劔岳(過去レコです)。
- GPS
- 56:00
- 距離
- 15.3km
- 登り
- 1,700m
- 下り
- 1,702m
天候 | 1日目 雨。 2日目 霧。 3日目 曇り。 |
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過去天気図(気象庁) | 2007年08月の天気図 |
アクセス | 名古屋駅からバスで。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
危険個所満載です。 |
予約できる山小屋 |
剣山荘
|
写真
感想
昨年から親友のSさんと剣岳に登ろうと話していた。剣岳は、明治になって日本アルプスの山々が登りつくされた後、最後に難関不落の山として残っていたが、明治40年、陸軍参謀本部陸地測量部の柴崎芳太郎によって初めて登られた山である。だが、柴崎が登った時、実は頂上には平安前期のものと推定される槍の穂と錫杖の頭が置いてあったという。この山に初めて登ったのは柴崎ではなかったのである(新田次郎:点の記)。一般登山道としては日本では最も困難な道として知られ、「初心者にとっては頑張れば登れるというレベルではない(伊藤幸司)」と記されている。Sさんと二人だけでは少々心配なので、アミューズトラベルに申し込んだ。2007年8月17日、お盆が終わった週末の金曜日で、一昨日、昨日と岐阜では連日40℃を越える暑さを記録していた。朝7時に名古屋駅に集合した女性9名、男性6名、ガイド3名の総計18名がアミューズトラベルのバスに乗り込んだ。黒部立山アルペンルートを通って立山室堂に入った時は、霧雨で立山連峰は雲の中の隠れてしまっている。カッパを着込んでいざ出発。大勢の観光客に混じってミクリガ池を通り、雷鳥沢ヒュッテの横まで行くと観光客もまばらになる。見下ろすと、雷鳥沢キャンプ場にはテントの数は少なく、お盆も過ぎたので登山者が少ないことがうかがわれる。霧雨は止み、カッパを脱いで石段を下り、雷鳥沢キャンプ場のベンチに座って小休止をとる。山々は中腹より上は雲でおおわれ、立山三山はおろか、これから登る別山乗越も見ることは出来ない。国の天然記念物である山崎カールから流れる川を渡り、雷鳥沢に沿っての登りがいよいよ始まる。雷鳥がハイマツの上に頭を出し、その子供達が周りをうろちょろしているのを見ながら徐々に高度をあげていく。お花畑が現れ、チングルマはもう綿毛となっているものもある。沢から尾根に登り、石がゴロゴロしている急坂をジグザグに登っていくと、ガスの中にボンヤリと小屋が現れ別山乗越に登りついた。室堂から3時間半が経っていた。相変わらずのガスで、本来ならここから見える筈の剣岳は全く見ることが出来ない。剣御前小屋の横から別山を巻くように、右下に剣沢雪渓を見下ろしながら下る。やがて色とりどりのテントが見え、ガスの中に小屋も現れ、別山乗越から40分ほどで今夜の宿泊地である剣沢小屋に到着した。有難いことに剣沢小屋は比較的空いていて、畳1畳に一枚ずつ布団があてがわれた。夕食後、Sさんと談話室でブランデーを飲みながら話しをし、8時には布団の中に入った。
剣沢小屋は豪雪であった一昨年、雪崩で一部崩壊したとの事であるが、そんな様子も無い傾きかけた古い小屋であった。うつらうつらと夜を明かし、4時に起床。5時から食堂できちっと朝食を食べ、ガスで何も見えない中、6時に出発。小屋主の佐伯友邦氏が、「前剣は気を付けて行け」と声を掛ける。富山県警山岳警備隊剣沢派出所の横を下り、剣沢源頭の凍った雪渓を渡る。ハイマツに覆われたお花畑の中の道であるが、起きたての朝一番の登りで今ひとつ調子が出ない。池塘が見え、ガスの中に小屋が浮かび上がり、30分ほどで剣山荘に着く。剣山荘は一昨年の雪崩で全壊し、新しく立て直して今年の7月から営業再開したばかりで、出来立ての綺麗な小屋である。サブザックに水2Lと雨具と弁当を入れ身軽にし、ザックは小屋にあずける。小屋の裏から石がゴロゴロした登山道に入り、昨日やや遅れ気味だった背の低いおばちゃんがガイドのすぐ後につかされる。間もなく露岩が現われるが左程のものではない。