挑戦的長距離縦走路「読売新道」を垣間見る、赤牛岳‼️
- GPS
- 34:17
- 距離
- 55.7km
- 登り
- 4,263m
- 下り
- 3,991m
コースタイム
- 山行
- 9:42
- 休憩
- 1:19
- 合計
- 11:01
- 山行
- 11:43
- 休憩
- 1:39
- 合計
- 13:22
- 山行
- 7:20
- 休憩
- 2:23
- 合計
- 9:43
天候 | 1日目 長野道塩尻の辺りではワイパーが効かないくらいの土砂降りだったが、新穂高温泉に着く頃には小降りになっていた。しかし、左俣林道の入口でまた雨足が強まりレインを装着。それ以降、三俣山荘でテントを張るまでしつこく、そしてしっかりと雨は降り続いた。テントを張り終えてやっとのんびりし始めた夕方5時45分頃、急速に青空が広がり始め、前方に鷲羽岳が姿を現した。 2日目、3日目は快晴 |
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過去天気図(気象庁) | 2023年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
その他周辺情報 | 中崎山荘 奥飛騨の湯 |
感想
1.挑戦的長距離縦走路「読売新道」
北アルプス南北全踏破の調査中、ヤマレコで超人のレコ(記録ID:4695203)を見付けた。通常の南北全踏破は水晶小屋の分岐で裏銀座縦走路(野口五郎岳方面)に入るが、この超人はここで読売新道へと駒を進めていた。そして、この読売新道にはアルプス日帰り最難関「赤牛岳」がある。
ちなみにこの「読売」は読売新聞社のことで、読売新道は同社の北陸支社設立の記念事業として開削されたものだ。読売新道を歩く登山者は年間400〜500人ほどだという。(北アルプス テントを背中に山の旅へ 高橋庄太郎著 抜粋)
赤牛岳を初めてはっきり見たのは、雲の平のスイス庭園からだった。そこからは左に薬師岳、右に赤牛岳が見える。登山者以外にはほとんど知られていない赤牛岳は、とにかくデカイ薬師岳に山容が似ていて、同じく只者ではない雰囲気を醸し出していた。「う〜ん...、南北全踏破しても読売新道は通らないのか...」。超人のようにロマンを追求するのも手だが、失うものも多い。やはり、全踏破とは別に読売新道と赤牛岳を味わわねば...。沸々と赤牛岳へのマグマが溜まっていった。
今年の5月の3〜5日に、笠ヶ岳から双六岳を縦走した。これは去年の6月4、5日で挑戦し撤退した山行の全復習だった。全復習をする前、去年の撤退時のパートナーのなおにゃんに声を掛けた。しかし、彼は5月は土日の都合がつかず、「6月なら16〜19日は休めそう」と言うので、「オッケー、じゃあそこ画策するわ」と日程を先に押さえた。なぜいちいち画策かというと、3月末で10年間僕の下で働いていた人が辞め、新しい人が6月初旬に入ってくる予定だったからだ。「最初の2週間で全集中デレゲーションやな...」
山行週に入り、ぼつぼつ行き先を確定させようとなおにゃんに連絡を入れた。色々候補を出しながら話し合ったが、僕の中では赤牛岳が外せない存在になっていた。それを素直になおにゃんに伝え、三俣山荘を拠点に赤牛岳をピストンする山行計画で固まった。16日から2泊3日の行程で、19日の月曜日は予備日とした。問題は、やはり入社間もない人を残し、無理やり金曜日と月曜日の2日を休むことだった。そのために、彼の入社後すぐに鬼のトレーニングをした結果、毎日極度の睡眠不足になってしまった。「睡眠不足が続いていて、また迷惑かけそう...」となおにゃんにはヘッズアップを入れておいた。そしてこの不安は的中することになる。
2.濡れの恐怖
午前5時少し前に新穂高温泉登山者用駐車場に到着した。道中、塩尻の辺りではワイパーが効かないくらいの猛烈な雨だったが、駐車場に着く頃には小雨になっていた。「上段もガラガラです」と先に着いていたなおにゃんから聞いていたので、上段に直行する。指導センターへのショートカット道入口脇になおにゃんの車を見付けたので、僕も反対側の脇に車を止めた。すぐに一旦ジムニーから降りて、「悪い、ギリギリになってもうた、すぐ用意するわ」と言いながら、なおにゃんと握手を交わす。車に戻り準備をしていると、ちょうどすぐ近くにいた同世代くらいの男性登山者がなおにゃんに何やら話しかけていていた。その後、その男性は元々すぐ近くに車を止めていたのに、登山者が出入りする入口のまん前の空きスペースに車を移動した。「よくそんなデンジャラスな所にわざわざ止めるな...」。後からなおにゃんに聞くと、彼も全く僕らと同じルートで赤牛岳を目指すらしい。僕は気付かなかったが、もう一人若者ソロもいて、彼も同じルートとのことだった。
