岩菅山・鳥甲山《日本二百名山》
- GPS
- 13:59
- 距離
- 33.9km
- 登り
- 2,664m
- 下り
- 3,518m
コースタイム
- 山行
- 6:58
- 休憩
- 0:25
- 合計
- 7:23
天候 | 1日目(10/9):小雨烈風 2日目(10/10):曇り無風 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2010年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス
下山:屋敷温泉から南越後バスで津南経由十日町 |
その他周辺情報 | 屋敷温泉秀青館\500 |
写真
感想
1日目(10/9): 小雨烈風
夜行バスは湯田中温泉に到着し、乗り継ぎ割引券を貰い志賀高原バスに乗り込んだ。まだ雨は降り出していないが今日は秋雨前線の影響で南風が吹き込み雨は免れそうにない。標高1,400m余りの一沼辺りは紅葉の名所で、沢山のカメラマンが池畔に三脚を構えているのが車窓より窺えた。
蓮池で奥志賀高原行に乗換え発哺温泉に着くと風が強く木が唸っていた。東館山ロープウェイの乗場(標高1,550m)に向かうとこれから係が山頂に向かい運行できるかどうか判断するという。しかし素人目にも運行できそうにない程の風が吹いており、待った揚句「運休です」の声を聞きそうで、すぐ見切りをつけて歩きだした。しかし今日の行程はロープウェイで時間を稼いでも18.7劼猟甲場、9時に歩きだしてコースタイム11時間20分を如何に短縮し、日のあるうちに切明温泉に辿りつけるかどうかと云う状況だったのでこの余分な歩きは辛い。しかし行くしかない。車道を戻り奥志賀高原への道を行くとゲレンデンの端が道路に覆い被さっている所がある。此処から東館山スキー場に入り長野オリンピックのアルペン競技に使われた由緒あるゲレンデを登った。
ロープウェイは400m余りの標高差を7分で稼いでくれるが歩くと2時間30分のコースタイムだ。雨具に身を固めて進むが、風があり涼しく余り汗はかかない。一度寺子屋峰の下に近づくが再び遠ざかり東館山山頂駅との鞍部で稜線に出る。ほぼ180°Uターンするように東に進み寺子屋スキー場のリフト駅に到った。ここから漸く登山道となり10分足らずで寺子屋峰(2,125m)山頂に達した。3時間20分のコースタイムは甘過ぎで1時間14分に短縮できた。これならロープウェイに乗らないロスは十分吸収できそうだ。
現地の標識には「寺子屋山」とあるが「峰」が正しそう。展望のない山頂は通過し500m先の金山沢の頭(約2,130m)へと歩を進めた。南の赤石山への分岐点で2.5万図には此処に「寺子屋峰」と記されているが間違いである。此処から先、岩菅山までは8年前の9月に歩いたルートだがあの日も小雨が降っていた。
分岐を東に進むと裏寺子屋峰(2,085m)だが山頂標識がなく知らずに通過してしまったようだ。一の瀬への下山路が分岐するノッキリには、思った以上に早く着いた。此処から岩菅山への200mの急登だ。樹林が途切れ吹き曝しの斜面で強風を通り越して“烈風”と言った方がいい。右からの風が雨粒を運びまるで砂粒を投げ付けられるように痛い。みるみる体感温度が下がり、手は冷たく、顔も冷たい。吹き付ける風は頬を変形させるほどで背を屈め耐風姿勢で這うようにして進んだ。このまま登山を続けても良いものだろうか? 裸の稜線が続けば相当危険で、通過にどれだけ時間がかかるか分からない。でも取敢えず岩菅山山頂までは行こう。
匍匐前進に近い状態で岩菅山(2,295m)山頂に辿り着き、避難小屋に逃げ込んだ。中に入ると嘘のように静かでザックを下ろし昼食を摂った。小屋の定員は14人だが快適に過ごせるのは10人位までだろう。さて縦走を続けるか? 南東からの風で、東側が切り立った此の山域なら西側に飛ばされても即転落は無いだろう。裏岩菅まで行けば後は基本的に下り、樹林帯に入るだろうと前進を決断岩菅山大権現の石碑と祠に無事を祈念し北東に続く稜線に踏み出した。
