《筑摩山地》渕東駅〜鉢盛山(北尾根から)〜烏帽子岳〜御馬越
- GPS
- 27:29
- 距離
- 31.9km
- 登り
- 2,400m
- 下り
- 2,206m
コースタイム
- 山行
- 7:16
- 休憩
- 0:05
- 合計
- 7:21
- 山行
- 8:47
- 休憩
- 0:38
- 合計
- 9:25
- 山行
- 8:58
- 休憩
- 1:24
- 合計
- 10:22
天候 | 初日ガスのち小雨、二日目晴れ、三日目晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
雪は標高1700m以上。あとはヤブのシートラ |
写真
装備
個人装備 |
スコップ+のこぎり
スキーストックシール
アイゼン
その他冬山宿泊個人装備(寝具一式・ナイフや灯り地図磁石)
|
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共同装備 |
タープ
ストーブoptimusu supernova白ガソリン
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感想
一日目 曇り・ガス
●若澤寺から入山
上高地線・渕東(えんどう)、超無人駅、初めて降りた。スキー担いで地下足袋で。駅周辺は田畑だが、河岸段丘一段上には古い集落。雀脅し付きのお屋敷も多数あり。田村堂にて、明治4年の廃仏毀釈の嵐で滅亡した古刹、若沢寺(にゃくたくじ)の名残を見学。そのままスタスタ歩いて若澤寺古蹟へ。奈良時代からの古刹で中世には修験、近世以降は武将、藩主の庇護で「信濃日光」と大いに栄えたが、明治4年の革命の嵐で哀れ滅亡した幻の大伽藍建造物群の跡地。ほとんど山城だ。栄枯盛衰。松本藩の廃仏令は藩主自ら菩提寺を叩き壊してその木材で開智学校を作った。
●白山から清水分岐
若澤寺の最上部田村堂から白山へは道といえば道かもしれない程度の杉林を地下足袋めり込まして急斜面をシートラ登行する。温暖化で、こういう入山が増えた。白山は、下で見た絵図では大きな社が描かれていたが今は石の祠一個。依然雪はないが、湿った地面で濡れた地下足袋の指先が冷たくて、登山靴に履き替えた。最近、趾が冷えやすくていけない。当初ここから先は雪を期待していたが、もう無い。それでも笹薮もそうひどくなく、なんとなくの踏み跡もあり延々進んでいく。松本市内から見上げたあの長大で緩やかな尾根の上を進みゆく。濃霧の上に樹林は絶えず、展望はなし。もう少しで清水分岐というあたりで、良い吹き溜まりを見つけ、イグルーを作る。積雪は周囲20cm、そこだけ30〜50cmって感じだが、一人分なら作っちゃうよ。宅急便大のブロックだけでゴンゴン積んで作る。こういう季節は高温で溶けるし雨も降るので、薄いブロックは駄目だ。厚いから重くて、長いのはできないけどくっつきやすいから内傾は容易。昔よく作ったタイプだ。
二日目 雲海 晴れ ハト峰と鉢盛山
ハト峰まで
登り始めてすぐ清水分岐。鉢盛山って山形村朝日村方面だけど、山形村の最高点はここで、村内には顕著なピークがないんだ。ここからはカラマツ林を切り開いて、乗鞍岳方面だけが見える窓のようになっていた。こういうの、いいと思うよ。
傾斜は強まらず、延々カラマツ林をスキー摺り足で進む。還暦定年退職向きのロングコースだ。幽玄なサルオガセの森をとおる。晴れて遠くの山も雲海の上のようだが、樹林で見えない。ハト峰山頂は東側の木が刈ってあり、雲海の上にヤツ、甲斐駒仙丈ヶ岳が見える。遠くて緩い良い山。
●南面の雪は無い
ハト南面の急傾斜は、雪が融けて笹薮。笹薮横滑りスキーは得意技だが、完全にヤブコギに。後半はシートラして降りる。コルから次の1941は西側を迂回してズルしようとしたらやはり南面急斜面の笹薮をトラバースする羽目になりこりた。素直に上を行けば南面も東のヘリだけは雪がつながっていた。コルから振り返ったら気づく。
●控えめな展望
樹間からときおり、松本盆地南部の様子が垣間見える。その向こうには高ボッチやヤツ、浅間山と、盆地の底では見えない遠い世界が多層的に見える。これが見たくてこういう山行をするのだ。