午前中の早い時間に雨が上がることを夢見て、小雨の中スタートした。指導センター前の「笠・双六岳 左俣方面」の看板に騙されていつも左に行ってしまうが、5月にも来たばかりなので、今回はちゃんとロープウェイ乗り場の方へ歩いていく。ロープウェイの建物の奥から蒲田川左俣林道への近道が伸びているからだ。ロープウェイはメンテナンス工事の為、5月8日から8月9日まで運行休止で、建物前はひっそりしていた。
左俣林道の入口に着く頃には予想(希望)に反して雨足が強まってしまった。仕方がないので、そこでレインウェアの上下を身に付けた。その後すぐに雨足が弱まったので、「レイン着たら晴れるやつやな...」と思いながら歩くも、またすぐに雨は強くなり、ワサビ平小屋の軒下で休憩している時には土砂降りの雨になってしまった。Windyでは夕方6時くらいまでは降ったり止んだりが続く予報だったが、ここまでの土砂降りは想定していなかった。ワサビ平には小屋番とおぼしき年配の男性が、僕らより先に着いていた同世代の男性ソロの登山者にルートを親切に説明していた。盗み聞きしていると、やはり弓折岳中段から乗越にかけてのトラバースは危険なので春道を推奨していた。また、双六岳から三俣蓮華岳の巻道はまだ危ないとも説明していた。
雨が少し小降りになってきたのを見計らって、ワサビ平小屋を出発した。GWの小池新道がどうにも道迷いを誘発したのに対して、今日は本当に歩き安い道へと変貌していた。あまりの変わりように驚いた。すぐに、トラウマのシシウドヶ原に到着し、しっかり出ている道標を右に曲がった。そこからも、全く雪がないトラバースを経て、程なく鏡平山荘に到着した。この頃には雨がかなりきつくなってきていて、ものすごく狭い鏡平小屋の軒下で雨宿りする。例の同世代男性ソロの方も同じタイミングで鏡平小屋にやってきていた。ここでしばし3人で山話をしながら雨が弱まるのを待つ。この時も雨はそのうち止むというビューだったので、雨が弱って来たタイミングでレインウェアを脱いだ。これが間違いだった。
鏡平山荘を出発し、問題の弓折岳中段にやって来た。そこには例の春道を示す黄色い看板があった。右手を見ると、ちょっとした雪渓があり、その先にすぐに夏道が見えていた。そこだけなら難なく行けそうだったが、去年経験した最後の乗越へのトラバースの恐怖がどうしても頭からぬぐえなかった。そして、そのトラバースの様子はこの中段からは見えない。乗越へ行きたそうにしているなおにゃんを制し、「ここは看板にしたがって、春道行こう」と意志決定した。結果、これがかなりの地獄だった。雨に濡れたハイマツの藪漕ぎに、びしょ濡れになってしまう。また、結構な急登で、雨で滑るためハイマツを掴みなから体を引き上げないといけない場所も多々あった。やっと笠ヶ岳と双六岳への稜線へ上がった時にはほとほと疲れ果て、ずぶ濡れになってしまっていた。「これ登りはいいけど、下りだと嫌だな...」
ここから双六小屋への道は特に問題はないが、雨かつガスガスだったので、せっかくの稜線歩きが台無しだった。殆ど記憶に残らない歩きを経て双六小屋のあるコルへと降り立った。途中のトラバースにあった雪も完全に消え、双六池も姿を現していた。小屋の方までやって来たが、ここは雨宿りをするスペースが全くない。雨がかなりきつくなっていたので、小屋開け準備をしていた双六小屋の方に、土間で雨宿りさせてもらえないかなおにゃんが交渉したが、断られてしまった。ただ、トイレの中ならいいと言われ、2人でトイレに入り雨が弱まるのをしばらく待つ。腹が減っていたので、あまりいい気分ではないが、トイレ棟のなかで行動食を摘まむ。「雨止まんな...」。しばらくして例の同世代ソロ男性もトイレ棟にやって来て、また3人で雨宿りしながら行動再開のチャンスを窺っていた。
「ぼつぼつ行くか?とにかく早くテント張りたいよね、三俣山荘で...」と、僕がしびれを切らした。雨はそれなりに降っていてたが、ザックを担ぎ小屋裏から続く登山道を進み始めた。すると直ぐに引き返してくる男性ソロ登山者と出くわした。彼が駐車場にいた若者のようだ。なおにゃんが、「中々追い付かないなと思ってました😃」と声を掛ける。聞くと、巻道を進んでみたものの、装備不足が不安で引き返して来たという。彼は体力には自信があるが、残雪期の登山経験は殆どないという。それなのに、ここまで来たことを無謀だったと反省していた。ここで、ピュアボーイなおにゃんが、「僕らがアイゼンで踏み跡付けますよ!それをたどれば行けますよ(三俣山荘まで)」と提案する。「困った時は助け合い!」。おっさんの僕はそれを聞きながら、「なおにゃん、ええやつ過ぎるでそれ...」と、自分にはない真っ直ぐさに感心しつつも、こういう場合はあまり関わらない方が本人の為かもと思ってしまった。
