念願の大峯奥駈道! 吉野〜熊野本宮大社
- GPS
- --:--
- 距離
- ---km
- 登り
- ---m
- 下り
- ---m
コースタイム
- 山行
- 1:45
- 休憩
- 0:03
- 合計
- 1:48
- 山行
- 8:47
- 休憩
- 1:29
- 合計
- 10:16
- 山行
- 8:50
- 休憩
- 1:05
- 合計
- 9:55
- 山行
- 7:25
- 休憩
- 1:18
- 合計
- 8:43
- 山行
- 7:57
- 休憩
- 0:17
- 合計
- 8:14
- 山行
- 7:22
- 休憩
- 0:15
- 合計
- 7:37
天候 | 24日晴れ 25日晴れ 26日ガス後晴れ 27日晴れ 28日晴れ 29日晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2014年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
釈迦ヶ岳手前の斜面のトラバースがけっこう崩れています。 地蔵岳付近の岩場も雨天時は滑りやすそう。 道しるべ,標識等は充実しています。 水場は枯れる箇所もあるので,汲む予定の箇所は調べておく必要があります。 |
写真
感想
思えば2年前,k-14と共に1回生の冬の熊野古道道普請ボランティアに参加した際,玉置神社周辺の道普請に充てられて,「なんや”おおみねおっかけみち”て,熊野古道とちゃうんかい!」と罵ったのが,大峯奥駈道との出会いでした。
そこでまず大峯奥駈道がめっちゃ長いということを知り,弥山に登った際の看板で割と主要な山を渡り歩けるということを知ったりして,k-14(藤田)といつか歩き通したいなあ!といつしか思うようになりました。
ただヤマレコ等,色んな記録を見てみると,その累積の標高の凄まじさや,日数に相応しくないエスケープルートの少なさなどで,ヤトモはびびりまくっているのでした。
さらにここ半年は,教員採用試験の勉強でろくに山に登っていなかったので,夏の終わりごろから歩荷や長距離歩行などで急ピッチでリハビリを重ねていきました。
直前に行った生駒山地縦走は,体力面も精神面もかなり効果があったと思います(主に信貴山〜王寺駅のアスファルト地獄にて)。
さてこんな感じで,あっというまに大峯奥駈道縦走の日を迎えてしまいました。
10月24日
この日は夕方の授業を終えたあと吉野駅に行って,その辺で野宿しようと考えていましたが,どうもそんなこと出来る所ではなさそうなので,大きな声では言えませんが○城山まで登ってテントを張ることにしました。いきなり道に迷いまくり,12時ごろの就寝となりました。
10月25日
夜は分かりませんでしたが高○山からは曽爾方面や高見山なども見えて,なかなか展望がいいところです。早朝の山の景色が一番好きです。
天気予報どおり,朝から快晴で,幸先のいいスタートを予感させました。
しかし結果からいうと,この日が一番辛かったです。。
まず生駒山地のときに発症した股関節の痛みが再発して,平地を歩くのが辛かった。
ことなんかどうでも良くなるくらい以降書くことが辛かったです。
四寸岩山まで順調に歩き,山頂の標識の近くで長めの休憩を取りました。ここで分岐があったことを見落としており,その標識の近くからすぐ見えている道にいってしまいました。これは東の高原山に続いている道です。20分ほど下りまくって,道が悪くなったところでおかしいと思い,GPS様に確認を要し気づきました。150mほど下っていたようです。こんなに早く道間違えるなって,,,大峯の洗礼恐るべし!とかいっていましたがこれだけでは済みませんでした。。。
気を取り直して次の目的地,大天井岳へ!二蔵宿小屋から,分岐を間違えないように,大天井→とかいう感じの看板の通りに歩いていくと,水の流れる心地良い音が,,,イツノマニショウテンショウダケヘノショートカットルートニノッテンンノ???これは未だに謎です。。確かに右に行ったぞ,,
結局ログの通り,最短で稜線に取り付くために,水場の近くから60度以上あるであろう斜面を登りまくりました。転げ落ちそうなるし足はパンパンやし,となりのガレ場では自然に落石起こるし,これは本当に辛かった。。。
以降,二度と道には迷いたくなく,慎重に地図とにらめっこするようになりました。
ここまでkobo trailという道しるべがあったのですが,無視して小天井岳へ行きます。
山上ヶ岳についたころには大分くたびれてしまい,ゆっくり観光してる場合ではありませんでした。ただ,紅葉の長めは最高で,頑張ってよかったな!と思えました。
2年前来たときは気づかなかったのですが,このあたりの山域からは金剛山と葛城山の間から大阪の街まで見えるんですね!ハルカスも見えました。
さて色々とめぐったあと,本日の宿,小笹の宿へ。
山頂から30分ほど行ったところにそれはあります。ネットの写真では,めっちゃ小さい小屋ということくらいしかわからず,全然期待していなかったのですが,結果的には今回泊まった3つの宿の中で一番気に入りました。まず水が近く,豊富にあること。水が豊富だからあたりに苔がびっしりとついていたり,とても稜線にあるとは思わせないロケーションにありました。
しかも誰もいないので足を洗ったり洗濯したり出来て,疲れも吹っ飛びました。
晩飯を食べ,晩酌の後,19時ごろ就寝しました。生活リズムなんか関係なく,一瞬で眠りに入ることができました。。
10月26日
この日は朝6時15分の出発
前日の洗濯物は乾かず,ザックにくくりつけていきました。
この日の行程は大普賢岳〜弥山〜楊子ノ宿です。
大普賢岳までは割りと緩やかな道です。今回の山行の最東区域ということもあり,大台ケ原方面が随所で見渡せた,ような記憶があります。
大普賢岳を過ぎたところの水太覗は,普賢ファミリーの絶好の撮影スポット
七曜岳までは岩場や梯子などがある道です。
行者還岳につくとこの日初めて人と遭遇,しかもワンチャン(犬)も!
