北岳ピークハントとお花見

- GPS
- 17:41
- 距離
- 12.4km
- 登り
- 1,813m
- 下り
- 1,815m
コースタイム
- 山行
- 7:06
- 休憩
- 1:33
- 合計
- 8:39
- 山行
- 6:29
- 休憩
- 2:18
- 合計
- 8:47
| 天候 | 曇りのち晴れ |
|---|---|
| 過去天気図(気象庁) | 2022年07月の天気図 |
| アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
4:35の広河原行きバスを利用 |
| コース状況/ 危険箇所等 |
よく整備されている。階段が多い。白根御池から先は直射日光にさらされる箇所が多いので日焼け止めを頑張る。 |
写真
装備
| 個人装備 |
長袖Tシャツ
ソフトシェル
ズボン
靴下
防寒着
雨具
日よけ帽子
着替え
靴
予備靴ひも
ザック
ザックカバー
行動食
非常食
飲料
ハイドレーション
ライター
地図(地形図)
コンパス
笛
計画書
ヘッドランプ
予備電池
筆記用具
ファーストエイドキット
常備薬
日焼け止め
ロールペーパー
保険証
携帯
時計
サングラス
タオル
ストック
ナイフ
カメラ
インナーシーツ
|
|---|
感想
中央アルプス、御嶽山、手前に仙丈ヶ岳、奥に乗鞍、槍穂、後立山、手前に鋸岳、甲斐駒ヶ岳、鳳凰三山
深田久弥氏は「日本百名山」の中で、北岳を平家物語の中の平重衡の和歌とともに紹介している。氏が書いているように静岡の東海道筋から冠雪した北岳が見えるのだろうかという気はするが、当時から甲斐の白根というのは著名だったのだろう。その著名な白根三山の北岳に登ろうというのが今回の山行である。われらがリーダーはその昔白根三山の縦走をしたことがあり、高山病でヘロヘロになったらしい。相当脅かされたが、高地順応トレーニングする間もなく、金曜の夜に強引に仕事にケリをつけて前泊地の甲府に滑り込んだのだった。
翌朝は早朝4:35の広河原行バスに乗る。発車時刻の10分前ぐらいにバス停に行ってみると、筆者の予想を超える人が集まって、既にバスに乗り込んでいる。我々は3号車に乗り込んだ。山梨交通の方は皆がなるべく座れるように台数や乗客割り振りをしてくれているようだった。しかし、交通系ICカードが使える割には意外に乗り込むのに時間がかかっていて、なぜかと思ったが、マイカー規制利用者協力金というのを現金で払わなければならないのだった。なるほど、これで手間取っていたのか。いずれにしても無事にバスには乗れた。
バスに約2時間揺られて、広河原に到着した。身支度を整えて、朝のミッションも成功裏に済ませて、さあ、出発である。今回のコース設定は、1日目に肩の小屋まで登り、2日目に山頂を踏んでほぼ来た道を戻ってくるというものである。1日目の距離は6劼頬たないが、標高差は約1500mを登る。これは筆者にとって未知の領域である。かなり慎重にペース配分することを考えてスタートした。と、その前にのっけから筆者にとっての難関が待っていた。つり橋である。皆さん北岳登山の写真の最初の方にアップしているちょっと長めのつり橋である。これをビビりながら渡り、本格登山開始である。最初はまずまず緩やかだが、ところどころに梯子状の階段が出てくる。これが結構筋力を消費して、脚に乳酸がたまってくる感じがする。さらにまずいことに酔い止め薬の副作用で体調がいまいちのリーダーの機嫌が悪くなってきた。空には雲が出てくるし、前途多難な雰囲気となってきた。しかし、3時間ちょっとで何とか白根御池小屋に到着した。ここでちょっと長めの休憩をとることにした。信玄餅アイスを食べたかったが、おなかが緩くなるのを懸念して、我慢することにした。帰りには食べるぞ。
御池小屋を出発するとすぐに急登となる。これが草滑りか。この草滑りの辺りは花の宝庫である。シナノキンバイとミヤマキンポウゲの違いは覚えた。大きいのがシナノキンバイ。丸っこくて小さいのがミヤマキンポウゲ。でもミヤマキンポウゲとミヤマキンバイをパッと見て区別できない。そのほか多くの種類の花をガイド本で確認したりするのだが、片っ端から忘れていく。「忘却はよりよき前進を生む」とニーチェはいった(らしい)。そうだ我々は前進しなければならない。前進しなければ北岳肩の小屋の肩ロースが食べられない。ゆっくりでもいいから前進しよう。たくさんの人に先に行ったもらい、自分たちのペースで行く。相当に遅いと思ったが、チェック時間を見るとそう遅れているわけでもない。この急登は誰でもきついということですね。
見上げるような坂を登り詰めてようやく小太郎尾根分岐に到着。ここでちょっと休憩。すでに森林限界は超えていて、ハイマツが広がっている。周囲は雲で真っ白である。ライチョウ出てこないかな。「ライチョウさ〜ん」ひそかに呼んでみたが応えてくれる訳もなかった。気を取り直して真っ白な尾根道を進んでいく。途中1か所よじ登るようなところをクリアして、ようやく標高3000mの北岳肩の小屋にたどり着いた。