なおにゃんを先頭に巻道に突入して行った。しかし、その若者は少し悩んでいるようにも見えた。一方で、なおにゃんは気合い十分で、ガンガン先に進んでいく。僕はあまり後ろの2人を気にせず、なおにゃんに続いた。若者が巻道ルートのどこで引き返したか分からなかったが、全く危険に見えない道を2人でずんずん進んで行く。しばらくして、それっぽい雪渓ポイントがやって来たので、とりあえずアイゼンを装着しようと立ち止まった。しかし、その時に後ろを振り返ると、同世代と若者ソロ2人の姿はなかった...。「あれ、2人来てないな...、まあ、やっぱり止めておいたのかな」と僕はある意味予想通りの展開に、特に驚きもしなかった。
ここからの巻道は、危険というよりも道が分かりにくかった。ガスっていたのもあるが、やはりこの時期巻道を通ることは想定されていないようだ。というのも、双六小屋の登山道の整備はかなり念入りで、例えば、弓折岳から双六小屋への雪渓には、石に赤と黄色のテープを巻き等間隔で置いてあったほどだ。また、双六岳への春道にも同じようなマーキングが随所に見られた。それに引き換え、この巻道には全く印がなく、頻繁にYAMAPを出しては方向を確かめる必要があった。
なんとも苦痛な巻道を根気よく歩き、三俣峠の近くにやって来た。この辺りでロープが見えたりして、やっと少し登山道が分かりやすくなってきた。三俣峠を右に曲がり、山荘に直行する。その辺りはだだっ広い雪渓で少し道が分かりにくい。適当に方向を合わせて下っていると、雷鳥が現れてくれた。普段はあまり逃げないのに、この時はやたらと活発に小走りしていた。少し追いかけてみたが、あまりしっかりとは写真に収めることはできなかった。
ここから基本小屋まで雪渓の下りになる。少し歩くと眼下に三俣山荘が見え始めた。「三俣山荘捉えた!」。雪面にかかとを押し込むように歩いていく。なおにゃんはかなり僕の先を歩いており、テント場をスルーして小屋の方に行こうとするのが見えたので、「なおにゃーん!そっちちゃう、テント場はこっち!」と手で合図した。何とか声が届いたようで、テント場の辺りで止まってくれた。テント場に辿り着くと、さすがに平日のこの天気で誰もテントを張っていなかった。時刻は午後4時半頃で、この時でもまだ小雨が降っていたので、急いでテントを設営していった。すると、小屋の方から小柄な少し上の世代の男性登山者が歩いてきた。なぜだかすごく嬉しそうに、「よくこの天気で来たね!まさか誰か来るとは思っていなかった!」。後で話を聞くと、笠ヶ岳に登頂してからここまで来たものの、天候不良で3日ほどテントの中で停滞していたという。もしかして、猛烈に孤独を感じていたから僕らが来て嬉しかったのかもしれない。「どこにテント張ってるんですか?」と聞くと、「誰もいないので小屋前に張りました」。「小屋前に湧き水ありましたか?」と聞くと、「気付かなかったですね〜。水はこの沢から取ってます」とテント場の横を流れている沢を指差した。
テントの設営を終え、小屋前の湧き水を見に行くことにした。シーズンには、小屋前にある湧き水を無料で汲むことができるが、やはりこの時期はその設備は片付けられていた。「やっぱりなかったか…。まあ沢水があるから問題ないか」。テント場に戻り、まずはビール(僕)とジュース(なおにゃん)で乾杯した。雨と弓折岳春道直登のせいで、思ったよりも体力を消耗してしまった。この時は、まだ体が冷え切ってしまっていることにあまり気付かなかった。長辺にある開口部を向かい合わせにして張ったテントに入り、食事をしながら休憩していると、急激に天気が回復し、あっと言う間に青空が広がり始めた。時刻は午後5時45分頃で、正にWindyの予報通りだった。ガスが晴れると、僕のテントからは鷲羽岳の雄大な姿が視界に飛び込んで来た。「おー!!鷲羽来たよ!」とここまでの苦労がやっと報われる。ここから1時間余りの間、太陽のぬくもりを感じることができ、体も温まったと思って安心したが、1日中雨に濡れたダメージはそんなに簡単には回復しないことを後で思い知ることになる。
「明日は鷲羽岳で御来光を迎えよう!」と決め、4時半の日の出の1時間半前の3時に山行スタートとすることにした。疲れもひどかったので、7時半頃にはテントの入口を締め、寝る体勢に入る。本来なら濡れた服を脱いで着替えるべきなのだが、もうほとんど乾いていたので、あまりに気にせずそのままシームレスダウンハガー#3に潜り込んだ。しかしシュラフに入ったのに、全く体が温まらず、寒さに震え始めた。アルパインダウンパーカを着ていたのに、信じられなかった。「これが濡れの恐怖か…?」。一旦シュラフから出て、替えを持ってきていないズボン(マウンテンガイドパンツ)以外は、全て新しいものに取り替えた。それで一旦ウトウトしたが、携帯のアラームで目を覚ましてしまった。最初何が鳴っているか分からなったが、「YAMAPプレミアム解約」という、ものすごーく前に月ーの頻度で設定しているリマインダーだった。登山を始め立ての頃、恐る恐るYAMAPプレミアムを試し始めた頃に設定したものだった。時刻は午後10時で、2時間ほどは眠れたのだろうか?この10時以降、ものすごく体が冷えているせいで、シュラフの中でガタガタ震え続けた。「やっぱり、あんなに濡れたらこの季節でもダメなんだ…」と改めて濡れの恐怖を思い知った。かなり体調が悪く感じ、「こんなんでホンマに明日赤牛岳まで行けるんか?」「明日はなおにゃんだけで行ってもらって、俺はテントで停滞するしかないかもな....」と、どんどん悲観的になって行った。結局、殆ど眠ることはできず、ずっとぶるぶる震え続けた。