御歳十歳。この辺の山はいくつも登ってるとか,,大ベテランさんです。
そこからは奥駈出合いの分岐までの稜線のどこかで,道を外しました笑
ササ原のピークを立ち寄って,微妙に道がついていたし稜線は外してないし大丈夫だろうと歩いていたら,やっぱり大丈夫でした。非難小屋を拝めなかったのが悔やまれる,,
そして出合いについて昼飯やー!と荷物を下ろそうとしたとき,なにやら見覚えのある顔が。同じ大学で弥山域のシカの食性の研究をしている友人に遭遇!なんとなくいそうな気はしてたけどほんまにおるとは!
一緒に昼ごはんを食べてお別れ。
弥山まではやっぱりしんどい階段地獄。でも前日のあほみたいな斜面に比べたら草生えるわwとか思いながら歩いてたらいつの間にか到着。前来た時もっとしんどかった記憶があるんやけど,成長したな俺,,
でもやっぱ疲れたので山小屋でファンタ補水。もはや修行ではない。
テンポ良く歩こうということですぐ仏生方面へ。この時間帯になると八経以南は誰も人はいませんでした。そしてなんとなく,道の踏まれ具合も違います。いよいよ南奥駈!!
ひたすら歩いて本日の宿,楊子ノ宿に到着。
ここの水場は東側の斜面を北に5分ほど下った場所にあり,道しるべもついていますが,水の量が少ないので音は無いに等しいです。枯れることもあるそうで,事前に良く確認しておく必要があります。
小屋は先客が2名おられましたが,ロフトが空いていたのでそこを使わせて頂きました。
1人はおじいさん。この方も奥駈をやっておられるそうで,御歳70歳!
元気ですね〜(゜0゜!)しかも熊野本宮大社までいってその先も歩けたら歩くらしい。。化け物や。。
色んな話を聞かせていただき,小辺路を特にオススメされたので,次は歴史の勉強もしっかりして行ってみたいと思いました。
そんなこんなでそそくさと就寝しました。。。
〜ここからは半年以上ぶりに振り返って書いてるので、かなり雑です。。〜
10月27日
この日は朝から雨、どうしようか悩みましたが、全日程の中で一番短い行程であったことと、これまでかなりいいペースで歩けていたことを熟慮し、
二度寝を決行(嬉)
8時ごろまで降ったり止んだりでしたが、さすがにこれ以上は待てないということで合羽を着ていざ出発。
幸いこの後雨に打たれることはありませんでした。
ただ釈迦ヶ岳までは霧が濃く、仏生あたりはいよいよ南部ということで熊が怖くてビクビクしていました。
たしか仏生のピークは見つけられなかった、、
釈迦ヶ岳までの岩場が、まあまあこわかった記憶があります。けっこう崩れてました。
釈迦ヶ岳は念願のピークだったのですが、写真の通りガス。
景色がいいそうなので、次は前鬼からリベンジしたいです。
深仙小屋は広いコルにあって、気持ちのいい場所でした。
水場も近くにあります。ただここもかなりチョロチョロ。
600ml汲むのに5分近くかかりました。でもやっぱありがたいです。このあとラーメンのスープになってもらいました。
東の谷の岩場で快便を決め、出発。
天狗山で昼休憩を取ることに。天候が回復していたのもあって、のどかで十分な休憩ができました。50分ちかく笑
その後は、この日に限らず、山についてはあまり細かくは覚えていません、、基本的に下りで、作業感が出てきてしまっていました。反省
持経の宿はスルーですが、中だけ覗かせてもらうと、広くて立派でした。
割とここまでで気分的にもくたびれてきていたので、それだけに、ここを後にしての平治の宿までの道は長く感じました。。
持経の宿もそうですが、平治の宿は新宮山彦ぐるーぷというボランティア団体の人たちが維持、管理してくださっており、協力金2000円以上が必要です。
原則予約だそうですが、すみません、調べ不足で無断で宿泊してしまいました。
ここには暖炉があり、びしょびしょの靴下と靴を乾かしていると、香ばしくていい香りが広がります。
はい、二人とも靴下焦がしました。。
やともに至っては、登山靴のソールが一部剥がれました(泣(今のところ問題なく使えていますが、張替えはあきらめてます。
このときふっさんに理不尽な八つ当たりをしてしまったことを、ここで改めて反省。
トイレはまさかの、水洗です!いってみてのお楽しみ!
