奥秩父・鶏冠尾根《日本百名山》
- GPS
- 24:41
- 距離
- 39.1km
- 登り
- 3,565m
- 下り
- 3,272m
コースタイム
- 山行
- 6:08
- 休憩
- 0:55
- 合計
- 7:03
- 山行
- 8:38
- 休憩
- 1:55
- 合計
- 10:33
天候 | 1日目(8/21):晴れのち曇り 2日目(8/22) : 晴れ朝夕は曇り 3日目(8/23):曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2008年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス タクシー
下山:川端下BSから川上村営バスでJR小海線信濃川上駅 |
写真
感想
1 日目(8/21):晴れのち曇り
青春18切符と“ムーンライトながら”のセットは毎シーズン定番で利用している。京都から都合5,110円で塩山まで来ることができた。西沢渓谷へはバス便があるが、9時まで待たされるのでタクシーを奮発した。運賃は6,380円、何故25分の乗車で電車一晩より高いのだろう。誰もいない西沢渓谷バス停(標高1,105m)で降りて笛吹川に沿って歩き始めた。西沢渓谷に行くファミリーハイカーに挨拶して追い越した。二俣吊橋で西沢と東沢に分れ、吊橋の上からは鶏冠尾根の岩峰が正面に見えた。本当に登山道があるのだろうかと思わせる山容だ。登山道分岐点には山梨県による“東沢通行禁止”の標識がある。ずっと遡行する訳ではないので、それを越えて東沢に進入した。
右岸に登山道があり、鷹見岩の尾根の張り出しを高巻き、鶏冠谷の出合で東沢を渡渉した。川幅は3m程あるが飛び石伝いで問題はない。東沢はこの先ホラノ貝のゴルジュや千畳ノナメ、両門ノ滝などの素晴らしい渓谷美があるが本格的な沢屋の世界で私が迷い込むことは許されない。鶏冠谷の右岸を20mほど遡ると「←鶏冠山(とさかやま)」の標識が現れ、尾根通しに明瞭な道が付いている。これならばと意を強くして登り始めるが、等高線の詰まった急登路で展望はない。500m標高を稼ぐと鶏冠山の基部(標高1,680m)に達し振り仰ぐと強烈な岩峰が聳えている、一体何処から登るのか?
登山道は、岩峰を避けるように左に左に巻き込み稜線の西側まで回りこんだ。岩峰間の鞍部から西斜面に取り付くと比較的登山道らしい道となり稜線に乗りあがった。急登で標高が上がるといよいよ岩稜帯となり一歩一歩慎重に進んだが当然行軍速度は極端に遅くなってしまった。最初の顕著な岩峰は第1岩峰(約1,960m)だと目星を付けピークの岩に乗り上がり景色を楽しんだ。西沢渓谷南側、黒金山の東のピークの後ろに富士山が顔を出している。北側にはこれから進んで行く第2、第3岩峰が厳しく立ちはだかり、その先の奥秩父主稜線は穏やかで「早くおいで」と呼んでいるようだった。
第2岩峰への登りは更に厳しく、4m程上にスリングが残置されているが下までロープはない。僅かな窪みを手懸りにやっとのことで這い上がり何とか通過。道具なしではここで敗退する人が出るかもしれない。岩を攀じどんどん登って第2岩峰(1,986m)に到るが何の標識もない。一旦下り、目の前に現れた断崖絶壁、これが第3岩峰の壁、20mの絶壁は本格的クライミングの領域で私にはどうにもならない。上の方に支点のロープが見えている。普通の登山者お助けの道「第3岩峰迂回路」は表示に従い東側に急降下する。この山域は石楠花が多く登山道に被さり、背負っている55Lのザックが引っかかり、腰を屈めて歩かなければならないので倍以上疲れる。
第3岩峰北の合流点に達すると「鶏冠山⇔木賊山」の指導標があり折り返すように南下すると「鶏冠山 山梨百名山」の山頂標識があった。しかしここは第3岩峰(約2,015m)で本当の山頂ではない。時刻は11:30お腹がすいたので大休止を取りゆっくり景色を楽しんだ。黒金山の方に見えていた富士山は標高が上がり益々良く見えるようになっていた。20m懸垂壁も無事に巻くことができ最難部は通過できひと安心。しかし難路は続き今日のメインの鶏冠山を目指す。
