太郎山・高天原・水晶岳・ブナ立尾根《日本百名山》
- GPS
- 67:56
- 距離
- 40.9km
- 登り
- 3,230m
- 下り
- 3,316m
コースタイム
- 山行
- 2:46
- 休憩
- 0:17
- 合計
- 3:03
- 山行
- 7:33
- 休憩
- 2:26
- 合計
- 9:59
- 山行
- 10:28
- 休憩
- 1:32
- 合計
- 12:00
天候 | 晴れ一時雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2018年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
高瀬ダムからタクシー |
コース状況/ 危険箇所等 |
大東新道:A沢〜E沢横断増水時は危険、歩く人少なく難路 温泉沢:渡渉7回増水無ければ問題なし、歩く人少なく難路 水晶岳〜真砂岳:岩稜続く ブナ立尾根:北アルプス三大急登、整備されている、濁沢、7月に橋流されるが復旧問題なし |
その他周辺情報 | 七倉山荘 6:00〜19:00 \650 |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
タイツ
ズボン
靴下
グローブ
防寒着
雨具
ゲイター
日よけ帽子
着替え
靴
予備靴ひも
サンダル
ザック
ザックカバー
昼ご飯
行動食
非常食
飲料
地図(地形図)
コンパス
笛
計画書
ヘッドランプ
予備電池
GPS
筆記用具
ファーストエイドキット
針金
常備薬
日焼け止め
保険証
携帯
時計
サングラス
タオル
ツェルト
ストック
ナイフ
カメラ
ポール
食器
ロールペーパー
|
---|---|
共同装備 |
コンロ
コッヘル
ライター
|
感想
1日目(8/18):
晴れ時々曇り 歩行6.4 3時間06分 延登高1,047m 延下降69m 0座登頂
乗換えるとあっという間に富山に着いた。更に乗換えた富山地鉄の特急は元京阪電車の年代物でアルペンルートを目指す人達が結構乗っていた。右に左に大きく揺れ、新幹線以上のスピードが出ているように感じさせられた。嘗て名乗っていた「小見(おみ)駅」の看板が残る有峰口駅から乗り換えた地鉄バスはもっと年代物で地鉄の状況の悪さを感じさせられた。
終点の折立でバスを降りると駐車場は車で満杯だった。「登山届は太郎平小屋で受付ける」との案内が折立登山口にあり、そのまま登山道に入った。お盆明け最初の土曜日でまだ下ってくる人が多い。13年ぶりの登山道だが余り記憶が蘇らない。樹林帯の道は一貫した急登路で青淵三角点(3等1,870m)に達すると展望が開けた。ベンチがあり沢山の人が憩っていた。薬師岳が真っ正面に見えるが残念ながら山頂部を雲が覆っていた。東京組の二人は今頃山頂だろうか。東京組はは昨夜の毎日アルペン号で折立に早朝に入り薬師岳にピストンの予定だ。
青淵三角点を過ぎると早くも草原状の登山道となり北アルプスの雰囲気が現れ出した。前方に見えるピークは五光岩ベンチのピークでなだらかに登山道が続いている。今年は猛暑が続いたので夏の花はもう終わってしまったのだろうか、オヤマノリンドウを見つけたときは嬉しかった。五光岩ベンチに到ると谷を挟んで五光岩が見え屹立した岩峰に圧倒される。
草原に木道が整備され気持ちよく歩くことができ折立登山口から3時間6分で太郎兵衛平に到着した。太郎兵衛平は薬師岳と太郎山の間にある峠で東には薬師沢への道も分岐している。太郎平小屋には東京組が先にチェックインを済ませザックを置いて薬師岳にピストンしている。部屋に入りビールを買って小屋前で寛いでいると雲に隠れていた薬師岳が顔を見せその雄姿を拝むことができた。小屋には日本医科大学の診療所があり、富山県警山岳警備隊員も常駐している。此処に登山届を出すと大東新道や温泉沢の状況を教えてくれた。何れも登山者が少なく荒れているとのことだった。