今回とまった中では一番くつろげた小屋でした。山彦ぐるーぷさんありがとうございます。
10月28日
ほぼほぼ覚えていません。
朝めっちゃ寒かったような記憶があります。
これまではおきるまでが寒くてつらく、歩き出したら暑い暑いだったのですが、
風が強く、行仙岳では休憩の間、木の陰で風を凌いでいました。(はよいけや
笠捨山は遠くからは見えていたのですが、地味に、一向に近づいている気がしないという印象があります。
山岳地図では太文字の笠捨山よりも、その隣の地蔵岳付近の岩場やケイン小杉的難所の印象が大きいです。これおじいおばあさんたちはどうやって降りるんや、、と今でも不思議に思ってます。俺もおじいになってもしっかり歩ける脚つくるで!
行仙、笠捨山あたりは、携帯の電波が来ていました。(ソフトバンク)
その後は下り続きで、玉置山にむけてまたのぼりが続きます。途中、2年前にボランティアで道普請をした道を通りました。杉の枝葉を払いまくったやりがいたっぷりの仕事に対する自然の無慈悲を感じました。後はふっさんの空手の師範の偉大さがとても印象的で、それ以外は車道だるい、くらいしか特に書くことは思い出せません。
最後の泊は玉◯山展望台でテント泊。(こちらもたぶん法的にはアウトです。ごめんなさい)
本山行でのテント泊は1日目の◯城山とこの日の2回だけなのに加えてどちらも屋根つきという舐めプ。
トイレ横に雨水がためてあります。ろ過して問題なく飲めました。
夕焼けがとてもきれいで、晴れていて釈迦ヶ岳も見えました。2日前あそこにいたということが俄かには信じられませんでした。
地面は砂利でごつごつですがモンべるのコンフォートのマットならまったく問題なく寝られました。
10月29日
いよいよ最終日です。
ゆっくり玉置神社を参拝し、ここでも道普請ボランティアの思い出に浸っていました。ここの杉は何度見ても良いです。
その後基本的に何の変哲もない山道。大森山までがいつまで続くんやこれと思っていたと思います。途中、背負子を背負ったお爺さんが休憩していて、話を聞けばなんと日本中を徒歩で旅しているそう!!東北地方は歩き終えたそうで、縄文ハートについて熱く語ってくださいました。名前は聞いていませんが、今もどこかで歩いておられるのでしょう。頑張ってくださいーー!!
その後は標高も低くなってきて、10月終わりですが久々の下界はいつも以上に蒸し暑く感じました。
吹越宿跡で最後の昼食をとり、熊野本宮退社はもう目と鼻の先!!
七越峰から下山し、ほっと一息。
下山後は熊野本宮大社を参拝。
子どもの頃から毎年初詣に来ているので見慣れてはいますが、この日は流石にいつもとは違って感動みたいなものがありました。
参拝の最中、「どこからこられたんですか?」と声をかけられ、吉野からですというとやっぱり凄く驚かれたりして、少し誇らしい気持ちになりました。
一方お土産やさんでは、おそらくとてつもなく臭かったのでしょう。店員さんとの物理的距離を感じました(笑(ごめんなさい
近くの集落に住む祖母に車で迎えに来てもらい、もちろんそこでも臭いと告げられ、そのまま湯の峰温泉へ長旅に疲れた体を癒しにいきました。晩御飯は熊野牛やたくさんの野菜料理のごちそう。。。なんとなく予想はしていましたが、今まで食ってきた肉の中でダントツでおいしく感じました。ビールもまた格別。至れり尽くせり。
スペシャルサンクスばあば。
翌日はお礼に庭仕事。一家に一人ほしい藤田一輝。
紀伊田辺駅まで送ってもらい、iPhone車内置き去り事件が起こったりもしましたが無事、家まで帰ることができました。
思い返せば今回の旅ほど山とにらめっこした山行はなかったんじゃないかなあと思います。これからの目的地や,目の前のピークの正体を考えたり,ちょっとは地図の感覚がつかめたかも。。
それと,しっかり道普請された道であったり,軽量で充実した装備があるからこんな風に全て歩ききれましたから,”大峯奥駈道の厳しさ”というよりも,”大昔の行者さんたちは,どんな化けもんやねん,,”というところで色々と思い知らされたというのが本音です。
またいつか,次はもっと日程を設けて,ゆっくりと山や森と向き合いながら歩いてみたいなあと思いました。
ふっさん6日間一緒に歩いてくれてありがとう!!