鶏冠山(2,115m)山頂には何の標識もなく、それこそ拍子抜けだが、甲武信岳の姿が望め素晴らしい。鶏冠尾根の行程は距離未だ半分。2,469mの木賊山まで厳しい道が続き石楠花と倒木に悩まされるが、赤テープがしっかり付けられ道に迷うことはない。空を見上げると曇りだした。P2177で鶏冠山を振り返るとあの険しさは全く感じさせず穏やかな山容を見せていた。いよいよ最後の登りで木賊山に到るが尾根を直登するのではなく西に巻き込みながら南西側から奥秩父主脈の縦走路に出た。鶏冠尾根の入口は山頂標識の5m程東に赤テープで示されていた。余りしっかりした踏み跡ではなく分り辛いだろう。鶏冠尾根を征服しやれやれと一息つくと遠くで雷が鳴りだした! 休んでいる場合ではなくピッチを上げて甲武信小屋を目指したが疲れてそうは行かなかった。
北西方向に下るとガレ場に飛び出し目の前に甲武信岳が聳え圧巻の眺めだ。雷は遠くで鳴り続けているが近づく様子はない。樹林帯を歩き甲武信小屋(標高約2,366m)に到着。平日とはいえ夏休み、そこそこの人がいるかと思っていたが、宿泊者は僅か6人だった。オーナーの山中徳治さん(徳ちゃん)も下界に下り二人の小屋番が守っていた。夕食後には小屋で作った甲武信の自然を写したビデオと山梨TVが製作した徳ちゃんと爪さんの登場する東沢遡行のビデオを鑑賞した。(1泊夕食付6,500円)
2日目(8/22) :晴れ朝夕は曇り
甲武信岳でご来光をと期待していたが、小屋はガスに覆われていた。山頂へは15分ほどで行ける。横浜のご夫婦が先に行って日の出を待っていたが朝食時間が近づき諦めて下りて行った。縦走者にとってもガスの山頂に長居は無用と未踏ルートの西斜面に踏み出した。水師との鞍部には長野県側の西沢(西沢渓谷とは別)に下る分岐がある。指導標には「千曲川源流・梓山→」と表示があった。このルートからの登山者は多く、昨夜の小屋にも1人いた。
西進し展望のない水師(みずし・2,396m)と富士見(2,373m)を過ぎ南西に向きを変えてシラビソの林を抜けたとき岩峰の山頂に飛び出した。ここは両門ノ頭(2,263m)で東沢渓谷の両門ノ滝に流れ落ちる西沢の源頭のピークだ。西沢沿いの塩山尾根が辛うじて見える程度だったが、ガスが劇的に晴れて展望が広がった。南には富士山の姿がくっきり。振り返ると木賊山、鶏冠尾根もしっかり見えた。ただ甲武信岳・国師岳の雲はしつこく、15分ばかりねばっているとだんだん輪郭が見えるようになった。
今日も天気は良さそうだ。気分爽快で両門ノ頭を後にし、縦走を続けた。東梓(2,272m)は山頂標識もなく有るはずの3等三角点「東梓」も見つからなかった。果たして場所が違ったのか? P2224を越え下り切ったところは国師ノタル(2,150m)、甲武信岳〜国師岳間の最低鞍部だ。壊れた標識が木の根方に転がっていた。ここからは国師岳への登り返しで標高差は450mもある。P2295を過ぎた辺りで初めて人と出会った。大弛峠(おおだるみとうげ)にテントを張ったという男性単独行だった。
軈て国師の東の稜線に乗り上がるとパッと展望が広がった。天狗尾根が南東に下っていく分岐点でもあり、前方に国師岳、北奥千丈岳が優雅に横たわっている。なだらかになった稜線を進み国師岳(2,592m)山頂に達すると大弛峠から登ってきたご夫婦が展望を楽しんでいた。山頂には1等三角点「國師岳」が置かれ立派な山頂標識が立っていた。富士山の姿は雲に隠れてしまったが、その代わりに南アルプス白峰三山、仙丈ヶ岳、甲斐駒ヶ岳、鋸岳が姿を現した。そして縦走路の先には金峰山の姿もくっきり見えている。
奥秩父の最高峰は北奥千丈岳で2,601mある。展望も良く存在感のある山なのに9m低い国師岳が日本三百名山、山梨百名山の栄誉を得ている。何故こうなったのだろうか、1等三角点が置かれたためだろうか? 北奥千丈岳は国師岳山頂から僅か10分、三繋平で分岐し石楠花新道を少し入ったところにある。山頂から見ると国師の山頂には人の姿がある。さっきのご夫婦のようだ。
かつて国師岳山域は奥秩父の奥座敷で簡単に近づけないところだった。川上牧丘林道が大弛峠を越えるようになって逆に最も安易に近づける山になってしまった。峠まで車で来て1時間登るだけで国師、北奥千丈に登ることができてしまう。こうなると軽装のハイカーの世界になってしまい今日も結構いた。三繋平にデポした荷物を背負って大弛峠方向に歩き出すと木製の階段があり登ったところは前国師(約2,575m)。ここも展望が良い。大弛への下山路は、最近整備しつくされたようで、木製階段が続き危険箇所は全くない。7年前に来たときはこんなではなかったのに・・・