全く予期していなかったことだが赤木沢を遡行して来た我が京都比良山岳会の若手メンバー3名が通りかかった。19時までに下山しなければと急ぐ彼らを押さえて一緒に写真を撮り、暫しの邂逅を楽しんだ。17時頃東京組が薬師岳から下山してきた。今度は邂逅ではなく予定の合流で談話室で乾杯し再会を祝した。5人に4枚の布団が割り当てられ皆疲れていたので小屋の夕食が済むと19時頃には眠りに着いた。
2日目(8/19):
晴れ 歩行14.6 9時間56分 延登高921m 延下降1,126m 1座登頂
太郎山でご来光を見ようと小屋前にザックを置いて10分程で登頂した。3等三角点「太郎」があり360°の展望が得られる。5:09が日の出時刻だが小屋には5:45頃と掲示があった。東側に3000m級の山が聳え朝焼けの頃には顔を出さない。山頂も同じでモルゲンロートに染まる空を見て小屋に戻った。
準備を整え、薬師沢への道に踏み出した。最初は太郎山東側の巻道から始まり太郎山東尾根を一気に谷間へと下りた。中俣出合に達すると木橋を渡り、木道の整備された草原の道となった。冷え込みが厳しく霜が降り、トリカブトも白くなって木道は滑って危ない。その木道の隙間からオコジョが顔を出している。人間を威嚇し出たり入ったりしているが全然威嚇にならず、あまりの可愛さに暫し立ち止まり見詰めていた。
左俣出合の木橋を合流点からかなり上流で渡ると並行していた中俣はこの左俣と右俣を合わせ薬師沢と名を変えた。谷間から空を見上げると真っ青で雲は秋の様相を示していた。北の方には次薬師から始まる東南稜が存在感を持って聳えている。この東南稜の先端付近で昭和38年冬愛知大学の大量遭難が発生した。そんな感傷を持って歩いていると急坂の下りとなり薬師沢小屋に達した。薬師沢はここで黒部川奥ノ廊下に合流して終わる。
小屋前で暫し休憩し奥ノ廊下に掛かる薬師沢出合吊橋を渡る。踏み板の幅が狭くおっかない橋だ。一人づつ渡ると対岸は絶壁で道は無く一旦梯子で河原に下りて奥ノ廊下を歩く。やがて雲ノ平への道が分岐し左の斜面を登って行った。この後は高天原に向かう“大東新道”と呼ばれる道で奥ノ廊下に流れ込む5つの沢を越えて行く。上流から順にA、B、C・・・と名付けられB沢出会いまでは奥ノ廊下の河原を行く。河原歩きは時々高巻もありA沢に至ると地図ではA沢の上流を巻いて渡渉となっているが流れが変わったのか合流付近で簡単に渡渉することができた。
A沢出合を過ぎると奥ノ廊下が細まり右岸は絶壁となっている。下流から右岸をへつってくる3人の男性、すれ違いは難しそうなので出合で待機して道を譲った。岩には水が滴り危険個所が始まった。B沢に達すると奥ノ廊下から離れB沢を登って高巻き道に入った。2番手の息が上がりペースが落ちたがゆっくり進みP2012のある尾根で休憩した。
C沢、D沢、E沢は毎年崩壊があり険しくなっていると昨日山岳警備隊の方から教えられた。成程沢の横断は必ず梯子、ロープで下って登る。この沢の横断もE沢が最後で尾根道の急登に変わった。2番手が気遣われるがゆっくりしたペースだが着実に登って行った。尾根直登が終ると雲ノ平からの尾根西側の水平道となり高天原峠の近いことが実感できる。峠に達すると男性が一人休憩中、会話もなく奥ノ廊下へと下って行った。