3.赤牛岳はやっぱり遠かった
午前1時40分にセットしたSuunto9Baroの振動で起き上がってみると、意外にもそれほど気分は悪くなかった。ジェットボイルで湯を沸かし、長期縦走の救世主になりうる棒ラーメンを放り込んだ。ジェットボイルフラッシュはとにかく単細胞なので、火加減の調整はほぼできない。全開か消えているかのどちらかだ。なので、棒ラーメンを説明書通り2分も茹でることはできない。ほんの10数秒だけ茹で、後はスープ、調味油を入れてしっかりかき混ぜた。スープを全部飲み干し(飲み干すより他にスープを処理する方法はない)、体が暖まると、「何とか行けそうやな」と、ぶるぶる震えていた時の総悲観から解放され始めた。
2時45分頃、なおにゃんがテントの外に出てきた。もう殆ど準備が終わっているようだ。僕も、それにつられ少し早めにテントから出るも、手際の悪さから、結局定刻の3時ほぼぴったりに準備が整った。赤牛までの登山道の様子が全く分からない(シンプルなレコは去年の10月以降見つからなかった)ので、念のためフル装備(アイゼンとピッケル)をアタックザックに用意した。
山荘をスタートすると直ぐに雪渓になった。右側が少し危なげに見える。明るければどれくらいの危険度が判断できるが、暗いのでここで念のためアイゼンを着けた。アイゼンを付けるとさすがに特に問題のない道で、しばらくして雪のない夏道に合流できた。
ここから鷲羽岳山頂まではそれなりの登りだ。一昨年の10月にここを下った時は、登りの登山者はみんな相当苦しそうにしていたのを思い出した。しかし、ゆっくり登っていたせいか、特に辛さを感じることはなかった。この登りの稜線からは、黒部五郎岳、笠ヶ岳、槍ヶ岳などがとてもキレイに見える。三俣山荘からは祖父岳に隠れて見えなかった黒部五郎岳が特に印象的だ。午前4時過ぎ、日の出まで十分余裕を残して山頂に到着した。先に着いていたなおにゃんと写真を撮りながら御来光を待つ。ほぼ夏至なだけあって、真東よりもかなり北側から太陽が登り始めた。残念ながら丁度太陽が昇ってくる場所に少し厚い雲があったので、御来光は今一つだった。
ここから一旦下り、少し危なげな道を登り返すとワリモ岳だ。鷲羽岳のような雄大さはないが、この山も中々に厳つい山容をしている。ここの山頂標識は、何故だか実際の山頂ではなく、山頂直下の登山道から直ぐのところにある。少し頑張れば普通に山頂にも立つことができるので、初めてなら登ってみるのもいいかもしれない。
この頃にはしっかりと太陽が上がり、日差しが強くなってきていた。そこで、ザックからAnker PowerPort Solar Lite(ソーラーパネル)を取り出し、バランスライト20に取り付けた。ソーラーパネルで充電ができれば、長期縦走がより安全に行える。しかし、前回これをザックに取り付け、鳳凰三山を夜叉神峠から9時間ほどかけてピストンした時は、1ミリも充電されなかった。もう一度、前回よりもより強い日差しが期待できる今日、赤牛岳まで歩いてみてちゃんと充電されるかテストしようと、面倒だがこいつを持ってきていた。
ワリモ岳を過ぎると、ワリモ北分岐を越え、水晶小屋を目指す。もし、雲ノ平の方から祖父岳を越え、水晶岳に行った後に鷲羽岳の方に進む場合は、このワリモ北分岐でザックをデポすると軽荷で行動できる。水晶小屋までは特にキツイ登りはなく、どちらかと言えばフラットに近い登山道だ。水晶小屋の直前が少し登りになる。水晶小屋分岐に到着し、まだ小屋開け前だが小屋前まで歩いてみる。ここからは野口五郎の眺望がすばらしい。また、左手には立山もかなり近くに見え、随分歩いて来たことを実感する。
分岐に戻り、ちょっとした登りをやると、三角点のようなものがある小さい岩峰がある。そこの上に立ってみると、後ろに槍ヶ岳、前方にこれから歩く稜線を見渡せ、とても気持ちがいい。ここから水晶岳まではしばらく平和なフラットな登山道で、振り返った時に見える槍ヶ岳がとてもいい。気持ちのいい稜線が終わると、少し危ない岩の登りになる。午前7時頃、小屋から40分ほどで水晶岳南峰に到着した。ここも、折立からの周回をした一昨年の10月以来だ。山頂は狭く、大きめの岩に覆われていて、足元が少し不安定だが、眺望は最高だ。登山者が多いと気を使うが、当然だがこの時間にここにいる登山者が僕らの他にいるはずもない。苦しかったが、昨日雨の中を歩いたおかげだった。
