十勝連峰・大雪山縦走
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- GPS
- 49:09
- 距離
- 77.0km
- 登り
- 5,286m
- 下り
- 5,425m
コースタイム
- 山行
- 10:42
- 休憩
- 1:14
- 合計
- 11:56
- 山行
- 11:10
- 休憩
- 0:37
- 合計
- 11:47
- 山行
- 6:12
- 休憩
- 0:50
- 合計
- 7:02
- 山行
- 2:39
- 休憩
- 0:09
- 合計
- 2:48
- 山行
- 8:06
- 休憩
- 0:38
- 合計
- 8:44
天候 | ①晴れのち雨 ②晴れのち雨 ③雨 ④晴れ ⑤晴れ ⑥曇りのち晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2020年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
装備
個人装備 |
ザック
ナイフ
笛
コンパス
時計
地図
ボールペン
メモ帳
計画書
携帯電話
カッパ
アンダー
パンツ
タイツ
フリース
ダウン
靴下
スパッツ
現金(5000円)
保険証
行動食
テルモス
ヘッドライト
サブザック
ピンクテープ
トイレットペーパー
サングラス
ゴムバンド×4
ポリ袋各種(4斗×1
45L×2
20L×2
地図用ziploc×1
小さい袋)
銀マット
シュラフ
シュラフカバー
食器
スプーン
ガムテープ
石打式ライター
油性ペン
天気図
予備電池
携帯電話の予備バッテリー
水ポリ
予備コンパス
ツェルト
予備地図
予備靴下
ゼルプスト類(カラビナ×2
環付×3
テープ×2
スリング×3)
細引き(6mm×6m)
アイゼンバンド×2
予備タイツ
メタ
ロウソク
マッチ
ライター
非常食(3000kcal)
レスキューシート
コンタクト
メガネ
カメラ
|
---|---|
共同装備 |
医療用品
ラジオ×2
予備電池
フライ
テント
ポール
ガスヘッド
ガス缶
ノコ
修理用品
ライター
雑巾
軍手
手鍋
スプーン
熊スプレー×2
|
感想
―従ヽ找浩 凌雲閣−富良野岳−上ホロ小屋−美瑛岳−美瑛富士−美瑛富士小屋テンバC1(12h)
晴れのち雨
札幌0:00出発。送迎は2年T。感謝を込めてワインをプレゼントした。正岡の粋な計らいにメンバー一同、感嘆の声を上げていた。
凌雲閣3:00出発。いよいよ入山という段になって、4年Mが山岳遭難事故の話を不謹慎にもオカルトっぽく話し始めた。12時間行動を前にナイーブになっているメンバーをさらにいたぶって、1人楽しんでいたらしい。はじめ1時間ほどはラテルネをつけての行動である。ヌッカクシ富良野川の渡渉までは道が平らに整備されていて、3人分くらいの幅の道が続くので、歩きやすい。ヌッカクシ富良野川の渡渉点で、ペンキがついている岩がたくさんあり、迷ってしまった。→が書いてある岩と→に×が書いてある岩があり、どちらの方に行っても続きの道がなかった。適当に沢を詰めたら、対岸の左岸に道を発見し、事なきを得た。その道にはペンキで「富良野岳→」と書いた岩の看板があった。暗くなかったら迷わなかっただろう。このとき、風も強く吹いていて、いきなり不安な出だしであった。
上ホロ分岐には看板あり。その手前にも無表記の石杭があった。三峰沢は水が流れていた。その向こうの支流にもわずかに水が流れていた。富良野岳分岐に上る斜面には階段が整備されていた。富良野分岐には看板やロープがあった。ここで軽装にチェンジし、富良野岳ピークへ。この登りにも階段がある。日も昇り、晴れ間も差し始め、快調に飛ばす。ところが、ピークはガスに包まれていた。風も強く、ピーク写真を速攻で撮って引き返した。
分岐で再び重いザックを背負い、ここからは楽しい稜線歩きである。三峰山の3つのピークを快調に踏んでいく。このあたりで、トップを歩く2年Yに靴擦れ発生。後で判明するのだが、色々余計なものを持ってきていたらしい。寝る前に小説を取り出して読書タイムを楽しんでいたのには驚いた。