お花畑の中を落石を起こさないように注意しながら登り、ボンヤリと目の前に現われたピークを目指す。先頭のガイドはゆっくりとした一定のリズムで進むのだが、そのあとに続く人たちはついて行けない人もいる。わたしとSさんは最後尾につけていて停止したり急いだり、登るリズムがくずれてしまうのはツアー登山の欠点である。ガレキの道を登り一服剣を乗り越えて急な道を下り、鞍部から再び岩礫が積み重なった稜線を登る。岩礫の積み重なった斜面では赤丸印が少なく、ガイドも時々行く手を模索し、間違った道であることに気付いて後戻りをする。40分程経つと稜線の下に沿う溝状の登山道となり、この中を登る。かなりの勾配だが尾根に上がると緩やかとなり、道が左右に分かれている。右側のルートが前剣への道で、左側は前剣を巻く道であるが、前者は上り、後者は下り用のルートとして使われているようだ。右側のルートを登ると間もなく前剣頂上に到着。視界は悪く剣岳は姿を現さず、目の前のこれから進む稜線が見えるのみである。頂上でしばらく休憩していると、一瞬霧が流れ剣岳の左肩が現われる。もう少しで剣が見えると期待するが、左肩が見えたのも束の間、再び霧の中に隠れる。前剣から下りる際、左下に下り用の道が見え、落石を起こさないよう注意して下る。岩峰から鉄製の細い橋を通って隣りの岩峰に渡ると、ほぼ垂直の崖が待ち受けていて、鎖に掴まりながらこれをトラバースする。下を見れば遥か下に谷底が見え、落ちればそのまま天国へ行くことは間違いないが、足場も鎖もしっかりしているので不安はない。とは言え、ご婦人方の歩みはのろく、崖の途中で停まっているのは気持ちよいものではない。そこからも鎖場の下りがあり、スリルを味わいながら鎖に身をまかせる。鎖場から「前剣の門」と云われる鞍部に降り立つ際、斜めになった石で足を滑らせ尻餅をつく。怪我も無く、痛くも無いが、皆さんが見ている前だったので少々格好が悪い。稜線の右側を登るとジグザグの急登となり、これを登って下る際、スラブ状の鎖場を降りることになる。中ほどにいた背の高いおばちゃんとその前を降りる人との間隔があき、鞍部に降り立ったところで、背の高いおばちゃんは背の低いおばちゃんの後に付くようガイドから指導される。わたしは最後部で待たされてばかりいるのが嫌になり、背の高いおばちゃんの後に付くが、Sさんは相変わらず最後尾に付いている。厳しい岩峰が次から次へと現われる。鎖にしがみ付いて岩峰を登ったり下ったり、緊張しているので疲れを感じる暇は無い。「平蔵のコル」で弁当を広げ大休止。平蔵避難小屋のトイレはドアーが壊れて中が丸見えだが、ご婦人方はそんなことは気にしない。ここから岸壁直下の登り専用のガレ場を回り込み、カニノタテバイの下に至る。ガイドが先に慎重に登り、次に背の低いおばちゃんが鎖にしがみつく。要所要所にボルトが打たれて、足が掛けられようになっているが、背の低いおばちゃんは足が届かない。固定杭と固定杭の間の鎖を一人が通過するまで、次の人は取り付く事が出来ない。前の人が次の鎖に進むまで、後の人は待機するので大渋滞となる。背の低いおばちゃんの姿がやっと見えなくなり、登り口で見張っている別のガイドがOKを出し、背の高いおばちゃんが鎖に取り付く。さすが背が高いだけあって、恐る恐るであるがボルトに足を掛け登って行く。次はわたしの順番なのだが一向にOKの合図が出ない。待ちくたびれた頃、やっとOKの合図が出てわたしも鎖を握り、ボルトに足を掛け難なく80度の岸壁に取り付く。2本目の鎖になった所で再び停止、見上げると背の低いおばちゃんが岸壁に張りついたままでビクとも動かない。先に登ったガイドは上から見下ろしているだけで手も足も出せない。背の高いおばちゃんがシビレを切らし、背の低いおばちゃんの所まで登り、片手で足を支えて押し上げる。わたしは何とも仕方が無いので、下を見て渋滞の中で待機しているSさんに手を振って写真を撮ってもらう。背の低いおばちゃんは、あちこちの山を登り、外国の山も3回行ったと云っていたが、ただ登るだけなら出来るのだろうが、技術を要するこんな山には本当は来てはいけない。自分の事しか考えないこのおばちゃんのため、他の多くの人が迷惑をこうむっている。