次は水晶岳北峰だ。なぜか三角点は標高の低い北峰に設置されている。北峰は南峰から見ると「どうやって行くのかな?」と思うほど険しく見えるが、うまく登山道がつけられていて、あっという間だ。分かりにくいが山頂の奥から登山道が続いている。僕にとって今回の山行の目的は、水晶岳南峰から先を歩くことだった。諸説あるが、水晶岳から北、奥黒部ヒュッテまでが読売新道だ。北アルプス南北全踏破では普通は通らない秘境登山道。本当は奥黒部ヒュッテでテント泊し、針ノ木古道で七倉に抜けたかった。しかし、奥黒部ヒュッテを管理している立山室堂山荘に問い合わせたところ、「針ノ木古道の整備がまだ終わっていないので、普通の登山者にはまだ通れない」と半ば呆れられながら教えてもらった。七倉山荘にも問い合わせると、船窪小屋から七倉山荘までは問題ないらしいので、正に平ノ渡場から船窪小屋の間の針ノ木古道だけか不通のようだ。
今日が今山行のハイライトだが、正直それほど赤牛岳が大変だとは思っていなかった。コースタイムでは水晶岳北峰から温泉沢ノ頭まで40分、そこから赤牛岳が2時間20分で合計3時間だ。軽荷でもあるし、当然コースタイムよりも速く歩けると思っていた。なので、「帰り時間があれば高天ヶ原寄って、黒部源流経由で三俣山荘に戻る?」と能天気なことを言っていた。赤牛岳は既に視界に入っていて、それほど遠くにも感じなかった。
しかし、歩き始めると見えていなかったピークが続々と姿を見せ始めた。歩き始めてすぐは、「あれが赤牛岳だと近すぎるな。実はその奥のピークが赤牛岳ちゃう?」と言っていた。が、次々にピークが現れるにつれ、やはり最初に目星をつけたピークが赤牛岳だと分かってきた。「遠いな...」。アップダウンが繰り返される。最近整備が入ったかのように随所に石が積まれた小ケルンがあり、それに従えば道も明瞭だった。しかし、ケルンを見失うと途端に難しい道になった。
昨日殆ど寝れていない影響も出始めた。僕の場合、経験的に睡眠時間が4時間を切ると、山行の後半は途端にスピードが出なくなる。コースタイムよりも逆に時間がかかって温泉沢ノ頭に到着した。北峰から1時間もかかっていた。「これ、ヤバイな...」。元々ずっと睡眠不足だった上、昨日の雨の中の山行を考えれば当然の結果だったかもしれない。それでもまだこの時は限界までは余裕があった。
温泉沢ノ頭からもどんどんピークを越えていく。南赤牛岳に来た時、休憩がてらソーラーパネルがどれだけモバイルバッテリーを充電しているかをチェックした。ワリモ岳辺りでザックに取り付けてから、猛烈な炎天下を4時間も歩いて来た。恐る恐るモバイルバッテリーを見ると、ショックなことに4つある充電中ランプが辛うじて2つ目から3つ目に進んでいるのみだった。ショックを受けている僕を見て、「ここで平置きにして、デポして様子を見たらどうですか?」となおにゃんとが提案してくれた。確かに、ここから赤牛岳ピストンすると1時間半ほどなので、それでどれくらい充電が進むのかを見るのはいいアイデアだった。この場所は猛烈な太陽の日差しがあり、ここで平置きにして充電されなければ、ソーラーパネルは全く無用の長物だろう。この辺りで生息しているホモサピエンスは今日は僕らだけなので、盗難の心配もない。「よし、そうするか!」
ここから先は道が大変だった。夏道が一部雪に覆われていて危ない下りになっていた。アイゼンを着けたり脱いだりに辟易していたので、途中からリスクをとり、よっぽどでなければ坪足で対処していた。雪渓を避けようとハイマツ帯を無理に行ったり、雪渓にある岩を手がかりに危険なトラバースを最小限にしたりして、逆に体力を消耗した。
最後のピークを右側から雪渓の登りで巻き、やっと赤牛岳の取り付きにたどり着いた。直ぐに山頂に直登したくなる衝動を押さえながら、踏み跡(ケルンもあったかも)に従い真っ直ぐ進む。最後に右に曲がり九折に登っていくと、山頂標識が見えてきた!遠いよ...赤牛岳...。これ、吠えてもええやつよね?「よっしゃー‼️」。それほど危険ではない登山道でここまで吠えたの初めてだった。山頂からは、とにかくデカイ薬師岳がさらにでかく見えた。歩いて来た稜線を振り返る。水晶岳と鷲羽岳が重なり、巨大な一つの山塊のようになっている。「これはなんかもったいないな...。やっぱり別々に見たい」。立山方面には眼下に黒部湖の青、奥にはまだ白がちらほら残る白馬三山と立山が贅沢だった。もちろん、こんなに遠くに来ても槍ヶ岳はくっきり見えた。9時くらいには来れるかなという予想に反し、山頂に到着したのは10時半だった。残念だが、15分ほどのショートステイで山頂を後にすることにした。「ここからの帰りが憂鬱だな...」
4.リアルガス欠、三俣山荘までの地獄