皆が休憩している間にこの尾根の200m先にある3等三角点「池ノ山」(2,271m)を見に行った。道は無く藪を縫って行くが見つからず諦めかけた時、木に赤テープが巻かれ足元に少し顔を出した三角点を見つけた。証拠写真を撮って引き返してくると女性が一人増えている。雲ノ平から高天原を目指し今日同宿となる人だった。帰りを待ち兼ねたメンバーはこの女性を残して直ぐに出発し岩苔小谷へと下って行った。真新しい木橋で谷を渡ると傍らにカニコウモリが咲いていた。
高天原は高原の清々しさと高層湿原の広やかさがあり北アルプス最奥の楽園を肌で感じることができた。湿原の高台に高天原山荘があり11:57到着した。予定時間を1時間短縮し、2番手がブレーキになることはなかった。1泊夕食付8,700円でチェックインし、暫し休憩した後楽しみだった高天原温泉へと向かった。峠を越えて温泉沢へと下った。河原に男女混浴の浴槽3つと女性専用が1つあり左岸の混浴の2つは囲いもなかった。温泉は後にして先ずは夢ノ平の竜晶池へと歩を進めた。
竜晶池は湿原化しつつある池で水面から草が出ている。東側に回り込むと湖面に薬師岳が移り込み素晴らしい。夢ノ平の北にまだ道が続いているが、特に何もなさそうなので引き返してお待ち兼ねの温泉! 白濁した温泉は少し熱めだが行き返る心地だった。問題は小屋への帰りで約700mの道だが80m程登らなければならない。汗を掻かないようにゆっくりゆっくり歩いた。小屋に帰ると冷えたビールが待っていた。今日は一人一枚布団がありゆっくり寝られる。早々と眠りについたが、不思議なことに枕元に置いたヘッドライトが朝に何処を探しても見つからなかった。
3日目(8/20):
晴れ後雨 歩行15.9 10時間55分 延登高1,654m 延下降1,255m 3座登頂
今日は長丁場だ。温泉沢を登り水晶岳から裏銀座に入り烏帽子小屋までの15劼鯤發。早立ちは鉄則で、白み始めた4:40歩き始めた。温泉沢までは昨日歩いた道、誰も居ない湯舟を見て温泉沢の河原の岩を縫って遡行が始まった。小屋の情報によると7回渡渉があるとのことだったが小さいのを入れると幾つあるか分からない。ペンキで描かれた赤い丸印を頼りに渡渉を繰り返したがすべて飛び石で渡れ靴を濡らすことはなかった。中洲があり赤丸に従って左側涸れ沢を歩き右側の本流に合流すると昨日温泉で一緒だった3人組が右側の本流を登って来ていた。途中で朝食を取っていたようで迂回路で追い越したようだ。温泉沢の本流から枝沢が分かれる処で休憩をしていると此の3人組が追い越して行った。枝沢に入ると彼らも休憩し再び追越した。
前方に滝が見えると固定ロープのある左側の斜面に取付き樹林帯の中を進んだ。この後は谷に戻ることはなく稜線を進んだ。やがて樹林が途切れ這松帯となり展望が利き出した。砂礫と岩の地帯になりスペースを見つけ休憩していると3人組が追い付いた。休憩ポイントの岩を彼らに譲り先行した。この後は彼らが追い付くことはなかった。
高天原山荘から南東に伸びる尾根に合流すると水晶・赤牛の稜線は近く温泉沢ノ頭の北端の分岐に乗り上った。此処に「温泉沢ノ頭」と表示があったがピークは少し南の2,904m標高点の位置だ。山頂からは裏銀座の真砂岳(2,826m)、野口五郎岳(2,924m)が東沢谷を挟んで東側に見える。南の方ではこれから向かう水晶岳(2,986m)が岩山の雄大さを示していた。雲ノ平の台地の端には雪渓が見え、山荘も見ることができた。
水晶岳までは1卍の道程だが険しく50分余りを要した。北峰の北側には大きな凹地があり雪が詰まっていた。北峰には3等三角点「水晶山」が置かれているので立ち寄る心算だったが先頭が気付かず通り過ぎてしまい、かなり先に行ってしまったのでそのまま本峰の南峰を目指した。水晶岳(2,986m)は今山行の最高峰で日本百名山、雲ノ平や三俣山荘に泊まった人達が登って来ていた。水晶小屋からピストンするようで身軽な人が多い。読売新道や温泉沢を下る人以外は大きなザックは担いで来る必要はない。