4年間の山の相方と、念願の奥駈を達成できて、大満足です。
とってもいい旅でした!
〜食事〜
●晩御飯は米を2合(家で分けておく)炊き,その日の分を残して翌日の朝飯のおにぎりと,昼飯の袋麺のしめ用におにぎりを作ります。その際のラップは5日間使いまわします。家で二重にしたものを畳んで持ってくると,丁寧に使うとそこまで破れたりしませんでした。
●おにぎりには飽きないように具を入れてみました。塩昆布と、干し梅がオススメ
●フリーズドライのシチューなどが,値段は張りますが軽いしおいしいしオススメ
●食べ終わったら食パンで食器をふき取り,食べます。
●今回は毎日激しい運動量ということでプロテインを摂取してみました。
飲んでない場合との比較はできませんが,5日間ほとんど筋肉痛などの筋肉の不調は見られず,最後までたいした疲労を感じることなく歩くことが出来ました。睡眠時間が毎日10時間ほどあったので,実はそっちのほうが影響あったのかも。参考までに。
●食後は二人でウィスキーで晩酌。お酒は睡眠の質を悪くするそうですが、余裕があれば楽しみのひとつに。
〜行動食〜
●ミックスナッツとドライフルーツ,マーブルチョコなどを混ぜ合わせたトレイルミックスを800gほど持っていきましたが,半分くらい余りました。でもこれは人によるかも。
●↑糖と脂肪を一緒に摂取でき、即効性と腹持ちの二刀流です。ドライフルーツを入れると唾液が良く出て(←僕の感覚)おいしいしいくらでも続けて食べられます。
〜水〜
●水場がかれることもあるので、使う分+余分に1Lくらいは持ってました。(余裕があればもっとあったほうがいい)
●自分だけですが、飲料水は粉末ポカリをいれまいた。袋は余計なところは下界時にはさみでチョッキン(尖っててビニルを破きそう)
●水場といっても稜線上の雨水ですので、ろ過が必要。生で飲む分は「スーパーデリオス」という携帯浄水器を使用しました。おなかの調子は問題なしでした。
〜その他〜
●ゴミはできるだけ出発前に削減できるようにしておくとあとでかなり楽です。フリーズドライのシチューは、封を開けて中のプラの器はすてて小さい袋に入れてもっていきました。
●全てゴミを薄くたためるものにすると、ジップロックをゴミ袋にできて、コンパクト且つ匂いや漏れの心配がありません。
●全体の重さは20kgほど(ザック含む)になりました。
●3シーズン用シュラフで十分の暖かさ。(フリース着用)
●5mほどの細引きが、洗濯紐として重宝
●コンフォートシステムパットは、枕も一緒に買うべしです。
●ヘッドライトなどは使わないときは電池は抜いておくと、勝手にかばんの中で点灯して消耗することがありません。←ふっさんに教えてもらいました
●スマホの予備バッテリーは、13000mAhのもので、十分足りました。(めっちゃ重いし、粗悪品も多いので注意。)
装備リストつくっときゃよかった、、また思いついたら書こう。。
本当にお疲れ様でした.
念願の夢,果たせてよかったですねぇ.
私もずっと行きたかったのですが,やはり1週間近くは必要ですよね
行動食等,装備の詳細をお教えいただければ今後の(私はないと思うけど,他の人のために)参考になると思うので,時間があるときにお願いしたいと思っております.
すみません、更新がすっかり遅くなってしまいました、、
遅ればせながら、ありがとうございます!
こんな経験ができたのは、川下さんがいろんな山に連れて行って、山の素晴らしさや怖さを教えてくださったおかげです!ありがとうございます。
自分なりに、食べ物中心で装備についてまとめてみました。一般的な装備に関しては特筆するようなことはなかったので、、
また山行きましょう!!
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