上富良野、上ホロと次々にピークを踏んでいく。平日だが、登山者も結構多かった。上ホロ小屋に着くと、中に入って長めの休憩をとった。ここまで行動時間6時間。なかなか疲れた。本番山行らしくなってきた。
十勝岳周辺の火山ガスはのどがイガイガすると聞いていたが、そんなにひどくはなかった。十勝岳ピークは人がたくさんいた。桃缶をみんなで食べて、低調気味だった士気を少し取り戻す。
平岳の砂丘のような景色には感動した。ほかのメンバーもようやく楽しくなってきたようだった。違う星に来たような、妙なロケーションである。道は不明瞭だが、美瑛岳まで赤い看板やペンキなどでしっかり誘導されていた。鋸岳はよく分かって、かっこいい。踏み跡がルートと分岐して続いているので、気を抜いていると迷うかも。
ルートは稜線から外れ、トラバースするような形になる。ここは道幅が狭く、少しだけ緊張感があった。再び稜線上に戻って、・1824のポコを過ぎたところにボッコがあるのだが、正岡は見逃してしまった。結構疲れていたらしい。このあたりから美瑛肩まで夏道が不明瞭なところが多かった。・1962と勘違いして、・1896に到達してしまい、大きくルートを外れてしまった。また、勘違いしていた分、美瑛肩までの道のりが遠く感じた。Co1920〜1950あたりは巨岩帯であった。美瑛肩には無表記のボッコがあった。ここからピークへ向かう道は不明瞭なところもあった。ここは非常に風が強く、四つん這いになって歩く場面もあった。細い稜線に出ると少し北側をトラバースしていく。美瑛岳ピークではガスが晴れ、なかなかの展望が得られた。今まで歩いてきた十勝連峰がよく見えた。振り向くと、これから向かう大雪方面が見え、分厚い雲こそあるものの、オプタテシケの頭が少し飛び出していた。ここまで9時間歩き通して、一同かなり疲れていた。4年Mは岩の上に気持ちよさそうに寝ていた。15分くらいまったり過ごし、美瑛肩に戻る。
美瑛岳の下りは、長々と足をとられるガレ場が続く。飛び石のようにうまく歩けるとよさそうだった。雲の中という感じで、霧雨のような水滴が体中につき、結構ぬれた。この下りはとにかく冗長で、疲労もあってしんどかった。美瑛富士分岐には看板があった。美瑛富士の登りは赤茶色の土の道なのだが、上に行くにしたがって、どこが道なのか分からなくなってくる。丈の低い高山植物しか生えていないので、歩きにくいということはない。ピークにはボッコ。下りは同じ道だが、先述のとおり、とにかく不明瞭な道なので、ズレたとしても、ルート上に出られるように西寄りに下りた。分岐から美瑛富士小屋まではハイマツや笹が道にかかるような感じで、体中ビショビショになった。ぬかるんだ泥道でもあった。
美瑛富士小屋はプレハブで、となりにはトイレブースがあった。エッセンはいつもの部活で作る雑炊ではなく、小分けのアルファ米を各々で持ってきていた。2年Yの余計な装備の1つ、レトルトのハヤシライスが登場し、白米をおいしくいただくことができた。単独で旭岳から縦走してきたという学生の方も一緒に泊まった。私たちの真逆のルートで、十勝岳温泉まで行くらしい。色々話したかったのだが、エッセンを食べたら眠すぎて速攻で寝てしまった。残念だが、翌日も3:00出発の12時間行動を予定していたので、仕方ない。
C1−双子池テンバ−三川台手前テンバC2(11h45m)晴れのち雨
翌朝も3:00すぎに出発。1時間ほどのラテルネ行動である。石垣山の乗越あたりまで、だだっ広い道で、ルート不明瞭。縦走路と、小屋からの道との分岐点をすかしてしまった。ペンキで誘導されているので、明るければ問題はないだろう。2年Yはこの日もいいペースである。タフな12時間行動を予定していたので、あまり飛ばさないでほしかった。ベベツ岳を過ぎたところに巨大なケルンがあった。
オプタテの登りは手前のポコまで緩やかな赤土の道で、途中にテンバがあった。その上は細めの稜線で、岩稜帯だった。十勝岳以上に、のどがイガイガしたので、噴煙が流れてきていたのかもしれない。ピークにはボッコや三角点のほかにケルンもあった。登りはずっと晴れていたのに、ピークに上るとガスガスで何も見えなくなってしまった。この日はこれ以降ほとんどずっと展望が開けることがなく、苦痛の道のりが続くことになるのである。
