大峯奥駈道(六田→前鬼→熊野市)・・・無念の敗退


- GPS
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- 距離
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- 登り
- ---m
- 下り
- ---m
コースタイム
六田駅 14:42
金峯山寺 15:45
吉野山発 17:00
金峯神社 17:58
四寸岩山 19:21
二蔵宿小屋 20:16
9月20日
二蔵宿小屋 3:42
五番関 4:52
山上ヶ岳 6:37
大普賢岳 8:11
七曜岳 9:07
行者還小屋 9:44
弥山 11:38
釈迦ヶ岳 15:18
深仙ノ宿 15:58
9月21日
深仙ノ宿 5:59
前鬼 7:13
前鬼橋 8:52
三重県境 10:46
国道42号合流 13:32
熊野古道(観音道)入口 14:31
泊観音 14:46
大吹峠 15:33
松本峠 16:16
花窟神社(熊野市) 17:11
天候 | 晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2015年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
名古屋→六田 近畿日本鉄道 熊野市→新宮 JR 新宮→東京 西武鉄道夜行バス 東京→勝田 JR |
コース状況/ 危険箇所等 |
笹で地面が見えない場所あります。笹の下には石や根っこがあったり、逆に地面がないこともあり。 |
写真
感想
シルバーウィークを利用して念願の大峯奥駈に行ってまいりました。7月にできた茨城交通バスの新路線(勝田→名古屋線)を利用して実家のある名古屋へ。翌日、近鉄電車を乗り継いて靡(なびき)75番柳の宿の近傍の六田駅に移動。柳の宿から逆峯にて熊野本宮を目指します。
今回は宿泊道具(小屋泊用のシュラフカバーと防寒着等)と2泊3日分の食糧を持ったため、8Lの小さなザックでは収まり切らず、冬用シュラフを入れるための円筒形の袋を追加してのパッキング。収まりはしたものの、いつもとは明らかな重量差。コースタイムの0.5倍で見積もった計画はどうなることやら。。。
(1日目)
少しでも食糧を減らすべく、吉野山の食堂で夕食をたらふく食べてから峰入り。しばしの夜間登山の後に二蔵宿へ。のはずが、小屋がない!後で見返すと、国土地理院地形図にあるように、1083m点の少し南の百丁茶屋のあたりが正しく、山と高原地図に示す場所は北すぎるようです。寝静まった二蔵宿小屋には先客数名。静かに二階席に行きましたが、お休みのところ、ご迷惑かけてすいませんでした。
(2日目)
昨晩も迷惑かけましたが、朝も4時前に出発してご迷惑かけます。大天井岳の巻道(在来道)は吉野山にあった標識では崩落通行止となっていましたが、現地では特にバリケードもなかった(暗くて見当たらなかっただけかも)ので行ってみました。崩落個所はある程度修復されており、特に注意する箇所もないので、問題ないかと思います。途中の水場がありがたく、助かりました。
五番関からは、下の林道から上ってくるようで、多くの男性が歩いていました(ここからは女人禁制です)。歩くにつれ、明るくなってくるのは気分がいいもの。昼間ならばにぎわっているだろう茶屋で休憩しつつ、大峯山寺を目指していると、白装束の団体がいました。修験者かと思いきや、結構若い面々。話を横聞きしていると、どうやら会社の研修のようでした。有名な西の覗にはだれもおらず残念。頂上は空中都市になっていて、たくさんの宿坊があり、ラジオ体操などしていました。さらに上がると古くて立派な本堂があります。さらに少し上ると頂上お花畑で、快晴の青空の元、遠くの山並みまで見渡せます。
先を急ぐと、小笹の宿。小川が流れていて、テントを張るにはいいところ。朝7時だというのに、まだ数張のテントがありました。阿弥陀森を過ぎると女人禁制は解けますが、大普賢への急なのぼりが待ち受けます。荷物が少なければ、問題ないと思うのですが、防寒着に食糧を担ぐとこんなに重いものか、、、と思い知らされます。コースタイムの0.5倍で見積もった計画は、どんどん遅れをとります。