大弛小屋が見え出すと其処は大弛峠(標高2,362m)だ。水場は小屋横の屋根の下にある。ただし「保健所の指導で飲用には煮沸して」と書かれているが、「塩素消毒していないため」とも添えられ、暗に「飲めなくはないよ」と言っているようだった。林道は山梨側が完全舗装、長野側はダートで格差が大きい。駐車場も整備され沢山の車が止まっていた。国師へのハイキングの他、百名山の金峰山へ登山する人も多いようだ。
腹拵えをして小屋で汲んだ大弛の水を飲み金峰山への縦走路に踏み出した。暫くは誰も会わなかったが朝日峠を過ぎた辺りでバテて金峰山まで行けず引き返してきたという父娘連れと出合った。雲が多くなってきたが崩れる心配はなさそうだ。P2528は北側を巻いて通過し、朝日岳(2,579m)に達した。山頂西側には目前になった金峰山がばっちり望め小川山の岩峰群も特異な景観を見せていた。金峰山の手前にある鉄山(2,531m)は北側を巻いている。山頂へも踏み跡がありその分岐点に山頂標識が立っていた。勿論山頂に寄らない手はなく、分岐道に入った。しかし山頂には展望はなく山頂を示すものもなかった。そして反対側にも踏跡は続き問題なく“縦走”することができた。
鞍部で巻道と合流すると最後の登りで金峰山北東稜線に乗り上がった。山頂まで岩場が続き、なだらかに山頂に到った。3等三角点「金峰」は2,599m、山頂標識もここにあるが、その傍に3mほど高い岩があるので実質は2,602m位の標高がある。こうなると奥秩父の最高峰は北奥千丈岳ではなく金峰山になるのだが・・・。
因みに金峰山は「きんぷさん」と読むのが一般的なようだが信濃側では「きんぽうさん」と読ませる。長野県の廻り目平にある小屋は「きんぽうさんそう」と云う。山頂からは勿論360°の展望。雲が増えてきたが暫く待っていると、瑞牆山が姿を現し、その特異な岩峰を望むことができた。岩峰を従える小川山もここから見るとなだらかで穏やかな山容を見せていた。
そして南西側には金峰山の象徴とも言うべき五丈岩が鎮座していた。1丈は約3mなので15mほどあるのだろう。前に鳥居が建っているので神様が宿っているようだ。五丈岩下の広場では沢山の人が休んでいた。殆どは大弛からのピストンのようだ。金峰山の西尾根は山梨側がスパッと切れた断崖絶壁、千代の吹上、砂払いの頭など険しい岩稜が続き、砂払いの頭を過ぎると樹林帯となるが岩がゴロゴロして歩き易い登山道ではない。
金峰から見えていたひと際大きな岩峰は大日岩(2,201m)、岩の前では瑞牆山荘からピストンした男性が一人休憩中。前に来たときはここから見上げて通過してしまったが今日はザックを置いて行けるところまで行ってみることにした。途中までは八丁平への登山道で分岐して赤ペンキに導かれ這い登るとかなり上まで来た。ここが限度かと思ったが岩の隙間を這い、裏側に出るとまだ行ける。一枚岩を際どく攀じ登ると何とピークに立つことができた。見下ろすとさっきの男性がまだいた。「オーイ」と手を振ると「先に行きま〜す」と手を振り返して来た。
大日岩の麓を回りこみ20分ほど下って行くと今日の宿泊地大日小屋(標高2,026m)に達した。まずは荷物を置いて小屋の南側にある鷹見岩(2,092m)にピストンしよう。縦走路を富士見小屋方向に300mほど進むと南に分岐道があった。石楠花林に倒木で歩き難い道を辿り達したピークは切れ立った断崖の岩場で展望が素晴らしい。真北にある飯森山と小川山はしっかり見えるが、雲が下がってきて金峰山の姿は見えなくなり、瑞牆山がさっとガスの流れるときに顔を出す程度となった。10分ほど展望を楽しんで縦走路分岐点に引き返した。北側にある飯森山(2,116m)への行こうと登路を探すが全くないので深い藪を漕ぐには疲れていたので諦めて小屋に戻った。
大日小屋は無人の小屋で、中は薄暗くどうも寛ぐ雰囲気ではない。避難小屋であるべきなのに宿泊料2,500円を管理人室の扉の穴から入れろという。毛布が置かれているが干されたこともなさそうで気持ちが悪い。小屋の外には水場がありこれだけは助かる。小屋の中は薄暗く不気味なので外で夕食を食べていると、縦走路では遂ぞお目にかからなかったヤマホタルブクロやキバナノヤマオダマキの花を見つけた。結局この日の小屋は一人だけで寂しい。することもないので17時まだ明るいが早々とシュラフに潜り込んだ。