ここからしばらくは牛歩だが、体力的にそれほど問題はなかった。行きに無理やりハイマツ帯を通って体力を消耗したので、帰りは素直に雪渓をトラバースするルートを選ぶ。少し危険だが、岩を手がかりにこなしていく。程なく、ソーラーパネルをデポした南赤牛岳の辺りに戻ってきた。大分手前から「あそこにソーラーパネル見えますね」と、なおにゃんが前方を指差す。僕はその距離では全く見えなかったが、もう少し近づくと確かに黒いものが地面に見え安心した。昔ワカンをデポして見失ったことがあり、デポにいつも不安を感じているので、ソーラーパネルが無事に見つかってホッとした。ソーラーパネルの所に到着し、バッテリー入れのベルクロを開け、恐る恐るモバイルバッテリーを確認する。すると、4つの充電ランプが全部点灯していた。「フル充電されとる‼️」。おー!と当たり前のことに物凄く感動した。なおにゃんは初めから平置きにするべきだと言っていたが、それでは実証実験にならないと僕はザックに付けて試していた。しかし、結論として、やはりザックにつけた状態では殆ど充電されず、平置きにすればかなり短い時間でも十分に発電することができると分かった。「ソーラーパネルを背負って1日山行して、テン場に着いたらフル充電」は理想だが、ロマンでしかないようだ。自宅に帰ってから早速Ankerに実証実験の結果を報告した。
温泉沢ノ頭に来たら休憩しようと決め、ここからいくつものピークを登り返して越えていく。この辺りで僕の体力が急速になくなってしまった。周りの絶景を見ても力が入らない。ただひたすら牛歩を続けた。延々とに続く無名ピークの中で一番高そうな所に来たとき、「ここで休憩しますか?」となおにゃんが僕に声をかける。確か温泉沢ノ頭には道標があったはずだが、ここにはそれはなかった。「温泉沢ノ頭はまだかな?」と僕が言うと、「あ、もう温泉沢ノ頭は過ぎました」。なぬ⁉️それにも気付かないくらいグロッキーやったのか...。
しばらくそこで休憩し、行動を再開するも完全にガス欠に陥っていた。高天ヶ原温泉に寄るのは問題外としても、当初考えていた岩苔乗越から黒部源流を通って三俣山荘に戻るのも、時間が読めない不安から却下した。確実な行きと同じルートを選択したが、そうすると水晶岳と鷲羽岳の2大ピークを越えないといけない思うと気が滅入った。なおにゃんはまだ余裕があったので、僕が先頭をちんたら歩くことにした。
正直ここからはあまり記憶がはっきりしない。水晶岳にかけて少し危なげな雪渓があったかもしれない。行きはそこでアイゼンを付けたものの、道を間違え、ルートを外して下まで下りてしまい登り返した。帰りはアイゼンを付けるのが煩わしかったので、雪渓は通らず岩場を高巻した。その辺りは少し道も分かりにくかったが、なおにゃんに助けてもらいながら、ひーひー言いながら、何とか水晶岳南峰に帰ってきた。「よし、後はワリモ岳と鷲羽岳の登り返しのみやな...」
水晶岳南峰でも少し休憩した。とにかくポイントポイントで、休憩をしながら耐えるしかなかった。日が長い夏至の時期でなかったら、もっと焦りもあったもしれない。30分ほどで水晶小屋にたどり着いた。そこの日陰で、また休憩することにした。なおにゃんが「5分、10分でも目を閉じて体を休めると違いますよ」と言ってくれたので、日陰に寝そべって10分ほど目を閉じた。確かに、じわーっと体が休まる感じがして、いい休憩になった。
先も長いので、いやいや体を起こし行動を再開した。ふらふらになりながら、危なげなワリモ岳を通過した。コルにかけて下っているところで、ソロの男性が鷲羽岳を登っているのに気付いた。「おー!登山者おった!」と、あまりにも誰もいない登山道に初めて自分達以外のホモサピエンスを見て、少し元気になる。「少しでも差を詰めてやろう」と思って頑張って歩いたが、逆に差を開けられてしまった。それくらい僕は限界に近かった。
コルを下りきり、鷲羽岳への登りへ取りかかった。「よし、本日最後の登り返し!」と気合いを入れる。登山者を見かけたお陰か、鷲羽岳へは久々にコースタイムを上回るスピードで到達することができた。鷲羽岳でもまた休憩を入れ、4時13分に行動を再開した。三俣山荘まで、コースタイムで1時間ほどなので、5時15分には三俣山荘でビールを飲める。鷲羽岳への登り返しが思ったより上手くいったので、この下りでもペースを維持して、5時には山荘に着けると思っていた。しかし、この下りが長かった。延々に続くかと思われる地獄を感じながら、精神力だけで下り続ける。最高の景色も僕の体力を回復させる力にはならなかった。下りている途中で何気なく、「明日は少し遅めスタートでもいいよね?」となおにゃんに言ってみた。すると、「え⁉️明日は、行きにスキップした三俣蓮華岳で御来光でしょ!」と言われ、「マジか...」とまだまだ気合い十分のなおにゃんに驚いた。確かに、僕は三俣蓮華岳も双六岳も行ったことがあるが、なおにゃんは今回が初めてだった。無理を言って赤牛岳に付き合わせたのに、自分が疲れたからって「遅めのスタート」なんて言った自分が恥ずかしかったが、同時にあまりの疲労に、真面目に明日朝早くから行動する自信がなかった。なおにゃんから、「いいっすよ、明日は双六小屋集合でも」と言われたものの、どれくらい彼を待たせてしまうんだろうと思い、明日どうするのがベストか分からなかった。