オプタテの下りは巨岩帯を手も使っていく。Co1600くらいから土の夏道と合流するのだが、巨岩帯はその下にもずっと続いていくため、そちらの方へ下って行ってしまった。昨日から道のロストが多い。トップを歩く2年Yがそのたびに申し訳なさそうにするのだが、後ろを歩いている正岡が気づくことができず、フォローできないのが一番の原因だ。
双子池テンバはコルの手前あたり。夏道上にあり、テンバのすぐ上の沢に水が流れていて取ることができた。雨が降っていたからかもしれない。
テンバからの道は笹が刈られていて進みやすかった。人が多く通っていたところがえぐれていて、水が溜まってドロドロになっているのだが、笹刈りのおかげで道の幅が広がっているので、乾いたところを通ることができて、非常に助かった。
コルをすぎたところからの登りがとてもこたえた。途中でテンバがあった。上りきったところのカブト岩は非常にわかりやすい。写真を撮り忘れてしまった。それくらい疲れていたのだ。
・1668(美真岳)で休憩。スペースが広く、ビバークできそうだった。その先のコル付近にもビバーク用のテンバがあった。コスマヌプリのピークは遠く、全く行く気が失せる。
・1591は巻き道になっている。下りが激しい傾斜で、登り返すのが嫌だなあと思っていたが、全く上り返すことなく稜線に出た。オプタテの下りといい、ここといい、大雪山側から来た場合、魂をそがれる箇所が多いと思う。後輩たちには、十勝連峰側から行くことを強くお勧めする。
稜線に復帰したところから、・1558までの区間で完全にバテた。ずっとハイマツ帯で、雨が降っていて、ひたすら歩いていたのだが、記憶があいまいである。ツリガネ山手前の登山道崩落個所はよく分かった。通過に関してはなんも。ツリガネ山登りは優しめの岩場だった。
ツリガネ山下りは急な泥道で、鎖があったのだが、両側のハイマツをつかめば滑ることなく降りていけた。鎖の重さがうっとうしくて持つ気にならないほどに疲れていた。どうやら、正岡は軽めの脱水症状になっていたようだった。持っていた水をほとんど飲みきってしまい、4年Mに分けてもらった。水をたっぷり飲むと、バテた感じはなくなり、普通に歩くには問題なくなった。果たしてそんなすぐに症状がなくなるのか、はたまた気持ちの問題なのか…
・1507から三川台への登りは標高を上げるとハイマツが低くなってきて歩きやすくなってくる。テンバは、三川台への最後の登り手前にすることにした。この日、トムラ南沼テンバまで行く予定であったが、ここまでで、ほぼ12時間行動してきたので、タイムオーバーとなってしまった。テンバは三川台下の湿地帯のところで、水場として使える流水があった。浄水したら問題なく飲むことができた。晴れが続くと乾いてしまうほどの水場だったかもしれない。ペグ代わりに使える石はなかった。2日間動き通しで、疲労が限界を迎えた。泥のように眠った。
C2−トムラ南沼テンバ−ヒサゴ沼小屋C3(7h)雨
5:30出発。3日目にしてようやく明るくなってから出発することができた。テンバ付近も笹の刈り分けが非常にありがたかった。三川台へのラストの登りはハイマツ帯や岩場だった。三川台の分岐標識には立ち入り禁止の方面に扇沼岳なる表記があった。
三川台は想像以上に崖っぷちに夏道があった。歩きにくいところや不明瞭なところはなかった。夏道脇に水をくむことができる小沼が2か所。トムラウシ南沼テンバへは、ガレ場の登りがあった。
トムラ南沼テンバには水の流れがあって、とることができそうだったが、晴れが続くと枯れてしまいそうな程度であった。分岐看板、携帯トイレブースが2か所あり、杭とロープで区画が整備されている。4~5人用10張以上張れる広さ。
北沼分岐には看板があった。ここからトムラピークを目指す。ガレ場ののぼりから、巨岩帯になる。ペンキ等で誘導されている。ピークのボッコは新しくなっていた。雨も降っていて、展望はなかった。無人だったが、いつもはにぎわう場所らしい。十勝岳以来のピー缶を食し、そそくさと帰る。辛かったアップダウンゾーンを抜け、ついに大雪ゾーンに来たな、という嬉しさが込み上げてきた。
