経とうとする頃、ビビりながら残雪期の甲斐駒ヶ岳に黒戸尾根からチャレンジした。あまりの辛さに吐きそうになった。山行時間は14時間を超えた。
しかし意外なことに、そんな黒戸尾根からの甲斐駒ヶ岳に、10時間を切るスピードで登る猛者はたくさんいる。その中の一人のわかわかさんが、「槍ヶ岳に特攻してみた」というレコをアップした。あまりのインパクトに、身の程知らずにも、僕もやってみたくなった。残雪期黒戸尾根をベンチマークにして、特攻槍ヶ岳の難易度をわかわかさんに聞いてみた。「やっぱり、槍ヶ岳の方が断然キツイですね。黒戸尾根は急登と言っても、七丈小屋を越えてからですし...」。なるほど...。「先ずは黒戸尾根を余裕でこなす必要がありそうだ」と、初チャレンジの翌々週、黒戸尾根に再度チャレンジした。当たり前だが、自分の実力は何も変わっていなかった。2回目なのに同じくらい吐きそうになり、山行時間も依然として13時間を超えた。「アカン、俺にはまだ特攻槍ヶ岳無理や...」と、僕は計画を封印した。
2. タイミング待ちとクライミング
あれから約2年が経った。その後もコンスタントに山行を続けることができた。歳も取ったが、その分経験値も増した筈だ。フォローしている方々の特攻槍ヶ岳山行を見る度に、「もしかしたら、今ならオレにもできるかもしれない」と思い始めていた。そして、そのマグマが、何故だかひできちさんの1泊2日のテン泊槍ヶ岳山行を見て爆発した。
「機は熟した」とチャンスを伺っていたが、僕の四半世紀に及ぶキャリアの中でも3本の指に入る金融市場の崩壊ぶりに憔悴し切っていた。花粉症と相まって絶好の北アルプス日和だった3月11、12日の土日を無駄にしてしまう。13日からの週もマーケットの機能不全は続いた。かつ数年に一度しか来ないボスが来日していたので、夜は毎日会食が続いた。
それでも、もともと眼科検診で祝日前の月曜日(3月20日)に有休を取っていたので、18日から21日のどこかにチャンスがあると思っていた。特攻槍ヶ岳は24時間以上寝れないのが最大の障害なので、山行前の数日はたっぷりと睡眠を取っておきたい。それは休日しか無理な状況だった。幸か不幸か18日の土曜日は、残雪期の一日の降雪量としては近年最多のどか雪となった。そして、日曜日からは好天が続く予報だった。「幸」はあまりに少ない雪が復活したこと。「不幸」は、この時期の大雪は雪崩リスクに直結することだ。とりあえず、日曜日の入山を見送るべきなのは明らかだった。アルパインカフェ満寿屋のマスターからも、今回の雪質の悪さから「数日は様子を見るべき」と警告ツイートがあった。現に、黒戸尾根では雪崩が発生し、けが人が出た。
関東では土曜日はしっかりとした雨だった。東京駅大丸の石井スポーツから、G5 EVOの修理が終わり、店頭に靴が戻ってきているという連絡を受けていた。暇だったので、特攻槍ヶ岳に使えるよう、自宅から東京駅までG5を取りに行くことにした。その際、単に取りに行くだけでは時間がもったいないので、自宅から東京駅への東海道線沿線にあるクライミングジムを見学して回った。
クライミングジムRISE
・戸塚駅徒歩5分
・かなり広い
・課題難し目
B-Pump 横浜
・横浜駅東口徒歩15分(駅から遠すぎ)
・ホールド大き目で競技寄り
・おしゃれだが、壁狭い
BOULCOM 川崎店
・川崎駅徒歩5分
・課題易し目
・料金体系がユニーク