上の二人がやっとの事で登り切るのを見届けて、わたしは一気に鎖に掴まって這い上がる。ホールドする岩を慎重に選び、次に足を掛ける岩や固定杭を見定めて三点支持で登る。最後の鎖はどう登ろうかと少々考えはしたが、特別恐怖を感じる事も無くスリルを味わいながら30mの壁を登りきった。タテバイの上のテラスで佐野さんが登って来る写真を撮り終え、先に進む。難所のカニノタテバイは終わったがまだまだ急な岩稜の上りが続き、下山道のカニノヨコバイと合流しさらにさらにジグザグに登って稜線上に出る。岩塊が積み重なった稜線を行くとうっすらと祠が見え、とうとう剣岳頂上に辿りついた。
剣岳の頂上は岩塊が積み重なり、小さな祠が建てられている。その奥の岩塊の中に三角点が埋め込まれている。この三角点は国土地理院富山の職員が3年前にここに埋めた、剣岳にとっては始めての三角点である。明治時代、柴崎は剣岳の標高を2998mとしたが、その後3000mを越えるとする時代もあった。三角点を埋め、GPSを使って正確な測量を行い、現在では標高2999mとなっている。あ1一mで・・・、と俗世の人間が思っても、剣岳にとってはそんな事はどうでもいい事で、穂高と並んで北アルプスの盟主であることに間違いない。三角点を撫で、祠をバックに記念写真を撮る。さっと霧が晴れ、ゴツゴツと荒々しい岩の峰々が現われる。が、遠望は全く無い。剣岳の頂上を充分に堪能し、登ってきた道を引き返す。わたしとSさんは最後部に付く。早月尾根への道を分け、さらに岩塊の間を下り、左手に登り専用の道を分けるといよいよカニノヨコバイである。最初の岩を下る時に渋滞が生じ、ガイドが右足を下ろす位置を指示している。わたしの番が来て崖の上に立ち、見下ろすと確かに足場があるのが分かる。鎖に掴まって右足を下ろしていくが、下を向いても足場は見えない。ガイドの指示に従ってさらに右足をおろすと、ひっかかるものがあってしっかりした足場に着く。この第一歩を過ぎればあとはヨコバイで、スリルを味わいながら鎖をたどって横に這い、直に岩と岩の間をこれまた鎖にしがみ付いて下る。鎖が済んだと思えば、ハシゴの手前で再び渋滞。なんてことは無いハシゴであるが、ハシゴを降りたところのテラスが狭く、その先の岩峰を下る順番待ちがハシゴの手前まで続いている。平蔵避難小屋の横からコルに下り、そのまま休まず下山用の道を行き、次々と現われる岩峰を鎖に掴まって乗り越える。鎖が現われる度に渋滞となり、その度にわたしの順番が来るまで岩に坐って休む。歩くより休む時間の方が長く、いい加減げんなりする。鎖場が終わっても岩が重なった急な斜面が続く。前剣の門からは下り用の道に入るが、下り用とは云え鎖にぶら下がって岩峰を登り、そして降る。前剣を巻き武蔵のコルに降り立つと、眼下に日本三代雪渓の一つ、剣沢雪渓が真砂沢まで続いているのが見える。一服剣を下る際、「ラクー!」の声に振り向くと、ソフトボールより大きな石がこちらに向かって跳ね落ちて来る。一瞬、「やばい!」と感じ、走ってこれを避けるが、何せガレ場のことなので前のめりに転倒し、おでこと右前腕と右膝を打つ。右前腕からは血がしたたって来るが、落石で頭を打たれるよりは余程良かったと思い直す。剣山荘に帰り着いたのは4時を過ぎていた。木の香が漂う真新しい室内で、余裕を持って眠れるスペースもあり、シャワーも浴びる事が出来る。夕食後、ガイド達と山の話しに花を咲かせ、酔いも回って眠りに着いた。
翌日は天気予報では曇り後雨であったが、未明に窓から見えた空は満天の星が散りばめられていた。快晴の中、サングラスを掛けて出発。剣沢小屋までの間、剣岳の山頂が現われ始め、登るにつれその全容が姿を見せる。小暮理太郎は、「じっと見ている中に大抵の人は恐ろしくなって、始めの勢いは何処へやら、あれを登ってやろうというような考えは、朝日に解ける霧のように消えてしまうのである」と記している。わたしたちが登る前には雲の中に隠れていて、登り終わっての帰り際、こんなにも険しい姿をはっきりと見えたことは誠に幸運であった。
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