ロックガーデンは夏道が東の方に曲がって、トラバースしていくところからで、巨岩帯の飛び石であった。ペンキで誘導されていた。ここで、初日以来靴ずれにもめげず、素晴らしいハイペースでトップを歩き、リーダーを閉口させてきた2年Yが膝の痛みを訴えた。下りで飛ばしすぎたのが効いてきたのだろうか、12時間行動を二日続けたのだから、無理もない。湿布を貼って、少し休んだ。丁寧に歩くことで、我慢できる程度には痛みが軽減されるということなので、引き続きトップをやってもらうことにした。
天沼までは、土の道だった。夏道が東の方に曲がる顕著な沢型を過ぎたところで、またまたロストしてしまった。3日連続である。後からよく見れば、立ち入り禁止の表示があった。
天沼からは木道があった。めちゃくちゃ快適。大雪に来たなという実感。ここで、雨が強く降っているということ、2年Yの膝の痛み等を考慮して、計画を変更。当初はで忠別小屋まで進む予定であったが、ヒサゴ沼小屋を利用することにした。
ヒサゴ沼小屋へは立ち入り禁止の分岐があるのだが、これにはきづかなかった。4年Mは気づいていたらしく、彼によれば、踏み跡のみで、看板等はなかったらしい。ヒサゴ分岐はコルになっていてよく分かった。分岐看板や、ペンキの案内もあった。このあたりにヒグマの掘り返し跡があった。ヒサゴ沼への下りの道はロックガーデンを彷彿とさせる巨岩帯で、途中に巨大雪渓があった。左岸の脇を進めば、雪渓の上を歩くことなく行けた。雪渓下に流水があり、透明で冷たくてめちゃくちゃおいしかった。昨日のテンバでは、濁った水を浄水器で飲める水にできて、おいしいなと感じていて、浄水器の性能に感動したが、この雪渓の水と比べると激マズの水を飲んでいたのだなと気づかされた。
沢型を下りきると、木道が湖畔に沿って小屋まで続いていた。化雲岳方面への分岐には看板があった。ヒサゴ沼小屋は改修されたばかりできれいだった。北大の観測機器が湖畔に置いてあった。トイレもあった。雨が強く降っていたので、宿泊者は多く、全部で15人ほどは泊まっていたと思う。この日は7時間行動だったが、12時間行動に比べれば全然疲れておらず、他の宿泊者のイビキが酷かったのもあって、なかなか寝付けなかった。ラジオを聴こうとしたのだが、NHK第2しか入らず、高校講座を5時間くらい聞くハメになった。資本主義経済の歴史、更級日記、羅生門を学んだ。
C3−化雲岳−忠別小屋テンバC4(2h45m)晴れ
5:00出発。6:00出発の予定だったが、みんなの準備が早く、日の出とともに出発することになった。早朝のヒサゴ沼は非常に気持ちよかった。4日目にして初めてスカッパ。2年Yは膝が治ってもないのに、快調なペースだった。分岐から続く木の階段をあっという間に登り、縦走路との合流点に到達。化雲手前の分岐に看板はなかった。化雲ピークにはボッコと巨大な岩があった。トムラをはじめとして大雪の山容を一望することができ、最高だった。
化雲ピークを巻く道との合流点から快適木道になった。このあたりでヒグマの掘り返し跡。木道は・1952ポコ直下ぐらいまで。そこからはハイマツ帯。五色ピークに山名ボッコはなく、分岐標識に五色岳と書いてあるだけだった。電波が入ったので、下山予定日を下界に伝えた。
忠別小屋分岐までは緩やかな下りのハイマツ帯が続き、一番低くなるところの手前でハイマツが開けた。そこから少しのぼり、小屋への分岐に看板があった。忠別小屋はさんかっけーの可愛い形で、トイレもあった。雪渓からおいしい水も取り放題。8:00着の3時間行動だった。日曜日は白雲小屋が使えないということで、まったりまったり。河原で、装備の大乾燥大会を行い、心身ともに癒された。
この日は在札の社会人山岳会の方3名が忠別小屋に泊まられた。去年ウチからFA宣言して、その社会人山岳会へ移籍した元部員の話で盛り上がったが、FA保障の話を持ち掛けると盛り下がった。
C4−白雲小屋テンバ−白雲岳−裏旭岳テンバC5(8h45m)晴れ