小屋にはすでにたくさんの人がテントを張っていた。我々は小屋泊なので、受付を済ませて、夕食までの間を外で過ごすことにした。もちろんリーダーの目を見ないようにしてビールを買った。筆者は缶ビールにしたが、生ビール(たぶんジョッキ)もある。ベンチの隅に入れてもらって暫らくまったりした。我々は5:30から夕食で、名物の豚の肩ロースをいただいた。豚肉のビタミンB1は疲労回復に効くらしいから、この名物料理は単にダジャレだけという訳でもないのだろう。みそ汁は濃いめで塩分補給を考えての味付けだろう。みそ汁が濃いめなので珍しくご飯をお代わりしてしまった。みそ汁やおかずの味付けが濃いとごはんが進むのは日本人の常識だが、なぜ関東の味付けが濃いのか、ということには徳川幕府が関わっているらしい。江戸の街づくりをする上では土木建築の労働力が必要で、力を出すためには飯を食わねばならない。ということで、江戸では恣意的に味付けを濃くしてメシをたくさん食べさせる「政策」を施したという説がある。逆に街づくりが完成している関西では、味付けを濃くすると飯ばっかり食われてしまうので、味付けを薄くするようになったということである。我々は江戸時代の文化の延長線上に生きている。
翌朝、3時半に起きて、ゴソゴソ支度をして4時ごろ外に出てみると東の空が赤く染まってきていた。周囲には雲海が敷き詰められている。これは期待できるぞ。4時過ぎに山頂目指して出発した。ここでも我々ゆっくり行く、周囲の景色が素晴らしく、写真を何枚撮っても撮り足らない。赤い東の空に浮かぶ富士山。鳳凰三山は島のようである。北には甲斐駒ヶ岳。西には中央アルプス。すごいなあ。登りながら顔がほころんでしまう。5:09山頂到着。山頂にはすでにたくさんの人がいて、皆さんいい顔である。声をかけていただき写真も撮ってもらった。ありがとうございました。小説「マークスの山」の犯人は最後にこの山頂で何を見たのだろうか。
いつまでも山頂にいたい気持ちになるが、そうもいかない。そろそろ下山しなければ。下山途中でも山座同定しながら下った。中央アルプスの脇から頭を出している御嶽。乗鞍は独立峰であるかることがよく分かる。よく見えないが北アルプスの尖っているのが槍ヶ岳か?
肩の小屋に戻り、デポしていた荷物をまとめて、ゼリーとカロリーメイトの朝食をとる。それでも予定より早めに小屋を出発することになった。晴天・早朝の尾根道歩きは爽快である。左手に仙丈ケ岳がどっしり構えている。正面にはきれいな三角形に白い花崗岩が特徴的な甲斐駒ヶ岳。東には鳳凰三山で、地蔵が岳のオベリスクもはっきり見える。いや、素晴らしい30分の尾根歩きでした。
草滑りの下りに入り、しばらくするとすれ違いが多くなってきた。テント泊装備の人が多い。高校の登山部と思しき集団ともすれ違う。60Lのザックをピッチピチに詰めて登ってくる。女性陣もたくましい。若人の汗はまぶしいなあ。
花も愛でつつ下っていき、右股コースへの分岐に到着。我々はここから右股コースを迂回していく。右股コースに入るとボチボチ木々が増えてきて、ダケカンバなどの木々の林間コースとなる。こちらはどうやら登山者が少ないようだ。われわれの遅さにも関わらず、全然抜かれないし、すれ違わない。マルバダケブキが咲いている。この花の黄色を見ると映画「ひまわり」主題曲を思い出す。どうかウクライナ問題が早く解決しますように。こちらのコースの方が草滑りを直進するよりも日影が多く、ジグザグが多いようではある。ひたすら下っていくと雪渓が見えてくる。巨大な穴が開いており、雪渓の下は多量の水が流れているのだろう。雪渓の脇に出ると木々がなく、標高が下がってきたせいもあって、直射日光がきつい。まもなく大樺沢二股に到着した。
大樺沢二股から白根御池山荘までは平たんな道、のはずであった。地形図を見る限りそう思えたのだが、道は狭くてすれ違いづらく、ところどころ登りがあり、楽勝の30分のはずが結構苦労しながら歩いていくことになった。そして、ようやく白根御池山荘に到着。迷いなく、いやちょっと迷ったけれど信玄餅アイスを注文。ゆっくり30分ほど休憩し、最後の下りに取り掛かった。
御池山荘から先の道は、来るときにこんなに上り下りがあったかな、と思う感じで、ちょこちょこ登りもある。「多くの忘却なくしては人生は暮らしていけない」とバルザックは言った(らしい)。多くの忘却なくして登山は出来ない。でもあの山頂の景色は忘れられない。と思っているうちにつり橋に着いた。再びビビりながら渡り切り、だいたい予定通りの時間に広河原に到着した。
帰りのバスも山梨交通の方がいろいろ面倒見てくれていて、ザックを置いておけば炎天下で並ばなくていいように配慮してくれていた。広河原山荘でビールを飲もうか迷ったが、2時間バスに乗ることも考えて、ビールは控えてラーメンにした。うー、塩味が染みるぜ。
バスでは爆睡するかと思ったが、なかなか寝付けず。前の席のリーダーは酔い止め薬の効果で席から転げ落ちそうになりながら爆睡していた。おかげで全然酔わなかったそうである。帰りの特急の席も取れて、ビールを買って乗り込んだ。あれ、持ってきたはずのアルコール消毒液がない。おかしいな、どこに入れたかな・・・。どうしても無くて、山小屋に忘れてきたかと思った。家に帰ってザックをひっくり返しても出てこない。これまで山小屋に数々の忘れ物をしてきた筆者の面目躍如(?)である。リーダーからは「忘れ物王」の称号ももらっている。帰宅後数日して、開けていなかった小物入れからくだんの消毒液は出てきた。ここに入れたこと自体を忘れてしまっていた。相当脳細胞が壊死しているようだ。これからは「忘れ物王」を改めて「物忘れ王」と称しないといけないかもしれない。でも、オードリー・ヘップバーンはこう言った(らしい)「こんな定義を聞いたことがあります。『幸福とは健康と物忘れの早さである』!」。 (完)
kwskyk










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