ガイド山行に行くと、決まってガイドが質問する「クライミングやってるの?」は、「ボルダリングジム行ってるの?」にほぼ言い換えることができる。決して、北鎌尾根や早月尾根での山行のことではない。最近、赤岳主稜で利用したミキヤツ登山教室には、ロープワークを覚えようとする前に、すぐにボルダリングジムに通った方がいいとサジェストされていた。
クライミングジムは、普通のフィットネスジムと違い、最初に1000円程度の登録料を支払い、都度利用料を支払うのが一般的だ。なので、特に1つのジムにこだわる必要はなく、自分の行動パターンに合わせて複数のジムに通うのに向いている。土曜日にジム見学をしたものの、どこも大体よく似たようなものだったので、日曜日に実際にやってみることにした。ゆるジョグで小一時間走り、自宅から一番近いClimbing gym SLOTHを訪れた。
ここは設立8年で、いい感じの若いお兄さんがオーナーだった。他のジムより人数も少なめで(晴天の日曜日だったからかもしれない)、板の壁にホールドが取り付けられ、他のジム対比手作り感が強かった。イコール、ホールドの変更も機動的にできるということだと思われ、好印象だった。いきなり初回登録料1100円と3時間の利用料金1760円を支払い、早速登り始めた。3時間なんて絶対できないと思ったが、初級ですら全部クリアできないのが悔しかった。結局、全指の第二関節と手の平の間の腹の皮がずる向けになるまで夢中になり、3時間はあっという間に過ぎ去った。ジムのお兄さんに警告されたように、翌日、背中を中心に猛烈な筋肉痛になった。
雪が落ち着くのを出来るだけ待つという観点から、特攻するなら春分の日しかなかった。しかし、激しい筋肉痛とずる剥けになった手の指を見ながら悩んでいた。要は、猛烈に不安だった。本当に体力がもつのかということと、大雪の後に飛騨沢を詰めることに対してだった。野村仁氏編著の「雪山登山」には、冬期槍ヶ岳登頂ルートとして、中崎尾根が紹介されている。飛騨沢は「雪崩の危険があり、春のGW期など雪が落ち着いて安定した状況で利用したい」とある。今年は例年よりも1か月ほど季節が先に進んでいる感じではあるものの、土曜日のドカ雪後の飛騨沢に入るのを躊躇していた。しかし一方で、飛騨沢を通れなければ「特攻槍ヶ岳」を実現するのは難しい。何故にそこまでビビりながら、なおかつ挑みたくなるのか?登山にはそういう不思議がある。「登れると完全に分かっているなら登る意味はない」ということか。最後は、経験豊富な先輩方に相談した。すると、2人のレジェンドはそろって飛騨沢詰めを支持してくれた。僕は腹をくくった。
3. 特攻!槍ヶ岳
特攻槍ヶ岳の所要時間を最低でも15時間と見積もった。遅くとも日没までにはゴールしたいので、朝の2時にはスタートしなければならない。とすると、新穂高登山指導センター前駐車場に1時半だ。そこまで急いでぶっ飛ばして3時間半なので、午後10時に自宅を出ることにした。夜の8時くらいから仮眠を取る努力をしたが、結局一睡もできなかった。今回は限界突破になるに違いないので、ジムニーで行くのは諦め、久々に家族車で新穂高を目指した。
ほぼ予定どおり午前1時40分頃、指導センター前駐車場に到着した。意外にも、あるいは予想通りと言うべきか、かなり埋まっている。いい兆候だ。やはり、みんな悩みながらもここまで来てしまったのだろう。はす向かいの車では、2人組がスタートの準備をしていた。BOAのカチカチという音が聞こえてくる。僕も急いで準備をして、2時過ぎにスタートした。