そして、稚児泊でコースミスをしてしまいました。思わず直進しましたが、稚児泊の標識の上が道でした。小さなUP-DOWNが延々と続き、いよいよ弥山への長いUP-UPへ。たった350mの標高差ですが、重い荷物を背負って、未明から頑張ってきた体には大きな標高差に感じました。水も少なくなり、ザックが軽くなってうれしいですが、残りが心配です。幸運なことに、水は頂上小屋で1L100円で購入でき、一安心。300円のコーラもがぶ飲みして、至福のひと時を過ごせました。大休止の後に、100名山でもある主峰「八経が岳(1915m)」へ。ここは学生時代に友人と来たことがありましたが、全く覚えていません。
八経が岳から、明星が岳を巻き、そのほかのピークも巻きながら山裾を行くのですが、たまに縦走グループがいる程度で登山者の数はめっきり少なくなります。孔雀岳から釈迦ヶ岳の間は笹薮が深くて、地面が見えない状態。また、岩場も多くなって鎖場が出てきて、まさに修験道。やっとの思いで頂上に着くと、ほぼ同時に別の方も登頂。聞くと、吉野を昨日の昼に出てから、行者還小屋で仮眠をしただけで、寝ずに歩き続けいているそうな。彼にとっても予想以上の厳しさで、行程を1日延長するようなことを言っている。自分も今後どうするか、決断の時が迫っている。笹薮の道を下ると38番の深仙宿である。避難小屋には現役山ガール1名、テント場には2名がいる。
現在16時であり、この先はコースタイムで5時間20分の持経小屋まで小屋がない。今の自分には3時間はかかるだろう。すると、19時到着か。今の自分は心身共にボロボロであり、「山ガールと避難小屋も悪くないな」という煩悩にも助けられ、今宵の宿は深仙宿に決定し、奥駈全線踏破は断念して、前鬼へ下る北奥駆踏破に切り替える。釈迦ヶ岳であった不眠修行の方も泊まることになり、計5名で夕暮れの深仙宿で楽しい夜を過ごした。
(3日目)
深仙宿は標高1550mではあるが、昨晩ほどは冷え込まず、何とかシュラフカバー+ユニクロの薄い羽毛+カッパの上のみで一晩耐えることができた。4時頃から同室の2名は準備を開始し、南へ旅立っていく。自分はゆっくり6時出発。居酒屋登山と言っていた奈良から来た方に別れを告げる。朝露で笹が濡れていて、あっという間に靴に中に浸みてくる。太古の辻には、「これより大峯南奥駈道」とあり、人生の宿題がまた一つ増えてしまった。前鬼へは快適に下る。途中二つ岩(両童子岩)を見たり、栃の実が落ちていたりして楽しく下れた。
前鬼の宿坊には、白装束の山伏が法螺貝を吹いていたが、よく見ると普通の人。普段は会社員なんかをやっているのかな、と勝手に想像。問題は前鬼からどのように新宮に行って、帰りの夜行バスに乗るかである。SONY NUV-U37はカーナビでもあるので、新宮駅、熊野市駅までのルートを検索。熊野市駅なら50km弱で行けそうとわかり、自力で熊野市駅まで行くことを決断する。林道脇の小川で顔を洗ったり、水を飲んだりするが、何分下界は暑い。国道に出ると車が飛ばしており、前鬼の住職が、山ではクマ、下界ではクルマに気を付けろと言っていた通りである。ここまでくると、走り中心ではなく、歩き中心。下りは何とか走れるが、のぼりと平坦な道は歩く。先は長いが、カーナビの残り距離数が少しずつでは減っていくのを見て励みにする。大峯奥駈道ではないものの、これはまさに修行である。ほとんどのトンネルは歩道がなく、ライトを後ろ向きにかざして、存在をアピール。
大泊に近づくと、波須田に向かう熊野古道(観音道)が出現。波須田と言えば昨年の年末に時間切れで断念した熊野古道(伊勢道)である。そうだ、ここから波須田に行って、昨年末(山レコ:熊野古道伊勢路(馬越峠〜八鬼山〜波田須で無念のタイムオーバー))のリベンジをしよう!
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-567689.html
そうと決まれば、足取りは軽い。アスファルトでヘトヘトの脚だが、ハイキング道では案外動く!難なく波須田に入り、昨年末の続きを実行。大吹峠、松本峠を越えて熊野市駅へ。せっかくだから日本最古の神社の花窟神社をゴールにした。道中禁酒の旅であったが、サークルKでビールを買って海辺で飲む。
思えば吉野山を出発して丸2日も経過していないが、いろんなことがあった。反省点としては、荷重が大きいにも関わらず、休憩込でコースタイム×0.5で計画したのは間違い。そんな高負荷で12時間も歩いたら、翌日は使い物にならないことがわかった。果てしない大峰山脈を踏破するには、心のタフさも必要。今回は前鬼で下ったので、次回は前鬼から熊野本宮まで、荷物軽めに夜行日帰りで挑戦しよう!昨年末の宿題は一つ片付けたが、もう一つ宿題ができてよかった。
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