此処からは下り、膝に問題を抱える人がいるがが大丈夫だろうか、先頭でゆっくり行くと宣言していたので無理はしないだろう。水晶小屋は平成19年に建て替えられ綺麗になっているが小さいのは変わらない。以前来た時は小屋の東側に水晶岳への道があったが今は裏手のピークを通って小屋に達するようになっていた。東に続く裏銀座は富山県と長野県の県境尾根で14年ぶりに歩く。南斜面はワリモ沢源頭部で崩壊激しく赤茶けた斜面が荒々しい。少し下った所で水晶小屋からヤッホーコールがあり振り向くと温泉沢で抜きつ抜かれつ共に登った3人組、彼らは雲ノ平に行くと云っていた。一期一会の出合もこれで終り二度と会うことはないだろう。
険しい斜面を慎重に下り東沢乗越(2,734m)に到った。北側の東沢と南側のワリモ沢枝沢の峠的な処だが、急峻過ぎて峠道として使われたことはない。男性2人が休憩中だったが余りフレンドリーではなかった。給水休憩を取り、P2833へ向けて岩場を登り返す。岩稜帯で道は厳しい。P2833の南側を巻く登山道の途中で昼食休憩を取った。
P2833の東鞍部で岩場は終り、真砂岳に向けては砂礫地となった。真砂岳の斜面を少し登ると湯俣への分岐がありロープが張られ通行止めになっていた。当初は此処を下る予定だったが7月の豪雨で高瀬川の吊橋が流され、晴嵐荘も営業休止、8月10日に一旦再開しすぐに予約を入れたが8月16日に小屋から電話があり再びの豪雨で警察の指導もあり再度営業停止、竹村新道も通行止めとなり今期は再開しないとのことだった。
先ほど追い越して行った非友好的な男性が指導標の前で休憩していた。この通行止めの様子を写真に収めたいが男性が邪魔! 休憩するときは三角点や標識の前は避けるのが常識だろう。この斜面を直登すれば真砂岳に到るが今回は長丁場、皆ギリギリで歩いている。真砂岳は以前に登ったので皆で西側の巻道を行くことにした。その次の無名峰直下の取付きで一息入れ野口五郎岳(2,924m)を目指した。
野口五郎岳も巻道があるが山頂の北側で同じ標高まで登って来るので意味がなく直登コースを取った。日本三百名山で裏銀座の最高峰だ。360°の展望があり、東沢の谷越しに随分遠くなった水晶岳が望め直下の野口五郎小屋の向こうには裏銀座の山々が連なり、その奥には針ノ木岳や後立山連峰が望めた。水晶小屋から前後してきた男性が山頂に居たので集合写真のシャッターをお願いした。今日は野口五郎小屋泊りだと云う。名残を惜しんで先行した。
北北西に伸びた山頂域を進むと左側から件の巻道が合流した。真横に野口五郎小屋が見えた。以前は稜線沿いの道を進んだが今は全て野口五郎小屋を経由するように下に捻じ曲げられていた。小屋北のピークを越えると砂礫のなだらかな道だが烏帽子小屋へはまだ5劼△襦三ッ岳は2,845mの主峰と2,830m'の南峰、もう一つは更に西にあるピークのようだ。南峰の南稜線の先端で「稜線ルート」、「お花畑」の分岐点があり暫し休憩し巻道のお花畑へと入って行った。コマクサがまだ頑張っているのが嬉しいがもう元気がなかった。