4:00出発。とにかくこのパーティーは準備が早い。早すぎて、薄暗いうちの出発。2年Yは今日も膝の痛みを感じさせないハイペース。朝はいつも早い。10分で分岐に着く。忠別ピークでご来光を迎えた。ピークはボッコがあった。朝日で山肌がオレンジ色に照らされて、すごくきれいだった。フォトジェニック狂ごっこをして楽しんだ。
忠別下りは石ころで歩きにくい道。忠別沼手前で獣臭がした。忠別沼付近は木道で、沼を過ぎた登りを終えると高根ヶ原に出た。コの字の特徴的な地形を過ぎたところにある雪渓マークのあたりで道は崖に近づいた。湿地帯マークのあたりは木道があった。平ヶ岳を過ぎて、再び道が崖に近づく手前にクマフンがあった。高根ヶ原に入ってからこのあたりまで、大体ハイマツ帯。
・1757付近にケルン。三笠新道はしっかりとしたゲートでふさがれていた。緑岳の山容が見事で、冬の様子を想像して、スキーに思いをはせた。・1881過ぎると火山っぽい様相に変わった。白雲小屋前の雪渓は立派だった。白雲小屋は工事中で使えなかった。手前に緑岳方面への分岐看板があり、テンバは改修資材置き場になっていた。プレハブがいくつも建っていて、ほとんどスペースはなかった。管理人が常駐していて、テント泊するにも許可がいるらしい。テンバを少し過ぎた沢型に水場。ジャバジャバと水量は多く、汲みやすいように柄杓まで置いてあった。ベンチもあった。
白雲分岐には看板とベンチ。白雲ピークを目指す。野球場と呼ばれる特徴的な平たい地形を過ぎると岩場をよじ登る感じになり、ピークまで続く。ピークにはボッコ。天気は良かったのだが、ピークはガスガスだった。この辺りは登山者が多く、荷物が多い私たちは、どこから来たの、とよく話しかけていただいた。ずっと縦走してきたことをいうと、すごくちやほやされたので、ドヤドヤ歩いた。
白雲直下の大きな雪渓マークのところには、雪渓は全くなかった。岩がゴロゴロしていて、ペンキで誘導されていた。地図上で夏道が行政境界線と交わるあたりにベンチがあった。北海岳までの道で、平らなところは踏み跡のみで、登るところはえぐれていて分かる感じだった。
北海岳にはボッコとベンチ。天気はそこそこによく、お鉢が一望できた。有毒温泉は黄色い硫黄が露出していた。松田岳にはケルン。・2185には分岐看板とベンチ。
裏旭テンバには水があった。旭岳の東斜面に残る雪渓の水で、残り少なく、水量も少なめ。おいしくなさそうだった。テンバは何十張も行けそうなほどの広さ。
C5−旭岳温泉下山(3h30m)
6:00出発。ガスガスだ…最後のピークである旭岳では是非晴れてほしかったのだが…ピークまでの登りは、なかなかきつい傾斜で、火山灰で足がとられるので、大変だった。ピークにはボッコ、三角点、分岐看板などいろいろな人工物があった。ガスが開けるのを期待して30分粘ったが、結局ダメだった。
ここから姿見駅までの下りは結構長い。2年Yは膝をまた痛めたいのか、ほぼ走って下って行った。もうついていくのをあきらめた。だんだんとガスが晴れてきて、石室や、姿見の池、ロープウェイ駅、さらに、下山口のビジターセンターをみえてきた。ゴールはもうすぐだ。平日にもかかわらず、登山者は多かった。すれ違うたびに石けんのいい香りがした。反対に私たちからは6日間分の獣臭がしていたと思う。
ロープウェイ姿見駅から下山口までは、道があまり整備されていないという事前情報があったが、笹が刈られていたので、最近手入れをしてくださったのかもしれない。下山口が近づいてくるたび、達成感とともに、夏休みが終わってしまうという感傷的な気分も同時に込み上げてきた。あいかわらず2年Yのペースは速いので、もう少し感傷的な気分に浸りたいなと思っているうちについてしまった。6日間あっという間だった。4年間の夏山ラストで、北海道のメインロードを制覇できたと、自分の中では勝手に思っているので、非常に満足した。
旭岳ビジターセンターに十勝連峰と大雪山の模型がおいてあり、長い道のりを歩いてきたのだなと感動した。い慮淇С戮馬⇒蹐鬚靴討い2年Kが迎えに来てくれた。旭岳温泉は日帰り入浴が開くまで時間があったので、旭川駅前のホテルの温泉に行った。旭川ウエスタンでたらふく食って、帰札。
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