なぜか今年はやたらと右俣林道を通る。1月の西穂高岳、2月の奥穂高岳と、そして今回の槍ヶ岳だ。穂高平小屋までは全く同じ道なので、ブラックスタートも苦にならなかった。林道に入ってすぐ、若い小柄な男性登山者がいたので、「どちらまで?」と聞くと「槍ヶ岳ピストンです」。「一緒ですね!何とか15時間くらいで戻って来れれば😅」と言うと、なぜか彼は口ごもっていた。この後知ることになるが、彼はスーパーハイスピードで、多分遅くとも12時間くらいでゴールしていそうだった。
すぐに彼に離され、しばらく行くとガッツリとロープを担いだ若者男性2人組に追い付いた。「どちらまで?」と聞くと「滝谷です」と言う。「あー!リアルクライミングですね!」と言うと、彼らは苦笑していた。中々、若いのにちゃんとした受け答えができ、穂高平小屋では共に少し休憩し、談笑した。彼らがBOAを鳴らしていたわけだが、2人とも6000メートルまでカバーするG2を履いていた。近々アラスカにクライミングに行くらしい。G5とG2は見た目は似ているが、全く違う代物らしい。G5はゲーター付きシングルブーツだが、G2はリアルダブルブーツらしい。2人のうちの1人はG2もG5も持っているらしいが、G5の方が断然歩きやすいと言う。穂高平小屋を出ても、彼らは比較的僕のすぐ後ろをずっと歩いていて、滝谷避難小屋に入っていった。
滝谷出合いは、まだ渡渉にはなっておらず、普通に雪の道を通ることができた。涸沢岳西尾根取り付きを越えてから、雪崩のデブリが頻繁に出てきていた。奥丸山分岐の少し先までで、合計10ヶ所くらいあっただろうか。滝谷から先も、かなりしっかりとしたトレースを辿りながらも、最後は軽いラッセル気味に坂を下り、朝の6時前に槍平小屋に到着した。
冬期小屋前にはテントが一張りあり、冬期小屋の前にはスノーショベルが雪面に突き刺されていた。ここで、朝食をとろうと思いながら歩いてきた。秋に中房温泉をスタートし、北鎌尾根尾根で槍ヶ岳、南岳新道で槍平小屋に来た時は、ここには広々とした腰掛けスペースが用意されていて、その印象が強かった。しかし、当たり前だが全部雪に埋もれていて、トレースが少しワイドになったところでザックを下ろすしかなかった。そこで持ってきたパンを摘み、お湯を飲む。チタンカップを持ってきたつもりが忘れていたので、コーヒーは飲めなかった。
かなり長い時間しっかりと休憩し、何となく持ってきたスノーシューを装着した。しかし、ここから先も溝トレースは続いていた。しかも、深いが狭いトレースで、スノーシューを付けた両足をそろえるとトレースの溝に入りきらない。なので、モデルウォークのように歩きながら、片足ずつ足を高く上げトレースに入れないといけなかった。「これ、スノーシュー要らんな...」
あまりにも歩きにくいので、早々にスノーシューを外してしまった。今回は8インチのストラップギアを使って、スノーシューをザックの背面に留めて担ぎ上げてきた。しかし、8インチは少し短すぎてよくなかった。ストラップギアを限界まで引っ張ってサイドベルトに引っ掛けたので、ザックが押さえつけられ過ぎてしまう。スノーシューを付けたままでは、ザックから物を取り出すのもままならなかった。スノーシューやワカンを、スマートにザックにくくりつけられるギアを開発すれば、かなり売れるんではないだろうか?