とにかく精一杯力を振り絞り、鷲羽岳を下りて行った。途中でなおにゃんが先行し、どんどん離されて行ったが、追い付けるわけもなかった。5時10分頃、満身創痍でテント場に戻ってきた。スタートした時には僕らのテントだけだった場所に、新たにテントが数張り増えていた。先に着いていたなおにゃんは、僕のテントからビールを探し出し、沢水でビールを冷やしてくれていた。「おー!なんて気のつく奴なんや😂」と気遣いが嬉しかった。
ザックを下ろし、テントのマットに腰を下ろした。しばらく片付けをしていると、なおにゃんがキンキンに冷えたビールを持って来てくれた。「すごいな!この短時間で」「はい、沢水強力ですね!」。とりあえず乾杯をし、しっかり冷えたビールを堪能する。「赤牛、やっぱり並みじゃないな😂」と、何とかやり遂げられた喜びに浸った。「よし、とにもかくにも何か食べな...」と、ジェットボイルに五徳を装着し、ウインナーを焼く。ウインナーを摘まみながら、ビールを飲み干した。あまりの疲れであまり何も食べる気はしなかったが、「食べないと!」という義務感を解消したかった。やはりこういう時はラーメンかカレーに限る。しかし、カレーが重く食べ終わった後のゴミが面倒なのに対し、棒ラーメンは軽くてかさばらず、食べ終わったゴミもビニールのパッケージだけだ。なので、やはり長期縦走では棒ラーメンに軍配が上がるだろう。久々に持ってきたジェットボイルでお湯を高速で沸かし、棒ラーメンを入れて10秒ほど茹でた。スープと調味油を入れてかき混ぜ、あっという間にそれなりに上手いラーメンができた。
鷲羽岳から下りている途中、白髪の年配の男性ソロ登山者とすれ違った。「すごい時間から登るな…」と思っていたら、僕が一息ついた頃にもうテント場に戻って来た。「すごい速いですね!」となおにゃんと2人で驚きながら声を掛けると、「まあ山頂を4時40分くらいにで出たので、それでも1時間かかってます」と言う。しかも、今日の朝2時に新穂高温泉を出たらしい。僕らは三俣山荘に辿り着くのがやっとだったのに、その日のうちに鷲羽岳に登るなんて…、恐ろしいおっちゃんやな…。ただ何となく話を聞いていると、あまり登山の経験は長くなさそうで、もしかしたら僕と同じく今が楽しい盛りなのかもしれない。ちょうどその年配の方の黄色いツエルトの横に、白のステラリッジⅠ型を張っている若者がいた。この年配の登山者は「大ノマ乗越への雪渓を直登しようと思って登って来たが、途中雪が切れていて登れなくなり引き返した」みたいなことをその若者に話していた。するとその若者は、「この時期は難しいですよね、僕は弓折乗越から来ました」と答えていた。それを聞いていたなおにゃんが色めきだった。「マサさん、弓折乗越通れるみたいですよ!」。弓折岳直登の春道が相当嫌だったのだろう。僕も下りであれをやるのはどうかなとは思っていたが、弓折乗越からのトラバースの方がもっと嫌だった。「ホンマに行けるんか....?」。その後もその2人は「ノウトリ小屋が今年営業しない」などの話をしながらまるで同世代のように話し込んでいた。僕は「ノウトリ小屋は大門沢小屋の人が今年だけ特別に入ってくれるみたいですよ」と思いながら、寝る前に水を汲みに行った。テント場に流れている沢の奥に黒いホース用意され、そこから水がちょろちょろ流れていた。これは初日にはなかったはずなので、小屋開け準備で入った小屋番が今日設置してくれたのかもしれない。水を汲んだ帰りに、2人にノウトリ小屋のことを教えてあげ、その若者に弓折乗越からのトラバースについて聞いてみた。すると、彼以外にも5,6人通ったらしく、それなりにステップができているしい。しかも、僕らが去年恐怖した時と比べて格段に雪が少ないらしい。彼は弓折乗越直下のトラバースの写真を撮っていたので見せてもらった。すると、確かにかなり夏道が出ていて、これなら危険なく行けるかもしれないと思えた。「ありがとうございます」と挨拶し、テントに戻りすぐにシュラフに入り眠りについた。
5.体力急回復、最高の稜線
1時50分のSuunto9Baroの振動で目を覚ました。昨日鷲羽岳から下っている時は「三俣蓮華岳で御来光、しかもテントを撤収して向かう」と言い渡されたが、その後、僕に気を使ってか、「4時スタートでいいですよ」となおにゃんに少し時間の余裕をもらっていた。それでも、手際が悪い僕は、朝食とテントの撤収に2時間はかかるとみていたので、この時間に目覚ましをセットした。なおにゃんも同じ時間くらいに行動を開始し始めた。後から聞くと、僕ががさごそ始めたので起きてしまったようだ。昨日は日中にさんざん太陽を浴びたので、夜寒さを感じることなく、それなりにしっかり寝ることができた。昨日赤牛岳から戻って来た時は、まじめに今日動けるか自信がなかったが、睡眠がとれているおかげで体調がよかった。朝から、棒ラーメン、トースト、コンビーフと頑張って食べていく。最後にコーヒーを飲んでかなりお腹いっぱいになった。やはり、食べてカロリーをためておきたいという気持ちが強かった。