南峰の直下まで来たときさっきまで晴れていたのに雨が降って来た。夕立と云うほどではなくパラパラとした雨だが、雲は厚そうなので雨具を着ることにした。雨具を着て鞍部を乗越すと三ッ岳の本峰も迂回し西側の巻道へと進んだ。稜線の先端で遥か先に烏帽子小屋が俯瞰できた。一旦雨が止み北葛岳の稜線に虹が掛かり素晴らしい。三ッ岳先端部からは東に下り円弧を描くように北に進路を戻した。ヒョウタン池まで270m高度を下げなければならない。時折岩の象徴的に尖塔がある岩混りの縦走路が続く。右眼下には明日下る高瀬ダムと湖が時折俯瞰出来た。ヒョウタン池の辺りは烏帽子小屋のテン場で小屋までは最後の登り返しが辛い。雨がしとしとして漸く烏帽子小屋に到着した。16:44許容範囲ギリギリの時間だろう。満室なので通常の夕食は予約できず、カレーライス(\1,200)の夕食だった。2階の奥個室的なスペースを宛がわれゆったり過ごせた。皆くたくたで食後は今日もすぐに眠りに着いた。
4日目(8/21):曇り 歩行5.1 3時間17分 延登高50m 延下降1,301m 0座登頂
今日の行程は烏帽子小屋から高瀬ダムへとブナ立尾根を下るだけだが、松本11:53発“しなの10号”の指定席を取っているので、膝に問題の人、タクシー呼んで温泉に入ってと考えると出発時刻を4:45とした。“北アルプス三大急登”と云われるブナ立尾根は、標高差1,250mを一気に下る。小屋裏の稜線に上がると東の空が朝焼けに染まって来た。尾根を下り出すと4番手が遅れがちになった。昨夜左膝にしっかりテーピングをしていたが痛みが出てきたようだ。パ−ティーが離れてしまったので2番手にチェンジしペースダウンして下った。
大岩が重なる処はタヌキ岩でもう少し下ると小屋ノ沢三角点(3等2,209m)に達した。黄色い標柱に「三角点」と書かれているが三角点は少し離れて傾いていた。此処は「4」の地点の表示があり、烏帽子小屋が「0」で権太落しが「9」、高瀬ダムが「12」とブナ立尾根入口の看板に書かれていた。12という中途半端な数字は恐らく概ねの標高を100m単位に付けられた道標なのだろう。何もない処に夫々の数字の標識があった。
流石に三大急登と云われるだけあって急坂が延々と続く。“権太落シ”と云うところがあったように記憶していたが現地に到ると「ゴンダ落し」と記されていた。濁沢が直下となって来るが水流は見えない。南沢岳と不動岳の間の南沢乗越から始まる濁沢は花崗岩の白いガレた斜面で毎年相当量の砂が高瀬ダムへと流れ込んでいる。先日の大雨の際は凄い量だったのだろう。
登山道の最後は切り立った斜面でパイプ階段が工事現場のように設置され濁沢へと降り立った。高瀬ダム湖への河口部は恐ろしいほどの砂が堆積していた。その名の如く濁った水流が一筋人工的に付けられていた。この沢を渡る橋も7月の豪雨で流されたが数日で丸太橋が架けられ復旧したそうだ。
この沢を渡るのは3度目だが毎回川の様相が変わり橋の位置も違っている。毎日ダンプカーで砂が運び出されているが流入量の方が多く何れダムは埋まってしまう勢いだ。因みにこの砂、貴重な川砂だが花崗岩で強度がなく建築資材には使えず道路工事や埋め立てに使われているそうだ。橋を渡るともう大丈夫、早くタクシーを呼んで待ち時間を短縮するため、リーダーが独りダムへ先行した。七倉から先は許可を受けた4人乗りのタクシーだけがダムに入ることができる。七倉ピストン番のタクシー2台がすぐに来て七倉山荘まで下りた。大町温泉を目指していたがタクシー運転士のアドバイスで利便性を考えて七倉山荘の温泉に入ることにした。(\650)
時間の余裕ができ1時間後に5人が乗れるタクシーを予約した。信濃大町から大糸線の普通電車に乗り松本に着くと打ち上げもする間もなく、慌しくパーティーを解散し京都組は特急“しなの”、東京組は青春18きっぷで鈍行旅、や“あずさ”で夫々帰路に着いた。
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