裏岩菅山(2,341m)までは大したアップダウンもなく笹原で天気が良ければ気持ちの良さそうな稜線だが、荒天の日には樹林帯が恋しい。風は岩菅山の登り程ではなく1.6劼瞭残なのに「えっもう着いたの? 」と云う感じで27分しか掛らなかった。標高は高くても其処は「裏」と名乗るだけあって山頂は控えめなものだ。立ち止まることなく通過し後半戦へと突入した。北に向かって180m下降し、右に折れ2,170m前後の高原歩きとなり、中岳(2,326m)への登り返しは前面にドンと大岩が現れ南側へ巻き込んで山頂へと達した。中岳から烏帽子岳の先までは南側が切り立った稜線が続き、再び遮るものなくまともに風を喰らった。烏帽子岳(2,230m)は平らな山頂でテントを張るに十分なスペースがあった。
烏帽子からは急斜面の下りで、1,790mの鞍部まで下り、笠法師山へと登り返すと此れも急登で岩場もあり登り切って笠法師山南峰(約1,880m)に到った。しかし現地では「笠法師山北稜」との表示があるが笠法師山はこの真北にある三角点峰(1,918m)なので、此処が北稜である訳はない。登山道は東から北の山麓を巻くように迂回しているので山頂へは道がない。名のある山頂は外さないのが私の主義だが、この荒天に藪を漕ぐ気にもなれず巻道を進むことにした。巻道と云うのは、楽そうだが危険が一杯、谷に向かって斜めななった道は滑りやすく転落の危険と隣り合わせだ。シジミ沢を大きく巻き込み再び北行し、まむし沢の頭(1,770m)に達した。
此処まで来れば後は切明への大下り。標高差は900m余り、元々湿気の多い道で、今日は雨でぐちゃぐちゃスリップに注意して下るが気を抜いた瞬間転倒し泥んこになってしまった。下に中津川の流れが見え隠れし出すと切明は近い。発電所の水路が現れ導水管へと吸い込まれ河原にある切明発電所へと一気に落ちて行く。北側には明日登る鳥甲山が白堯⊂水の頭を従えて聳えていた。
発電所の横に下りて来て中津川を吊橋で渡ると対岸には雄川閣があり公衆便所も備わり切明の中心地のようだ。今日の宿“雪あかり”はさらに50m奥で秋山郷最奥の建物だ。男女別の内湯と混浴の露天風呂があるが雨降りでは近づけず、河原を掘れば温泉という切明温泉の魅力は楽しめなかったが心残りだったが、秋山郷の秘湯の雰囲気は感じさせてもらった。一泊二食付13,000円は山行中には贅沢過ぎるが、南アルプスの二軒小屋ロッジも同じ値段だった。
2日目(10/10): 曇り
宿の朝食は8時からで待ってられないので弁当を作ってもらった。朝広げると大きなおにぎりが二つと焼き魚、卵焼き、漬物など、どれも辛くてボリュームがあり過ぎておにぎり一個は山に持って行くことにした。昨夜の天気予報から当然雨が降っているものと思い雨具を来て外に出ると降っていなかった。中津川左岸の切明林道を登りだすと暑くなり上着だけは脱いだ。林道からは佐武流山(さぶるやま)や大岩山がよく見え3キロの林道歩きも苦にならず登山口に達した。
堺登山口(標高1,020m)には山形ナンバーの車が止まっていたがもう出発したのだろうか中までは窺えない。登山届をポストに入れて歩きだした。まだ普通の登山道だったが標高1,250m位から傾斜が増して“鳥甲”を感じだした。雨具の下は履いたままだが昨日の雨で雫が一杯で雨降りの如く役に立っている。空は時々日が射したりしているが天気回復とはいかないだろう。1,437mの標高点を超えるといよいよ岩場が現れ、その中を5人の登山者が登っているのが見えた。きっと山形ナンバーの人達だろう。
振り返ると佐武流山の北には苗場山が平らな山頂を横たえ、南側には昨日歩いた笠法師山、烏帽子山、裏岩菅山、岩菅山の稜線が、雨を覚悟していただけにこれだけ見えると嬉しい限りだ。前方に際どい岩場が見えてきた、これが万仏岩の難所らいし。真新しい鎖と、古びた鉄梯子があるが鉄梯子の下は壊れてしまったのか固定されず縄梯子のように上からぶら下がっているだけだ。どれを使うか思案するところだが何れにしても全体重を預けないと登れない。
小水の頭(約1,650m)は此の上のピークのようだ。標識が無いのではっきりしないが、ネット記事を見ても諸説紛々で1,705mの標高点だとする記事もあったが違うだろう。急斜面を詰めると先行していた5人組に追いついた。山形ナンバーの主ではなく静岡から来た中高年グループだった。昨夜は屋敷温泉秀清館に泊り宿の主人に堺登山口まで送って貰ったそうだ。