元々もっと遅く起きる予定だったなおにゃんは、かなり早い段階で行動開始できる準備が整ってしまった。「マサさん、先に行っててもいいですか?早く電波の届くところに行きたい」というので、「ええよ。僕はゆっくり行くわ」と返事をした。3時半頃、なおにゃんは三俣蓮華岳へとスタートして行った。僕は予定通り、4時スタートを目指し、チンタラ撤収して行く。ちょうど4時頃、僕もスタートできる準備が整った。と、その時、分かりやすい雷鳥の鳴き声がした。テント場で雷鳥の鳴き声を聞くのは珍しいことではないが、今回はやたらと声が近い。テントを張っていた場所の奥の雪が残っている所から声がするので、そちらの方へわまり込んだ。すると、そこにやはり雷鳥がいた。オスとメスのつがいだった。しばらくその写真を撮りながら、つがいを追いかけまわしてしまった。
雷鳥を追いかけまわしたせいで、スタートが5分程おくれ、4時5分にテント場をスタートした。テント場からはそれなりの斜度の雪渓を登っていく。ツボ足で登ったが、滑るとかなり止まらずに下まで行ってしまうだろう。長い雪渓の登りを終えると、一旦雪が消えて普通の夏道になる。しかし、すぐにまた一面雪の地面に変わった。そこを慎重にトラバースし左斜め前に登山道らしき道が見えたのでそちらに向かう。ちょうどその辺りで御来光を迎えた。鷲羽岳の右手から太陽が上がって来た。そこからすぐに三俣峠に到着した。山頂からなおにゃんが両手を大きく振っているのが見える。僕もストックを上げて合図をした。そのまま三俣峠を右に曲がり山頂を目指して歩き始めると、「登るんですか!?」となおにゃんが上から叫ぶ。「登る!」と大きく返事をした。どうやらなおにゃんは僕が巻道で双六小屋に直行すると思っていたようだ。
三俣峠からすぐは雪のない夏道だが、すぐにびっしりと雪のついた急な登りになった。アイゼンを付ければ余裕だが、ツボ足だと慎重に登らないといけないくらいの傾斜だ。登りでかつ雪もカチカチではなかったので、しっかりつま先で蹴り込みステップを付けながら登って行った。夏道登山道はあまり気にせず、所々出ている岩を手掛かりに一番安全そうなルートで直登して行く。上でなおにゃんが待ってくれていそうなので、できるだけ頑張ってサクサク登って行く。最後はまた雪のなくなった夏道を通り、山頂に到着した。「そこ、ルートじゃないみたいですね、オレもそこ登りましたけど」となおにゃんが言うので、「そうだね、でもこのラインは岩があって便利だよね」「そう!」。彼は御来光にギリギリ間に合ったらしい。「じゃあサクッとピークハントして来ます」と彼は双六岳へと先に出発して行った。「僕も後から追い掛けるよ!」と声を掛けた。約2年ぶりの三俣蓮華岳の山頂だった。その当時はまだ登山を始めて間もなかったのであまり気付かなかったが、この山頂も眺望がすばらしい。ザックを下ろし、しばし全方位の眺望を楽しんだ。
ここから双六岳までの稜線が最高だった。道は歩きやすく、眺望も申し分ない。行きに通った巻道とはえらい違いだった。「雨でもこっち通ればよかった」。北アルプス中・北部と南部をつなぐ交通の要衝を初めて歩き、「やっとここの軌跡つながったよ」と感動する。昨日と打って変わって、体力・気力も十分で最高の気分だった。双六岳直下の雪渓登りは少し緊張するが、無事に登り切り、双六岳山頂に立った。なおにゃんは先に双六小屋に向かったようで誰もいない。ずっとチャンスがなかった双六岳だったが、5月4日に登ってから早くも2度目の登頂となった。ここの山頂も全方位完璧な眺望を楽しめる。薬師岳、黒部五郎岳、笠ヶ岳、鷲羽岳、そして当然の天空の滑走路越しの槍ヶ岳だ。この双六岳で今回の山行のメインピークは最後になる。当初は、双六小屋にザックをデポし、樅沢岳にも登ろうと言っていたが、赤牛岳でお腹いっぱいになったので、樅沢岳は次の機会に譲ることにした。そう遠くない将来に西鎌尾根を歩くことになるだろうから、その時のお楽しみに取っておこう。2週間ほど極度の睡眠不足が続いていた中で強行した今回の山旅は、限界寸前まで追い詰められた。雨に長時間打たれる恐ろしさ、読売新道の険しさを経験し、それでも、最終日にこの最高の稜線を楽しむことができた。我ながら「人間の底力はすごいな…」と思いながら、目の前の槍ヶ岳を見つめながらゆっくり双六小屋へと歩き始めた。
ありがとうございます!少しタフでしたが、思い出になりました🎵
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