滝谷避難小屋の手前くらいから、所々夏道を無視したルートになっていた。トレースを辿りながら、「これ、ノートレースだとかなり難易度高いな...」と思っていた。槍平小屋を少し先に行った所で、また豪快なデブリを乗り越えた。夏道より山側をトラバースしながら先を進むと、前から登山者が下りてきた。挨拶を交わし、「土曜日にどか雪降ったのに、すごいトレースですね!」と話し掛けた。「この先もトレースしっかりですか?」と聞くと、「ええ、トレースはありますね。上部の急なところはトレース消えてましたが、何人か上がっているので、また出来ていると思いますよ」「そこにもデブリありましたが、雪崩が怖い感じでしたか?」と聞くと、「あれは2週間前に発生した全層雪崩ですね。今日は表層雪崩は大丈夫そうですよ?」と、そんなに言い切るのは少し憚れるような表情を浮かべながらも、彼はそう言ってくれた。
この先もトレースはバッチリだった。12時くらいに槍ヶ岳山頂がデッドラインと思っていたが、かなり時間にも体力にも余裕があった。「こんなにトレースあったら楽勝やな☺️」と思いながら歩いていた。上からポツポツ下りてくる登山者達とも、「このトレースありがたいですね!」と声を掛け合いながら登っていく。この時はここから地獄が始まるとは想像だにしていなかった。
状況がいつから変わったのか?多分、千丈沢乗越分岐を越えた辺りだった。徐々に溝トレースが普通のトレースになり、雪も柔らかくなってきた。標高はまだ2500mかそこらで、槍ヶ岳だけに後700m弱もある。左の斜面にはうっすらとした足跡が見えたが、僕は右手にあった足跡をヘラで平らにしたようになっている斜面を選択した。多分これが間違いだった。まさに土曜の降雪の影響が色濃く残るアイゼンがほぼ効かない急斜面だった。ミキヤツ登山教室で重要性を再認識させられたスリーオクロックとナインオクロックを交互に繰り返しながら登っていくも、足がずり落ちまくり中々進まない。
その頃、右俣林道入口で一緒だった小柄な男性ソロの若者が、早くも左の斜面を走り下りてきた。「めちゃめちゃ速いな...」。どうりで僕が山行時間を15時間と見積もっていると言った時、変な間があったわけだ。多分彼は「そんなにかかるか?」と思ったのだろう。
「終わらない斜面はない」の一心で、牛歩を続けていた。少し登っては休憩を繰り返す。体力は一気に奪われ、時間の余裕もみるみるなくなっていった。後少しの距離が中々縮まらない。本当に限界を感じながらも、やっと前に道標が見え始めた。さらに左手にはそこそこの岩峰があり、その上にも別の道標が見える。「どっちが飛騨乗越なんや⁉️」。そんなことすら分かっていなかった。飛騨乗越でのタイムリミットは11時8分だ。これを超えたら撤退しなければならない。手前の道標ならセーフ、岩峰の上ならもしかしたらアウトだ。とにかく近い道標が飛騨乗越だと信じて、吐きそうになりながらそこに到達した。道標には飛騨乗越とあった。「よし!飛騨乗越来たで...」。時刻は10時40分頃だった。
悲しいことに、天候も急速に悪化してきていた。飛騨乗越は少し雪庇のようになっている。前に常念岳が見えたが、雪庇にかなり近づかないといい角度で見れない。仕方がないので、右に歩いて行き、そこにあった岩場に少し登ってみる。しかし、角度は今一のままだった。「もう今は槍ヶ岳に登頂することが先決ちゃうか?」と、常念岳を諦め、道標に戻った。ここはかなり強風だった。乗越だから強風なのか、単に天候がさらに悪化しているのか自信がない。ホワイトアウトになりそうな兆候も出てきていた。かなり不安ではあったが、タイムリミットはクリアしている。ここまで来て槍ヶ岳に登頂しないという決断はあり得なかった。
意地で槍ヶ岳を目指す。飛騨乗越から先はさすがにいやな重い雪はあまりなかった。竹竿に導かれながら、比較的楽に岩峰を登り切った。するとそこは槍ヶ岳山荘のテント場だった。ここで、意外にも登山者とすれ違う。彼は僕が履いているサルケンよりも、よりはっきりとしたオレンジ色の縦爪のアイゼンを履いていた。彼も、自分より後にまだ登ってきている登山者がいたことに驚いたかもしれない。