3日目(8/23):曇り
天気予報は午後から雨と言っているので予定していた瑞牆山を端折り昨日の大日岩に戻り八丁平から最短距離で小川山を目指すことにした。ガスに覆われた小屋を出発し大日岩の基部へ登り返した。八丁平への道は大日岩の東側を巻くよう付いており、険しい道で微かに続く踏み跡を辿るが、ガレ場の先で道が途切れてしまった。進退窮まって下に続くガレの足跡(獣かも)を辿ってみるが谷から離れて行きやはりルートではなかった。元に戻って倒木を掻き分けて行くと正しかったのかどうか分らないがどうにか大日岩の巻道をクリアできた。何処からともなく踏跡が再び現れ八丁平へと続いていた。ガスは取れたが空は厚い雲、なんとか午前中に金峰小屋に下りたいものだ。
最低鞍部(2,058m)で砂洗沢を下り、廻り目平の金峰山荘に到る下山路を分岐し少し登りに掛かった所でヤナギ坂への分岐点に達した。瑞牆山に行っていたらこの道から八丁平に合流していたところだ。ここからは小川山に向けての長い登り道。樹林帯と岩場が交互に現れ岩場になると石楠花の枝が被さり歩き難い。P2347は登山道を少し外れて絨毯の上を踏むようにふわふわとした苔を踏みピークに到った。断崖で東方向の展望が広がる筈だが金峰山は雲の中だった。最後の登りに入るとまた雲の中に突入し霧雨状態となった。金峰山荘からの道が合流するとすぐに山頂に到った。小川山(2,418m)は樹林帯で残念ながら展望はない。2等三角点「小川山」と山梨百名山の山頂標識をカメラに収め下山に掛かった。
南東に続く尾根の先端で90°左に方向を変えて下ると岩場が頻繁に現れだした。岩場+石楠花林はセットのようだ。難路でスピードは上がらない。裏瑞牆と名のある岩稜帯に入った。鶏冠尾根ほどではないのかも知れないが赤実線の道にしては厳しい。天気の崩れが確実な今日登ってくる人はいないだろう。P2008からは裏瑞牆の岩峰が圧巻だ。少し下ると岩に“展望台”と書かれた岩場上に登ると足が竦みそうな断崖絶壁で、谷を見下ろすと先ほどから聞こえていた水音の正体、唐沢ノ滝が姿を現した。岩登りのゲレンデである屋根岩も素晴らしい。
もう少し下ると唐沢ノ滝への登山道が分岐した。金峰小屋から周回するコースはカモシカ登山道と名付けられている。この少し下で誰も来ないと思っていた登山者と遭遇した。登ってきたのはボーイスカウトの団体、ロープ場で手古摺っているので休憩して待つことにした。日帰り組と八丁平テント組があり小学生の子も混じっている。この後、男女4人組とお父さん2人と子供たちのパーティーが登ってきたがこれから雨に濡れると大丈夫だろうか。少年に「気をつけてね!」と言うと「何度も来ているから大丈夫」と頼もしい事を言っていた。
金峰山の林道に飛び出すとそこは廻り目平のキャンプ場、ここで山岳会のテントが張られているはずだが・・・広過ぎて探せるのもではない。しかも11時ではテントに居る筈もない。金峰山荘(標高1,574m)に着いてどうしようかと思案していると終に雨が降り出してきた。お風呂があるが入浴は12時からとのことで手持ち無沙汰、居場所もなくなり合流は諦めて川端下(かわはげ)に下り川上村の村営バスに乗って帰ることにした。
西股沢と東股沢が合流し金峰山川となるところで川上牧丘林道に出た。この道は8年前に大弛峠から延々と歩いた道、傘を差してとぼとぼと歩いた。村の少年と2人バスに乗り込み信濃川上駅からは青春18切符で帰るので時刻を調べてみるとどうも接続がよくない。京都まで辿り着きそうにないので巡らした思案は、二つ先の清里駅近くにある清里YHに泊まり翌日始発で帰えろうというもので、電話すると宿泊OKだった。
このユースホステルは25年前に泊まった思い出の宿だ。記憶ではどうしようもないボロYHだったが23年前に立て替わって“ボロ”ではなくなっていた。土曜日というのにお客は5人だけだった。(1泊夕食付ビジター料金5,220円)
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する