道を譲ってもらい先行して白堯覆靴蹐ら1,944m)に到った。3等三角点「朝日山」と栄村の立派な標識があり存在感を示しているが樹木が茂り展望はなかった。この先暫くは問題なく進むが、いよいよ核心部の難所、カミソリの刃へと踏み入れた。東側がスパッと切れ落ち断崖絶壁、西側は辛うじて木があるが足場は狭い。断崖に突き出た木から鎖を伝って下りた。最悪の処は蒲鉾形のナイフリッジの稜線が5m程続き両側が切れ落ちている。崩壊防止のため鉄線で保護されているだけ、恐る恐る踏み越えて通過した。このピークが1,908mの標高点のようだ。
道が穏やかになり白砂分岐で屋敷からの登山道と合流した。鳥甲山(2,038m)山頂まで200m、予定より大幅に速い9:17に登頂した。2等三角点「鳥甲」があり、栄村の山頂標識と共に誇らしげだ。この山の由来は毒草のトリカブト、武将の兜ではなくj「チョウコウザン」と呼ばれていたものに「鳥甲山」の文字を当てたところいつしか訓読みされて「とりかぶと」となったと云う。P1908までは遠望が利いたが、上がってきたガスに視界を閉ざされ何も見えなくなってしまった。
温泉宿から持ってきたおにぎりで腹拵えをして、10分余り休憩し下山に掛った。白砂分岐までに追いつくかと思っていた静岡の5人組はカミソリの刃で手こずったのかまだ来ない。分岐を北に進み屋敷を目指すと先ずは赤(1,840m)だが、これもネット記事諸説あるが、山頂から1.2劼1,840m地点を赤堯1,675mの標高点を赤北峰とする説を採用したい。これは日本山名総覧に掲載されているので確度が高い。また現地にあった「赤凜瞭」と云う標識もほぼそれと一致する。また「赤北峰」は「赤凜慮」と記されたものもある。
赤瑤賄个蠅埜たとき赤く地肌がむき出したガレ場を伴いこれが「赤堯廚琉發錣譴任△蹐Α0みに「堯廚髪召字は「けわしい」と云う意味があり、山の様子をよく表している。この辺りも東側が切れ落ちているが南稜と違い岩場はなく赤土のガレが谷へと続いていた。
4等三角点「屋敷山」(1,453m)は、その真っ直ぐ先に屋敷山(1,460m’)があり、道があるなら立ち寄ろうと目論んでいたが、それらしきものは全くない。此処は無理の利く山域ではない。あっさり諦め稜線を離れ屋敷への長い下山路を辿った。この下山路が曲者で急斜面と足元の悪いのは昨日の切明への下りと一緒、慎重に、慎重に下るがそれでも一回ズッこけてお尻を汚した。雨具の下は履いたままなので丁度よかった。
中津川の流れが垣間見えるようになった頃、突如山中にコンクリートの堰堤が現れた。ダムでも作るのかと思ったが、なんと雪崩止めの堰堤で平成21年完成とあった。此の真下に屋敷の集落があると云うことだろう。此処からは工事道路跡が登山道で、切明林道との合流点にゲートがあり車は侵入できない。登山届のポストがあり近くのDoCoMoのアンテナの所に数台の車が駐車中だった、下山時に出会った二組の登山者のものだろう。遂に山形ナンバーの主には会わなかった。
此処からは車道歩きで屋敷温泉へと向かった。まだ2.1劼△蝓∈籠擦魏爾辰堂杏BSを通り越し更に屋敷橋まで下り川沿いを下流に行くと秀清館がある。御主人に鳥甲に登ってきたと云うと「うちのお客さんも行ったよ」、「5人組に会ったよ」、「静岡の5人組、堺登山口に送って行ったのは私だ。」と話が繋がった。入浴料は\500、温泉は男女別の展望風呂と簡単に囲っただけの混浴露天風呂があるがお昼時で客は誰もいなかった。
屋敷橋の袂で手を挙げると津南行のデマンドバスは停まってくれて大助かり、途中の小赤沢で男女3人組の登山者が乗り込んできた。他に客はなく話していると、苗場に行って来たと云う。今日は逆巻(さかさまき)温泉に泊り明日帰るとのことだった。私は十日町まで出てビジネス泊だ。十日町では人気の蕎麦屋“田麦そば”に行き、へぎそばと日本酒を一人楽しんだ。翌朝ほくほく線のホームに上がると何んと逆巻温泉に泊った3人組にまた出合った。東京に帰る彼らとは上り下りの泣き分かれで手を振りあって別れた。
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する