初めて見る冬の槍ヶ岳山荘は大分印象が違って見えた。そして、ここに来てやっと槍ヶ岳に対面できる。空は灰色一色だったが、辛うじて槍ヶ岳自体はしっかりと姿を見せてくれていた。「来たよ...」。山になった雪を乗り越えつつ、手前の建物の前でザックを下ろした。槍平小屋を越えた辺りから最近買ったペツルのシロッコを被っていた。しかし、僕のアジアンヘッドにはシロッコはツーフレンチだった。最後の地獄の登りの最中に、こめかみの横辺りが痛くなり、手に持って登っていた。ここで、さすがにシロッコを再装着した。また、ストックをピッケルに交換した。今回は荷物を軽くするため、クォークではなくモンベルのグレイシャーを持ってきていた。ポカリスエットを飲み一息ついてから、ピッケルだけを持ってアタックを開始した。
穂先へのルートはこの時期としてはスーパーイージーだったかもしれない。雪が少なく、鎖もちゃんと出ていた。事前に調べたレコでは、登りも下りも下りルートで登るそうだが、僕は普通に登りルートを使った。登る前から分かっていたが、山頂はガッスガスだった。それでも、雪のある槍ヶ岳山頂に初めて登頂し、思い切り吠える。時刻は11時半頃だった。うろうろ歩きながら、北鎌尾根の方を覗き込んでみる。当然独りの山頂なので、気持ちよくのんびりできるところだが、風も強く、更なる天候悪化が心配だったので、早々に山頂を後にした。
冬期小屋をしっかり確認しながら、ザックのデポ地点に戻ってきた。時刻は12時頃で、時間的には極めて予定通りだった。しかし、強風は続いていて、クラシックホワイトアウトになっていた。それでも飛騨乗越までは、雪も薄く竹竿もあるので、迷いようがなかった。飛騨乗越に戻ってくると、行きにキレイに見えた常念岳が全く見えなくなっていた。正直、コンパスを合わせればホワイトアウトでも別に問題ないと楽観視していた。しかし、コンパスを夏道に合わせ、下り始めてから、重要なことに気が付いた。「そういえば夏道無視して登ってきたやん...」。竹竿は辛うじて視界に入り、そちらに向かってみたが、夏道に沿って立てられていたのか、トレースは全く見当たらなかった。「困ったな...」。まあ、まっすぐ下りるだけなのだが、新雪に不用意に突っ込む恐怖を知っている僕は、かなり不安だった。行きに自分が付けた深いトレースすら見つけられない。適当に下りていくと、やっとうっすらとした足跡を見つけることができた。とりあえずそれを手がかりに、千丈沢乗越分岐に向けて、柔らかい雪を崩しながら下りていく。恐らく今日は自分が最後に飛騨沢を下っているだろう。濃い霧で全く視界がないなか、足元だけを見ながら下っていく。どんどん恐怖感が増してきた。気のせいかもだか、雪質が危なげに見える。「これ、クラシック雪崩注意報出てないか😨」。大雪の後に沢筋に入ったことを、遅れ馳せながら後悔していた。みんな飛騨沢の下りは豪快に駆け下りるようだが、無用な刺激を雪面に与えないよう、ソロリソロリと下りていく。そんな感じで、慎重に下りていくと、高度を下げるに連れて視界が徐々に回復してきた。ここからもデブリが連続していたので、決して安全地帯ではないのだが、幾分気持ちが楽になった。やはり、雪山を侮ってはいけないと、また思い知らされた。
何とか無事に槍平小屋に戻ってきた。テントは撤収され、人の気配はなくなっていた。この槍平小屋から白出(しらだし)沢出合までが地獄だった。気温が高く、雨まで降り始めた。かなりツルツル滑る急斜面を慎重に進む。約10ヶ所ほどあった雪崩のデブリも、辛うじて分かる足跡を頼りに乗り越え続けた。デブリを見る度に、何故だかかなり気分が滅入った。白出沢を渡り、やっと本当の意味で安全地帯になった。体力と睡眠不足の限界の中、地獄の林道歩きの末、午後5時半前に登山指導センター前駐車場に戻ってきた。山行時間は15時間を超えてしまった。夜の10時に自宅を出て20時間弱寝ていない。帰りは軽い渋滞にはまり自宅に着いたのは午後10時前だった。
教訓 : 特攻槍ヶ岳は最高のコンディション(天候と体調)で臨むべし
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