△2064の下の斜面は、それまでのカラマツが消え、急にダケカンバの疎林に。展望も良くなり穂高や常念が見え始めて、ここらでイグルーでも作ろうか、と思ったころに避難小屋現る。裏側の林道が通じていたのだ。簡素な作りだ。積雪期は想定外みたい。もう少し先に行くか。
そこから山頂まではシラビソやコメツガの気持ちの良い針葉樹林に。これがこの山の本来の植生か。イグルーは展望の良いところがいいと、少しずつ進める。40年前に見覚えのあるプレハブの小屋も過ぎ、その上の急斜面を過ぎ、結局山頂の反射板の脇まで。穂高も常念も乗鞍も御岳山も見えるのはここだけだった。
積雪は1mほどあり、楽勝で棺桶型を作って眠る。きょうは湯たんぽを象足の中に入れたので朝まで安眠した。深さが雪面下90cmなので隙間が空いていても風は上を抜け、横になっていると全然寒くない。
三日目 晴れ
●分水尾根で意外とスキー
イグルーを出て奈良井川・木曽川の中央分水尾根を下る。樹林だし、結構方角決めが難しい。急斜面でかなり硬いのでスキーを担ぐ、念の為持参のクランポンもつける。狭くて傾斜のある尾根を少し下ると標高のせいと時間のせいで潜るようになり、スキーに替える。笹半分、硬い雪半分の傾斜ある狭い尾根で、横滑り多用で結構厄介。半分位から下は、尾根直下の北側面を突いて滑り、あっという間にコルへ滑り下ることができた。こんなとこ滑る人、いないだろ。
2022への登り返しは傾斜もゆるく雪もかろうじてつながっていて孤独で自由な深い山を味わう。2022からのスキーも案外楽しく滑った。期待していなかった楽しいスキーの場面は、とてもラッキーに感じる。
烏帽子岳は、松本から見ると鉢盛に次ぐ特徴的な山頂だ。ぜひこの稜線を歩いてみたかった。登りも降りも今山行中、最大の傾斜でおっ立っている。
●行程半分で下山を決める
烏帽子岳で最終判断。計画ではここから延々標高を下げて奈良井宿までだが、きょうのペースだとあと1.5日はかかりそう。飯も時間もあるが、この先は雪が消え、シートラヤブコギになりそう。このルートは行きたいがあくまで雪を踏んで行きたい。今年は3月に来られなかったのが敗因だろう。ここに来て電波が通じ、エスケープの北尾根から御馬越に下山する旨を伝える。
下降尾根の東側面の真っ白な斜面をスキーで下る。登山靴のグラグラ足首と、ザブザブの雪質はかなりハイレベルだが、それなりに愉快に降った。尾根と脇の側面を乗ったり逸れたりしながらスキーで降り、ヤブ6割くらいになったあたり1700mでシートラに。1550mで地下足袋に替える。登山靴は20年ものだけど、かかとの内側の内装が剥がれ、必ず靴擦れができる。今回も500円玉大の皮が破れた。もう買い替えかな。地下足袋で地面を踏みしめると、生き返った気分だ。背中は重くなるけど。ザックの後ろに立てに挿したストックが50回くらい枝に引っかかり、角持った鹿の気分だったが、どこかで一本ヤブに持っていかれてなくしてしまった。自作の竹ストックだ。痛恨。道は踏み跡程度だが、迷いやすい広い尾根には目印テープが的確にある。
●御馬越(おんまご)
尾根末端には木曽義仲由来の祠があった。ここは、あの峠越えルートで木曽の味噌川との直結ルートだ。中世には重要だったのだろう。調べてみたい。御馬越という地名も義仲起源に違いないだろう。タクシー呼んで、歩き始め、スキー場近くで出会う。洗馬を通って塩尻駅まで。このあたりは初めて通る。塩尻は段丘の取り残された桔梗ヶ原台地の上だ。水は乏しかろう。そこが近代に都市にならなかった理由かもしれない。駅で立ち食いそば。
42年前、高校二年の冬、御馬越まであったバスで来て、一人野俣沢林道から鉢盛山に向かった。誰にも雪山登山を教わらず完全に一人で始めた。丸一日、膝までのラッセルがきつくて、行こうか帰ろうかずっと考えて、林道半ばで引き返した。夕方の最終バスにかろうじて乗って帰り、翌朝熱を出した。その後、鉢盛山は何度か登ったけれど、町から鉢盛を見るたびその時を思い出す。もうバスもとっくにないし、授業をサボって山に行くのを放っておいてくれた担任の先生も、この前亡くなった。
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長い記録にお付き合いありがとうございます。まあほとんど竹なんで。でも取りに行こうかとも思っています。
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